ある日。
霧の湖。
ほとり。
アリスは、ふー、と深呼吸をして、一度気を落ち着かせた。それから、口の中で呪文を紡ぐ。
それと同時に、目の前にいた上海人形が、むくりと動き、みるみるうちにその身体を巨大化させた。アリスは、ふむ、とちょっとうなると、魔法の円環をはめた指を、二、三本かるく動かした。
巨大化した人形は、それに応じて、大きく腕を上げて、ぐぐー、と伸びをした。それから、おもむろに膝を折り曲げて、屈伸運動をはじめ、それを二、三回も繰り返すと、今度は上体をかがめて、進脚運動をやりはじめた。
「おおー! すすすげえ! 動いてる!」
「まるで山みたいだわ! あれが人形だって言うのかい!?」
「すごく……大きいです……」
「抱きしめたいなあ、ゴリアテ! まさに眠り姫だ! この気持ち、まさしく愛だな!」
「やだ、すごくかっこいい……!」
「コックピットは胸と頭のどっちなんです? 人は乗り込めるんです?」
後ろのほうで、ざわざわと、妖精達の騒ぐ声がするが、アリスは、それには構わず、準備運動を続けた。
ともすればまったく無駄な動きをしているようにも思われるのだが、これは、あくまでもアリス自身の準備体操のような意味を含んでいるものであって、人間が行う準備運動の動作というのは、そういう、アリス流の操作法で大雑把な人形の動きを表現するには、おあつらえむきなのである。
やがて、人形は、アリスの操る手に応じて、準備運動をやめて、足を踏み出し、ゆっくりと水の中へと足を踏み入れた。水を割って、ざぶざぶと中へと入り込んでいく。
アリスの今日の目的は、こうやって、巨大化させた人形を、水中でどう動作するのかを試験することだった。といって、別に、幻想郷で水中の動きが必要になることなどあるわけではないが、そこらへんは、わりと貧乏性なところがあるので、試せることは試さないと気がすまないのだった。
ここの湖は割りと深さがあるので、しばらく人形を進ませていくと、やがて、頭が沈んで、完全に見えなくなった。アリスは、姿の見えなくなった人形の動きを頭でイメージして、糸を操った。
しばらく待つと、人形は、糸の操作に応じて水面に頭を浮かせて、ばしゃばしゃと水しぶきを立て始めた。後ろから、またおおーと、さわがしい歓声が上がる。
「おおー! すすすげ―! ちゃんと泳いでる!」
「まるでねっしーみたいだわ! あれがきゅうりゅーの正体だって言うのかい!?」
「すごく……大きいです……」
「抱きしめたいなあ、まさに人魚姫だ! この気持ち、まさしく愛だな!」
「というか、人魚というよりあの泳ぎ方はいぬかきね、空気で分かる」
「やだ……あんなに大きいのにいぬかきとか何か可愛い。モユル」
「ちょっとレンコ! モユルってなによ!?」
「あ? しゃぶれよ」
「足がついていないようだが大丈夫か?」
「大丈夫、足なんて飾りですよ! えらい人にはそれがわからんのですか!?」
「シモ・ヘイヘ! シモ・ヘイヘ!」
「ケッハモルタア? ケッハモヌラタア?」
「おい日本語を話せ、ここは幻想郷だぞ!」
「ちょっとれんこ! シモヘイヘって誰よ!?」
「モケーレ・ムベンベってことだよいわせんな恥ずかしい」
「うるさい! 黙れ! 静かにしろ! 集中できないでしょ!?」
アリスが一喝すると、騒いでいた妖精たちは大人しくなり、ついでにそれと一緒になって騒いでいたレミリアも大人しくなった。
まだうずうずとしている妖精たちにじろりとにらみをきかせつつ、アリスは、ふと気づいて、すぐ後ろにいたレミリアに目をやった。レミリアはなんら感じた様子もなく、堂々としている。
「……なんであなたここにいんの? 咲夜は?」
「見りゃ分かるだろ、いないわよ。まあ、日傘なら私一人でも持てるから、外に出るのにあいつは必要ないしね」
