霧雨魔理沙の話をしよう。
見た目のことを言うのならば、上から黒、金、黒、白とでも言えば大体想像は出来ると思う。緩いウェーブを描いた金髪を、肩の辺りでザックリと切り落とし、古来より想像上の魔女がそうであるように黒い三角の帽子を被り、上下とも黒と白の衣に身を包んだ姿は、洒落っ気の欠片も無いが、この時、首に巻いていた紅いスカーフが、唯一のお洒落とも言えた。
その姿から想像できるように霧雨魔理沙は魔女である。とは言うものの、ここ、幻想郷では決して少なくない、種族としての魔女ではない。魔女であると名乗っている人間だった。
魔女は箒に乗るものだ。誰が決めたのかは分からないが、魔理沙は頑なにそれを信じ、今も箒で空を駆けていた。
始まりは冬が終わらないことだった。
こう言うと混乱を招くかもしれないが、なに、幻想郷ではよくあることだ。兎にも角にも冬が終わらなかった。五月が訪れても寒波が猛威を奮い、いつもなら花見に洒落込む人々も桜が咲いてない以上、諦めまだまだコタツで丸くなることしか出来なかった。
それでも大半の人は、偶にある異常気象であると捉えていた。その大半に入らずに、「なにかがおかしい」と思った人物の中の一人が魔理沙であった。
そして、そこには一つの物語が存在し、結果として幻想郷は春を取り戻した。桜が咲き乱れ、穏やかな陽気が燦燦と降り注ぐ春の訪れである。
もう冬は終わった。異変は、解決したのだ。だというのに、魔理沙はこんな夜にどこに行くのだろうか?
「おかしいぜ絶対におかしいぜ」
魔理沙は誰と話すでもなく呟く。春は取り戻した。花見もした。だというのに、終わった気がしない。
霧の異変の時のあの妹のような、この異変にはなにかまだ隠し玉が在る。そんな感覚が消えないのだ。猫の式神は倒した。狐の式神も倒した。それでもまだ、終わらない。
冬が終わらなかったように、この異変は実はまだ始まってすらいないんじゃないか。そんな風に思っていた。
だから今夜ここに来ていた。狐の式神を倒した、ここへと。
本当の黒幕に会いに。
「なにがでしょうか?今宵の月の色の事でしょうか、それとも」
魔理沙はその声を聞き、ニヤリと口を歪ませる。
その声は、とても、美しい声だった。同時に果てしなく醜い音であった。
男の声なのか、女の声なのか。幼い声のようでいて、老婆のような声でもあった。
不可解で曖昧で、胡散臭く複雑で、誘うようでいて、突き放すかのような声色。
声色が本当に色として見えたなら、その声は何色に見えただろうか。赤じゃない、緑じゃない、青じゃない、そんな輝く色じゃない。白でもない黒でもない、黄色でもない、そんな明確な色であるわけがない。
輝くようでいて、一切の彩度がない。
その声を出した人物の名は、八雲紫。名前に色が入っているのはなにかの冗談なのか、意味があるのか、無いのか。
八雲紫は魔理沙の死角から、体を半分だけ空に浮かべていた。比喩でもなく、半分だ。空中に急に口が出来上がり、その口から上半身だけをこちらの世界に覗かせている。頬杖をつきながら、ニヤニヤと。
「月の明度だ、明るすぎないか?」
「月の光は、太陽の光の反射夜と昼の境界を繋ぐ、唯一の鍵です」
「明るいのは、今が昼とも夜ともつかない状態だというのか?」
「ただ、ここが雲の上だからじゃないかしら」
姿もまだ見ていない相手との軽口の応酬。こんな会話に意味は無い。紫も魔理沙も、言いたいことを言いたいように言っているだけ。
「で、誰だ?」
魔理沙はくるりと紫の方へと向き直る。宙に浮かぶ不可思議な紫の姿に一瞬戸惑ったが、ヒトの常識なんて妖怪に対してはなんの意味もないことは、十分すぎるほどに理解していたので、そんなものかと溜息一つで納得した。
それに対して紫は、スキマの向こう側でぷらぷらさせていた下半身をよっと一息で引き抜くと、スキマの上に優雅に座った。
「あなたの事は、藍から聞いたわ」
八雲紫の式神、八雲藍。先日魔理沙が撃破した狐の式神のことである。式神を操る式神という規格外の存在なのだが(勿論規格外なのはそんな式神を生み出した八雲紫のほうだ)ここでは置いておこう。
「狐の親分か」
ふんと鼻を鳴らし応える。
「どうも、うちの藍が迷惑をかけたようで」
「私にというかあの世の人にだが」
「私がもっと暴れてみてもいいのですが」
傘をくるくると幼子のように回しながら物騒なことを口にする。謝ったかと思えば、正反対の言葉を吐く。一貫性という言葉だけは八雲紫の辞書には載ってはいないだろう。
「迷惑の親分か」
多少の呆れも含みつつ、魔理沙は紫との距離を測る。
相手の力量は分からないが、出来うる限り自分の有利な距離、そして、敵がどう行動しても対応できる距離。
「あなたは気がついていない」
なんのことを言っている?
魔理沙は頭にハテナが浮かぶ。そんな魔理沙のことなど無視して紫は勝手に話を進めていく。
「今宵は新月であったことにすでに、昼と夜の境界は私の手の内にあることに」
更に理解できない。
「夕方の妖怪か?」
もう、そんな軽口を叩けるような雰囲気ではないことは魔理沙も分かっていたが、それでも相手に主導権を渡したまま戦闘を始めたくはなかった。
「そんなもん手の内にあっても……………」
「明け方?」
「あなたは、すでに私の結界の内にいるここに居る間は夜も明ける事はない」
そろそろ、来るか。
覚悟を決めてミニ八卦炉を構える。魔理沙にとっての奥の手であり、切り札、尚且つ生活必需品。山一つ吹き飛ばす魔砲から味噌汁の温めまで幅広く使える便利道具だ。
程よい緊張感を感じながら、魔理沙はまだ紫に対して挑発をする。
「なんだ、夜桜の妖怪か」
「私の結界を見つける手段は無い!」
言い終わると同時に紫は名前の通り、紫色の弾幕をばら撒いた。
来た!!
