※数百年くらい昔の話。
あの頃の私は、とても生意気な子供だったことだけはよく覚えている。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
プリズムリバー家の末の子として生まれた私には、3人の姉がいた。
その中で、歳も背も好みも近かったのが、1つ上のリリカ姉さんだった。
あの頃の私は我儘だったし、リリカ姉さんもやっぱり大人げなかった。
だから、私物の取り合いやお父様のお土産の奪い合いは熾烈を極めた。
ルナサ姉さんやメルラン姉さんも、私たちの喧嘩には手を焼いていたかもしれない。
私は4姉妹の末っ子だったから、自分にも妹が欲しいとよく思っていたものだ。
リリカ姉さんは3番目だったから、たった1人の妹である私に対し、思う存分得意になっていた。
私はそれも気に入らなかった。
つまりあの頃の私は、とても生意気な子供だったのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ある夏のこと。
私たちプリズムリバー一家は、お父様に連れられて山辺の別荘に来ていた。
お父様は多趣味な方で狩猟も好きであったから、狩猟に行くとなると私たちも別荘に連れてきてもらえた。
私は、港町にある本邸も綺麗な海が見えるから好きだったが、周りを緑に囲まれたこの別荘も好きだった。
普段とは違う環境が、まるで冒険に来たかのように思えるのだった。
この困った勘違いが後に事件に発展していくことなど、まだ私は気づく術もなかった。
滞在3日目の昼のこと。
今にも雨が降ってそうな意地の悪い曇天が空を覆い、お父様と狩猟仲間の方々は出発を見合わせていた。
私はと言うと、庭で厚い雲の隙間から時々見える青空をぼんやりと眺めていた。
この別荘にあるものは、本やお父様のコレクションなどで、それは幼い私にはちっとも魅力的ではなかった。
はじめこそ、久しぶりに別荘に来た興奮に心を躍らせていたが、3日も経つとそれも薄らいでくる。
つまり、私は暇を持て余していたのだ。
ルナサ姉さんは本ばかり読んでいるので、なかなか私の相手をしてくれない。
メルラン姉さんはお父様とお友達との話の中に割り込んで、何やら楽しそうに会話に加わっている。
私も仲間にはいろうかと思ったけど、その話は私には少々難しすぎたから諦めた。
リリカ姉さんは、どこに行ったか分からない。時々ふらっといなくなるのだ。
だから私はこうして、濁った空を見上げて暇を紛らわしていた。
「レーイーラ」
声がした方を振り返ると、リリカ姉さんがいた。
リリカ姉さんは、手に木イチゴをいっぱい入れたカゴを持って、それを誇らしげに私に見せつけた。
「じゃじゃーん、ほら、木イチゴ」
「どしたの、それ?」
「庭の外に木イチゴの木があったの。ほら、こんなにたくさん」
それは初耳だった。
庭の外には危険な猛獣がいるかもしれないから、とお父様は私たちに勝手な外出を禁じていた。
だから、庭の柵の先に広がる森は、私にとっては未知の宝石箱と言ってもよかった。
事実、リリカ姉さんが木イチゴという宝石を手に入れて持ち帰ってきたのだから。
「姉さん、それどこにあったの?」
「ダメダメ、レイラには教えないよ」
「えー、教えてよぉ」
「教えたって、レイラはすぐ迷子になるに決まってるわよ」
「そんなことないもん!」
「うそ。絶対すぐに迷子になる」
「ないもん!」
「1人じゃなんにもお子ちゃまには、探検なんてできないのよ」
「できるもん!」
「迷子になったら泣いちゃうわよ。泣き虫レイラなんだから」
「泣かないもん!」
「どうだかねぇ。さ、どいたどいた」
結局、リリカ姉さんは私に木イチゴの場所を教えてくれないまま別荘に帰ってしまった。
私は、勝手に別荘の外に出たことをお父様にこっぴどく怒られればいいんだ、とリリカ姉さんの背中を思いっきり睨みつけてやった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ところが、3時のお茶会に呼ばれた私は、ダイニングで唖然とした。
