雨がサァーッと通り過ぎ地面を叩く音がする。
その音は壁を抜け、明りも熱も感じられない私の部屋に入り、まだ寝起きで頭が回っていない私の耳に収まる。
私はそこで雨を確認する。そして“やっぱり”と心の中で息つく。と同時に心のどこかが落ち着く。
朝食はパンケーキを少しとコーヒーで軽くすませた。
雨音がヒタヒタと滲みる中の朝食は味気ないもので少しボゥっとしてしまう。
そしてこの雨だが私の予測によると一日中、降り続けると見ている。
私は天気の専門家というわけではない、ただ天気の予測をするのは魔法使いに必要な観測と考察を鍛えるのにいい勉強だと考えている。
単純に空を見上げて分かるのではなく、自然を見渡す。
自然に含まれている多くの情報―生物が天候の変化を敏感に読み取り生き残るために移す行動―から必要なものだけを抜き取り、私の頭の中で並べ、混ぜられ、調整され結論が出るのである。
最初のころは全く当らなかった。だが経験を積むことにより的中率が2割、5割、9割と確実性を増していき、今では自分の結論をおおよそ信用している。
その結論をもとに“明日は雨が降るから今日中に実験用の薬草を集めよう”など行動を起こし、翌日に実を結ぶ形で雨が降ると“嬉しい”よりも“安心”する。その安心とは
“収まるべきところに収まるべきものが収まる”そういった感じであり、その様子は物事において一番のベストであり私のベストであると考えている。
時計を見る。
昼だ。
朝食をとってから上下巻の長編小説を読んでいて、上巻を読み終えたときだった。
個人的な話だが小説のみならず本を読むとき、私は眼鏡をかける。ただし伊達である。
眼鏡をかけて本を開くと心にいい意味での緊張が走り、文章を追うと不思議と冷静に頭に入るのである。
勝手な先入観なんだろうけどね。
あと自分で言うのもなんだとは思っているけど似合ってはいると思う。多分……。
まぁ誰にも見せてないから。
閑話休題
上巻を読み終えた私はそれをテーブルの上に置いてから眼鏡を外し首を回す。
息を吐くと、窓から外を窺った。
雨はまだ降り続いている。空には主に灰色、所々に黒をたくわえた雨雲が浮いている。
その雨雲のおかげで外からの光が少なく、部屋の雰囲気には黒いものが隠れているようだった。
人形達の影もどこか妙に私の目には映る。
雨はまだ降り続くだろう。そして私の心は落ち着く。
雨が降り続ける日に私の家を訪ねる者は誰もいない。
雨が降っていない日には誰かがここを訪ねる可能性がある。
とは言っても誰も来ない可能性が圧倒的に大きい。
とりあえず一番ここを訪ねる奴は ―
いや、やって来るという表現が一番しっくりくるだろう。
それは魔理沙であり、その次に霊夢である。
彼女達は突然、私の家を訪ねる。予告も何もなしに。
このことが一番困っているがそれ以外でも困っている。
魔理沙は礼儀を知らない。
何か作ってくれないかと当然のように言いだす。
それは帽子であったり、手袋であったり、足かけであったりと様々だ。
なんだかんだと応じてしまう私はきっと甘いのだろう。中には
「なぁアリス、この小説にチーターていう動物がでてくんだけど、アリスが読んでみて想像したやつでいいからその人形を作ってくれないか」
といったかなり無茶なものもある。
ただ、この子が帽子なり、手袋なり、足かけなり、チーターなりをもらったときの顔。これがなかなか綺麗なのである。素直が思わずこぼれた笑顔はこの子にピッタリである。
またこのことは上海には言えないのだが魔理沙は上海のことがお気に入りのようで、よく上海にちょっかいを出している。
上海は頭を手で押さえ嫌がり、人形だけど涙目という表現がよく似合う。
そして
私はそのときの嫌がる上海を見るのが実は結構、好きだったりする。
単純にかわいいと思う。
そのあと
私が上海の頭を撫でてやりなぐさめるのも結構、好きだったりする。
