「じゃ、行ってくるね」
地霊殿の玄関を出るこいしは、どこか元気がなさそうだった。
しかしそれも仕方の無いことである。何故なら、彼女は昨日一睡もしていないのだから。
人間と違って妖怪は、何日か眠らなくとも大した問題ではない。だが、それはあくまで普通の生活をする上での話。激しい運動を伴う野球の練習に於いては、その影響が出てしまう事は明らかである。
それでも尚、グラブとバットを用意して今日も白玉楼へと向かおうとするこいしのその姿は、丸で何かに強制させられているかのように見えるのだった。
「ええ、行ってらっしゃい。気を付けてね」
「うん」
そんなこいしを見送ったのは、彼女の姉のさとり。
心は読めなくとも、こいしの様子がおかしい事はとっくに気が付いている。
にも関わらずさとりが彼女を止めなかったのは、こいしの中にある覚悟――それを感じていたからだ。
苦しさから逃れるために第三の目を閉ざしてしまった妹。その妹が今、かつて見たことがないくらいに必死になっている……それを止める事は、さとりにはどうしても出来なかった。
「私は、駄目な姉なのかしらね……」
自室に戻ってきたさとりは、腰を落ち着かせる事無く予め用意されていた大きなバッグを手に取った。
――覚悟を決めた、でも、同時に苦しんでいる最愛の妹。なら……
「……それでも――」
――それを助けなくて、何がお姉ちゃんだ……!
そして『Helium』と書かれた袋を口に銜え、大きく息を吸い込むのだった。
「私ハ、球ヲ受ケテアゲラレル……!」
野球しようよ! SeasonⅢ
こちらは早朝の紅魔館。今の時間は朝食の最中である。
今回の野球に際してほぼ真っ二つに所属が分かれている紅魔組だが、生活においては別段変わることもなく、それどころか野球の話に花が咲くという実に爽やかな情景が見て取れる。
特にフランドールは特別よく喋る。この二日間で劇的に世界が広がった彼女、口数が多くなるのも無理はないというものだろう。
しかし、何でもかんでも嬉しそうに話してしまうため、あまり情報を知られたくないパチュリーが人差し指を口に当てるジェスチャーをするのだが、ごめんごめんなどと言った傍からまたペラペラ喋りだしたりするので、終始パチュリーが狼狽えている始末だ。
しかし、この場に至ってはそれすら微笑ましく感じてしまう。流石はドリームランドの呼び声高い紅魔館である。
「へー、お姉様たち、もうチーム名まで決まったんだ」
「ええ。私の命名よ。さあ咲夜、フランとパチェに教えてあげなさい!」
「――!(うわぁ……やだなぁ)か、畏まりました……。その名も……アルティメットブラッディローズ、です……」
「………」
「アルティメット……」
「ブラッディ、ローズ……」
「……ぷぷ」
「「あははははははははははは!」」
「な! 何が可笑しいのよあんた達!?」
「いや、お姉様らしいなあ、って思って……」
「そ、そうね、実にレミィらしいわ……くくくく……」
そんなこんなで笑ったり少し怒ったりしながら、楽しい朝食は進んでいく。
「――ごちそうさま、そして行ってきます!」
「ええ。気を付けて行ってくるのよ」
「ちょっとフラン、私まだ食べ終わって……」
「先に支度してるよ! 急いでねパチュリー!」
「……やれやれ」
「ふふ、あの子の相手は大変でしょう」
「そうね。でも、楽しくもあるわ」
「体の方は大丈夫? ホラ、あの子急かしそうじゃない」
「おぶってくれるから問題ないわ」
「……! お、おぶわせてるの?」
「勘違いしないでよ、私から言いだしたんじゃないわ。……さて、ごちそうさま。行ってくるわね」
「え、ええ、フランの事お願いね」
レミリアの言葉に親指をびしっと立てると、パチュリーは少し急ぎ足で支度に向かうのだった。
「何よ。パチェも結構楽しんでるんじゃない」
「そのようですね。いつもは必ずと言っていい程朝食をお残しになるのですが」
「ふふ、今日は綺麗さっぱりね。……さてと、ごちそうさま。私達もそろそろ支度を始めましょうか」
「……あの、お嬢様」
「何?」
「本当に今日、あの子と再び勝負をするのですか?」
「ええ。そのつもりよ」
「私の勝手な推測なのですが、もしそれで再度あの子が敗れる事になったら――」
「――潰れるでしょうね」
「……!」
「もしそうなったら咲夜がエースをやればいい。貴女のシュートボール、私は結構評価してるのよ?」
「ですが……」
「この話はお終い。貴女もさっさと支度をしてきなさい」
「……はい」
レミリアとこいしの再戦の決定。それは昨日の練習に参加していた誰が見ても、こいしの圧倒的不利が予想されるものだった。
それに加えて、当のこいしがそんな流れを知らないという事実――咲夜には、それはこいしを排斥しようとしている動きにしか見えなかった。
しかし、レミリアに加えて幽々子と紫の三人が主導とあっては誰も意見を言える者はなく、当然それに従うしかない。
そもそも野球をやろうと言い出したのはあの子だった筈なのに……沸き上がる嫌な感情を抑えつつ、咲夜は支度を終えて玄関へと向かった。
「あら? フランドール様、まだ出発していらっしゃらなかったのですか?」
「あ、咲夜。そうなのよー。パチュリーったら遅いの何のって……」
落ち着きなく玄関周りを歩き回るフランドール。
あの子が相手チームのキャプテンとして指名しなかったら、今もこの方は地下にいたんだろうな……そんな事を考えていた咲夜に、一瞬電流が走る。
「――フランドール様……!」
「ん? どしたの?」
こいしとの再戦、その事をレミリアは食事の場でフランドール達に伝える事は無かった。
なら、今その全ての事情を話して、そして止めてもらおう――咲夜はそう思い付いたのだ。
「フラン様、実は――」
「――咲夜ァ!!」
「……!」
「わ! びっくりした……!」
しかし、そんな咲夜の会心の思い付きも結局果たされることなく、レミリアの怒号に掻き消されてしまった。
「突然どうしたのよお姉様?」
「大した事じゃないわ。……じゃあ行きましょうか、咲夜」
「……はい」
「フラン、お先に」
「うん、じゃあね。それにしてもパチュリーったら……」
こうして紅魔館を出たレミリアと咲夜。 往く先は白玉楼である。
暫く無言で飛び続けている二人だったが、湖を越えた辺りでレミリアが呟くように言う。
「不満かしら?」
「……はい」
「それでいい」
二人はそれ以後一つの言葉も交わす事なく、白玉楼へと向かうのだった。
◆
レミリア達に遅れる事五分。フランドールとパチュリーの二人は、無駄にユニフォーム姿の美鈴に見送られて意気揚々と紅魔館を出発した。
目的地は人里。フランドールの知己は粗方あたってしまったため、パチュリーの知己である人里の守護者に会う為である。
「人里かあ。楽しみだけど、私がそんなとこに入って大丈夫なのかな?」
ここから先は、フランドールにとって全く未知の世界。
終始嬉しそうだった昨日に比べると、今日はどこか不安そうに見える。
「安心なさい。幻想郷の人間たちは存外妖怪やら何やらに慣れているから、こちらから仕掛けない限り騒ぎになんてならないわ」
「ふーん。人間って図太いんだね」
「図太いのは魔理沙とか霊夢。あそこの人間は、言うなれば逞しいって所かしらね」
会話を交わしながらゆったりと人里に向かう二人。
パチュリーが大きな日傘を差して、フランドールがそのパチュリーをおぶって飛ぶ姿は実に微笑ましい。
そうして暫く飛んでいて、丁度道程の半分辺りに差し掛かった時だった。
「ねえパチュリー、誰かいるよ」
「ん? あれは――」
フランドールが見つけたその人物は、二人に気付いた瞬間に目にも止まらぬ速さで近付いて来た。
迎撃しようか尋ねるフランドールを制し、パチュリーは溜め息を吐く。
「おはようございます! 珍しい組み合わせですねえ」
「……やれやれ」
「あ、確か貴女は……」
「おっ、フランドールさん、私を憶えていてくれましたか!」
「文々丸!」
「惜しい! 射命丸です! 射命丸文!」
そう、彼女は射命丸文。幻想郷伝統の新聞屋だ。
幻想郷最速とも言われる素晴らしい速力、それを存分に生かして集めたネタを新聞にしている彼女だが、残念ながらその新聞に余り人気はない。
「ところでお二方、どこかへお出かけですか?」
「ねえ文! 一緒に野球やろうよ!」
「はい?」
「野球だよ野球! いいでしょ?」
