Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ハイカラさんが通る 二つ目

2019/08/04 06:39:09
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 こういつまでも続けられては、どうも大変です。あなた方には仕方ありませんが、あなた方にお話をするだけが、風祝の仕事ではないのです。
 まあ。そこまで笑って聴いていただけるのなら、そろそろ悪い気もしませんが、そうですね。また、同じ話になってしまいますが、良しとしましょう。あなた方には結局、どんな話だって、関係のないことでしょうから。
 けれど、今から話すのは、本当になんでもなんでもない話なんです。決して、私が話したいから話す、なんてことでは、ないんですよ。ああ、はじめくらい笑わないで聞いてくださいね。本当に、なんでもないんですから。私がこの話をするのは、それが、丁度いいと、ただそれだけなんですから。

   一

 始まりといえば、やはり、あの日だったのかもしれません。
 そのころ、世界には雨が続いていて、その日もやはり雨で、半分開いた障子窓の向こうに、かつての日常を浮かべていました。のっぺりとした校舎、触れればたしかに堅い教室の壁、シャープペンシルの転がる机。私は、同級生を懐かしんでいました。一人、変わった子がいたのです。
 変わった、とはいえ、とりわけて目立つということも、暗すぎるということもなく、ほんの少しだけ独特な間を持った、黒髪の女の子でした。ただ、その独特な間が、授業が終われば集まってお喋りをする子達にとって、彼女を変と言わしめる原因ではあったのでしょう。試験で点数をとれないとか、忘れ物の多いとか、そんなこともありませんでした。彼女はすこし、会話が苦手だったのかもしれません。たしかに、おはようの一言でさえも、彼女がまともに返したのを、聞いたことがありませんでした。だからといって、無視をする、というわけでもないのです。彼女は、おはようのその一言に対して、日常的な会話の殆どに対して、なにもわからなさそうに笑う、という返答をしました。もちろん、普通の高等学校に通えていたわけですから、なにもわかっていない、なんてことはありえません。ただあまりにも、その笑い方といえば本当に、なにもわからなさそうにするものですから、お喋りな子達の、「もう!」と云う気持ちも、わからないではなかったかもしれません。
 けれど、私は彼女が好きでした。そんな、なにもわからなさそうな笑顔がどこかいじらしく感じられて、見るたびに、ちょっとだけ変な気が起きたのをよく覚えています。ほら、例えば、眠る我が子をわけもなく起こしてしまう親と、おんなじ気持ちですよ。中途半端になった指のささくれを、思い切ってとってしまいたくなる、あの気持ちです。
 彼女と友人関係にあったかどうかは確信がありません。私は所謂八方美人、風見鶏と云うやつで、教室ではとりわけて、誰とも分け隔てなく接していました。いえ、実際は誰とも、ほんとうには接していなかったかもしれませんね。ですから、彼女にしてみれば、私も数ある同級生の一人だったかと思います。けれど、彼女と私は、帰り道が同じでした。校門を出てまっすぐ、今となっては懐かしい、アスファルトの路面表示を三度折れるまでは、いつも一緒に歩きました。
 どうしてでしょうね。雨の日が多かったように思います。というのも、記憶の中で彼女は、いつも傘をさしていました。ビニールに注ぐ雨のボツボツといった野暮ったい音の中に、彼女の曖昧な笑い声が、いつでも鮮明に聴こえていました。だから、その日も私は起き抜けに、障子向こうの雨の匂いに、彼女を思い出しながら、里へのおつかいのため、身支度や何かをしていたと思います。
 そのとき、縁側の方から、諏訪子様が私に声をかけました。さなえ、ちょっとおいで、なんて言って、いつものことながら、諏訪子様のその声を聞くたびに、私はいつもドキドキしながら、神棚のある、黴臭い畳の部屋までついていったものです。ドキドキする、というのも、そうじゃありませんか。ちょっとした用事だったのなら、呼びつける必要はありません。その場で話してくれたら、幾分安心できます。それをわざわざ改まって呼びつけて、暗い畳の上で対面の形を取らされるから、或いはこれは、なにか怒られるのではないだろうかと、心当たりがなくても緊張してしまいます。今にして思えば、それは私の、私的ノスタルジーというものだったのでしょう。なにから話したものか、だとか、ううむ、だとか、腕を組み唸ってばかりで一向に始まらない諏訪子様のご様子に、きっと、すこし過保護すぎた両親を重ねていました。だから、お説教までの秒読みに似たその時間に、私は緊張と一緒に、不思議な安心感を覚えていたのです。
 けれど、あんまりに始まらないものですから、そのうちに、程よい緊張感と安心で、うつらうつらとしてしまいました。もっとも、諏訪子様のソレはあの人特有の癖というもので、実際にはお説教をされたことがありません。どれほど唸られていても、せいぜいおつかいの品が増えるのみでしたから、余計に、眠たくなってしまうというものです。
 そのときに見た夢を、よく覚えています。
 彼女の夢です。なにもわからなさそうにはにかむ彼女の夢。はじめは、彼女ではなく、キラキラと、髪の明るい子達の夢でした。授業が終わるや否や後ろの方に集まって、なにやら高い声でお喋りをしています。一番後ろの席の私が、教科書やノートを鞄に整理しながら、それを聞くともなく聞いていて、実際の私は、それを俯瞰して見ています。夢の私に、髪の明るい子達の一人が声をかけたところで、不意に、場面が飛びました。そうすると、今度は森になりました。暗くて、じめじめとして、知らない植物がたくさんあり、どこにも構わず蔦を巻く、陰鬱な森です。なんてことのない細い木には、ロープが巻かれていました。ロープには、きっと、か細い線よりずっと重たい、女の子がぶら下がっています。聴覚に、曖昧に、声が響きました。諏訪子様の声です。おつかいがどうとか、神奈子様に内緒でとか、おそらく、半覚醒の夢です。だから、陰鬱な森には古い映画のようなフィルターがかかって、まるで、雨が降ってるみたく、ざらざらしたり、明滅したり。一瞬、女の子にパッと視点が近づいて、学生服だと分かったり、また離れて、なにもかもよく、わからなくなったり。それこそ夢は本当に、映画のショッキングな場面のように、女の子の縊死体を、目まぐるしく強調して見せました。
 諏訪子様の声が一際大きく聞こえて、ハッと、目を覚ましました。紛れもなく、例の彼女の夢です。彼女は、私がこちらへ来る年の夏休みの最中、ご両親に行ってくると言い残して、消えてしまっていたのです。夕立が過ぎた暮れ、所謂行方不明というものでした。その後あれこれと噂が立つのは道理ではありますが、学校での噂といえばひどいもので、彼女は死んだ、自殺した、樹海で首を吊ったんだ。なんて、誰も彼もが彼女の死について口を動かしていました。もちろん私は、実際のところ彼女がどうなったのかなんて、知る由もありません。当然、今だってわからないままでいます。けれど、畳の上で船を漕いだそのあと、増えたおつかいの準備をする最中に、なんとなくではありますが、誰もが語った彼女の噂は、本当なんだと思いました。雨樋から滴り落ちる、塊のような水滴が打ち付ける音の中に、彼女の死を理解しました。そうしてぼんやりと考えたのは、彼女の死には少なからず、私も関わっていたということです。
 彼女はよく、からかわれていました。大げさな言い方をするなら、いじめられていたのかもしれません。髪の明るい子たちが彼女にかける声の軽さを、よく覚えています。私がなんとかしてやれたら、また違った形でお別れができたかもしれない。本当に、準備の片手間に漠然とした想像を浮かべていました。そのとき同時に思っていたことは、私がなんとかしてやれたらなんて、そんなふうに考えるのは、私が彼女を好いていたがゆえの、その頃流行していたドラマ式の、ヒロイックさに起因しているのかも、だとか、準備の片手間に落ち着ける私は、すこし冷酷なのかもしれない、だとか、とにかく彼女の死を軽視した、不可思議に冷たい感触ばかりでした。連日のことでしたから、里ではもう誰も雨など気にせずに、どの店も人も、普段通りに賑わっていました。けれど、それがまた、私を妙な気にさせたのです。もはや誰も彼もが諦めて、晴れの日と同じように賑わっているのに、実際には雨が降って、紫陽花が湿る薄紺の中、色調の落ちた町の中に居るわけですから、妙に、それが本当な気がしました。普段の晴れた明るい世界は嘘で、雨が降るのに賑やかな世界が、本当のもののように感じました。普段と変わりなく、八百屋さんの快活な呼び声に誘われるがままに、おつかいの品を買いました。けれど、私はその普段通りが、妙におかしな気がしたのです。こんなにも雨が降っているのに、こんなにも、普段通りに生活をするなんて。そんな、漠然とした感覚を持て余しながら、残りのおつかいを済ますべく、里を歩きました。
 正午を待たずして、おつかいは済み、諏訪子様もお出掛けになったので、縁側で、ぼんやりとしていました。いつもなら、境内の掃除でもしていたかと思いますが、あいにくの雨で、それに連日続くものですから、もう、諦めて梅雨明けを待つしかなかったのです。雨溜まりに踊り溶ける砂の粒を眺めて思うのは、やはり、古いことばかりでした。けれど、そうこうしているうちに来客があるのではないか、なんて、緩やかな期待も胸中にはあったのでしょう。そうでなければ、わざわざ飛沫の跳ねる縁側に腰を落ち着けたりしません。実際、その頃はひとり、神社へと頻繁に訪れる方がいました。いえ、どうも、変な感じですね。ひとり、というのも、方、というのも、他人行儀な感じがして、なんだか可笑しいです。しかし、ひとり、というのはやはり誤りかもしれませんね。正確には一匹になるのでしょうか。ああ、決め兼ねてしまいます。その方は妖怪でした。怪は唐傘、性を多々良、名が小傘。そうですね、やっぱり便宜上、ひとり、としておきましょう。彼女はとても妖怪らしく、そして人らしく、ああ、今でもわかりかねます。妖怪というのは得てして、人を惑わすものなのですね。
 話を戻せば、私は縁側で、彼女を待っていたのです。そのころ、彼女は毎日私のところへやってきては、荒唐無稽な悪戯をしました。もちろんそれは、彼女の習性によるもので、偶然、標的に選ばれたのが私だったのでしょう。彼女はいつでも傘をさしていて、それだけで、隠れているつもりになって、傘から顔をひょいと出しては、驚け、なんて言葉を発音するのでした。赤ん坊ならいざ知らず、そんなことで、私が驚くはずもありませんから、だから余計に躍起になって、毎日毎日、私の前に現れたのでしょう。妖怪らしいのは、私がどこにいても現れるという点です。彼女は私が行くお使いのことなど知らなくても、里に行けば里で、林道を歩けば林道で、縁側に座れば縁側で、私を驚かさんと現れるのです。きっと、驚いたふりでもしてあげられたら、彼女がああもしつこくすることもなかったのでしょう。標的を驚かせるまで付いて回る、きっと、それが彼女の習性でした。けれど、いないいないばあで驚ける人間もそうそういませんから、いまでもすこし、不条理に感じます。
 私はそんな彼女のことが大嫌いでした。いえ、それは嫌悪というよりも、どうでしょうね。ウザい、なんて懐かしい言葉が、しっくりくるような気がします。彼女は常に、私がして欲しくないことを、一番して欲しくないタイミングでやってのけるのです。今にして思えば、なにか驚かしてくる妖怪、などというのはただの、便宜上の、都合のいい解釈で、本当なら、彼女はそういう妖怪だったのかもしれません。当人が一番にいやがることを無意識的に体現する、恐ろしいだけの、妖怪らしい妖怪だったのかもしれません。もちろん、本当のところはわかりませんが、とにかくとして、他人の気分を解さずに、所構わずはしゃぐ彼女を嫌っていました。都度、きつく諌めたのを覚えています。それはもう、威勢良く飛び出してきた彼女がふにゃふにゃになるまで、諌めてやりました。
 もうお分かりかとは思いますが、私はその時間をたのしみにしていたのです。学校に通っていた頃は、気兼ねなくひとを詰る楽しさなんて知らずに過ごしていましたが、彼女のおかけで、なんとなくではありますが、そのたのしさがわかりました。都度しょぼくれる彼女にしたって、次の日になれば、記憶を失くしたような威勢の良さで飛び出してくるものですから、私はそんな彼女との時間に、まるで、お昼時に何度も繰り返される、紋切り型の時代劇のような快さを感じていたのです。
 境内の土がおおよそ雨に沈んだ頃、階段の方から、足音が聞こえました。不思議ですよね。雨の降りしきる境内で、それなりに遠い、足音を聞くなんて。それだけ、私は彼女がやってくるのを、楽しみにしていたのかもしれません。もう一寸すれば、彼女のさす傘の頭がみえてくる。そんなふうに思いました。けれど、一寸して現れたのは、彼女本人の、水色い、濡れた髪の毛だったのです。彼女が傘をささないなんて、ほとんど、考えられないことでしたから、思わず私は縁側から、階段の方まで近づいていきました。なにかあったのではないか、確かめなきゃいけない気がしたのです。
 見れば、彼女は片手にしっかりと、いつも通りの茄子色を携えていました。ですが、やはり傘は閉じられて、下を向いて、役割を放棄しています。彼女の水色い髪は濡れ、その色を少しばかり重く落としていました。表情にも同様の陰りがさして、その日だって、いつもの調子でくるものと思っていた私は声をかけるにも言葉が浮かばず、そんな彼女をみるのは初めてでしたから、狼狽して、思わず口をついたのは、間の抜けた、挨拶の語句でした。

 そうです。
 おはようございます、と私は言いました。
 彼女は、なにもわからなさそうに、はにかみました。
 そのとき、私は悟ったのです。
 少女の縊死体は、模糊とした幻などではないということ。
 彼女のことなんて、なにひとつ知らなかったのだということ。
 そして多々良小傘は、妖怪であるということ。
 よく覚えています。忘れようにも忘れられません。

 ねえ、早苗さん。わちき、部屋に出た虫を潰しちゃったんだ。かわいそうかなと思ったけど、でもやっぱり、気持ち悪くて、こわくて、潰しちゃった。だから、早苗さんのいうように、わちきはやっぱり残酷で、臆病なんだ、って思ったら、急に、早苗さんに話さなきゃいけないような気がしたの。ねえ、早苗さん。わちきはやっぱり、残酷で、臆病で、わちきな、ダメな妖怪でしょう? だって、両目の色だって、ちがうから。