「そういうことを聞いてるんじゃないんだけど……」
「細かいことを気にすんなよ。人んちの前で面白いことやってるから見に来たんじゃない」
「べつに変な事する気じゃないわよ。気にしないで」
「なんだい、見学するくらい別にいいじゃんよ。けちけちすんな。なあ美鈴」
「ですよねえ」
レミリアの横にいた門番が、レミリアの言うことに無責任に同意している。
一人だけ背の高い彼女が、ことさら背の低い妖精やレミリアの中に混じっているのは、さっきから目立っていたが、アリスは勤めて気にしないよいうにしていた。どっちみち邪魔臭いことに変わりはない。
(あー。邪魔だわ)
アリスも、普段ならもっとおおらかだし、はしゃいでいる妖精や子供くらい簡単にいなすのだが、実験中は、普段とは違い、少々気が立っている。できれば人目のない所でやりたかったが、そういうわけにもいかない。
「それにしても、なんだか地味だな。もっとほかの泳ぎとか出来ないの? ほらカキロールとかバターフライとか」
「それを言うならクロールとかバタフライとかだろ。そういうあなたは泳げるの?」
「なにいってんだい。吸血鬼は流水が弱点なんだもん。泳げるわけ無いじゃない」
「湖って流水なの? でっかい水たまりみたいなものじゃなくて?」
「ふふん、人形遣いは浅学ね。湖と言ってもわずかな流れはあるものなのよ。いわせんなまったく恥ずかしい」
「ああ。そりゃ違うわよ。レミリア様は、昔一回ここで泳ごうとしたんだけど、そのときに足吊って溺れてね。それ以来、カナヅチでいらっしゃるのよ。だから私も準備運動は入念にって言っていたんだけど、この方は昔から人の話を全然聞かないからな。まあいい教訓だったんじゃないかな?」
美鈴が、横から言うと、レミリアはとんとん、と日傘を肩で鳴らした。
「よし美鈴。今すぐそのクソうっかりな口を閉じろ。そして後ろに組んで歯を食いしばれ」
「はいっこうですか?」
「よし、はあーっ!! いくぞ、レミリア=スカーレット・ファイナル・クリムゾン・ブレッドォー!!」
「はあーっ!! 鉄山刺ィ!! 円を基本とする動きにより、あらゆるすべてを受け流す……っ、つまりはこれが……っ、気を操るということだ……っ!」
「おい馬鹿なにやってんだよ。防御すんなよ!」
「いや、だって殴られると痛いじゃないですか」
「当たり前だ。殴られて痛くないのは死んでる証拠だろ」
「まあ死んでたらお前を殴れないからなって台詞もありますし」
「なら存分に殴るがいい!」
「はぁーっ!! 鉄山刺ィ!」
「いてっ……。……おう……」
「あ、……すみません」
レミリアは、美鈴に殴られると、うめいてしばらくうずくまった。どうやら地味に痛かったらしい。
あー、静かに実験したい、と声には出さずに思いつつ、アリスは人形を操る手を動かし続けた。あまり水しぶきを立てないように、人形の動きを調節していく。
「はいはい、痛くないですよー。むっ」
そのとき、ふと、美鈴がうずくまったレミリアをよしよしとなぐさめていた手を止めて、きっと上空をにらんだ。そのまま、眉をひそめると、不意に飛び上がって、空に駆け上がっていく。
何事か、とアリスがちらりとそちらを見やると、ちょうど、頭の上を、箒に乗った人影がびゅん、と通り過ぎていくのが見えた。魔理沙だ。
「コラ待て! そこの白黒!」
美鈴が、鋭く呼ばわって回り込むと、魔理沙は「おっと!」と帽子をおさえつつ、急停止をかけた。いつものちょっと油断ならない小ずるい目つきをまたたかせて、目の前の門番を見やる。
「おや、なんだ。門番がどうしてこんなとこにいるんだ?」
「ふん、知れたこと。あなたが来ると思ってここで待ち構えていたのよ。いやごめん、それはさすがに嘘だけど」
