一発芸。
響きの、何と恐ろしい事か。
一発である。全てが一発で終わる。
ボムは言うに及ばず、残機などと言う生易しいものも、ない。
ただあるのは、受けるか、否か。
「だからな、今日は月夜じゃないか。まさに月下。この為だけに頭を下げて服まで借りたってのに……!」
「や、魔理沙さん。テープをおかしした私ですらピンとこなかったんですから」
「あ、で、でも、貴女とアリスのダンスは綺麗だったわよ?」
「ネタが解らないんじゃ笑いようもないじゃない」
受けなかった話の解説など、もってのほかである。
東風谷早苗の弁明にパチュリー・ノーレッジの援護が続き、けれども博麗霊夢がとどめをさした。
さされた霧雨魔理沙は嘆きをあげ、パートナーである少女の両袖を握り、縋りつく。
少女――アリス・マーガトロイドは支えつつ、ひきつった笑みを浮かべていた。
何故斯くの様な展開になったのか。――否、過去に目を向けていてもどうにもならない。
何時も通りの宴会で何時もの面子を前にして、何時の間にやら賽は投げられたのだ。
後戻りはできない。速攻で沈んだ起案者の為にも。
「……って、魔理沙。あんたが言いだしっぺじゃないの」
苦言を呈しつつもアリスは揺れる両肩を小さく撫でたが、魔理沙の傷はより深かったようだ。
「だから一番手を務めたんだろ! 受けると思ったのにっ」
「何をどう勘違いしてそう思ったのか。私はともかく、早苗まで固まったじゃないの」
「魔理沙さんとアリスさんで『マリス』は理解できます。でも、後半がわからず……ごめんなさい」
霊夢の追及、早苗の謝罪。魔理沙が更に凹んだ。情けは人のためならず。誤用。
きぃれぃぇな夜(よぉる)だからぁ、かぁなぁしい夜だからぁ――♪
あんたが悪い――思いながらもアリスは背に緊張が走るのを感じた。
得体の知れない悪寒に冷や汗まで流しつつ、視線を左右に飛ばす。
原因はすぐ近くにあった。否。いた。
七曜魔女パチュリーが、アリスと魔理沙を見ながら両拳を握り深呼吸している。
吸って、吐いて、吸って吐く。
魔女の頭に渦巻く算段を止める絶対の好機。
しかし、アリスはみすみす逃してしまった。何故か。
余りにも、その様子が可愛らしかったから――。
アリスが俯きその動作を噛みしめていた一瞬。
その一瞬で、パチュリーはアリスの傍へと動いていた。
日頃は緩慢とも揶揄される魔女の俊敏な動き、或いは逸る気持ちの表れか。
未だ嘆く魔理沙の、驚きの表情を貼り付けるアリスの、それぞれの袖を掴みパチュリーが咳払いを打つ。
霊夢が、早苗が、魔理沙が視線を向けた。
アリスも続く。
パチュリーの、何処か上気した頬に一抹どころではない不安を感じつつ。
「でも、ねぇ、霊夢、早苗。魔理沙もアリスも綺麗でしょう?
衣装だって人形の様。深窓の令嬢のソレ。まるでレミィ。
どうしてレミィかって言うと」
以下略。
語り終え、得意満面のパチュリー。
視線を交わしあう霊夢と早苗。
呆然とする魔理沙。
予測していたアリスのみが、辛うじて瞳を逸らさなかった。
パチュリーのソレと重なる。
重なってしまう。
――面白いわよね、アリス?
普段はようとして知れないパチュリーの心中が嫌でも読めてしまう。
けれど、あぁ、けれど――面白くない。
口を開きかけたアリスが固まる。
――もしかして、面白く……ない?
祈る様に両手を組むパチュリー。
背丈の違いから見上げられるアリス。
魔女の眉根は寄せられ、瞳には雫さえ浮かびそうだった。
まるで雨の中段ボールの端にしがみつき救いを求める小猫の様。
伝えるべきなのだ。
面白くないと断ずるべきなのだ。
だが、あぁ、だが――胸を焼く罪悪感に囚われながら、アリスは微笑んだ。
歪な笑みを浮かべながら、パチュリーに、言う。
「面白くない事もなかったような気がしないでもないわ」
あぁ! パチェが泣いちゃう!?
