紅魔館のメイド長である十六夜咲夜は悩んでいた。
それはもうひどく悩んでいた。主人であるレミリアが神社へ行く御供中、
悩み込んで自分が日傘を持っているというのに自然と足が速くなってしまい、
レミリアが日傘の外に出てしまったのに全く気が付かないくらいに悩んでいた。
――ちょっと、咲夜?!何をしているの?!
レミリアの必死過ぎる抗議にも全く気が付かないくらいに咲夜は悩んでいた。
――あら、レミリアと一緒じゃないの?
――あなた何を言っているの…、お嬢様ッ?!
神社に到着し霊夢にレミリアの不在を尋ねられて、やっと気が付くくらいに悩んでいた。
※※※※※
完全で瀟洒である咲夜が自分の主人をうっかり殺しかけるくらいに悩み込む理由。
それは紅魔館の門番隊隊長――紅美鈴にあった。
咲夜と美鈴はかなり前からそれなりに深い関係にあった。
恥ずかしくて思い出したくないが、咲夜から美鈴へ想いを伝えたのだ。
しかし咲夜が幼少の頃からの付き合いのためであろうか、美鈴は咲夜に対して
なかなか『手』を出そうとしないのだ。やっとこの前、口付けしたばかりである。
だがそれも咲夜から美鈴へ少し強引な要求――駄々をこねての結果であった。
美鈴は嫌がっていなかったものの、非常に戸惑うように咲夜に口を重ねてきた。
何故、美鈴は自分に対してはこんなにも遠慮がちになるのか。
咲夜はそれが気になってしょうがなく、不安ですらあった。
美鈴は他人に触れる事が苦手というわけではない。実際、門番隊の部下達や
他の妖精メイド達とはスキンシップをしているのを咲夜はよく見かける。
しかし咲夜に対しては本当に軽いスキンシップすら滅多にしてくれないのである。
そのくせに自分の方が背は高いことをいい事に、美鈴は咲夜の頭をよく撫でてくる。
嫌ではなくむしろ嬉しいくらいであるが子供扱いされているようで咲夜は恥ずかしかった。
そのため頭を撫でられる度に咲夜は美鈴に抗議するのだが、美鈴は聞く耳を持たなかった。
(なんであの子は私には触れてくれないんだろう)
頻繁に触れられるのは困るが、美鈴が全然触れてくれないため咲夜は不安なることがある。
そのかわりではないが、美鈴は咲夜に対して毎日ではないにしろよく好きだと言ってくれる。
その言葉のおかげで、咲夜は不安になっても美鈴に対して疑心暗鬼になる事はなかった。
しかし自分には何故かしてくれないスキンシップを、美鈴が他の従者達にはよくしている事が
咲夜には我慢出来なかった。平たく言えば、咲夜は彼女らの事が羨ましかったのである。
そのため咲夜は数日前に美鈴に対して愚痴を言ったのだが、美鈴は御茶を濁すだけだった。
おかげで咲夜はこの頃悶悶として悩み込むか多くなり、あやうく主人を殺めそうになったのだ。
※※※※※
そんな二人に転機が訪れたのはレミリアが命の危機に晒された数日後の事だった。
その日咲夜は美鈴の部屋で目を覚ました。もちろん不健全な行為の後だからではなく、
昨夜、美鈴にマッサージを頼んだのだが、気持ちよすぎて咲夜はそのまま寝てしまったのだ。
咲夜が目を覚ますと違和感があった。美鈴の部屋に泊って同じベッド寝る事は少なくない。
一時期は断絶しかけたが、咲夜が幼い頃から細々と現在まで続いている習慣である。
おかしなことに普段は咲夜に対してスキンシップをしてくれない筈の美鈴なのだが、
この時だけは優しく咲夜を抱き締めてくれ、そのまま朝まで一緒に眠る。そのため咲夜の方が
先に目を覚ました場合は美鈴が起きるまでの間、彼女の腕の中で大人しく待つ必要があるのだ。
これは咲夜がまだ幼い頃からのお約束だった。それなのに今朝は美鈴に抱き締められていない。
逆に咲夜が美鈴を抱き締めて寝ていたようだ。たまにはそんな風に逆転してもいいだろう。
そう咲夜は考えたが、どうもおかしい。なんだか美鈴が小さくなっているように思えた。
しかし、きっとこれは夢に違いない。そう思い咲夜は柄にもなく二度寝をする事にした。
次に咲夜が目を覚ました時には、既に美鈴は起きているようで何かを確かめるようにして
忙しなく自分の体を触っているようだった。それを疑問に思った咲夜はまだ開き切ってない
瞼をこすりながら、美鈴に朝から一体何をしているのかをまだ眠たそうにして聞いた。
「美鈴、こんな朝早くになにをやっているの?」
「あっ、咲夜さん。起きちゃいましたか」
不思議と美鈴の声がいつもより幼く咲夜には聞こえた。
「私まだ寝惚けているのかしら? あなたの声がいつもと違う気がする」
「あっーなんというか、声だけでなく身体の方もおかしくなっていますよ」
美鈴にそう言われ、咲夜はまだ重い瞼を無理やり開けて美鈴の姿を見た。
そこにはいつもの背丈に比べて半分以下の大きさになった美鈴の姿があった。
身長が縮んだためか美鈴は自分の寝巻を普通に着られなくなったらしく、袖やら何やらを
丁寧に折り畳んで簡易的なワンピース状の服を作り、それを恥ずかしそうに身に着けていた。
「あなた本当に美鈴なのかしら?」
「……真贋を疑いながら人の顔で遊ばないで下さい」
咲夜はいつもより柔らかくなっている美鈴の頬を引っ張りながら、
美鈴が本物かどうか確かめたが、その感触は紛れもなく正真正銘美鈴のものだった。
幼い頃から美鈴の顔で散々遊び倒した咲夜にしか出来ない独特の美鈴判別方法だ。
「確かに本物の美鈴みたいね」
「……分かってくれて、有り難いです」
何を基準にして咲夜が真贋を見極めたのか、美鈴には皆目見当もつかなかったが、
咲夜に少し変なところがあるのを昔から熟知している美鈴は何も突っ込まずに応えた。
「何か心当たりはないかしら?例えば拾い食いをしたとか。知らない人から貰った物を食べたとか」
「どうしよう、こんな姿じゃ門番できないな……」
何を尺度にして咲夜が原因を推察したのか、美鈴には皆目見当もつかなかったが、
咲夜におかしなところがあるのを昔から精通している美鈴は全く突っ込まずに応えた。
