この話は作者の過去作品の設定を引き継いでおります。
独自設定などが盛り込まれておりますのでご注意ください。
冬の空に浮かぶ満月が煌々と光を放っている。
夜の闇にも決して掻き消せぬその光は、普段は眠っている魔性を呼び覚ますといわれている。
自室で甘いミルクティーを啜りながら、美鈴は窓際のベッドに腰掛けてただ満月を眺めていた。
何をするでもなく、ただ見上げる。魅入られてしまうわよと、それは主の言葉であったか。
血が騒ぐような気がするのは気のせいでは無い。
美鈴も妖怪の端くれ、影響を受けるのは仕方が無いのだ。
なればと美鈴は思う。
この満月の夜、主たちはどうしているのかと。
真祖の吸血鬼である彼女等が受ける影響は、美鈴の様に血が騒ぐ程度では済まない。
済まない程度ではなく、甚大なのだ。
情緒が不安定になる。理性の箍が外れる。より、吸血鬼としての本能が顕著になる。
普段では抑えている欲求を素直に実行してしまう。
破壊欲求、吸血欲求、支配欲求。
少なからずも誰もが持っているそれがあの強大な力を持って実行されてしまうかもしれない。
そこまで考えて美鈴は吐息。
甘い甘いミルクティーを一口含む。
そうまで考えていながら実の所、美鈴は余り心配などしていなかった。
この幻想郷に来てからは実に平和であったからだ。
ここにいれば少なくとも、主たちを脅かす物は、そして刺激する物は何も無い。
教会も、狩人も、賞金稼ぎ達も来ない。
ふれれば爆発してしまいそうな程にレミリアが昂ぶったとしてもそれを実行させる刺激が来ない。
故に大丈夫だ。今頃はきっと血液パックの血をちゅーちゅー吸いながら満月でも眺めているだろう。
本当にたまらなくなったときは美鈴を訪ねてくるだろうからその時は思い切り抱きしめてやればよい。
まあ、多少痛いのは我慢しなくてはいけないが、彼女の本気の抱擁に耐えられるのが自分だけ故にそれは仕方が無い。
そんなことを思っていると乾いた音が部屋に響く。
コンコンッと、部屋の入り口のドアから数度ノックの音が響いた。
早速きたかと美鈴は腰を上げる。
笑顔でドアを開くと其処には……
「め~りん~」
星柄のパジャマとナイトキャップ。
泣きそうな表情でフランドールが佇んでいた。
ずびりずびりとミルクティーを啜るフランドールを美鈴はただ眺める。
部屋に招き入れて、笑顔で暖かいものを飲ませ、一息つかせる。
そうすれば先程の泣きそうな顔は引っ込んで、リラックスした顔になる。
「ごめんね、急に訪ねて」
「いえ、お気になさらずに」
再びベッドに腰掛けて美鈴は笑みを浮かべる。
その横には当然の様にフランドールが座っていた。
「相談……したい事があって」
そう告げて、だがフランドールはそれで黙り込んでしまう。
落ち着きなさげにただ背の羽が動いている。
取り立てて急かしたりせず、美鈴は言葉を待つ。
ただ静かに、数度そのカップを傾けて。
フランドールはどう話したものかと思案するように瞳を閉じている。
「……あのね」
やがて遠慮がちに言葉が紡がれた。
「うん、何から話したものかな。
あのね、美鈴は私の中にたくさんの私が居ることは知っているよね?」
「ええ、存じておりますよ」
たくさんの私。
フランドール・スカーレットの中には様々な別個の人格が存在する。
「フォーオブアカインドなどを使用した時に出てくる彼女達の事ですね」
「うん」
自身を四つに分けるそのスペルカードを使用した時に現れる分身達。それぞれが異なる人格を容している。
凶暴で好戦的なフランドール。
常に怯えたように身を竦めている気弱なフランドール。
味気のない冷めた様な態度をとる冷静なフランドール。