「あややや、突然どうしたんですか……?」
「……ここから先は私が説明するわ」
本音では適当にあしらってやり過ごしたかったパチュリーだったが、ここまで知られた以上どうせしつこく聞かれるだろうと判断し、仕方なく文に一部の経緯を話した。
説明中……
「成る程成る程、野球の試合のためのメンバー集めというわけですか」
「そういうわけ! ね、文もチームに入ってよ!」
「いやいや、私は遠慮しときますよ。野球は未経験ですし。それよりも……素晴らしい情報をありがとうございます! これを独占スクープとして記事にすれば……購読者倍増、いや三倍増も射程圏内! 俄然燃えてきましたよ!」
「紫の所に行けば更に詳しい事が分かると思うわ」
「本当ですか!? あややや、重ね重ねありがとうございます! それじゃ、お気をつけて!」
二人に向かってお辞儀をすると、文は目にも止まらぬ速さでどこかへとすっ飛んでいってしまった。
「行っちゃったねー」
「相変わらずせわしない……」
気を取り直して、二人は再び人里を目指す。
天気は雲一つない快晴。日光の心配はあっても雨の心配はなさそうだ。
林を越え、田園地帯を越え、そうして飛んでいるうちに目的地の人里がその姿を現した。
「おっ、漸く見えてきたね! あれが人里かあ」
「ええ。フラン、ここら辺りから徒歩にしましょう。空から里に降りるのは少し目立ちすぎる」
「確かに。じゃ、下へ参りまーす」
パチュリーの言葉に従い、フランドールは高度を落としていく。
この辺りになるともう舗装された道が何本も枝分かれしていて、里に住む人間達の生活感が見て取れる景色になっている。
「おはようございます」
「あ、おはようございまーす!」
「……おはようございます」
そんな場所ともなれば人の往来は当然増えてくる。
しかし、異形の羽を見ても平然と挨拶をしてくる人間達に、先程教えられつつもフランドールは驚いていた。
「パチュリーの言うとおりだね。私の羽を見ても誰も驚かないよ」
「夜雀やら猫又もよく来る里だから。羽の一つや二つ皆慣れているのよ」
「逞しいんだね。……あ、また人が来たよ」
「ブオンジョルノ」
「オー! グーテンモルゲン!」
「……ブエノスディアス」
そんな風に挨拶をされては返しているうちに細かった道は徐々に広がり、やがては一つに繋がる。里の大通りである。
「わぁ……すごい賑わってる!」
「ええ。ここに来るのは私も久し振りだけど、活気があるわね」
実は、本来の目的地は人里というよりその少し外れにある。
ではなぜ遠回りをしてここを通るのかというと、この機にフランドールに人里を見せてあげるのもいいだろう、というパチュリーの粋な計らいなのであった。
「あっ、見てあの人! すっごい派手な日傘!」
「フラン、あんまり人を指差しちゃダメよ(ん? あれは……)――!」
花屋の店先にいた、向日葵が描かれた日傘の女性。フランドールが彼女を指差した瞬間、それに反応するかのよう振り返る。
「あら……」
そして緑色のパーマ掛かった髪を風になびかせながら、突き刺すような笑顔で言うのだった。
「私に何か御用かしら? お嬢ちゃん」
◆
「……まずいわ」
ここは迷い家。
八雲一家の住む、神出鬼没のワンダーランドである。
その迷い家の中央に建つ家の一室にて、布団にくるまり隙間を覗き込んでいた紫は、その先に映し出された光景に思わず眉をひそめた。
(まさか幽香と接触するなんて……)
そう、紫が見ているのは人里にいるフランドール達の動向。
とは言っても、スパイ活動だったりメンバー探しを妨害したり対決の邪魔をしたりするわけではなく、単に彼女達、特にフランドールが何か間違いを起こさないように、こうして見守っているのである。
因みにこれは、密かにレミリアから頼まれた事でもあった。
(最悪、私が出向くことになるわね……)
隙間の先では、日傘の女性、風見幽香とフランドールが何か話をしている。
不安に思いつつも、紫はそれに耳を傾けてみた。
――初めまして 私はフランドール・スカーレット
――あら、ご丁寧に 私は幽香 風見幽香よ そちらは?
――パチュリー・ノーレッジよ この子が指を差してしまった事は謝るわ
――ふふっ、気にしてないわ それより……お嬢ちゃん、貴女凄く強そうね
不安は的中し、隙間の先はまさに暗雲立ちこめる展開だ。
フランドールの受け答え次第で、流石に人里からは離れるとしても、壮絶なバトルに発展する可能性が出てきたのである。
風見幽香――普段はすっとぼけた感じの優しい妖怪だが、その正体は一たび『強い奴』を見つけるや否や絶大な力を振るう怪物に豹変する困ったちゃんなのだ。
そんな困ったちゃんであるから当然相手の内在する力を見抜く術にも長けており、吸血鬼の中でも特に強い力を持つフランドールなどは彼女にとって垂涎の存在。となれば、それをみすみす見逃すはずがない。
(パチュリーが何とか止めてくれれば……)
半ば祈るような心持ちで、紫は再び隙間を覗き込む。
――幽香も凄く強そうだね 分かるよ
――あら、それなら話は早いわ これから一緒に遊ばない? もっとだだっ広い所で、ね
――悪いけど私達は大事な用があるの だからそんな事をしてる暇は……
――私はこの子に話しているの 貴女には興味がない で、どうする? お嬢ちゃん
――わかった、受けて立つ! 勝負よ!
「はぁ……。やっぱりこうなっちゃうか……」
予想通りの展開に、紫は大きな溜め息を吐く。
仕方ないわね、などと呟きながら外出の支度をしようとしたその時、予想していなかった言葉が紫の耳に飛び込んできた。
――内容は一打席勝負! 私の球を前に飛ばせたら貴女の勝ちで、駄目なら私の勝ち! それでいいね?
(……え? 勝負って、そっちの?)
――その言葉を待っていたわ! 百花繚乱と謳われた私のバッティング、貴女に味あわせてあげるから覚悟なさい!
(幽香も乗った……!?)
そんなこんなで、三人はさっさと里の外へと出て行ってしまった。
そして、それを見届けた紫は安堵の溜め息を吐く。朝っぱらから出向くのが面倒臭かったのである。
「……まあ、なんにしても殺し合いにはならなそうね。助かったわ」
「紫様、起きて下さい。……って、もう起きてらっしゃったんですか。おはようございます」
「ええ、おはよう。何だか目が覚めちゃってね」
「珍しい事もあるものです。雨が降らなければいいのですが」
「失礼な」
因みにこの日は、昼過ぎから天気が急変する事になるのだった。
◆
「ふんッ! はッ! せいッ!」
早朝の白玉楼。
まだ日が昇って間もないにも関わらず、その庭からは絶えず気合いの入った掛け声が聞こえてくる。主従揃っての早朝練習である。
「幽々子様、掛け声は結構ですが、もうちょっと慎ましいやつにしましょうよ……」
「何をふッ! 言ってどりゃッ! いるのよせいやッ!」
「話す時くらい掛け声止めて下さいよ、もう……」
実はこの早朝練習、なんと日が昇る前のまだ暗い時間から続けられている。
理由は至って簡単なもので、幽々子が早い時間に目を覚ましてしまったからである。
「サンダー! ファイヤー! フリーザー!」
「流石におかしいですよ、それ……」
「貴女もホップ! 集中ステップ! しなさいジャァァンプ!」
「はいはい、もう突っ込みませんよ……」
当然のように付き合わされた妖夢は、熟睡中を起こされたからか、幽々子と共にバットを振りつつもそのスイングにはいまいちキレがない。
それでも幽々子が類を見ない程のやる気を滾らせているので、内心喜んでいたりはするのだが。
「強靱ッ! 無敵ッ! 最強ッ!」
「………」
「サイン! コサイン! フェードイン!」
「もう訳分かりませんよ……」
「あら、突っ込まないんじゃなかったの?」
「……! くっ、無念……!」
その後も淡々とバットを振る二人。スイングの総数はとうに五百を超えている。
(それにしても……)
バットを振る合間、妖夢はふと幽々子を一瞥する。
(単純にやる気があるっていうだけで、幽々子様……こんな顔するかなあ)
真剣――ではあるのだが、どうもすっきりしないというか、とにかくそんな風なちょっとした違和感を妖夢は感じた。
妙な掛け声も、昨日の全体練習に比べると幾らかオーバーである。
「レシーブ! トス! ……ちょっと妖夢、さっきから何じろじろ見てるのよ?」
「え? あ、ああ、何でもないです!」
