この作品は作品集96『始まりの人形を探し出せ!』の設定を継いだシリーズの一つとなっています。
お話自体は一話完結の形式なので、特に前作を読まなくても大丈夫です。
***
――撃鉄を起こす。構え。必中の意思を以って引き金を引く。繰り返すこと六度。迷うことなく、全弾を撃ち尽くす。そのつど鳴り響く銃声に辟易と親しみを感じつつ、銃を下ろす。
「ふむ……ワンホールショットですか。いつの間にこんなことができるようになってたのかしら」
穴が一つしかない的を見て、私の主人である依姫様は感心するように言った。
依姫様のペットである私は、他の仲間たちと行う訓練とは別に、こうして依姫様との個人訓練をする機会があった。仲間は一人訓練の時間が多い私に同情なんてしていたけど、私はこの時間は嫌いではなかった。むしろ好きだったといえるかもしれない。少しでも――強くなれるような気がしたから。
「そんな……私なんかまだまだですよ」
「それは勿論です」
謙遜した私に依姫様は厳しい表情でそう返した。褒められたと思ったのでちょっと残念だ。
「実戦では的は止まっていてくれないし、悠長に狙いを定める余裕もありません。訓練でできることが実戦でもできる
なんて思っていると、戦場においては致命的な隙となりえるわよ」
「……はい。心得ておきます」
しょんぼりとうなだれながら、涙目になりそうになるのをなんとかこらえる。
私もちょっとは強くなったと思ったのにな……。
「でも――」
そこで言葉を切った依姫様の顔をちらっとうかがうと、依姫様は不意にふっ、とその表情を和らげ、
「腕を上げたわね、レイセン」
その言葉にバッと顔を上げる。褒めてくれた……?
「確かにまだまだ未熟で頼りないけど、出会ったころに比べれば確実に成長しているわ。それもこれも、あなたが今まで 厳しい訓練に耐えて努力した賜物よ」
他の兎もあなたくらい真面目なら楽なのだけど――そう言いながらため息をついた依姫様の姿は、視界が滲んであまり見えなかった。こらえていた涙は、依姫様の言葉にあっさりと流れ出てしまった。
「あらあら、また泣いちゃったの? もう、本当に頼りないわね」
「ぅっ……えぅ……すい、ません……でも」
ゴシゴシと袖で涙を拭く。我ながら情けないと思うが、だってしょうがないじゃないか。
「なんだか、初めて認めてもらえたような気がして……」
「……そんなに褒めてなかったかしら、私」
そう漏らして、バツの悪そうな顔をしながら頬を掻く。こんな顔をする依姫様は珍しい。なんだか貴重なものが見れた気がして、私はついふき出してしまった。
「まったく、泣きやんだそばからもう笑うとは。鴉でもなかなかこうはいかないわよ?」
私をジトリと睨みながら、呆れたようにそう言った依姫様は、それでもどこか嬉しそうだった。そして、
「レイセン」
表情にいつもの厳格さを取り戻しながら私に呼びかけた。私も自然と居ずまいを正す。
「繰り返しますが、あなたは未熟です。それはあなたが一番よくわかってますね?」
「……はい」
「ですが着実に前へ進んでもいます。あなたが強くなろうという意思を捨てずに走り続けたのなら――あなたが思い描く理想の自分へと至ることだってできる」
私が思い描く、理想の自分。それは――
「たとえ無様に転ぼうとも、道に迷ったとしても、諦めずに立ち上がって、走ってみなさい。それが――強く生きると
いうことです」
そして依姫様は、それこそ滅多に見れない優しげな表情で、私に微笑みかけた。そうだ、私は――
「依姫様」
銃口を上に向け、面前に構える。
「私、強くなってみせます。今は頼りないかもしれないけど、仲間を、豊姫様を――依姫様を守れるくらい、強くなってみせます。この、依姫様に頂いた銃に誓って」
一歩後ろに下がる。シリンダーにこめるのは、弾丸と、そして私を形作る何か。それが全部空に届くよう、引き金を引いた。銃声の残響音が、私と依姫様の間に広がっていく。私の一挙手一投足を瞬きもせずに見守ってくれていた依姫様は、私の姿に満足げに頷いてくれた。
「ええ、楽しみに待っているわ。レイセン」
そう、この誓いは、決して嘘なんかじゃなかった。心の底から、そうありたいと願った。
それなのに私は、私は――
***
「毎度あり。もう失くすんじゃないよ」
頭を下げてお礼をするおじいさんに見送られ、私は人里を後にする。
山の木々が色鮮やかな紅葉をつけ、秋を司る姉妹神が、最高にハイになってはしゃぐあまり紅白の巫女にしばかれるという、神と巫女の関係諸々を考え直さざるを得ない出来事があったりもした中秋の季節に、私はちょっとした商売を始めた。神様でもなんでもない妖怪ネズミである私に、人間が頭を下げるのも、それが理由である。それにしても、
「うーん。あそこまで感謝されるとは」
私が気まぐれに始めた商売は、もしかしたら意外と需要があるのかもしれない。
「ただいま帰ったよ」
命蓮寺に戻り、居間に入る。と、中では一人の妖怪がお茶を飲んでいた。
「ああ、おかえりナズーリン」
紺色の頭巾に白がベースの染衣という尼を思わせる風貌、そして頑固親父のごとき入道を侍らせる彼女は、
「一輪に雲山、君たちだけかい?」
「ん。他のみんなはまだ帰ってないわね」
雲居一輪。命蓮寺の住人の一人であり、命蓮寺きっての武道派でもある彼女は入道である雲山とともに、この寺の秩序を司っている。もっとも、平穏な日々が流れる今となってはそのお役はあまり果たされてはいないのだが。
「んで、また『お仕事』だったの?」
「ああ、まあ仕事というほどのものでもないがね」
「へー、ほー、ふーん」
気の無い返事をもらし、頬杖をついてお茶を飲みながらジト目で私を見る一輪。尼にあるまじき行儀の悪さである。
こいつは普段はピシッとしていかにも真面目な尼といった風なのだが、私と二人でいると割とこんな感じでだらけたような姿を見せるのだ。これが素というよりは、締めるところは締め、抜くところは抜くというように、オンとオフの切り替えが上手いのだろう。つまり私は、だらけた姿を見せてもいい相手というわけだ。私の方も彼女を「こいつ」呼ばわりしていることからもわかるように、一輪は下っ端たる私が、命蓮寺の住民の中で最も対等でフランクな関係を築いている人物といえよう。まあ私と一輪の関係はさておき、
「……もしかしなくても何か言いたげだね」
「いやいや。別にあのクールで生意気で皮肉屋なネズミが、世のため人のためってどういう吹き回しだ、なんてまったく思ってないわよ。雲山がそう言ってるだけで」
少しはホンネを隠したらどうだろうか。そしてさらっと他人に罪をなすりつけるあたり性質が悪い。雲山も急に自分に
フラれて驚いているではないか。まあ私に毒を吐くのはいつものことなので気にはしないが。
「私も一応世のため人のためがモットー、命蓮寺の一員だよ。お忘れかい?」
「だってあんた、義務は果たすけど、自分から動くってことはなかったじゃない。それこそ命蓮寺のみんなのためでもない限り。そんなあんたがいきなり探し屋を始めるだなんて、そりゃ驚きもするわよ」
そう。私が始めた商売とは、探し屋である。私が先日関わった出来事をきっかけとして、命蓮寺の業務とは別に、私が個人的に開業したのである。何をするかは字面から予想できるだろうが、私の探し物を探し当てる程度の能力を活かして、失くしてしまった大切なものを見つけ出すことが、この商売の理念である。さすがに大繁盛とまではいかないが、宣伝の効果か、ポツポツとお客は訪れるあたり、認知はされているようである。
「いきなりで悪かったとは思っているよ。私の分の寺の仕事もみんなに分担してもらっているしね」
「いや、別にそこはいいのよ。もともと大した負担じゃないし。私が言いたいのは何であんたがいきなりそんなことを始めたのかってことよ。キャラ違わなくない?」
「否定はしないよ。自分でも似合わないと思ってはいるさ。まあそこはほら、御仏の教えのままに、ってね」
「御仏の教えねえ……」
なおも不審そうな目で私を見る一輪。確かに私は、今まで積極的に誰かのために行動することは滅多になかった。そんな私がいきなりの探し屋開業宣言である。一輪が不思議に思うのももっともだ。
「君の言いたいこともわかるがね。ま、御仏の教えはともかく、私にも思うところがあったんだよ」
「最初からそう言えばいいのよ。あれでしょ? この前の人形遣いの件」
「む……」
そう言って一輪が指差したのは、ズラリと棚に並べられた命蓮寺の住人を模した人形。
「あの後すぐだったものね。『ナズりん、困った人のために、頑張っちゃいます☆』なんて言い出したの」
お前の中の私はいったいどんな電波少女なんだとツッコむ暇もなく、一輪は話を続ける。ううむ、どうも一輪にはペースを握られがちだなあ。ご主人と話すときとは大違いである。
「星さんはなぜか大喜びだったし、姐さんもいつにも増してお母さんオーラ駄々漏れで。まあ何があったかなんて別に
詳しくは聞かないし興味もないけど」
「何だ、随分冷たいね」
「だって始めの注意書きに反するじゃない」
「いやまぁ」
前作もよろしくお願いします。
「で、今日は何を探してたの?」
「ああ、かんざしさ」
「かんざし?」
「うん、依頼人は人里のおじいさんだったんだけどね。なんでも亡くなった奥さんの形見だったらしい」
それは高価なものでもなんでもないものだった。普通の人ならきっと捨ててしまって、新しく買いなおす、それほど古ぼけたかんざしだった(少なくとも私にはそういう風にしか見えなかった)。しかしそんなものでも、そのおじいさんにとっては何よりも大切なものだったのだろう。私がかんざしを見つけたときは、涙を流して何度も何度もお礼を言ってきた。
失って初めて、それが自分にとってどれほど大事なものだったかよくわかる――おじいさんは静かにそう語った。
それがかんざしのことなのか、それとも他の何かを指すのか、私にはわからなかった。
「――失って初めて、か」
「何昼間っから黄昏てるのよ。まだ参戦も決まってないのに」
「何にだよ」
今度はきっちりツッコミを入れられたことに満足していると、一輪はふとため息をひとつ吐いて、
「まあいいんじゃない? あんたが初めて自分からやりたいって言い出したことだし、それに」
猶も頬杖をつきながら言った。
「――少なくとも前よりは活き活きしてるように見えないこともなくはないわ」
「一輪……」
ひどくまわりくどい言い回しだが、私のやっていることを認めてくれたのだろうか。隣では雲山も、うむ、とでも言って同意するように大きく頷いている。活き活き、ねえ。自分ではよくわからないが、そこは付き合いの長い二人である。
私のちょっとした変化も敏感に感じ取るのかもしれない。
自分のことを見てくれている人が近くにいるというのは――なんとも幸せなことではないか
「一輪、雲山」
「うん?」
「――ありがとう」
まあ、たまには感謝の言葉の一つ口にしてもバチは当たらない。この気恥ずかしさは罰ゲームもんだが。一輪はそんな
私を見て目を丸くし、気持ち照れているような顔になった。ふふふ、貴様もこのむず痒さを味わうがいい。
「……何に対して言ってるのよ」
「いろいろさ」
「はあ……やっぱりあんた、最近おかしいわ」
「否定はしないよ」
私の言葉に、むう、とうなって苦虫を噛み潰したような表情になる一輪。ものすごく機嫌が悪そうな顔だが、これは
思いっきり照れているのだ。わかりづらいけどそこは付き合いの長いやつである、ってね。
「さあさあ、そんな顔してないで、お茶にしよう。ほら、お礼の品にと栗ういろうをもらったんだ」
私が秋に相応しい和菓子を取り出すと、一輪は何度目かわからないため息をもらしながら立ち上がった。
「はいはい。じゃあ私は似合わないくらい頑張っちゃってる変なネズミのために、ご褒美のお茶でも淹れてあげるわ」
手をひらひらと振りながら台所へ向かう一輪と雲山。憎まれ口を叩きながらもねぎらってくれる辺り、なんだかんだでいいやつである。さて、一仕事終えたばかりだ。もう少しだけ、悪友とのティータイムを楽しむとしよう。
と、こんな具合できれいにまとまってくれたような気もするので、この辺で「ご愛読ありがとうございました!」と締めて栗ういろうを堪能してもいいところではあるが、
「ごめんくださーい」
来客につき、もう少しお付き合いいただきたい。もうちょっとだけ続くんじゃ、である。はいはーいと玄関へ向かう。
「ああ、君か」
なぜかムラサ船長を彷彿とさせる服装、見つめつづけてはいけない気になる妖しい赤を宿した瞳。そして宝塔が放つ
法の光なみにへにょった気合の足りないウサ耳。
「あ、毎度どうも。置き薬の補充と確認にきました」
「ああ、いつもすまないね、鈴仙」
妖怪兎である彼女、鈴仙(本当はもっと長い名前だがあいにくと覚えていない)は定期的に人里に来る薬売りである。何でも、竹林の奥深くには凄腕の薬師がいるそうで、その薬師が作った薬の効果は抜群、そのうえお値段も良心的ということで人里での評判は上々のようである。この命蓮寺が建立された際にもいち早く聞きつけ、この妖怪兎が契約に訪れた。我々としても良質の薬を提供してくれるということで、断る理由など皆無だったので、こうしてお付き合いするに至ったというわけだ。商売根性があるというかしたたかというか、とにかく鈴仙の主とは中々に侮れない人物なのであろう。
「えーと、これと、これと……そうそう、なんか商売始めたんだって?」
「何だ、君のところにも伝わってるのかい? なるほど、天狗の新聞の宣伝効果は思ったよりも凄いんだね」
「まああれだけ弾幕のようにばら撒かれたらねえ。嫌でも目に付いちゃうわよ。すぐに兎たちが焼き芋焼くのに使ってた みたいだけど」
どうやら私は運が良かっただけのようである。あの天狗、「私にまかせておけば最速で広告が伝わりますよ!」なんて
自信満々に宣言しておきながらこの体たらく。まあ宣伝自体は確かに広がっているので文句はないけどね。
「まあとにかく頑張ってね。じゃあ早速、新しい置き薬の説明していい?」
「……ああ、お願いするよ」
さあ、いよいよこの時間がやってきた。不倶戴天の意思を以て、目の前の妖怪兎に立ち向かう。覚悟完了!