魔理沙は停止状態から急加速で左上空へと離脱する。
弾速はそこまで速くない。これならば当たらない、と安心したのも束の間のことだ。
「あらあら、一体どこに逃げようって言うの?」
その弾幕は、魔理沙に向けられて放たれた物ではなかった。紫の周囲、三百六十度、上下左右、死角など、存在しない。全方位弾幕。
どこに逃げようとも、弾は迫ってくる。
「チッ。逃げてなんかいないし、逃げられないとしても、くぐるだけだぜ」
魔理沙は、弾幕へと向かっていった。
頬を掠めるほどの距離に紫の力を感じながら、距離を詰める。
「へぇ、避けてくるのね。じゃあ、こんなのはどうかしら?」
紫が左右に光弾を放つと、それは、無数の弾へと弾け、魔理沙に向かって奔り出した。
隙間なんて、あるわけがない。
魔理沙は下唇を噛み締め、後退する。
「後ろに下がって、良いの?」
現れた時から変わっていない、人を不快にさせる笑みを顔に浮かべ、紫は小馬鹿にしたように言う。
「ちょこまかと、良く動くわね。ほら動いてみなさいよ」
言うと同時に、魔理沙の周囲に光線で出来た檻が生み出される。
「な!!」
そこに、大きさも、色も、テンでバラバラな、テキトーな弾幕が放たれる。
檻の中で必死に抗う魔理沙を見ながら、紫はやはり、ニヤニヤと笑うのだった。
硬直状況が続いた。紫の攻撃は魔理沙に届かず、魔理沙の攻撃は、紫にダメージなんて与えちゃいない。
その中で、魔理沙は勝機を探る。
なるほど、強い。避け辛く、そして、美しい弾幕を放ってくる。だからと言って、さりとて負けてもいられない。
もうすぐ霊夢がここに来てしまう。普段から茶を飲んでいることが仕事だと言わんばかりのあの巫女は、こと弾幕勝負に関しては、強い。才能だとか、そんな言葉では片付けたくは無かったが、愕然たる、事実である。
「ホント、中々当たらないのね。そりゃ」
掛け声とは裏腹な凶悪な弾幕。
しかし、その中に魔理沙は一部の隙を見つける。通れるか、通れないか、危うい賭けになるかもしれないが、魔理沙はそこに勝機を見た。
「ここだ!!」
高速で、空を駆ける。瞬間にして紫の背後に回りこむと、温存していた、とっておきの一発を放つ!
「マスタァァァ!!スパァァァアアク!!」
夜が、染まる。
夜が明けることが無いと言った紫の言葉をあざ笑うかのような、圧倒的なまでの光。
全てを巻き込んで、光の咆哮は一点を目指して突き進む。
魔理沙の今、持てる力を全て注ぎ込んだ極上の魔砲は紫を飲み込み、しばらくして、消えた。
八雲紫はイライラしていた。目の前の人間が予想以上にしつこいためだ。
(藍も藍よね。こんな人間に負けるだなんて。お仕置きが必要かしら?)
今回の目的は、こんな奴と戦うことではなかったはずなのに。その、おまけのような存在が、五月蝿く飛び回っている。
無理矢理殺害することも可能だろうが、この魔法使い、博麗の巫女と知り合いらしい。殺すことで今後あの巫女を動かす際に不具合が生じても困る。
それに、自分で作ったルールをわざわざ破ることも無いだろう。
八雲紫にとってみれば、こんなもの、夏に、蚊を潰すのとなんら変わらない。確かにこちらも刺されれば痒いが、その程度だ。
だからと言って、刺されて愉快かと言われれば決してそんなことはない。
今回の異変を利用して、博麗霊夢の力を測り、接触する。それが目的だった。それだと言うのに吸血鬼の従者は来るわ、白黒魔法使いは来るわ、で、計画は大狂いだ。
しかし八雲紫の表情に焦りの色は見えない。と、いうよりも、この妖怪が焦るようなシチュエーションは存在するのか疑わしい。
だが、そのお目当ての霊夢がこちらに向かってきているのを感じ取り、紫は、この遊びに終止符を打とうと、単純な罠を張る。
「ホント、中々当たらないのね、そりゃ」
針の隙間程のスキを作った弾幕。
(ここまで出来る人間なら、気づくでしょ?気づかなかったら、神隠しにでもあってもらおうかしら?)
外の世界から幻想郷に迷い込むことを俗に神隠しと言うが、この幻想郷で神隠しに合ったならば、どこに行くのか。それは、八雲紫にしか分からないことだ。
(ほら、さっきから、ナニか、隠してるでしょう?)
白黒魔法使いはそれを勝機と見たのだろう。小さな、小さなスキを掻い潜って紫の背後へと回りこむ。
これがもし、紫の予期しないスキだたならば、当たっていただろう。八雲紫といえど、無傷ではすまなかっただろう。
しかし、全ては掌の上である。
回り込まれた気配を感じた瞬間、八雲紫の姿が消える。
自らが生み出したスキマによって異次元へと姿を隠したのだった。
そして同時に魔理沙の背後へと出現する。
距離も、位置も、八雲紫の前では儚く、矮小な存在だ。
魔理沙が放った魔砲を眺めながら紫は欠伸を一つ。
「ふぁぁぁあ。暇つぶしくらいにはなったかもしれないわね」
手にした傘を振りかざし、魔理沙の背中へと光弾を放つのだった。
魔砲の残光が消え、魔理沙は目標を見る。
「……………いない?まさか……………」
振り返ると同時に数発の光弾が魔理沙の体を穿った。
「な……………ガ…………。そんな……………」
魔理沙は箒の姿勢を保てず、ゆるゆると落下していく。撃墜というのに相応しい、完敗だった。
ギリギリで自由落下にならないように速度を調整しながら地面を目指す。
死ぬほどの傷じゃない。それどころか、一週間後には飛び跳ねることも可能だろう。しかし、今日は、もう、飛べない。そんな絶妙で、醜悪な一撃だった。
地面に着地すると同時に背中から草原に倒れこむ。しばらくは起き上がれそうにも無かった。
「勝てなかったか。強いな。あの妖怪」
必殺の一撃だった。必中のタイミングだった。それでもなお勝てなかった。
また、戦いにこよう。そう決めた時、魔理沙が飛んできた方向と全く同じ方角から一人の人間が飛んできた。
忘れていた…………………………。
ギリッ。
奥歯が軋む音がまるで他人事のように聞こえた。
その人物は、博麗霊夢。幻想郷の端に位置する博麗神社の巫女であり、魔理沙の友人である。今日も今日で紅と白の御目出度い衣装に身を包んでいる、八雲紫にとってのメインディッシュであった。
二人は、一言二言言葉を交わすと、弾幕合戦を開始する。互いに美しく、凶悪な弾幕を展開し、空を別の色に変えていた。
日常でも、弾幕で遊ぶことはある。ただ、その時と、こういった、ある意味では実戦では、違うのだ。空気が、緊張感が、疾走感が、使命感が。
だから、多分、八雲紫の全力を見る機会はこれが最期だったのだろうと思った。
あぁ、と魔理沙は思う。私は、霊夢に、負けて欲しいのか?