「全く……そんな事では真のメイズにはなれないわよ?」
「(ウィリー・メイズ……!)はい、申し訳ありませんでした」
「ま、いいわ。じゃあここらで切り上げましょうか。全体練習に支障が出たら本末転倒だしね」
「畏まりィー」
いい汗かいたわ、などと言いながら引き上げる幽々子。その姿にも、やはり違和感があるように妖夢は思ったのだった。
湯浴みを済ました後、白米七合と数多のおかずを平らげた幽々子は、一人縁側へと出た。
夏も終わり、初秋の冷たい風が広い庭を吹き抜けるから、湯上がりの後の体には少し寒く感じる。
「………」
ほんの二日前には考えても見なかった。
こうしてまたグラブとバットを手に取る事、そして、皆で集まって野球をやる事。全て、たった一人の少女が発した一言から始まったのだ。
そして、今日。その少女――こいしは、もうここに来なくなってしまうかもしれない。打ち拉がれて、心を折られて、野球を嫌いになってしまうかもしれない。
全ては自分が発した『全力で投げてみない?』という軽はずみな一言によって起こってしまった事……
「――幽々子様、お茶が入りましたよ」
「ええ、ありがとう」
妖夢が持ってきた湯呑みを手に取り、幽々子はにこりと笑った。
先程僅かに崩しかけた表情は、今はもう見せていない。
「……あの、幽々子様?」
「ん?」
「何か、あったんですか?」
「あら、どうして?」
「いえ……何て言うか、いつもならもっと『最高級でしょうね?』とか『最適の質量%濃度から0・5%ズレてるわ!』とか言うのに、って思って……」
そう言って妖夢は不安感たっぷりの心配顔で幽々子を見る。
(気付かれちゃった……か)
今の自分の思いを極力表に出さないようにしていた幽々子だったが、それも妖夢には隠し通せなかった。
その事に、主として素直に嬉しさを感じつつ、少しだけ悔しかったりする幽々子だった。
「妖夢」
再び幽々子はにこりと笑い、妖夢をおもむろに抱き寄せる。
「あ……幽々子様……」
「ゆーゆーこー……」
「……はい?」
「クラッチ!」
「ぎゃ!?」
そして、おもむろに変形羽根折り固めを掛けたのだった。
「いたたた! い、痛いですよ!」
「ねえ、妖夢?」
「な、何ですか……? ていうか痛いですってば!?」
「――ありがとね」
「え? よく聞こえな……」
「ふふ、何でもないわ。……えいっ!」
「痛あぁぁー!!」
因みにこの後加減を誤った幽々子によって妖夢の肩が外れてしまい、大変だったそうな。
プロレスごっこは注意が必要なのである。
◆
ここは人里付近の静かな林道。フランドールと幽香の対戦場所である。
場所をここに指定したのはパチュリーで、一つは日光を極力避けるためと、もう一つは目立たないようにするためだ。
フランドール、幽香共にこれを承諾し、今こうして木漏れ日が差す林道にて対峙する運びとなったのだった。
「んー……やっぱり何か気持ち悪いなぁ」
木漏れ日とはいえ日光には変わりないため、フランドールは少し窮屈そうな顔で肩を慣らしている。
灰になったり体が焼けることはないが、やはり苦手である事に変わりはないのである。
「ちっ……」
一方の幽香も余りいい顔をしていない。こちらは単純に見辛いからだ。
「パチュリー、オッケーだよ」
「ええ。さ、どうぞ」
「フン……待ちくたびれて眠り掛けたわよ」
相変わらずの突き刺すような笑顔で皮肉ると、幽香は左の即席バッターボックスに入った。
バット代わりの閉じた日傘(本人曰く、鬼が踏んでも折れない)を上段に構えてそれを上下にゆったりと揺らす独特の打撃フォームは、その笑顔と相まって何とも言えない不気味さを醸し出している。
(初球、敢えてインを突いてみるのも効果的ね)
パチュリーのインローのサインにフランドールは頷く。
ノーワインドアップからの大きな投球モーションで、その第一球――
「――!」
バシッ!
(打たれた……!?)
ゴッ……!
「フン……ギリギリ『前』ではなかったかしらね」
インローのボール球、それを見事なバットコントロールで捉えた幽香の打球は、フランドールから見て右手前の木に直撃した。幽香の立ち位置よりも僅かに後ろだったため、際どくもファールである。
とは言うものの、当然バットと傘では勝手が違う。もし幽香がバットで打っていたとしたら……パチュリーはそれを考えて戦慄した。
「……うーん、やっぱ駄目だ」
そんな中、突然諦めたかのような台詞を口走るフランドール。それに対して幽香は激しく反発する。
「真剣勝負を途中で投げ出すつもり? そんな巫山戯た事はこの私が許さ――」
「あ、違う違う。そういうことじゃないよ」
「……じゃあ、どういう事なのかしら?」
「あのね、やっぱりバットでやって欲しいの」
「「……!」」
これにはパチュリーのみならず、幽香も驚いた。
傘でなかったら、もしかしたら初球で負けていたかもしれない――だというのに、フランドールはバットに持ちかえろと言うのである。
「私達が持ってきたバットが二本あるから、好きな方を使って。ああ、因みに丈夫なやつだからそう簡単に折れたりはしないよ」
「……貴女、本気で言ってるの?」
「勿論! なんかさ、バットじゃないと勝負してる気がしないんだよね!」
「……好きな方をどうぞ」
「………」
にかっと笑うフランドールを見て、パチュリーはバットケースを幽香に渡す。
勝負をしている気がしない――恐らくそれは最も重要な事。気持ちが乗らなければ球も来ないというのは凡そどのピッチャーにも当て嵌まる事だが、フランドールのそれは特に顕著である事に、パチュリーはここ二日間で気付いていたのである。
「フン……その自信が真か偽りか、確かめさせてもらうわ」
そんなフランドールの性質を幽香も感じているのか、手に取ったバットを何度か振った後に再び打席に入る。
傘の時でさえ十分な威圧感を放っていた幽香。それがこうしてバットに持ちかえると、その威圧感はもはや鬼に近い物がある。
(さて、どうしたものか……)
パチュリーは悩む。
初球を見る限り、幽香のバットコントロールは抜群……ならばどうするか。
セオリー通り変化球辺りを一つ外して様子を見るか、それとも――
(……ふふ、真っ直ぐ投げさせろ、って顔ね……。いいわ、好きになさい。どこへ来ても捕ってあげるから)
結局パチュリーが出したサインは昨日萃香と勝負した時と同様の、高さコース指定なしのストレート。それに対して、フランドールは満面の笑顔で頷いた。
そして、第二球――
「(速い、外の真ん中……高め!)ふッ!」
カッ!
「……!」
ゴッ……!
フランドールの渾身の球を幽香のバットは僅かに捉え切れず、結果は先程と同じくファール。
「ちッ……思った以上の伸びね。やるじゃない」
「………」
これで形としては追い込んだわけだが、二球連続でのファールという結果は、幽香から空振りを奪うことがどれ程難しいかを物語っている。
この勝負でフランドール達が勝つ方法は二つ。一つは三振と、もう一つはキャッチャーフライだが、後者はまず考えられない。
つまり、三振を奪う他ないのであるが――
ギィン! ゴッ……!
キン! ゴッ……!
あと一球の空振り、これがどうしても取れない。
また、幽香がボール球に一切手を出さないこともあり、遂にカウントはツースリーとなる。
フォアボールの場合は出塁という事でフランドール達の負けになるため、今度は逆に追い込まれた状況となった。
(段々ミートが正確になってきている……。次は、打たれる……!)
投げる場所がない、しかし、ボール球も投げられない……パチュリーはサインを出せずにいた。
彼女が恐れているのは、勝負に負ける事でのフランドールのモチベーションの低下だ。
(こんなところで自信をなくして欲しくない……どうする……?)
いくら悩んでも答えは出てこない……窮したパチュリーは、ふとフランドールの方を見た。
すると――
「……?」
どういう訳か、フランドールが頷いている。パチュリーはまだサインを出していないのに、である。
困惑するパチュリーを余所に、フランドールは投球動作に入った。
そして彼女のその顔は、何処か申し訳なさそうな笑顔だった。
(何にしても……球が来るからには捕るしかない……!)
いつもと変わらない大きな投球モーション、そこから放たれた、第八球――
「――(ここに来て変化球……でもこの程度のスピードなら)ッ……!?」
ブンッ……!