普段、甘えるような素振りを見せない上海が少し気を緩ませてくれた気がする。
それに私では上海が嫌がる素振りをみせるようなことは出来ない。
こういった光景は貴重なのだ。その点では魔理沙には感謝しないといけないのかもしれない。
霊夢に関して特に困っていることはない。
ただ来る度に
「ねぇ緑茶ないの?」と聞かれるのは困る。
もちろんない。
それを聞くと霊夢は持参した袋から緑茶の茶葉と急須をとりだす。
持っているなら聞かないでよ。と思うが多分こうやって訪ねる度に聞けばいつか私が緑茶を常備するという魂胆なのだろう。
私はそんなに甘くはないぞ。霊夢。
それに頻繁に来るわけでないのだから茶葉がしけってしまうのでもったいない。
そうして霊夢が淹れた緑茶を対局に座りながら飲み軽い談笑をする。
そのとき霊夢は魔理沙みたいに上海にちょっかいをださない。
頬づえをつきながら眺めているのである。
その様子は心がどこか一歩引いたところから眺めており、人形を見るというより“装備”を見ている感じである。
私は別にそんな見方が嫌いではない、むしろ霊夢の好ましい部分のひとつであると感じている。
またそれは人形遣いには必要なことである。
時計を見る。
夜だ。
私は昼食を挟むことなく下巻に移り読み終えた。
ただ良かったと一言だけ添える。
読み終えた小説をテーブルの上に置き、意識が部屋に広がると雨の音を確認した。
外の様子を窺う。
雨は止む気配を見せない、予想通り今日は一日中、降り続けるだろう。
そうしてるうちに強い空腹感が襲ってきた。
夕飯の支度をしよう。
夕飯はリングイネとサラダにした。
空腹のため食べ始めは口の中で味がしっかり広がっていったが、ある程度、食事が進むと“おいしい”とも何とも思わず、雨音を聞きながらただ口に運び、食器がカチャカチャ鳴るだけであった。
食べ終わり、食器を片づけた私はゆっくりとイスに腰を下ろした。
テーブルには今日読み終えた下巻があり、手元には紅茶がある。
結末を知りながら気に入った場面を何度もなぞる。
これはいつも私がしていることで余程合わない作品でなければ幾つかの印象に残る場面は存在する。
そうすることで私の中で作品が固まっていく、一部分をなぞるだけでは作品の意図が掴めないかもしれないが、この作業をすることでトンと作品の深い所までに落ちていく気がするのである。
そしてその深い所から見る世界は通り過ぎた自分を見ているようだ。
時計を見る
だいぶ夜も更けた。
もう寝る準備はしてある。あとは寝るだけ。
今日はあまり時計とは目が合わない日であった。
ベッドに入り、深くまで潜る。
毛布の柔らかさが体に伝わり緊張が解ける。
目を閉じて世界との繋がりを耳だけにする。
雨音が外から入ってこない。静かな魔法の森のようである。
どうやら私の予想は最後の最後で外れたらしい。
だが別にいい。
こんな深夜にここを訪ねる奴はいない。
そうして落ち着き、私は眠るのである。
― 本音 ―
私はプライドが高く自分本位である。同時にさみしがり屋である。
このことが一番困っているのである。
雨が降り続ける日にここを訪ねる奴はいない。
雨の日に人はあまり動かない“収まるべきところに収まるべきものが収まる”その一つの形だ。
だから雨が降り続ける日に私は孤独を感じない。
そういうひねくれ者だ。
淡々としながらも叙情的な語りが、読んでいてすうっと沁み込んで来ました。
とても良かったです。
あとがきの解説がなくとも理解できました。
あと一応、引用符の‘’は“”の中に使うものなのでこのSSでは“”のほうが適切かと。
そこだけ違和感を感じました。
それが孤独なアリスの心と混ざりあって、
まるで午前五時半のような青白い寂しさが広がっています。
途中から雨の香りが、わずかに
作品の雰囲気がなんともいい味を出していますね。