 彼女は照れたように、諛うように、曖昧に、笑いました。

   二

 それから、私と彼女は友達になりました。敬称の代わりにちゃんをつけさせ、彼女が訪れればお菓子を作って、お茶を淹れました。一緒にカップケーキを作ったことを覚えています。おそらく晴れ、いえ、曇り空の、お昼時でした。雨の降らない代わりに、蛇口から、水が流れていたのを思い出せます。お台所か、お風呂場か、いまとなっては定かではありませんが、つやつやと、周囲のものを捻じ曲げて反射する鉄から、蜘蛛の糸を思わせるほど、細く、また頼りのない、透明な柱が伸びていたのを覚えています。その日も彼女は傘をさしませんでした。閉じた傘を片手に下げて、ひたひたと、裸足でお台所まであがって、物珍しそうに、カップケーキの材料を見つめていました。なにもしらない彼女に手本を見せると、魔法みたい、と彼女は笑って、見様見真似を始めるのです。私は、そうして出来上がった彼女の不恰好なカップケーキを食べました。彼女に私が作った方を食べさせると、彼女は喜び、また笑います。当然、味はどちらも変わりません。けれど、彼女は私が作ったカップケーキの方が、美味しいと云うのです。わちきが作ったものなんかが、早苗ちゃんに敵うはずない、などと嘯くものですから、そんなことはないとからかうと、彼女はまた、なにもわからなさそうに、はにかむのでした。
 その頃には、彼女元来の威勢の良さや前向きさ、生意気さはもうすっかりとなりを潜め、殆ど別人のように振舞っていました。虫を怖がり、曖昧にはにかみ、私に肯く。ただそれだけの存在と思わせるほど、あの間の抜けた驚けの四字が、幻だったのではないかと疑わせるほどに、掴み所のない、ぼんやりとした仄暗さを纏うようになっていました。もちろん、私はそういった彼女の変貌を、多々良小傘という妖怪の習性からなる変化と捉えていました。ですが、罪悪感を覚えずにもいられなかったのです。こちらに来てからというもの、妖怪なんてその程度のもの、という考えがあり、私はその考えに則って、彼女の驚けという四字をキツく叱責していました。大袈裟な言い方をするなら、いえ、私はきっと、彼女をいじめていたのです。その日にどれだけ落ち込んでも、次の日には記憶をなくしたように振る舞う彼女を詰ることに、たのしみを見出していました。私を標的とした彼女の習性、至らなさのみならず、目の色髪の色、言葉尻までをも、彼女を追い詰める道具にしたのです。そう。私が彼女を追い詰めたのです。虫を怖がり、曖昧にはにかみ、私に肯くだけの存在となるまで追い詰めてしまったのは、他ならぬ私本人なのではないかと、そう思わずにはいられませんでした。彼女は私の言うことをなんでも聞きました。早苗ちゃんと呼ぶように言えば、それを守りました。お菓子作りなんかに誘えば、一寸も待たずに頷きました。けれど、そんな罪滅ぼしの最中にだって、私は彼女のなにもわからなさそうな笑顔を眺めれば、いじらしくって、苛々として、度々、たまらない気持ちになっていたのです。
 ああ、どうしましょう。そうですね。
 この話をするのなら、やはり、魔理沙さんの話をしなくてはいけないように思います。霧雨魔理沙さん。昔なら、よく一緒にいろいろと共にしました。いえ、今でも大切なお友達であることには変わりありません。ですが、その頃はすこし、今よりは疎遠になっていたと思います。原因という原因は、私と、魔理沙さんの双方にあったのではないでしょうか。私はもともと、彼女のことをあまり意識していませんでしたし、正直なところを言えば、苦手意識すら持っていたかもしれません。髪も言動も明るくて、軽やかな感じのする人でしたから、私はどうにも、彼女のことを考えれば、校舎の下駄箱や、階段の踊り場、鍵が開きっぱなしの屋上を思い出してしまい、すこしだけ、心がささくれるような気持ちになっていたのです。それが、私側の原因というものなのですが、彼女側の原因も、これまた妙でした。
 彼女はどちらかといえば、私の友人というよりも、霊夢さんの友人だったように思います。いつも、霊夢さんの隣にいて、お話をするときだって、霊夢さんの話ばかりでした。ですから、彼女も彼女で、私のことを別段意識するということはなく、きっと、霊夢さん以外の数ある交友の中の一人に過ぎなかったのではないでしょうか。ですが、いっときを境にして、彼女は変わってしまいました。どうしてでしょうね。不定期ではありますが、神社まで、ときたま足を運んでくれるようになったのです。おしゃべりの内容にしても、変化がありました。彼女は霊夢さんのお話を、一切と言ってもいいほどに、切り出さなくなりました。霊夢さんとの間になにかあったのではないかと、邪推してしまうほど、彼女は霊夢さんに関連する話題を避けるようになったのです。喋り方にしたって、以前の快活な、軽やかさはどこかに消え、訥々とした、まるで雨のような語り口に変わりました。
 なあ、私はさっき、中華飯店に行ってきたんだけどね。知らないかな、里に出来たんだ。それでね。餃子と、炒飯を注文した。出来上がる前に、小籠包も食べたくなった。追加で注文したんだ。それで、先に出来上がった餃子と、炒飯を食べながら、小籠包を待った。だけどね、食べ終わる頃には、小籠包はいらなかった気がしてきたんだよ。でも、小籠包は出来上がった。蒸篭で蒸されて三つ。それなりの大きさなんだ。仕方がないから、箸でつまんで、持ち上げたよ。そしたらさ、皮が底にくっついちゃって、破けちゃったんだ。それも、三つ全部。
 そんな話ばかりで、私は返答に困ってしまい、都度、曖昧に相槌を打つ機械のようになっていました。ですが、彼女は話が終わるが早いか、それじゃ、と言い残し、去っていくのです。あまり好きな時間ではありませんでした。やはり、思い出すのは雨の日です。境内の土に、ついたそばから水で埋まっていく、去り行く彼女の足跡です。雨に紺色く日暮れて濡れる白線上、信号機の赤に血液色で流れていく川と似た、気だるく、どこか加虐的な心象ばかりなのです。一度だけ、彼女に霊夢さんのことを尋ねたことがあります。曰く、霊夢さんは変わった、とのことでしたが、正直、私には判断のしようがありませんでした。里で会っても、神社で会っても、とてもではありませんが、霊夢さんに変わりというものは見受けられず、やはり変わったのは魔理沙さん本人なのではないかと、模糊とした感慨に包まれるばかりで、今の今まで、本当のことはなにひとつ、掴めないままでいるのです。
 諏訪子様におつかいを頼まれ、縁側から世界を眺め、多々良小傘、彼女と魔理沙さんが偶に来て、お茶を飲んで相槌を打つ。梅雨が明けるまで、雨の世界で、私はただただ茫然と、いつも通りの日々を送っていました。とりわけて何かが起きることもなく、だからといって、なにもないわけでもない。なんとなく、減っていくお米と増える黴に、そんな日々がいつまでも続くことを思えば、陰鬱な気が起きてくる毎日でした。
 きっかけは梅雨明け、唐突に、雨の止んだ日のことです。
 いつも通りに目が覚め、顔を洗い買い出しの準備をしていると、諏訪子様に声をかけられたのです。さなえ、ちょっとおいでと、いつも通りの声色でしたから、私はまた、幾許かの緊張を抱え、少し黴の増えた畳まで、諏訪子様の背中を追いました。諏訪子様はいつも通りに、ううむ、だとか、何から話せばいいのやら、だとか、腕を組み唸っては、お説教前の秒読みに似た焦燥を私に与えます。けれど、その日は舟を漕ぐこともなく、無事、諏訪子様の口切まで堪えることが出来ました。雨が降っていなかったからかもしれませんね。雨の音は、妙に頭をぼんやりとさせます。人を取り留めもない空想の彼方へと置き去りにします。畳の部屋には襖から、はちきれそうな晴天が降り注いでいました。直方に照らされた畳の鮮やかさを、よく覚えています。
 諏訪子様は言いました。
 わたし、今日から神奈子のとこに行ってくるよ。だから、買い出しは一人分、少なめでいいからね。いつもより。
 それはきっと、夏の始まりでした。諏訪子様もお山へ行かれるとなれば、何か重要な案件があるということですから、神社には当分、私一人ということになります。ええ、まさに夏休みの気分でした。空は澄んで晴れ渡り、縁側から覗く境内に散らばった無数の水溜まりは、どれも、小さな青空でした。諏訪子様がお出かけになって早々、縁側で腕をうんと伸ばし、夏の始まりめいて吹き抜ける風に、胸を躍らせて、たくさんのあらぬ空想を揺蕩わせました。どうしてでしょうね。考えるのは小傘さんのことばかりでした。彼女と一緒に山道を歩こう。滝を見よう。麓まで降って湖に行こう。近くの緑が多い公園で、お弁当を食べよう。空想の中、どんな景色の中でも、彼女は曖昧にはにかみました。ええ。それはきっと、恋だったのかもしれませんね。でも、違うんですよ。私はちゃんと、彼女が妖怪であるということも、仮に人間だとしても、同性であるということも、分かっていたのですから。そのときにだって、彼女のことばかり考える自分に気付いて、同性同士なんて気持ち悪い、とか、すこしはしゃぎすぎかもしれない、とか、自分の行き過ぎた空想に、キツく平手を打ったものです。
 不意に、思い出したのは彼女のことです。小傘さんではなく、向こうの、行方不明になってしまった、同級生の女の子。学校からの帰り道、珍しく晴れた日のことを思い出しました。きっと、なにかの行事の日で、普段より早い家路でした。もちろん、私は彼女と隣り合って歩いて、およそ会話の望めない彼女に、いろんなことを話していました。遊びに誘って断られることを恐れて、当たり障りのない話題ばかりを選んでいたと思います。部活のこと、髪やお洋服のこと、同級生の声の高いこと。なにを話しても、彼女はただ、曖昧に笑うのみです。私はそれが妙に嬉しく、とにかく、いろんなことを話し続けました。それから、一つ目の角を曲がったとき、私の声は目の前の、踏切の高い音に遮られてしまったのです。そのときでした。鳴り響く警報音の中、彼女はおもむろに、私の肩からぶら下がった左手を、弱々しく、ゆっくりと、握りました。虫の、這うような速度でした。大きな芋虫の、お腹のような温度でした。思わず胸に引っ込めた手のまま、電車が通り過ぎては、踏切が上がります。私は何事もなかったような声で、話を再開しました。たしか、好きな映画の話です。幽幻道士のデブ署長がどうとか、そんなくだらない話を、軽すぎる声に乗せました。彼女は、照れたように、諛うように、曖昧に、笑ったのです。
 そんなことを思い出しているうちに、境内の向こうから、足音が聞こえました。雀の声に混ざって二つ。階段の向こう、次第に見えてきたのは、金色く明るい髪の毛と、いやに水色い髪の毛です。魔理沙さんがすこし大きな声で、客人を連れてきた、そう云いました。所在なさげに遅れて歩く彼女はわからなさそうにはにかみます。不思議なほど、魔理沙さんが憎たらしく思えました。手を振って近付いて、急かすように要件を尋ねると、魔理沙さんは巫山戯て、私にふたつの選択肢を与えました。とっておきの話を聞くか、聞かずに、自分を追い返すか。珍しく朗らかで、冗談めかした口調でした。夏に逸る気をおさえ、とっておきとやらを尋ねると、魔理沙さんは勿体つけて、全く関係のない話を始めるのです。
 それにしても、最近のお前らは仲がいいな。ああ、ときに。ときに。小傘よ、お前のその両目は、やっぱり片方ずつ別々な色に見えてるのか。だって、カラアコンタクトってやつだろう。それは。
 陽のひかりに焦がされながら、魔理沙さんと冗談まじりの会話を交わす私の目につくのはやはり、小傘さんのわからなさそうな、照れ臭そうな笑顔ばかりで、私はまた、どうも魔理沙さんをいやに憎らしく思いました。不思議な感覚でした。妙に、世界の回転を速く感じて、空の青さ、始まる夏に、みんなも、私も、私の気持ちも、必死に食らいついているのに、それらとは別の、ちっぽけな私だけが、どこかに取り残されているような、そんな気がしていました。魔理沙さんのとっておき、人面樹を退治した、という話が始まったときの小傘さんときたら、いないいないばあに突然飽きた赤ん坊のような表情をするものですから、余計に、夏の眩い白さと、色濃い影に潜む死の暗さが、一緒になって、私たちのあいだにあらわれたような、はたまた、いまにも消えてしまいそうな、そんな気がしたのです。
 私はどうにも、彼女を自分だけのものにしたくなって、魔理沙さんの話の途中、遮るように。とうとう、言ってはいけない一言を、口にしてしまいました。死にたくなるほど空の青い、六月の、終わりの日ことでした。

   三

 彼女は本当に恐ろしい妖怪です。私のして欲しくないことを、一番して欲しくないタイミングで、いつだって、やってのけます。早苗ちゃんと呼ぶよういえば、わからなさそうにはにかんで従います。明日も来るよう伝えれば、わからなさそうにはにかんで頷きます。恋人同士になったなら、道を歩くときには手をつなぐものと教えれば、わからなさそうにはにかんで、おずおずと手を重ねてきます。やめろといわれればいつだって、私の言葉に頷いたでしょう。はじめから、すべて、首を横に振ってくれたらよかったのです。私の言うことになど、頷かなければよかったのです。ですが、彼女はそうはしませんでした。いつだって、私の思うがままでいました。とりわけて、楽しい夏でした。バス停の裏、橋の下の淀みを友達といやがるような、熱されたアスファルトの上、蟻の群れを避けて跨ぐような、誰かが置き去りにした、きれいなコーラの瓶みたいな、路上の、何も書かれていないアイスの棒みたいな、救いのような、罰みたいな、楽しいだけの夏でした。
 ですが一度だけ、思うがままではいかなかったときがあります。ずっと待ち望んでいた、山を歩いて滝をみようという、滑稽な、夏の、一番長い日のことでした。
 愛とは、一体なんなのでしょうね。その答えはきっと、そんなことをちっとも考えない人たちの、心の中にのみ存在しているのかもしれません。とにかく、私にはわかりませんでした。わかりませんでしたが、その日、彼女と一緒に食べるためのお弁当は、ほとんど勝手に出来上がってしまっていました。彼女の好物さえ知らないままに、彩りだけに気を使った、普段、神奈子様のために作るそれとなんら変わらないお弁当です。いえ、神奈子様の場合は鯖の塩焼きやら、玉子焼やら、なにか一つでも好物を入れないと諏訪子様伝いに文句をつけられるので、したがって、好物の一品に愛情なんてものを込められなくもないのです。けれど、彼女の場合は本当に、なにもわからないものですから、為す術もありませんでした。事前にやんわりと伺ってみても、わからない、わからない、と繰り言にして、また、不安げに笑ってみせるのです。果たして自分の好物がわからないなんてことがありましょうか。彼女はやはり、私の苛立ちを逆なでするために、そんな少女を演じていただけなのかもしれません。だとすれば、それは憎悪に他なりません。どうしたって驚かずに、自分を叱責するばかりの私に重なり積もった怨みに他なりません。ですが、それは私にしても同じことです。私は彼女が大嫌いでした。彼女が照れるみたく笑うたびに、彼女をどこか遠い、暗い世界にひとり、置き去りにしてやりたいような気が起きました。けれど、ああ、笑わないで下さい。けれど同時に、そんな世界の暗がりから、彼女を救ってやりたいとも思っていました。できることなら、彼女の傘になりたいと、そう思っていたのです。だって、ほら。ちょうど、そんな笑い方。彼女ときたら本当に、なにもわからなさそうにするんですもの。

 ほんとうに、彼女はどうして傘をささなくなったのでしょう。以前なら晴れていたって、彼女は絶対に雨から守られていたのに。ああ、一つ思い出しました。あの子と最後に歩いた雨の日のことです。優しい雨でした。妙に汗ばむ暑い日の、懐かしい匂いのする雨でした。アスファルト。彼女はやはり傘をさして、隣を歩きながら、きっと、母親に電話をかけていたのでしょう。塾かなにかで遅くなるとか、なんとか言って。ああ。実際、あの傘は焦れったかったなあ。だけどね、降りやめばいいとは思いませんでした。むしろ、このままずっと、降り続ければいいと、そう思っていたんです。