初めて幽香から奪った空振り。しかし――
「くっ……! ボールは……!?」
パチュリーのミットにボールは無い。ボールの場所はその遥か後方――そう、後逸である。
振り逃げが明らかに可能な為、出塁イコール負けというルールに則れば、この勝負はフランドール達の負けという事になる。
「フラン、ごめんなさい……」
うなだれるパチュリー。そんな彼女を、即席マウンドから降りてきたフランドールが笑顔で励ます。
「大丈夫、気にしないで。私の方こそ、何でもかんでも勝手ばっかりでごめんね。勝負には負けちゃったけど、また次は――」
「――何言ってるの。貴女達の勝ちよ」
「「え……?」」
きょとんとする二人に、明後日の方を向いたまま幽香は言う。
「フン……私は振り逃げはしない主義なのよ。だから勝負は貴女達の勝ち。わかったらその目障りな感動劇をやめなさい。虫酸が走るわ」
そして、二人に完全に背中を向けてしまった。
「「………」」
暫く三人ともその体勢のまま、静けさだけが辺りを包む。
鳥の鳴き声や風に揺れる木々の音が心地いい中、幽香が突然可笑しそうに笑いだした。
「ふふふふ……」
「「……?」」
「よくよく考えてみたら、大した度胸ね、お嬢ちゃん」
「え、何で?」
「あの追い込まれた場面での切り札が高速ナックルとは、流石に予想できなかったわ」
「……!」
幽香の言葉で、パチュリーは漸く自分が後逸した球を理解した。
ナックル――特殊な握りでボールに一切回転を掛けず、その都度予想もつかない変化をするという、まさしく『魔球』である。
そして今回フランドールが投じたナックルは、幽香の胸元から丸で消えたかのように落下した、極上のナックルなのであった。
「そっかそっか、さっきの球、ナックルっていうんだね!」
「……知らないで投げたと?」
「うん。だってさ、幽香どこに投げても空振りしないんだもん。だから、これがうまく決まればもしかしたら、ってね」
「もし外れたらどうするつもりだったの?」
「考えなかったよ。だって、パチュリーが構えてくれてるから!」
「――! フラン……!」
「フン……成る程。私は貴女一人にではなく、二対一の勝負に負けたというわけね」
幽香は日傘を手に取り、二人の方を向いた。
「中々楽しめたわ。ありがとう」
そして二人に向かって、爽やかな笑顔で中指を立てたのだった。
「……!」
「こちらこそ、ありがとう!」
それに対してパチュリーは狼狽えるが、意味を分かっていないフランドールは満面の笑顔で答える。
世の中、知らない方が幸せな事もあるのである。
「フン……じゃあね、お二人さん」
「あ、待って!」
「何よ?」
「幽香はさ、野球が好きなんだよね?」
「ええ、好きね。それがどうかしたの?」
「一緒にやろうよ! みんなで野球をさ!」
「……一応、話だけは聞いてあげるわ」
その後、パチュリーが諸々の説明をするのだが、相手チームの話をしていた途中――
「……! 八雲ですって!?」
「え、ええ。それがどうかしたの?」
「くくくく……八雲の奴がいるチームが対戦相手とはね……!」
「……?」
「いいわ、貴女達のチームに入ってあげる。ただし、私が入るからには敗北は許されないわよ」
「ホント!? ありがとう幽香!」
こうして、フランドールチームの七人目のメンバーが決定した。
暫定ポジションはセンター、四季のフラワーマスター、風見幽香である。
本人の言葉通りの『百花繚乱』のバッティングは、チームにとってなくてはならない武器となることだろう。
(やれやれ……少し苦手だけど、貴重な戦力か)
戸惑う幽香の手を取ってはしゃぎ回るフランドールを見て、パチュリーは苦笑するのだった。
◆
メンバーが続々と集まってくる白玉楼。
一人一人と挨拶を交わしつつ、こいしは妙な違和感を覚えていた。
頼りになり、そして信頼出来るメンバー達――その筈なのに、何故か自分が孤立しているように感じられたのである。
幽々子が、妖夢が、レミリアが、咲夜が……
「お待たせしたわ。八雲一家、只今到着」
到着した紫も、藍も、橙……はそうでもないけど、どこかみんなが余所余所しくしているように感じる……そんな気がして、こいしはキュッと下唇を噛む。
「みんな揃ったわね。じゃあ練習を始めましょう。こいしちゃん、号令よろしく!」
「………」
「こいしちゃん?」
「え、ああ、ごめんなさい! 気合い入れて行くぞー!」
チーム一同「オー!」
ランニングから始まる練習。しかし、昨日とは比べ物にならない程、こいしは体が重たく感じていた。
みんなを引っ張らなければならない、率先して声を出さなければいけない、でも、本当にみんなはついて来てくれているのだろうか……そんな考えを無理矢理頭の奥にしまい込んで、こいしは懸命に先頭を走る。
「………」
そんなこいしの痛々しい背中――沸き上がってくる『優しい言葉』を、幽々子は抑え込んだ。
今のこいしに中途半端な優しい言葉は逆効果、誰に言われずとも、それを心得ていた。
幽々子だけではない。妖夢も、レミリアも、紫も、咲夜も、藍も、橙……はそうでもなくとも、こいしの後ろを走るメンバー達は皆似たような衝動に駆られていた。
それ程までに、今のこいしの背中は『必死』に見えたのである。
「……紫」
「来るはずよ。家を出るところまでは確認済み」
「来なかったら?」
「望み薄だけど、その時はこいしちゃんのド根性に賭けるわ」
「ド根性、か」
ランニングが終わり、ストレッチ、ダッシュとこなしたメンバー達。しかしどうもぎこちなく、昨日の士気は無いように見える。
キャプテンが率先してチームを引っ張ればメンバーの士気も高まる――ならばその逆も然りで、キャプテンの調子が上がらなければメンバー達も戸惑うのである。
「次、キャッチボール行くよー!」
チーム一同「オー!」
こいしは力の限り声を出し、チームを引っ張ろうと必死である。だがその身を削っているかのような必死さが、逆にメンバー達の心を重苦しくしていた。
そして、そんなメンバー達を見たこいしは、再び自分のリーダーシップを疑い、それでも何とかしようと無理に声を張る。完全な悪循環だ。
今のこいしチームは完全に歯車が噛み合っていない状態――ぎこちなくなるのも当然の事なのであった。
しかし、そんな悪い流れの中でも練習は進んで行く。キャッチボールが終わり素振り、ノックを経て――
「休憩ー!」
チーム一同「オー!」
休憩が開けたら、次はバッティングである。
形式は一点を除いて昨日と同じで、ピッチャーが各打者それぞれ十球ずつの一巡を投げ、その後のもう一巡は各打者一打席の勝負となる。
違う一点は、昨日はこいしが勤めたピッチャーを今日は咲夜が勤めるという事。これは昨日の練習直後に話し合って決まった事だ。
ただしレミリアの打席からはこいしが投げる方向で話が進んでいて、こいしはその事を知らない。そしてこのレミリアとの勝負こそ、こいしが自信を取り戻す事が出来るか否かの鍵なのであった。
「……紫、急いで」
「今開くわ」
休憩時間、縁側に集まった紫、幽々子、レミリアの三人は、その勝負のキーマンとなる謎のマスクマンの動向を確認する為に、紫が開く隙間を覗き込む。
本来ならとっくに白玉楼に着いてもいい筈のマスクマンなのだが、一向に姿を見せる気配がないため、流石に紫達も心配になってきていた。
そして――
「あ、映った……」
「ここは……? ――!」
「な、何で……」
「「「何でそんなところにいるのよ!?」」」
隙間の先は建物の中。
そこにはうなだれるマスクマンと、物凄く偉そうな女性が映り込んでいたのだった。
――話は分かりました ですが、取り敢えずその人を小馬鹿にした声をなんとかしなさい
――ス、スミマセン閻魔サマ……
■暫定メンバー
《アルティメットブラッディローズ(こいしチーム)》
投手:古明地 こいし(左投左打)
捕手:
一塁手:八雲 紫(右投両打)
二塁手:十六夜 咲夜(右投右打)
三塁手:レミリア・スカーレット(右投右打)
遊撃手:西行寺 幽々子(右投右打)
右翼手:
中堅手:魂魄 妖夢(左投左打)
左翼手:八雲 藍(右投両打)
代走要員:橙(右投右打)
《フランドールチーム》
投手:フランドール・スカーレット(右投右打)
捕手:パチュリー・ノーレッジ(右投右打)
一塁手:伊吹 萃香(右投右打)
二塁手:紅 美鈴(右投右打)
三塁手:霧雨 魔理沙(右投右打)
遊撃手:
右翼手:アリス・マーガトロイド(左投左打)
中堅手:風見 幽香(右投左打)
左翼手:
マネージャー:博麗 霊夢(右投右打)
続く
地霊殿の玄関を出るこいしは、どこか元気がなさそうだった。
しかしそれも仕方の無いことである。何故なら、彼女は昨日一睡もしていないのだから。
人間と違って妖怪は、何日か眠らなくとも大した問題ではない。だが、それはあくまで普通の生活をする上での話。激しい運動を伴う野球の練習に於いては、その影響が出てしまう事は明らかである。
それでも尚、グラブとバットを用意して今日も白玉楼へと向かおうとするこいしのその姿は、丸で何かに強制させられているかのように見えるのだった。
「ええ、行ってらっしゃい。気を付けてね」
「うん」
そんなこいしを見送ったのは、彼女の姉のさとり。
心は読めなくとも、こいしの様子がおかしい事はとっくに気が付いている。
にも関わらずさとりが彼女を止めなかったのは、こいしの中にある覚悟――それを感じていたからだ。
苦しさから逃れるために第三の目を閉ざしてしまった妹。その妹が今、かつて見たことがないくらいに必死になっている……それを止める事は、さとりにはどうしても出来なかった。
「私は、駄目な姉なのかしらね……」
自室に戻ってきたさとりは、腰を落ち着かせる事無く予め用意されていた大きなバッグを手に取った。
――覚悟を決めた、でも、同時に苦しんでいる最愛の妹。なら……
「……それでも――」
――それを助けなくて、何がお姉ちゃんだ……!