思ったアリス。
さにあらず。
「そうよね、面白いわよね、アリス大好きー!」
「うっそ、救えた!?」
「にゃぁん」
さにあらず。
「パチェ! あぁ、パチェ! 面白い、面白いわ!」
「もっと、もぉっと! ごろごろ」
「何度でも言うわ!?」
喉まで鳴らすパチュリーに、アリスはその髪を撫でながら偽りの言葉を繰り返す。ちょっと辛抱たまらない。
と。
空咳が聞こえ、手を止めるアリス。
辺りを見回すと不思議な事に、誰もが先程と変わらない表情を浮かべている。
それほどまでに先の一撃は重かったらしい。
思いつつパチュリーから身を離し、アリスは一同へと向き直る。
比較的立ち直りが早いのは誰だろう。
考えるまでもない。
「んぅ、霊夢?」
楽園の巫女は‘なにもの‘にも囚われない。
者にも。物にも。無論、雰囲気にも。
そうあれかし。
祈りは届き、霊夢は常日頃の彼女を取り戻した。
向き合う早苗の肩を軽く叩き、魔理沙にも声をかける。
一瞬で雰囲気をニュートラルに戻す――時には憎らしい程の能力だ。
この場は霊夢に任せてよいだろう。
断じたアリスの思考は、次なる疑問へと向かう。
魔理沙でも早苗でもなく、霊夢でもない。だとすれば、空咳は誰が――?
袖を引かれ、アリスは揺れる。
振り向いた先に見えるのは、闇。
闇の様な黒色。業火の様な赤色。
アリスを引いたのは、大図書館の司書である小悪魔だった――。
「じゃあ、早苗。次」
「私ですか?」
「そう。あんた」
「席順からして霊夢さんなのでは」
「席順なんだから、あんたなの」
「……あー、逆時計回り」
「余計な事は云わなくて宜しい」
「流石だぜ、霊夢。なかった事にする気か……!」
「アリスが褒めてくれた。ねぇ、魔理沙っ」
「な、なんだぜ、パチュリー?」
「さっきの、面白かった?」
「助けて霊夢!?」
諸々の嘆息や悲鳴はさておいて。
袖を引かれたアリスは、自身の口を人差し指で押さえる小悪魔に従い、無言で少し場から距離を取った。
少女ヨニンが囲む火種から離れた其処は、まさに闇。
悪魔の誘いは、少女に何をもたらすのか――。
「アリスさん。お話があります」
甘言の向こうにちらつくのは大顎門。巧妙に隠された悪魔の牙が、あぁ、アリスへと喰らいつく。
「あのー、アリスさん?」
「嫌妄想で現実逃避をしていたのに……っ」
「逃げないでください。……と言う事は、私が何故お呼びしたのか解っていらっしゃる?」
ぷぃすとそっぽを向くアリス。
「ア・リ・スさん!?」
珍しく怒声交じりの小悪魔に、半歩後退しながらアリスは応える。
「さっきの、パチェの件でしょう? あれはその、不可抗力と言うか……っ」
額を押さえる小悪魔。
更に窮するアリス。
あぅあぅ。
――ふと、気付いた。
「って、近くに居たの、貴女?」
「ほどほどに離れていましたよ」
「だったら、どうして聞こえたの?」
「是は異な。デビルイヤーは地獄耳」
「……貴女、何気にハイスペックよね」
「紅魔館のお手洗いが完全防音なのはその為です」
「あー、そう言う事……って、さり気に凄い事言ってない!?」
小悪魔ですもの。
胸を張る傍目から見れば淑やかな少女は、けれど本題を忘れていなかった。
「まぁ……不可抗力も解らないではありません。ですが、褒めたのは拙かった。アレはいただけない」
「だ、だって、パチェが、あのパチュリーが、小猫の様に見上げてくるんだもの……!」
「だとしても! 突き離さなくてはいけない時があるんです!」
啖呵を切る小悪魔の瞳は何処までも真摯で、故にアリスは反論できない。
色をなくしていくアリスに、それでも小悪魔の攻勢は緩まない。
何も意地悪をしている訳ではない。
引けない理由があったのだ。
呻くように、小悪魔は続けた。
「……妹様が仰られておりました。明日、こいし様が当館を訪れる、と」
「こいしが……? それがどう――!」
「ええ。恐らく、パチュリー様は」
――口にされるでしょう。貴女が面白いと言ったアレを。
言外に伝わる苦さに、アリスは身を震わせる。
パチュリーはまず間違いなく言うであろう。
フランドールに。そして、共にやってきたこいしに。
‘悪魔の妹‘はこの際、さほど問題ではない。しかし、‘無意識の少女‘はどうか。
無垢な少女の純粋な言葉はバールの様な物となり、パチュリーの心をいとも容易く砕くだろう。
「こ、小悪魔! どうし、どうしよう! 私、あぁ、何て事を……!」
絶対不可避な展開を予想してしまったアリスは小悪魔の肩を掴み、嘆きをあげた。
「アリスさん! いえ、アリス・マーガトロイド! 悔いて何になりましょう!?」
「だけど、ねぇ、私はどうすればいいの!? パチェのガラスハートは木端微塵よっ!」
「アレが硝子かどうかは議論の余地がありますが! 私が、貴女を後悔させる為だけに呼んだとお思いですかっ?」
言葉に、弾かれたように顔をあげるアリス。