紅茶と一緒に出てきたのは、木イチゴのタルトであった。そのうえ、それを持ってきた家政婦さんが言うには
「この木イチゴは、リリカお嬢様が先ほど取ってきたものなんですよ」
とのことらしい。
その時のリリカ姉さんと言ったら、鬼の首を取ったかのように有頂天になっていた。
それだけなら、私もさほど癇癪を起さずに済んだかもしれないが、この後がいけなかった。
「木イチゴの木なんてこの辺にあったの? 知らなかったわ。リリカ、お手柄ね」
メルラン姉さんが褒め、
「本当ね。すごいじゃない」
ルナサ姉さんが褒め、
「私たちが出かけられない間に、一番乗りを御嬢さんに取られてしまいましたなぁ」
お父様のお友達が褒め、
「私もこの辺に木イチゴがあるなんて知らなかったよ。リリカはお宝を探す仕事に向いているかもしれないね」
お父様もまた、リリカ姉さんを褒めた。
結局誰も、リリカが勝手に別荘の外に飛び出したことに触れなかった。
私はとうとう我慢ができなくなって、タルトを木イチゴだけ除けて食べ、紅茶を飲みほして
「ごちそうさま」
とだけ言って、ダイニングを後にした。
「レイラ、木イチゴは嫌いなのかしら」
背中の方から、ルナサ姉さんがそんなことを言っていた気もしたが、振り返りはしなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それからすぐ、私は拗ねて屋根裏部屋に閉じこもった。
屋根裏部屋には、お父様の私物が所せましと置かれていた。
錆びた羅針盤や、望遠鏡、その他わけの分からない物もたくさんあった。
私はその中の1つと同化するかのように、膝を抱えて座っていた。
何か特別なことを考えていたわけではないけれど、ただぼんやりとした憤りに腹を立てていた。
どのくらい時間が経っただろう。
ずっと座っていた私だったが、とうとうそれにも飽きが来た。
しかし、みんなの所に顔を出すには、まだ気持ちの整理がついていなかった。
そこで私は、たった1つの窓から差し込む光を頼りに、屋根裏部屋の探索をはじめることにした。
そうとは言え、やっぱり私にとって面白いと思えるものはなく、木イチゴに比べれば全てがゴミ同然だった。
だが、探索を続けるうちに、私の目に1枚の古びた紙が止まった。
それはおそらく、この森の地図であった。
もう何年も使われていないのか、すっかり埃をかぶっていたが、確かにこの森の地名が書いてある。
それは、私がまだ知らない魅力あふれる外の森の中を事細かに語っていた。
小川もあれば崖もある。地図を眺めるだけで心が躍る大冒険であった。
その上、地図には森の中央あたりに大きな○印がつけられていた。
直感で私は、この○印の場所には木イチゴなんか比べ物にならないお宝があるに違いないと思い込んだ。
すぐさまその地図を手にとると、私は誰にも見つけられないように、こっそり屋根裏部屋を出た。
そしてそのまま、屋敷をこっそり抜け出した。
先ほど、リリカ姉さんが別荘を飛び出しても怒られなかったので、罪悪感は欠片もなかった。
それどころか、リリカ姉さんを見返してやる、と思っていた私には、もはや冒険へのブレーキ要因は何もなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
地図には別荘の位置は書いていなかったから、私は裏庭の柵を乗り越えるとまっすぐ歩きだした。
そのうち、現在位置が分かる目印が見つかるだろうと安易に考えていたのである。
実際、歩いて5分もしないうちに、私は小さな池を見つけた。それはしっかりと、地図に載っていた。
地図によると、この池の向こうをまっすぐ行けば小川に着くとのことであった。
そして、その小川に沿って道なりに歩けば、簡単に例の○印の地に着けるということであった。
ますます勢いづいた私は、これっぽっちの不安も抱かずにその通り歩き出した
既に西に傾き始めた太陽なんてまったく気にすることもなく。
何かがおかしいと思い始めたのは、歩き出して何分くらい経ったころだろうか。
いくら歩いても、小川なんてちっとも見えてこないのである。