「そうか、嘘か。正直だな。それじゃあ正直ついでにいい事を教えてやろう。実は今日はお前んとこに用事があるわけじゃないんだ」
「あれ、なんだそうなの? いや、そう見せかけて嘘でしょう。黒白なんかには騙されないわ!」
「うん、実は嘘だ」
「やっぱりか」
「と見せかけてそれも嘘だ」
「え?」
「あ、いや。やっぱりそれも嘘」
「え?」
「と言いつつそれも嘘だ」
「え?」
「え?」
「え?」
魔理沙にすっとぼけた反応を返され、美鈴はちょっと眉をひそめた。しばし、迷った様子を見せる。
「……。え? なに、つまり、どういうこと?」
「いや。だから、嘘なのが嘘って言うのが本当ってことだよ。言わせんな恥ずかしい」
「よくわからないけど、つまりそれも嘘なのね?」
「え? それってどれ?」
「え?」
「え?」
「え?」
美鈴は、眉をひそめたまま、考え込むような顔をした。
「……嘘の嘘でそれが嘘でそれも嘘でやっぱり本当……? 私、よくわからないアルよ……日本語むつかしいね……」
「うん、まあ、よくわからんけど、何か大変みたいだな。それじゃあ、私は行くからな。お大事にな」
「あ、うん。ありがとう。それじゃあね」
「と見せかけてやっぱり本当だァーッ! ヒャア、美鈴死ねェーッ! 不意打ちのマスタースパークッ!」
魔理沙はそう叫ぶと、いきなり懐から八卦炉を取り出した。発射口に、光が充填されて、膨れ上がる。
「――はぁーっ! させるかアホが! 奥義、無・想・転・生!」
叫ぶ美鈴の声が、破砕音にかき消され、熱を伴ったまばゆい閃光が、辺りを包んだ。
ぎゃーきゃーと、巻き込まれそうになった後ろの妖精たちから、悲鳴と歓声の入り混じった声があがる。アリスはそれには構わずに、人形を、あくまでゆっくりと泳がせた。
「……ふむ。やはり、水の中だと作動の感触が……」
「ぬおっ! かわした?」
「ふん……当たり前だ、この紅美鈴、いつまでもケツの青い小娘にやられっぱなしではない……。中国数千年の歴史にはこういう使い方もあるのよ!」
「す、すげー。中国すげー」
「……ああ、というか、それ中国の歴史云々じゃなく、この前私が貸した漫画の技だろ? お前仕事サボってこっそり練習してたよな。咲夜のやつが青筋立ててたぞ。まあ告げ口したのは私なんだけどね。あの美鈴とかいうやつ、こないだ私に隠れてフランとシュークリーム食べてたらしいからしかたがないなしかたがない」
「露骨に人の裏をバラすだって……!? こんな雇い主のほかの秘密も、私は守る価値はあるのかしら……? 別に天狗と世間話をしてるときにうっかりばらしてしまっても構わないんじゃないかしら……? 」
「ほう……ヒャア、美鈴死ねェーっ!!」
「なっ、なにするだぁーッ!!」
美鈴の声と、レミリアの声とにかぶさり、木々を貫くような轟音がひびいた。妖精が、何人か巻き込まれて吹っ飛ぶのが見え、場はたちまち混乱の渦と化した。
アリスは、そちらを見ないようにして、「ゴリアテ、もういいわ。上がってきて」と、淡々とした口調で、湖の人形によびかけた。もう今日は帰ろう。
そのとき、ふとアリスの後頭部をめがけて、えらい勢いで何かが衝突した。アリスは、そのなにかが着弾した勢いのまま、えらい勢いで前にぶっ倒れて、地面にキスをした。
アリスを襲ったものの正体は、そのすぐ後ろで格闘式の弾幕戦を始めていたレミリアと美鈴の、どちらかがはなっただろう流れ弾だった。
「おう、大丈夫か? アリス」
後ろから、いつのまにかおりてきていた魔理沙が言った。
アリスは、黙ってゆっくりと立ち上がると、魔法の円環を指にはめなおした。
ふーと、一度深呼吸をして、気を落ち着かせると、ぼそりと口のなかで呪文を紡いだ。
霧の湖。
ほとり。