それらは普段は彼女の中に存在する感情の一欠片達。
「でも、それだけじゃないんだ。
いつか、皆に協力してもらって私の過去と向き合った時からなんだけど」
ほんの少し前までフランドールは引き篭もっていた。
部屋から出ようとせずに、誰とも口をきこうとせずに、五百年近くも過ごしていた。
其れは遠い昔に受けた心的外傷によるものであり、今は皆の協力により乗り越え克服したのだが……
「眠るとね、とても広い草原に出るの」
あの時はわからなかったが今なら理解できる。
あれは、遠い昔に住んでいた父の城の傍に広がる草原のイメージなのだと。
「怯えて震えていたもう一人の私が居た場所なんだけどね、今は……」
閉じていた瞳を開いて、彼女は続ける。
「そこにたくさんの私が居るの。
怒っている私、泣いている私、喜んでいる私。それらは全部このフランドールという私を構成する要素なんだと思う」
フランドールはそこで言葉を切って、息を吐く。
「彼女達は話しかければ返事をするし、何かしらの反応も起こすの。
はは、変だよねこんなの。自分の中でたくさんの自分に向き合って話ができるなんて……案外私は本当に気が狂っているのかもしれない」
へへっと自虐する様に笑みを浮かべるフランドール。
「そんな事はありませんよ」
そんな彼女にただ静かに美鈴は答える。
「誰だってたくさんの自分を容しているものです。妹様だけじゃありません」
言葉にフランドールが美鈴に視線を向けた。
「美鈴にもいるの?」
「はい、私にもいますよ。怒っている私も、泣いている私も、喜んでいる私も。妹様の様に話しかけたりはできませんけどね。
ですから自分がおかしいと、特別だと思う必要はありません。むしろ素敵な事と思いますよ。夢の中で退屈せずにすみますしね」
「うん……ありがとう、美鈴は優しいね」
向けられる笑顔に照れたようにフランドールが視線を落とす。
しばらく言葉を振りかえるよう黙り込んで、ややあってから話を再開する。
「それでね、彼女達は私にずいぶんと影響を与えているの。
怒ったときは凶暴な私が、悲しいときは気弱な私が表に出てくるの。それで……」
フランドールの声色が変化した。
「それで……ね……」
語尾が、掠れる様に小さくなる。
まるで怯えているかのように己の体を縮込ませる。
「怖い私が居るの……とても怖い……その私は普段はとても奥の方で一人で座っているの。
どこかぼんやりして遠くを見て、話しかけても反応しないけれど……」
詰まったように苦しげな息を吐き出してフランドールは続ける。
「彼女が、私の表に出てくるとね。
豹変するの、私を乗っ取ってしまいそうなくらい強い衝動になるの」
「衝動ですか?」
「うん、そのね……おいしそうって思うの」
再び、フランドールの顔に泣きそうな表情が浮かんだ。
「咲夜を、小悪魔を、パチュリーを……遊びに連れて行ってもらう寺子屋の子供達も……
おいしそうだって、血を吸ってしまいたいって思うの。前はあの私はいなかったのに……」
その表情と視線が縋るように美鈴へと向いた。
「怖いよ、美鈴。
今はまだ我慢して抑えることができるけれどいつか……いつか抑えられなくなってしまいそうで、誰かを襲ってしまいそうで」
フランドールは強くベッドのシーツを握りしめる。
見上げた美鈴の瞳はただ静かで穏やかで、其れがフランドールの心を少しだけ落ち着かせる。
「ごめん……急にこんなこと言われても困るよね」
美鈴から視線を落としフランドールは唇を噛んだ。
「いいえ……妹様、この事はお嬢様には?」
「言ってない……心配をかけたくないから……」
「そうですか……失礼します」
美鈴の手がフランドールの頭に伸びて、数度優しく撫でる。