「え~では今日から置くこの胃薬ですが成分には“くぁwせdrftgyふじこlp”に“そこまでよ!”などが含まれてまして“カリカリピチューン”で、“テーレッテー”だから腹痛によく効きますよ」
「……」
以上、私の脳が認識した説明をイメージ音声でお送りしました。
「あー鈴仙」
「はい?」
「前から言おうと思っていたんだが……君の説明は恐ろしくわかりにくい」
「んな……!?」
ガーンという効果音はこういうときに使うのであろう。
後ろによろめきながら、鈴仙はガクリと膝と両の掌を玄関についてしまった。
「マ、マジで……?」
「マジで」
鈴仙の口から滑らかに紡ぎ出される説明は、さながら聖が唱えるありがたいお経のごとしである(決して聖のお経が退屈だと言っているのではない、マジで)。私の辛辣なオウム返しに、心なしか鈴仙は涙目だ。それに耳のへにょりっぷりが、鈴仙の心理状態を如実に物語っている。
「うう、この前慧音にも同じこと言われたから、少しはわかりやすくしたつもりだったのに……」
ものすごいヘコみようである。私が発した言葉は鈴仙にとってラストワード級の威力を持っていたらしい。
うーん、さすがにちょっと罪悪感が……。というか慧音は間違いなく人のこと言えないだろうに(以前一度彼女の講義を聴く機会があったが、その内容はさながら聖が以下同文)。
「いや、まあその、なんだ。ほら、私の理解力や知識が足りないだけなのかもしれないしね?
そう落ち込むこともないさ」
思わず慰めたくなる姿に、必死でフォローを入れる。
「専門知識を持たない人に物事を正しく簡潔に説明できなきゃ、医者としては二流だって師匠が言ってた……」
逆効果だった。いよいよもって鈴仙の落ち込みっぷりはピークのようである。こ、これはいかん。なんだかドス黒く厄いオーラが見えそうだ。
「最近失敗ばかりだわ、師匠には怒られるわ、ああ、もうなんだかなぁ……」
どうやら悪いスイッチが入ってしまったようである。とりあえず人の家の玄関で落ち込むのは遠慮していただきたいところではあるが、さすがにそれを口に出すほど私も鬼ではない。ここは迷えるあなたに救いの手を、の命蓮寺だしね。
「まあ君にもいろいろあるようだが、あんまり落ち込んでばかりいると体にも心にもよくないよ――そうだ、ちょうど
これからお茶の時間なんだ。おいしいお菓子もあるし、よかったら一緒にどうだい?」
私の誘いを聞いて鈴仙はようやく立ち上がったが、相変わらず表情は憂鬱そうなままである。
「うーん、お誘いはありがたいけどでもごめん、まだ人里のほう回らないといけないからまた今度ね」
「そうか……まあいつでも遊びにきなよ。命蓮寺の門は、いつでも開かれているからね」
「うん、ありがとナズーリン」
そう言って薬の代金を受け取ると、鈴仙は薬箱を背負い直して命蓮寺を後にし、人里へ向かっていった。
彼女が命蓮寺の門から離れてしばらく歩いたところで、鈴仙が小さくため息をついて肩を落としたのを、私は目にしてしまった。
「うーん」
まだ知り合って間もないが、あんなに憂鬱そうな彼女は初めて見た。普段も活発というわけではないが、今日の鈴仙は特に元気がなかった。彼女とは特別親しいというわけではないけれど、やはり少し気にはなる。
「……といっても、私になにができるっていうわけでもないしねえ」
せいぜい、先ほどのようにお茶に誘うくらいが関の山である。と、そこまで考えて、
「――まったく。私はいつからこんなにおせっかいになったんだ」
なるほど、確かに最近の私はちょっと変だ。これは一輪になにを言われても仕方がないのかもしれない。
ま、今最も優先すべきは栗ういろうだ。そう自分に言い聞かせて、私の胸の中のもやもやを振り切りながら、鈴仙が見えなくなった道を後にする。それでも、頭が栗ういろうでいっぱいになることは、ついになかった。
***
「……えーっと」
居間に戻った私の目に飛び込んできた光景に、私はそう呟くしかなかった。
自らの体の一部をたくましい腕に変化させて、上座に陣取る人物の肩を揉む雲山。
お茶と栗ういろうを差し出すと、まるで旅館の仲居のように正座をして側に控える一輪。
そして、それらのVIP待遇を一身に受ける、桃色のワンピースに人参を象ったペンダントを身につけ、なによりも鈴仙と同じく頭から生えたウサ耳が特徴的なアンノウンX。
「……えーっと」
壊れた蓄音機のごとく、同じ言葉を繰り返す。さて、どこから処理していこうか。一輪と雲山の奇行も気にはなるが、
やはりまずツッコむべきは謎の人物であろう。この結論に至るまでに要した時間、実に十秒。恐ろしく普通である。
「その……どちら様で「あんたが探し屋をしているっていうネズミ?」
私の言葉を遮って、出されたういろうを食べながら遠慮の素振りをかけらも見せることなく、私に問うX。
「え? あ、ああ、そう、私が探し屋の、ナズーリン、です」
普通に答えてしまった。しかも敬語で。な、なんなんだこの兎(?)は。
「ふーん、そう。私は因幡てゐ。幻想郷の兎の親分よ」
「はあ……」
やはり兎で間違いないようである。とてもその風貌からは親分という言葉は連想できないが……ってそれは私も同じか。いや、別に気にしてなんかないよ?
「今鈴仙が来てたでしょう?」
「ああ、来ていたよ。君は鈴仙の知り合いかい?」
私がそうたずねると、兎の親分はふふん、と得意げに笑って堂々と断言した。
「そう、鈴仙は私の上司にして部下にしておもちゃよ」
なんだか錯綜とした力関係のようである。最後のほうに不穏な単語が聞こえたような気がするが、追求してもろくなことにならなさそうなのでスルーしておく。
「なるほど、君のことはわかった。ところで……」
先ほどから放置していた事柄を一つづつ潰していくとしよう。
「一輪に雲山、君たちはいったい何をやっているんだい?」
私の当然の問いに、二人はハッと正気を取り戻したかのような表情を見せる。そして雲山が一輪の耳元に近寄り、
「え? なに? あまりに偉そうに居座っていたのでつい全力でもてなしてしまった? ああ、私もだわ」
私が言うべきことは、お前たちはゴマフアザラシでも相手にしているのかとか意味のわからないツッコミではない。
あくまで相手は兎である。
「いやーなかなかのサービスだったわ。寺も案外捨てたもんじゃないねえ」
「ご満足頂けてなによりでございます」
上から目線があまりにハマッている兎に向けて、ニコッとすまいるを向ける一流の仲居一輪(こうするとまるで誤字のようだ)。外面はいい尼さんである。閑話休題。
「それで、もしや探し物の依頼かい? ええと、“てい”」
私がそう尋ねると、兎はちっちっちっと指を振り、
「ノンノン、“てゐ”」
「……はい?」
「あんたの発音じゃダメダメよ。“てい”じゃなくて“てゐ”。はい、りぴーとあふたみー」
「えー……」
そこは重要なところなのだろうか。いや、名前はアイデンティティ的に大きな意味合いを持つ。
この前もアリスのファーストネームを間違えて大目玉を食らったところである(だって覚えにくいしわかりにくいじゃないか)。たとえ発音一つとってもバカにはできないのであろう……多分。
「えーっと……“テイ”?」
「ちがうちがう。もっとこう、ダブリューの音を強調するように」
「うーん、“てうぃ”!」
「やりすぎだよ! ええい、“てゐ”!」
「“てゐ”」
「お、いい感じ。今のは合格点だね」
「それはどうも」
あいにくと、先生に褒めてもらった優等生は私ではない。
私たちのぶつかり合いを、お茶を飲みながら傍観していた一輪である。
「ふふん」
余裕の表情を見せながら勝ち誇ったように笑う優等生。……くっ! なぜだかものすごい敗北感だ……!