アリスは、ふー、と深呼吸をして、一度気を落ち着かせた。それから、口の中で呪文を紡ぐ。
それと同時に、目の前にいた上海人形が、むくりと動き、みるみるうちにその身体を巨大化させた。アリスは、ふむ、とちょっとうなると、魔法の円環をはめた指を、二、三本かるく動かした。
巨大化した人形は、それに応じて、大きく腕を上げて、ぐぐー、と伸びをした。それから、おもむろに膝を折り曲げて、屈伸運動をはじめ、それを二、三回も繰り返すと、今度は上体をかがめて、進脚運動をやりはじめた。
「おおー! すすすげえ! 動いてる!」
「まるで山みたいだわ! あれが人形だって言うのかい!?」
「すごく……大きいです……」
「抱きしめたいなあ、ゴリアテ! まさに眠り姫だ! この気持ち、まさしく愛だな!」
「やだ、すごくかっこいい……!」
「コックピットは胸と頭のどっちなんです? 人は乗り込めるんです?」
後ろのほうで、ざわざわと、妖精達の騒ぐ声がするが、アリスは、それには構わず、準備運動を続けた。
ともすればまったく無駄な動きをしているようにも思われるのだが、これは、あくまでもアリス自身の準備体操のような意味を含んでいるものであって、人間が行う準備運動の動作というのは、そういう、アリス流の操作法で大雑把な人形の動きを表現するには、おあつらえむきなのである。
やがて、人形は、アリスの操る手に応じて、準備運動をやめて、足を踏み出し、ゆっくりと水の中へと足を踏み入れた。水を割って、ざぶざぶと中へと入り込んでいく。
アリスの今日の目的は、こうやって、巨大化させた人形を、水中でどう動作するのかを試験することだった。といって、別に、幻想郷で水中の動きが必要になることなどあるわけではないが、そこらへんは、わりと貧乏性なところがあるので、試せることは試さないと気がすまないのだった。
ここの湖は割りと深さがあるので、しばらく人形を進ませていくと、やがて、頭が沈んで、完全に見えなくなった。アリスは、姿の見えなくなった人形の動きを頭でイメージして、糸を操った。
しばらく待つと、人形は、糸の操作に応じて水面に頭を浮かせて、ばしゃばしゃと水しぶきを立て始めた。後ろから、またおおーと、さわがしい歓声が上がる。
「おおー! すすすげ―! ちゃんと泳いでる!」
「まるでねっしーみたいだわ! あれがきゅうりゅーの正体だって言うのかい!?」
「すごく……大きいです……」
「抱きしめたいなあ、まさに人魚姫だ! この気持ち、まさしく愛だな!」
「というか、人魚というよりあの泳ぎ方はいぬかきね、空気で分かる」
「やだ……あんなに大きいのにいぬかきとか何か可愛い。モユル」
「ちょっとレンコ! モユルってなによ!?」
「あ? しゃぶれよ」
「足がついていないようだが大丈夫か?」
「大丈夫、足なんて飾りですよ! えらい人にはそれがわからんのですか!?」
「シモ・ヘイヘ! シモ・ヘイヘ!」
「ケッハモルタア? ケッハモヌラタア?」
「おい日本語を話せ、ここは幻想郷だぞ!」
「ちょっとれんこ! シモヘイヘって誰よ!?」
「モケーレ・ムベンベってことだよいわせんな恥ずかしい」
「うるさい! 黙れ! 静かにしろ! 集中できないでしょ!?」
アリスが一喝すると、騒いでいた妖精たちは大人しくなり、ついでにそれと一緒になって騒いでいたレミリアも大人しくなった。
まだうずうずとしている妖精たちにじろりとにらみをきかせつつ、アリスは、ふと気づいて、すぐ後ろにいたレミリアに目をやった。レミリアはなんら感じた様子もなく、堂々としている。
「……なんであなたここにいんの? 咲夜は?」
「見りゃ分かるだろ、いないわよ。まあ、日傘なら私一人でも持てるから、外に出るのにあいつは必要ないしね」
「そういうことを聞いてるんじゃないんだけど……」