「人が真面目に原因を考えているのに、無視しないで」
「えっ、私が悪いんですか?!」
「ふふっ、冗談よ。何か思い当たる事はあるかしら?」
「特には無いですね…強いて言えば……あっ、いや何でもありません」
「変な美鈴。原因が分からなければ私にはお手上げね」
手を上げるかわりに咲夜は小さくなった美鈴を抱き抱えて、自分の顔の高さまで持ち上げた。
そしておもむろに咲夜は美鈴の頬をほんの少しだけ、「かぷっ」と噛み付いた。
これには流石の美鈴も本気で驚いて、涙目になりながら咲夜に激しく抗議をする。
「い、いきなり何をするんですか?!咲夜さん!!」
「何って、親愛の印に甘噛みをしてみたのよ。だってこんなにも美味しそうなのよ?あなたの柔らかい頬」
「親愛の印じゃなくて、ただの捕食じゃないですか?!」
「捕食って…それは流石に少し言い過ぎ。そんなに痛かったの?そこまで強く噛んだつもりはないのだけど」
「それは……そんなに痛くはなかったですよ。でも、もうこんな悪戯はもうしないで下さいよ……?」
美鈴にしては割と本気で怒っているようだったので咲夜も素直に謝る。
しかし内心では予想以上の美鈴の頬の噛み応えに狂気乱舞していた。
あれほどのものは後にも先にもないだろう。隙があれば……など考えていた。
そんな不埒な咲夜の考えを感じ取ったのか、美鈴は慌てて話題を変えた。
「これからどうしましょう? この姿で門番をしなきゃいけませんか?」
「取り敢えずはお嬢様に報告しましょう。これからどうするかはお嬢様しだいね」
そう言い、咲夜はレミリアに報告しに行くための準備を始める。
具体的には自分の部屋から幼少期に美鈴から貰った御下がりの大陸風の服を持ってきて、
それを美鈴に着させようとしたのである。
しかし、咲夜の思っていた以上に美鈴は小さくなっていたために、
その服すら今の美鈴には大き過ぎるくらいだった。
だから咲夜は大慌てでその服を、美鈴がきちんと着られるような寸法に直しをいれた。
「まさか、この服をまた着る事になるなんて思ってもいませんでした」
「どうかしら、変なところはある?直すなら今よ?」
「特に問題はないみたいです。有難うございます、咲夜さん」
美鈴は色々と身体を動かし服の調子を確かめながら、咲夜へ礼を言う。
その服は咲夜が紅魔館に来て間もない頃に、美鈴が自分の部屋の押入れを漁り見つけた、
最後に袖を通した日が思い出せないくらい前に美鈴がよく着ていた服だった。
保存の仕方が良かったのと、元々がかなり丈夫な生地で作られたものだったためか、
ほとんど劣化していなかったので、少しだけ修繕して幼い咲夜に普段着として贈ったものだ。
「まだ持っていてくれたんだ、ちょっと嬉しいな……」
咲夜が捨てずに、未だ保存していてくれた事に美鈴は少しだけ頬を緩める。
とっくの昔に捨てられていてもおかしくないのだ。
「本当は私達の子供に着させて上げる予定だったのよ?それより先にあなたが着るなんて想像もしていなかったわ」
何を根拠にして咲夜が未来を設計したのか、美鈴には皆目見当もつかなかったが、
咲夜に頭の悪いところがあるのを昔から通暁している美鈴は突っ込まずに黙る。
「私は割と本気なのだけど?」
美鈴の深い沈黙に対して、なぜか咲夜方から突っ込みを入れてきた。
「そろそろ、お嬢様のところへ向かいませんか?」
美鈴は華麗に咲夜の突っ込みを無視して部屋をでる準備を始めた。
背後で咲夜がつれないわね、と文句を言っているのは聞こえないふりをした。
※※※※※
美鈴は自分のおかれている現状が全く理解出来なかったし、したくもなかった。
朝起きたら何故か自分は身体が縮んでいたが、日常の行動に支障が出る程ではなかった。
それなのに美鈴は咲夜に抱き抱えられた状態で主人であるレミリアの部屋まで連れて行かれ、
あまつさえ、そのまま咲夜の腕の中にいるままで主人の前にいるという前代未聞の状態にいた。
レミリアも咲夜に抱えられた美鈴の姿を見て大変驚き放心して何も言えなくなっていた。
「腕に抱いているのは誰なのかしら、咲夜?」
しかし黙っていては何も始まらないと考えたのか、突然レミリアは咲夜に現状を尋ねた。
「私と美鈴の子ですわ」
咲夜の一言で再び長い沈黙がその場を支配した。
「そっ、そう……今までよく私に気付かれないで、そこまで育てられたわね……?」
「時間を操れる私には造作もない事です」
咲夜はさも当然だと言わんばかりに主人の質問に応える。
レミリアは頭を抱えながら更なる質問を続ける。
「そっ、そうだったわ。ところで名前はなんていうの?」
「悪魔を相手に愛するわが子の真名を話す親はいませんよ、お嬢様」
咲夜に抱かれたままの美鈴は本格的に頭が痛くなってきた。
どうやらそれはレミリアも同じようで先程に比べより深く頭を抱えている。
「あなたの言う通りね……悪魔に真名を教えるものじゃないわ」
「ご理解頂き光栄ですわ、お嬢様」
このままでは埒が明かないなと、判断した美鈴が遅れながらも口を開こうとした。
「!!!!!!!」
しかし、すかさず咲夜がその口に自分の指を差し入れて美鈴を話せなくしてしまった。
「んんんんんっ?!」
「こら、おいたはしないの!」
まるで本当の自分の子を躾けるように咲夜は美鈴を叱るふりをする。
そんな二人のやり取りを見てレミリアはとうとう我慢出来なくなったのか
「私が悪かったわ、咲夜。今後はあなたの待遇を考える。だからお願い、元に戻って頂戴」
後半に至っては泣いてしまうような勢いで、突然レミリアが謝罪をしてきた。
どうやら咲夜が日々の激務のために、おかしくなってしまったと勘違いしているようだ。
自分の主人が本気で懇願している姿を目の当たりにしたため、
流石に咲夜も美鈴の口から指を抜き取り、美鈴に現状を説明させた。
「……というわけなんです」
「そうだったの、私はてっきり……」
美鈴の説明により胸を撫で下ろしたレミリアだが未だに疑問は尽かなかった。