ひょっとしたら道を間違えたのかもしれない、そう思った瞬間に私の中に本来あるべきだったものがドッとこみあげてきた。
不安や恐怖、そう言ったブレーキを今更になって取り戻した。
もうすぐ日が暮れる、屋敷では皆が心配してるかもしれない。
それに森にはオオカミやクマと言った凶暴な動物がたくさん住んでいる。
その上、勝手に飛び出してきた私を守ってくれるものは何もない。
急に、無意識のうちに体が震えだすほど怖くなった。
すぐに帰りたくなった。お父様や姉さんに会いたくなった。
でも、その決断はあまりに遅すぎたのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
来た道を引き返し始めてから、もういくら歩いたかも分からない。
屋敷どころか、さっきの小さな池すら見えてこない。いくら歩いても、同じような平坦な森であった。
その上、例の地図には先述の通り、重大な欠陥があった。
目的地は記されているが出発地の書いていないその地図は、言わば冒険への片道切符。
手掛かりはなにもない。ただやみくもに歩くしかなかった。
前に進んでいるはずなのに、もがくように進んでいるはずなのに、この森は私をあざ笑うかのように冷たい風を吹き付けた。
もう夕日が空を茜色に染めている。まもなく夜になる。
夏の暑さから逃れるために薄着で出てきたのが裏目にでた。
どうしようもなく寒かった。
気温はさほど低くなかったかもしれないが、異常な精神状態がそう錯覚させたのかもしれない。
どんなに寒い冬の日でも、暖炉の傍はいつも暖かかった。
ところが今は夏なのに、暖炉なんていらないはずなのに、とても寒かった。
そして、気づいた。あれは暖炉が暖かかったのではなく、その周りに誰かがいたから暖かかったのだと。
1人で暖炉の傍にいることがなかったから、ずっと気づかなかったのだ。
私が暖炉の傍に行くと、既に1番いい所をリリカ姉さんが陣取っていて、取り合いになり、喧嘩になった。
家に帰りたい。
そう思ったのがスイッチになって、急に涙があふれた。
にじんだ視界の中、私はやみくもに来た道であろう道を走りに走った。
どうしようもない不安が渦巻き、ずきずきと痛む胸の内の苦しさを紛らわすためにも、全力で走った。
それがいけなかった。
まともに前も見えないのに、地面だって舗装されたレンガ道ではないのに、全力なんかで走ったりしたら結果は目に見えている。
地面に飛び出した木の根っこに足を取られて、私はその場に転倒した。
右足に何かが走った。すぐには理解できなかったが、徐々に痺れるような痛みが右足全体を襲った。
もう私は立ち上がることもできなくなった。
リリカ姉さんの言葉を借りて言うなら『1人じゃなんにもお子ちゃま』だということを、嫌でも自覚させられた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
不思議と足は痛くなかった。
それは怪我が大したことなかった、と言うよりは、それ以上に精神状態が不安定だったのが原因だった。
間もなく夜になる。けれど私は動けない。そして誰もいない。
この上ない恐怖に苛まれた私は、喉がつぶれるのではないかというほど大きな声で泣いた。
声にはなったが言葉にはならなかった。
自分では何かを叫んでいたのかもしれないが、嗚咽のせいでそれは言葉にはならなかった。
そんな些細なことには構わず、私は泣き続けた。
そうしてしばらくその状態が続いた。
空は茜色から薄い闇に変わりつつあった、ちょうどその頃であった。
風の音と私の嗚咽に交じって、誰かの足音が近づいてくるのが聞こえた。
誰かが探しに来てくれたのか、はたまたオオカミが私を食べにやってきたのか。
私はどうすることもできなくて、ただ息を殺してそれがこちらに近づいてくるのを待った。
すると、
「やっと見つけたわよ、レイラ」
「リリカ姉さん!」
それはまぎれもなく、リリカ姉さんだった。
立てない私のところにリリカ姉さんが来てくれたので、私は思いっきり姉さんを抱きしめた。