交わした視線に一縷の希望を見た。
小悪魔は諦めていない。
「一つだけ、私に策があります。
それはアリスさん、貴女にしかできない。
ですが、……いえ、忘れてください。この方法は諸刃の刃。貴女に任せるのは――」
この罪を購えるならば、私は悪魔の申し出も喜んで受け入れよう――アリスは唯、その思いを胸に小悪魔を見つめた。
永遠とも思われる刹那の交錯。
暫くして、小悪魔が息を吐く。
アリスもまた、肩を下ろした。
けれど、互いの瞳に映る色は消えない。
「……いいでしょう。その方法とは――貴女が全て‘もっていく‘事です」
小悪魔の提案に、アリスは小首を傾げた。よくわからない。
「アリスさんが一発ドカンと大受けすればパチュリー様もお忘れになりますから」
「え……と。そ、その程度のものなの!?」
「酒の席なんてそんなもんです」
なるほど、言う通りかもしれない。
思うアリスであったが、思考が淀む。
何故、自分でなくてはいけないのだろう。
「責任は私にあるのがわかってるけど、事が事だし貴女でも……」
先刻承知とばかりに小悪魔は頭を振る。
「残念ながら、私の芸はアダルティ。少女である皆様に受けるとは思えません」
「やってみなければわからないじゃない、ね、小悪魔!」
「では、一つ」
渋々と言った感じで引き受けた小悪魔がブラウスの左袖口を留めていたボタンを外す。
すわ脱衣かと身構えるアリスだったが、予想は見当違いであった。
むしろ、予想通りだった方が良かったかもしれない。
袖口を限界まで捲くる、つまり腋までおしあげ、小悪魔は左腕を天へと向けた。
細い腕を支える様に右手で腕を掴み――するすると落ちていく。
直後、露わになった白い肌を眩しく思うアリスに声が届いた。
「隠し毛ぃ。なんちゃって」
夏だと言うのに、冷たくも寒い一陣の風が舞う。
「……ほら」
「や、『ほら』って。ただのおやじギャグじゃないの!?」
「おー、正常な反応。ミスティアさんや幽香さんにはパクリだパクリだと非難されました」
その割には何故か嬉しそうな小悪魔。走っても微動だにしない程度に乳を小さくした甲斐があると笑っている。
「いや、あの、ねぇ。貴女、生えるの?」
「そこですか。自由自在ですよ。小悪魔ですから」
「胸を張られてもその理屈が解らないわ……」
「様々なご要望に対応してこその小悪魔かと」
「なるほど。剃毛プレ、レ、レ、――じゃなくて!」
朱色に頬を染めつつ叫ぶアリスの後方へと腕が伸ばされた。
「ともかく! そう言う訳で私には無理なのです!」
「あ、ほんとに腋、自由自在なのね……」
「アリスさん、ドゥイット!」
向けられる指に導かれ、アリスは決意を胸に秘め、少女たちの元へと戻っていった。
二人ほど減っていた。
「あれ……? 霊夢と早苗は?」
魔理沙に問うと、肩を竦めて返される。
まず、席順通りに話を振られた早苗が脱衣を宣言した。
普段ならば真っ先に止める筈のパチュリーは夢見心地で動こうともしない。
上着を放った、つまり上半身は晒し一枚となった所で流石に拙いと霊夢が止めに入り、其処で一悶着。
『いいじゃないですか! 減るもんじゃなし!?』
『そりゃ女同士だし気にしないけど! あんた、かなり酔っているでしょう!?』
『霊夢さんは……私の肌など見るに値しないと仰るんですね……』
『や、値するとかしないとかの問題じゃ。そりゃどっちかって言われたら見たくない事も……』
『では、見せあいっこで。明るい所は苦手だと聞いておりますので、あちらの方で』
『うん、まぁ、何事もね。……あれ、ねぇ、なんで私も脱ぐ事になってんの?』
『減るもんじゃありませんし。女同士ですし。気にしない気にしない』
かくして、少女二人は月明かりの届かぬ闇の中へと姿を消した――との事。
「二人とも……藪蚊には気をつけるのよ」
「大丈夫だろう。あいつらの周りには寄りつかん」
「そうね、魔理沙。二人は結界に守られている。結界の名は――愛」
呟くアリスに、魔理沙のじとりとした半眼が向けられた。
「……そんなキャラだっけ、お前」
「うぅ、重圧が私を狂わせる」
「なんのこっちゃ」
呆れた声を浴びながらも、アリスは俯き胸を撫で下ろす――危なかった。
脱衣。
アリスも考えてはいた。
否、場を吹き飛ばす程となると、それ位しか思いつかなかった。
しかし、結果はどうだ。事の主題であるパチュリーは未だぼぅとしている。
早苗ほどのポテンシャルの持主でさえ関心を引けないのだ。
自身では見向きさえしないだろう。
「ともかく、トリだぜ、アリス」
此処にはいない早苗に感謝の念を送り――固まる。じゃあどうしよう。
正直、もう何も浮かばない。
そもそもアリスの会話術は掛け合いを練り上げてのものだった。
インパクト命の一発芸など、ストックの一つも持ち得ていない。
(あぁ! 私はいつもそう! 土壇場になると何もできない……!)