そして『Helium』と書かれた袋を口に銜え、大きく息を吸い込むのだった。
「私ハ、球ヲ受ケテアゲラレル……!」
野球しようよ! SeasonⅢ
こちらは早朝の紅魔館。今の時間は朝食の最中である。
今回の野球に際してほぼ真っ二つに所属が分かれている紅魔組だが、生活においては別段変わることもなく、それどころか野球の話に花が咲くという実に爽やかな情景が見て取れる。
特にフランドールは特別よく喋る。この二日間で劇的に世界が広がった彼女、口数が多くなるのも無理はないというものだろう。
しかし、何でもかんでも嬉しそうに話してしまうため、あまり情報を知られたくないパチュリーが人差し指を口に当てるジェスチャーをするのだが、ごめんごめんなどと言った傍からまたペラペラ喋りだしたりするので、終始パチュリーが狼狽えている始末だ。
しかし、この場に至ってはそれすら微笑ましく感じてしまう。流石はドリームランドの呼び声高い紅魔館である。
「へー、お姉様たち、もうチーム名まで決まったんだ」
「ええ。私の命名よ。さあ咲夜、フランとパチェに教えてあげなさい!」
「――!(うわぁ……やだなぁ)か、畏まりました……。その名も……アルティメットブラッディローズ、です……」
「………」
「アルティメット……」
「ブラッディ、ローズ……」
「……ぷぷ」
「「あははははははははははは!」」
「な! 何が可笑しいのよあんた達!?」
「いや、お姉様らしいなあ、って思って……」
「そ、そうね、実にレミィらしいわ……くくくく……」
そんなこんなで笑ったり少し怒ったりしながら、楽しい朝食は進んでいく。
「――ごちそうさま、そして行ってきます!」
「ええ。気を付けて行ってくるのよ」
「ちょっとフラン、私まだ食べ終わって……」
「先に支度してるよ! 急いでねパチュリー!」
「……やれやれ」
「ふふ、あの子の相手は大変でしょう」
「そうね。でも、楽しくもあるわ」
「体の方は大丈夫? ホラ、あの子急かしそうじゃない」
「おぶってくれるから問題ないわ」
「……! お、おぶわせてるの?」
「勘違いしないでよ、私から言いだしたんじゃないわ。……さて、ごちそうさま。行ってくるわね」
「え、ええ、フランの事お願いね」
レミリアの言葉に親指をびしっと立てると、パチュリーは少し急ぎ足で支度に向かうのだった。
「何よ。パチェも結構楽しんでるんじゃない」
「そのようですね。いつもは必ずと言っていい程朝食をお残しになるのですが」
「ふふ、今日は綺麗さっぱりね。……さてと、ごちそうさま。私達もそろそろ支度を始めましょうか」
「……あの、お嬢様」
「何?」
「本当に今日、あの子と再び勝負をするのですか?」
「ええ。そのつもりよ」
「私の勝手な推測なのですが、もしそれで再度あの子が敗れる事になったら――」
「――潰れるでしょうね」
「……!」
「もしそうなったら咲夜がエースをやればいい。貴女のシュートボール、私は結構評価してるのよ?」
「ですが……」
「この話はお終い。貴女もさっさと支度をしてきなさい」
「……はい」
レミリアとこいしの再戦の決定。それは昨日の練習に参加していた誰が見ても、こいしの圧倒的不利が予想されるものだった。
それに加えて、当のこいしがそんな流れを知らないという事実――咲夜には、それはこいしを排斥しようとしている動きにしか見えなかった。
しかし、レミリアに加えて幽々子と紫の三人が主導とあっては誰も意見を言える者はなく、当然それに従うしかない。
そもそも野球をやろうと言い出したのはあの子だった筈なのに……沸き上がる嫌な感情を抑えつつ、咲夜は支度を終えて玄関へと向かった。
「あら? フランドール様、まだ出発していらっしゃらなかったのですか?」
「あ、咲夜。そうなのよー。パチュリーったら遅いの何のって……」
落ち着きなく玄関周りを歩き回るフランドール。
あの子が相手チームのキャプテンとして指名しなかったら、今もこの方は地下にいたんだろうな……そんな事を考えていた咲夜に、一瞬電流が走る。
「――フランドール様……!」
「ん? どしたの?」
こいしとの再戦、その事をレミリアは食事の場でフランドール達に伝える事は無かった。
なら、今その全ての事情を話して、そして止めてもらおう――咲夜はそう思い付いたのだ。
「フラン様、実は――」
「――咲夜ァ!!」
「……!」
「わ! びっくりした……!」
しかし、そんな咲夜の会心の思い付きも結局果たされることなく、レミリアの怒号に掻き消されてしまった。
「突然どうしたのよお姉様?」
「大した事じゃないわ。……じゃあ行きましょうか、咲夜」
「……はい」
「フラン、お先に」
「うん、じゃあね。それにしてもパチュリーったら……」
こうして紅魔館を出たレミリアと咲夜。 往く先は白玉楼である。
暫く無言で飛び続けている二人だったが、湖を越えた辺りでレミリアが呟くように言う。
「不満かしら?」
「……はい」
「それでいい」
二人はそれ以後一つの言葉も交わす事なく、白玉楼へと向かうのだった。
◆
レミリア達に遅れる事五分。フランドールとパチュリーの二人は、無駄にユニフォーム姿の美鈴に見送られて意気揚々と紅魔館を出発した。
目的地は人里。フランドールの知己は粗方あたってしまったため、パチュリーの知己である人里の守護者に会う為である。
「人里かあ。楽しみだけど、私がそんなとこに入って大丈夫なのかな?」
ここから先は、フランドールにとって全く未知の世界。
終始嬉しそうだった昨日に比べると、今日はどこか不安そうに見える。
「安心なさい。幻想郷の人間たちは存外妖怪やら何やらに慣れているから、こちらから仕掛けない限り騒ぎになんてならないわ」
「ふーん。人間って図太いんだね」
「図太いのは魔理沙とか霊夢。あそこの人間は、言うなれば逞しいって所かしらね」
会話を交わしながらゆったりと人里に向かう二人。
パチュリーが大きな日傘を差して、フランドールがそのパチュリーをおぶって飛ぶ姿は実に微笑ましい。
そうして暫く飛んでいて、丁度道程の半分辺りに差し掛かった時だった。
「ねえパチュリー、誰かいるよ」
「ん? あれは――」
フランドールが見つけたその人物は、二人に気付いた瞬間に目にも止まらぬ速さで近付いて来た。
迎撃しようか尋ねるフランドールを制し、パチュリーは溜め息を吐く。
「おはようございます! 珍しい組み合わせですねえ」
「……やれやれ」
「あ、確か貴女は……」
「おっ、フランドールさん、私を憶えていてくれましたか!」
「文々丸!」
「惜しい! 射命丸です! 射命丸文!」
そう、彼女は射命丸文。幻想郷伝統の新聞屋だ。
幻想郷最速とも言われる素晴らしい速力、それを存分に生かして集めたネタを新聞にしている彼女だが、残念ながらその新聞に余り人気はない。
「ところでお二方、どこかへお出かけですか?」
「ねえ文! 一緒に野球やろうよ!」
「はい?」
「野球だよ野球! いいでしょ?」
「あややや、突然どうしたんですか……?」
「……ここから先は私が説明するわ」
本音では適当にあしらってやり過ごしたかったパチュリーだったが、ここまで知られた以上どうせしつこく聞かれるだろうと判断し、仕方なく文に一部の経緯を話した。
説明中……
「成る程成る程、野球の試合のためのメンバー集めというわけですか」
「そういうわけ! ね、文もチームに入ってよ!」
「いやいや、私は遠慮しときますよ。野球は未経験ですし。それよりも……素晴らしい情報をありがとうございます! これを独占スクープとして記事にすれば……購読者倍増、いや三倍増も射程圏内! 俄然燃えてきましたよ!」
「紫の所に行けば更に詳しい事が分かると思うわ」
「本当ですか!? あややや、重ね重ねありがとうございます! それじゃ、お気をつけて!」
二人に向かってお辞儀をすると、文は目にも止まらぬ速さでどこかへとすっ飛んでいってしまった。