どちらを応援すれば良いのだろう。そんなことは決まっている。人間として、友人として、霊夢の勝ちを願うのが、普通だろう。
でも、友人であり、ライバルだと思っていたから。
直接戦ってもいないのに、それでもここで霊夢が勝ったら、決定的な敗北感を私の心に刻まれてしまう。
そんな魔理沙の葛藤を他所に、霊夢は紫を追い詰めていく。
それは勿論霊夢自身の自力もあるのだろうが、言ってしまえば紫の試験に合格した、ということなのだろう。紫にしてみれば、御眼鏡にかなった人物に挫折を植え付ける必要など、無いのだ。
しばらくして、霊夢は紫を倒した。
最初から、最期まで、笑みを絶やすことが無かった紫が果たして敗北者なのか、どうかは、分からない。
霊夢は紫に、結界の補修を命じると、ここで、ようやく地面に倒れている魔理沙を見つけた。ゆるゆると着地すると霊夢は何事も無かったかのように右手を差し出した。
「ほら、立てないんなら手、貸すけど」
きっと、これが、決定的だった。確定的だった。
魔理沙は叫びたかったが、叫ぶ言葉すら見当たらなかった。なにに八つ当たりすれば良いのかすら分からなかったのだ。
泣けば良いのか、怒れば良いのか、笑えば良いのか。答えられる人がいるならば、教えてもらいたかった。
光弾をくらった場所はまだ痛んだが、動けないほどではない。
差し出された手を平手で叩いて、魔理沙は歩いて立ち去った。
残された霊夢は、呆然と魔理沙を見送るしかなかった。
「…………………………なんなのよ、全く」
霊夢は、魔理沙が何に対して憤っているのかに対して深く考えず、紫に負けてくやしかったのだろうと結論付けた。
この巫女は、友人だろうと、妖怪だろうと、何に対しても、あまり興味が無いのだ。逆に、そういう所が妖怪に好かれるポイントでもあるのだが。
そこからの魔理沙の様子をあえて、語りたいとは思わないし、本人も語られたいとは思うまい。誰だって自暴自棄になった自分なんて見られたくないだろう。自暴自棄も、八つ当たりも、憤怒も、努力も、霧雨魔理沙には似合わない。少なくとも本人はそう思っているし、今まで隠してきた殻の内側だった。
とは言っても荒れに荒れたのは一週間程度のことで(その間の被害だって決して軽微ではすまないが)その後は、全て研究に没頭していた。
自暴自棄も、八つ当たりも、憤怒も、努力も、霧雨魔理沙には似合わない。だが、それ以上に、負けっぱなしだけは許せなかったのだ。
双方人間側である以上、異変を解決する立場である以上、敵対し、戦闘を行うなんてことはあるわけは無いと思いながらも、それでもこのままではいられなかった。
友人として、ライバルとして、なによりも、霧雨魔理沙として。
とある夏の夜のことだ。魔理沙の家にアリスが訪ねてきた。
アリスというのは、森に住んでいるもう一人の魔法使いで、人形狂いだ。ついでに言えば、魔理沙とは違う、人間を辞めた、種族としての魔法使いである。冬の異変の時に魔理沙と顔を合わせて以来、多少の交流がある。
アリスは夜が終わらないのはおかしいと言う。確かに、ちょっと夜が長いかな、とは魔理沙も思っていたが、そこまでだった。もしかしたら、異変解決にもう魅力を感じていなかったのかもしれない。
そして、アリスは続けて言った。長かったので、要約すれば、調査に行くから手伝え、とのことだった。
「いやだ」
「ほら、魔理沙が欲しがってた魔導書がここにあるんだけど」
「…………………………」
情けなくはあったが、欲しかったならば仕方が無いとは魔理沙の談だ。
少し準備をしてから夜の森へと二人で飛び出した。
蛍、鳥、牛。
出てくる度に蹴散らして、進んでいった。
夜がどうなろうが、大して知ったことではなかったが、少なくとも、気は紛れた。これまで、何度か異変の解決はしてきたけれど、誰かと一緒に行くのは初めてだった。
夜の静けさに誘われるまま、飛んでいく。森を抜け、里を超え、竹林へと至る。
アイツが隣にいたら、どうだっただろうか。
答える気もない自分への問いかけ。
いや、それは、そもそも、ありえないことだ。
並び立つとは無縁だと思ってた。
背中合わせで丁度いい。
誰かが結んだ数奇な縁は、同時に仲良しこよしを否定した。そんなヌルイ関係ではいられない、いたくない。
オンリーワンだの個性だの、そんなヌルイ言葉で誤魔化される程、私とアイツは爛れちゃいない。
共に歩くことなんて望むべくも無い。
それでも望むなら。……………背中合わせじゃ満足できないなら。…………………………正面から、ぶつかるしかない。
「ちょっと待て!何だ、何時までも夜が明けないからおかしいと思ったら、魔理沙の仕業ね」
竹林の奥から声が響く。
このシナリオを描いたのは誰なのか。魔理沙はその存在へ感謝した。
勘違いでもなんでも良い。恨んでくれても良い。霊夢と本気で戦える機会をありがとう。
体が歓喜で震えてくる。頭の先から爪先まで、全ての細胞が沸き立つように熱くなる。全身の毛が逆立ち、自然と笑みが零れてきた。
それから何を喋ったかなんて覚えてない。
沸騰した脳みそが考えた言葉より、弾幕を交わしたい。
「アリス、絶対に手を出すなよ?」
最期にそれだけ付け加えて、まるで、アリスを振り落とすように箒を加速させる。
背後から何か非難めいた言葉も聞こえたが、気にはしない。
自分の存在を、自分の力を、一滴の汗も出なくなるまで根こそぎ使おう。
終わらない夜も、私のせいでいい。
月が歪なのも私のせいでいい。
光る竹にしてくれたって構わない。
それで霊夢と勝負できるなら!!!
