お腹の中に溜まっていくものを感じた。
爪先? 違う。でも足の裏? 下の方。重いの。どろっとして、動きづらい。
自分のじゃない心。さとり妖怪だから、そういうのが入ってくる。頭にじゃない。どこか。全身に染みるように。
これは私のじゃない。だから重い。重苦しい。動きづらい。自分の心の中には入ってこないけど、その周りに積もっていく。
冥界の死者の列を横切るといつもこう。特に地獄は最悪。死んでなお俗な。許されないことよ。
困った。発散の方法がない。私のじゃないから。
でも出したい。
どうやったら出るかな? 運動? それは面倒。
そうだ。まず押し出してみよう。
手首を切った。
血と一緒に、白かったり黒かったり、色とりどりのなにかが噴き出していく気がした。
抜けていく。重いもの。すっきりする。
でも、もうちょっとどうにかならないかな。
重いのは沈んでる。じゃあ、脚? 痛そう。歩くのに使うから嫌。不便は嫌い。
一気に噴き出すところが好いな。
あ。
そして私は、首を切った。
……目が覚めた。
比喩じゃなくて、ベッドの上で。朝を迎える様に。
「………」
上体を起こす。
「あっ!」
お燐の声。不法侵入だわ。
許されない。お説教しよう。
「おり」
「さとり様起きましたよこいし様!」
妨げられた。
「あ、お姉ちゃん!」
こいしまで。なんだか久しぶりな気分だわ。
でも、こいしまで勝手に。まったく。マナーがなってないわ。躾けなければ。姉として。あと飼い主として。
「おり」
「まったく、何やってるの馬鹿! 馬鹿! お姉ちゃんの馬鹿!」
「そうですよさとり様! いったいどれだけ心配したと思ってるんですか!」
また妨げられた。
上になんか言い辛い雰囲気になっていた。
覗いたら、お燐の心はかなり混乱している上に触れると熱い。まるでマグマ。
こいしは相変わらずわけわからない。
しかし、目覚めの挨拶が罵倒とはお姉ちゃんとしては文句を云っても良いはず。否、説教しても良いはず。否否、説教をせねばならぬはず。
「こ」
「もう、どれだけ心配したと思ってるのよ!」
今度はほとんど口を開いた瞬間に押さえ込まれた。
私の発言力がなさ過ぎる。
どうしたものか。
というか、なんで私はこんなに心配されているのかしら。
「ねぇ」
「「うわーん!」」
質問さえも。
声を掛けた直後二人に抱き締められた。姉と飼い主冥利に尽きるというものだわ。
ふふふ。姉としてとても素晴らしいことね。
がぶ
……噛まれた。腕を。太ももを。軽く。
「……こいし。お燐。痛い」
ようやく云えた。
「いい、いきなり噛むのは」
「今度あんな馬鹿なことしたら、両手両足縛って軟禁するからね!」
こわっ。
こいしが怒るなんて久しぶり過ぎるけれど。私何したのかしら。またセクハラでもしたのかしら。
……セクハラというか、シスハラ?
可能性は高いわ。
でもお燐の場合はなんて云えばいいのかしら。
……主従?
「お姉ちゃん聞いてる!」
「ええ勿論」
睨まれると恐いわ。
とりあえず訊いてみようかしら。
二人とも息切らしてるから、今なら訊けるはず。
「ねぇこいし」
「何」
ギロッて音が聞こえてきそう。
「一つ訊きたいのだけど」
「何よ」
「私、何したの?」
この後、私の部屋中にこいしとお燐の怒声が響き渡った。耳と頭がどうにかなるかと思った。
それから、お燐がお仕事があるからと散々文句と愚痴と説教を溢してなお物足りなそうに私を睨みながら去っていった。
後でまた説教されるのかしら。
聞いたところ。どうも私は自殺寸前だったらしい。
首にナイフを突き立てて血の池に沈んでいるところをお空が見つけて、その悲鳴でお燐が駆け付けてくれたのだとか。
お空はまだ気絶したまま起きていないらしい。
見れば、手首の包帯が痛々しい。
首に触れると、結構痛んだ。
深いわね。よくこんなに。根性あるわ。
「本当に、本当に心配したんだよ」
少し喉の嗄れたこいしが云う。
胸が痛む。
「ごめんなさい」
「お姉ちゃんの声って感情こもってなくて私とっても不満」
「ごめんなさい」
「ぶぅ」
どうしろと?