こいつは昔っからやることなすことソツがない。このあたりはさすがに命蓮寺きっての委員長キャラである。
「あんたはなかなか筋がいいね。それにひきかえこっちのネズミは……やれやれ、探し物を頼もうと思ってたのに先が思いやられるね」
ものすごい言われようである。うう、なんでこんなに責められないといけないんだ……。理不尽な仕打ちに若干涙目になりそうな私の肩に、雲山が手をおいて慰めてくれる。ああ、やっぱり漢だよアンタ。……よし、持ち直した。小さな賢将はうろたえない。発音の問題はこの際横に置いておこう。
「やっぱり依頼だったんだね。詳しく話を聞こうじゃないか」
ようやっとてゐの対面に座る。長かったなあここまで。
「さて、てい。私に何を探して欲しいんだい?」
三つ目の栗ういろうに手を伸ばすてゐに切り出す。そしてパクッと栗ういろうを口にして、
「銃」
ただ一言、そう答えた。
「……ジュウ? ジュウって一体」
「銃は銃だよ、鉄砲」
「鉄砲……ってあの、人間が使う武器のことかい?」
「そう、それ」
これは意外なものが出てきたぞ。
もちろん銃の存在は知っている。魔力や妖力を持たない者にも、お手軽に殺傷能力を持ったショットを放つことができる、人間世界で最も強力な戦力の一つだ。人里にも猟師の人などが使う銃があったはずだ。
「また物騒なものを探しているんだね。ああ、人間の持っている物を盗んでこいだなんて言わないでくれよ」
「そんなこと頼まないよ。そもそもそれくらい、やろうと思えば自分でできるし。それに私が探しているのは人間の持つ銃じゃない」
ずずっとお茶をすすりながら答えるてゐ。その態度には不思議と貫禄がある。もしかしたら私なんかよりもずっと長く生きているのかもしれない。
「──それは失礼。ということは君はただ銃を欲しがっているということではないんだね」
「んーまあね。てゆうか探して欲しい銃は一つ」
「──鈴仙の銃なのよ」
てゐのその言葉を聞いて、側に控えて静かに話を聞いていた一輪が顔をあげる。
「鈴仙の……銃?」
「あの温和そうな兎が銃を使うの? 意外だわ」
私も同じ感想である。もちろん私たち幻想郷の妖怪(と人間の一部)はショットどころか弾幕を張り合ったりしているので何もおかしくはないのだろうが、やはり対象を殺傷する、ただそれだけの目的で作られた無機質な武器は、どうも鈴仙には似つかわしくないと感じてしまう。
「まああいつにも色々あるんじゃない? 知んないけど。んで、引き受けてくれるの?」
なんだかそっけない。
「――その依頼は、鈴仙に関係しているんだね?」
「鈴仙の銃だしねえ」
「彼女の元気が無いのとも関係しているとか」
「そうなの? ならそうかもね」
「なるほど、依頼の理由を詳しく話す気はないと」
「いぐざくとりー」
ううむ、取り付く島も無い。ちらっと一輪のほうをみる。一輪はただ澄ました顔をして正座している。話は聴いているのだろうが、私に助け舟を出してくれる気は無いらしい。自分のことは自分で責任をとれということか、厳しいねえ。
しかし、探し物の銃が鈴仙のものだという点には少し興味が出てきた。先ほどの鈴仙の様子が気になるということもある。
「──まだ聞きたいことはあるんだけど、もし引き受けたら答えてくれるかな?」
私の問いに、てゐはにやりと笑って、
「──あんたの働き次第だよ」
威厳を滲ませてそう答えた。やはりこの兎──ただ者ではない。
「よし、交渉成立だ……といきたいところだが一つ条件がある」
「条件? 何よ」
「なに、簡単なことさ。探し物の捜索に、君も付き合ってもらいたい」
「えー? 何でよーめんどくさい」
「まあまあ、探し物のことをよく知っている依頼人がいてくれるほうが捜索がはかどるのさ。情報は多いほうがいいしね。どうだろう、もちろんその分お代は安くしておくよ」
「うえー……」
先ほどの威厳はどこへやら、不満を隠そうともせずにうなる。やはりこの兎──よくわからない。
さて、今私が提示した条件であるが、確かに嘘は言っていない。依頼人がいてくれたほうが、情報の共有を図れて都合がいいのは事実だ。だがしかし、私の本当の意図は、これは誰にも言っていないが別にある。そして私が探し屋を始めるにあたって、料金よりも何よりも先に設定したのが、今の条件なのだ。私の意図を実現するには、この条件が不可欠だった。
すなわち、探し物を巡る思いに触れる──
探し物というものは大げさに言えば、失ってしまったけどどうしても見つけだしたい、失うわけにはいかなかった、大切なものである。そしてそんな探し物には、様々な思いがこめられている。その思いをこの目で見るために、私は探し屋を始めたのである。
他人の人生を覗き見するというのだ。下世話な理由であることは自覚している。中にはきっと、触れてはいけない痛み、過去だってあるのだと思う。それでも、弱い私にできることといえばこれくらいしか思いつかなかったから――。今はただ、走ってみると――決めたのだ。
「うー、めっちゃくちゃめどいけど他に当てもないし……ついてくだけだかんね?」
「ああ、もちろん探すのは私に任せてもらっていいよ」
不満はまだ残っているようだが納得はしてくれたようなので、今度こそ交渉成立である。
「じゃあちょっと外で待っててくれないか? 色々と準備もあるんでね」
「はいよ。早くきてよね」
最後にまた一つ、栗ういろうをつかんで外に向かうてゐ。秋の味覚はもうほとんど残ってない。ちくせう。
「――どう思う? 一輪」
「何がよ」
「なんでていは鈴仙の銃なんか探してるんだろう」
「私に聞かれても知らないわよ。あの兎とは初対面だし、鈴仙のことも良く知ってるってわけじゃないしね」
てゐに負けず劣らず、そっけない。まあ私が勝手にやっていることだから仕方が無いといえばそうなのだが。
「ただ……」
「ただ?」
「悪戯のためだとかじゃないと思う。何か考えがあるのは間違いないよね。それにああ見えて、きっと大先輩よあの兎」
「それは同感だ」
「まあここでうだうだ言ってても始まらないわ。行けばわかる、多分」
「随分あやふやな物言いだね。でも、それも同感だ」
そうだ。とにかく今は、私に出来ることをやるしかない。てゐも働き次第だと言っていたではないか。
「じゃあ一輪、雲山」
「ん、寺のことは私たちに任せときなさい」
雲山もしっかりやれと言っているように頷いた。それを見て安心した私は、残り少ないういろうを一つ口に入れて、外へ向かう。
「ナズーリン」
「ムグ?」
「私は手伝いはしないけど――応援くらいなら、してやらないこともなくはないわ」
やはり回りくどい言い回しだが、伝えたいことは、直球で胸に届く。
私たちは、お互いの顔を見て、ぷっと噴き出すように笑い合った。似合わないのはお互い様だね、まったく。
「ああ、それと“てい”じゃなくて“てゐ”ね」
「“ていィ”?」
またため息を吐かれた。どうやら落第のようである。ちくせう。
***
「多分銃は迷いの竹林のどこかにあると思うのよね」
準備を終え、てゐと合流した私は、彼女に探し物の心当たりを聞いた。返ってきた答えは、予想していたよりも具体的なものであった。
「どうしてそう思うんだい?」
「鈴仙は銃をなくしてなんかいない。自分で隠したんだ」
隠した……? 隠すというのは、意思を以って、他人の目に触れないようにするということだ。つまり……
「あいつの行動範囲が広がったのは、永遠亭が幻想郷中に広がってからだかんね。それ以前で、隠す場所なんて相場がしれてるよ」
「まっ、待ってくれ」
「何よ」
「この銃を探すと言うことは、もしかして鈴仙の意思に反するんじゃないのかい?」
「そうだね」
「そうだねって……」
なんだかおかしな話になってきたぞ……。ただでさえ鈴仙の元気がないというのに、今そんなことをしたらどうなるかわかったもんじゃない。
「事情はわからないが、鈴仙の望まないことはしたくない。いいかいてい、これは探し屋としてではなくて、一応でも
――鈴仙の友達としての言葉だ」
「――へえ。意外と優しいんだね~」
少し語気を強めていった私にもまったく動じる様子はなく、あくまで飄々とした様子のてゐ。相変わらず何を考えているのかまったくわからない。
「てい。君が何の考えもなく鈴仙がいやがることをするとは思えないんだ。全て話せとは言わないが、せめて私が納得できる説明をしてくれないか」
もうここまでくると懇願だ。でもここは譲るわけにはいかない。これから先、私が物を探した結果、間違ったことになることもきっとあるだろう。だからせめて──入り口では躓きたくはない。
てゐが鈴仙の意思を踏みにじることはないと信じて、彼女の瞳を見つめる。てゐは何も答えない。もしかして私の思い違いだったのだろうか──。私がそう思い始めたとき、
「──月見そばなんだよ」
てゐは、それだけを口にした。
「え、と、月見そば……?」
「まああいつをからかってやろうとか、いじめてやろうとか、そういうのじゃないから安心していいよ」
普段とは違ってね──そんな鈴仙の日常が心配になるようなことを付け加えて、今度こそてゐは、きびすを返した。
これが最大限の譲歩ということか。
「てい」
「んん?」
「──信じて、いいんだね?」
私がそう尋ねると、てゐはまたにやりと笑って、
「──詐欺兎でよければ、ね」
その悪そうな笑顔を見て、なぜか私は、安心した。
見上げてもてっぺんが見えない竹が群がり、昼間だというのに薄暗い竹林。てゐの推測が正しければ、探し物の銃は、この竹林のどこかにある。
「この竹林は広いのかい?」
「そりゃ迷いの竹林なんて呼ばれてるくらいだかんね。一度入ったらそう簡単には抜けられない程度には広いよ」
「そうか……。うーん、竹林を探すだけでも骨が折れそうだね」
さて、どうしようか。私がこれからの方針について思考しながら歩き回っていたその時である。
あやふやになる自らの立つ位置――。脳がクリアになり、理性から解き放たれたかのような錯覚――。重力の束縛を引きちぎって宙に浮く、当たり前すぎて忘れかけていた、春の湊に飛び出だしたくなる浮遊感――。そして自由落下――。
「ちゅッ!?」
一言で言うと落ちた。お尻から。
「──~~っっ! な、な、なん、で」
痛い。ほんと痛い。妖怪でも痛い。小さな賢将でもめっちゃ痛い。
「何でこんなところに、お、落とし穴が!」
「おー見事な落ちっぷりだねえ」
てゐが落とし穴の縁から顔を覗かせて、感心したように言った。
「いや、感心される意味がわからない、ついでに言うと落とし穴がある意味もわからない!」
恥も外聞も捨てて叫ぶ。だって落とし穴に落とされてなお、冷静でいられるものがいるだろうか。あ、涙出てきた。
「いや~ここまで綺麗に落ちるやつはなかなかいないからねー。その鈴仙に勝るとも劣らない落ちっぷりとりあくしょん、見事である!」
うむ、と雲山のごとく力強く頷きながら、初めて私に賞賛の言葉をくれるてゐ。まったく嬉しくない。と、とにかく穴から出なければ。
「よ……っと。まったく、酷い目にあった……」
うう、お尻がジンジンする。お尻をさすりながら、少し冷静さを取り戻した私は当然聞くべきことを涙目で聞く。
「説明してもらおうか、てい」
「落とし穴は私が作った。以上」
簡潔である。どこまでも簡潔である。鈴仙もこのくらいわかりやすい説明をするべきで……いや、さすがに簡潔すぎるか……。だって微塵も納得できない。
「別にあんたをはめようと作ったわけじゃないよ。まあなんていうの? ほら、詐欺兎のるーてぃんわーく、みたいな」
「なるほど。つまり私が落ちるなんて思ってもいなかったということか。まあそうだよね。この広い竹林、落とし穴の位置なんて把握できないだろうし」
「うんにゃ。だいたい覚えてるよ。さっきもあ、落ちるなって思ったし」
「じゃあ止めてくれよ!」
魂の底からのツッコミ。いかん、まったく私のキャラじゃない。完全にペースを失った私を見て、てゐは腕を組みながら、
「落とし穴に落ちようとしているマヌケを助ける詐欺兎が──どこにいる」
威厳たっぷりに、言い放った。纏う空気は、まさに幻想郷の兎を束ねる親分の名に相応しい。あまりに堂々とした物言いに、しばし言葉を失う。
「……っていやいや待て待て。そんなかっこよく言われても、君のせいで痛い目に遭ったのは変わらないからね?」
「ちっ、誤魔化せなかったか」
誤魔化そうとしていたのか。そしてまったく悪びれた様子もない。さっきの発言が急速に重さを失ってゆく。まさしく行間の無駄遣いである。
「まあ竹林ではよくあることよ。気にしてたらこの先やってけないよ?」
「できれば金輪際勘弁してもらいたいんだが」
たった一度でもう私のお尻の残機はゼロだ。喰らいボムも撃てそうにない。
「わかってるって。いいもの見さしてもらったしね。あれ以上のものはそうそう……っぷぷ、「ちゅッ!?」だって」
小さな賢将、一生の不覚。よりにもよってこんな性根が悪そうな詐欺兎に弱みを握られるとは……! お腹を抱えながら笑う一流の罠師に、顔の火照りを自覚しながら、脱線しきった路線の修正を試みる。
「こほん。いい加減笑いやんでくれ……。てい、銃を探すにあたって、いきなり私を頼るつもりではなかったんだろう?」
私の質問に、やっと笑うのをやめ、涙を拭きながら答える。