俯いていたフランドールはそれでも目を細め安堵の息を吐く。
「それは、おそらくですね、吸血衝動だと思います」
「うん、そうだろうって思ってた」
吸血衝動。
その名の通りに誰かの生き血を啜りたいと言う欲求だ。
吸血鬼にとって、その名が示す原初の本能であり、またそれゆえに何よりも強い。
血液と言うものは命を繋ぐ糧であり、また己の力を示す物でもある。
「お嬢様も、覚えたての頃は大変でしたよ」
「お姉さまも?」
遠い昔を思い出すかのように美鈴は眼を閉じる。
「ええ、我慢がきかないとか言うレベルではなかったらしいです。私も何度も襲われましたしね」
「そうなんだ……」
フランドールが驚いたように呟きを漏らした。
少なくとも彼女の知るレミリアが血に狂ったような所は見たことがない。
それどころか吸っている場面も見たことはないのだ。
「今はもう落ち着いて割りきれたみたいですけどね。
お嬢様曰く、吸血衝動は人間で言う性欲に近いものらしくて……」
「せ、性欲に!?」
私エッチのかな?などと悩むフランドールを微笑ましく思いながら美鈴は話を続ける。
「大丈夫ですよ。時間が解決してくれます」
フランドールは引き篭もっていた。
引き篭もっていて時が止まっていたその時期が終わり、むしろ動き出したが故にさまざまな物が変化する。
吸血衝動が芽生えたのも時間によるもの、ならば其れを克服するのも時間によるのだ。
「う、うん。頑張ってみる」
まだ不安そうに、それでも少しだけ安堵したようにフランドールが呟く。
優しい笑みで美鈴が再び彼女の頭を撫でた。
「ですが、人から直接血を吸えないというのは辛いことだと思います」
おそらく、人から直接吸う事と、血液パックから吸う事は違うことなのだと美鈴は推測する。
「当時、お嬢様は返り討ちにした賞金稼ぎや狩人の血を吸って衝動を抑えていましたが……」
「………」
今は吸えない。
幻想郷にて、むやみに人里を襲う事は禁止されている。
また今は管理が面倒ということで生きた人間も提供を断っていた。
代わりに管理も容易で長持ちするという理由で血液パックが大量に保存されている。
「それもできないと時はこうして私が……」
美鈴の腕が、優しくフランドールに回されて抱き寄せられる。
「思い切り抱きしめて抑えていたのです」
フランドールから戸惑う気配が漏れる。
「駄目だよ……」
そんな言葉が口から漏れる。
「私は今、甘えたい自分が出てきてる。
けど同時に怖いあの子も出てきているんだ。きっと美鈴の血を吸おうとするよ」
押し殺した溜息。
「だから、離して? 危ないよ」
言葉とは裏腹にフランドールは美鈴を振り払おうとしない。
無理なのだ。美鈴をおいしそうだと、その思考が彼女を縛りつけ始めていた。
普段であれば我慢できる。だけど今宵は満月。
真祖の吸血鬼である彼女等が受ける影響は、美鈴の様に血が騒ぐ程度では済まない。
済まない程度ではなく、甚大なのだ。
情緒が不安定になる。理性の箍が外れる。より、吸血鬼としての本能が顕著になる。
普段では抑えている欲求を素直に実行してしまう。
故にこのまましがみ付いて、その白い喉元に牙を突き立ててしまいたいという衝動が、より強くフランドールを蝕み始めている。
「大丈夫です」
美鈴がフランドールの手を取って、己の首元に触らせる。
彼女はなすがままに撫でるように触って軽い驚きを浮かべた。
「固いね」
肌の質感はあるのに金属でも仕込んであるかの様に固い感触。
「硬気功という技法です。これで妹様の牙は通りませんから」
「でも、私が思い切り抱きついたら美鈴は……」
少し前の事だ。
同じように満月に浮かされたフランドールが思わず咲夜に抱きついたとき。