何故美鈴の身体がこうも縮んでしまったのか原因がわからないのである。
美鈴本人にもわからないらしく、心当たりすら全くないという。
「私にはどうしようも出来ないわね。だけどパチェなら何か出来るかもしれない。
ずっと図書館に籠って本ばかり読んでいるし。だから図書館まで行ってみなさいな」
「あと美鈴は元に戻るか、戻る「めど」が立つまで館内で働きなさい。
その姿では門番は務まらないわ。それに文屋に騒がれたくないからね。
咲夜、美鈴の事だから仕事の内容に関しては問題ないと思うけど、世話をして上げなさい。
見たところ霊力はともかく、腕力をはじめ体力も減退しているみたいだし」
レミリアは合理的な今後の方針を定めて、美鈴と咲夜へそれを指示した。
平時は我儘なところのあるレミリアだが、いざとなれば上に立つ者の行いをとれるのだ。
そんなレミリアの威厳溢れる姿を目にして美鈴は感動を隠せなかった。
「それはそうとして一度私にも抱かせてくれない?美鈴とはかなり長い付き合いなのだけど、
私より小さかった時期なんて無かったから、その姿は私としても凄く新鮮なのよ。
それにほら、私の妹って反抗期でしょ?だから抱いてやるなんて出来ないのよ。
あの子とは背丈もあまり変わらないし。だから…ね?一度だけでいいから抱かせてくれない?
「本当に抱かせてくれるの?! あぁ凄く懐かしいわ、この感触。昔、生まれて間もないフランを
こうやって抱いたなぁ。今では立派な刎ねっ返りになってしまったけど。
その頃は天使みたいに凄く可愛い子だったのよ。いや、天使なんてものではなかったわ。
そうよね?美鈴。あなたも当時のフランを知っているわよね」
~~~省略~~~
「あら、もう行かなくてはだめなの? ちゃんとまた来るのよ?美鈴」
レミリアは美鈴の抱き心地と昔話を小一時間程堪能してから、美鈴を解放した。
解放と言っても抱かれる相手がレミリアから咲夜に戻っただけである。
依然として美鈴は地に足が着かない状態にあるのである。
再び美鈴を腕に抱え咲夜がレミリアの部屋から退室しようとした時である。
ノックもなく突然部屋の扉が乱暴に勢いよく開け放たれたのである。
紅魔館内でレミリアに対してこの様な所業をする者は一人しかいない。
レミリアの妹、フランドールただ一人だけである。
「フラン、扉の開け方がおかしかったわよ、前に正しいやり方は教えたわよね?」
「おはよう、お姉様。あれ、咲夜じゃないの、どうしたの、こんな所でさ?」
レミリアのお説教なんてどこ吹く風だと言わんばかりに聞き流し。
軽く挨拶をすませると、フランの興味は咲夜の方に向かった。
いつもならこの時間は館内で働いている筈でここにはいないからだ。
「何を抱えているの、咲夜?」
「お早うございます、フランドール様」
咲夜よりも先に美鈴は、いつもの様にフランへ朝の挨拶をした。
「へっ、美鈴じゃ…ない?小さい…?」
フランはそれだけ口にすると固まってしまったが、しばらくするとわなわな震えはじめ。
「美鈴の不潔ッ―――!!」
そう言い残しどこかへ走って行ってしまった。
突然のことに美鈴はきょとんとしてしまう。
それを見かねたレミリアが遠慮がちに口を開く。
「あの子おそらく、あなたを探しに行ったわよ?」
「どうしてですか?お嬢様。私はここにいますよ?」
主人の言葉を咲夜が続けた。
「妹様は今のあなたを私達の子供だと勘違いなさったのよ。あなたそっくりな幼子を
私が抱いているのよ? お嬢様ですら戸惑ったのだから、妹様が勘違いしてもおかしくないわ」
「なるほど……って、それまずくないですか?!」
「あの子、変に純情なところあるから、見つかったらただではすまないと思うわ」
「そっ、そんなぁ……」
「いいじゃない今回の件を乗り越えられれば、本当に子供が出来た時、妹様に許して貰えるのよ?
考えようによっては絶好の機会とも言えるわ」
レミリアにも美鈴にも咲夜の乙女な妄想に付き合う程の精神力は既になかったので、
それを適当に受け流した後にレミリアはフランの捜索に向かい、
美鈴は図書館へ向かうよう自分を抱いて、拘束している咲夜に懇願した。
※※※※※
図書館までの道のりがこれ程までに長く感じた事は、今まで美鈴にはなかった。
咲夜の腕に抱き抱えられているためか、廊下で擦れ違う妖精メイドや門番隊の
部下達の目線というか反応が酷かったのである。酷いと言っても彼女らの言葉は
誹りや中傷ではなく、どれもが二人への祝福の言葉だった。その言葉に対して
咲夜は有難う、幸せになるわと一点張りで何も反論をしないのだから始末に負えない。
相手が咲夜なのだから嫌ではない。しかしここまで他の者に公開されるのは困る。
そう美鈴が考えているのを感じとったのだろうか、咲夜の美鈴を抱き抱える力が
ほんの少しだが強くなった。気配りは出来るのになぁ…美鈴は少し嬉しく感じた。
図書館の主パチュリーは小さくなった美鈴の姿を見ても眉一つ動かさなかった。
それとは逆に彼女の使い魔である小悪魔は驚きのあまり失神してしまった。
「パチュリー様は驚かられないんですね」
「そうね、長い事生きているから少しの事では動じないわ」
流石は紅魔館の頭脳である。長い年月の間に図書館にある数々の魔導書を読み漁り、
そこに納められている先達の知恵を吸収し、自らの知識として活用しているだけの事はある。
きっとこのパチュリーなら自分の身体の事も、何か分かるかもしれない。いやもしかすると
すぐさま解決してくれる可能性だって彼女にはあるではないかと、美鈴は胸を躍らせた。
「それで、どちらが生んだのかしら?」
確かにどちらが出産したかはかなり重要な点である。出産後に体質が変わってしまい、
出産前に比べて病気になりやすくなったり、食べられない物が増えたりする例は古今問わずに
存在する事を美鈴も知っている。まずはそこのところを聞いてくるあたりパチュリーは本当に
賢明な人物なのだと再認識する――あれ、何かおかしい事ありませんか?