「行っちゃったねー」
「相変わらずせわしない……」
気を取り直して、二人は再び人里を目指す。
天気は雲一つない快晴。日光の心配はあっても雨の心配はなさそうだ。
林を越え、田園地帯を越え、そうして飛んでいるうちに目的地の人里がその姿を現した。
「おっ、漸く見えてきたね! あれが人里かあ」
「ええ。フラン、ここら辺りから徒歩にしましょう。空から里に降りるのは少し目立ちすぎる」
「確かに。じゃ、下へ参りまーす」
パチュリーの言葉に従い、フランドールは高度を落としていく。
この辺りになるともう舗装された道が何本も枝分かれしていて、里に住む人間達の生活感が見て取れる景色になっている。
「おはようございます」
「あ、おはようございまーす!」
「……おはようございます」
そんな場所ともなれば人の往来は当然増えてくる。
しかし、異形の羽を見ても平然と挨拶をしてくる人間達に、先程教えられつつもフランドールは驚いていた。
「パチュリーの言うとおりだね。私の羽を見ても誰も驚かないよ」
「夜雀やら猫又もよく来る里だから。羽の一つや二つ皆慣れているのよ」
「逞しいんだね。……あ、また人が来たよ」
「ブオンジョルノ」
「オー! グーテンモルゲン!」
「……ブエノスディアス」
そんな風に挨拶をされては返しているうちに細かった道は徐々に広がり、やがては一つに繋がる。里の大通りである。
「わぁ……すごい賑わってる!」
「ええ。ここに来るのは私も久し振りだけど、活気があるわね」
実は、本来の目的地は人里というよりその少し外れにある。
ではなぜ遠回りをしてここを通るのかというと、この機にフランドールに人里を見せてあげるのもいいだろう、というパチュリーの粋な計らいなのであった。
「あっ、見てあの人! すっごい派手な日傘!」
「フラン、あんまり人を指差しちゃダメよ(ん? あれは……)――!」
花屋の店先にいた、向日葵が描かれた日傘の女性。フランドールが彼女を指差した瞬間、それに反応するかのよう振り返る。
「あら……」
そして緑色のパーマ掛かった髪を風になびかせながら、突き刺すような笑顔で言うのだった。
「私に何か御用かしら? お嬢ちゃん」
◆
「……まずいわ」
ここは迷い家。
八雲一家の住む、神出鬼没のワンダーランドである。
その迷い家の中央に建つ家の一室にて、布団にくるまり隙間を覗き込んでいた紫は、その先に映し出された光景に思わず眉をひそめた。
(まさか幽香と接触するなんて……)
そう、紫が見ているのは人里にいるフランドール達の動向。
とは言っても、スパイ活動だったりメンバー探しを妨害したり対決の邪魔をしたりするわけではなく、単に彼女達、特にフランドールが何か間違いを起こさないように、こうして見守っているのである。
因みにこれは、密かにレミリアから頼まれた事でもあった。
(最悪、私が出向くことになるわね……)
隙間の先では、日傘の女性、風見幽香とフランドールが何か話をしている。
不安に思いつつも、紫はそれに耳を傾けてみた。
――初めまして 私はフランドール・スカーレット
――あら、ご丁寧に 私は幽香 風見幽香よ そちらは?
――パチュリー・ノーレッジよ この子が指を差してしまった事は謝るわ
――ふふっ、気にしてないわ それより……お嬢ちゃん、貴女凄く強そうね
不安は的中し、隙間の先はまさに暗雲立ちこめる展開だ。
フランドールの受け答え次第で、流石に人里からは離れるとしても、壮絶なバトルに発展する可能性が出てきたのである。
風見幽香――普段はすっとぼけた感じの優しい妖怪だが、その正体は一たび『強い奴』を見つけるや否や絶大な力を振るう怪物に豹変する困ったちゃんなのだ。
そんな困ったちゃんであるから当然相手の内在する力を見抜く術にも長けており、吸血鬼の中でも特に強い力を持つフランドールなどは彼女にとって垂涎の存在。となれば、それをみすみす見逃すはずがない。
(パチュリーが何とか止めてくれれば……)
半ば祈るような心持ちで、紫は再び隙間を覗き込む。
――幽香も凄く強そうだね 分かるよ
――あら、それなら話は早いわ これから一緒に遊ばない? もっとだだっ広い所で、ね
――悪いけど私達は大事な用があるの だからそんな事をしてる暇は……
――私はこの子に話しているの 貴女には興味がない で、どうする? お嬢ちゃん
――わかった、受けて立つ! 勝負よ!
「はぁ……。やっぱりこうなっちゃうか……」
予想通りの展開に、紫は大きな溜め息を吐く。
仕方ないわね、などと呟きながら外出の支度をしようとしたその時、予想していなかった言葉が紫の耳に飛び込んできた。
――内容は一打席勝負! 私の球を前に飛ばせたら貴女の勝ちで、駄目なら私の勝ち! それでいいね?
(……え? 勝負って、そっちの?)
――その言葉を待っていたわ! 百花繚乱と謳われた私のバッティング、貴女に味あわせてあげるから覚悟なさい!
(幽香も乗った……!?)
そんなこんなで、三人はさっさと里の外へと出て行ってしまった。
そして、それを見届けた紫は安堵の溜め息を吐く。朝っぱらから出向くのが面倒臭かったのである。
「……まあ、なんにしても殺し合いにはならなそうね。助かったわ」
「紫様、起きて下さい。……って、もう起きてらっしゃったんですか。おはようございます」
「ええ、おはよう。何だか目が覚めちゃってね」
「珍しい事もあるものです。雨が降らなければいいのですが」
「失礼な」
因みにこの日は、昼過ぎから天気が急変する事になるのだった。
◆
「ふんッ! はッ! せいッ!」
早朝の白玉楼。
まだ日が昇って間もないにも関わらず、その庭からは絶えず気合いの入った掛け声が聞こえてくる。主従揃っての早朝練習である。
「幽々子様、掛け声は結構ですが、もうちょっと慎ましいやつにしましょうよ……」
「何をふッ! 言ってどりゃッ! いるのよせいやッ!」
「話す時くらい掛け声止めて下さいよ、もう……」
実はこの早朝練習、なんと日が昇る前のまだ暗い時間から続けられている。
理由は至って簡単なもので、幽々子が早い時間に目を覚ましてしまったからである。
「サンダー! ファイヤー! フリーザー!」
「流石におかしいですよ、それ……」
「貴女もホップ! 集中ステップ! しなさいジャァァンプ!」
「はいはい、もう突っ込みませんよ……」
当然のように付き合わされた妖夢は、熟睡中を起こされたからか、幽々子と共にバットを振りつつもそのスイングにはいまいちキレがない。
それでも幽々子が類を見ない程のやる気を滾らせているので、内心喜んでいたりはするのだが。
「強靱ッ! 無敵ッ! 最強ッ!」
「………」
「サイン! コサイン! フェードイン!」
「もう訳分かりませんよ……」
「あら、突っ込まないんじゃなかったの?」
「……! くっ、無念……!」
その後も淡々とバットを振る二人。スイングの総数はとうに五百を超えている。
(それにしても……)
バットを振る合間、妖夢はふと幽々子を一瞥する。
(単純にやる気があるっていうだけで、幽々子様……こんな顔するかなあ)
真剣――ではあるのだが、どうもすっきりしないというか、とにかくそんな風なちょっとした違和感を妖夢は感じた。
妙な掛け声も、昨日の全体練習に比べると幾らかオーバーである。
「レシーブ! トス! ……ちょっと妖夢、さっきから何じろじろ見てるのよ?」
「え? あ、ああ、何でもないです!」
「全く……そんな事では真のメイズにはなれないわよ?」
「(ウィリー・メイズ……!)はい、申し訳ありませんでした」
「ま、いいわ。じゃあここらで切り上げましょうか。全体練習に支障が出たら本末転倒だしね」
「畏まりィー」
いい汗かいたわ、などと言いながら引き上げる幽々子。その姿にも、やはり違和感があるように妖夢は思ったのだった。
湯浴みを済ました後、白米七合と数多のおかずを平らげた幽々子は、一人縁側へと出た。