 ええと、どこまで話しましたっけ。ああ、そうだ。そうです。彼女が私の思い通りにならなかった日のことですね。改めて言葉にすると、私はなんて酷い話をしているのか。いえ、いいんです。どうせ、あとすこしのことですからね。あなた方も、大丈夫ですか。お友達も、ずいぶん減ってしまったようですよ。笑いすぎて、顔が鬱血した、熟れすぎた、トマトのようになっています。ほら、もう少しで、みんな話してしまいますから。落ちないように、しっかりと、聞いていてください。こんなつまらない話、あなたが悪いんですよ。だって、そんなふうに、笑うから。

 ええ。
 とにかく私はお弁当を持って、山道を歩いていました。山道は山の管理地と、関係者用のルート、僅かな私有地で成されていて、関係者用のルート以外は登山者や観光、修験僧のために誰でも立入れるようになっています。私も、傘を持っておずおずと隣を歩く彼女も、誰でも立入れる道を歩んでいました。立ち入り禁止のロープや看板の多い代わりに、広く、綺麗で、穏やかな道でした。そのころは神社の管理すら投げ出して、彼女の住まう長屋に泊まりきりでしたから、出発は里からほど近い川沿いの、古びた長屋の階段です。彼女には何でもおんなじだったかもしれません。ですが、彼女が私に会いにくるとき、いつも通っているであろう参道を歩くというのも芸がないように感じて、山に入るなりすぐに道をそれ、違った道を選びました。きっと、通な登山者や観光客用の山道でした。ところどころ、鬱蒼と茂った木々が開かれ、どれほど登ったかを見晴らせる、休憩用の避暑地があり、それまでそんなものの存在を知らなかった私は都度、諏訪子様と神奈子様の両名に、行き過ぎた過保護さと、面映さを感じたものです。彼女といえばカヤの枝を指して、きれい、とか、なんだかたのしい、だとかはにかむばかりで、感嘆を除けば、会話という会話はやはりありませんでした。美しい木々や木漏れ日を指す彼女を眺めれば、私はまた、ひどく意地悪な気分になって彼女に尋ねました。今指してる植物はなに? どうしてきれいなの? 彼女は焦ったみたいに、困ったみたいに、言葉を詰まらせながら、それは、だって、わかんないけど、きれいだから。などと、自信なさげに笑いました。結局、そのなかで彼女が知っていたのはヤブムラサキのみでした。じゃあそれ以外の植物はきれいじゃないのかと尋ねれば、彼女は泣きそうになりながら、弁解にもならぬ言葉をしどろもどろに絞り出していました。
 それから、それは彼女が下を向いて、焦燥を梳かすみたく、水色の髪に手を潜らせたときのことでした。他のもきれいだけど、名前がわかんなくて。何の不自然さも、言い訳がましさもない筈の言葉は、不思議なほど、不自然に、言い訳がましく聞こえました。またなにかを言ってやろう、頭の中で彼女のこんがらがりそうな言葉を考えつつ、隣歩く彼女の左腕に隠れた横顔を眺めていると、すこし不健康に白い彼女の腕に、一匹の虫が留まったのです。蚊だったとは思いますが、あれは果たして蚊だったのでしょうか。とにかく、お腹の特徴的な虫でした。赤黒く膨れた腹部は見るからに血を吸う虫然として、彼女はきっと、あの怯えた表情で、その醜悪な腹部を見つめていました。私に助けを求めるともなく、ただじっと、見つめていたのです。私も虫が大の苦手でしたから、怯える彼女にただ言葉をかけたのみです。潰さないんですか。尋ねると、可哀想だから。と、彼女はそう言って、振り払おうとする素振りすら見せず、ただ為すがままに、グロテスクな虫の吸血をじっと見つめました。美しい木漏れ日の山中で、私は漠然と、二つのことを考えました。腕に虫の触れる埃に似た異物感、為すがままに血を吸われることは、きっと愛だと思いました。それから、彼女の華奢な身体にも、人となんら変わらない、虫に求められるような赤い血が流れていること。
 妙に生々しく風が吹いて、不意に、頬に冷たい感触を感じました。気がついてから降り出すまでの時間というのは、不思議なほどに一瞬です。空を見上げた途端に、雨はなにかを急かすよう、瞬く間に降り出してしまいました。明るい夏を騙すような夕立です。太陽が舌を出して雲に隠れていくのを、たしかに私は見たのです。
 お弁当の包みを持っていました。しかし、傘は持っていませんでした。私は濡れたくなかったので、いつのまにか虫のいなくなった彼女の腕に視線を移しました。すると、彼女は言うのです。わちきの家が近いよ。濡れた山道を行くぐらいなら、早苗ちゃんの家よりずっと、わちきの家が近い。妙な口調でした。普段の彼女らしからぬ、整然とした口調。そのまま歩き始めた彼女の背を追ううちに、私はどうも不安になって、なにか、取り繕わなければいけない気が起きました。小傘さん、小傘さんの傘をさしましょうよ。そしたら、二人とも、濡れずに済むんだから。だめだよ。これはわちきの、大切なものなんだから。使わないと意味がないじゃないですか。いくら早苗ちゃんでも、だめ。
 為すがまま、彼女とお弁当がだめになって、気付けば長屋に着きました。季節というのは本当に不可解なもので、例えば春に訪れた桜並木と同じ場所を通っても、それが冬なら、同じ場所と思えないのとおんなじに、彼女の黴臭い四畳は、夏の日差しに照らされたそれとは全く別の、真新しく古びた印象を帯びていました。懐かしくて、苛々する香りがしました。黴と、雨と、衣類の香りです。彼女は家に着くなり、濡れちゃったねなんて、いつも通りに笑うものですから、思わず彼女を押し倒しました。夕立に晒された体を拭く間も無く、湿気っていた布団は決定的に濡れてしまいました。いやがる彼女の爪が、腕や背中に突き刺さりました。彼女は爪に着いた私の血を見るととたんにしおらしくなって、それからはずっと、いつもみたく、申し訳なさそうに、諦めたように、曖昧に、いえ。彼女が笑ったのは、彼女の髪を撫でたあとです。つまり、彼女の爪はずっと、私の肌に突き立てられていたのでしょう。それを愛だなどとは思いませんでした。それはもっとくだらない、なにか、別のものだと感じました。私は彼女のことなんて何も知らなかったし、知る気だって、ちっとも、なかったのですから。何時間も経っても、空は明るいままでした。代わりに雨のよわくなって、しとしと、しとしとと、いつまでも、屋根や、地面や雨樋を打ち続けていたのです。どうして、陽が落ちてしまったのでしょう。気付けば外は夜の世界で、雨は、わかりません。覚えていません。でもきっと、降っていたと思います。だって、そのとき私の考えていたことを、よく覚えていますから。雨が降ればいいのに。きっとそんなふうに、何もわからなさそうな彼女の寝顔を眺めていました。生暖かく体を湿らす、夏至の夜でした。

   四

 彼女とはそれきり、とはいきませんでした。翌朝のことです。じめじめした布団の上に眼を覚ますと、彼女の姿がありません。しかし枕元に、彼女の傘がありました。ええ、殆ど考えられない、異常なことでしたから、悪い想像にせき立てられるよう、傘を持って部屋を飛び出しました。けれど行くあてなどなく、存外緩やかな歩調で、濡れそぼる里の明朝を歩きました。昨夜の雨でどこかしこにある水溜りが霧の空を仰いで、草花が濃く匂って、むせ返るようにひんやりとした朝でした。あてもなく歩きながら、そのまま傘を持って神社へ帰ってしまおうか、とか、魔理沙さんや、ほかのみんながいるところへ混ざってしまおうか、とか、いろいろと、冷たい想像をしました。けれど、そのどれもが耐えられないほどに冷たく、到底実現し得ないことのように思えて、私はただふらふらと、もはや彼女を探すでもなく、ふらふらと、濡れた町をひた歩きました。蜻蛉が、飛んでいましたね。それから猫、猫がいました。民家の脇、小さな納屋の脇で毛をぼさぼさにして、丸くなっていました。思えば、どうして何処へも帰らなかったのでしょう。せめて、彼女の部屋に帰っていれば、二度と彼女に会うこともなかったかもしれないというのに。でも、何処へも帰れない気がしたのです。帰りたくないよりずっと強く、帰れないと、そう思って、ただ、歩いていました。
 気がつけば私は里の、ちょっとした広場についていました。入り口から円形に、広く山砂が敷き詰められていて、端のところどころのベンチが設置された、子供の遊び場でした。昼に行けば里の子供達や親御さんの声が賑やかなところです。入り口から直進して向こう縁まで突き当たれば、そこから先は山の麓になります。そこから森に入ることもできますが、もともと子供達の遊び場として作られた広場ですから、それほど深くまでは行けないようになっています。ぼんやりと中ほどまで歩くと、森の入り口から、小傘さんが歩いてくるのが見えました。私に気付くと、小傘さんはすぐに駆け寄って、すこし興奮した様子で、森の奥で見たものを教えてくれたのです。
 ねえ早苗ちゃん。森の奥にね、あの人の言ってた人面樹があったよ。すごいんだ、ほんとに人の顔でね、すごいの。こんなわちきの話でも、なんだって、笑って聞いてくれるんだよ。楽しそうにさぁ。
 私の持つ傘には目もくれず、一息に話してくれました。じゃあ、なんで戻ってきちゃったんですか。なんて。無駄だとはわかっていましたが、つい、またそんなことを尋ねました。彼女は。いえ、小傘さんは。
 だって、話してたら、実が落ちちゃうんだ。一つめは偶然だと思ったんだけど、二つめでわかったんだ。あの実は、笑いすぎると落ちちゃうんだって。かわいそうだから、帰ってきちゃった。
 そこまで言って、彼女は思い出したように、私の手から傘を奪い返しました。なんで早苗ちゃんが持ってるのさ。とにかく、朗らかな口調でした。私が黙っているうちに発せられた二の句はどうしたの、続く言葉は早く帰ろうよ。私は適当な相槌を打って、彼女を先に帰したのです。彼女の背中を見送って森に入れば、すぐに例の木を見つけることができました。なんてことのない細い木に、いくつもの、人の顔をした実がなっていました。おはようございます。そう言うと、実は一つ、二つ、なにもわからなさそうに笑ったのです。きっと、人の言葉なんて解してはいない。解っていながら、私はこれまでの全てを、洗いざらいに話しました。
 彼女を嫌っていたこと。彼女を好いていたこと。彼女がいなくなって嬉しかったこと、それでも真っ当に悲しかったこと。彼女をいじめていた主犯の子を好いていたこと、それでも真っ当に嫌っていたこと。魔理沙さんを嫌っていたこと、逆に、どこか惹かれていたこと。それから、今日話したことのすべて。
 気付けば実はなくなっていました。雨が降ればいいのに、なんて、そんな無味乾燥な言葉がそのまま梅雨明けとなって、本当の夏が始まりました。どれだけ願っても、もう雨は降らなかったので、私はそれきり諦めて、彼女に会うこともなく、ひさびさに帰ってきた諏訪子様と、それから神奈子様と。いつも通りの夏を過ごしていたのです。
 いろんな後ろめたさを忘れかけた頃です。諏訪子様がいつものように、さなえ、ちょっとおいで。と、私を呼びつけました。黴た畳まで歩けば、胡座に腕を組む諏訪子様の後ろに、また、険しい顔をした神奈子様が立っていたのです。そして始まったのは諏訪子様の、いつもの癖。お説教までの秒読みに似た、すこしばかり過保護すぎる退屈な時間でした。そのうちに痺れを切らした神奈子様が口を切って、諏訪子様はバツが悪そうに私を一瞥して、畳の部屋をあとにします。厳しく、また落ち着いた、神奈子様のさなえ、と呼ぶ声は忘れられません。さなえ。あんたわかってんだろうけど。あの、妖怪のことなんだけどね。
 それほど長い話にはならず、そのあとはいつも通りにお使いを頼まれて、身支度を終え、私は里を歩きました。すると、あれは巡り合わせだったのでしょうか。それとも、なにかの計らいだったのでしょうか。前方、誰かと何かを話している小傘さんを見つけました。小傘さんは私を見つけると涙目になって駆け寄って、ひとつ、私の頬を打ち、そのまま去って行きました。小傘さんと話していたもう一人はゆっくりと私に近づいて、それから言いました。なあ、私はいい友達だろう。
 それは魔理沙さんの声で、声の主だって、いつも通りに髪の明るい、魔理沙さんでした。きっと、あの人は彼女に、私の非を打ち明けてくれたのでしょう。何もわからなさそうに笑う彼女なら、きっと、説明するには骨の折れることだったでしょう。しかし、彼女はもう元どおりの彼女でしたから、私には、私の頬を打った彼女の涙目が、よくわかりませんでした。
 ええ、話はこれですべてです。ちょうど、あと一つでみんな落ちてしまいますね。どうしましょうか。時間合わせに、なにか喋らないといけませんね。
 ええと、彼女とはそれから会っていません。以前なら何処へでも現れた彼女ですが、こちらから会おうとなると、なかなか難しいものがあります。魔理沙さんとは、文字通りいい友達になれました。魔理沙さんがあなた方を最初に退治したとき、あの人いったい、なにを話したんでしょうね。中華飯店のことでしょうか。それとも、霊夢さんのことでしょうか。定かではありませんが、ともかく。あなた方の増え方をみると、どうでしょうね。
 今年の夏も、思い通りにはならなさそうで、安心します。

 あ。落ちた。



   すみれこのなつ


「菫子さん。今日、うちに泊まっていきませんか」
 私は夏休みの間、その殆どを眠って過ごしていた。
 特に傾眠の傾向があるというわけでもなければ、通っている学校にも友人らしき人物もある。
 しかし、冷房の効いた部屋の中、炎天下に焦がされた路傍を窓から見やると、どうにも外出する気が起きず、私は忽ち眠ってしまうのだった。
 そんなわけで、私は炎天下真っ盛りの幻想郷、守屋神社に居る。
 何か目的があって守屋神社を訪れたわけではなく、寝て、目が覚めたらここに居たというわけだ。
 守屋神社の境内に、夏の燦々とした陽光が照り付ける。
 私の眼前には妙に照れ臭そうな顔をした、東風谷早苗が箒を握りしめ立っていた。
「今日から数日間、諏訪子様も神奈子様も神社に居ないんです。何でも新開発の打ち合わせで、河童さんたちのところへ行くとか……」
 わたし、さみしいんです。とでも言いたげな上目遣いで私に〝泊まっていかないか〟と懇願する早苗に、私は困惑していた。
 私が幻想郷で目が覚める際、目が覚めると誰かと話をしている最中だった。なんてことがよくある。
 それというのも、眠りにつき、幻想郷に来てからの数十分の間、私の意識は曖昧なのである。
 気がつくと妖精達と共に紅い館を襲撃する計画が出来上がってたことがあった。
 目が覚めた私は困惑し、なぜそんな計画の渦中に自分がいるのかをリーダー格の妖精に尋ねた。妖精曰く〝そちらからノリノリで話しかけてきた〟とのことだった。
 それから、眠りにつき、幻想郷にやってきては夢現に妄言を撒き散らす自分の姿を時たま想像してはゾッとするようになった。
 気をつけようがないことではあるが、気をつけようと、そう考えていたのだが。
 今回のこれは、一体どういうことだろう。向こうの茹だるような暑さを避けて眠ってみると、やはり私の体には暑い日差しが照りつけ、加えて、熱い視線までもが私を焦がしている。
 寝ても覚めても、という慣用句が何となく私の頭に浮かんだ。
「あの、菫子さん。もしかして嫌ですか……?やっぱり、お泊まりなんて急過ぎますか……?」
 東風谷早苗の手に握られた箒を見て、早苗は恐らく境内の掃除をしていたであろうことは想像に易かった。ああ、私はそんな掃除中の早苗に、何を言ってしまったのだろう。
 私はやおら二枚目の仮面を下げて早苗を口説く自分の姿を想像して、首筋が寒くなるのを感じた。
 面識だって、あんまりないのに。
 恥ずかしさと浮かばぬ返答でしどろもどろになる頭の中の混沌は、あの、や、そのぅ、や、ええと、という形になって私の口から零れだした。
「菫子さん。嫌、ですか?」
「えっと、そのぅ……」
「嫌、ですか……?」