「はー笑った笑った──そう、手下の兎にも探させたんだけどねー。まったく成果がなくて困ってたのよ。んで、昨日 焼き芋でもするか、って紙屑に火ぃ点けようとしたら、あんたの広告が載ってたのよ」
天狗の新聞=紙屑という認識らしい。確かに新聞紙は燃えやすいが、なんとも世知辛い話である。それでもめげずに新聞を供給する天狗の姿勢には拍手を送りたい。別に購読する気はないけど。というか、
「焼き芋って……この竹林でかい?」
「他にどこがあるっていうのよ」
「いや、燃え移ったりしないのかなーって」
「もちろんその辺は気を付けてるよ。それに仮に燃え移ったとして、この竹林じゃあ火事は日常茶飯事だからね。私のし わざとは誰も思わないよ」
頭の後ろで手を組み、なぜか得意げに恐ろしいことをいうてゐ。火事がしょっちゅう起こる竹林てどういうことだ。さっきの落とし穴といい、この竹林はいよいよ魔窟の様相を呈している。幻想郷は広大だわ……。とにかく、
「──そうすると人海戦術はあまり意味がないね」
「一応見えるところは探したからね。多分どっかに埋められてるとかかな」
「うーん」
ふむ。そうすると手下のネズミたちは今回は出番無しか。それなら──
「あれあれ? もしかして打つ手無し?」
挑発的な表情とともに、てゐはそんなことをおっしゃりやがった。上等。商売とはまず信頼を得ることから始めなければならない。私は同じように、挑戦的なまなざしをてゐに向け、
「──まさか。小さな賢将の名は伊達じゃないさ」
自信たっぷりに言ってやった。脆弱な一妖怪にすぎないこの私ではあるが、殊物を探すという一点においては、幻想郷の誰にだって負けるつもりは──ない。そんな誓いをこめた私の言葉に、てゐはにやりと笑って、
「──言うね。ならお手並み拝見といこうじゃないの」
さて、名誉挽回の時間だ。“てゐ”の発音は不味くても、仕事は一流だってことを、この兎にわからせてやるさ。よし、手は決まった。今回はこれで、依頼の品を探す。
「たらららったら~(効果音)」
取り出しましたるはワイヤーに水晶を取り付けた振り子、いわゆるペンデュラムと呼ばれる物だ。私の名を冠したこのペンデュラムは、物を探すという本来の用途だけでなく、複数個を周囲に展開すれば弾幕だって防ぐという優れ物だ(でもレーザーだけは勘弁な)。
「……」
「これが大きく振れるところに、目当ての品はあるはずさ」
「いや、それはいいけどさ。さっきの変な効果音は……」
「すまないが早急に忘れてくれ」
恥ずかしいならやるなと我がことながら思うが、いやね? 道具を出すなら効果音は必須だとなぜか思いこんでしまったんだよ。わかるよね? あれ、わからない? 顔を赤くして必死に今の発言を取り消そうとする私を見て、てゐはしばらく何かを考える素振りを見せたかと思うと、それはそれは素敵な笑顔を浮かべて、
「わかった。すぐに忘れてあげるウサ」
「うう、助かるよ、てい」
いきなり妙な語尾を付けたのが気にはなるが、てゐが話のわかる兎で良かった良かった。なのにどこか安心できないのはなぜだろう。まあ私の失態は全力で隅に置いておくとして、
「とりあえず、まずは竹林全体を探ってみよう。てい、私の手の上に、探し物をイメージしながら手を置いてくれ。それ でこのペンデュラムが探し物を記憶する」
「こう?」
てゐが手を置くことで、水晶が淡く輝く。これでペンデュラムは目標を認識できた。
「ありがとう、もういいよ」
てゐが手を離す。これでよし。じゃあ始めようか。目を閉じて、意識を水晶に集中する。しばらくそうしていると、不意に、指に物が動いた感触が伝わってきた。
「……いきなり揺れだしたよ」
てゐの言葉に、目を開ける。振り子は、小さくだが確実にその身を揺らしていた。――ビンゴ。
「てい、君の推測は正しかったようだ。やはり鈴仙の銃は、この竹林のどこかにある」
「八割方勘だったんだけどねー。鈴仙も予想以上に単純だったってことか」
「え、そうなの? ま、まあ結果オーライさ。後は範囲を絞るだけだ。なに、ここまでくればもう一息だよ」
目標達成は近い。そんな私の言葉に、しかしてゐが笑顔を見せることはなかった。
「……どうしたんだい? もうすぐ探し物が見つかるというのに、あまり嬉しそうじゃないね」
「……」
そして急に黙り込んでしまった。本当にどうしてしまったのだろう。何か私の仕事に不手際があったのだろうか。私が尋ねようとすると、
「……ここへくる前」
「え?」
「私、鈴仙を『からかったり、いじめたりする』つもりはないって、そう言ったじゃん」
唐突なてゐの言葉。てゐが言っているのは、命蓮寺の門前で話したことだろう。
「あ、ああ。だから私もこうして安心して──」
「でも──鈴仙を『傷つける』って言ったら、あんたどうする?」
振り子が止まる。私たちの間に言葉は失われ、ただ風が空を覆う笹の葉を揺らす音だけが、この場を支配する。そんな時間を打ち破るべく、私は戸惑いを抱えながらも、なんとか口を開いた。
「ど、どういう意味──」
「私『たち』としてはそのつもりはないけど──まあほぼ確実に、鈴仙は傷つくね。もしかしたら、もう二度と立ち上がれないくらいに。それでもあんたは探し物を、続けてくれる?」
てゐはまた、何を考えているのかわからないような表情を私に向ける。その顔が、どこか痛みを耐えているかのように見えたのは私の考えすぎだろうか。
「……その、話してくれたのは嬉しいよ。君にはそれを私に知らせないという選択肢もあったわけだしね。少しは信頼してもらえたということかな?」
嬉しいというのは語弊があるかもしれない。正直、あまり聞きたくはなかった。私が物を探すことで誰かが――鈴仙が傷つくというのだ。とても喜べる内容ではない。やっぱり私は――間違ったことをしているのか?
「君にその気はないと言ったね? なら、鈴仙が傷つくとわかっていてどうしてこんなことをするんだ」
てゐはこうも言った。鈴仙は、二度と立ち上がることはできないかもしれないと。洒落になっていない。いたずらなんかとはわけが違う。
「こんなリスクを抱えてまで、探す必要があるのか? 鈴仙は君の上司で、部下で、おもちゃなんだろう? その存在は 決して軽いものじゃないはずだ。なのに――」
私の追求を黙って受け入れていたてゐは、
「――だからこそだよ」
これまでの彼女からは想像もできないほど真剣な面持ちで、そう言った。
「あんたの言うとおり、鈴仙は上司で、部下で、おもちゃだよ。だけどそれ以上に」
あいつは――友達なんだ
友達。鈴仙のことを指すその言葉は、私がてゐに言ったそれとは意味や重みがまったく違うのだろう。思いがけない真っ直ぐな言葉に、私はただてゐの言うことを聞くしかなかった。
「――探し物を続けてくれるなら、また見つかったときにでも私たちの目的を話してあげるよ。きっとお師匠さまも許してくれる。だけどそんなに面白い話じゃないし、部外者に話すことでも、抱えさせるようなものでもない。あんたが鈴仙のことを嫌いになるかもしれないし、もし私たちが鈴仙のことをあんたに話したってあいつが知ったら、私たちみんな、鈴仙に恨まれるかもね。それが嫌なら、ここで帰ったほうがいい」
鈴仙の話。てゐの物言いから察するに、それは私が想像するよりも遥かに重い話なのだろう。確かに探し物をするからには、その理由は知りたい。もともとそれに触れるために、この探し屋を始めたのだ。だけど、それは私が思っていた以上に――覚悟がいることだったらしい。そしてここがきっと、その覚悟が私にできるかどうかの分水嶺だ。
「私としては探し物は続けて欲しいけど、まあ竹林にあるってわかっただけでも儲けもんだ、あんたがビビッちゃってこ こで辞めるって言うんなら、後は自分で探すよ。もちろんちゃーんとお礼はするさ、お師匠さまが」
にやにや笑って憎まれ口を叩いてはいるが、きっと本気で私のことを気遣ってくれているのだろう。それくらいは、さっきの真剣な表情を見た今となってはわかる。本当に、嘘つきなんだな。そしてそんなてゐを見て、一つ決意する。
「……やれやれ。竹林を探すといったって、君たちだけでは無理だったから、私に頼ったんだろう? 餅は餅屋、詐欺は 兎、探し物はネズミに任せておけばいいんだよ。そもそも最初の約束だったからね、働き次第では全部話してもらうのは。ああ、あと私はビビッてなんかいない」
どうなるかなんてわからない。きっと私は、この先何度も間違えるのだろう。それでも、この探し屋を開業するとき、前へ進むと――誓ったのだ。狡猾に姑息に飄々と、何にも責任をとらずに生きていくのも、それはそれでネズミらしくていい。だけど私は、そんな「らしい」生き方に背を向けて、走り始めてしまったのだ。立ち止まるには――まだ早い。
「最後まで首を突っ込ませてもらうさ。ネズミはどこまでも――図々しいんだ」
私は目を細めながら、ネズミに相応しい狡賢さを滲ませてふふんと、笑った。そんな私を見て、てゐは白い歯を見せながら、兎に相応しい狡賢さを滲ませてにやりと、笑った。
これで本当に契約成立。ここからが、探し物の本番だ。
***
しばらくの捜索の後、目当ての品は無事に発見できた。発見場所は厳密にいうと竹林ではなく、竹林を抜けたすぐ先にある、見通しの良い高台だった。そこに墓標のようにそびえ立っていた岩の根元に、銃は埋められていたのである。その銃は経年劣化を防ぐためか、鉄とはまた違う、金属の箱の中に入れられていた。
「これで間違いないかい?」
「多分ね。私もあまり見たことはないけど、あいつと出会った頃は、確かにこんな感じの銃腰に下げてたよ」
その銃は私が人里で目にしたことがあるそれよりも、片手で持てるほどに小さいものだった。鈍く輝く銀色、流線的な形状は、銃の持つ無骨さを薄め、ある種洗練された印象を私に与えた。銃と一口にいっても、いろんな物があるんだな。
竹林の中にいるときはわかりにくかったが、捜索は結局日暮れまでかかってしまった。まあこの広い幻想郷を探す手間が省けたのは僥倖だろう。さて、これで依頼は一応達成だけど……。まだ、目的は果たせていない。
「おつかれてい。悪かったね、付き合わせてしまって」
「ほんとだよまったく。まあ見つかったからよかったけど。あー疲れた。さっさと休みたいし、行こうか」
「行くって……どこへ?」
「決まってるじゃん。永遠亭にだよ」
再び竹林に入ってしばらく進むと、建物が見えてきた。
昔の日本の貴族が住みそうな、侘しげでありながらも高貴な雰囲気を纏ったその屋敷は、永遠の名を冠しているにも関わらず、なぜか長年積み重ねてきたはずの歴史を感じさせない。
「さ、入って入って」
「お邪魔します」
てゐに連れられて長い廊下を進む。そこかしこで跳ね回っている兎が、てゐの姿を認めると、口々に挨拶をしてくる。さすがに親分というだけあって、手下には慕われているようである。
「お師匠さま、帰ったよ」
案内されたのは、あちこちに何に使うのかわからない道具が置かれ、ラベルを貼られたビンがしまわれている棚がずらりと並び、おそらく薬品のものであろう独特の匂いが漂う、実験室のような部屋だった。そして、
「お帰りなさい、ご苦労だったわね。それで首尾はどうだったかしら」
赤と青で対称に彩られた服、銀色に鈍く輝く長い髪、そして赤十字の意匠が施された帽子を被る女性。
「この通り」
そう言いながら、てゐは鈴仙の銃を取り出し、女性に手渡した。その女性は銃を確認するように手の中でもてあそぶと、
「……うん、間違いなく鈴仙のものね」
そう言いながら、私の方に目を向ける。う……なんだかものすごく緊張する。てゐと話しているときも、時折長く生きたもの特有の威厳を感じることはあったが、目の前の女性からはそれを上回る、底知れぬ重圧を感じる。私のそんな緊迫感を感じてかはわからないが、彼女はふっと私に微笑みかけてきた。
「あなたがてゐに協力してくれた探し屋さんね。初めまして、八意永琳と申します」
頭を下げて自己紹介をしてくれた永琳と名乗るその女性からは、先ほどからのプレッシャーは感じられなくなり、私も気を楽に持てるようになった。
「ご丁寧にどうも。命蓮寺のナズーリンです。人里で評判の、凄腕の薬師というのはあなたのことか」
こちらも自己紹介をし、部屋を見回しながら尋ねるでもなく言った。
「凄腕かどうかは評価に過ぎないけれど、薬師をやっているのは間違いないわね」
あごに手を当て、優雅に笑いながら、永琳は私の質問でもない問いに答えた。もう重圧は感じないが、ところどころに大物が自然に醸し出す余裕が滲みでている。やはり侮れないという私の予想した人物像は、間違ってはいなかったということか。
「それで、あなたがここを訪れたということは、てゐが連れてきたと、そういうことかしら?」
永琳が表情を引き締め、私とてゐを見比べる。途端に、部屋中に緊迫した空気が満たされる。あまりの切り替わりように、私の精神が保たなくなりそうだ。しかしてゐはそんな空気を意に介した様子もなく、
「まあね。納得できる理由を教えろだのなんだのしつこいからさー。しょうがなく連れてきちゃったのよ」
「ちょっ!?」
「ふむ……」
ただでさえ緊張しているのにこれ以上の燃料投下は私の胃に重大な影響が……! ああ、永琳もこれまた何を考えているのかさっぱり読み取れない表情で私を見てくる。確かによくよく考えなくても私のやっていることはあまりに他人の都合に踏み込みすぎだ。鈴仙の師匠であろう彼女が不快に思うのも無理はない。まずい、冷や汗が……!