枯れたはずだった涙が、また再び湧きだした。
「まったくもう、泣き虫なんだから。別荘まで聞こえたわよ」
「ゴメンなさい……」
「さ、帰ろう。みんな探してるから」
「うん、でも……」
「でも?」
「足、怪我したの……」
まだジンジンと痛む足を指差すと、リリカ姉さんは私を負ぶってくれた。
「よっと」
「姉さん、帰り道わかる?」
「当たり前だよ。来た道を戻ればいいだけなんだから」
そう笑いながら、リリカ姉さんは私を背負って、既に満足に前も見えない暗闇の森の中を歩き出した。
昼間に睨みつけたリリカ姉さんの背中は、今の私には暖炉よりも暖かく感じた。
既に空には星が輝きだしていたが、それでも私のなかの恐怖心はいくらか解きほぐされていた。
宝の地図のことなんか、すっかり忘れて。
泣き疲れていた私は、リリカ姉さんと言葉を交わすことはなかった。
ただ、リリカ姉さんは黙々と私を背負って歩き続けた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
歩き始めて少し時間が経った頃、どうしたわけか、リリカ姉さんは足を止めた。
どうしたんだろう、と思ったが、声をかける前に再び姉さんが歩きだしたので、私は聞くのをやめた。
しかし、どうにも様子がおかしい。
リリカ姉さんは歩いては止まり、また歩き出しては止まった。
だんだん、止まる頻度が高くなってきた。
「姉さん。家、まだ?」
「……あともう少しよ」
リリカ姉さんはそう言うものの、再び不安が増幅しはじめた。
私のなかに1つの仮説がうまれ、それは姉さんが立ち止まる度に徐々に確信へと変わっていった。
「姉さん。家、まだ?」
「……あともう少しよ」
「姉さん、本当にこの道でいいの?」
返事は返ってこなかった。
とどのつまり、リリカ姉さんも私と同じく迷子の仲間入りを果たしたのである。
「姉さん」
「レイラ、少し黙ってて」
しかし、リリカ姉さんは黙々と歩き続けた。
昔からリリカ姉さんはそういう人だった。自分の間違いをそう簡単に認めるような人ではなかった。
だから決して「自分まで道に迷いました」と認めるはずがなかったのである。
それに、迷子宣言をしたところで何かが解決するわけでもなかった。
言い争いになったところで、仲が悪くなるだけで何もいいことなんかない。
自分は迷子だと気づいて取りみだした私の末路に比べれば、現実否定も決して悪いことではないのかもしれない。
私はリリカ姉さんに全てを任せることにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『悪いことは重なりやすい』と言うのが、ルナサ姉さんの口癖の1つであった。
ぽつり、と私の頭の上に水滴が落ちてきた。
「姉さん、雨が降ってきた」
「え?」
リリカ姉さんは掌を空にむけたが、どうやらそこにもぽつりと1滴落ちてきたらしい。
「本当だ」
「どうしよう」
「どうしようって言ったって……とにかく、先に進もう」
「う、うん……」
小雨が降りしきるなか、私たちは暗がりの中に歩き続けた。
夜の雨はやっぱり冷たかった。時々、リリカ姉さんが体を震わせるのが分かった。
気づけば自分も、雨の冷たさに震えていた。
あのどうしようもなく深い不安が、再び私の中で蠢きだしたと気づいたのは、そのすぐ後だった。
だが悪いことと言うのは本当に重なるもので、徐々に雨脚が強まってきた。
「姉さん、どこかの木の下にはいろうよ! このままだと風邪ひいちゃうわ!」
「そ、そうね。とりあえず、どこかで雨があがるのを待とう」
それからリリカ姉さんはしばらく急ぎ足で道を進んだ。
幸い、程なくして私たちは雨を凌げるほど大きな木をにたどりつくことができた。
暗かったから、それがどのくらい大きな木かは分からなかったが、今の私たちにはそれでも十分だった。
リリカ姉さんは私を下すと、自分も木の根っこの上に座った。
「雨、早くやむといいんだけど」
「そうね」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