「う」

「う、伺わせて、頂きます……」
 私は殆ど寝惚けたままに、そう答えてしまった。というわりも、答えさせられてしまった、というのが正しいか。
 私が早苗の誘いを承諾すると、早苗の妙にしおらしい態度は一変した。早苗は途端に可笑しそうに笑い出し、私に謝罪するのだった。
「ごめんなさい。掃除をしていたら菫子さんの姿が見えたものだから、声をかけてみたんですけど、菫子さんったら、ぼーっとしてるもんだから少しからかっちゃいました」
 ふふふ、と笑いながら、早苗は話す。
 ここに来て漸く私の寝惚けた頭も次第に冴えてきて、降り注ぐ陽光の暑さや、疎らに雲の泳ぐ空の青いことを鮮明に知覚し始めたのだった。
 ああ、東風谷早苗は起き抜けの私をからかっていたのか。まあ、急に境内に現れてはぽけーっとしている人間をからかいたくなるのも分からないではない。ましてや早苗は〝現人神〟なのらしい。神が人をからかうのも、うん。道理だろう(?)。
 ともかく、此方へきたばかりの夢現の私が妙な事を口走ったりしていないようで、安心した。
 そもそも、東風谷早苗とはあまり面識がなかった。完全に無い、というわけではないが、数回話したことがある程度で、友人、と呼ぶには憚られる程度の関係だった。実際早苗について私が知っていることと言えば、先ず早苗が現人神であること。次に、早苗は元々〝此方側の世界〟の学生だったということぐらいなものだ。正直、心中で東風谷早苗を想像するとき、敬称を付けずに彼女の名前を浮かべると後ろめたさを感じる程だ。
 私にとって東風谷早苗、さん、は、そのくらい微妙な立ち位置に立っている人物だった。
 人物というより、神仏というか(?)。
「いやぁ、早苗……さんは私をからかっていたんですねー。いやぁ、早苗……さんも人がわるいなあ」
 もっと正直に云えば、私は早苗、さんが苦手なのだと思う。
 早苗さんは、一見私と同い年くらいに見えるが、やはり明確に幻想郷に生きる人物で、住む世界が違って。しかし、元々は此方側に居て、私と同じように学生生活を送っていたという共通項が、何だか妙に引っかかるのだ。
 時に、幻想郷には私と同じくらいの年齢に見える人物が多い。
 その中でも、霧雨魔理沙や博麗霊夢とは、それなりの友好関係にあると自負している。
 タメ口で話せるし。霊夢さんは、たまに霊夢さん、だけど。
 私が魔理沙や霊夢さんと博麗神社で談笑していると、偶に早苗さんが神社に訪れることがある。
 魔理沙や霊夢さんとの〝お喋り〟を早苗さんに聞かれると、私は不思議と〝友人と喋っているところを親に聞かれた〟ような気分になるのだった。
 やはり、元々は同じ世界で暮らしていたという共通項が、私をそんな気持ちにさせるのだろう。
 そうして、実際に早苗さんと話してみると、敬語を使うべきか、タメ口で話すべきか、迷ってしまうのだ。なんだか、どちらも失礼な気がしてしまうし、なんにしたって、何処か面映さを感じるというわけである。
 早苗さんはふふふ、と笑いながら、私の二の矢を待っている様子だった。
 幸い、早苗さんは私をからかってみただけのことで、泊まりがどうこうというのは本意ではないのだろう。
 こんな気まずい空間からは、さっと離れてしまうに限る。
 そうだ。人里の茶店に、かき氷でも食べに行こう。
「ええと、じゃあ、私はこれで……」
 早苗さんは少し驚いた表情を浮かべたが、直ぐに和かに微笑むのだった。
「お昼はどこかに用事があるんですね。わかりました。じゃあ、晩御飯を作って待ってますから、それまでには帰って来てくださいね」
 ううむ。
「私、実は楽しみだったんですよ。菫子さんとは何れもっと仲良くなりたいなーと思ってて。それが今日偶然、神奈子様も諏訪子様も外出する今日に、菫子さんが神社に来てくれて。このれは神の思し召しに違いありませんね」
 ふふふ、と笑いながら、早苗さんが話す。
 どうやら今日、私はやはり守屋神社に泊まるらしい。
「でも、少し不安だったんです。菫子さん、私と話す時いつも少しよそよそしいから……。でもよかった。夜が楽しみです。晩御飯、気合い入れて作っちゃいますから、お腹空かして帰って来てくださいね」
 あはは、と笑いながら、早苗さんは言った。
 最早断るには遅すぎることを理解した私は、観念して守屋神社への宿泊を覚悟したのだった。
「はい!夕飯までには戻ります。それじゃあ!」
 私はとりあえず、人里へ出て、夜、守屋神社での立ち回りについての作戦を立てることにした。

 私は溶けていくかき氷と、里の道に面した椅子に座り談笑する少女達を眺めながら、ぼんやりと早苗さんのことを考えていた。
 早苗さん……。早苗さん……。早苗……ちゃん。
 早苗、さんの云う〝よそよそしい〟とは、恐らく私の早苗さんに対して使う敬語が原因で出て来た言葉だろう。
 しかしながら、今更早苗さんに対して急にタメ口で話すなんて、私にはおおよほ不可能だ。
 魔理沙のようなタイプ。謂わば幻想郷の住人然としたタイプの相手に対しては割合自然体で話せるのだが、どうも、早苗さんに対して同じようにするのは気が引ける。
 何というか、そんなはずはないのに、私自身のことを色々知られてしまっているような、そんな気がして。
 私の通っている学校。そこでの私の評価は〝比較的おとなしい子〟というものだった。あり得ないことだが、早苗さんに、そんな〝おとなしい子〟の宇佐見菫子が、なんだ、流暢に喋るじゃないか。なんて思われてしまうことを、私は恐れている。
 私は自分が、おとなしい子であるとはあまり思っていない。どちらかといえば、繊細な感情等に対して頓着しない方だと考える。
 それはもちろん、元来持ち合わせた能力のおかげでもあるが、同時に、私が周囲から押される〝おとなしい子〟の烙印の原因はそこにあった。
 幼い頃は周りの子と遜色ないほどに〝お喋り〟もできた。しかし様々な経験を経て、私は人間関係というものに対して、保守的な考えを抱くようになった。人間関係を保守するという考えに希薄になった、と言ってもいい。
 それでも私は、見知らぬ人に道を尋ねたりするのは得意だ。道を聞くついでに、ちょっとした雑談だって出来る。近状とか、天気についてとか。
 ふと、道に面した椅子に座り、談笑している少女達の会話が耳についた。どうも、自分たちは〝ラッキー〟だ、ということについて話しているらしい。
 少女達が何について話しているか、私は一つ思い当たりがあった。
 恐らくは、この溶けかけのかき氷のことだろう。
 守屋神社から里に出て、しばらく歩いていると『ふらっぺ、あります』という旗を見つけ、この茶店に入った。
 お店の人に、フラッペ一つ、と注文すると「お嬢さんは運がいいね」と言われた。
 フラッペ、と聞いて注文し、実際出て来たのは氷を砕いて甘露水をかけたもの、まあ、かき氷だった。
 幻想郷のフラッペ感が分からないのでそこは無視して、自分がどう運がいいのかを店の人に尋ねた。
 店の人が言うには、夏の暑い日、里に幾つかある貯水槽のようなものがいたずらに凍りついていることがあるらしい。
 そう言う日以外はこの〝ふらっぺ〟を出すのは多少困難で、たまたまその日に当たった私は運がいい、ということらしい。
 少女達の会話を聞き流しながら、私は件のリーダー格の妖精の顔を思い浮かべた。
 あの妖精の名前はなんと言ったか、確か涼しそうな名前をしていた。
 ちる……?チル……。チル……ド。
 ううむ。
 私は他愛もない会話に盛り上がる少女らを尻目に、殆ど溶けたかき氷を流し込み、店を出ることに決めた。
 かき氷を流し込んだせいで、冷たさに少し怪しくなった呂律でお店の人に会計と礼を済ませ、私は人里の道を歩き始めた。
 それにしても、あの妖精はなんと謂ったか。
 チル……。チル……。チル……ド。
 最後の一文字が〝ど〟では無いことに薄々感づいていた私だったが、〝ど〟の付くほど暑い陽射しに、妖精の名前を思い出すための唯一のとっかかりである〝涼しげな名前〟という連想が、私の舌を〝ど〟の字に貼り付けるのだった。私はふと、幼い頃、暑さのあまりに冷凍庫から氷を取り出し頬張ったところ、氷が舌に張り付いた事を思い出した(?)。
 ううむ。それにしても。
 ちる……。チル……。チル……ド。
 私はしばらくの間むにゃむにゃと、思い出せない妖精の名前を、冷えた舌の上で転がしていた。

 しばらく歩いて、私は妖精の名前を自力で思い出す事を諦め、五十音順に当てはめていこうと思い至った頃だ。タ行が終わりナ行に差し掛かった時、ふと空を見上げると、日が暮れ始めていることに気がついた。空はにわかにその青色に朱を差していた。
 はて、私が眠ったのは何時頃だったか。確か昨夜は徹夜で3Dモデリングの作業をして……。
 気がつくと正午をまわっていて、お腹が減ったことに気がついて、食べて、シャワー浴びて、寝たんだ。
 ああ、そんなことはどうでもいい。
 陽が沈むとなると、私は守屋神社に帰らなければならない。
 結局里をふらついただけで、早苗、さんへの対策を何も考えていなかった。
 結局、私はどうすればいいのだろう。さして親しくない早苗さんと二人きりで、何を話せばいいのだろう。
 そんな時、私の視界に里の酒屋が飛び込んで来た。
 これだ。と私は思った。
 幻想郷の住人といえばこれだ。酒だ。幻想郷の住人は皆酒浸りなのだ。
 私は酒屋に飛び込み、店でも一等高い酒を買った。金ならあった。
 香霖堂の店主に適当なものを遣って、謝礼にとせしめた金がそれなりに。
 私は半ばヤケクソになって、その金であれも、これも、と、多種多様な酒を購入した。
 これだけあれば、早苗さんとの会話の話題にも事欠くまい。
 私自身アルコールを呑んだことはないが、それは飲むだけで会話の弾むという代物らしい。
 私はこれだけ買い込めば文句はあるまい、と店を出た。
 さあ行こう。いざ行こう。守屋神社へ!
 私は不自然に息を巻いて守屋神社へ向かうのだった。
 しかしその矢先、里の家々の軒先から漂う匂いが、私の鼻腔をくすぐった。
 それは、なんだか懐かしい匂いだった。
 玉ねぎやら、じゃがいもやら、そんな類の野菜を刻んでいるときの匂い。
 瞬間、私はひどくノスタルジックな気持ちになり、先程までの対早苗さんの熱は急激に冷めていくのであった。
 ああ、早苗さん、夕飯作ってくれるって言ってたな。
 なんだかんだ、少し楽しみになって来たかも。
 いや、でもやっぱり不安だな。お酒、いっぱい買っちゃったけど、役に立つのかな。少なくとも、二人で飲む量じゃないけど。
 ふわふわと、守屋神社への帰路を辿っていると、在ることを思い出した。
 ああ、〝ノ〟だ。
 日中私を悩ませた妖精の名前の最後の文字を、思い出したのだった。
 守屋神社が見えてくる頃、空は夕焼けを通り越していて、紺色が橙色を、今にも押し潰してしまいそうだった。
 戸の前までたどり着くと、美味しそうな煮付けの匂いが鼻腔をくすぐった。
 魚かな、と、私は思った。