「私ですわ、パチュリー様」
何を考えているのか美鈴には分からないが咲夜が即答した。
「そうでしょうね。人間であるあなたが妖怪の美鈴を孕……」
「待って下さい!誤解です、パチュリー様!!」
美鈴は慌てて二人の会話に割り込んだ。このまま二人を放置しておけば取り返しの
つかない事になりかねなかったからだ。しかし当の本人達はそんな美鈴を見て笑っていた。
「冗談よ、美鈴。私は毎日咲夜に紅茶を淹れてもらっているのよ?もしそんな事があったら流石に変だと気付くわ」
「あら、残念ですわ。パチュリー様。この際、既成事実を作っておこうと思いましたのに」
美鈴は咲夜が何を考えているのか分からなくなってきた。
「そうね、見たところ魔術的な要因ではないみたい。食欲はあるのかしら、美鈴?」
「……ありますね、凄く」
「じゃあ、他に心当たりは全くないのね?」
「はい、ありませんよ」
一通りの説明を美鈴から聞いたパチュリーは早速原因を解析し始めた。
しかし、これといって外的な要因を一つも見つけられなかったパチュリーはある仮説を立てた。
「もしかしたら、種族としての生理現象かもしれないわ。あなた達、不死鳥の事は知っているかしら?
言っておくけど、迷いの竹林に住んでいる蓬莱人の事ではないわよ?不死鳥は死が近づくと、
自ら火の中に突っ込んで焼身自殺を図るの。そして、自分の遺灰の中から幼い姿で現れるという
伝説がある」
「今回の美鈴の身体に起きた事もそれに近い現象なのではないかしら。本人としてはそこのところどう思う、美鈴?」
「『生理現象』というのは考えられなくもない要因だとは思います。ですが流石にそれはないと思います。私は自分の種族が何なのか自分でもよく分かりませんが、少なくとも不老でもなければ、不死でもありませんから」
「そうよね、もしかしたらと思って私も言ってみただけよ。どちらにしろ、私にはどうしようもない
案外、数日後には元に戻れるかもしれないわよ」
そう言い終わるとパチュリーは側で倒れたままになっている小悪魔を起こした。
そしてパチュリーが読書を再開する構えを見せたので美鈴達も図書館を出る事にした。
紅魔館の生き字引であるパチュリーでさえ、美鈴の身体に起きた異変を解決出来なかった。
そうなると、他に可能性があるとすれば永遠亭の薬師か八雲の隙間妖怪くらいである。
前者はともかく、後者の方はあまりにも胡散臭いので極力は頼りたくはない。どちらにしろ、
外部の者に知られてたくはなかった。文屋に美鈴の情報が漏れる可能性があるからだ。
『衝撃!紅魔館のメイド長と門番長の隠し子発覚!! ……か?』
こんな見出しで新聞を刷られてしまい幻想卿中にばら撒かれる事は想像に難くない。
もしそうなれば、一日もしないうちに良からぬ噂が幻想卿中を席捲する事になるだろう。
それだけは何としてでも阻止しなければならない。もしそうなると恥ずかしくて死んでしまう。
この事に関しては咲夜も同意見なようで、深刻な顔をして次の策を練っているようだった。
咲夜とて館内で騒がれる分には楽しめるが、外部者にまで同じ様に騒がれるのは嫌なのである。
※※※※※
「お嬢様には内勤に勤めろとご命令されたのだけど、どうしたものかしら」
図書館から出て、咲夜と美鈴の今二人は咲夜の部屋にいた。遅くはなったが朝食のためである。
いつもなら屋敷内にある食堂で食べるのだが食事中にまで騒がれるのもなんなので、急遽場所を
変更したのである。部屋に戻ると咲夜は簡単な朝食を作り、美鈴と食べながら今後の方針について
言葉を交わした。それにより決定した事は、当分の間は様子を見るという消極的なものになった。
しかしその様子を見る間、美鈴は門番の代わりに内勤に就かなければならないのだが、
今の美鈴の背丈や体力では満足に働けないのではという確信が咲夜にはあった。
咲夜自身まだ幼い頃から紅魔館の内勤に従事していたので、その厳しさは身に染みている。
当時のメイド長だった美鈴の助けがなければ、とうの昔に潰れてしまっていただろう。
それ程までに体を酷使するのだ。しかし、今の美鈴は実年齢にしていくらになるのかは
分からないが見た目は当時の咲夜よりもかなり幼い。
もちろん自分もかつてして貰ったように美鈴を助けるつもりなのだが、
果たして美鈴は大丈夫なのだろうか咲夜は非常に心配であると同時に、果たして自分は当時の
美鈴がしてくれた様に彼女を助けられるのだろうかと不安があった。
咲夜が今まで紅魔館にいられ続けた理由の一つに美鈴に追い付きたいという目標があった。
追い付くといっても、単に背丈や能力だけの事ではない。
美鈴みたいに他者を支えられる人間になりたかったのだ。
その目標へ向かい努力を怠らなかったため咲夜は人間でありながらメイド長までになれたのだ。
加えてもう一つ問題があった。美鈴の服装についてだ。
現在美鈴は大陸風の服を着ているが、内勤に就くにあたってその服装では目立ち過ぎる。
かといって今の美鈴が着られる様な大きさのメイド服がどこにも無いのだ。
咲夜が最初に受給されたものですら、今の美鈴には大き過ぎるだろう。
寸法を合わせようとしたものの大陸風の服に比べてかなり複雑な構造をしており、
流石の咲夜にも手が出せない。そのため咲夜はレミリアに会って私服のまま仕事に従事する許可を
求めようとしたが、未だフランドールの後を追いかけたまま部屋に戻っていなかった。
おそらく今頃は姉妹で仲良くやっている事だろう。
そこに水を注すわけにもいかないので、一度自室に退却する事にして今に至る。
(気丈に振舞っていても、やはり不安なのね)
パチュリーの質問に対して食欲はあると答えていたのにも関わらず、美鈴の食は細かった。
周りに心配を掛けないように元気に振舞っていても、やはり自分の身体が不安なのだろう。
いつもなら本当に美味しそうに、そしてとても早いペースで料理を食べるのに、