弾幕とはなんであろう?
無数の星を放ちながら魔理沙は思う。
私のそれは、ミニ八卦炉を除けば花火を投げ付けているのと変わらない。しかし、ただの花火なら、どんなにぶつけた所で妖怪に傷一つつけることすら出来ないだろう。
ナイフをブン投げてくる奴、氷を降らせてくる奴、刀でそのまま切りつけてくる奴までいたが、全て弾幕だ。
霊夢のそれは、札。大量の力ある札。容赦の無い弾幕は、それだけで美しい。光を放ち、形を成し、意味を付加する。その美しさ、意味こそが弾幕だ。
札を避け、珠を避け。転がるように夜空を疾走し、あいての弾幕を見極める。
遠くから見ればただ、美しいだけのものも、間近で見れば、禍々しさすら感じるだろう。
(…………………………隙が…………………………ない)
魔理沙は速度も密度も上がっていく霊夢の弾幕を避けながら頬を噛む。
弾幕自体の強度が段違いだった。
こちらの弾は霊夢に届く前に掻き消されてしまう。
ぎりぎりで避けて凌いではいるものの、その内限界がくるだろう。いや、もう限界は突破している気すらしていた。
流石に、強い。
だからこそのライバルで、だからこそ、羨んだ。
「だからって」
紅白の衣装が遠くに見える。手を伸ばしても、手を伸ばしても、どれだけ早くなっても、どれだけ速くなっても届かない、星空の向こう側のように。
「だからって負けてられないんだ!!!!」
限界!?知らないぜ!?
才能!?謙遜以外で使うな!
嫉妬!?してもいいだろ!!
こっちもジリ貧だけど!霊夢だって余裕ってわけじゃないはずだ!!
魔理沙は奥の手に手を伸ばす。
こんな魔砲、ただ出しただけでは簡単に避けられる。
猪突猛進だけでは勝てないのは魔理沙だって分かっていた。
でも、どうだ?ここまで弾幕の密度が、速度が上がった状態、避ける方は辛い。それは、辛い。じゃあ、放っている方は……………?
直進的な攻撃であろうと、避ける余裕があるのか?
魔理沙は考えながら、避ける、避ける、避ける。
呼吸を整え、じっと、相手を探る。
そして、霊夢が新たな弾幕を放つ瞬間。
被せるように両手を霊夢へと突き出す。
「ファイナルスパァァァァアアアクッッ!!!!」
根こそぎ。
自らの全てを根こそぎ放つ。
最初にして、最後の、魔砲。
純白が世界を塗り替え、蹴散らしていく。
紫に放った魔砲とは一回りも、二回りも違う、極大レーザー。
霊夢の強靭な弾幕を、結界を、食い散らかしていく。
「届け!!届け!!届け!!届けぇえええ!!」
竹林を照らし出した魔砲は、しばらくして出現したときと同じように、突然消滅した。
霊夢の弾幕を全て消し飛ばし………………………………………しかし、霊夢までは届かなかった。
腕を目の前で組み、どんなに冷や汗をかいていても、魔理沙の魔砲は、霊夢には届かなかった。
「危なかったわね……………」
放つタイミングは、霊夢のが新たな弾幕を放つ瞬間。攻撃に転じ、避けられないタイミング、しかし、その新たな弾幕が霊夢を守ったのだ。
光が晴れ、夜の竹林がその姿を取り戻していく。
「いや、まだ、危険だぜ」
その声は霊夢の背後から響く。
「な!!」
霊夢の後ろには、ミニ八卦炉を構え、勝ち誇った、魔理沙がいた。
霊夢の弾幕を、結界を、全て消し飛ばしたということは、霊夢に肉薄出来る、ということ。
動くことが出来ない霊夢に対し、魔理沙はミニ八卦炉に力を注ぐ。
「これで、私の、勝ち…………………………だ…………………………ぜ」
しかし、それを放つことなく、力尽き…………………………落ちた。
いや、落ちる途中で、魔理沙を霊夢が抱きかかえていた。
全力の、根こそぎの一撃。
それを放った直後に全力で動こうだなんて、百メートルを走り終えた瞬間に、水泳を始めるようなものだ。
「全く…………………………」
霊夢が溜息をつくと、決着が付くのを待っていたのであろうアリスが近づいてくる。
「なにがどうなったら、そうなるの?」
アリスの問いに、霊夢は困惑しながら、さぁ?と答えるしかなかった。
「それより、なに?まだやるの?」
「遠慮しておくわ。パートナーがそんなだしね」
恐らく今日中には目を覚まさないであろう魔理沙を指差してアリスはトンッとバックステップを踏む。
「私は家に帰るわ」
「え!?ちょっと!!どうするのよ!これ!!」
抱きかかえた魔理沙をバンバン叩きながら霊夢は抗議するがアリスは意にも介していないようだ。
「連れて帰ってあげれば?友達でしょ?あんたら」
それだけ言って、アリスは元来た道をすいすいと飛んでいってしまった。
残された霊夢は、少し笑って、その後すぐに、いつものように面倒くさそうな顔をしながら言った。
「寝てもいいけど。……………ま、風邪ひかないようにね」
それに答えるように、魔理沙がもぞもぞと動く。
「霊夢、……………永遠の…………………………一回……………休みだ……………じゃあな」
気絶した後、夢の中で、勝利したのだろう。魔理沙は霊夢に抱きかかえられながら、そんな呟きを零した。
見た目のことを言うのならば、上から黒、金、黒、白とでも言えば大体想像は出来ると思う。緩いウェーブを描いた金髪を、肩の辺りでザックリと切り落とし、古来より想像上の魔女がそうであるように黒い三角の帽子を被り、上下とも黒と白の衣に身を包んだ姿は、洒落っ気の欠片も無いが、この時、首に巻いていた紅いスカーフが、唯一のお洒落とも言えた。
その姿から想像できるように霧雨魔理沙は魔女である。とは言うものの、ここ、幻想郷では決して少なくない、種族としての魔女ではない。魔女であると名乗っている人間だった。
魔女は箒に乗るものだ。誰が決めたのかは分からないが、魔理沙は頑なにそれを信じ、今も箒で空を駆けていた。
始まりは冬が終わらないことだった。
こう言うと混乱を招くかもしれないが、なに、幻想郷ではよくあることだ。兎にも角にも冬が終わらなかった。五月が訪れても寒波が猛威を奮い、いつもなら花見に洒落込む人々も桜が咲いてない以上、諦めまだまだコタツで丸くなることしか出来なかった。
それでも大半の人は、偶にある異常気象であると捉えていた。その大半に入らずに、「なにかがおかしい」と思った人物の中の一人が魔理沙であった。
そして、そこには一つの物語が存在し、結果として幻想郷は春を取り戻した。桜が咲き乱れ、穏やかな陽気が燦燦と降り注ぐ春の訪れである。
もう冬は終わった。異変は、解決したのだ。だというのに、魔理沙はこんな夜にどこに行くのだろうか?