そして思い切り抱きしめてしまった時、大変なことになった事があるのだ。
「お嬢様が本気で抱きついても、私は壊れませんでしたよ、今までずっと……」
「で、でも……」
いまだ戸惑うフランドールを美鈴は埒が明かないと強く抱きしめる。
はっと短い息を吐いて、フランドールが硬直する。
そのまましばし……やがて遠慮がちにその手が美鈴の背後に回される。
その腕に徐々に力がこめられていく。
フランドールの目の前に美鈴の首筋がある。
白い。綺麗でとてもおいしそうな首筋。
其れは逆らい難い誘惑を持ってフランドールを惑わす。
熱い息が無意識に漏れて、自然に伸びた舌がその表面を撫で、微かな汗の匂いを感じた時に……
フランドールの理性はぶつりっと音を立てて切れた。
美鈴の背に回した腕を、まるで捕食する如くに全力で抑える。
体の軋む音を感じながらも、そのまま口を開いて、遠慮なくその首筋へ噛みついた。
硬気硬によって鉄より硬いその肌に、無理やりにでも牙を通そうと呻き何度も強く噛み続ける。
みしりみしりと何かが軋む音がする。涙と涎を流しながら瞳を真紅に染めて、ただ縋るようにフランドールは美鈴に抱きつく。
美鈴はただ、そんな彼女を抱きしめる。
体が悲鳴を上げていた。骨が折れ、潰れ、筋肉が断裂する。
真祖と呼ばれる吸血鬼の本気。それは生半可な金属など簡単にへし曲げ深く根を張った大木さえも簡単に引き抜く。
レミリアの場合はそれでも美鈴の負担が少ないように気を使った抱きつき方なので骨を数か所痛めるだけですむ。
だが、フランドールはそれがない。
相手をただ闇雲に、己の欲求をぶつけるだけのそれは、まるで破壊するかのように圧倒的な力で美鈴を蹂躙しようとする。
それでも美鈴は笑顔を浮かべた。
体の全ての能力を再生と硬気功に回し、全身に激痛を感じながらも、抱きしめたその顔に浮かぶのは笑顔。
ただ、己の体にしがみ付いて、助けを求める小さな少女を抱きしめる。
そして、永遠の様で短い時間が過ぎて、やがてフランドールの腕から力が抜けた。
そのまま持たれるように美鈴に体を預ける。
「……落ち着かれましたか?」
「うん」
全身を襲う倦怠感に逆らってフランドールが口を開く。
「……どうして、美鈴はそんなに優しいの?」
死んでしまってもおかしくなかった。
切れた理性の中で、それでもフランドールは確かに感じたのだ。
自分の力で、美鈴が壊れていく音を。
「振り払って逃げても、恨まなかったのに」
「妹様……」
「お父様に、頼まれたから?だから……」
「いいえ、初めはそうでした……ですがあの時」
全てを失った遠い昔。
愛しい人も、住む場所も、仲間達も、掛け替えのない全てを失ったあの時。
「お嬢様を、妹様を守りながら過ごすうちに、いつの間にかそれが私にとっての生き甲斐となっていたのです」
絶望の中で自分に生きる意味を与えてくれたこの小さな吸血鬼の姉妹。
「貴方達が居てくれたから私はここまで来れた……ですから……」
「ありがとう、美鈴」
みなまで言わずとももう分かる。
だからフランドールは笑みを浮かべた。
どこか安堵した、嬉しそうな頬笑み。
「ねえ、怖い私は居なくなったけど……まだ甘えたい私が残ってるんだ」
今度は優しく、背に回した腕に力を込める。
「だから、今夜はこのまま傍にいてほしいな」
「はい、喜んで」
甘えるように体を寄せて、フランドールは瞳を閉じた。
-終-
美鈴とフランの会話とか雰囲気、あとがきのおまけ話なども面白かったです。
私の感動です。
台無しだwww
……と思ってたのにあとがきこれかよ!?前回フランに抱きつかれたから体がバキバキになったとでも言うのかッ