 守屋神社に入るなり、買って来たお酒は早苗さんに取り上げられてしまった。
 高校生がお酒を買うなんて。と、少し怒られた。
 でも、せっかくだから、と早苗さんが夕飯の際に一杯だけ、とお猪口を用意してくれた。
 晩御飯は、思った通り魚の煮付けだった。
 魚はカレイだった。それも中々上等なナメタガレイらしかった。
 煮付けには刻み生姜とシシトウが添えられていて、とても美味しかった。
 他にも汁物や漬物等、副菜にも事欠かない食卓だったことは言うまでもない。
 私は殆ど一口食べるごとに、美味しいとか、それに与する言葉を早苗さんに述べたが、早苗さんは終始笑って応えてくれた。
 特に株や胡瓜等の漬物が絶品で、それを早苗さんに伝えると、早苗さんは少し照れたような表情で、漬物を漬ける事の上手い訳を弁明し始めた。
 元女子高生らしくないでしょう。なんて言って。
 それが私には可笑しくて、ついつい笑ってしまった。
 食事が終わると、早苗さんがお風呂まで用意してくれていた。
 流石に一番風呂は申し訳ないと思ったが、早苗さんに言われるがまま頂いてしまった。
 お風呂に入る前、もし良かったら一緒入りますか?なんて言われたけど、それも流石に遠慮した。
 お風呂は神様が入るものだけあって、中々に立派だった。
 先ず露天なのだ。
 早苗さん曰く、二柱の内の片方が無理を言って作ったものらしい。
 聞けば、神社の中にふつーのお風呂もあるらしく、わざわざ手間のかかる露天風呂を用意してもらったことを申し訳なく感じた。
 早苗さんは、お客さんが来るなら当然です。なんて言ってたけど。
 お風呂を上がると、寝巻きまで用意されていた。用意されていたのは、所謂パジャマだった。
 この辺りで、私はいよいよ早苗さんが今日私を誘った意図が読めて来た。
 現在、早苗さんがお風呂からあがるのを寝室で待っている。
 昼にここに来たばかりの私だったら、私は或いはこれから襲われてしまうのではないか、などと邪推したかもしれないが、今の私の頭には、そんな考えは全く浮かばなかった。
 それと言うのも、お風呂からあがった早苗さんは、恐らく私に用意されてものと似たパジャマを着用してくるであろう確信があったのだ。
 早苗さんは、多分〝お泊まり会〟がしたいのだろう。普通の女子高生がするような〝お泊まり会〟を。
 確証はないが、私はそう確信していた。
 早苗さんと話していて、気が付いたこと。
 早苗さんは、ふふふ、と笑う。
 落ち着いた笑い方。早苗さんに対して、私が思わず敬称を付けずにはいられなくなる理由の一つが、この落ち着いた笑い方だ。
 そして、早苗さんは、あはは、とも笑う。
 快活で、少女らしい笑い方。
 早苗さんに対して、私が敬称を付けるのを思わずためらってしまう理由の一つが、この快活な笑い方だった。
 霊夢さんから、早苗さんはかなり呑む方と聞いていたけど、今日は口をつける程度にしか飲まなかったり。
 パジャマなんて、用意されてたり。
 私の中の根拠はそれくらいだ。
 しかし、もし本当に早苗さんが〝女子高生らしいお泊まり会〟を望んでいたとして、私はそれに応えられる自信があまりなかった。
 私がそれを望まないわけではないし、敬語だって、もうきっかけがあればやめられる。多分。
 でも、私には経験がないのだ。
 小学生の頃、修学旅行には行ったが、中学生の時は行かなかった。それからだって、そういうものには参加しなかった。
 そういった催しが嫌いなわけではない。むしろ好きな方だろう。しかし、私は〝普通の女子高生〟からは些かかけ離れている女子高生である。
 そんな私に、早苗さんが望む普通のお泊まり会を演出することができるのだろうか。
「お待たせしました!見てください、ペアルックですよ。いやぁ、やってみたかったんですよね、パジャマパーティー」
 私の不安を他所に、いやに上機嫌な早苗さんが寝室に訪れた。
 思考に耽っていた私は、少しレスポンスが遅れてしまい、布団の上に座ったまま、不自然に硬直してしまった。
「あれあれ?菫子さん、もしかしてもう眠たいんですか?」
「いや、そんなことは、ありませんけども」
 思わず変な語調になってしまった。
「それは良かったです。いえ、このパジャマなんですけど。いつかこんな日が来ると思ってこっちに来て以来大事に保管しておいたんですよ。向こうでやり残した唯一のことが〝お泊まり会〟でして、お泊まり会をするならパジャマパーティーにしようって決めてたんですよ」
「いえ、友達がいなかったわけじゃないんですよ。女子高生でしたからね、バリバリの。写メだってめちゃくちゃに送りあってましたよ。ただ、お泊まり会だけはなかなか機会に恵まれず……」
 上機嫌に喋り続ける早苗さんを他所に、私は予想が的中したことに少し面食らっていた。
 ああどうしよう。私はそんなバリバリの女子高生然としたお泊まり会を知らない。
「あれー?菫子さん。やっぱり眠たいんじゃないですか?それとも、お泊まり会、好きじゃありませんか?」
 あははーと笑いながら、早苗さんが私に尋ねる。
「そんなことはないです、けど」
 夕飯を食べていた時のように、普通に話せばいいのだろうが、先ほどより幾分か上機嫌な早苗さんに面食らってしまって、どうも上手くいかない。
「そうですよね。女子高生が、嫌いなわけありませんもんね。お泊まり会」
「となると、菫子さんが無口な原因は」
「あんまりお泊まり会をしたことがない!違いますか?」
 ずばり、言われてしまった。
「ははーん。でも大丈夫ですよ。パジャマパーティーマスターの私がいますから」
 早苗さんがふふん、と笑って語る。私はその語気に、だんだんと気が楽になるのを感じた。
 よし、パジャマパーティーマスターに質問してみよう。
「はい。私はパジャマパーティー初心者であります。早苗さん、パジャマパーティーとはどういうものなのでしょう」
 言ってみると、少し楽しかった。本当はお泊まり会とパジャマパーティーの違いや、お泊まり会の機会に恵まれなかった早苗さんがどうしてパジャマパーティーマスターなのか、そこらへんについて尋ねたかったが、まずはジャブを打つことにした。
「んー、そうですね。まずは敬語をやめましょう!ね、菫子ちゃん。ずっと思ってたんですよ。私たち、同い年くらいなのに、変じゃないですか」
「はい。私もそう思っていました。しかしマスターは漬物や煮付けなど、ものを漬けるのが上手であります」
「それは関係ないじゃないですか!それに、まだ敬語だし」
 早苗さんは照れ笑いを浮かべながら言った。
 尤もである、と私は思った。
 それと、これは、楽しいかもしれない、と思った。
「じゃあまず、さなえちゃんって呼んでみてくださいよ」
 さなえちゃん。
 今ならすんなり言えそうだ。
「早苗……」
 あれ。なんか。
 早苗、ちゃんが私を悪戯っぽい目付きで見つめてる。
「早苗……」
 ああ。私は気付いた。
 これはなかなか、恥ずかしいぞ。
「あ、ごめんちょっと無理っぽい」
「えー」
 早苗、ちゃんがわざとらしく落胆してみせる。
「じゃあ、呼び捨てでいいですよ」
 呼び捨てでもまだ恥ずかしいかもしれない。
 面と向かって呼び方を変えるって、こんなに恥ずかしいのか。
 私は小、中学生の頃同級生だった男子のことを思い出した。
 その男子は小学生の頃は自身の父親を〝パパ〟と呼んでいたはずだが、中学生に上がると、その呼称はしれっと〝おやじ〟に変わっていて、私はそれに違和感を抱いたものである。
 そのことを件の男子に直接指摘したら、少し嫌われてしまった。
 しかし今この状況になっては、あの男子の厚顔さを見習いたいものである。
 しれっといこう。しれっと。
「ああ、面と向かって言われると恥ずかしいよ。そのうち勝手にやめるから、なんか他の話しない?」
「あ、タメ口だ」
 一秒しないうちに指摘されてしまった。恥ずかしい。
「あはは。照れてますね菫子ちゃん。他の話ですか。うーん。菫子ちゃんは普段友達とどんな話をするんですか?」
 マスター、意外と主体性がないぞ。
 ふふん、しかし勢いに乗った私には当然次の話題が浮かんでいる。
 女子高生、お泊まり会といえば、やはり。
「教師の悪口とかは?」
「えー」
 思ったより良い反応が得られなかった。
 学校の中では割合ポピュラーに親しまれてる話題を選んだつもりだったのに。
「もっと、こう、綺麗な話をしましょうよ。好きな男の子の話とか」
「えー」
「菫子ちゃんはいないんですか、好きな男の子」
 生憎、私には好きな男子なんて居なかった。
 しかしながら、同級生の話を聞いてる限りでは、好きな相手一人選ぶにも色々と問題があるらしい。例えば、クラスの中心的な女子が好意を抱いてる男子と被らないように自分の好きな男子を選ばなければならないとか。人気の男子に声をかけようものならば、抜け駆けとみなされ村八分の憂き目に逢うとか。
 好きな異性の話とは、そ ういったケレン味を含んだ話題であることを、私は知っていた。
 それを考えれば、教師の悪口の方がよっぽどピュアな話だと私は思う。
 けれど、どうしたものか。ここで、いないかな、なんて言おうものなら、折角盛り上がり始めたこの〝お泊まり会〟が白けてしまうのではないか。
「そりゃあ、私も女子高生の端くれですから。憧れの男子の一人や二人、いるけどね」
「えー、本当?ね、ね。どんな人なんですか」
 えっとね、と、私は架空の男子像をでっち上げつつ、早苗、に話して聞かせた。
 先ずは、一学年上の先輩ということにしてみた。
 それから、その先輩の容姿等について言及してみると、早苗はきゃーきゃーとわざとらしくはしゃいで見せるのだった。
 作り話を聞かせていることには心が痛んだが、はしゃぐ早苗の顔を見ると、なんだか嬉しいような照れくさいような気持ちになった。
 私に仲のいい同級生がいたのなら、こんな風に笑い合うこともあったのだろうと、なんとはなしに思った。
「じゃあその先輩は何部だったんですか?あと名前、名前も教えてくださいよう」
 早苗は目を輝かせて聞いてくる。
 しまった。名前までは考えていなかった。
「ええと、サッカー部だったかな。マラドーナが好きっていってた気がする」
 私は名前についての質問を無視して答えた。
 すると、早苗の目の輝きが、俄かに滲んだような、そんな気がした。
 まずい、作り話だと勘付かれてしまったかも。
「……マラドーナ、ですか?」
「う、うん。マラドーナが好きって、いってた気がするけど」
「あの人、私と同じなんですよね」
「え?」
「現人神なんですよ、あの人」
 初耳だった。
「えっと、それはどういう」
「やっぱり、まだ人気なんですか?マラドーナ」
「う、うん。人気だと思うけど」
「そうですか。まだ人気なんですね、マラドーナ」
 私はマラドーナについて詳しくは知らないが、何やら早苗はマラドーナをライバル視しているらしい。ああ、私は、どうしてよりにもよってマラドーナをチョイスしてしまったのだろう。
 それにしても、一塊のサッカー選手が現人神とは、一体どういうことなのか。私はポケットのスマートフォンを弄りたい衝動に駆られたが、幻想郷でネットは使えないし、何より人と話している時に携帯を弄る事に抵抗があったので、その衝動をぐっと堪えた。
「じゃ、じゃあさ。早苗は誰か憧れの人いないの?早苗の話も聞きたいな」
「えー。私ですか?それはもちろん向こうにいた時はいましたけど……」
「こっちにはいないの?里のアイドル!みたいな人はさ」
「うーん。里の中で人気な青年も、いるにはいるんですけどねえ。どうも、身近さに欠けるといいますか」
 言われてみればそうだ。
 早苗はここでは現人神で、里の人間は早苗にとって、基本的には〝お客さん〟なのだ。
 どちらかといえば、アイドルは早苗の方だった。
「んー、そっか。じゃあ身近な男の人といえば……」
「うーん」
 早苗と一緒になって暫し思索してみたが、この幻想郷においてそれらしい身近な青年ら思い浮かばなかった。
 苦肉の策で香霖堂の店主の名前を出してみたところ、憧れの異性の話をしているときにその名前が出てくる菫子ちゃんはおかしい、と引かれた。
 それから暫く好みの異性の話をして盛り上がった。
 他にも色んな話をした。好きな食べ物の話から、苦手だった教師の話など。
 ときに、私は幻想郷の女の子は全員同性愛者だと勘違いしていたことを打ち明けた。昼間、早苗に泊まらないかと誘われたときに少し身構えてしまったことと合わせて話すと、早苗はお腹を抱えて笑っていた。
 それから、早苗と私は布団に入って、現代の〝写メール〟の文化について話したりしているうちに、外の世界の新しい技術について話し合った。
 最新の映画館では、映像に合わせて匂いがしたり、席が揺れたり、水が飛んできたりすることを話した。
 その中で3D映画についての 話をしたが、早苗はなかなか信じなかった。
 飛び出す映画、というアバウトな私の説明が良くなかったのだと思い、再度〝専用の眼鏡をかけると、映像が飛び出して見える〟ぐらいなものだと説明すると、早苗は、それならわかります。青と赤のやつですよね。なんて言っていたが、私は逆に、その青と赤のやつ、がピンとこなかった。
 それから、互いの好きな映画の話になった。早苗が〝幽幻道士〟が好き、なんて言うものだから、私は思わず〝あんな映画〟という形容と共に驚きを口に出してしまった。
 しかしそれについては早苗はそれほど気分を害さなかったようで、バツが悪そうに微笑むばかりだった。
 それから幽幻道士に出てくる好きなキャラクターについて話し合った。早苗はデブ署長が好きらしい。私はフルメタルキョンシー。
 そんな他愛もない話で盛り上がっていると、次第に私の体を心地よい眠気が襲い始めた。
「でもやっぱり、〝あんな映画〟ですよ」
 ふふふ、と笑いながら早苗は言った。
「まあ、〝あんな映画〟だよね」
 私も笑いながら、相槌を打った。
「少し眠たくなってきちゃいました」

「うん。私も」

「じゃあそろそろ。電気、消しますね」
 私が消すよ、と口にする前に、早苗は立ち上がって、紐を引っ張って電気を落とした。
 忽ち部屋は真っ暗になって、微かに差し込む月の光が寝室の静寂を縁取った。
 ……。
 暗さに目が慣れた頃。早苗の目はトロンとしていて、放っておくと今にも眠ってしまいそうな表情をしていた。
 私はそれがどうも寂しくなって、何かまだ話すことは無いかと思索した。
「じゃあさ。早苗は〝あんな映画〟のどこが好きだったの?」
 早苗は、ええと、と呟いて、微笑みながら答えた。
「私の、お父さんが好きだったんです。〝あんな映画〟」
「ふうん。そっか」
 ……。
 部屋が一段と暗さを増した。どうやら雲が月を覆ったらしい。
 深く息を吸うと、木の匂いがして、さらに眠たくなってしまった。
 ……。
 不意に、眠たげな口調で早苗が言った。
「菫子さん。今日はありがとうございました。私のわがままに付き合ってもらっちゃって」
 ん、と私は答える。本当は、私がお世話になった一日なのだから、色々返答したかったんだけど、なんだかそれ以上は気が引けて。
「今日はとっても楽しかったです。それで、今、久し振りに本当に寂しくて、なんだか嬉しいんです」
 早苗は、やはりふふふ、と笑いながら言った。
「寂しくて、嬉しいの?」
「えへへ。なんか、そうなんです。でも、いつも寂しいのは、もちろん嫌です」
「そりゃあ、そうだよ。誰だって」

「でも、私は普段、ほんとに幸せなんです」
「幻想郷に来る前は、不安だったんですけどね。そんな私の不安を他所に、こっちはとっても賑やかで、楽しくて。……でも、時々戻りたくなることもあります。そんなときは、やっぱりちょっと寂しいけど、でも、ちょっとなんです。ほんの、ちょっとだけ」
「神奈子さまが居て、諏訪子さまがいて、霊夢さんや、魔理沙さんがいて。忙しないくらい賑やかなのに、どこかゆったりした日々が流れていく。ああきっと、ここにいれば、こんな日がいつまでも続いていくんだなあって、思うんです」
「そう思うと、寂しさなんて、ちょっとの間に、何処かに消えてしまうんです。それがまた、少し寂しいんですけどね」
 寝室は、夏にしては涼しかった。少し開けた窓から、そよそよと風がそよぐ。
「そっか」
 ……。
「……私が、そっちにいた頃。高校生だった頃は、寂しさって、もっと痛切なものだった気がするんです」
 私は少し、胸が締め付けられるのを感じた。
「幻想郷で暮らしていると、寂しさなんて、ほんとにちっぽけに感じられるんです。寂しくなっても、ほんの一瞬。寂しさなんて、すぐに押し流されてしまうんです。そのくらい、ここは賑やかで、楽しくて。向こうにいた時のことなんて、忘れてしまいそうになるくらい」
「でも、いまはほんとに寂しいです。幸せで、寂しいです」
 そして少しだけ、いじわるだなあ、と思った。
「何がそんなに寂しいのさ」
 分かってたけど、私も少し、仕返ししてみた。
「おやすみなさいを言うのが、です」
 分かってるってば。
「でも、言わないまま眠っちゃうのも、それはそれで寂しいかもよ」
「それは、そうかもしれませんね」
 それでもおやすみなさいを言わない早苗が、私はなんだかいじらしくなってきて。
 気がつくと、私は早苗と同じ布団に入っているのだった。
 布団の中は、とても暖かくて、なんだかすごくさらさらしていた。
「菫子さん。明日はゆっくり眠ってて下さいね。私が朝ごはんを用意しておきますから」
 早苗は殆ど眠りそうになりながら、そんな事を言う。
 ああ、やっぱり早苗さんだなぁ。なんだか、明日起きた後、ふつーに敬語使っちゃいそうな感じ。
 そんなことを考えると、私は少し寂しくなった。
 でもいいや。布団、暖かいし、眠たいし。
「ほんと?楽しみにしてる」
「はい。楽しみに、しててくださいね。気合い入れて、作っちゃいますから」
 そう言って、早苗は寝息を立て始めるのだった。
 結局、おやすみなさいは言えなかったけど、でもいいや。
 私もそろそろ、眠ってしまおう。
 朝ごはん、楽しみだな。