「おかしいぜ絶対におかしいぜ」
魔理沙は誰と話すでもなく呟く。春は取り戻した。花見もした。だというのに、終わった気がしない。
霧の異変の時のあの妹のような、この異変にはなにかまだ隠し玉が在る。そんな感覚が消えないのだ。猫の式神は倒した。狐の式神も倒した。それでもまだ、終わらない。
冬が終わらなかったように、この異変は実はまだ始まってすらいないんじゃないか。そんな風に思っていた。
だから今夜ここに来ていた。狐の式神を倒した、ここへと。
本当の黒幕に会いに。
「なにがでしょうか?今宵の月の色の事でしょうか、それとも」
魔理沙はその声を聞き、ニヤリと口を歪ませる。
その声は、とても、美しい声だった。同時に果てしなく醜い音であった。
男の声なのか、女の声なのか。幼い声のようでいて、老婆のような声でもあった。
不可解で曖昧で、胡散臭く複雑で、誘うようでいて、突き放すかのような声色。
声色が本当に色として見えたなら、その声は何色に見えただろうか。赤じゃない、緑じゃない、青じゃない、そんな輝く色じゃない。白でもない黒でもない、黄色でもない、そんな明確な色であるわけがない。
輝くようでいて、一切の彩度がない。
その声を出した人物の名は、八雲紫。名前に色が入っているのはなにかの冗談なのか、意味があるのか、無いのか。
八雲紫は魔理沙の死角から、体を半分だけ空に浮かべていた。比喩でもなく、半分だ。空中に急に口が出来上がり、その口から上半身だけをこちらの世界に覗かせている。頬杖をつきながら、ニヤニヤと。
「月の明度だ、明るすぎないか?」
「月の光は、太陽の光の反射夜と昼の境界を繋ぐ、唯一の鍵です」
「明るいのは、今が昼とも夜ともつかない状態だというのか?」
「ただ、ここが雲の上だからじゃないかしら」
姿もまだ見ていない相手との軽口の応酬。こんな会話に意味は無い。紫も魔理沙も、言いたいことを言いたいように言っているだけ。
「で、誰だ?」
魔理沙はくるりと紫の方へと向き直る。宙に浮かぶ不可思議な紫の姿に一瞬戸惑ったが、ヒトの常識なんて妖怪に対してはなんの意味もないことは、十分すぎるほどに理解していたので、そんなものかと溜息一つで納得した。
それに対して紫は、スキマの向こう側でぷらぷらさせていた下半身をよっと一息で引き抜くと、スキマの上に優雅に座った。
「あなたの事は、藍から聞いたわ」
八雲紫の式神、八雲藍。先日魔理沙が撃破した狐の式神のことである。式神を操る式神という規格外の存在なのだが(勿論規格外なのはそんな式神を生み出した八雲紫のほうだ)ここでは置いておこう。
「狐の親分か」
ふんと鼻を鳴らし応える。
「どうも、うちの藍が迷惑をかけたようで」
「私にというかあの世の人にだが」
「私がもっと暴れてみてもいいのですが」
傘をくるくると幼子のように回しながら物騒なことを口にする。謝ったかと思えば、正反対の言葉を吐く。一貫性という言葉だけは八雲紫の辞書には載ってはいないだろう。
「迷惑の親分か」
多少の呆れも含みつつ、魔理沙は紫との距離を測る。
相手の力量は分からないが、出来うる限り自分の有利な距離、そして、敵がどう行動しても対応できる距離。
「あなたは気がついていない」
なんのことを言っている?
魔理沙は頭にハテナが浮かぶ。そんな魔理沙のことなど無視して紫は勝手に話を進めていく。
「今宵は新月であったことにすでに、昼と夜の境界は私の手の内にあることに」
更に理解できない。
「夕方の妖怪か?」
もう、そんな軽口を叩けるような雰囲気ではないことは魔理沙も分かっていたが、それでも相手に主導権を渡したまま戦闘を始めたくはなかった。
「そんなもん手の内にあっても……………」
「明け方?」
「あなたは、すでに私の結界の内にいるここに居る間は夜も明ける事はない」
そろそろ、来るか。
覚悟を決めてミニ八卦炉を構える。魔理沙にとっての奥の手であり、切り札、尚且つ生活必需品。山一つ吹き飛ばす魔砲から味噌汁の温めまで幅広く使える便利道具だ。
程よい緊張感を感じながら、魔理沙はまだ紫に対して挑発をする。
「なんだ、夜桜の妖怪か」
「私の結界を見つける手段は無い!」
言い終わると同時に紫は名前の通り、紫色の弾幕をばら撒いた。
来た!!