目の前にいる美鈴はゆっくりと時間をかけて咲夜の作った朝食を食べている。
表情も何だか暗い様に感じる。
咲夜はそんな落ち込んだ美鈴を見たくなく、美鈴にはいつも笑っていて欲しかった。
咲夜は自分のこの考えを美鈴への我儘、甘えだと自分で強く感じる事がある。
相手に対して特定の感情を持つ事を少なからず要求しているからだ。
しかし、それを踏まえた上で咲夜は美鈴にはいつも笑顔でいて欲しいのだ。
「美鈴。はい、あ~んして」
「恥ずかしいですよ、咲夜さん……」
暗かった美鈴の顔が少し明るくなる。
笑顔も好きだが、照れて頬を染めた美鈴の顔も咲夜は同じくらいに好きだった。
「誰も見ていないし、いいじゃない」
「う、分かりましたよ……」
下手に拒み続けると後が怖い事を、美鈴は経験を通して知っているので素直に口を開ける。
しかし本当に恥ずかしいみたいで、美鈴は口とは逆に目は閉じてしまった。
この機会を逃す程咲夜は甘くはなかった。
咲夜は気付かれない様にそっと体ごと美鈴に近づいていき、自分の唇を美鈴の唇へと重ねた。
しかも美鈴が口を開けているのをいい事に、より積極的な口付けをためした。
流石に美鈴も変に思い、咲夜の思惑に気付いたが既に遅かった。
「んんんんん?!」
美鈴は必死に抵抗を試みるが力が上手く入らず、咲夜の思うところとなってしまう。
美鈴の口は思っていた以上に小さく、咲夜が完食するまでにそう時間はかからない。
「んっ、さ…咲夜さん…いきなり何を?!」
「んっ、ご馳走様。美鈴、とても美味しかったわ」
慌てふためく美鈴の姿をしりめに、咲夜は随分と美鈴を堪能出来たらしく、
満足げな様子で美鈴へのお礼を口にした。
そんな咲夜に美鈴はしばし呆然としていたが気を立て直して。
「なっ…何て事をするんですか?! わ…私がどんなに…いきなりだなんて卑怯ですよ!?
これじゃまるで暴行ですよ!? もう二度とはこんなことしないで下さい!!」
美鈴は咲夜に本気で怒りを露わにした。
それは長年の付き合いである咲夜でさえ、初めて見る荒れ具合だった。
その形相に咲夜は、やはり自分は美鈴の優しさに甘えていると再認識すると同時に、
自らの軽率さに深く後悔した。
「本当にごめんなさい、美鈴。つい出来心でやってしまったの。今は反省している」
膝をつき美鈴に赦しを乞う咲夜の目には自然と大粒の涙が浮び、頬を流れ落ちた。
「……すみません、私も言い過ぎましたそれに咲夜さんは私を元気づけようとしてくれたんですよね?
咲夜さんのその気持ちは十分に伝わってきましたよ。だから咲夜さんもそんなに泣かないで下さい。
だけどお願いですから、もうこんな事は絶対にしないで下さい」
咲夜の真剣に謝る姿に、美鈴も矛を収めて優しく慰めた。そして最後にこう付け足した。
「何かしたい時は前もって言って下さい。私だって咲夜さんとは、もっと仲良くなりたいんですから。よっぽどの事でなければ大丈夫ですから」
そう言い終わると、美鈴は膝をついたままでいる咲夜の額に軽く口をつけた。
※※※※※
部屋での一騒動の後、咲夜は再びレミリアの元へ向かってみたところ、
レミリアは部屋に戻っていたので、そのまま会い美鈴の服装に関しての許可を取り付ける事に成功した。
その代わりにレミリアは仕事の空いた時間に美鈴を自分の所に来させるように咲夜に命令した。
咲夜は不思議に思いその理由を尋ねたが、レミリアはお茶を濁すだけだった。
おそらく、もう一度小さくなった美鈴の抱き心地を楽しみたいのだろう。
それならお茶を濁す理由も分かるには分かる。
その旨を自室に戻り美鈴に伝えたところ概ねの同意をしてくれた。
「さて、何をして貰いましょうか。
「少し前までは内勤でしたし、大概の作業は分かりますよ?ですから何でもこいです」
と美鈴は勇んでいるが、やはり咲夜には不安が残ったので、自分の側で働いて貰う事にした。
具体的には館内の掃除とレミリア達の食事やお茶の用意である。
通常はこの他にも事務的な仕事もあるのだが、それは咲夜一人でも空いた時間に十分出来る。
だから、その時間にでもレミリアの部屋に行くように美鈴に対し指示をした。
元メイド長だけあって美鈴は咲夜の側でてきぱきと働き、掃除も食事の準備もそつなくこなした。
ただ、体の大きさの関係上どうしても多めに時間は掛ってしまうし、
場合によっては手が届かないとか、重くて運べないとかやきもきする場面も多かったが、
咲夜がその度にそっと助ける事でその日の作業は滞りなく進んだ。
作業中に美鈴がやきもきしている場面を、咲夜が愛おしそうな目で眺めている光景を
多くの妖精メイド達が目撃したが、何も問題はなかった。
また、作業の途中に美鈴がレミリアの部屋に向かって行くのを咲夜が寂しそうに見送る光景も
多くの妖精メイドが目撃しているが、これも問題なかった。
レミリアの部屋から戻って来た美鈴を見て歓喜している光景すら目撃されたが、大して問題はなかった。
その晩、美鈴は自室で寝たいと主張するも咲夜の必死過ぎる懇願によって、
変な事は一切しないという条件の下咲夜の部屋で一緒に眠る事になった。
変な事の境界線を巡って二人の間でそれは激しい議論が繰り広げられた。
その結果「抱き締める」、もしくは「頬に軽く口付けする」までが合法で、
咲夜がもし違反した場合は即美鈴は自室に戻り、咲夜は一人で眠るという形で落ち着いた。
朝の事もありい咲夜の邪な考えが少なかったためになんとか成立した決めごとであった。
実際、議論の後に二人は大浴場ではなく咲夜の部屋で一緒に入浴したのだが、
咲夜は美鈴の髪と背中を流すのを手伝っただけで本当に妙な事はしなかったし、
入浴後は美鈴の長い髪を乾かしてあげただけだった。
そして少し会話を楽しんだ後は寝るために二人ともベッドにはいって、
咲夜が幼い頃に美鈴にして貰った様に小さくなってしまった彼女を優しく抱き締めて
そのまま眠りにつく事になった。