胸に手を当て嘆くアリス。大げさと言うなかれ。自身もわかっているのだから。
「……アリス?」
わかっていない魔理沙が声を掛けてくる。
アリスは生気のない瞳で振り向いた。
――数瞬後、満ちた。
魔理沙も脱がそうか。
いっそのこと、パチュリーも。
そしてめくるめく魔女の宴。サバト。ハレルヤ!
「おーい」
ぎらつく視線を向けるアリス。
しかし、魔理沙は一向に意志を酌もうとしない。
眼前の少女が淑女への扉を開こうとしているなど予想だにしていないと言うべきか。
「……あ、お前、まさか」
故に、魔理沙はあくまで彼女の意思を押し付けた。
「私とネタが被ったか! 人形もあるしな!」
的外れな指摘はしかし、アリスにある閃きを与える。
人形。
まさに天啓。
アリスの思考の歯車が動き始めた。
(そう、私には人形がある。否、いる。可愛い彼女達が――あぁっ!)
歯車は動く。
出鱈目な速さで回る。
がつんがつんとぶつかり幾つかの螺子を弾き飛ばした。
螺子の役割は理性とか常識とか羞恥心とか。
(……思いついた)
(このネタなら、世界も取れる)
(母さんだって大爆笑してくれるわ!)
ある意味では世界だが。
絶対勝利の確信を得、不敵に笑うアリスの瞳は少女フタリを捉える。
一人は魔理沙。怪訝な視線を返してきていた。
ヒトリはパチュリー。未だ、ほわん。
「んぅ」
空咳を一つ打つ。
「魔理沙、パチェ」
呼びかけ、片手を胸に、片腕を広げる。
「待たせたわね。始めるわ」
窺う視線。
恍惚の瞳。
二つの双眸を抱きこむように、アリスは広げた腕を大きく振り、頭を下げた。
「人形遣い、アリス・マーガトロイドが一発芸、とくとご覧あれ」
腕を開く。
先ほどとは違い、両腕を左右に大きく。
何処にしまっていたのか、十数体の人形が解放される。
「蓬莱……?」
幾つかの人形は、魔理沙やパチュリーが名前を知るものであった。
「……オルレアン?」
人形たちはてこてこと歩き、フタリの前に整列する。
小さく頭を下げ、各々小さな腹部に手をあてがう。
無論、アリスの指示であった。
魔理沙は思う。合唱だろうか。喋れたっけ、こいつら。
パチュリーは考える。拍手? 私に対する拍手? ぁん、もっと!