魔理沙は停止状態から急加速で左上空へと離脱する。
弾速はそこまで速くない。これならば当たらない、と安心したのも束の間のことだ。
「あらあら、一体どこに逃げようって言うの?」
その弾幕は、魔理沙に向けられて放たれた物ではなかった。紫の周囲、三百六十度、上下左右、死角など、存在しない。全方位弾幕。
どこに逃げようとも、弾は迫ってくる。
「チッ。逃げてなんかいないし、逃げられないとしても、くぐるだけだぜ」
魔理沙は、弾幕へと向かっていった。
頬を掠めるほどの距離に紫の力を感じながら、距離を詰める。
「へぇ、避けてくるのね。じゃあ、こんなのはどうかしら?」
紫が左右に光弾を放つと、それは、無数の弾へと弾け、魔理沙に向かって奔り出した。
隙間なんて、あるわけがない。
魔理沙は下唇を噛み締め、後退する。
「後ろに下がって、良いの?」
現れた時から変わっていない、人を不快にさせる笑みを顔に浮かべ、紫は小馬鹿にしたように言う。
「ちょこまかと、良く動くわね。ほら動いてみなさいよ」
言うと同時に、魔理沙の周囲に光線で出来た檻が生み出される。
「な!!」
そこに、大きさも、色も、テンでバラバラな、テキトーな弾幕が放たれる。
檻の中で必死に抗う魔理沙を見ながら、紫はやはり、ニヤニヤと笑うのだった。
硬直状況が続いた。紫の攻撃は魔理沙に届かず、魔理沙の攻撃は、紫にダメージなんて与えちゃいない。
その中で、魔理沙は勝機を探る。
なるほど、強い。避け辛く、そして、美しい弾幕を放ってくる。だからと言って、さりとて負けてもいられない。
もうすぐ霊夢がここに来てしまう。普段から茶を飲んでいることが仕事だと言わんばかりのあの巫女は、こと弾幕勝負に関しては、強い。才能だとか、そんな言葉では片付けたくは無かったが、愕然たる、事実である。
「ホント、中々当たらないのね。そりゃ」
掛け声とは裏腹な凶悪な弾幕。
しかし、その中に魔理沙は一部の隙を見つける。通れるか、通れないか、危うい賭けになるかもしれないが、魔理沙はそこに勝機を見た。
「ここだ!!」
高速で、空を駆ける。瞬間にして紫の背後に回りこむと、温存していた、とっておきの一発を放つ!
「マスタァァァ!!スパァァァアアク!!」
夜が、染まる。
夜が明けることが無いと言った紫の言葉をあざ笑うかのような、圧倒的なまでの光。
全てを巻き込んで、光の咆哮は一点を目指して突き進む。
魔理沙の今、持てる力を全て注ぎ込んだ極上の魔砲は紫を飲み込み、しばらくして、消えた。
八雲紫はイライラしていた。目の前の人間が予想以上にしつこいためだ。
(藍も藍よね。こんな人間に負けるだなんて。お仕置きが必要かしら?)
今回の目的は、こんな奴と戦うことではなかったはずなのに。その、おまけのような存在が、五月蝿く飛び回っている。
無理矢理殺害することも可能だろうが、この魔法使い、博麗の巫女と知り合いらしい。殺すことで今後あの巫女を動かす際に不具合が生じても困る。
それに、自分で作ったルールをわざわざ破ることも無いだろう。
八雲紫にとってみれば、こんなもの、夏に、蚊を潰すのとなんら変わらない。確かにこちらも刺されれば痒いが、その程度だ。
だからと言って、刺されて愉快かと言われれば決してそんなことはない。
今回の異変を利用して、博麗霊夢の力を測り、接触する。それが目的だった。それだと言うのに吸血鬼の従者は来るわ、白黒魔法使いは来るわ、で、計画は大狂いだ。
しかし八雲紫の表情に焦りの色は見えない。と、いうよりも、この妖怪が焦るようなシチュエーションは存在するのか疑わしい。
だが、そのお目当ての霊夢がこちらに向かってきているのを感じ取り、紫は、この遊びに終止符を打とうと、単純な罠を張る。
「ホント、中々当たらないのね、そりゃ」
針の隙間程のスキを作った弾幕。
(ここまで出来る人間なら、気づくでしょ?気づかなかったら、神隠しにでもあってもらおうかしら?)
外の世界から幻想郷に迷い込むことを俗に神隠しと言うが、この幻想郷で神隠しに合ったならば、どこに行くのか。それは、八雲紫にしか分からないことだ。
(ほら、さっきから、ナニか、隠してるでしょう?)
白黒魔法使いはそれを勝機と見たのだろう。小さな、小さなスキを掻い潜って紫の背後へと回りこむ。
これがもし、紫の予期しないスキだたならば、当たっていただろう。八雲紫といえど、無傷ではすまなかっただろう。
しかし、全ては掌の上である。
回り込まれた気配を感じた瞬間、八雲紫の姿が消える。
自らが生み出したスキマによって異次元へと姿を隠したのだった。
そして同時に魔理沙の背後へと出現する。
距離も、位置も、八雲紫の前では儚く、矮小な存在だ。
魔理沙が放った魔砲を眺めながら紫は欠伸を一つ。
「ふぁぁぁあ。暇つぶしくらいにはなったかもしれないわね」
手にした傘を振りかざし、魔理沙の背中へと光弾を放つのだった。
魔砲の残光が消え、魔理沙は目標を見る。
「……………いない?まさか……………」
振り返ると同時に数発の光弾が魔理沙の体を穿った。
「な……………ガ…………。そんな……………」
魔理沙は箒の姿勢を保てず、ゆるゆると落下していく。撃墜というのに相応しい、完敗だった。
ギリギリで自由落下にならないように速度を調整しながら地面を目指す。
死ぬほどの傷じゃない。それどころか、一週間後には飛び跳ねることも可能だろう。しかし、今日は、もう、飛べない。そんな絶妙で、醜悪な一撃だった。
地面に着地すると同時に背中から草原に倒れこむ。しばらくは起き上がれそうにも無かった。
「勝てなかったか。強いな。あの妖怪」
必殺の一撃だった。必中のタイミングだった。それでもなお勝てなかった。
また、戦いにこよう。そう決めた時、魔理沙が飛んできた方向と全く同じ方角から一人の人間が飛んできた。
忘れていた…………………………。
ギリッ。
奥歯が軋む音がまるで他人事のように聞こえた。
その人物は、博麗霊夢。幻想郷の端に位置する博麗神社の巫女であり、魔理沙の友人である。今日も今日で紅と白の御目出度い衣装に身を包んでいる、八雲紫にとってのメインディッシュであった。
二人は、一言二言言葉を交わすと、弾幕合戦を開始する。互いに美しく、凶悪な弾幕を展開し、空を別の色に変えていた。
日常でも、弾幕で遊ぶことはある。ただ、その時と、こういった、ある意味では実戦では、違うのだ。空気が、緊張感が、疾走感が、使命感が。
だから、多分、八雲紫の全力を見る機会はこれが最期だったのだろうと思った。
あぁ、と魔理沙は思う。私は、霊夢に、負けて欲しいのか?