しかし、二人ともなかなか寝ようとはせずに、思い出話を布団の中でも続けたのだった。
次の日の朝咲夜が目を覚ました時、美鈴はまだ夢の中にいるようで咲夜の腕の中ですやすやと
可愛い寝息を立てていた。咲夜は起こしては悪いと感じながらも美鈴の頭を撫でるほか、髪を
手櫛でといてみたりをしていた。これもまた昔、美鈴に咲夜がして貰っていた触れ合い方だった。
「くすぐったいですよ、咲夜さん」
寝ている筈の美鈴が咲夜に声を掛けてきた。
「あなたいつから起きていたの? 狸寝入りなんてずるいわね」
咲夜は驚きながら美鈴に聞いた。
「咲夜さんが私を撫でてくれてから直ぐです。気持ちよかったので止めて欲しくなかったんです。
少し前までは私が小さかった咲夜さんにしていましたよね? もう少し味わいたかったです」
そう言い終わると美鈴は改まって咲夜に挨拶をした。
「おはよう御座います、咲夜さん」
※※※※※
その後数日が経ったが一向に美鈴の身体は元に戻らずにいた。
変わった事と言えばフランドールの誤解が解けた事と、レミリアが美鈴を部屋に招くようになった。
そして日に日に美鈴の食が細くなっていき、それに伴って体力も減退して、
ついには職務中に咲夜の目の前で美鈴は倒れてしまった事である。
幸いなことに咲夜が完全に崩れ落ちる前に受け止めたので怪我はしなかったのだが、
美鈴はかなり衰弱しており、咲夜は大慌てで図書館まで美鈴を抱いて連れて行った。
「まだ戻っていなかったの?! 信じられないわ……」
数日ぶりに会ったパチュリーは美鈴の姿を見て心底驚いた。
数日もすれば元に戻ると思っていたからだ。
そんなパチュリーに泣きそうな顔で咲夜は美鈴の容態について聞いた。
「あまりよくないわね。レミィをここに連れて来てくれる?この事を話してくれれば、
きっと状況を理解してくれるから」
そうパチュリーが言い終わるや否や咲夜は時間を止めてレミリアの元へ向かった。
「お嬢様大変です、美鈴が!」
「少し落ち着きなさい、咲夜。落ち着きのない従者を雇った覚えはないわよ?」
血相を変えて部屋に入ってきた咲夜をレミリアは冷静に諭した。
「その様子だと美鈴が危ないのね? 今から、私はパチェ達のところへ行くわ
あなたは自室で待機……いえ休んでいなさい」
「何故です?! 私も図書館へ行きます!」
「駄目よ、咲夜。あなたは自室にいなさい」。
「お嬢様!!」
「主人に逆らう気かしら? 主人に噛みついた猟犬がどうなるか、あなた、知らないわけはないわよね?」
レミリアは最後の警告を言い放った。
これ以上喰い下がれば咲夜の命とて保証はされない。
彼女の教育係だった美鈴にも何かしらの罰が与えられてしまうだろう。
だから咲夜は自分の意思を無理やりにでも砕かざるをえなかった。
「大変な失礼を致しました。どうか、お赦し下さい……」
咲夜は泣くのを堪えながらレミリアにと謝罪の言葉を述べた。
その姿を不憫に思ったのかレミリアは咲夜を慰める。
「揃いも揃って頑固な従者ばかりだわ。美鈴の方も再三の忠告を聞かなかったし。
まぁ、意地が無いのに比べれば大分ましね。……私が責任を持って美鈴を助けてあげるから、
大切な従者達をみすみす悲しませる様な事にはさせないわ。それまであなたは休んでおきなさい。
この理由はそうね……美鈴本人からして貰いなさいな」
そう言い残してから図書館へと向かって行った。
※※※※※
レミリアの部屋に一人残された咲夜は落ち込んだまま退室し、命令通り自室へと戻った。
咲夜は自室へ戻ると机に突っ伏して何をするでもなく、自分の不甲斐なさを呪った。
美鈴はずっと体調が悪い事を隠していたのだ。
理由は言うまでも無く咲夜に心配を掛けたくなかったからだ。
咲夜は美鈴が単に身体が縮んだ事で困惑し、元気がないだけだと思い込み、気付けなかったのである。
そのため美鈴は体調が悪いまま働く事になり、更に体調を崩してしまい、
とうとう倒れてしまったのだと咲夜は考えた。
それだけではない。咲夜は美鈴の体調不良に気が付かず、美鈴にじゃれついてしまった
自分のあさはかさをも悔やんだ。
(毎度の事ながら、こんな自分が嫌になるわ……)
この数日だけで何回美鈴に怒られたのだろうか……
そんな後ろ向きの考えが咲夜の頭を支配しようとしたのだが、
咲夜は何とか自己嫌悪と言う名の自己陶酔から抜け出し、現状を再確認するついでに、
色々と先程の主人たちの言動について考え始めた。
(お嬢様達は何か知っているようだった。前に話した時には何も言ってくれなかったのに……
まるで私だけのけ者にされたみたいで嫌だわ……)
(それにしても何故美鈴はああなったのだろう?話の流れとして「病気」だとか
「魔術」によるものではないみたい……)
思考を集中して考え始めると今、今まで言葉の「あや」として大して気にしていなかった
様々な彼女らの言葉に疑問が次々と浮かんできた。
また、美鈴の過剰とも言えた咲夜の悪戯に対する激しい抗議など今回の事件の前後には
不自然なところが多々存在した。
例えばさきほど、倒れた美鈴を図書館へ連れて行った際のパチュリーの第一声である。
「まだ『戻って』いなかったの?!」や微妙にずれた不死鳥伝説の説明。
レミリアの不可思議な再三にわたる美鈴の呼び出し等である。
おそらく記憶を辿り続ければもっと多くの不審な点が見つかるだろう。
咲夜はレミリア達を事件の元凶とは思わないものの、全てを把握していると確信し始めた。
(おそらくお嬢様達はこの一件の総てを知っておられる。そうでないと、あそこまで自信を持って
「助ける」とは言わないだろうし。と言うよりは美鈴本人も原因を実は知っていたのでは……)
(もしそうなら美鈴が助かる可能性は高いという事になる。私は蚊帳の外みたいだけど、
美鈴が元気になればそれでいいわ)
そこまで考えたところで咲夜は考え疲れて眠ってしまった。
――起きて下さい、咲夜ちゃん。
――そんな恰好で寝ていると風邪をひきますよ?