夏も終わり、初秋の冷たい風が広い庭を吹き抜けるから、湯上がりの後の体には少し寒く感じる。
「………」
ほんの二日前には考えても見なかった。
こうしてまたグラブとバットを手に取る事、そして、皆で集まって野球をやる事。全て、たった一人の少女が発した一言から始まったのだ。
そして、今日。その少女――こいしは、もうここに来なくなってしまうかもしれない。打ち拉がれて、心を折られて、野球を嫌いになってしまうかもしれない。
全ては自分が発した『全力で投げてみない?』という軽はずみな一言によって起こってしまった事……
「――幽々子様、お茶が入りましたよ」
「ええ、ありがとう」
妖夢が持ってきた湯呑みを手に取り、幽々子はにこりと笑った。
先程僅かに崩しかけた表情は、今はもう見せていない。
「……あの、幽々子様?」
「ん?」
「何か、あったんですか?」
「あら、どうして?」
「いえ……何て言うか、いつもならもっと『最高級でしょうね?』とか『最適の質量%濃度から0・5%ズレてるわ!』とか言うのに、って思って……」
そう言って妖夢は不安感たっぷりの心配顔で幽々子を見る。
(気付かれちゃった……か)
今の自分の思いを極力表に出さないようにしていた幽々子だったが、それも妖夢には隠し通せなかった。
その事に、主として素直に嬉しさを感じつつ、少しだけ悔しかったりする幽々子だった。
「妖夢」
再び幽々子はにこりと笑い、妖夢をおもむろに抱き寄せる。
「あ……幽々子様……」
「ゆーゆーこー……」
「……はい?」
「クラッチ!」
「ぎゃ!?」
そして、おもむろに変形羽根折り固めを掛けたのだった。
「いたたた! い、痛いですよ!」
「ねえ、妖夢?」
「な、何ですか……? ていうか痛いですってば!?」
「――ありがとね」
「え? よく聞こえな……」
「ふふ、何でもないわ。……えいっ!」
「痛あぁぁー!!」
因みにこの後加減を誤った幽々子によって妖夢の肩が外れてしまい、大変だったそうな。
プロレスごっこは注意が必要なのである。
◆
ここは人里付近の静かな林道。フランドールと幽香の対戦場所である。
場所をここに指定したのはパチュリーで、一つは日光を極力避けるためと、もう一つは目立たないようにするためだ。
フランドール、幽香共にこれを承諾し、今こうして木漏れ日が差す林道にて対峙する運びとなったのだった。
「んー……やっぱり何か気持ち悪いなぁ」
木漏れ日とはいえ日光には変わりないため、フランドールは少し窮屈そうな顔で肩を慣らしている。
灰になったり体が焼けることはないが、やはり苦手である事に変わりはないのである。
「ちっ……」
一方の幽香も余りいい顔をしていない。こちらは単純に見辛いからだ。
「パチュリー、オッケーだよ」
「ええ。さ、どうぞ」
「フン……待ちくたびれて眠り掛けたわよ」
相変わらずの突き刺すような笑顔で皮肉ると、幽香は左の即席バッターボックスに入った。
バット代わりの閉じた日傘(本人曰く、鬼が踏んでも折れない)を上段に構えてそれを上下にゆったりと揺らす独特の打撃フォームは、その笑顔と相まって何とも言えない不気味さを醸し出している。
(初球、敢えてインを突いてみるのも効果的ね)
パチュリーのインローのサインにフランドールは頷く。
ノーワインドアップからの大きな投球モーションで、その第一球――
「――!」
バシッ!
(打たれた……!?)
ゴッ……!
「フン……ギリギリ『前』ではなかったかしらね」
インローのボール球、それを見事なバットコントロールで捉えた幽香の打球は、フランドールから見て右手前の木に直撃した。幽香の立ち位置よりも僅かに後ろだったため、際どくもファールである。
とは言うものの、当然バットと傘では勝手が違う。もし幽香がバットで打っていたとしたら……パチュリーはそれを考えて戦慄した。
「……うーん、やっぱ駄目だ」
そんな中、突然諦めたかのような台詞を口走るフランドール。それに対して幽香は激しく反発する。
「真剣勝負を途中で投げ出すつもり? そんな巫山戯た事はこの私が許さ――」
「あ、違う違う。そういうことじゃないよ」
「……じゃあ、どういう事なのかしら?」
「あのね、やっぱりバットでやって欲しいの」
「「……!」」
これにはパチュリーのみならず、幽香も驚いた。
傘でなかったら、もしかしたら初球で負けていたかもしれない――だというのに、フランドールはバットに持ちかえろと言うのである。
「私達が持ってきたバットが二本あるから、好きな方を使って。ああ、因みに丈夫なやつだからそう簡単に折れたりはしないよ」
「……貴女、本気で言ってるの?」
「勿論! なんかさ、バットじゃないと勝負してる気がしないんだよね!」
「……好きな方をどうぞ」
「………」
にかっと笑うフランドールを見て、パチュリーはバットケースを幽香に渡す。
勝負をしている気がしない――恐らくそれは最も重要な事。気持ちが乗らなければ球も来ないというのは凡そどのピッチャーにも当て嵌まる事だが、フランドールのそれは特に顕著である事に、パチュリーはここ二日間で気付いていたのである。
「フン……その自信が真か偽りか、確かめさせてもらうわ」
そんなフランドールの性質を幽香も感じているのか、手に取ったバットを何度か振った後に再び打席に入る。
傘の時でさえ十分な威圧感を放っていた幽香。それがこうしてバットに持ちかえると、その威圧感はもはや鬼に近い物がある。
(さて、どうしたものか……)
パチュリーは悩む。
初球を見る限り、幽香のバットコントロールは抜群……ならばどうするか。
セオリー通り変化球辺りを一つ外して様子を見るか、それとも――
(……ふふ、真っ直ぐ投げさせろ、って顔ね……。いいわ、好きになさい。どこへ来ても捕ってあげるから)
結局パチュリーが出したサインは昨日萃香と勝負した時と同様の、高さコース指定なしのストレート。それに対して、フランドールは満面の笑顔で頷いた。
そして、第二球――
「(速い、外の真ん中……高め!)ふッ!」
カッ!
「……!」
ゴッ……!
フランドールの渾身の球を幽香のバットは僅かに捉え切れず、結果は先程と同じくファール。
「ちッ……思った以上の伸びね。やるじゃない」
「………」
これで形としては追い込んだわけだが、二球連続でのファールという結果は、幽香から空振りを奪うことがどれ程難しいかを物語っている。
この勝負でフランドール達が勝つ方法は二つ。一つは三振と、もう一つはキャッチャーフライだが、後者はまず考えられない。
つまり、三振を奪う他ないのであるが――
ギィン! ゴッ……!
キン! ゴッ……!
あと一球の空振り、これがどうしても取れない。
また、幽香がボール球に一切手を出さないこともあり、遂にカウントはツースリーとなる。
フォアボールの場合は出塁という事でフランドール達の負けになるため、今度は逆に追い込まれた状況となった。
(段々ミートが正確になってきている……。次は、打たれる……!)
投げる場所がない、しかし、ボール球も投げられない……パチュリーはサインを出せずにいた。
彼女が恐れているのは、勝負に負ける事でのフランドールのモチベーションの低下だ。
(こんなところで自信をなくして欲しくない……どうする……?)
いくら悩んでも答えは出てこない……窮したパチュリーは、ふとフランドールの方を見た。
すると――
「……?」
どういう訳か、フランドールが頷いている。パチュリーはまだサインを出していないのに、である。
困惑するパチュリーを余所に、フランドールは投球動作に入った。
そして彼女のその顔は、何処か申し訳なさそうな笑顔だった。
(何にしても……球が来るからには捕るしかない……!)
いつもと変わらない大きな投球モーション、そこから放たれた、第八球――
「――(ここに来て変化球……でもこの程度のスピードなら)ッ……!?」
ブンッ……!