どちらを応援すれば良いのだろう。そんなことは決まっている。人間として、友人として、霊夢の勝ちを願うのが、普通だろう。
でも、友人であり、ライバルだと思っていたから。
直接戦ってもいないのに、それでもここで霊夢が勝ったら、決定的な敗北感を私の心に刻まれてしまう。
そんな魔理沙の葛藤を他所に、霊夢は紫を追い詰めていく。
それは勿論霊夢自身の自力もあるのだろうが、言ってしまえば紫の試験に合格した、ということなのだろう。紫にしてみれば、御眼鏡にかなった人物に挫折を植え付ける必要など、無いのだ。
しばらくして、霊夢は紫を倒した。
最初から、最期まで、笑みを絶やすことが無かった紫が果たして敗北者なのか、どうかは、分からない。
霊夢は紫に、結界の補修を命じると、ここで、ようやく地面に倒れている魔理沙を見つけた。ゆるゆると着地すると霊夢は何事も無かったかのように右手を差し出した。
「ほら、立てないんなら手、貸すけど」
きっと、これが、決定的だった。確定的だった。
魔理沙は叫びたかったが、叫ぶ言葉すら見当たらなかった。なにに八つ当たりすれば良いのかすら分からなかったのだ。
泣けば良いのか、怒れば良いのか、笑えば良いのか。答えられる人がいるならば、教えてもらいたかった。
光弾をくらった場所はまだ痛んだが、動けないほどではない。
差し出された手を平手で叩いて、魔理沙は歩いて立ち去った。
残された霊夢は、呆然と魔理沙を見送るしかなかった。
「…………………………なんなのよ、全く」
霊夢は、魔理沙が何に対して憤っているのかに対して深く考えず、紫に負けてくやしかったのだろうと結論付けた。
この巫女は、友人だろうと、妖怪だろうと、何に対しても、あまり興味が無いのだ。逆に、そういう所が妖怪に好かれるポイントでもあるのだが。
そこからの魔理沙の様子をあえて、語りたいとは思わないし、本人も語られたいとは思うまい。誰だって自暴自棄になった自分なんて見られたくないだろう。自暴自棄も、八つ当たりも、憤怒も、努力も、霧雨魔理沙には似合わない。少なくとも本人はそう思っているし、今まで隠してきた殻の内側だった。
とは言っても荒れに荒れたのは一週間程度のことで(その間の被害だって決して軽微ではすまないが)その後は、全て研究に没頭していた。
自暴自棄も、八つ当たりも、憤怒も、努力も、霧雨魔理沙には似合わない。だが、それ以上に、負けっぱなしだけは許せなかったのだ。
双方人間側である以上、異変を解決する立場である以上、敵対し、戦闘を行うなんてことはあるわけは無いと思いながらも、それでもこのままではいられなかった。
友人として、ライバルとして、なによりも、霧雨魔理沙として。
とある夏の夜のことだ。魔理沙の家にアリスが訪ねてきた。
アリスというのは、森に住んでいるもう一人の魔法使いで、人形狂いだ。ついでに言えば、魔理沙とは違う、人間を辞めた、種族としての魔法使いである。冬の異変の時に魔理沙と顔を合わせて以来、多少の交流がある。
アリスは夜が終わらないのはおかしいと言う。確かに、ちょっと夜が長いかな、とは魔理沙も思っていたが、そこまでだった。もしかしたら、異変解決にもう魅力を感じていなかったのかもしれない。
そして、アリスは続けて言った。長かったので、要約すれば、調査に行くから手伝え、とのことだった。
「いやだ」
「ほら、魔理沙が欲しがってた魔導書がここにあるんだけど」
「…………………………」
情けなくはあったが、欲しかったならば仕方が無いとは魔理沙の談だ。
少し準備をしてから夜の森へと二人で飛び出した。
蛍、鳥、牛。
出てくる度に蹴散らして、進んでいった。
夜がどうなろうが、大して知ったことではなかったが、少なくとも、気は紛れた。これまで、何度か異変の解決はしてきたけれど、誰かと一緒に行くのは初めてだった。
夜の静けさに誘われるまま、飛んでいく。森を抜け、里を超え、竹林へと至る。
アイツが隣にいたら、どうだっただろうか。
答える気もない自分への問いかけ。
いや、それは、そもそも、ありえないことだ。
並び立つとは無縁だと思ってた。
背中合わせで丁度いい。
誰かが結んだ数奇な縁は、同時に仲良しこよしを否定した。そんなヌルイ関係ではいられない、いたくない。
オンリーワンだの個性だの、そんなヌルイ言葉で誤魔化される程、私とアイツは爛れちゃいない。
共に歩くことなんて望むべくも無い。
それでも望むなら。……………背中合わせじゃ満足できないなら。…………………………正面から、ぶつかるしかない。
「ちょっと待て!何だ、何時までも夜が明けないからおかしいと思ったら、魔理沙の仕業ね」
竹林の奥から声が響く。
このシナリオを描いたのは誰なのか。魔理沙はその存在へ感謝した。
勘違いでもなんでも良い。恨んでくれても良い。霊夢と本気で戦える機会をありがとう。
体が歓喜で震えてくる。頭の先から爪先まで、全ての細胞が沸き立つように熱くなる。全身の毛が逆立ち、自然と笑みが零れてきた。
それから何を喋ったかなんて覚えてない。
沸騰した脳みそが考えた言葉より、弾幕を交わしたい。
「アリス、絶対に手を出すなよ?」
最期にそれだけ付け加えて、まるで、アリスを振り落とすように箒を加速させる。
背後から何か非難めいた言葉も聞こえたが、気にはしない。
自分の存在を、自分の力を、一滴の汗も出なくなるまで根こそぎ使おう。
終わらない夜も、私のせいでいい。
月が歪なのも私のせいでいい。
光る竹にしてくれたって構わない。
それで霊夢と勝負できるなら!!!