アリスは笑んだ。
フタリの思考が読めたのだ。
その上で、全てを吹き飛ばすインパクトがあると断じた。
右腕を大きく振りかぶる。
視線を自身に戻す為のデモンストレーション。
推測通り、フタリの瞳は人形たちからアリスへと向けられた。
そして、アリスは、彼女が最も愛用する人形を掴んだ手を下ろし、言った。
「しゃん、はいっ」
魔理沙とパチュリーが見たアリスの表情は、余りにも無垢に輝く少女の笑顔だったと言う――。
余談の一。小悪魔の気苦労が増えた。
余談の二。戻ってきた二人――片方はさめざめと嘆き、片方はいい表情をしていた。
余談の三。翌日、こいしは紅魔館に来なかった。フランドールが図書館でぷりぷり怒っている。
「つまんないつまんない! ねぇ、パチュリー、何か面白い事ない?」
「ふふ、しょうがない妹様。でも、いいわ。ねぇ、魔理沙」
「リベンジだぜ。衣装の準備はあるだろうな、アリス?」
「勿論。――無論、人形たちもね」
「結局、私の気苦労が増えただけじゃないですかぁぁぁ!?」
<了>
響きの、何と恐ろしい事か。
一発である。全てが一発で終わる。
ボムは言うに及ばず、残機などと言う生易しいものも、ない。
ただあるのは、受けるか、否か。
「だからな、今日は月夜じゃないか。まさに月下。この為だけに頭を下げて服まで借りたってのに……!」
「や、魔理沙さん。テープをおかしした私ですらピンとこなかったんですから」
「あ、で、でも、貴女とアリスのダンスは綺麗だったわよ?」
「ネタが解らないんじゃ笑いようもないじゃない」
受けなかった話の解説など、もってのほかである。
東風谷早苗の弁明にパチュリー・ノーレッジの援護が続き、けれども博麗霊夢がとどめをさした。
さされた霧雨魔理沙は嘆きをあげ、パートナーである少女の両袖を握り、縋りつく。
少女――アリス・マーガトロイドは支えつつ、ひきつった笑みを浮かべていた。
何故斯くの様な展開になったのか。――否、過去に目を向けていてもどうにもならない。
何時も通りの宴会で何時もの面子を前にして、何時の間にやら賽は投げられたのだ。
後戻りはできない。速攻で沈んだ起案者の為にも。
「……って、魔理沙。あんたが言いだしっぺじゃないの」
苦言を呈しつつもアリスは揺れる両肩を小さく撫でたが、魔理沙の傷はより深かったようだ。
「だから一番手を務めたんだろ! 受けると思ったのにっ」
「何をどう勘違いしてそう思ったのか。私はともかく、早苗まで固まったじゃないの」
「魔理沙さんとアリスさんで『マリス』は理解できます。でも、後半がわからず……ごめんなさい」
霊夢の追及、早苗の謝罪。魔理沙が更に凹んだ。情けは人のためならず。誤用。
きぃれぃぇな夜(よぉる)だからぁ、かぁなぁしい夜だからぁ――♪
あんたが悪い――思いながらもアリスは背に緊張が走るのを感じた。
得体の知れない悪寒に冷や汗まで流しつつ、視線を左右に飛ばす。
原因はすぐ近くにあった。否。いた。
七曜魔女パチュリーが、アリスと魔理沙を見ながら両拳を握り深呼吸している。
吸って、吐いて、吸って吐く。
魔女の頭に渦巻く算段を止める絶対の好機。
しかし、アリスはみすみす逃してしまった。何故か。
余りにも、その様子が可愛らしかったから――。
アリスが俯きその動作を噛みしめていた一瞬。
その一瞬で、パチュリーはアリスの傍へと動いていた。
日頃は緩慢とも揶揄される魔女の俊敏な動き、或いは逸る気持ちの表れか。
未だ嘆く魔理沙の、驚きの表情を貼り付けるアリスの、それぞれの袖を掴みパチュリーが咳払いを打つ。
霊夢が、早苗が、魔理沙が視線を向けた。
アリスも続く。
パチュリーの、何処か上気した頬に一抹どころではない不安を感じつつ。
「でも、ねぇ、霊夢、早苗。魔理沙もアリスも綺麗でしょう?
衣装だって人形の様。深窓の令嬢のソレ。まるでレミィ。
どうしてレミィかって言うと」
以下略。
語り終え、得意満面のパチュリー。
視線を交わしあう霊夢と早苗。
呆然とする魔理沙。
予測していたアリスのみが、辛うじて瞳を逸らさなかった。
パチュリーのソレと重なる。
重なってしまう。
――面白いわよね、アリス?
普段はようとして知れないパチュリーの心中が嫌でも読めてしまう。
けれど、あぁ、けれど――面白くない。
口を開きかけたアリスが固まる。
――もしかして、面白く……ない?
祈る様に両手を組むパチュリー。
背丈の違いから見上げられるアリス。
魔女の眉根は寄せられ、瞳には雫さえ浮かびそうだった。
まるで雨の中段ボールの端にしがみつき救いを求める小猫の様。
伝えるべきなのだ。
面白くないと断ずるべきなのだ。
だが、あぁ、だが――胸を焼く罪悪感に囚われながら、アリスは微笑んだ。
歪な笑みを浮かべながら、パチュリーに、言う。
「面白くない事もなかったような気がしないでもないわ」
あぁ! パチェが泣いちゃう!?