「大丈夫、こいつは信用できるよ。私が保証する」
「……へ?」
「……」
てゐの意外な言葉に、内心で念仏を唱えていた私は、素っ頓狂な声を出すしかなかった。永琳はてゐの言葉を待つように変わらず私たちを見つめたままだ。
「確かに仕事の腕はまあまあなんだけど、何回言っても“てゐ”の発音は直らないし、落とし穴にも簡単にひっかかるようなマヌケなネズミだよ。でもさ」
少し持ち上げてから思いっきり落とすという、色々間違っている手法を用いて私を評したてゐは、
「鈴仙のこと、本気で心配してくれたんだ。別にそんな深い仲ってわけでもなさそうなのにさ。あいつが嫌がることしたくないって、それでいて鈴仙に恨まれてでも最後まで付き合うって」
自分は鈴仙の友達だって――私に言ったんだ
何も言えなかった。確かに私はてゐにそう言った(遠まわしにではあるが)。でもまさか、てゐがそこまで私の言葉に意味を見出してくれていたとは――正直思わなかった。てゐの言葉に、気恥ずかしいというよりも、ただただ驚いて呆然とする私に、詐欺兎に相応しくない真っ直ぐな瞳で永琳を見つめるてゐ、そして依然表情を変えず、あごに手を当てながら何かを考えているような様子の永琳。そんな三者が構築する静寂を払ったのは、永琳の吐いた息。そして、
「まさかあなたがそんなことを言うなんてね、てゐ。余程鈴仙が心配と見える」
永琳のからかうような物言いに、てゐは動揺することもなく、
「そりゃ心配だよ。ユーウツな顔してるやつからかっても、面白くもなんともないからね」
いつも通りにやりと笑いながら、切り返した。そんなてゐの不穏な言い回しに、永琳は心底愉快そうに、笑った。
「――そうね。いいでしょう。ナズーリン、銃を見つけてくれたこと、依頼主として礼を言うわ。お礼ついでに、もう少しだけ付き合ってもらうわよ?」
なるほど、本当の依頼者は彼女だったわけだ。だからてゐは、永琳が許可するまで依頼の目的を話そうとしなかったのか。とにかく依頼は果たした。ここからは私自身のエゴ。鈴仙にどう思われようと――私の責任だ。
「――もちろんだとも。マヌケで無粋なネズミだけど、よろしく頼むよ」
「鈴仙は、月から逃げてきた兎なのよ」
薬品の匂いが漂う部屋で、永琳は静かに語り始めた。月に兎とはあまりにも出来すぎであるし、そもそも夜空に浮かぶ月に生き物が存在するということ自体が驚くべきところなのだろうが、以前幻想郷の住人が月に攻め入ったということは小耳にはさんだことがある。だから永琳の言うことにもそれほど驚くことはなかった。ただ、鈴仙が月出身だったとはね。確かにてゐや他の兎とは雰囲気が違うけれど。
「逃げてきた? どうして」
「鈴仙は元々は月の軍人だったの。人間が月に攻めてくることが噂になっていよいよ戦争か? という時になって、そうね……軍人としてはあるまじき行為なのでしょうけれど、敵前逃亡したのよ」
仲間を見捨ててね――そう付け加えて永琳は、話を始める前に兎に淹れさせたお茶を飲む。淡々とただ事実のみを話す永琳の表情からは、侮蔑も同情の感情も見受けられなかった。
鈴仙が、軍人。これまた意外な事実だ。あの気弱で暢気そうな印象を与える彼女からはちょっと想像できない。そして敵前逃亡。悪いとは思うが、こちらの事実のほうがしっくりくる。部外者でしかない私は想像するしかないけれど、彼女は、仲間を裏切りたくて裏切ったのではないのだろう。きっとただただ――臆病だったのだ。
「――もう何十年も前の話よ。それで幻想郷に流れ着いて永遠亭に逃げ込んで……それからもまあ色々とあって今に至るというわけ」
「あの鈴仙にそんな事情がね……人は見かけによらないもんだ。それで、その話と探し物にいったいなんの関係が?」
「最近鈴仙の元気が無いってのはあんたも言ってたよね」
てゐがお茶を飲みながら口を挟んでくる。どうやら今回の件は二人の一蓮托生のようだ。
「ああ。いつにも増して、ね。というかやっぱり君も気づいてたんじゃないか」
「その理由は多分お師匠さまが話したことが原因だと思うのよ」
私の言葉を華麗にスルーして話を続けるてゐ。そのスルー技術は見習うものがある。
「今の話が? だって永琳は何十年も前の話だって。そりゃ彼女にも色々あったんだろうけど、今はこの幻想郷で、永遠亭で平穏に暮らしているんだろう?」
色々あった、私たち命蓮寺の住民のように。
「そうね。確かに最近集中力にも欠けていて失敗も多かったわ。なにか理由があるのだとは思ったけど、どうしてその話が関係してくるのかしら」
「永琳にもわからないのかい?」
「鈴仙のことをてゐに聞いたとき、この子がそう言って譲らなかったのよ。てゐ、何か根拠でもあるの?」
てゐの言うことには永琳も納得しかねるようであった。私たちの疑問にてゐは、うーんと珍しく困った顔を見せて腕を組みながら、
「ぶっちゃけほとんど勘なんだけどね」
「また勘かい……」
「いいわ、言ってみて」
永琳がそう促すと、やや間を置いて、
「月見そば」
「……は?」
永琳と私の言葉が重なる。永琳はあごに手を当てた彼女一流の姿勢のまま、ポカンとした表情を浮かべている。きっと表情も私と重なっているのだろう。
「えーっと……詳しく説明してもらえる?」
さすがの永琳も、あまりに予想外の回答に、理解が追いついていないようだ。いわんや私をや、である。
「この前の十五夜、毎年恒例の例月祭やったじゃん」
「ええ、それがどうしたの?」
十五夜。中秋の名月とも言われるその日の夜は月見を行うのが、日本で古くから伝えられる伝統である。私たち命蓮寺も住人だけでささやかな月見を楽しんだ。バチがあたったのか、団子をつまみ食いしたぬえがお腹を壊すというアクシデントもあった。そういえばそのときにも、永琳の薬が役に立ったのだった。
「その節はどうも」
「はい?」
「いや、なんでもない。続けてくれ」
「ちょっとネズミ、邪魔しないでよね」
「う、すみません」
ここはスルーしてくれないのか。おそらくわざとなのだろうが。目が笑ってるし。
「まったく……ええと、そのとき月見そばも一緒に食べたよね」
「ええ、輝夜がどうしても食べたいって言うから。何年か前に食べたとき気に入っちゃったのかしら」
知らない名前が出てきたが先ほどのこともあるし、口ははさまない。これ以上叱られると本当に落第だ。
「そのとき、鈴仙がじーっと月見そば見てる隙に黄身をつぶしちゃったのよ。こう、ぶちゅっと」
「なんですって……。なんて――惨いことを」
「てい、さすがにそれは酷いと思うね……」
あり得ない。月見そばは卵を最後まで残しておいて、そばのあったかさで少し固まったものをだし汁とともにちゅるんと頂くのが正しい食べ方である。それをこの外道兎は……! 永琳も両手で口を押さえて絶句している。
「ええい、めんどくさいなあ。ちっとも話が進みやしない。まあ潰したわけよ。そしたら鈴仙泣いちゃってさあ」
「泣くね」
「泣くわ」
「お師匠さまたちの言うこと聞いてたら私の勘が間違ってる気がしてきたよ。でも鈴仙が泣くの見て思い出したのよ。前にもこんなことがあったなって。そんでその時も鈴仙、同じように月見そば見てた。浮かない顔してね。それでふと思ったのよ」
「もしかして鈴仙、月にいた時のこと思い出してるんじゃないかって」
……てゐがあらかじめ勘だと断っておくのも無理はない。根拠と呼ぶにはあまりに頼りない。てゐの言うことは印象でしかないし、私と永琳が泣くのと同じ理由であったことも十分考えられる。しかし永琳は、あごに手を当てた例のポーズでなにやら考えごとをしているようだ。
「うーん。こんなこというのもなんだけど、ちょっと強引すぎやしないかい?」
「だから勘だって言ってるじゃん。でも鈴仙泣かすなんてしょっちゅうだけど、なんかその時はいつもと感じがちがったんだって! マジ泣きってやつだよ」
「しょっちゅうって……ほんとに鈴仙も大変だねえ」
子分であるはずの兎たちに振り回されて涙目になる彼女が簡単に想像できるのが悲しい。てゐと私が言い合っていると、
「……確かに強引だわ。でも納得もいく」
不意に、考える人になっていた永琳が口を開いた。
「……永琳?」
「あの子もあの永い夜以来、少しずつ幻想郷に馴染んでいったわ。それなりに知り合いも増えたりね。確かにまだウジウ ジしたりもするけど、基本的に暢気なんでしょうね。なにかあっても深く考えないようにする術を身につけつつある。それがいいことか悪いことかは微妙だけど、悩みすぎるきらいがあるあの子には、それくらいがちょうど良いわ。そんな鈴仙が、こんなにも長い間、日常の業務に差し支えるくらい悩むことといえば、まあ昔のことが一番可能性としては高いわね。でもなぜ今さらなのか、それがわからなかったけど、てゐの勘を当てはめれば――思いのほか綺麗な絵が出来上がる」
少しは吹っ切れたと思ったのだけれどねえ――そう一気にまくし立て、今度は頬に手を当てながら、永琳はため息を吐いた。永琳も発端はわからなくとも原因の予想はついていたということか。
「なるほど、とりあえず鈴仙の元気がない理由はそれでいいとしよう。で、さっきの質問に戻るけど、それでなんで銃を探すことになるんだい?」
永琳がてゐに目配せをする。てゐもそれに答えるように頷いた。一つ、永琳が息をつく。そして、
「痛みと――過去と向き合わせるためよ」
――なぜか、昔のご主人の顔が、浮かんでは消えた。
そんな胡乱な思考を繰り広げていた私は、部屋の扉が開く音に、すぐには反応できなかった。
「鈴仙……」
てゐが部屋の入り口のほうに呼びかける。そちらへ目を向けると、そこにはドアノブをつかんだまま、呆然とした様子で鈴仙が立っていた。
「――おかえり。そんなところで何突っ立ってんのさ。ほら、こっち来てお茶でも飲みなよ」
「……して」
「んん?」
「どうして!」
「うわわ!?」
「どうして師匠が! それを持っているんですか!」
いつもの鈴仙からは想像もできない剣幕で叫びながら、永琳の持つ銃を指差す。
「――どこから聞いていたの?」
「質問してるのはこっちです! 答えてください!」
「どこから聞いていたの」
鈴仙の激しく詰め寄られながらも、永琳は動じた様子を見せずに、淡々と、かつ有無を言わせない迫力をもって、鈴仙に尋ね返した。鈴仙はそんな永琳にビクッと肩を跳ねさせながらも、なお永琳をその赤い瞳で睨みつけて答える。
「ナ、ナズーリンがどうして銃を探すことになるのかを聞いて、師匠がそれに答えたときからです。最初はナズーリンの質問の意味はわからなかった。けど師匠の答えを聞いてもしかしたらって……そしたらやっぱり私の銃を師匠が持って た……」
永琳の持つ銀色の銃に目を移す。その目には隠しようもないほどに涙が溢れている。
「どうして……なんです。どうして……今頃になって、その銃が出てくるんです。もう、二度とその銃は見たくなかったのに……だから、誰にも見つからないように隠しておいたのに……! なのになんで!」
「わたしとてゐが彼女に頼んで見つけてもらったのよ」
「だからどうして!」
「落ち着きなさい。そんな興奮していては、まともに話もできないわ」
「落ち着いてなんかいられません!」
今や鈴仙は、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、永琳の服に掴みかかっている。
「師匠も……わかってくれてたでしょう? 私が昔のことを思い出したくないって……! あの時も、満月を隠してまで、守ってくれたじゃないですか……」
もう、最後のほうは近くにいる私ですら聞き取れないほどに声が掠れていった。
「あーあーあーあー。もう、見てらんないね」
と、今まで黙って二人のやりとりを聞いていたてゐが、唐突に割って入った。そして――