「細かいことを気にすんなよ。人んちの前で面白いことやってるから見に来たんじゃない」
「べつに変な事する気じゃないわよ。気にしないで」
「なんだい、見学するくらい別にいいじゃんよ。けちけちすんな。なあ美鈴」
「ですよねえ」
レミリアの横にいた門番が、レミリアの言うことに無責任に同意している。
一人だけ背の高い彼女が、ことさら背の低い妖精やレミリアの中に混じっているのは、さっきから目立っていたが、アリスは勤めて気にしないよいうにしていた。どっちみち邪魔臭いことに変わりはない。
(あー。邪魔だわ)
アリスも、普段ならもっとおおらかだし、はしゃいでいる妖精や子供くらい簡単にいなすのだが、実験中は、普段とは違い、少々気が立っている。できれば人目のない所でやりたかったが、そういうわけにもいかない。
「それにしても、なんだか地味だな。もっとほかの泳ぎとか出来ないの? ほらカキロールとかバターフライとか」
「それを言うならクロールとかバタフライとかだろ。そういうあなたは泳げるの?」
「なにいってんだい。吸血鬼は流水が弱点なんだもん。泳げるわけ無いじゃない」
「湖って流水なの? でっかい水たまりみたいなものじゃなくて?」
「ふふん、人形遣いは浅学ね。湖と言ってもわずかな流れはあるものなのよ。いわせんなまったく恥ずかしい」
「ああ。そりゃ違うわよ。レミリア様は、昔一回ここで泳ごうとしたんだけど、そのときに足吊って溺れてね。それ以来、カナヅチでいらっしゃるのよ。だから私も準備運動は入念にって言っていたんだけど、この方は昔から人の話を全然聞かないからな。まあいい教訓だったんじゃないかな?」
美鈴が、横から言うと、レミリアはとんとん、と日傘を肩で鳴らした。
「よし美鈴。今すぐそのクソうっかりな口を閉じろ。そして後ろに組んで歯を食いしばれ」
「はいっこうですか?」
「よし、はあーっ!! いくぞ、レミリア=スカーレット・ファイナル・クリムゾン・ブレッドォー!!」
「はあーっ!! 鉄山刺ィ!! 円を基本とする動きにより、あらゆるすべてを受け流す……っ、つまりはこれが……っ、気を操るということだ……っ!」
「おい馬鹿なにやってんだよ。防御すんなよ!」
「いや、だって殴られると痛いじゃないですか」
「当たり前だ。殴られて痛くないのは死んでる証拠だろ」
「まあ死んでたらお前を殴れないからなって台詞もありますし」
「なら存分に殴るがいい!」
「はぁーっ!! 鉄山刺ィ!」
「いてっ……。……おう……」
「あ、……すみません」
レミリアは、美鈴に殴られると、うめいてしばらくうずくまった。どうやら地味に痛かったらしい。
あー、静かに実験したい、と声には出さずに思いつつ、アリスは人形を操る手を動かし続けた。あまり水しぶきを立てないように、人形の動きを調節していく。
「はいはい、痛くないですよー。むっ」
そのとき、ふと、美鈴がうずくまったレミリアをよしよしとなぐさめていた手を止めて、きっと上空をにらんだ。そのまま、眉をひそめると、不意に飛び上がって、空に駆け上がっていく。
何事か、とアリスがちらりとそちらを見やると、ちょうど、頭の上を、箒に乗った人影がびゅん、と通り過ぎていくのが見えた。魔理沙だ。
「コラ待て! そこの白黒!」
美鈴が、鋭く呼ばわって回り込むと、魔理沙は「おっと!」と帽子をおさえつつ、急停止をかけた。いつものちょっと油断ならない小ずるい目つきをまたたかせて、目の前の門番を見やる。
「おや、なんだ。門番がどうしてこんなとこにいるんだ?」
「ふん、知れたこと。あなたが来ると思ってここで待ち構えていたのよ。いやごめん、それはさすがに嘘だけど」
「そうか、嘘か。正直だな。それじゃあ正直ついでにいい事を教えてやろう。実は今日はお前んとこに用事があるわけじゃないんだ」