思ったアリス。
さにあらず。
「そうよね、面白いわよね、アリス大好きー!」
「うっそ、救えた!?」
「にゃぁん」
さにあらず。
「パチェ! あぁ、パチェ! 面白い、面白いわ!」
「もっと、もぉっと! ごろごろ」
「何度でも言うわ!?」
喉まで鳴らすパチュリーに、アリスはその髪を撫でながら偽りの言葉を繰り返す。ちょっと辛抱たまらない。
と。
空咳が聞こえ、手を止めるアリス。
辺りを見回すと不思議な事に、誰もが先程と変わらない表情を浮かべている。
それほどまでに先の一撃は重かったらしい。
思いつつパチュリーから身を離し、アリスは一同へと向き直る。
比較的立ち直りが早いのは誰だろう。
考えるまでもない。
「んぅ、霊夢?」
楽園の巫女は‘なにもの‘にも囚われない。
者にも。物にも。無論、雰囲気にも。
そうあれかし。
祈りは届き、霊夢は常日頃の彼女を取り戻した。
向き合う早苗の肩を軽く叩き、魔理沙にも声をかける。
一瞬で雰囲気をニュートラルに戻す――時には憎らしい程の能力だ。
この場は霊夢に任せてよいだろう。
断じたアリスの思考は、次なる疑問へと向かう。
魔理沙でも早苗でもなく、霊夢でもない。だとすれば、空咳は誰が――?
袖を引かれ、アリスは揺れる。
振り向いた先に見えるのは、闇。
闇の様な黒色。業火の様な赤色。
アリスを引いたのは、大図書館の司書である小悪魔だった――。
「じゃあ、早苗。次」
「私ですか?」
「そう。あんた」
「席順からして霊夢さんなのでは」
「席順なんだから、あんたなの」
「……あー、逆時計回り」
「余計な事は云わなくて宜しい」
「流石だぜ、霊夢。なかった事にする気か……!」
「アリスが褒めてくれた。ねぇ、魔理沙っ」
「な、なんだぜ、パチュリー?」
「さっきの、面白かった?」
「助けて霊夢!?」
諸々の嘆息や悲鳴はさておいて。
袖を引かれたアリスは、自身の口を人差し指で押さえる小悪魔に従い、無言で少し場から距離を取った。
少女ヨニンが囲む火種から離れた其処は、まさに闇。
悪魔の誘いは、少女に何をもたらすのか――。
「アリスさん。お話があります」
甘言の向こうにちらつくのは大顎門。巧妙に隠された悪魔の牙が、あぁ、アリスへと喰らいつく。
「あのー、アリスさん?」
「嫌妄想で現実逃避をしていたのに……っ」
「逃げないでください。……と言う事は、私が何故お呼びしたのか解っていらっしゃる?」
ぷぃすとそっぽを向くアリス。
「ア・リ・スさん!?」
珍しく怒声交じりの小悪魔に、半歩後退しながらアリスは応える。
「さっきの、パチェの件でしょう? あれはその、不可抗力と言うか……っ」
額を押さえる小悪魔。
更に窮するアリス。
あぅあぅ。
――ふと、気付いた。
「って、近くに居たの、貴女?」
「ほどほどに離れていましたよ」
「だったら、どうして聞こえたの?」
「是は異な。デビルイヤーは地獄耳」
「……貴女、何気にハイスペックよね」
「紅魔館のお手洗いが完全防音なのはその為です」
「あー、そう言う事……って、さり気に凄い事言ってない!?」
小悪魔ですもの。
胸を張る傍目から見れば淑やかな少女は、けれど本題を忘れていなかった。
「まぁ……不可抗力も解らないではありません。ですが、褒めたのは拙かった。アレはいただけない」
「だ、だって、パチェが、あのパチュリーが、小猫の様に見上げてくるんだもの……!」
「だとしても! 突き離さなくてはいけない時があるんです!」
啖呵を切る小悪魔の瞳は何処までも真摯で、故にアリスは反論できない。
色をなくしていくアリスに、それでも小悪魔の攻勢は緩まない。
何も意地悪をしている訳ではない。
引けない理由があったのだ。
呻くように、小悪魔は続けた。
「……妹様が仰られておりました。明日、こいし様が当館を訪れる、と」
「こいしが……? それがどう――!」
「ええ。恐らく、パチュリー様は」
――口にされるでしょう。貴女が面白いと言ったアレを。
言外に伝わる苦さに、アリスは身を震わせる。
パチュリーはまず間違いなく言うであろう。
フランドールに。そして、共にやってきたこいしに。
‘悪魔の妹‘はこの際、さほど問題ではない。しかし、‘無意識の少女‘はどうか。
無垢な少女の純粋な言葉はバールの様な物となり、パチュリーの心をいとも容易く砕くだろう。
「こ、小悪魔! どうし、どうしよう! 私、あぁ、何て事を……!」
絶対不可避な展開を予想してしまったアリスは小悪魔の肩を掴み、嘆きをあげた。
「アリスさん! いえ、アリス・マーガトロイド! 悔いて何になりましょう!?」
「だけど、ねぇ、私はどうすればいいの!? パチェのガラスハートは木端微塵よっ!」
「アレが硝子かどうかは議論の余地がありますが! 私が、貴女を後悔させる為だけに呼んだとお思いですかっ?」
言葉に、弾かれたように顔をあげるアリス。