「あんた――いつまで逃げてるつもり?」
てゐの言葉に、鈴仙はてゐに掴みかからん勢いで飛びつく。が、それは永琳の腕に阻止される。
「てゐ! あんたに……! なにが……なにがわかるのよ! ナズーリンも、師匠たちに頼まれたからって、どうしてわざわざこんなものを探すのよ!」
悲痛な響きを伴って、鈴仙が叫ぶ。私が鈴仙の事情を知っていることを彼女は知らないはずだ。もはや何がなんだかわからないのだろう。無理もない。そこにどんな思いがあろうとも、どう見たって私は、私たちは――共犯者だ。
「れ、鈴仙、私は――」
「やめなさい。ナズーリンはただ私たちの依頼をこなしただけよ」
「師匠!」
「それに――」
「てゐの、言うとおりよ」
「――ッ!」
それが、決定的な止めだった。鈴仙は拳を思いっきり握り締めながら、
「――師匠も、てゐも、ナズーリンも」
「大ッ嫌い!」
その言葉を最後に、鈴仙は涙を散らしながら外へ飛び出していった。あとに残されたのは、重苦しい静寂と、薬品の匂いのみ。やはり――こうなってしまった。「大嫌い」。覚悟はしていた、そのつもりだったのに、やはり私の胸に深く突き刺さる。自然と、体が椅子に吸い寄せられてしまった。
「ありゃりゃ、行っちゃったねー。まさに脱兎のごとく、ってね」
てゐがいつもと変わらぬ調子で、軽口をたたく。
「てい……君はなんともないのかい?」
「何が」
「だって鈴仙、大嫌いって……」
「なに? あんたやっぱ気にしてんの? やれやれ、だからやめとけって言ったのに。やっぱり体のサイズに見合った肝っ玉だね」
「君も言われた」
「はん、詐欺兎は嫌われてなんぼでしょ」
強い。私とは、比べ物にならないくらいに。そして、
「優しいんだな――君は」
「……まーた変なこと言い出したよこのネズミは」
「だって、あんなこと言ったのも、鈴仙のためなんだろう? 自分から憎まれ役を買って出るなんてそうそうできることじゃない」
自らを迫害する人間、それでも彼らを許した聖。自らが慕う人を責めた人間、それでも彼らのために在り続けたご主人。みんなみんな、強くて優しい。本当に、悲しくなるほどに。
「ま、あんたがそう思うんならそれでいいんじゃない?」
ぶっきらぼうにそう言って、また椅子に腰掛けて、カッコカッコと椅子を前後に揺らしながら、
「それで、どうします?」
鈴仙が出て行ってから黙りきって椅子に体を預けていた永琳に問いかけた。なんだか気落ちしているようにも見える。そして小さくため息をついた。
「やっぱり、まだ早かったのかしら……」
やはり、先ほどと比べ、声にも力がない。大嫌いと言われたことよりも鈴仙を傷つけてしまったことが、永琳にはこたえたのだろう。
「過去と向き合ういい機会だと思ったんだけど――私は、間違ったことをしてしまったのかもね……」
自嘲するように呟く永琳。彼女にこんな姿は――似合わない。
「永琳、気を落としたくなる君の気持ちもわかるが……でも、もう銃を探し出したことは鈴仙も知ってしまったんだ。私たちは先のことを考えるべきだ。違うかい?」
「おっ、ネズミもたまにはいいこと言うじゃん。賛成さんせーい」
この兎は人を素直に褒めるということを知らないのか。この空気をなんとか払拭しようと、ツッコミを入れようとすると、てゐは続けて言った。
「それにさ、私はお師匠さまのやろうとしたことは間違ってなんかいないと思うよ。だって」
そこで言葉を切って、鈴仙に、永琳に、私に、そして自分に突きつけるように、
「永いけど有限にしかやってこない過去の痛みに向き合えないやつに、
有限にしか続かないけど永い未来へ走ることなんて、できっこない」
ほとんど独白めいた言葉を紡いだ。それは、永い生を生きる妖怪全てに向けられた宣告のようでもあった。急速に、空気に色が戻ってくる。
そしてまたため息が一つ。それはだんだんと笑い声に変わっていく。目を向けると、さっきまでの消沈ぶりが嘘のように、あごに手を当てたお得意のポーズをとり、最初に出会ったときに感じたものよりもはるかに強烈な重圧を纏いながら、
八意永琳は、心底愉快そうに――嗤っていた。
「ふふっ。まったく、私たち蓬莱人にとっては最高の皮肉ね――そう思わない? てゐ」
そばで見ている私が気圧されるような永琳に臆することもなく、てゐは頭の後ろで腕を組みながらにやりと笑って、
「ま、お師匠さまがそう思うんならそれでいいんじゃない?」
ここへきて、確信する。やはりこの兎──ただ者ではなかった。
なおもクスクスと笑いながら、永琳が立ち上がる。その姿は、完全にいつもの彼女である。
「さて、あんまり放っておくのもかわいそうだし、早く行ってあげましょう。てゐ、ナズーリン、出るわよ」
真っ先に部屋を出て行く永琳。その歩みにもう、迷いはない。
「ふぅ、なんだかどっと疲れたよ」
「何よ、ずっと座ってただけじゃない」
「あんなプレッシャーにさらされるのは一妖怪としてはたまったもんじゃない。君も良く平気だったもんだ。まったく、 君たちはいったい何者なんだ」
私のぼやきに、てゐは腕を大げさに広げて答えた。
「そりゃあんた、幸運を招くグッドな詐欺兎と、問題を招くマッドな薬師だよ」
「へえ、幸運。それは初耳だね。はあ、やれやれ、寿命が縮まる思いだよ」
「寿命……ね、なんともまあ」
てゐの表情が、憂いとも嘆きともつかない、なんだかよくわからないものに変わる。
「……どうしたんだい? そういえば永琳も皮肉だって……」
私の問いに、すぐさまいつもの表情に戻しながら、先ほどと同様に腕を広げて
「気にしない気にしない。『このお話は本筋とはまったく関係ありません』、だよ」
確かに。永琳が嗤った理由も、彼女たちのこともよくわからない私には、どこまでも縁のない話なのだろう。
「そうかい。ならこれ以上脱線しないうちに、私たちも鈴仙のところへ行こう」
「りょーかい」
だから何も追求しない。決して交わることのない物語に一瞬思いを馳せつつ、すぐにそれを振り切るように、私たちも立ち上がり、部屋を出る。その思考は、幸か不幸か、今度はすぐに忘却の彼方へと去ってくれた。
***
鈴仙自身をダウジングして辿り着いた先は、私とてゐが彼女の銃を発見した、墓標のような石がそびえ立つ見晴らしの良いあの高台だった。竹林の中と違い、空は見渡せるがあいにくの曇りということもあってか、星も月もその姿を見せず、空は墨で塗りつぶされたように黒く染まっていた。
そして、鈴仙は墓標のような石の傍で、膝を抱えて座り込んでいた。そんな鈴仙の姿を認めると、永琳が前へ進む。私もそれに続こうとすると、てゐの腕がそれを阻んだ。
「てい……?」
「脇役のネズミと兎の役目はここまで。あとはお師匠さまに任せよ?」
鈴仙の傍へと歩む永琳を見る。なるほど、彼女ならきっと上手くやってくれる。そう思わせてくれる、頼もしい背中だ。
「――そうだね、君の言うとおりだ」
永琳は、座り込む鈴仙を見下ろすように傍に立ち、
「ウドンゲ」
聞きなれない呼び名で、彼女に呼びかける。きっと私が忘れてしまった彼女の本名からとった愛称かなにかなのだろう。
永琳の呼びかけにも、鈴仙は振り向こうとしない。逆に顔を膝に埋めてしまった。
「この季節の夜は冷えるわ。風邪を引くといけないから、早く帰りましょう」
優しく語り掛ける永琳。こんな彼女を見ると、一体どれが本当の八意永琳なのかわからなくなる。しかしきっと、さっきの重圧を纏って嗤った彼女、母親のように優しげな彼女、その全てが、本物の永琳なのだろう。
「ウドンゲ」
「その銃は、私の、罪の証、なんです」
「え?」
再度呼びかけた永琳に、鈴仙は涙声で途切れ途切れながらも、先ほどと比べて落ち着いた様子でそう返した。
「私、その銃に、誓ったんです。仲間を守れるくらいに、私を飼ってくれていた豊姫様と依姫様のお役にたてるくらいに、強くなるって、そう、誓ったんです」
「……」
鈴仙の告白を、ただ黙って見守るように聴く永琳。誓い、か。私の誓い。探し屋としての誓い。小さな賢将としての誓い。命蓮寺の住人としての誓い。ご主人の部下としての――誓い。
「でも……それなのに……」
「……」
「それなのに……私、逃げたんです。仲間も、豊姫様も、依姫様も。月の全てに背を向けて、全部見捨てて、
逃げたんです……!」
また、その声に悲壮感が滲む。やっぱりそうだ。鈴仙は月を裏切った。でもそれは、ただただ臆病だった彼女の心が、そうさせざるを得なかったのだ。でなければ、こんなにも涙を流して後悔など、するわけがない。
「あの誓いは嘘じゃなかったはずなのに。依姫様も、待ってるって言ってくれたのに……! 私は――」
私は――誓いを守り通せなかった
「……」
「だから、幻想郷に流れ着いて、永遠亭に拾ってもらって、師匠の弟子にしてもらって。そのときもう一度思ったんです。今度こそ永遠亭のみんなの――師匠の力になろうと思ったんです。でも、医療の知識はわからないことだらけだし、薬の説明も碌にできないし、師匠のお手伝いも失敗ばかりだし。私、師匠の役に立つどころか、足を引っ張るだけで――いつまで経っても、成長できやしない!」
鈴仙が置き薬の説明をしたときのことを思い出す。それほどまでに思い悩んでいたなんて……。私の言葉はどれだけ彼女の心を抉ったのだろうか。そして鈴仙は、口にするのも辛そうに、自らの無力さを言葉にこめて搾り出した。
「一度立てた誓いすら守れない臆病で無様な私に、前へ走る力なんて、なかったんです」
そしてその場には、鈴仙の嗚咽が響くだけとなった。
あまりに痛々しい。過去の痛みに容赦なく打ちのめされた鈴仙の姿は、まるで――まるで、昔のご主人を見ているようで――。
そんな彼女を見てられなくなった私は、顔を背けるように、ちらっと横に立つてゐを見る。相変わらず何を考えているのかわかりにくいが、その表情は、永琳を――鈴仙を、信じているようにも見えた。
と、息を吐く音が一つ。そして、
「まったく……本当に世話のかかる子ね」
静かに話を聴いていた永琳が、口を開く。
「ウドンゲ」
三度、永琳が鈴仙に呼びかける。鈴仙は顔を埋めたままだが、永琳は構わず話しかけた。
「確かにあなたの言うとおり、医療知識の覚えは悪いし、たまに指示した薬を間違えるからいちいち確認しないといけないから二度手間なのよね。ああ、最近はそれに輪をかけて酷い状態だったわね。はっきり言って、集中力が足りない。 こんな調子じゃ、とても右腕としては使えないわ」
ボロクソだった。うわぁ……ただでさえ傷ついた彼女に、永琳の言葉は塩にしかならないんじゃないか……? 私が永琳をとめようと声をかけようとすると、
「お師匠さまに任せろって言ったじゃん、バカネズミ」
「しかしだね……」
「でもね……」
そんな私たちのやりとりをよそに、永琳はさらに続ける。
「役に立ってるかは微妙だけど、少なくとも成長していないということは――あり得ないわ」
永琳の言葉に、鈴仙が顔を上げ、永琳の方に目を向ける。
「本当に少しずつだけどね。それでもあなたを弟子にしたときから比べると、見違えるほどだわ。まったく」
こんなことも言われないとわからないのかしら――頬に手を当てながら、ため息まじりに言う。
「師匠……」
「それに――」
「一度誓いを守れなかったからといって――どうして二度と誓いを守れないということになるのかしら」
「あ……」
「過去は既に決定事項だけど、未来は残酷にも幸いにも、不確定のままよ。だからね、ウドンゲ」
そこで一度言葉を切って、鈴仙に手を差し伸べながら言った。