 目がさめると、私は布団の中にいた。
 目を瞑ったまま、布団をまさぐって早苗さんの存在を確かめるが、どうやら早苗さんは布団の中にはいないようだ。
 ああそういえば、寝る前に、朝ごはんを作ってくれるって言ってたっけ。
 思えば何か、味噌汁のいい匂いがする。
 我ながら、ちょうどいい時間に起きたかもしれない。
 起きて行ったら、テーブルに朝食が並べられてたりして。
 流石にそこまで期待するほど図々しくはないけど、早苗さんなら有り得るかもしれない。
 そんなことを寝ぼけながら考えていた。
 うーん、このままもう一度、眠ってしまおうか。
 しかし、蒸し蒸しとした夏の熱気がそれを許さなかった。
 茹だる暑さに堪えきれず、思わず勢い良く上体を起こすと、窓から燦々とした日差しが部屋の中に降り注いでいた。
 窓から炎天下に焦がされたアスファルトを見やると、やはり私は部屋から出る気力すら奪われ、カーテンを閉じるのだった。
 ああ、夏だな。と、私は思った。



   鈴懸の風薫る


「うん、寺子屋から帰るときにね。知らないおじさんに声をかけられたの。うん、おじさんのおうちに来ないかって。お腹も空いてたし、おじさんも良い人そうだったからついていったんだけどね。そしたらおじさんのお家でこわいめにあったの。なんか、服とか脱がされて、なんだろう、こわいなーって思ってたんだ。そしたらね、巫女さんが来て助けてくれたんだよ。他の子達は巫女さんのこと、退治される、って言って怖がってるけど、わたしは好きだな。だって、こわかったところを助けてくれたんだもん」
 ……。
「ああ魔理沙。困るな、授業中に急に飛び込んできて、あんなこと言われたら。里で起きた人死に、あれは妖怪の仕業で間違いないだろう。殺され方にしたって、殺された男の経歴にしたって、それ以外に考えられないだろう。ヤキが回ったのさ、あの男はどうも、分別なく妖怪を殺して回っていたらしいから。……あ。もしかしてお前、私を疑ってるのか。勘弁してくれ、私じゃないぞ。たしかにあの男のやっていた自警団との折り合いは悪かったけれど、なにも殺そうとなんて思わないよ。それに、その日は寺子屋で、親の都合で家に帰れない子供達の面倒を見ていたんだ。疑おうっていうなら子供たちやその親達に確認してみるといい。……ああ、やっぱりやめてくれ。子どもたちにこういう事件のことを話すのは、巻き込むのは、なんというか、よくない。あんまりよくないからさ、教育上。うん、よくない。親たちに聞き込むのはいいが、子どもたちにはよしてくれ。え? もう遅いって! 魔理沙、まったくお前ってやつは……」

 ……。

 博麗霊夢が人を殺した。詳しい事情はわからないが、どうやらそういうことらしい。
 二日前に人里で起きた人死には、里ではもっぱら妖怪の仕業と噂されていた。無論、私もそう考えていた。
 というのも、私は男が殺された翌日、殺された男の家の前に出来た野次馬集り、その中にいた。その場には霊夢もいた。
 その日の明けはなんだか人里が騒がしかったから、なにか事件があったのだろうと思い、私は一目散に霊夢を叩き起こしたというわけだ。
 野次馬共はバラバラに引きちぎられた男の死体を前に、これは妖怪の仕業に違いない、自警団なぞやってるから妖怪の恨みを買ったんだ、などとガヤガヤしていた。男が自警団の団長であることを知ったのはそのときだった。
 私はそのとき、霊夢に自警団の存在を知っていたのかどうかを尋ねた。もちろん、博麗の巫女である霊夢が男の活動を知らなかったはずはない。だから、なぜ私がそんなことを霊夢に問いかけたかと言えば、それは彼女を茶化すような気持ちだった。つまり「聞いたか、自警団だって。お前、信用されてないみたいだな」と、彼女を茶化したというわけだ。
 すると霊夢は特にこれといった反応を示すこともなく「人死になんて珍しくもない。こんなことでわざわざ起こしに来ないでよね」なんて言って、手をひらひらさせて野次馬の集りから離れていった。彼女を追いかける際の、夜中の雨で泥濘んだ地面をよく覚えている。
 霊夢がそういった物言いをするのは珍しくなかった。しかし私と言えば、人死にという非日常に対する霊夢の淡白な反応がつまらなかった。その結果が、里での聞き込みなどというちょっとした“探偵ごっこ”に繋がるわけだ。
 里で誰彼構わずに不審なことはなかったか、なんて聞き込みをしていると、一つ或ることが判った。
 どうやら近頃、寺子屋の帰り道で子どもたちが不審な男に声をかけられる事件が多発していたらしい。何人かの子供に話を聞きまわっていたら、気になることを語る子供がいた。その子が言っていたのは、不審な男に声をかけられ、家に連れ込まれたところを、巫女に助けてもらったという話だ。この話のどこが気になるかといえば、それはその子の容姿に在った。
 その子の瞳は妖しく紅く、頭には獣の耳が在った。その子の容姿は誰がどうみても人以外と判るほどに、妖怪特有の特徴に満ちていた。
 好き好んで妖怪に声をかけるものがあるとすれば、破滅願望の有る者か、妖怪に対して害意の有る者のどちからだ。そのとき私の頭に浮かんだのは、やはり殺された自警団の男の顔だった。白髪の混ざった壮年の男の顔は、四肢を引き千切られ目玉をひん剥いた肉の状態で、私の脳裏に浮かび上がった。
 寺子屋に通う幼い妖怪特有の、知能の低さもとい純粋さを伺わせる話し方や態度からして、その子が嘘をついているとは考え難かった。だから私は、一縷の望みを持って上白沢慧音を詰問したわけなのだが。どうやらアテが外れてしまった。あの男を殺したのは、間違いなく博麗霊夢他ならなかった。
 里の往来を漂いながら適当な甘味などを啄んでいると、以前霊夢と交わしたやり取りが頭の中で再生される。
「ねぇ魔理沙、どういうことだと思う? 人殺しって」
 霊夢はよく、こういった質問を唐突に繰り出した。それは年相応の少女らしい感触と、彼女特有の超然とした印象の入り混じった質問で、私はそのたびに回答に困ってしまい、からかわれた。
「はい時間切れ。魔理沙はこういう質問されるといっつもうろたえるんだから、楽しくってやめられないわ」
 そう語る彼女の口調はとても愉しそうで、私はどうも、わざと口を噤んでいるふしがあったのかもしれない。
「じゃあ私の思うところを話すわね。人殺しっていうのは、すなわち人の時間を奪うことなの。でもそれって、人間なら誰しもがやってしまうことよね」
 霊夢の話はいつも妙だったし、同時に不思議な説得力もあった。その妙さと不思議さは霊夢のどんな話にも介在していて、たかが夏に削氷の売れる理由についての話にだって、霊夢らしさはついてまわった。
 とにかく、私はこのときまた不思議な納得の感を覚え、香霖堂の長話にどれだけ時間を奪われたか知れない、といった返答をしたのを覚えている。
「そうでしょ? 魔理沙がどれほどの時間を奪われたかはわからないけど、そうね。仮に五年ぐらい奪われた、と仮定しましょうか。わかってるって、仮によ、仮に」
「じゃあ、もうひとつ。仮にね、老い先短いおばあちゃんの寿命が、五年としましょう。魔理沙はそのおばあちゃんを殺しちゃうの。あはは! 仮にって言ってるでしょ、怒ることないじゃない。わかったわよ、じゃあ私が、私がそのおばあちゃんを殺したとするわね。そしたら、私がおばあちゃんから奪った時間は何年? そ、五年ね。当然私は人殺しになる。でも、魔理沙が霖之助さんに奪われた時間も五年。あはは! そう! 霖之助さんも人殺しってわけよ! 霖之助さんは長話を凶器に、人を殺してるってわけ。ふふ……もう、ほんとよ。どうかしてるわ、あの人の長話」
 それは霊夢と私の、いつもどおりの取り留めのない会話だった。楽しいだけのやり取りだった。今思い返すと、なにかイヤに辛辣に感じられるのは無論、彼女が人を殺したから。 
 里の白昼は白白と青く、私の中でせめぎ合う霊夢に対するイメージを苛んだ。
 霊夢が人を殺したからといって、私の中の霊夢に対するイメージに然程影響は無かった。私の中で思い出される彼女のイメージは、いつもどこか超然とした、巫女としての彼女だったからだ。
 しかしそんな彼女にもときたま少女らしい一面があって、私はそんな彼女の一面を垣間見るたびに、どこかちぐはぐな気持ちになったのを覚えている。
 道の脇で毛並みの悪い犬が一つ吠えると、たちまち霊夢との“年相応の少女らしい”やり取りの数々が目の悪い星のように明滅を始める。それは恋の話だった。恋というには幼すぎる、恋の話。
 里で縁日や何かが催されて、一通り遊び疲れると、私達は決まって変な気分になった。祭りの熱気を冷たい夜風に撫でられると、私達は妙に感傷的な、安くロマンチックな気分になった。それは霊夢と私に共通した現象だったから、私達はいつもひんやりとした川沿いを歩き、好みの異性の類型について語り合った。
 こういった話を思い返すとどこかちぐはぐとした、照れくさいような気持ちになる。私はおそらく、彼女の少女らしさに対して恋に近い気持ちを抱いていた。だから、彼女とそういった話をするときには私は決まってわざとらしく振る舞ったし、霖之助に対する幼い恋慕なぞおくびにもださなかった。
「私はねー……」
 霊夢は少し照れながら、自分の好みの異性について話した。彼女は年上の異性を好んだ。少し意外ではあったものの、前々から霊夢のどこか少女らしい一面を知っていたから、らしいといえばらしいな、なんて、そんなことを考えていた。

 むなしく空はただ青い。寺子屋からの帰途を辿る少女らの群れは無垢に姦しく、少年たちは木の棒を振り回している。大人たちはどこか駆け足になって、何かに追われるように生きている。道の脇の犬が、一つ大きなあくびをした。

 ああ。私は今日だって霊夢に会った。霊夢はおばあちゃんに洋菓子を貰いにいくの、なんて言って笑っていたから、私は気になって、どういうことだ、なんて尋ねたりした。
 腰の悪いおばあちゃんの家事を手伝いに行くと笑う霊夢の表情は、いつもの霊夢そのものだったのに。浮かぶ彼女の笑顔には、少女らしさが見えなくなった。

 ぽつり、ぽつりと。私の肩が二つ濡れる。見上げれば、それは降り注ぐ無数の雨だった。遠くのどこかで雷鳴が響いて、空は急激に色を変える。青は紺に変わって、そのままどこかしこに、不規則な雑音と化して降り注ぐ。
 気付けば通りに人はなくなっていた。犬すらどこかへ消えていた。紺の曇天をひた歩けば、目抜き通りは私だけの道に思えた。

「あ、魔理沙!」
 急に声がして振り向くと、そこには霊夢が立っていた。霊夢はたくさんの洋菓子を、雨からそれを守るように抱えている。
「もう、急に降り始めるんだもん。それにこんな大雨! せっかく人助けしたのにお礼が台無しなんて、たまったもんじゃないわよ」
 霊夢はいじましく息巻いて、私に数個の洋菓子を投げ渡す。
「ほら、あんたにも少し分けてあげるから、神社に持って帰るの手伝ってよ。ほら急いで。あ! あんまり濡らさないように!」
 霊夢が笑いながら駆けていくものだから、私もつられて笑ってしまった。同じようにして冷たい雨の中を走れば、さながら喜劇映画のダンスのような悲痛さだった。それは、悲痛なまでに、悲痛さのない、愉快なだけの、時間だった。

 その夜は神社で霊夢と酒を呑んで騒いだ。やれ里の甘味処の品揃えが悪いとか、やれかわいい洋服店が少ないとか。その中にはやはり好みの異性についての話もあった。今まで霊夢は一度として、私の霖之助に対する見え透いた恋慕に触れることはなかったが、今日だけは違った。しかし話し始めるとその大凡の割合を占めたのは霖之助の“至らなさ”が殆どで、具体的なこれからの行動指針等を交わすことはなかった。それはきっと、私も彼女も、これが最後だとわかっていたからだと考える。
 私達はそんな具合に、一つのピリオドを引き伸ばすように騒ぎ続けたけれど、それは酔いの眠気に勝るものではなく。
 夜半、続く土砂降りの音がやおら静まり始めた頃に、私達は、眠ってしまった。



 朝、目が覚めて縁側から世界を覗けば、そこにはらしく冴え渡る五月の空が在った。どこかで朝の鳥がないて、境内は薄く白んでいる。
 少し肌寒い朝の空気の中に、霊夢の姿を見つけた。霊夢は縁側に座り、静かにお茶を啜っている。そんな彼女の背中は、私になにか感傷的な心象を与えた。しかし宿酔と伴う頭痛やなんやが、私にそれを受け入れることを拒ませた。
 霊夢の隣に腰を掛け、縁側に両手をついて空を見つめる。どれくらいそうしていたかはわからないが、いつしか霊夢はおもむろに、しかし確かな意思をもって、口を開いた。

「ねぇ魔理沙。なんだと思う? 人殺しって」

 五月の風が、緩く吹き抜ける。

「おまえだよ」

 そうね、と霊夢は微笑んだ。私もつられて微笑むと、霊夢はまた、可笑しそうに笑みを溢す。私もなんだか可笑しくて、次第に、私達の笑い声は境内に、五月の空に大きく響いた。
 そうして私は、風で揺れる木々の音に、鮮やかな朝の気配を感じたのだった。

 博麗霊夢が人を殺した。詳しい事情はわからないが、どうやらそういうことらしい。
 霊夢はそれから巫女になった。以前からずっと巫女だったけれど、それを堺に彼女から少女らしさを感じることはなくなった。

 あー、私もそろそろ、決めなきゃさあ。


  日々は槻を濁すよに

 けーね先生へ。

けーね先生はお元気ですか、わたしは元気です。漢字を調べながら書くので、変なところがあったら、ごめんなさい。
最近、寺子屋が楽しいです。特に、みんなと、遊ぶのが楽しいなー、と、思います。鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりするのが、とても、楽しいです。

鬼ごっこをしてるとき、リグルくんが一人だけ、鬼ごっこなのにかくれんぼをしてて、ミスティアは必死に、リグルくんを探していました。先に捕まっちゃったチルノちゃんと私は、ケヤキの下で休みながら、リグルくんに文句を言っていたのが、面白かったです。