雨は一向にやむ気配を見せなかった。
私とリリカ姉さんは、湿った木の根に座って、どうすることもできずにいた。
もし今、私が1人ぼっちだったら、きっとまた泣きだしていただろうが、今は隣にリリカ姉さんがいた。
だから私はあの時ほど寂しくないはずだった。
雨があがったら、また2人で別荘に向かって出発できると思っていた。
そんな希望を持っていた矢先、リリカ姉さんがため息をついた。
「やっぱり、迎えに来なきゃよかったなぁ」
その1言は、私が持っていた最後の希望をたった一瞬のうちに打ち砕いた。
「……ゴメンなさい」
口ではそう言ったが、内心では憤りのようなものを感じていた。
まるで、今のこの事態の全てが私に非があるような言い方だったからだ。
実際はそうなのかもしれないが、当時の幼稚な私はそれを認めようとはしなかった。
自分が悪くないとは思っていなかったが、自分だけが悪いとも思っていなかった。
「帰れなくなるし、濡れちゃうし、全部レイラのせいよ」
「……何もかも私のせいにしないでよ」
「なっ」
思わずリリカ姉さんが声を漏らした。どうやら、反撃が来るとは思っていなかったようである。
一方の私は、この反撃で勢いがついたのか、そのまま攻勢に転じた。
もう何もかもがどうでもよくなっていた。後先を考えないやけっぱちだった。
「元はと言えば、姉さんが木イチゴの場所を教えてくれなかったのが悪いのよ!」
「私のせいにするの!? 勝手に飛び出して行ったのはレイラの方じゃない!」
「姉さんが道を間違えなかったら、今頃家に帰れてたのよ!」
「私はわざわざ貴方のことを探しに来てあげたのよ!」
「頼んでないもん! どうせならルナサ姉さんやメルラン姉さんに来てほしかった!」
「あ、そう! なら勝手にすれば!? 雨があがったら私、1人で帰るから!」
「勝手にする! ここにいれば誰か来てくれるもん」
「強情者!」
「姉さんこそ、姉さんのバカ!」
リリカ姉さんも、不安や恐怖心がたまっていたのだろう。それは私も同じだった。
そして、私たちは相手を強くののしることで、それを紛らわそうとしたのだ。
それがかえって、2人の間に決定的な亀裂をもたらした。
とうとう、リリカ姉さんと私は口をきかなくなかった。
雨が木の葉に当たる音だけがしとしとと、2人の間に響き続けた。
心のノイズに似て、単調で不透明でどことなく嫌な音だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ずっと私は、屋根裏にいた時のように膝を抱えてうずくまっていた。
暗くてよく見えなかったが、それはリリカ姉さんも同じようだった。
それからしばらく経って、徐々に雨の勢いが弱まってきた。
それに伴い、私が先ほどまで抱いていたやり場のない怒りも、少しずつ冷めてきた。
姉さんに、謝りたくなった。
でも、言葉が見つからない。
それに、どうしても素直になれない。
そうやって、無駄な時間がコツコツと過ぎていく。
どうしようもない悔しさがあったが、私は膝を強く抱くことしかできなかった。
「ねえ、レイラ。まだ怒ってる?」
先に切り出してきたのはリリカ姉さんの方だった。
結局、最後まで素直になれなかったのは私の方だった。
「姉さん、ゴメンなさい」
どうしても言えなかったその言葉は、言ってしまうと胸につかえていたものがすーっと取れた気がした。
もっと早く言うべきだったという後悔もあったが、
「ううん。私も言いすぎたよ、ゴメンね」
それはリリカ姉さんが洗い流してくれた。
ありがとう、唇はそう動いたが、声が震えて出なかった。
袖で目もとに溜まった涙を拭いた。こんなだから、姉さんに泣き虫と言われるのかもしれない。
雨は殆ど弱まり、まったく気にならないくらいになった。
「さあ、もうそろそろ行こう。みんな心配してるわ」
「うん。リリカ姉さん、また負ぶってってくれる?」
「当たり前でしょ。さあ、行くわよ」
リリカ姉さんはさっきのように、また私に背中を貸してくれた。
私が背中につかまり、姉さんが立ち上がると同時に、昼間から居座っていた分厚い雲が切れはじめた。