机に伏せたまま眠ってしまった咲夜を呼ぶ声は美鈴のものだった。
――美鈴?ごめん、少し眠っていたわ。
その声を聞いて咲夜は顔を上げて、声のした方を向いた。
そこにはメイド服を着て食事をしている美鈴の姿があった。
どうやら二人は食堂で夕餉を楽しんでいるようだった。
――食事中にいきなり寝ちゃうとは、
――咲夜ちゃん、今日は疲れているみたいですね。
――ふふ、お部屋まで一人で戻れますか?
――からかわないで、美鈴。
――ちゃんと一人で戻れるわ。
――それに今日は美鈴の部屋に行く日だもの、
――最悪、美鈴が抱っこして連れて行って頂戴。
――そう言えば今日は咲夜ちゃんが来る日でしたね。
――失念していました。
――咲夜ちゃん、少し悪いんだけど来るのは明日にしてくれない?
――今日はちょっと用事が出来ちゃったから、晩に出ないといけないの。
――えっー、楽しみにしていたのに…
――用事が終わるまで美鈴の部屋で待っていてもダメ?
――そんなに大切な用事なの?
――うーん、私も咲夜ちゃんとは一緒にいたいのだけど、
――今日ばかりは我慢してくれるかな?お願い。
――凄く大切な用事があるの。
――その代わり明日はうーんと遊んであげるから。ねっ?
――…分かったよ、美鈴。
――だけど明日はいっぱい遊んでね?約束だよ?
――うん、約束する。
そう言って美鈴は咲夜の頭を撫でた。
(夢……?)
目が覚めた咲夜は周りを見回したが、食堂ではなく自分の部屋だった。
考え疲れて眠ってしまったのだろう既に日は落ちていた、それにしても懐かしい光景だった。
おそらく、先程の光景は美鈴がメイド服を着ていたし、まだ彼女がメイド長だった頃のものだ。
あの日は美鈴が初めて咲夜と遊ぶ予定を変更し、どこかに行ってしまった時だった。
ここ数年前まで、美鈴は極稀だが咲夜に行方を教えずにどこかに行く事があった。
本当に極稀だったし、次の日の昼には戻ってきたし、ここ数年はそんな事も無かったので
咲夜は美鈴のかつての奇行をすっかり忘れていたのだ。
(あの頃が一番美鈴と一緒にいた気がする)
咲夜は机に身体をあずけ、目を閉じたままで昔を思い返し始めた。
(毎日、一緒に朝ご飯を食べて、美鈴に仕事を教えて貰った。
その後は、一緒にお昼を食べてから、午後は簡単な勉強をして
夕飯まではまた仕事を学ぶ事もあれば、遊ぶ事もあった。
夕飯後は私か美鈴の部屋遊んで、そのまま眠る)
かなり単調な日々の繰り返しだったが、咲夜には十分楽しかったし今も不満はない。
過去に何も問題がなかったわけではないが、現在はこれといって大きな問題はない。
これからも自分は紅魔館のこの単調で平和な日々を送るのだろうと咲夜は考えている。
元々が魑魅魍魎のひしめく悪魔の館だけあって時の流れが人間達のものより大分遅く、
小さな変化はともかく、大きな変化は人間の感覚では分からないくらい緩慢なのだ。
おそらく咲夜が生きている間は、紅魔館は何も変わらずに平常運航されていくだろう。
数年前までなら自身の命の短さに嘆いただろうが、今ではそれを受け入れられている。
人間として生まれ、ここ紅魔館で生活している事が一番なのだ。
下手に妖怪として生まれて、野に生きるよりも遥かに幸運である。
このままいけば自分は幸せに包まれたまま天命を全うする事が出来る。
咲夜はそう肯定的に将来を感じられるくらいに成長していた。
簡単に言えば、今現在の咲夜は幸福なのである。
咲夜が思いふけっていると、誰かの足音が自室に近づいている事に不意に気が付いた。
その小さな足音を聞き、咲夜は無言のまま椅子から立ち上がり部屋の扉を開けた。
「おかえりなさい、美鈴」
※※※※※
「……ただいま、咲夜さん」
突然扉が開き、咲夜に声を掛けられたので美鈴は少しだけ驚いた。その姿は元の背丈に戻っていた。
咲夜は美鈴を部屋に入れたあと、お茶を用意してから美鈴に話しかけた。
「元の姿に無事戻れたみたいね」
「はい、おかげ様で。心配かけました」
そう応えた美鈴の表情はまだどことなく暗かった。
何があったのだろうか疑問に思った咲夜は、事の顛末を早速だが美鈴に尋ねてみる事にした。
「どうやって元に戻れたの? 結局、原因はなんだったの?」
「えっと……言わないとダメでしょうか……?」
「美鈴」
「咲夜さんの気分を害してしまうかもしれませんよ?」
「別に構わないわ、このまま有耶無耶にしないで」
「わかりました…、全部話します」
そう言うと美鈴は重い口を開けて今回の事件の全容を咲夜に話し始めた。
「私が妖怪なのは知っていますよね?実は…そこまで頻度は高くないのですが、
私は人間を食べる必要が種族みたいなんです。
ですから、少し前までは偶に咲夜さんから隠れて食べていたのですが、
『あの日』からは、全然口にしていなかったんです。それで今回はああなったみたいです。
ですから…私が元に戻れたという事は……」
美鈴は一呼吸おいた後にゆっくりと言葉を続けた。
「私はつい先ほど人を食べたんですよ」
そう咲夜に言った美鈴の目は、薄らだが涙を湛えていた。
咲夜の疑問が少しだけ解けた。
何故美鈴が自分の悪戯に本気で怒ったのかが分かったのだ。
美鈴に怒られた咲夜の悪戯は全て「捕食」を喚起させるものだったからだ。
美鈴は咲夜を誤って食べないようにしていたのに、それに反する悪戯をしてしまっていたのだ。
また美鈴がどこかに行っていた理由もおそらくだが分かった。
あれは咲夜に隠れて人間を食べに行っていたのだろう。
そんな美鈴を咲夜は優しく抱き締めて慰めるように話した。
「そんな事、私は気にしないわよ?美鈴。あなたはそういう妖怪なのでしょ? 仕方ないわ」
「ですけど……」
「私はそこまで子供ではないのよ。目の前で食べられるのは困るけど、時々、影で食べるくらい気にならないわ」
「万が一私が衝動に負けてしまっていたら、咲夜さんに危害を加えた可能性もあったんですよ?
