永遠亭では体を温かくしてよく眠るようにと言われたけれども眠らなければならぬと思えば思う程眠れないものだ。
寝付きが良くなるかと思って霊夢が昼に差し入れてくれたチョコレート菓子をちょっとかじってみたが失敗だった。
おそらくは喉に来て味覚が麻痺しているのか、何か安物のまずいコーヒーを飲んだみたいな感覚が有る。
実際寝る前に苦いコーヒーか紅茶をちょっとでも飲んだら眠れなくなるカフェイン過敏体質なのでそういう事には神経質になってしまう。
いや、そもそもチョコレートというものには一般的にカフェインが含まれていたのだったか。駄目だ、記憶を辿るにも集中力が足りない。明日にでも霊夢に聞いてみよう。
冷たい風がどこからか吹いてくる。どこの隙間から洩れているのか。
窓が開いている筈は無い。窓を一旦目視して閉まっている事を確認した。ならばこの風と、体の芯からそれに呼応するように湧き起こってくる寒さは何なのだろう。
体の表面にほのかな暖かさを受け止めるのであるが、対照的にと言おうか、まるで暴風雨のような激しさで流木の如き私を揺り動かし、心底寒からしめる一つの悪寒が有る。
これは強大であって到底そんなほのかな熱で対抗できるものではない。
寒さに耐えかねて手で体中の脂汗を拭く。汗の気化熱のせいで、風を余計に冷たく感じるのではないかと考えたのである。
しかして体をきりきりと絞りながら世界を奪ってゆく謎の風。
窓が開いている筈は無い。再びベッドから起き出し立ち上がれば、窓を調べてしっかり閉まっている事を確認する。
三度ベッドから起き出し立ち上がって、窓を触ってはしっかり閉まっている事を確認する。
頭の中を引き裂くような激しい苦しみが通り抜けるのを感じる。
指先が冷たくなればなるほどに思考は纏まらない。元来夜ほど心細い時は無いのである。
普段ですら時折寂しさに枕を濡らすのにましてやこの精神では。
大変に弱っているのはまさに我が精神である。
今右胸から鎖骨の付け根あたりにかけてきりきりと締め付けるような強い痛みが走り、また再び背中から前側へと通り過ぎて行きながら消えないのを知覚する。
嗚呼私の体の中では今どのような反応と変化が立ち起こっているのであろうか。
まるで自分の身体が何か新しい物に作りかえられているのを感じる。これが果たして生のもたらすものなのか、死のもたらすものなのかいまいち判別が付かない。
出し抜けに私をして悲しくするのは膨大な不安である。不安で済ませてよいものか。とんでもない。生は終わるのだ。
いつかは私も死ぬのである。そして死ぬまでの道のりを死の恐怖に脅え怖がりながら生きて行かねばならない。
おおなんという長い道のりよ。こんな弱いこんな悲しい、些細な事で大変に激烈な苦しみを訴えてくる小さな女の肉体を持った私が、こんな卑小な精神を携えて果たして生きていけるのだろうか。
今激しい涙をもたらすのは人恋しさであろう。誰かと話でもできれば気も紛れるものを。現実にはこの夜の間誰も決して私を訪ねてくる事は無いのだ。
『死のうと思っていた。ことしの正月、よそからお年玉としてである。布地は生きて織りこめられて麻であった。着物を一反もらった。
鼠色の細かい着物の縞目が夏に着る着物であろう。夏までいようと思った。これは夏に着る着物であろう。夏には秋に秋の開きの安岐の明きの。』
眠る為に、魔法書の内容などどうせ頭に入らぬだろうからとそこに有った小説を読みはじめたがやはりさっぱり内容が頭に入らない。
文章は全て読んだ端から崩壊して混濁して意味不明になる。
考えると小説など一行の真実を言いたいがために100行の雰囲気作りが施してあるに過ぎない。その雰囲気作り一行にすら私の頭が耐久しうるべくも無いとなれば。
と、ベッドの傾いている感がしてぎょっとする。シーツも毛布もまるで液状か泡状になった様子で脚が当たるたびに形が安定しない。
体重をかけた所が落ち窪んで、そこから新しい世界へと引き込まれてしまうかのような感覚。バランスを取るために片足で蹴り飛ばせばまた歪んで広がる世界。私の体はぐるぐると回る。
ぐるぐるごろごろと回るのは今や溺れかけた人のように必死である。高速回転するから蒲団と絡まり合って溶け合って一つになっていく。
いや一つになってしまいたいのになれないのである。
一つになってしまえたらどれ程楽だろうか。なれないから高速に回転するのをやめられぬ。
限りなく地球の底へ落ちて行く恐怖が体を覆って離れない。
ごろごろぐるぐるしていたらベッドが傾いて沈む床に吸い込まれていく。
その奥とは紫と緑を不完全に混ぜた闇色。世界の全てが滑り落ちて行っている。
なんにせよこんな地盤の安定しない所に家を建てるのは幻想郷ではトレンドなのだろう。私が知らないだけで。
はっと気が付くとうとうとしていた。いけないいけない。いやこれでいいんだ。寝ようとしてんだから。
体を暖かくして寝なさいと言われていた。すると今のは夢だったのか。嫌だなあ。
眠くて寝なきゃいけなくて自分だって寝たいのに寝れない。なんという不思議。
しかもいずれにせよ夢を見ているような感覚はずうっと抜けないから不思議だ。
精神の不安定はもはや何にも象徴されぬからには不安定な精神そのものとして現れる他無い。
他者から見ればただの精神の不安定でもここに至って下手をすれば本人には致命的になる。
観念や物語、寄る辺を失った体が突然がたがたと震えだすのである。
降り積もる金銀の粉。まだ空中に紫の蝶が舞い飛んで鱗粉をばら蒔いている様子だけれどもどうせコレすらただの夢なのだろう。
頭までぐらぐらとしてくるぜ。思ったら本当に取れている。嗚呼それにしても一向に眠くならない。嗚呼それにしても、結局チョコレートにカフェインは含有されていたのだろうか。
引き込まれるんだけど、何故そうなのかがわからない不思議
これもカフェインのせいなのか
この歳で、一人暮らしをしつつ魔法使いをやってる人間の彼女だからこそ、この寂寥感、それに伴う不安と不安定感が、滲み出るように生々しく、どこか危うげなものとして活きてくるのだと思いました。
ストーリーの無い物語もありなんだなぁと感心。
未だわからないから一人暮らしでの風邪引きはマジで勘弁。
それにしても、陰鬱感の漂う作品ですこと。