――紅葉の赤や銀杏の黄で色彩豊かだった外の景色は、幻想郷に訪れた寒波により少しづつ色あせていき、やがて冬の色へと染まる。霜月に入り、それも大分進んできた様に思える。森の木々にも既に紅葉は無く、その天辺まで幹の褐色を晒していた。
外を吹く風で窓がかたかたと音を立てる。もうそろそろストーブが必要になるな……。まぁ今日はそれ程冷え込んでもいないし、出すのは明日でも何ら問題は無いだろう。そんな事を思いながら、僕はある道具の手入れをしていた。手入れと言っても、埃を払い磨くだけだが。
「………………」
それは手の平に収まる程の大きさの、小さく綺麗な貝殻。綺麗と言っても外界から流れ着く装飾品の類の方が圧倒的に綺麗であり、食用の蜆に比べれば白くて綺麗と言うだけだ。
普通なら何の価値もないと思いそうな物だが、実はそうではない。僕の能力がそれを教えてくれる。
この貝の名称は『燕の子安貝』。かの『竹取物語』にて、かぐや姫が中納言石上麻呂足に出した難題だ。
歴史的にも有名なこの貝殻は、商品棚ではなく勘定台の下に置いてある。無理に扱うと脆く崩れ去る可能性もある為、霊夢や魔理沙に触らせないようにする為だ。故にこの道具の手入れも、霊夢や魔理沙が絶対に来ないであろう時を見計らい行っている。
外がこう寒くてはストーブ目当てに来るかもしれないが、生憎まだその時期ではない。彼女達もそれをわかっているのか、今日は昼時の今まで扉を潜ってはいない。
「……よし、こんなものか」
納得のいく出来になり、勘定台の上に置いて小さく腕を回す。手先に集中しての長時間作業は結構肩にくるのだ。
これをしまったら草薙の手入れもしておくか……
そんな事を考えながら腕を回していると、扉の鈴が来客を知らせた。
「いらっしゃいませ」
そう言いながら客へと向き直る。
入ってきたのは一人の少女。長い黒髪を蓄え、何処か優雅な気質を感じさせる。
少女は店の中を見渡しながら、僕の方へと歩み寄って来る。
「ふーん……色んな物があるわね」
「……褒め言葉と受け取らせてもらうよ」
「ねぇ、此処は何屋なのかしら?」
「……見ての通りの古道具屋だが?」
「ふぅん、古道具屋……の割には古いとは付かない様な道具もあるわね?」
「まぁ主体が古道具屋なだけだよ。古道具以外に外界の道具や冥界の道具も扱うし、注文があればマジックアイテムの製作もするからね」
「へぇ……面白いわね」
「それは、どうも……」
少女は話し終わると、再び店内を見回し始めた。
「…………!」
やがて目線は下に向かい、動かなくなった。
「……?」
彼女の目線の先には、仕舞い忘れた子安貝。
「これは……ただの貝じゃないわね」
「おや、分かるかい? これは燕が産んだとされる珍しい貝でね。名を……」
「燕の子安貝、でしょう?」
「……驚いたね、そこまで知っているのかい」
「えぇ」
そう言って少女は口元を袖で押さえからからと笑う。
「まぁ、そこまで知っているなら聞いておこうか。……これを、お求めかい?」
「そうね、頂こうかしら」
フム、これを手放すのは少々惜しい気もするが……まぁ、彼女なら大事に扱ってくれそうだし、別段問題は無いだろう。
「では代金ですが……」
「あぁ、金銭の類は持ち合わせてないわ」
「………………」
……全く、何時から此処は無銭で買い物が出来る店になったというのだ。霊夢辺りが変に伝えているのではないだろうか?
「そんな顔しないで頂戴。ちゃあんと対価はあるわ」
「……フム、まぁそれならいいだろう。では聞くが、対価とは何だい?」
この貝殻を燕の子安貝と分かっていて交渉するというのだ。出てくる対価は相当な物だろう。もしかすると草薙以外の三種の神器かもしれない。
そんな期待に胸を膨らませていると、少女の口から対価の名が発せられた。
「私」
「………………はぁ?」
思わず聞き返してしまった。
今彼女は何と言った? 私? 自分自身を対価として差し出すと言うのか?