交わした視線に一縷の希望を見た。
小悪魔は諦めていない。
「一つだけ、私に策があります。
それはアリスさん、貴女にしかできない。
ですが、……いえ、忘れてください。この方法は諸刃の刃。貴女に任せるのは――」
この罪を購えるならば、私は悪魔の申し出も喜んで受け入れよう――アリスは唯、その思いを胸に小悪魔を見つめた。
永遠とも思われる刹那の交錯。
暫くして、小悪魔が息を吐く。
アリスもまた、肩を下ろした。
けれど、互いの瞳に映る色は消えない。
「……いいでしょう。その方法とは――貴女が全て‘もっていく‘事です」
小悪魔の提案に、アリスは小首を傾げた。よくわからない。
「アリスさんが一発ドカンと大受けすればパチュリー様もお忘れになりますから」
「え……と。そ、その程度のものなの!?」
「酒の席なんてそんなもんです」
なるほど、言う通りかもしれない。
思うアリスであったが、思考が淀む。
何故、自分でなくてはいけないのだろう。
「責任は私にあるのがわかってるけど、事が事だし貴女でも……」
先刻承知とばかりに小悪魔は頭を振る。
「残念ながら、私の芸はアダルティ。少女である皆様に受けるとは思えません」
「やってみなければわからないじゃない、ね、小悪魔!」
「では、一つ」
渋々と言った感じで引き受けた小悪魔がブラウスの左袖口を留めていたボタンを外す。
すわ脱衣かと身構えるアリスだったが、予想は見当違いであった。
むしろ、予想通りだった方が良かったかもしれない。
袖口を限界まで捲くる、つまり腋までおしあげ、小悪魔は左腕を天へと向けた。
細い腕を支える様に右手で腕を掴み――するすると落ちていく。
直後、露わになった白い肌を眩しく思うアリスに声が届いた。
「隠し毛ぃ。なんちゃって」
夏だと言うのに、冷たくも寒い一陣の風が舞う。
「……ほら」
「や、『ほら』って。ただのおやじギャグじゃないの!?」
「おー、正常な反応。ミスティアさんや幽香さんにはパクリだパクリだと非難されました」
その割には何故か嬉しそうな小悪魔。走っても微動だにしない程度に乳を小さくした甲斐があると笑っている。
「いや、あの、ねぇ。貴女、生えるの?」
「そこですか。自由自在ですよ。小悪魔ですから」
「胸を張られてもその理屈が解らないわ……」
「様々なご要望に対応してこその小悪魔かと」
「なるほど。剃毛プレ、レ、レ、――じゃなくて!」
朱色に頬を染めつつ叫ぶアリスの後方へと腕が伸ばされた。
「ともかく! そう言う訳で私には無理なのです!」
「あ、ほんとに腋、自由自在なのね……」
「アリスさん、ドゥイット!」
向けられる指に導かれ、アリスは決意を胸に秘め、少女たちの元へと戻っていった。
二人ほど減っていた。
「あれ……? 霊夢と早苗は?」
魔理沙に問うと、肩を竦めて返される。
まず、席順通りに話を振られた早苗が脱衣を宣言した。
普段ならば真っ先に止める筈のパチュリーは夢見心地で動こうともしない。
上着を放った、つまり上半身は晒し一枚となった所で流石に拙いと霊夢が止めに入り、其処で一悶着。
『いいじゃないですか! 減るもんじゃなし!?』
『そりゃ女同士だし気にしないけど! あんた、かなり酔っているでしょう!?』
『霊夢さんは……私の肌など見るに値しないと仰るんですね……』
『や、値するとかしないとかの問題じゃ。そりゃどっちかって言われたら見たくない事も……』
『では、見せあいっこで。明るい所は苦手だと聞いておりますので、あちらの方で』
『うん、まぁ、何事もね。……あれ、ねぇ、なんで私も脱ぐ事になってんの?』
『減るもんじゃありませんし。女同士ですし。気にしない気にしない』
かくして、少女二人は月明かりの届かぬ闇の中へと姿を消した――との事。
「二人とも……藪蚊には気をつけるのよ」
「大丈夫だろう。あいつらの周りには寄りつかん」
「そうね、魔理沙。二人は結界に守られている。結界の名は――愛」
呟くアリスに、魔理沙のじとりとした半眼が向けられた。
「……そんなキャラだっけ、お前」
「うぅ、重圧が私を狂わせる」
「なんのこっちゃ」
呆れた声を浴びながらも、アリスは俯き胸を撫で下ろす――危なかった。
脱衣。
アリスも考えてはいた。
否、場を吹き飛ばす程となると、それ位しか思いつかなかった。
しかし、結果はどうだ。事の主題であるパチュリーは未だぼぅとしている。
早苗ほどのポテンシャルの持主でさえ関心を引けないのだ。
自身では見向きさえしないだろう。
「ともかく、トリだぜ、アリス」
此処にはいない早苗に感謝の念を送り――固まる。じゃあどうしよう。
正直、もう何も浮かばない。
そもそもアリスの会話術は掛け合いを練り上げてのものだった。
インパクト命の一発芸など、ストックの一つも持ち得ていない。
(あぁ! 私はいつもそう! 土壇場になると何もできない……!)