雲の向こうの青白い満月が、森を明るく照らしはじめた。
「すごい、森が向こうまでよく見えるわ」
「これなら帰れるわね、姉さん」
急に自信がついてきた私たちだったが、思わぬものが待ち受けていた。
月の光が森の木を照らしだしたと思ったら、一斉に何か虫のような小さいものが飛び立ったのである。
「姉さん、何あれ!?」
「分からないけどすごい数よ!」
それはおびただしい大群であった。
月の光を受けたそれは、まるでサファイアのような青色を輝かせ、空に舞い上がった。
その飛び方や形から、私はその青色が蝶の斑点だと気づいた。
「姉さん、これ全部蝶よ」
「綺麗……こんな美しい蝶、見たことないわ」
リリカ姉さんの言うとおり、私も光る蝶なんて見たことがなかった。
お父様が話してくれた御伽話にほんの少し出てくるだけの、空想の蝶かと思っていた。
蝶は雨があがるのを木陰で待っていた、それが今、雨があがったからこうして一斉に飛び立ったのかもしれない。
理屈は分からないが、とにかくその光景を前に、私たちは身動き1つできなかった。
ただ、その幻想的な蝶が森を越えて夜空に散っていくその様を、見守ることに夢中になっていた。
全ての蝶が飛び立つまでには結構な時間があったかもしれないが、体感時間ではほんの一瞬だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その蝶を全て見送った後、リリカ姉さんと私は再び別荘に向かって出発した。
だが、そんなに歩かないうちに、ランタンのような灯りが遠くに見えた。
「姉さん、あの灯り!」
「もしかしたら誰かが来てくれたのかも」
私たちがそんな大きな声を出したものだから、向こうもこちらに気づいたようだ。
「レイラ、リリカ、そこにいるの?」
その声からして、ランタンの持ち主はメルラン姉さんだった。
「メルラン姉さん!」
私たちはすぐにランタンの灯りに駆け寄った。
メルラン姉さんは、傘をランタンを持って私たちを探しに来てくれたのであった。
ちょっぴり厳しい顔をしていた。
「もう、みんな心配したのよ! 勝手に出歩いたりなんかして!」
「ゴメンなさい」
私とリリカ姉さんは声をそろえて謝ると、メルラン姉さんはいつもの明るい笑顔に戻った。
「さあ、帰りましょう。こんなに濡れちゃって、早く着替えないと風邪ひくわよ」
「メルラン姉さん、帰り道分かる?」
「勿論。手だては考えてあるわ」
メルラン姉さんはランタンと傘をまとめて持つと、開いた手を自分の腰にやった。
そこには、ロープが一周ぐるっと結わえられていた。
「このロープの向こうに家があるわ。だから、これをたどっていけば必ず帰れるってわけ」
「さすがメルラン姉さん。準備がいいわ」
「まあ、姉さんの知恵なんだけどね」
それでもリリカ姉さんにほめられて、メルラン姉さんは嬉しそうだった。
こうして、私たちの大冒険は幕を閉じることになった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
こうして私たちは無事、別荘に帰ることができた。
ずっと固まっていた緊張が解けて、私はまた泣きだしてしまった。
お父様も誰も、私たちを厳しくは叱らなかった。むしろ、私たちをいたわってくれた。
濡れた服を着替えた後は、いつもより随分遅い夕食の時間になった。
皆、私たちの捜索で誰も夕食を食べていなかったらしい。
家にいるように言われていたはずの姉さんたちも、言いつけを破って私を探しに来てくれたそうだ。
それを聞いて、私は嬉しくもあったが、あの木の下でリリカ姉さんにつらく当たってしまったことが悔やまれた。
私の足のけがは、軽い捻挫だということで、大したことはないようだった。
2つだけ気になることがあった。
1つは、結局あの地図はなんだったのか。
お父様に聞いてみると、答えはすぐに分かった。
あの地図は、かつてこの山のどこに別荘を建てるかを記したものらしい。
その後、屋根裏部屋から一緒にあった家の設計図も持ってきてもらった。