「だから、私よ」
「……どういう事か、説明してもらえるかな?」
「難題を献上すれば、なよ竹のかぐや姫を嫁に出来る……ここまで言えば分かるでしょう?」
「ム……」
難題……確かにこの子安貝は、かぐや姫が五人の貴公子に出した『五つの難題』の一角だ。そして難題を献上した者がかぐや姫を嫁と出来る……それがこの子安貝が登場する物語、『竹取物語』だ。
と言う事は……まさか。
「……では、君がそのかぐや姫だと?」
「えぇ……あ、そう言えば名乗ってなかったわね。蓬莱山輝夜っていうの」
まぁ名字は貴方と一緒になるんだけど。と付け加え、目の前の少女……輝夜は微笑む。
「さぁ、私は名乗ったわ。私の夫となる者の名を聞かせて頂戴?」
「………………」
……まぁ、相手が名乗ったのだ。名乗り返すのは最低限の礼儀だろう。
「霖之助、森近霖之助という。しかし君を娶る者の名ではないよ」
「……? どうしてかしら? 世の男達を虜にした絶世の美女を嫁に迎えないって言うのかしら」
果たして自分で言う事なのかどうか……まぁ、事実だから何も言えないが。
「……君は子安貝の対価として、自分自身を支払うと言った。それはつまり、自身を道具として扱うという事だ」
「そうなるわね」
「香霖堂では生き物を道具として取り扱わないのでね、よって君は対価とは成り得ない」
「ふぅん……?」
「更にこの子安貝は中納言石上麻呂足に君が出した難題であり、僕に出された難題ではない。つまり僕が君にこの貝殻を献上したとしても、君を嫁にできるというのはお門違いというものだよ」
「へぇ……ふふ。貴方、面白いわね」
そう言うと、輝夜は踵を返す。
「私の誘いを断る殿方なんて初めて……ふふ。貴方、気に入ったわ」
近い内にまた来るから。そう言って彼女は扉の鈴を鳴らし、店から姿を消した。
「やれやれ……厄介な事に巻き込まれたものだ」
先にこれを仕舞っておけばこうはならなかったかもしれない。そう思っても最早後の祭りだ。
「さて、どうしたものか……」
……取り敢えず、草薙の手入れをしておこう。考えるのはそれからでも遅くない。
そう考え、僕は子安貝を仕舞い勘定台を離れた。
***
――カラン、カラン。
「香霖堂、私に子安貝を献上する気にはなったかしら?」
「ならないよ。歩いてお帰り」
「ハァ。詰まらないわねー……」
「そう思うならもう来なければいいだろうに」
あれから二週間程。輝夜は一定のペースで香霖堂に来店していた。そしてその度に献上する気になったかと聞いてくる。初めて来店した時の説明を何度彼女に言ったことか。
「別にいいじゃない。献上するしないは別として、ここは何だか居心地がいいもの」
「それはどうも」
「此処に住んでみたいわねー……ねぇ、やっぱり私を娶る気は無いの?」
「当然。僕は五人の貴公子じゃないからね」
「むぅー……私をこんな風にあしらう人、貴方が初めてだわ」
「此処は人も妖怪も神も分け隔て無く接する古道具屋だ。お姫様とて例外ではないよ」
言って、残り少なくなった茶を啜る。
「あら、じゃあ私をただ一人の少女として見てくれる訳?」
「あぁ」
「ふふ……やっぱり貴方、面白いわ。帝をも虜にした私を、そこらの少女と一緒ですって……ふふ」
そう言って輝夜はくすくすと笑う。が、突然思い出したように笑うのを止めた。
「そう言えば……」
「うん?」
「此処の商品、よく見た事無いわね」
「最初に見渡していた様な記憶があるんだが?」
「大体はね。でも細かくは見てないわ」
「……で?」
「別に? ちょっと細かく見ておこうかしらって思っただけよ?」
「買う気は……無いよな」
「微塵もね」
そう言って輝夜は口元を押さえころころと笑いながら勘定台から離れ、商品棚の方へと足を進める。
それを見て、僕は再び湯飲みを呷る……が、程よく冷めた茶は口へと流れては来ない。さっきので飲み干していたらしい。
やれやれ、読書に集中しすぎるのも考え物か。思い、茶を淹れる為に席を立った。
***
茶を淹れて店内に戻ると、輝夜は商品棚の前で商品を見ていた。
「……ふぅ」
勘定台に戻り、再び本の項に目を落とす。
輝夜は放置しておいても大丈夫だろう。
そう思って本を広げると、それを妨害するかの様に声が掛けられた。
「香霖堂」
「うん?」
「これは何?」