「臆病でも無様でも、もう一度立ち上がって、走ってみなさいな。このままのあなたで終わるのか、私の右腕にふさわしい存在になるのか、はたまた私を超えていくのか、それは誰にもわからないわ。でも、前に向かって走り続けたのなら、少なくとも今とは違う自分になれるでしょう。それが――過去を乗り越えるということだと、私は思うの」
そして優しく微笑みかける。その微笑みに応えるように、鈴仙は永琳の手をとって、立ち上がった。そして二人は、初めて正面から向き合う。
「……師匠」
「ん?」
「師匠の手を借りないと、一人で立ち上がることもできないくらいダメな私だけど」
「うん」
「今ここにもう一度、誓いを立ててみます。聴いてくれますか」
鈴仙の顔が引き締まる。相変わらずどこか頼りないが、それでもその赤い瞳には、今までとは違う決意が垣間見える。
永琳も当然それを感じとっただろう。
「ええ、もちろんよ」
「――銃を」
永琳が、鈴仙に銃を手渡す。銀色に輝くその銃が彼女の手に再び収まるまで、いったいどれだけの時間がかかったのだろう。それでも今、確かに銃は、彼女が強く握り締めている。
永琳に背を向け、鈴仙が高台の縁まで歩き出す。そして、黒く染まった空に向けて、両手で銃を構えた。
「師匠」
鈴仙の声が響く。私もてゐも、もちろん永琳も、ただただ鈴仙の姿を見守る。
「私、強くなってみせます。今は頼りないかもしれないけど、臆病で無様な私だけど、永遠亭のみんなの、てゐの、姫様 の――師匠のお役に立てるくらい、いつかきっと、強くなってみせます。みんなが私のために探してくれた、みんなが私の手に戻してくれた、この銃に誓って」
幻想郷の少女に相応しいショットが、夜空を撃ち抜くように放たれる。そしてそんな鈴仙の姿を見て、永琳は満足げに頷きながら、
「ええ、楽しみに待っているわ。ウドンゲ」
銃声の残響音が、静かな中秋の夜に鳴り響く。あいにくと今夜は月は見えないけれど。
誓いの銃声よ、月まで届け――目には写らない満月を想像しながら、そんなことを願った。
***
「はい、お待たせ。できたわよ」
「ああ、ありがとう」
昨日の出来事から一夜明け、既に日は高く昇っている。要するにお昼時である。
「急に月見そばが食べたいだなんて、やっぱり昨日のことが関係あり?」
一輪がお盆に月見そばを二つ乗せて、居間に入ってくる。
今日の昼食は、他の住人が昨日と同様に外へ出ているので、私と一輪の二人きりだ(雲山はものを食べない)。
「まあね。十五夜ではないけど、月見そばを見て月を想像するのもまた、おつじゃないか」
「真っ昼間からお月様想像してどうするのよ。お日様の立場がないじゃない」
「いやまぁ、その、食べたかったんだ」
「だから最初からそう言いなさい」
一輪が月見そばを机に並べる。器から湯気が上がり、中心には小さなお月様。ううむ、さすがは聖に次ぐ台所番。月見そば一つとっても質が高い。実に食欲がそそられるではないか。
「うん、おいしそうだね、いただきます」
「いただきます」
ズルズルズル。居間に麺をすする音がこだまする。食事中に音を立てるのは行儀が悪いが、思うにそばに限っては盛大に音を立てて食べるのが一つの作法ではないかと考える。この流儀を以前船長に話したところ、「いや、普通に食べればいいじゃない」という答えが返ってきた。ロマンの無い幽霊である。まあそんなこんなでそばを堪能していたところ、
瞬間――信じがたい光景を目にした。
「待ちたまえ」
箸を置いて、目の前の尼に制止をかける。
「ん? 何?」
「君はいったい何をしている」
一輪は質問の意味を図りかねているのか、怪訝な表情をしている。
「何って……見てのとおりそばを食べてるのよ。あんたと同じで」
「そうじゃない。君は黄身に何をした」
「ややこしいわね……。いや、普通に潰したんだけどね……ん?」
そして一輪が何かに気づく。視線の先は私の分の器。中では美しいまん丸の黄身が、その存在を主張している。
一輪も箸を置いた。
「ナズーリン」
「何だい」
「なぜ、未だに黄身が残っているの?」
一気に居間の熱気が、上がっていく。それは決してそばの湯気によるものではないことは、お互いよくわかっていた。
「おかしな質問だね。月見そばの卵は最後までとって置いて、最後に頂くのが正しい食べ方なんだ。もちろん食べ始めた ばかりなんだから、黄身が残っているのは当然だろう?」
仏の愛を信者に伝えるように、優しく語り掛ける。そう、一輪は知らなかっただけなのだ。だからこうしてちゃんと教えてあげれば、きっと一輪は自らの過ちに気づく。そして涙を流して、私たちは抱き合うのだ。
私が思い描いていた結末は、しかし一輪の浴びせる冷笑によって打ち砕かれる。そして、
「はあ……まったくこのネズミはしょうがないわね。いい? 月見そばの正しい食べ方というのはね、少しだけ熱の通った黄身を潰して、麺にからめながら食べることなの。あんたの言うように最後まで卵をとっておいたんじゃ、それは 月見そばじゃなくて、そばと半々熟のゆで卵の盛り合わせになってしまうわ」
「それだと卵がだし汁に混ざってしまってお互いの良さを殺しあうことになる。それは絶対に許せないことだと思わないかい?」
「殺しあう? それが間違いなのよ。少し濃い目のつゆに卵が混ざれば、卵のマイルドさによってつゆの刺々しさが緩和されて、普通に薄めにつゆを作るよりも遥かに深みのある味になるのよ」
「否。断じて否。そもそも黄身が潰されてしまえばそれは最早月見そばとはいえない!」
「それこそ味の追求をやめて、料理の名称という形式にとらわれたエゴイストの言うことだわ!」
ダンッと机を叩いて、同時に立ち上がる。残念だ。どうやら私たちは、この点に限っては絶対に分かり合うことがない。
「――表に出たまえ。二枚で勝負だ!」
「――上等。雲山、行くよ!」
ボーダーオブデュエル。お互いにスペルカードを出し合う。一輪に呼ばれた雲山は、盛大にため息を吐いていた。それはそうだろう、一輪の間違った正義のために、その拳を振るわなければならないのだから――。一触即発の空気を纏いながら外に向かおうとすると、
「ごめんくださーい」
玄関から来客の声が聞こえてきた。この声は――。
「私が出よう。いいかい? 逃げるんじゃないよ」
「誰が」
う~っと睨み合いながら、玄関に向かう。そして、
「あ……」
「やあ、鈴仙」
いつも通り、大きな荷物を抱えて、鈴仙が玄関に立っていた。
「こ、こんにちは……」
昨日のことのせいか、鈴仙は気まずそうに、言葉を濁す。昨日は色々ありすぎて、私たちもゆっくり話ができていない。
「こんにちは。ああ、来てくれてよかったよ。ずっと――気にしてたんだ」
「――え?」
覚悟はしていたとは言え、やはり鈴仙の言葉はこたえた。私はてゐや永琳のように――強くはないのである。
「結果や意図はどうあれ、君が傷つく原因を探したのは私だからね。だから、君の言葉も――当然だ」
「そんなことない!」
命蓮寺の静かな昼下がりに、鈴仙の声が響き渡る。
「私、師匠やてゐやナズーリンに酷いこと言って――みんな私のために動いてくれたのに。だから師匠とてゐには必死で謝ったの。でもナズーリンにはちゃんと謝れてないから、こうしてここに――ナズーリン、その、本当に」
「本当に、ごめんなさい――!」
謝罪の言葉を述べながら、頭を下げてしまった。その声は今にも泣いてしまいそうなほどに、震えていた。
せっかく前へ走り出したというのに、こんなところで踏みとどまらせるわけにはいかない。さて、いつもなぜか上手くいかないアフターサービスの時間だ。
「……顔をあげてくれ、鈴仙」
私の言葉に、ようやく顔を上げる鈴仙。ああ、やっぱりその目には涙が浮かんでいる。
「永琳やてゐとはよく話し合ったんだろう? ならそれで十分さ。私はただ探し物をしただけだからね。それに鈴仙には無断でこんなことをしてしまったんだ。私のほうこそ謝らないといけない。鈴仙」
「本当に――すまなかった」
精一杯の謝意をこめて、頭を下げる。ネズミの狡賢さをもってしても、これ以外に鈴仙の気持ちを傷つけた償いは思いつかなかった。
「ちょ、ちょっと、やめてよ。ナズーリンに頭下げられちゃ、私もまた頭下げないとダメじゃない。キリが無いって。だ、だから頭上げて、ね?」
鈴仙の言葉に、頭を上げる。鈴仙はあたふたして、ものすごく戸惑った顔をしている。
「うーん。なんか謝りに来たのに逆に謝られちゃ、なんかわたしの立つ瀬が……」
「私も同じさ。だからどうだろう。このことはもう水に流してしまおう。そのほうが後腐れがなくていい」
「ん、まあ、ナズーリンが、そう言ってくれるんなら私としては何も」
そしてお互いの顔を見る。うん、もう鈴仙から気まずさは感じられない。自然と私たちは、玄関で笑いあった。もやもやしたものを水に流すには、やっぱりこれが最善の方法なのかもしれない。
「――そうそう、師匠からもあなたにお礼がしたいって」
「永琳が? 何かな?」
「師匠特性の薬よ」
「薬なら昨日もらったけど」
「普通の置き薬では扱ってない特別なものなの。けっこう貴重よ?」
そう言いながら取り出したのは丸薬がたくさん入ったビン。
「じゃあ薬の説明をしていい?」
心なしか、緊張しつつもウズウズした様子の鈴仙。この説明の上達も、鈴仙が前進する上で、とても重要な意味をもつのだろう。
「ああ、お願いするよ。今度はわかりやすく頼むよ」
目を細めて、からかうように言う。そんな私の毒に、鈴仙は苦笑しつつ、コホンと息を一つ吐いた。
「えー今回師匠がナズーリンのお礼に選んだ薬は、名を『胡蝶夢丸アポカリプスタイプ』といいまして、たった一粒飲むだけで、七日七晩夢の世界を堪能できるという――」
「待ちたまえ」
眉間をおさえながら、空いた手で鈴仙の説明を制止する。鈴仙はそんな私に、戸惑いと焦りを交えて尋ねた。
「あれ……? も、もしかしてまた何か説明がまずかった?」
「どちらかというとまずいのは君の師匠のセンスかな」
一粒三百メートルどころではない。いったい何をどうしたら、そんな最終決戦用安眠薬が作れるのだろうか。そして七日七晩というが、どう考えても終末が訪れるまで元の世界に戻れる気がしないネーミングである。昨日の永琳からはピンとこなかったが、てゐの「マッドな薬師」という評価も今なら頷けてしまう。
「あー鈴仙。悪いが私にはまだこの薬は早いと、永琳に伝えてくれ」
「そっか……。気に入ると思ったんだけど」
残念そうに薬ビンをしまう鈴仙。あの師匠にしてこの弟子ありである。
ところで、
「鈴仙」
「ん?」
「それ」
私が指差したのは鈴仙の腰に下げられた、銀色に鈍く輝く一丁の銃。
「ああ、これ? うん、ちょっと物騒かなって思ったけど、弾は入ってないし、刀差して人里に買出しに来る子もいるからまあいいかなって」
「ふうん。どうしてわざわざ身につけてるんだい?」
まあ答えはだいたい想像できるが、やはり思いは直接語ってもらうほうがいい。
「うん、大した理由じゃないんだけど」
守り通すことを――諦めないためにね
予想通りの、真っ直ぐな答えだった。
「――さて、じゃあもう行くわ」
「また人里に行くのかい?」
「ううん、ちょっと師匠に言われた薬草を摘みに」
「そうか。忙しいんだね。昨日の今日なのに」
「まあねえ、師匠ももう少し優しく指導してくれたらいいのに」
はあ、とため息をつく鈴仙。しかしそこに、昨日のような憂鬱な空気はない。むしろ――
「そういう割には、なんだか嬉しそうじゃないか」
私の指摘に、鈴仙は、初めて見せるような笑顔を弾けさせて
「少しでも――強くなれるような気がするからね」
力強く空へ飛んでいった鈴仙を見送り、私は先ほどの一輪とのやりとりを思い出す。ふふふ、どう料理してくれようか。
一輪を泣かすためのスペル構成を考えながら襖を開けると、
自らの体の一部をたくましい腕に変化させて、上座に陣取る人物の肩を揉む雲山。