私は、最初から地図を見間違えていたのだ。
探すべき○印の土地は、恥ずかしいことに私の冒険の出発地点だったのである。
もう1つは、あの蝶のことだった。
夕食の席で、あのサファイアに光る蝶の話をしたが、誰もそんな蝶は知らないと言う。
お父様のお友達の1人に、この山の森で30年以上狩りをしてきた人もいたが、見たことも聞いたこともないらしい。
とうとう、その蝶の存在は私とリリカ姉さんが疲れて眠って見た夢だということで落着した。
ちょっぴり悔しかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そして、その次の日。
足の調子も回復し、私は1人で歩けるほどになっていた。
それでも私は、昨日抱いた後悔をまだリリカ姉さんに打ち明けられずにいた。
どうにも、素直になるのが苦手だった。
どうやって声をかけようか考えていたその矢先のこと。
朝食の席で、私はリリカ姉さんに庭に(他の誰にも気づかれないように)呼び出された。
行ってみると、リリカ姉さんは庭のすみっこ、柵のところで待っていた。
「どうしたの、姉さん」
「こっちよ。ついてきて」
と、柵を乗り越えて外に出てしまった。
「ちょっと、姉さん! また迷子になったらどうするの?」
「大丈夫だから。すぐそこよ」
そう言われて、私も誰にも見つからないように柵を乗り越えて外に出た。
「こっち、こっちよ」
リリカ姉さんに言われた通り歩くと、歩いて2分くらいで小さな木イチゴの木があった。
「これが私が見つけた木よ。昨日のあれには負けたわ」
「あれって?」
「あの蝶よ。レイラを探しに行かなくちゃ見られなかったんだから、貴方のおかげよ。だから、私の負け」
「……ねえ、姉さん」
「ん?」
「昨日は、ゴメンね。ひどいこと言っちゃって」
「昨日のこと? 全部忘れちゃった」
「……」
「さ、いつまでもくよくよしてないで木イチゴ食べよ。あ、ここ、2人だけの秘密よ」
そう言って、リリカ姉さんは私に木イチゴを摘んで渡してくれた。
口にすると、ちょっと酸っぱかったけど、それでもとても美味しく、優しい味がした。
その優しさが、私に勇気をくれた。
ついに私は、昨日からずっと言いたくて言いだせなかった、その言葉を言う決心ができた。
「リリカ姉さん」
「うん?」
「……ありがとう」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その日から、私は素直に自分の気持ちを伝えることができるようになったかと言えば、そう簡単にはいかなかった。
でも、少しだけ成長した気がする。ほんの少しだけ、一歩だけ前進、できたかな。
それと、私が見つけたあの地図はお父様に頼んでもらうことができた。
別荘の設計図の一部だと知っていても、それは私にとっては宝の地図であり続けた。
今でも、自分の部屋の中に大切にしまっている。
なぜなら、その○印の上に建てられた別荘で、私はかけがえのない大切なものを再発見できたのだから。
四姉妹かぁ・・・
いい話でした
50作品オメです
50作品目、おめでとうございます。
50作品おめでとうございます。
かなり話しの設定が難しかったと思うのですが
レイラがマジックアイテムで呼び出した騒霊さん達は
人間の時きっとこんなんだったんだろうなと
感じさせる素晴らしいお話で、楽しく読ませていただきました。
レイラかわいいよレイラ……
50作品おめでとうございます。
人間のプリズムリバーというのも、新鮮でした。
そして、50作目おめでとうございます!
>1
早い!ありがとうございます。
やっぱり4姉妹はいいと思います。
>2
ありがとうございます。
この手の作品を書くと、ラスト1行で何かしたくなりますw
>3
ありがとうございます。
やっぱり私はこの姉妹が1番大好きです。
>4
ありがとうございます。
既存設定が少なかったので、ある意味難しかったですw
あと私も、やっぱり末っ子は可愛いと(ry
>5
ありがとうございます。
挑戦作でもあったので、嬉しいお言葉です。