そう言って輝夜が棚から取り出したのは、一つの紅い石。
「あぁ、それか。間違っても光に当てないでくれ」
「あら……ふふ、何故かしら?」
「……それは『エイジャの赤石』、光を増幅する石だよ」
「へぇ……綺麗ね」
「気に入ったのかい?」
「えぇ、そうね……頂けるかしら?」
「買う気は微塵も無いと聞いていたんだがね」
「別に良いんじゃない? 貴方に悪い話でもないでしょう?」
「……まぁそれはそうだが」
「でしょ?」
そう言って、輝夜は石を持って此方に歩み寄って来る。その顔に浮かんでいるのは、笑み。
「では商談に入るが、それの代金は……」
「私はお姫様よ。財布なんて持ち歩かないわ」
「……やれやれ。なら相応しい対価はあるんだろうね?」
「勿論よ。いくらお姫様でも、物を買うには対価が必要な事ぐらい知ってるわ」
「普通その対価は金銭なんだがね」
「払わないよりマシでしょ?」
まぁ、ツケと言って商品を持っていく常連もいるのだ。払ってくれるだけ有難いというのは事実なのだが。
「やれやれ……では聞くが、何を対価として払ってくれるんだい?」
彼女は月の姫、もしかすると月の道具が手に入るかもしれない。
そんな期待を胸に抱いていると、輝夜の口から対価の名が発せられた。
「私」
「………………ハァ?」
……二週間程前に同じ台詞を聞かされた気がするのだが、気のせいだろうか。
「だから、私よ私」
「難題の数は……」
「石作皇子への『仏の御石の鉢』、庫持皇子への『蓬莱の玉の枝』、右大臣阿倍御主人への『火鼠の皮衣』、大納言大伴御行への『龍の頸の玉』、中納言石上麻呂足への『燕の子安貝』……私が出した難題は、この五つよ」
……言おうとしていた事を先に言われてしまったか。だがそれなら好都合。
「その難題の中に、エイジャの赤石は無いようだが?」
「そうね。……じゃあ、逆に聞くわ」
「?」
「難題は五つ……私がそう決めたのは、私に特に夢中だった貴公子が五人だったから。これが四人や六人だったら、難題の内容も変わっていたでしょうね」
「……成程」
つまりこのエイジャの赤石は、彼女が難題を言い渡す際に考えていた物だったという訳か。
「ふふふ……さぁ香霖堂、『子安貝を献上するよう言われたのは中納言石上麻呂足、故にこれは僕が君に献上していい物ではない』という言い訳は通用しないわよ。これを私に献上しなさい?」
「フム…………」
頬を少し朱に染めた輝夜に告げられ、考える。
此処で赤石を輝夜に献上すれば、僕は輝夜を嫁に迎え入れる事が出来るだろう。
それだけでは無い。輝夜は帝ですら伴侶に出来なかった。その輝夜を伴侶にすると言う事は帝を越えるという事を指しており、僕は国を統べる者の上に立つ事になる。もしかすると、これを機に草薙に認められるかもしれない。
だが。
「断る」
天下だとか、帝を超えるだとか、そう言う事ではないのだ。
「なっ……!」
僕がそう言うと、輝夜は顔を更に赤くした。胸の内に宿す感情は恐らく、怒り。
「何でよ! どうしてよ!? 貴方は私に娶る価値も無いって言いたい訳!?」
勘定台に身を乗り出しながらそう抗議の声を上げる。
「そういう訳じゃない」
「じゃあ何でよ!」
「……君は、自分自身を対価とする。そう言った」
「……そりゃあ、嫁ぐんだからそうでしょう?」
「あぁ。だが、君が此処に初めて来た時も言った様に香霖堂では生き物は道具として扱わない。よって対価とは成り得ないね」
「ッ……そ、それでも」
「それに難題を献上したなら君を妻に迎え入れる事が出来る……それは五人の貴公子に与えられた難題だ。僕は難題を出された覚えは無いよ」
「ぅ……で、でも! エイジャの赤石はあの五人に出した難題じゃないわ! あの五人は関係ない!」
「エイジャの赤石は僕に出された難題でもないんだがね。それに五人が関係無いなら、難題のルールも適応外だよ」
「それでも難題は! 私に夢中になった男への……」
「君に夢中になった覚えは無いんだがね」
「! ぅ……うぅう……!」
唸り、輝夜はぷるぷると震える。
「巫山戯ないでよ……!」
「……輝夜?」
「私は! かぐや姫で! お姫様で! なのに、こんな……こんな扱いを受けたのは初めてよ!」
勘定台から身を乗り出し僕に言葉の弾幕を浴びせる。