これから先も耐えられる保証はどこにもないんですよ……?」
「別に貴方になら食べられても構わないわ。ほら食べて御覧なさいな、美鈴」
「冗談でもそんな事は言わないで下さい。私は咲夜さんを失いたくないんですから……
ずっと咲夜さんの側にいたいんですから……」
「冗談なんかではないわ、私は本気よ?『食べる』って最高の愛情表現でもあると聞くわ。
食欲と情欲は通じあっているとも言うしね。貴方以外に食べられるのは絶対に遠慮したいけど、
もし貴方に食べられたのなら、私は最高に愛され、愛され尽された事になるわ。
貴方に愛されて死ぬのよ、最高のかたちでね。それって素敵じゃないかしら?」
そこまで言い終わり、咲夜は美鈴の背丈が戻ったので、見上げるように美鈴を見た。
美鈴は呆れた顔をして咲夜の事を少し上から見ていた。
「……咲夜さん、偶に無茶苦茶な事言いますよね?私は絶対に咲夜さんを食べたりしません。
そのためにもたまに隠れて人を食べますが、それでも赦してくれますか、咲夜さん……?」
「だから私は気にしないと言っているでしょう?」
「ありがとうございます……?なんか変ですね」
「そうね、少し変な感じのするやり取りだわ」
元々は咲夜が死に瀕した『あの日』の事件を端緒とする事だったのだ、
謝るのは自分の方のような気もしたが、美鈴はそんな事気にしていなだろうし、
また変な空気に戻るのも嫌なので咲夜は頭の隅へとその考えは追いやった。
「それでどうする?このまま寝ちゃう? 私としてはお風呂に入りたいのだけど」
「ここに来る前に一度臭いを消すために行きましたが、大浴場はまだ開いているのかな?」
「開いてなかったら、また部屋の浴室を使えばいいわ。貴方と一緒に入る事には変わらないし」
「大浴場はともかく、浴室で大人二人は流石に無理だと思いますよ……?」
「ふふ、昔みたいに私が貴方の上に乗ればいいのよ、簡単じゃない」
「少し前まではそうやっていましたね。今も出来るのかな……って、それ本気なんですか咲夜さん?!」
「ええ、私は本気よ?美鈴。今日も髪を流してあげるからね?」
「……了解です。大浴場開いているといいなぁ」
「そう言えば美鈴。貴方、あの服はどうしたの?」
「パチュリー様が臭いが残るのが嫌だったらしく、図書館から自室へと送られてから肉を
食べたんですが、食べている途中に結構な血が付いてしまって、それで……」
「捨てちゃったの?……って、もしかして生で食べたの?!」
「はい、お嬢様もパチュリー様も料理は苦手みたいで……」
「それは大変……だったわね……」
雑食性の動物の肉はよく焼く必要があると言うが、大丈夫なのだろうか。
と言うか話しの流れからすると「料理」があるみたいだが、不思議と興味が湧かない。
いくら料理が好きな咲夜とてその手の調理方法を学ぶのは、当たり前だが遠慮願いたいのだ。
それはそうと問題は服の方である、どうやら美鈴は捨ててしまったようである。
「あの服は是非手元に置いておきたかったのだけど、血だらけになったのなら仕方がないわね
私達の子供に着させたかったのに……絶対に似合った筈だわ」
「咲夜さんそのネタ大好きですね……」
「だから何度も言うように、私は本気なのだけど?」
「早くしないと本当に大浴場が閉まってしまいますよ」
一見すると咲夜をあしらっているようだが、美鈴の顔はとても赤くなっており、
それを見た咲夜は更なる攻勢へと出た。
「そう言えば、今貴方の部屋は生臭いのよね?」
「そうなりますね。正直かなりきついです」
「それなら、臭いが完全になくなるまでは、私の部屋で寝泊まりする事になるわね」
「えっ、なんでそうなるんですか……?」
「嫌かしら?」
「嫌ではないですけど…その代りに、前に決めた事はちゃんと守ってくださいよ?」
「あんなの改定するに決まっているじゃない。あれはあの状況だからこその決まりよ。
状況が変わったのだから、決めごとも変わる筈だわ、違うかしら?」
「うっ、分かりましたよ……」
とうとう観念した美鈴を見て咲夜は、晴れ晴れとした表情になった。
実際に美鈴をその気にさせるにはまだまだ時間がかかるだろうが…
でも美鈴可愛いからいいや
報告
私は人間を食べる必要が「ある」種族みたいなんです
誤字報告 幻想卿が二人いるぞーーーっ!
美鈴と咲夜のちょっとズレたやり取りは当然の如く面白く、レミさんもカリスマばりばりでやばかったッス。
それにしても丁寧な描写をしますね。それぞれのキャラの細かい挙動までイメージしやすかったです。
いやぁ、しかし美鈴もやっぱり妖怪なんですよね……ねぇ。