胸に手を当て嘆くアリス。大げさと言うなかれ。自身もわかっているのだから。
「……アリス?」
わかっていない魔理沙が声を掛けてくる。
アリスは生気のない瞳で振り向いた。
――数瞬後、満ちた。
魔理沙も脱がそうか。
いっそのこと、パチュリーも。
そしてめくるめく魔女の宴。サバト。ハレルヤ!
「おーい」
ぎらつく視線を向けるアリス。
しかし、魔理沙は一向に意志を酌もうとしない。
眼前の少女が淑女への扉を開こうとしているなど予想だにしていないと言うべきか。
「……あ、お前、まさか」
故に、魔理沙はあくまで彼女の意思を押し付けた。
「私とネタが被ったか! 人形もあるしな!」
的外れな指摘はしかし、アリスにある閃きを与える。
人形。
まさに天啓。
アリスの思考の歯車が動き始めた。
(そう、私には人形がある。否、いる。可愛い彼女達が――あぁっ!)
歯車は動く。
出鱈目な速さで回る。
がつんがつんとぶつかり幾つかの螺子を弾き飛ばした。
螺子の役割は理性とか常識とか羞恥心とか。
(……思いついた)
(このネタなら、世界も取れる)
(母さんだって大爆笑してくれるわ!)
ある意味では世界だが。
絶対勝利の確信を得、不敵に笑うアリスの瞳は少女フタリを捉える。
一人は魔理沙。怪訝な視線を返してきていた。
ヒトリはパチュリー。未だ、ほわん。
「んぅ」
空咳を一つ打つ。
「魔理沙、パチェ」
呼びかけ、片手を胸に、片腕を広げる。
「待たせたわね。始めるわ」
窺う視線。
恍惚の瞳。
二つの双眸を抱きこむように、アリスは広げた腕を大きく振り、頭を下げた。
「人形遣い、アリス・マーガトロイドが一発芸、とくとご覧あれ」
腕を開く。
先ほどとは違い、両腕を左右に大きく。
何処にしまっていたのか、十数体の人形が解放される。
「蓬莱……?」
幾つかの人形は、魔理沙やパチュリーが名前を知るものであった。
「……オルレアン?」
人形たちはてこてこと歩き、フタリの前に整列する。
小さく頭を下げ、各々小さな腹部に手をあてがう。
無論、アリスの指示であった。
魔理沙は思う。合唱だろうか。喋れたっけ、こいつら。
パチュリーは考える。拍手? 私に対する拍手? ぁん、もっと!
アリスは笑んだ。
フタリの思考が読めたのだ。
その上で、全てを吹き飛ばすインパクトがあると断じた。
右腕を大きく振りかぶる。
視線を自身に戻す為のデモンストレーション。
推測通り、フタリの瞳は人形たちからアリスへと向けられた。
そして、アリスは、彼女が最も愛用する人形を掴んだ手を下ろし、言った。
「しゃん、はいっ」
魔理沙とパチュリーが見たアリスの表情は、余りにも無垢に輝く少女の笑顔だったと言う――。
余談の一。小悪魔の気苦労が増えた。
余談の二。戻ってきた二人――片方はさめざめと嘆き、片方はいい表情をしていた。
余談の三。翌日、こいしは紅魔館に来なかった。フランドールが図書館でぷりぷり怒っている。
「つまんないつまんない! ねぇ、パチュリー、何か面白い事ない?」
「ふふ、しょうがない妹様。でも、いいわ。ねぇ、魔理沙」
「リベンジだぜ。衣装の準備はあるだろうな、アリス?」
「勿論。――無論、人形たちもね」
「結局、私の気苦労が増えただけじゃないですかぁぁぁ!?」
<了>
>>「結界の名は…………愛」
むしろ藪蚊を撃墜ですね分かります。
仲良し三魔女はいいものだ…腋巫女同盟もいいものだ…
しかし早苗さんが着実に大人の階段をのぼってる…
極自然にパチュリーを愛称で呼んでいるアリスにニヤニヤが止まらないぞ。
早苗攻めな雰囲気だけどすぐに逆転されて美味しく頂かれたと俺は信じてるっ!w