「貴方、一国の姫をこんな風に扱って良いとでも思ってるの!? 何とか言いなさいよ香霖堂!!」
「…………ハァ」
言葉が完全な怒気を纏っている。言霊の持つ力は強力だ。
現に今、僕は勘定台から身を乗り出した輝夜に胸ぐらを掴まれている。
「……輝夜」
「……何よ!?」
「これは最初に言った事だがね」
「……何がよ!?」
「香霖堂では人も妖怪も神も、等しく客として扱わせてもらう。例えそれが一国の姫であろうと、人里の町娘であろうとも……僕はそう言った筈だよ」
「ッ……!」
「分かったら離してくれ。流石に辛い」
「ハァ……ハァ……!」
荒い息をしながら、輝夜は僕の胸ぐらから手を離す。
「……やれやれ」
呟き、服の乱れを元に戻す。
「さて、という訳でこの商談は無かった事に……」
無かった事にしよう。
そう続けるつもりで輝夜に顔を向けた。
「……輝夜?」
見ると、輝夜は俯き震えている。顔の角度もあり表情を伺う事は出来ない。
「…………馬鹿」
「?」
「……馬鹿、馬鹿、馬鹿! 香霖堂の馬鹿!! 貴方なんかもう知らないんだから!!!」
「ぇ……あ……?」
言い散らし、輝夜は店を出て行ってしまった。乱暴に閉められた扉が店の中に巨大な音とけたたましく鳴る鈴の音を生む。
「……何故、怒られたのだ?」
どれだけ考えても、答えは出てこなかった。考えたかいは無かった。
***
永遠亭の自室。私は布団の上でうつ伏せに寝転んでいた。
「……馬鹿、……馬鹿」
あの眼鏡店主の顔が頭に浮かぶ。
私にはっきりと、『夢中になんてなっていない』と言い放った、あの店主の顔が。
「………………」
最初は、暇潰しだった。
永遠を生きる故の退屈、そこから入ったあの店。そしてそこで見つけた、何百年も前の難題。
「………………」
そこからだ。あの店主に興味を持ったのは。
私が世の男達や一国の帝をも魅了したかぐや姫だと知っても顔色一つ変えず、むしろただ一人の少女として私を見たあの金色の目。
その初めての事に……少し、暇が潰せると思った。
「………………」
それから約二週間。私は暇が出来てはあの店に行き、店主をからかっていた。
姫として振舞う事も無く、男達の目も気にしなくていいその空間は……居心地が良かったというのもある。
それは彼が自分をそういう風に見ていたからでもあり、彼の店だから私もそうあれたのかもしれない。
「………………」
だから、だろうか。
何時の間にか、あの店に行く目的が『暇を潰す』ではなく、『店主に会いに行く』になっていた。
あの店主と共に過ごす時間が、楽しく思えた。
「………………」
なのに。
なのにだ。
今日の彼の、『別に夢中でも何でも無い』という発言。
「………………」
初めてだった。
多くの男を虜にしてきた私にとって……
ここまでの……屈辱的な台詞は。
「…………ふふ」
いいわ、香霖堂。
貴方が私に夢中でないというなら、夢中にさせてやるまで。
何時か五つの難題を全て私に献上し、どうか自分の物になってくれと懇願する程に、私に惚れさせてやるわ。
「見てなさい、香霖堂……!」
――私を本気にさせた罪は、永遠の禁忌よりも重いわよ?
貴方の一生を私に捧げさせて、償わせてやるんだから。
胸倉→胸ぐらです
これからも頑張ってください
あと霖之助は対価に労働力は受けとるけど商品として生き物を取り扱わないだけだと個人的には思います
続編をちょっとだけ期待します
続編期待!
今後の展開が気になります!
>>アイス 様
とうとう、ですねw
>>!! 様
誤字報告有難う御座います!修正しました。
その辺りは微妙ですからね……感覚の違いでしょうか。
>>3 様
色仕掛けから甘えてくるまでですね、わかりまs(ry
>>4 様
特級フラグ解体士の成せる業ですね、わかりm(ry
>>奇声を発する程度の能力 様
ぞ、続編!?
>>6 様
そのうちてゐとかがお茶の中に蓬莱の薬を仕込みそうですけどねw
……続編の声が結構……え……?
これで終わらせるつもりだったんだけどなぁ……
読んでくれた全ての方に感謝!
「好みの問題」の一言で説明できるレベルの相手じゃないような気がするんですけどw
半分妖怪だから、生殖本能とか色欲とかがきっと弱いんですよ!今回はそういう事にしてやって下さいw
読んでくれた全ての方に感謝!