でも、私が悪いので沈黙。
いけないわ。いくらなんでも自殺なんて。陰鬱な気に当てらてたのかしら。
それとも自殺目的じゃなかったのかしら。
判らないわね。
「こいし。なんで私自殺しようとしたのかしら?」
「知らないよ! 私が知りたいよ!」
そうよね。
ん。衝動だったのかしら。
あ。
なんか思い出した。
「ねぇこいし」
「何」
「私多分、私の中に溜まった澱がどうしても溢れていかなくて、中で沈んでいて、出ないかなぁって、一番良く出そうな場所切ってみたんじゃないかと思ってきたの。そんな気がする。どうかしら?」
「なっ、そ、そんなのっ」
こいしはまた顔を怒りに引き攣らせて言葉を詰まらせる。怒髪天を衝くってこういう感じなのかしら。
そしてしばらくして、ゆっくりと深呼吸をしながら表情を解していく。
「このっ、馬鹿っ!」
また怒鳴られた。
お姉ちゃん悲しい。
「馬鹿じゃないの! そんなの、だって……」
悲しそうに、語尾が沈んでいく。
「……私みたいなこと、しないでよ」
その言葉に、私の喉が詰まった。
忘れてた。そういえばこいしも、昔はそうだった様な気がする。
あの時は私が散々説教していたけど。そうか、それが今、逆になったのね。
……お姉ちゃん失格だわ。
「お姉ちゃん。目を閉じたりしようなんて、思ってる?」
「今は思っていないわ。でも、この想いは当てにならないわよね」
この首の傷の理由を、今の私が憶えていないのだから。
こいしは苦しそう。
何を思って苦しんでいるの? 教えて。溜め込んだら、私みたいになっちゃうわよ。
そう思っても、云えなかった。
こいしが私の心、さとってくれればいいのに。
「お姉ちゃんはそんな真似しないでよ」
強い目。でも、弱気な目。
「お姉ちゃんは、私よりずっと強いからお姉ちゃんなんだよ」
抱きつかれる。
抱き返した。
でも、強くは抱けなかった。
「それは違うわ」
頼ってくれるのは嬉しい。でも、そうじゃないの。
もしもそうなら、たぶん、こいしは目を閉じなかったから。
「私はね、妹に支えられているからお姉ちゃんなのよ」
こいしはぎゅっと私の服を掴む。
「私より、ずっと強いお姉ちゃんでいてよ。私弱いから」
「自分の目を閉じるなんてことが出来る子がどうして弱いの。私は未だに見えてるわよ。見えなくなるの恐くて」
何が強さで何が弱さなのか判らないけど、こいしは強い子だと思う。私とは違う
「首刺してた」
「衝動って恐いわね」
「……馬鹿」
怒られるのが、痛くて、でもなんだか温かい。
お姉ちゃんで良かった。しみじみ思うわ。
「ありがとう、こいし。助けてもらったのよ私」
にこにこ、頬が持ち上がる。
嬉しい。
「……お礼に、今日はハンバーグ」
「判った」
手作りなのね。面倒だわ。
仕方ないから、ソースにも凝ってみようかしら。
「私疲れたから寝るね」
「えぇ、お休み、こ」
部屋を出て行くのだろうと手を振ったら、私のベッドに侵入してきた。
不精者め。
だけど今は叱るのもおかしいので、とりあえずハンバーグの下ごしらえでも。
立とうとしたら、服掴まれた。
「……ちょっと一緒に寝るの」
「我が儘がいる」
「うるさい」
夕飯の時間、一時間遅れかしら。まぁいいわ。
お燐やお空に作るものでも考えながら、少しだけ眠りましょう。
こいしの寝息を聞いたら、澱が溢れて往った気がした。
おやすみ、こいし。
ただ、苦手な人もいるかもしれんから自傷表現のタグあった方が親切かな?気にし過ぎかもしれないが。
と、前半はらはらしましたが、後半は落ち着いた感じだったので
安心しました。マッタリが一番ですよね。^^
この台詞が心に残りました。
楽しく読めました。ありがとうございます。
でも、友人の気持ちも分かります。
これはもっとじっくり読みたい感じでした。
良かった。
どこかでつまづいたりしても不幸にはなってほしくないですね。
しかし心に溜まる気持ち悪いものを物理的に抜こうとはねぇ……