でも最近は、勉強も、楽しいです。寺子屋で、けーね先生はいいました。

いいかおまえら。学問とはずばり、我々の世界のコウキョウなんだ。

わたしがチルノちゃんに連れられて、初めて寺子屋に行ったときから、しばらく経ったときのことです。けーね先生は覚えてないかもしれないけど、わたしはよく覚えています。だって、意味がわからなかったから。

意味がわからなかったから、漢字を探すこともむずかしく、わたしはたくさん悩みました。でも、とうとう諦めて、これを書いているわけなのです。
でも、なんとなく思うのは、わたしはこの言葉を聞かなかったら、漢字を探そうとも思わなかったんだろうなあ、と、思います。

けーね先生はそのあと、続きを話そうとしましたが、チルノちゃんは寝てたし、リグルくんもそっぽ向いてたし、ミスティアもなんだかよくわからなさそうにしてたので、続きを話してくれませんでした。
今度、続きを聞かせてください。そのとき、コウキョウ、の、漢字も教えてね。
                        ルーミアより。

 ……。


「あー、暇だな」
 晴れでもなければ、雨でもない。その中間の様な空の下、リグルはいかにも退屈そうに言う。
「鬼ごっこでもする? それか、かくれんぼとか」
 おずおず、と言った様子でミスティアが言う。
 空の下、とはいえ、木々に囲まれた森の中。私たちの視界は殆ど枝葉に覆われていた。僅かな木漏れ日に照らされた白い靄は湿気を孕んでいて、湿気は私たちの健やかな運動への熱を奪い去るには十分だった。
「鬼ごっこ? かくれんぼ? あーあー、今更そんなことして、楽しいわけないよ」
 リグルは半ば八つ当たりをするかのようにミスティアに答えた。
 リグル、リグル・ナイトバグは寺子屋でもいつもこんな調子だった。昔はもう少しマシだったのだが、最近では腹を空かした子供のように〝楽しさ〟に貪欲だ。私は最近、そんなリグルを少し軽蔑している。遊んでばかりいるわりに、勉強はそこそこできるし、数学なんかは私よりよっぽどいい点を取る。私がリグルを軽蔑するのは、そこにも原因があるのかもしれない。しかし、かくれんぼや鬼ごっこなぞ今更面白くない、というリグルの主張には同感だった。
「ミスティア、他。他になんかない?」
 私が尋ねると、ミスティアはなにかもじもじし始めた。ああ、またか。
「じゃ、じゃあ。みんなで歌をうたうとか……」
 ミスティアはさっきよりも、おずおず、として言う。
「誰が! みすちーが歌いたいだけだろー。僕はどうも苦手だな、歌は」
 リグルは正直だった。私はこんな、リグルの歯に絹着せぬ物言いがどうも最近、苦手だった。主張としては全く同感なのだが、どうも。
「そ、そうだよね! ごめんね。最近、わたし前よりずっと歌に夢中で……」
 はにかみながらミスティアは言う。
 ミスティア、ミスティア・ローレライは、初めて会ったときからこんな感じだった。いざ遊びが始まったり、それこそ歌をうたうときなんかは、私たちの誰よりも声が大きいし、快活だ。私はたまに、引く。
 とはいえ、私はミスティアのことが好きだった。彼女は勉強こそ出来ないものの、なにか、私とリグルが持っていないものを持っている気がして、羨ましかった。ああ、勉強ができないなんていっても、音楽の成績は私とリグルに比べたらずば抜けて高い。もっとも、私とリグルがダメすぎるだけかもしれないが。
 そうだ。音楽に関していえば、リグルは私よりもずっと不真面目だ。リグルはみんなで何かを歌うとき、頑なに蛍の光しか歌わない。とおりゃんせを歌うときも、荒城の月を歌うときも、頑なに蛍の光を歌う。リグルは、
「マッシュアップだよ」
 なんていうけど、正直邪魔で仕方がない。私の音楽の成績がこうも低かったのは、全てリグルのせいなのではないだろうか。
「じゃ、じゃあ……」
 私がリグルを内心で罵っていると、ミスティアがまた口を開いた。
「なにさ」
 リグルが全く期待を含めない声で聞き返す。
「……久しぶりに、チルノちゃんのところでも、行かない?」
 ミスティアの提案に、リグルは大きくため息を吐いた。
「だからさ、ミスティア。今更鬼ごっこやかくれんぼなんかしたって楽しいわけないって、言ってるだろー」
 なあルーミア? と、リグルが私に同意を求める。正直、リグルのいうことは尤もに思えた私だったが、リグルの奔放な物言いにそのままの同意を返すのも癪だったので、まあ、と曖昧に答えた。
「う、うん。そうだよね」
 と、ミスティアが呟く。
 ミスティアの気持ちも、私には分かった。というのも、私たちはチルノとしばらく会っていなかった。妖怪の私たちと妖精の彼女では心身の成長の速度が違ったのだ。リグルは背が伸びて、ミスティアは背こそあまり伸びなかったが、以前より胸が膨らんでいる気がする。私はといえば、背も伸びたし、自分で言うのもなんだが、頭が良くなった。これも、自分で言うのはなんだけど、三人の中で一番〝大人〟なのは私だと思う。多分それは、私たちの中で一番成長の早い妖怪が私だったから、というのもある気はするが。リグルは子供がそのまま大きくなったように、小狡いまでに楽しさに貪欲だし、ミスティアはずっと優しいままだった。ミスティアはきっと、そんな彼女特有の優しさからチルノを気遣ってあんな事を言ったのだろう。私はミスティアのそんな優しさが好きだけど、だからといってチルノに会うなんて、そんな残酷な提案に乗ることは、できなかった。
 しかし私だって、チルノに会いたくないわけではない。わけではないが、もはや私たちにとって下級生のような彼女に会うには、それなりに、なにか特別な機会がなければいけないような気がしていた。
「あーあー。……僕たち、あともう少しで卒業だっていうのに、なんとも浮かない毎日だなぁ。なんか、楽しいことはないものか」
 リグルは右上の方を見ながらぼやいている。ミスティアは何か楽しいことを捻り出そうと腕を組んでしかめっ面で悩んでいるが、きっと名案は浮かばないだろう。
「慧音先生は『卒業したあとも来い。来たらもっといろんなことを教えてやる』なんて言うけどさ、行くわけないよ。勉強、あれはちっとも面白くない。やればやるほどつまんないよ」
 リグルが言うと、ミスティアのしかめっ面は少し寂しそうな表情に変わった。
「でも、寺子屋に行かなかったら、みんなで集まれないよ」
 腕を組んだままミスティアが言う。
「いいよいいよ。ここら辺で集合したらいいじゃん。決まり。次から集合場所はここな」
「……わかった」
「じゃあそういうことで、今日はもうお開きにしようか。どうせやることないしね」
 リグルはそれじゃ、と言うが早いか踵を返して走っていってしまった。
「あ、リグル……またね」
 ミスティアが手を振ると、リグルが振り返って、おう、またな、と声を上げる。私も軽く手を挙げて、それを見送った。
 私がどこへ行くともなく再び歩き始めると、ミスティアも少し後ろをてくてくとついてくる。しばらく静かな時間が続いて、私は口を開いた。
「ね、ミスティア。帰ろっか。私たちも」
「……うん、そうだね」
 ミスティアは一瞬俯いて、そう答えた。
「えっと、じゃあリグルの言う通り、次集まるときはさっきの場所ね」
 私は歩いてきた道の方を指差して、ミスティアに言う。そのとき気がついたことだけど、指差した方、道の脇の木々の葉が、ほんの数枚、黄色く染まっていた。
「うん、わかった。……また会えるよね?」
「当たり前じゃん。寺子屋だってまだ行かなきゃいけないわけだし」
「そっか、そうだよね」
 でも、私は言いながら、なんだか永い夏休みが終わってしまうような気がして、少し寂しくなった。だから、
「歌、続けてよね。私、ミスティアの歌好きなんだから」
 なんて、言ってみたりした。ほんとは、ちょっとどうでもよかったけど。
「うん、ありがとう。……それじゃあ、またね」
 ミスティアがそう言って手を振るので、私はそこそこに背を向けて歩き始めた。しばらくしてちら、と振り向くと、ミスティアの歩く後ろ姿が見えたので、私もそのまま、歩き続けた。
 帰り途、私は寺子屋のちょっと広い裏庭について考えていた。子供の足で十秒も走れば端から端までを辿れるその庭を、慧音先生は〝校庭〟と言い張って聞かなかった。そこは驚くほど狭かった。鬼ごっこをやるにも、かくれんぼをやるにもどうにも狭すぎた。というのも、元から〝ちょっと広い〟程度の庭の中心に、そのちょっとした広さを圧迫する要因があったのだ。
 それは大きな槻だった。私が初めて寺子屋に行ったころからあの槻は大樹だった。私がもっと小さい頃はそれほど気にならなかったけど、背が伸びるにつれて、槻は邪魔で仕方がなくなっていった。
 けれど、そんな大樹の構える狭い〝校庭〟にて、みんなと遊んだのをよく覚えている。チルノもリグルもミスティアも私も、飛べるのに木登りをしてみたり、意味もなく周囲を走りまわってみたり、隠れる場所の限られたかくれんぼを何度もやったりした。あれは夏だったか、木陰で涼んで、西瓜を食べたのも覚えている。
 そんな槻が、私たちが卒業して間もなく切り倒されるという話だった。そこまで思い入れがあるというわけでもないが、なんとなく寂しい。
 そんなことを考えながら、私は帰路を辿った。

 そうしてその後、チルノはもちろん、リグルやミスティアに会うこともなく、いつのまにか、木の葉は朱く染まってしまった。

 ……。

 それから何年か、私は勉強を続けた。けれど、寺子屋には行かなかった。慧音先生は、
『一人で勉強するな。学問が人を不幸にしてはいけない』
 なんていっていたけど、今ひとつピンとこなかったし、なんとなく寺子屋へ行こうとも思えなかった。気付けば勉強も、一人でなんだってできる程度にはなっていたのだ。
 リグルやミスティアとは、里でばったりと会うことがあった。しかし会ったとしても、二、三分、近状を交わすのみで、遊ぼう、なんて気は起こらなかった。
 リグルはどうやら人間相手に商売を始めたらしい。なんでも、害虫駆除のマッチポンプだとかなんとか。どうしてそんなことを、なんて聞くとリグルは、これがなかなか楽しいんだよ、なんて言って笑っていた。私はやはり、リグルのああいうところが好きじゃない。楽しければなんでもいい、と言いたげなリグルの笑い方は、私の中のリグルへの侮蔑をチクチクと刺激した。しかしだからと言って、リグル自身のことが嫌いなわけではない。なんたって、友達だし、久々に友達に会えば、私も嬉しかった。けれど、何度会ってもリグルは相変わらずに笑う。私はそれが、どうもチクチクする。
 相変わらずといえばミスティアだ。ミスティアも、相変わらずに歌が好きらしい。最近ではなんでも仲のいい山彦とバンドを始めたとかなんとか。頑張れよ、なんて言うと、ミスティアは、観にきてよ、と私にチケットを差し出した。しかし、私はどういうわけか、それを断った。その後も何度か会って同じようなやり取りを交わしたが、その度に私はチケットの受け取りを何かと理由をつけて拒んだ。
 私は日々の中で、リグルに対する侮蔑に似た感情と、ミスティアのチケットを受け取らない理由について考えた。考える最中に、寺子屋の槻や、チルノのことが頭を過ぎった。なんども、或いはずっと、考えていたけれど、答えが出ることはなかった。
 もっといろいろ勉強すれば、何かわかるかもしれない、と考えて、本当にいろんな勉強をしたけれど、結局、日々は相変わらずに過ぎて行った。