「あれ、なんだそうなの? いや、そう見せかけて嘘でしょう。黒白なんかには騙されないわ!」
「うん、実は嘘だ」
「やっぱりか」
「と見せかけてそれも嘘だ」
「え?」
「あ、いや。やっぱりそれも嘘」
「え?」
「と言いつつそれも嘘だ」
「え?」
「え?」
「え?」
魔理沙にすっとぼけた反応を返され、美鈴はちょっと眉をひそめた。しばし、迷った様子を見せる。
「……。え? なに、つまり、どういうこと?」
「いや。だから、嘘なのが嘘って言うのが本当ってことだよ。言わせんな恥ずかしい」
「よくわからないけど、つまりそれも嘘なのね?」
「え? それってどれ?」
「え?」
「え?」
「え?」
美鈴は、眉をひそめたまま、考え込むような顔をした。
「……嘘の嘘でそれが嘘でそれも嘘でやっぱり本当……? 私、よくわからないアルよ……日本語むつかしいね……」
「うん、まあ、よくわからんけど、何か大変みたいだな。それじゃあ、私は行くからな。お大事にな」
「あ、うん。ありがとう。それじゃあね」
「と見せかけてやっぱり本当だァーッ! ヒャア、美鈴死ねェーッ! 不意打ちのマスタースパークッ!」
魔理沙はそう叫ぶと、いきなり懐から八卦炉を取り出した。発射口に、光が充填されて、膨れ上がる。
「――はぁーっ! させるかアホが! 奥義、無・想・転・生!」
叫ぶ美鈴の声が、破砕音にかき消され、熱を伴ったまばゆい閃光が、辺りを包んだ。
ぎゃーきゃーと、巻き込まれそうになった後ろの妖精たちから、悲鳴と歓声の入り混じった声があがる。アリスはそれには構わずに、人形を、あくまでゆっくりと泳がせた。
「……ふむ。やはり、水の中だと作動の感触が……」
「ぬおっ! かわした?」
「ふん……当たり前だ、この紅美鈴、いつまでもケツの青い小娘にやられっぱなしではない……。中国数千年の歴史にはこういう使い方もあるのよ!」
「す、すげー。中国すげー」
「……ああ、というか、それ中国の歴史云々じゃなく、この前私が貸した漫画の技だろ? お前仕事サボってこっそり練習してたよな。咲夜のやつが青筋立ててたぞ。まあ告げ口したのは私なんだけどね。あの美鈴とかいうやつ、こないだ私に隠れてフランとシュークリーム食べてたらしいからしかたがないなしかたがない」
「露骨に人の裏をバラすだって……!? こんな雇い主のほかの秘密も、私は守る価値はあるのかしら……? 別に天狗と世間話をしてるときにうっかりばらしてしまっても構わないんじゃないかしら……? 」
「ほう……ヒャア、美鈴死ねェーっ!!」
「なっ、なにするだぁーッ!!」
美鈴の声と、レミリアの声とにかぶさり、木々を貫くような轟音がひびいた。妖精が、何人か巻き込まれて吹っ飛ぶのが見え、場はたちまち混乱の渦と化した。
アリスは、そちらを見ないようにして、「ゴリアテ、もういいわ。上がってきて」と、淡々とした口調で、湖の人形によびかけた。もう今日は帰ろう。
そのとき、ふとアリスの後頭部をめがけて、えらい勢いで何かが衝突した。アリスは、そのなにかが着弾した勢いのまま、えらい勢いで前にぶっ倒れて、地面にキスをした。
アリスを襲ったものの正体は、そのすぐ後ろで格闘式の弾幕戦を始めていたレミリアと美鈴の、どちらかがはなっただろう流れ弾だった。
「おう、大丈夫か? アリス」
後ろから、いつのまにかおりてきていた魔理沙が言った。
アリスは、黙ってゆっくりと立ち上がると、魔法の円環を指にはめなおした。
ふーと、一度深呼吸をして、気を落ち着かせると、ぼそりと口のなかで呪文を紡いだ。
気のせいか…?
この妖精は毎年元旦になると博麗神社でおみくじを売ってるんですね、分かります。
ですね、わかりますw