初めて幽香から奪った空振り。しかし――
「くっ……! ボールは……!?」
パチュリーのミットにボールは無い。ボールの場所はその遥か後方――そう、後逸である。
振り逃げが明らかに可能な為、出塁イコール負けというルールに則れば、この勝負はフランドール達の負けという事になる。
「フラン、ごめんなさい……」
うなだれるパチュリー。そんな彼女を、即席マウンドから降りてきたフランドールが笑顔で励ます。
「大丈夫、気にしないで。私の方こそ、何でもかんでも勝手ばっかりでごめんね。勝負には負けちゃったけど、また次は――」
「――何言ってるの。貴女達の勝ちよ」
「「え……?」」
きょとんとする二人に、明後日の方を向いたまま幽香は言う。
「フン……私は振り逃げはしない主義なのよ。だから勝負は貴女達の勝ち。わかったらその目障りな感動劇をやめなさい。虫酸が走るわ」
そして、二人に完全に背中を向けてしまった。
「「………」」
暫く三人ともその体勢のまま、静けさだけが辺りを包む。
鳥の鳴き声や風に揺れる木々の音が心地いい中、幽香が突然可笑しそうに笑いだした。
「ふふふふ……」
「「……?」」
「よくよく考えてみたら、大した度胸ね、お嬢ちゃん」
「え、何で?」
「あの追い込まれた場面での切り札が高速ナックルとは、流石に予想できなかったわ」
「……!」
幽香の言葉で、パチュリーは漸く自分が後逸した球を理解した。
ナックル――特殊な握りでボールに一切回転を掛けず、その都度予想もつかない変化をするという、まさしく『魔球』である。
そして今回フランドールが投じたナックルは、幽香の胸元から丸で消えたかのように落下した、極上のナックルなのであった。
「そっかそっか、さっきの球、ナックルっていうんだね!」
「……知らないで投げたと?」
「うん。だってさ、幽香どこに投げても空振りしないんだもん。だから、これがうまく決まればもしかしたら、ってね」
「もし外れたらどうするつもりだったの?」
「考えなかったよ。だって、パチュリーが構えてくれてるから!」
「――! フラン……!」
「フン……成る程。私は貴女一人にではなく、二対一の勝負に負けたというわけね」
幽香は日傘を手に取り、二人の方を向いた。
「中々楽しめたわ。ありがとう」
そして二人に向かって、爽やかな笑顔で中指を立てたのだった。
「……!」
「こちらこそ、ありがとう!」
それに対してパチュリーは狼狽えるが、意味を分かっていないフランドールは満面の笑顔で答える。
世の中、知らない方が幸せな事もあるのである。
「フン……じゃあね、お二人さん」
「あ、待って!」
「何よ?」
「幽香はさ、野球が好きなんだよね?」
「ええ、好きね。それがどうかしたの?」
「一緒にやろうよ! みんなで野球をさ!」
「……一応、話だけは聞いてあげるわ」
その後、パチュリーが諸々の説明をするのだが、相手チームの話をしていた途中――
「……! 八雲ですって!?」
「え、ええ。それがどうかしたの?」
「くくくく……八雲の奴がいるチームが対戦相手とはね……!」
「……?」
「いいわ、貴女達のチームに入ってあげる。ただし、私が入るからには敗北は許されないわよ」
「ホント!? ありがとう幽香!」
こうして、フランドールチームの七人目のメンバーが決定した。
暫定ポジションはセンター、四季のフラワーマスター、風見幽香である。
本人の言葉通りの『百花繚乱』のバッティングは、チームにとってなくてはならない武器となることだろう。
(やれやれ……少し苦手だけど、貴重な戦力か)
戸惑う幽香の手を取ってはしゃぎ回るフランドールを見て、パチュリーは苦笑するのだった。
◆
メンバーが続々と集まってくる白玉楼。
一人一人と挨拶を交わしつつ、こいしは妙な違和感を覚えていた。
頼りになり、そして信頼出来るメンバー達――その筈なのに、何故か自分が孤立しているように感じられたのである。
幽々子が、妖夢が、レミリアが、咲夜が……
「お待たせしたわ。八雲一家、只今到着」
到着した紫も、藍も、橙……はそうでもないけど、どこかみんなが余所余所しくしているように感じる……そんな気がして、こいしはキュッと下唇を噛む。
「みんな揃ったわね。じゃあ練習を始めましょう。こいしちゃん、号令よろしく!」
「………」
「こいしちゃん?」
「え、ああ、ごめんなさい! 気合い入れて行くぞー!」
チーム一同「オー!」
ランニングから始まる練習。しかし、昨日とは比べ物にならない程、こいしは体が重たく感じていた。
みんなを引っ張らなければならない、率先して声を出さなければいけない、でも、本当にみんなはついて来てくれているのだろうか……そんな考えを無理矢理頭の奥にしまい込んで、こいしは懸命に先頭を走る。
「………」
そんなこいしの痛々しい背中――沸き上がってくる『優しい言葉』を、幽々子は抑え込んだ。
今のこいしに中途半端な優しい言葉は逆効果、誰に言われずとも、それを心得ていた。
幽々子だけではない。妖夢も、レミリアも、紫も、咲夜も、藍も、橙……はそうでもなくとも、こいしの後ろを走るメンバー達は皆似たような衝動に駆られていた。
それ程までに、今のこいしの背中は『必死』に見えたのである。
「……紫」
「来るはずよ。家を出るところまでは確認済み」
「来なかったら?」
「望み薄だけど、その時はこいしちゃんのド根性に賭けるわ」
「ド根性、か」
ランニングが終わり、ストレッチ、ダッシュとこなしたメンバー達。しかしどうもぎこちなく、昨日の士気は無いように見える。
キャプテンが率先してチームを引っ張ればメンバーの士気も高まる――ならばその逆も然りで、キャプテンの調子が上がらなければメンバー達も戸惑うのである。
「次、キャッチボール行くよー!」
チーム一同「オー!」
こいしは力の限り声を出し、チームを引っ張ろうと必死である。だがその身を削っているかのような必死さが、逆にメンバー達の心を重苦しくしていた。
そして、そんなメンバー達を見たこいしは、再び自分のリーダーシップを疑い、それでも何とかしようと無理に声を張る。完全な悪循環だ。
今のこいしチームは完全に歯車が噛み合っていない状態――ぎこちなくなるのも当然の事なのであった。
しかし、そんな悪い流れの中でも練習は進んで行く。キャッチボールが終わり素振り、ノックを経て――
「休憩ー!」
チーム一同「オー!」
休憩が開けたら、次はバッティングである。
形式は一点を除いて昨日と同じで、ピッチャーが各打者それぞれ十球ずつの一巡を投げ、その後のもう一巡は各打者一打席の勝負となる。
違う一点は、昨日はこいしが勤めたピッチャーを今日は咲夜が勤めるという事。これは昨日の練習直後に話し合って決まった事だ。
ただしレミリアの打席からはこいしが投げる方向で話が進んでいて、こいしはその事を知らない。そしてこのレミリアとの勝負こそ、こいしが自信を取り戻す事が出来るか否かの鍵なのであった。
「……紫、急いで」
「今開くわ」
休憩時間、縁側に集まった紫、幽々子、レミリアの三人は、その勝負のキーマンとなる謎のマスクマンの動向を確認する為に、紫が開く隙間を覗き込む。
本来ならとっくに白玉楼に着いてもいい筈のマスクマンなのだが、一向に姿を見せる気配がないため、流石に紫達も心配になってきていた。
そして――
「あ、映った……」
「ここは……? ――!」
「な、何で……」
「「「何でそんなところにいるのよ!?」」」
隙間の先は建物の中。
そこにはうなだれるマスクマンと、物凄く偉そうな女性が映り込んでいたのだった。
――話は分かりました ですが、取り敢えずその人を小馬鹿にした声をなんとかしなさい
――ス、スミマセン閻魔サマ……
■暫定メンバー
《アルティメットブラッディローズ(こいしチーム)》
投手:古明地 こいし(左投左打)
捕手:
一塁手:八雲 紫(右投両打)
二塁手:十六夜 咲夜(右投右打)
三塁手:レミリア・スカーレット(右投右打)
遊撃手:西行寺 幽々子(右投右打)
右翼手:
中堅手:魂魄 妖夢(左投左打)
左翼手:八雲 藍(右投両打)
代走要員:橙(右投右打)
《フランドールチーム》
投手:フランドール・スカーレット(右投右打)
捕手:パチュリー・ノーレッジ(右投右打)
一塁手:伊吹 萃香(右投右打)
二塁手:紅 美鈴(右投右打)
三塁手:霧雨 魔理沙(右投右打)
遊撃手:
右翼手:アリス・マーガトロイド(左投左打)
中堅手:風見 幽香(右投左打)
左翼手:
マネージャー:博麗 霊夢(右投右打)
続く
いつもながら続きが楽しみだ!!!
さぁ、早く続きをかくんだ。
幽香が参加か!これは燃える!
さとりさま……説教されてる場合じゃないぜ。
頑張ってください
そしてそこはタンジェントだろうがヘクトパスカルがぁ!
続き超まってます
次作も期待してます。
まだ大して目立ってない美鈴の、今後の活躍にも期待しましょう。
幽香の格好よさも素晴らしかった。
続編に期待大です!
誰が加わるんだろう? 今から楽しみだぜ。
両者順調に強力なカードを揃えてますね。バランス取れてると思いますよ。
さぁ、この調子ならこの次の次ぐらいで試合でしょうかね、楽しみですv
幽香のバッティングフォームってタフィ・ローズ?
こいしちゃんがんばれ