弾幕とはなんであろう?
無数の星を放ちながら魔理沙は思う。
私のそれは、ミニ八卦炉を除けば花火を投げ付けているのと変わらない。しかし、ただの花火なら、どんなにぶつけた所で妖怪に傷一つつけることすら出来ないだろう。
ナイフをブン投げてくる奴、氷を降らせてくる奴、刀でそのまま切りつけてくる奴までいたが、全て弾幕だ。
霊夢のそれは、札。大量の力ある札。容赦の無い弾幕は、それだけで美しい。光を放ち、形を成し、意味を付加する。その美しさ、意味こそが弾幕だ。
札を避け、珠を避け。転がるように夜空を疾走し、あいての弾幕を見極める。
遠くから見ればただ、美しいだけのものも、間近で見れば、禍々しさすら感じるだろう。
(…………………………隙が…………………………ない)
魔理沙は速度も密度も上がっていく霊夢の弾幕を避けながら頬を噛む。
弾幕自体の強度が段違いだった。
こちらの弾は霊夢に届く前に掻き消されてしまう。
ぎりぎりで避けて凌いではいるものの、その内限界がくるだろう。いや、もう限界は突破している気すらしていた。
流石に、強い。
だからこそのライバルで、だからこそ、羨んだ。
「だからって」
紅白の衣装が遠くに見える。手を伸ばしても、手を伸ばしても、どれだけ早くなっても、どれだけ速くなっても届かない、星空の向こう側のように。
「だからって負けてられないんだ!!!!」
限界!?知らないぜ!?
才能!?謙遜以外で使うな!
嫉妬!?してもいいだろ!!
こっちもジリ貧だけど!霊夢だって余裕ってわけじゃないはずだ!!
魔理沙は奥の手に手を伸ばす。
こんな魔砲、ただ出しただけでは簡単に避けられる。
猪突猛進だけでは勝てないのは魔理沙だって分かっていた。
でも、どうだ?ここまで弾幕の密度が、速度が上がった状態、避ける方は辛い。それは、辛い。じゃあ、放っている方は……………?
直進的な攻撃であろうと、避ける余裕があるのか?
魔理沙は考えながら、避ける、避ける、避ける。
呼吸を整え、じっと、相手を探る。
そして、霊夢が新たな弾幕を放つ瞬間。
被せるように両手を霊夢へと突き出す。
「ファイナルスパァァァァアアアクッッ!!!!」
根こそぎ。
自らの全てを根こそぎ放つ。
最初にして、最後の、魔砲。
純白が世界を塗り替え、蹴散らしていく。
紫に放った魔砲とは一回りも、二回りも違う、極大レーザー。
霊夢の強靭な弾幕を、結界を、食い散らかしていく。
「届け!!届け!!届け!!届けぇえええ!!」
竹林を照らし出した魔砲は、しばらくして出現したときと同じように、突然消滅した。
霊夢の弾幕を全て消し飛ばし………………………………………しかし、霊夢までは届かなかった。
腕を目の前で組み、どんなに冷や汗をかいていても、魔理沙の魔砲は、霊夢には届かなかった。
「危なかったわね……………」
放つタイミングは、霊夢のが新たな弾幕を放つ瞬間。攻撃に転じ、避けられないタイミング、しかし、その新たな弾幕が霊夢を守ったのだ。
光が晴れ、夜の竹林がその姿を取り戻していく。
「いや、まだ、危険だぜ」
その声は霊夢の背後から響く。
「な!!」
霊夢の後ろには、ミニ八卦炉を構え、勝ち誇った、魔理沙がいた。
霊夢の弾幕を、結界を、全て消し飛ばしたということは、霊夢に肉薄出来る、ということ。
動くことが出来ない霊夢に対し、魔理沙はミニ八卦炉に力を注ぐ。
「これで、私の、勝ち…………………………だ…………………………ぜ」
しかし、それを放つことなく、力尽き…………………………落ちた。
いや、落ちる途中で、魔理沙を霊夢が抱きかかえていた。
全力の、根こそぎの一撃。
それを放った直後に全力で動こうだなんて、百メートルを走り終えた瞬間に、水泳を始めるようなものだ。
「全く…………………………」
霊夢が溜息をつくと、決着が付くのを待っていたのであろうアリスが近づいてくる。
「なにがどうなったら、そうなるの?」
アリスの問いに、霊夢は困惑しながら、さぁ?と答えるしかなかった。
「それより、なに?まだやるの?」
「遠慮しておくわ。パートナーがそんなだしね」
恐らく今日中には目を覚まさないであろう魔理沙を指差してアリスはトンッとバックステップを踏む。
「私は家に帰るわ」
「え!?ちょっと!!どうするのよ!これ!!」
抱きかかえた魔理沙をバンバン叩きながら霊夢は抗議するがアリスは意にも介していないようだ。
「連れて帰ってあげれば?友達でしょ?あんたら」
それだけ言って、アリスは元来た道をすいすいと飛んでいってしまった。
残された霊夢は、少し笑って、その後すぐに、いつものように面倒くさそうな顔をしながら言った。
「寝てもいいけど。……………ま、風邪ひかないようにね」
それに答えるように、魔理沙がもぞもぞと動く。
「霊夢、……………永遠の…………………………一回……………休みだ……………じゃあな」
気絶した後、夢の中で、勝利したのだろう。魔理沙は霊夢に抱きかかえられながら、そんな呟きを零した。
そんなことを考えてしまうほど、真っ直ぐなレーザーが描かれていました。
まだまだ、魔法使いは飛び続けるようです。どこまでも。いつまでも。
本気でライバルと思ってるからこそですね。自分が負けた相手に、勝つ霊夢。
それをバネに出来るからこそ、魔理沙は負ける度に強くなっていくでしょうね。