新しく作ったのであろう月見そばを出し、まるで旅館の仲居のように正座をして側に控える一輪。
そしてズルズルと音をさせながら、
「来ていたのか、てい」
「あれ、あんまり驚かないね」
当然のように、詐欺兎がそばをすすっていた。
「まあ来ると思ったからね」
「ちっ、ネズミは学習能力だけは高いんだから」
そう毒づくてゐの器をちらっと覗き見、そして勝利を確信する。
「ご覧よ一輪。ていもこうして卵を残してるよ。どうやら正しいのは私のほうだったようだ」
静かに控えていた一輪が私の言葉にピクッと反応し、てゐの器の中を見て、顔を青くする。
「そんな……ばかな。だってそれじゃあ、ちょっと味のついたゆで卵と同じじゃない――」
「現実をみなよ一輪。大先輩がこうして卵を残しているんだ。てい、やはり君も卵を残す派だったんだね」
マイペースにそばを堪能しているてゐは、勝者と敗者に目を向け、
「いや、別に。たまたまだよ」
見事に勝敗の境界をあやふやにした。
「へ?」
「はい?」
「何? あんたたち、そんなことで争ってたの? 次元が低いね~。そんなの気分に決まってるじゃん。というか」
「ぶっちゃけ考えたことも無いし、どうでもいい」
「……」
「……」
本当にどうでもよさげな目で、私と一輪を見る。残ったのは勝者でも敗者でもなく、ただ空しさだけが、居間を支配していた。ふと目を向けると、雲山がてゐの言葉に同調しながら、呆れたように私たちに目を向けた。雲山よ、お前もか。
「それでてい。今日はどうしたんだい?」
貫禄を見せ付けて醜い争いを止めてくれた大先輩に、私は尋ねた。てゐは私の質問には答えず、お茶をすすったままだ。
まあいい加減、この兎の思わせぶりな仕草は慣れっこだ。慌てずに待っていると、
「今、鈴仙が来てたでしょう?」
「ああ、来てたね」
「――どうだった?」
とても抽象的な質問。それでも、てゐが聞いているであろうことに、私は思ったことを素直に答える。
「元気一杯だったか、といわれるとそうでもないけど、少なくとも憂鬱そうではなかったね」
「そ」
「ああ、あと別れ際に」
「んん?」
「――とても素敵な笑顔を見せてくれたよ」
私の答えに満足したのかどうかはわからないが、それでもてゐは普段とは違う、嬉しそうな笑顔で、
「――そ」
ただ一音を以って、答えた。
「……まったく、もう少し鈴仙に優しくしてあげてもいいんじゃないか? 君の友情はわかりにくいんだよ」
「伝わらなくてもいいよ、そんなめんどくさそうなもの。私は鈴仙をからかって困らせる、鈴仙は私に振り回される、
そうやって私たちは上手いこと回ってるんだよ、いちいち考えるまでもなくね」
私の指摘なんぞまったく意に介さないてゐ。まあそうだよね。きっとこの二人は、私には――他人にはわからない絆で、強く結ばれているのだろう。
「私も一つ聞いていいかな?」
「ん? 何?」
「鈴仙は、この先ずっと、前へ走れると思うかい?」
私もわかりにくい質問を繰り出す。それでもてゐは即答した。
「さあね。お師匠さまの言うとおり、未来なんて誰にもわからないからねえ。でもさ」
「もう、撃っちゃったからね――」
バァーン――指で銃の形を作りながら、てゐは鈴仙の幸運を祈るように、そう言った。
「んじゃ、帰るわ」
「もうかい? 早いね」
「聞きたいことは聞いたしね。おっとそうだ。ネズミ、あんたにお礼するの忘れてた」
「お礼? へえ、君が。ちょっと楽しみじゃないか」
「『あなたにはきっと良いことがあるでしょう』」
唐突に占いのようなことをいうてゐ。
「……は?」
「グッドな詐欺兎から、幸運をプレゼントだよ」
なんだそりゃ。そんなあやふやなもの、報酬といえるのだろうか。そもそも、
「それ、信じていいのかい? 君は詐欺兎なんだろう?」
私のからかうような物言いに、今まで見せたこともないような、見た目相応の幼さと眩しさを伴って、
「ウサかどうか、信じるも信じないもあんた次第だよ。だって未来なんて、誰にもわからないんだからね」
永い永い有限の未来を愛するように、幸運の詐欺兎は、笑った。そんな笑顔を見せられたら、信じずにはいられないじゃないか。
今度こそ去ろうとするてゐに向けて、
「なんだかよくわからないけど、もらえるものはありがたくもらっておくよ、じゃあまたね――“てゐ”」
友情をつたない発音にこめ、別れの挨拶を言う。一瞬目を丸くしながら、しかしてゐはすぐにいつも通りにやりと笑って、
「六十点だよ――“ナズーリン”」
六十点ねえ。ま、最後に名前を呼んでもらえたあたり、及第点には届いたのだろうか。
てゐが帰って、また一輪とお茶を飲む(さすがにお互い戦意は喪失している)。
「なんだか最後までよくわからない兎だったわねえ
傍で静かに話を聞いていた一輪は、そんな感想を漏らした。
「あんたはどうなの? 一日一緒にいたわけだし」
「私もさっぱりさ。付き合ってみて、逆にますますわからなくなったよ。いいやつではあるんだろうけどね」
「ふーん。ま、何はともあれ、いい結果に転がったわけだし、良かったじゃない。お手柄ね、お疲れ様」
一輪がねぎらってくれる。でも――
「――なに、私は探し物をしただけ。いい結果になったのは、私の手柄じゃないさ」
「ふむ?」
そう。結局、今回も私は、ただ銃を探して、見つけ出しただけだ。鈴仙が前に進むことができるようになったのは、ひとえにてゐの友情、永琳の導き、そして鈴仙の誓い――三人の思いの賜物である。私がやったことなんて、本当に微々たる物だ。
てゐは言った。私たちは『脇役』だと。なるほど、探し屋の看板を掲げる私を言い表すのに、これほどふさわしい言葉はない。
「――ネズミは狭い場所が好きだからね。依頼人が入れないスキマにするりと入って、走るのさ。たとえ微力でも、そうすることで、少しでも何かが変わるのならね。それが今の私にできる、探し屋としての誓いだよ」
そんな私の言葉に、一輪は飲んでいたお茶を置く。
「いいんじゃない? それも一つの人助けの形でしょ。命蓮寺の教えに相応しい、ね。だから」
私の目を、真っ直ぐ見据えながら、
「その誓いを誇れ。そしたら私は、そんな微力な私の友達を――誇りに思ってやらないこともなくはないわ」
礼なんてもういらないのだろう。行動で示せ。厳しくも優しいわが悪友は、そう言う代わりに、またなんでもない風に、お茶を飲み始めた。
「ただいま帰りましたよ~」
と、間延びした声でシリアスな雰囲気をものの見事にぶち壊したのは、
「おかえりなさい、星さん」
「はい、ただいま。一輪はもうお昼食べましたか?」
「ええ、さっきナズーリンと一緒に。今は食後の休憩ってやつです」
「そうですか。ならちょうどいいですね……で、どうしてナズーリンはそんな微妙な顔で私を見るんです」
「いや、この空気の壊しっぷりは見事なものだってね……いやはや、流石はわがご主人だ」
「もしかしなくても全然褒めてませんよね?」
私の皮肉に、ご主人はムッとしながら言った。と思ったら珍しくすぐに余裕ぶった表情を見せる。
「ふふん、いいんですよ? そんなことを言うナズーリンには、これはあげません」
そう言いながら取り出したのは、
「……栗ういろう」
「ええ、人里で福引をやってたんで試しに引いてみたら、見事これが当たっちゃったんですよ。ラッキーでしたね」
嬉しそうに笑うご主人をよそに、私と一輪と雲山は、顔を見合わせる。
「もしかして……これがあの兎の言ってた『良いこと』?」
「さてね……ま、そう考えたほうがなんか素敵じゃないか。詐欺兎の名には相応しくないがね」
本当に、あの兎の友情は――わかりにくい。
「何かあったんですか?」
苦笑し合う私たちを見て、頭にはてなを浮かべながら聞くご主人。
「たいしたことじゃありませんよ。いや、本当にラッキーでしたね」
「そうさ、お手柄だよご主人」
そう言いながら、包みを開けようとすると
「あ、ナズーリン。あなたにはあげないって言ったでしょう」
こらー! と虎っぽく吼えるご主人を見て思う。そうだ、私はみんなのために自分を殺す『優秀』な毘沙門天の代理ではなく、こんな風に怒ったり、慌てたりする、強くて優しいけど少々うっかり者のご主人が、好きなのだ。
――と、ここでふと、あることに気づく。
「――もしかして君もこんな気持ちなのかい? てゐ」
なるほど、だとしたら、確かにこれを真っ直ぐ伝えるのは、めんどくさい。
「何をわけのわからないことを言ってるんですか! さっさとお菓子から手を離しなさーい!」
いつまでもご主人が、こんな感じで怒れるように、騒いだりできるように、そばで支え続ける。
それが、ご主人のことが大好きな、ナズーリンとしての――誓いだ。
「まあまあ、上司は部下には寛容であるべきだ、そう意地悪を言うなよ。さあ、お茶にしよう」
***
弾丸は放たれた。それは、彼女の耳のように頼りない弾道だけれど、本物の銃弾とは比ぶるべくもない速さだけれど、それでも彼女は、胸に誓いをこめ、はるか遠い未来で待つ的めがけて、永い永い距離を、ただ、走る。
微妙に読みづらいです。
「ワンホールショット」ではないでしょうか?
恥ずかしながら完全に勘違いしていました。
お早いご指摘に感謝いたします。
とりあえず一輪さんがやけにイキイキしてますね。
今回も凄い面白かったです!
どのキャラもいい味出していたと思います。
前作を拝見してないので、そちらも読んでこようかと
ちなみに私も黄身は潰しません
卵が強すぎて出汁の風味が無くなってしまいますから
あまりにもナズーリンが脇役すぎて、
もちろん脇役でいいし、そういう話なんだけど、
前作くらいに 影響を与えるポジションになると
もっといいのにな、と思います。
いやはや、それにしてもいい話だ。
いろんな人に弱みを握られるナズーリン。
前回に続きクールに見えてどこか抜けてるドジっ娘ナズりん☆がいいキャラです。
次回作も楽しみに待ってます。
一輪さんが良い味出してる。
月見はどっちでも良かったけど、ナズーリンが潰さないならもう潰さない。
素敵な短編小説でした
ただ、中身の割にちょっと長すぎるきらいがあったので90点で
そもそも、最初から黄身を割るのならば月見とする理由が無い。
合わせるだけならば溶き卵を後入れするだけで十分だろう。
月見というのは、黄身が月を模し表す事に意味がある。
それに、思いがけず黄身を割ってしまった時の虚しさ、それを知るから割らない。
まあ、たまに途中で割って二種類の味を楽しみますが。
よいお話でした
これぞ合理的な思考。
ラーメンのニンニク、カップ焼きそばのマヨネーズも同じ理由で途中から入れます。
さて、それよりてゐが素晴らしいですね。
創想話において、しばしば味のあるカッコいいキャラで描かれることが多いてゐですが、
この作品でも多分に漏れず、奥行きを感じさせる魅力的なキャラクターに仕上がっていると思います。
とても素敵なお話をありがとうございます。
ナズーリンが引き立て役になってしまうのもやむを得ないかなと思いました。
むしろ、そんな引き立て役としてのナズーリンはどうだったかという視点で見ると
とても活き活きとしていて良く描けていたと思います。
鈴仙・永琳・てゐの絆にジンと来ました。こんな関係、羨ましいですね。
それぞれのキャラの魅力が見事にでていました。
特に一輪さんのキャラが素敵。
良い話をありがとう
鈴仙もなかなかに思うところがあったようだけど、ちゃんとそれを乗り越えてこれからに目を向けれるようになったようで良かった。
個人的には姫様の絡みが無いことに涙したけどww
月見そばだろうが月見うどんだろうが卵は入れない俺に隙は無かった。
そしてこのシリーズ楽しみなので、これからもがんばってください