 ……。
 …………。

 あー。

 そうしてまあ、いろいろ考えた結果、私は勉強をやめたってわけ。


   一


「えー、たったこれだけ? この本全部で」
 会計台の上、山のように積まれた厚い本をペシペシと叩きながら、私は店の婆さんに抗議した。婆さんの時化た顔の皮膚に寄せられた皺は所謂しかめっ面というやつで、そこからてんで動かない。思えばこの婆さん、店に入った時からちっとも表情が変わっていない。店内の古びた本棚、又、古びた本と同様に、この婆さんの面の皮、その時間も止まってしまっているのだろうか。
「だいたいさ、婆さん。婆さんにこの本の価値が本当に分かってるっての? うっすい新書に分厚いだけの学術書。これ全部びっくりするほど高かったってのに、婆さんそれをこんな二束三文で買い叩こうっての」
 言うと、婆さんの顔の皺が蠢く。しかめっ面を更に顰めたようにも見えるし、薄ら笑っているような気もする。私が眉を潜めて婆さんの不気味な口元を見つめていると、婆さんはやおら、ゆらり、ゆらりと、二度、頷く。そして、婆さんの震える拳が私の胸元付近に差し出される。
「だーもう。わかんない人だな、全く」
 私がブルブルと震える婆さんの拳の下に手のひらを広げると同時に、婆さんの拳も開かれた。がちゃ、なんて擬音を格段に弱体化させたような音が私の手のひらに降ってくる。私はそんな弱々しい音を握り潰すように拳を固め、それを握りしめたまま店を出た。店を出る際、婆さんを今一度睨みつけてやろうかとも考えたが、振り向けば婆さんの顔に刻まれた皺は先よりよっぽど深くなっているのではないか、などと恐ろしく思えて、それを諦めた。
 握りしめた拳のまま、憤懣遣る方無い心持ちで往来を行く。通りにはいつも通り岡持ちを持ったのや、祭りでもないのに高そうな着物を着て歩くの等がわんさかしていた。もちろん、他にも色んなのがいたけれど、特に私の目に付いたのは岡持ちと着物だった。
 そこに特に理由は無かった。私はそこにプロレタリアート的格差を見いだすこともなかったし、岡持ちと着物に何かしらの共通項を見つけられたということもない。仮に共通項があるとすれば、今日はたまたまその二つが私の目に付くということぐらいだ。
 日は高く、暑くもなければ寒くもない。だから季節は多分春。それか、秋。
 私にとって季節なんてどうでもよかった。というのも、数年前までは季節が過ぎる毎に私の背は少し伸びた、が、数年前から私の背が伸びることはなくなった。それまでは自分の視点が少し高くなったことに気がつく度に、私は時の流れをしみじみと感じたものだった。けれど、最近ではそんな流れなんて感じやしない。私はまるで時が止まっているかのような日々の中にいた。しかし、時間は確かに流れている。あの婆さんの皺にしたってそうだ。私がまだ勉強熱心だった頃は、あの婆さんもまだオバちゃんくらいなもので、私はよくオバちゃんから新書や学術書を二束三文で買い叩いたものだ。
 さて、あの時化た本屋を出て数分経つが、気がつけば目的地が目の前までやってきている。はて、普段なら通りに面した店先に、ずらー、と塵か何かのように有象無象の酒類が並べられていて、その中の会計台越しにこれまた幸薄そうな婆ちゃんの顔が覗いているはずなのに、全く、それっぽいものは見つけられない。目の前にあるのは木製の、横開きの大きな扉のみだ。よく見ると扉には何やら張り紙が貼ってある。
『誠に勝手ながら本日は休業させて頂きます。腰が痛いのです。ごめんね。』
 ごめんねて。
 どうやら今日は休みらしい。私は一瞬、酒屋の婆ちゃんの腰の様子を見舞おうか、などと考えたが、握りしめた心許ない硬貨の数枚を拳の中で確かめて、自身の思い付きを却下した。
「仕方ない、帰るとするか」
「にしても酒屋とか本屋はジジババばっかりだな、あと数年もすれば、私の行きつけはみんな潰れてしまうかもしらん」
 以前よりずっと増えた独り言を遊ばせながら、私は家路を辿った。
 かと、思われたが、私は酒を諦めきれなかった。自分でもそこまでアルコールに執着するとは思っていなかったので自分自身大変驚いたが、考えてみれば当たり前のことだった。
 仮に、薄っぺらな硬貨数枚を握りしめて家に帰ったところで、結局は床に薄っぺらな数枚のそれが転がるのみで、それもいずれ、床板と床板の狭間に吸い込まれ気づかぬ間に消えてしまう。私はきっと、床下に吸い込まれた事実にも気づかなければ、そもそも床に転がる硬貨数枚の存在を覚えていられるわけもない。だから、このまま帰ってしまっては本当に、後には何も残らないというわけだ。せっかく役立たずの書なぞを全て処分して、それが二足三文に成ったのだ。酒を買わずに帰っては、味気ないにも程がある。
 私は本日休業中である婆ちゃんの酒屋から最寄りの酒屋へと向かった。酒を飲まずして酒屋をハシゴするとは私も酔狂よのう、なんて下らないことを考えながら、私は右上の方を眺めて歩く。そこには通りに立ち並ぶ家屋や店の屋根があり、屋根の向こうにはあおーい空があった。私はもちろん、あー、あおいなー、とか、そこらへんのことを、考えた。
 ふわっとした気持ちで歩いていると、酒屋にはすぐに着いた。店主の爺さんの息子らしき男が会計台の向こうにて店番をしている。肩肘をついているその男は、なにやら左上の方をぼんやりと見つめていて、非常に印象が、悪い。
 ときに、実のところ、この酒屋こそが私の家から最寄りの酒屋だった。家を出て五分と歩かぬうちに、この酒屋にはたどり着く。しかし、私はいつもこの酒屋ではなく、少し遠くの婆ちゃんの営む酒屋まで出向くのだ。その理由は間違いなく、現在店番をしているこの男にあった。
「電気ブラン」
 近付いて声をかけると、男が気だるそうに視線を寄越す。ん、だか、あ、だか、そんな声を上げたことから、この男のたるみ具合が窺える。そうして男は伸びをして、これまた気だるそうに口を開いた。
「ん、んー。あーあ……。オネエちゃん、また昼間っから呑むのかい」
 これが、非常に、嫌だった。昼間っから左上の方を見上げてうたた寝をしているやつに、こんなことを言われる筋合いはない。
「関係ないでしょ。はい、お金。さっさとしてよね」
 会計台の上に生暖かくなった硬貨を全て放って、私は奥の商品棚に置かれためあてのそれを指で差す。
「いやー、関係あるかもよ。案外知り合いだったりして。……まあ、関係ないけど」
 男は眠気を噛みながら、たらたらと酒を取りに立つ。
「あんたみたいな知り合い、いないよ」
「……向こうの酒屋は休みかい。婆ちゃん、腰でもいわしたかな」
 男は背を向けたまま、私の質問を無視して言った。
「関係ないでしょ」
「これは関係あるんだなあ。あの婆さん、親戚なんだ。はいよ」
 男が脱力のままに酒を置くもんだから、ダン、と結構な音がした。
「はい、ありがとね。それじゃ」
 片手で酒をふんだくって、歩き始める。来た道をそのまま真っ直ぐ進めば、私の家に辿り着く。
「まいど。……あ、これ、お代足りねえじゃねーか」
 男が背後で、なにやらごにょごにょとぼやいていたけれど、私は片耳を塞いで、そのまま店を後にした。
 あの男を見ていると、なんだか床にこぼした水を放ったらかして出来た黴を見てるような気分になって、妙に居心地が悪い。私は早速瓶の蓋を開けて、胸中の靄を洗い流すようにそれを、飲んだ。

 酒を飲むと、どうも思考が鈍くなる。いや、多分逆だ。古池の水が干上がって、色んなものが浮き彫りになるように、様々な想念や何かの本の引用なんかが、頭の中で浮かんでは消える。それも、逆かもしれない。消えては浮かぶ。そう言い換えても、なんら問題はない。中には現状を指し示す熟語の羅列も在った。それは、倦怠だとか、厭世だとか、無感動だとか、インポテンツだとか。とりわけしっくりきたものでいえば、間違いなく無感動のその字だった。自覚さえなければ、酔っ払って独り言が減る、なんてことも、なかっただろうと考える。
 とにかく、私は家に帰らずに、瓶の中の琥珀を揺らしながら、人里をぐるぐると回り、ふらついていた。気付けばもう夜だった。しかし、まだ夕飯程度の時刻のはずなのに、里は妙に静かだった。一度、自宅の前までは行ったのだけれど、その時には、私のパルスはアルコールに拐かされていたわけだ。
 里の通りに面して、私の家は在った。最近では里に住む妖怪も中々増えて来ているらしい。しかし、私はわりあい、昔から里に住んでいた。
 と、いうのも、私がまだ幼い頃、フロイトのフの字も知らない頃だった。そのころ私は家もなく、森の中で故知らぬ動物の肉なぞを喰らって生きていたのだが、少しすると、友人なんかができて、寺子屋に連れて行かれたりして、挙句家まで探してもらったというわけなのだ。家、といっても、端から立派なものではなく、長らく人の住まなくなった空き家を探して、そこに勝手に住んでいるだけで。だから厳密には、私の家ではないのかもしれない。
 何日間か探し回って、ちょうどいいボロの空き家を見つけたとき、あの子はたしか、なんと言っていただろう。
「『あたいの住処より、よっぽどじょーとーだ』」
 こんな感じだったかな。あんまり、よく覚えてないけれど。
「『二段ベッドだ! なんか、がいこくの、ろっじみたいだね』」
 これを言ったのは、誰だったか。あー、それにしても。
「あの子。あの子ねえ」
 これだから、酒はよくないや。まあ、飲まないよりは、よっぽどマシだけど。

 気付けばまた、先程の酒屋のある通りに来ていた。ちょっと進めば酒屋があって、さらに進めば家がある。だから私は、右上の方を眺めながら、ただただ歩いた。妙に静かな里の夜空には、疎らな星が散らかっていたけれど、月はどこにも見当たらなかった。気紛れに目を凝らせども、視線の先には夜だけが、曖昧に、続いていた。
 私はもちろん、あー、夜だなー、とか、そこら辺のことを考えた。一瞬、よいやみ、なんて言葉が浮かんだけど、とんでもない。一笑に伏すまでもなく、夜はただただ、夜だった。
 そうして。遠い夜空を背景に、去りし蒼夏の面影が、幻めいてみえた頃。家に着き。私は眠りに、就いたのだった。

 朝、目が覚めて、床の上。窓の向こうはいつも通りに他所の家の外壁があるのだろう。部屋の中はいつも通りに果たして意味があるか程度の薄明るさに満たされていた。あってもなくてもいいような、まるで教養のような薄暗さ、と形容したとて差し支えないほどの光量の中、私は脳と胃に僅かな宿酔を感じ、なんとはなしに寝返りをうつ。
 眠る際、一部屋のみの木造住居にはロフトがあったが、私はそれを使わない。ロフトの下の空間は、これまた低いベッドが基本的構造物として備えられていた。動かせない二段ベッドといえば、わかりやすいだろう。しかしそれでも、私は床で寝た。床で眠るようになったのは、私がお勉強なぞを熱心にしてた頃だ。その頃、部屋には小さなテーブルが在って、私はそのテーブルの上でノートをとったり本を読んだりして、そのまま眠ったものだ。テーブルは先月売った、いや、先々月だったか。あまりよく覚えてはいないが、おかげで部屋が広くなった。
 広くなったとはいえ、用途のない不動の二段ベッドの存在の所為で、就寝以外の居住スペースは、狭い。今では、およそ三畳ほどの木板が張られたその床に、布団が一式ぐちゃぐちゃになっている、というのが私の部屋の全てだった。この空間には布団しかない。布団は三式あった。一つは床に、一つはロフトに、一つはその下段に。
 小さい頃、リグルとミスティア、それとあの子が泊まりに来たことがあった。たしか、この家が私のものになってすぐのことだったと記憶している。僅か三畳ほどの空間を暴れまわり、転げまわり。遊び疲れて、二つのベッドに二人づつ眠った。
 たしかリグルとミスティアが上の段だった。本当は、上の段は普段私の就寝スペースだったはずで、私はそこで眠ろうとしたのだけど、リグルがどうしても、上じゃなきゃイヤだ、と抗議して。トランプか何かで勝負して決めたんだっけかな。それで、私は下の段で、あの子と一緒に眠ることになったのだ。布団の中が、涼しくて、気持ちよかったのを、覚えてる。
 私はあれから、あの子には会っていない。あの子、なんて呼び方も、記憶の中のあの子が、私の成長に比例して幼さを増していった結果の一つだ。とはいえ、時折ふいに思い出される彼女は概ね、私やリグルやミスティアの手を引いて、湖や山や里、それから寺子屋なんかにぐんぐんと歩いていく姿だった。ともかく、特別な機会なんて言葉は結局、時が経つにつれて、その抽象さを増していくのみで。きっともう、会うことはないかもしれない。そんな可能性も、私はすでに受け入れている。それほどに、時間が経ってしまったのだ。
「『やればやるほどつまんないよ』、か」
 ふいに、いつかの誰かが放った言葉を思い出す。その言葉が提げた看板にはやはり、勉強、とか、問いA、とか、それらに類する語句が刻まれていた。
 勉強も、随分したけれど。
 結局、無やら数やら空間やら、それらの前提を疑ってしまえば、そこにはなんの意味がないように思えた。視野が広がるにつれて、いろんなものや、いろんなことを疑えるようになっただけで。生きる上で肝要な答えらしきものは何一つとして得られなかった。だからといって、絶望、なんかはしていない。ただ、其処にあるものをあるがままに受け入れるには、その時すでに、私は少し、捻くれ過ぎていただけなのだろう。無論、私が今所謂モラトリアムめいた恒常性の渦中にいることなんて自覚している。けど、私はちっとも不幸じゃないし、むしろ幸せだった。或いは快楽原則なんてものを持ち出したなら、私はきっと、不幸で幸せなのだろう。
 また私は、この世界の全てに意味があって、ときに全てが無意味になることを知っている。けれど、景色のちょっとした美しさの中に幸せがある、とか、思い出は時が経つほどに輝きを増す、とか。そういう言葉の意味だって、理解している。もちろん、どれもこれも、ただの言葉だ。ただより安いものはない、とまでは言わないが、無料で配られるソレは大概、無価値である。
 つまり私は。
 今の私は、つまるところ。
 幸せなほど、不考でいると、いうわけだ。
 だから、考えれば考えるほど、つまらなかった。
 とりあえず、起き上がろうと腕に力を込める。瞬間、敷き布団の下で、床板がキィ、と猿楽うので、起き上がるのはよしてやることにした。何より、寝転がった私の低い視界の中心に、昨夜の飲みかけが目に入った。私はその瓶に手を伸ばして、仰向けになり。瓶の中、琥珀色のそれを、飲んだ。不精により固くなった敷き布団の感触が、妙に柔らかい。さて、この布団は、いつ、どこから持ってきたものだったか。

 酒を飲むと、思考の制御が効かなくなる。それはつまり、行動に干渉できなくなるということで。自分の意思とは関係なく、景色がやたら綺麗に見えて、泣きそうになったり。積み上げまで来たガラクタを、売っぱらったり。更なる酔いを、求めたり。あの子が作った瘡蓋を、血が出るまで、弄くり回したり、するのだ。寝たきりの暴れ馬に乗るのは、とても、スリリングだ。
 遠目で見たら綺麗だったものが、近付いてみると、そうでもなかったり。手品なんかの種や仕掛けが、なんとなくわかってしまったり。あの頃のリグルの、不可解なまでの軽薄さとか。知らない方がマシなことはたくさんあって。だから、アルコールで視力が下がるなら、私はいくらでも、それを飲むと、いうわけだ。
 ああ、起きて十分も経たないけれど、もはや、眠たいな。……そういえば、ミスティアは今、なにをしてるんだろう。未だに歌なんて、歌ってんのかな。……リグルはきっと、マッチポンプを続けているに違いない。何年か前に会った時、目を輝かせて、その仕事の素晴らしさを説いてくれたぐらいだし。それから、あの子。きっと、あの子は今でも、同じくらいの背丈をしたのを捕まえて、楽しいことをしてるんだろう。そうだったら、いいな。……そうだ。今度リグルに会ったら、金の無心でもしてみようかな。あいつならそれくらい、笑って済ませてくれそうだ。

 そうして私は薄暗く、陽光溶かす部屋の中。重くて鈍い微睡みに、次第に解けてゆくのであった。


   二


 緩やかに流れる時間、日々。それらは往々にして悪辣である。自覚やら知覚なんてものは、私の視界に映る景観から彩度を奪うには十分だった。酒を入れれば、長針と短針は途端に乱拍子を刻むが如く暴れ始める。必要なのは酒だった。だから、私が欲するものは何より、金だ。時間を短縮するために必要なのは科学でもなければ化学でもない。要するに私は、金が欲しい。
 幸い、幼い頃のバカ喰いのおかげか、腹は空かなかった。もう何年かまともに食事を摂った記憶はないけれど、嫌になるほどに、私の体は健康そのものだ。だから余計に、流れる時間を穏やかに感じ取ってしまうというわけなのだ。ああ、何処かに金目のものは落ちてはいないか。そんな程度のふわっとした心持ちで、私は里の白昼を漂っている。
 時折往来を見やれば、人を襲ってしまおうか、なんて考えが頭を過るが、今更それをするほど私は飢えてもいない。私は流れる人々を、何の気なしに見送り続けた。こんなに大勢の人がいて、人それぞれに目的の品を買い求めたり、無計画に茶屋で散財しているのにも関わらず、自分一人が無一文でふらついていることを思うと、やはり人間というのは薄情な生き物だな、なんて勝手な感慨が湧いた。私は別に人間に敵愾心なんか抱いてはいない。むしろ毎日毎日同じ働き先で同じような物を売り続けることが出来ることを尊敬しているぐらいだ。だから、胸中に湧いた勝手な感慨はあまりにも勝手で、可笑しかった。
「ほんと、殊勝だよな」
 その様なことを呟きながら、私は里をぐるぐる、ぐるぐると、回り続けた。

 気がつけば、また例の酒屋のある通りまで来ていた。けれど、私は未だ金を手にすることも出来ていなかったし、酒屋で店番をする若いやつの顔も見たくなかったので、例の如く、右上の方を見ながら通り過ぎることにした。そうして、並ぶ家屋の屋根の向こう、間抜けな青空に無感動を覚えている頃、恐らくは酒屋の前に差し掛かったときだ。私の聴覚に、聞き覚えのある声が聞こえた。
「いやー、知らないな。おにいさんみたいな知り合い、居なかったと思うけど」
「や、俺は覚えてるぜ。名前だって覚えてる。あんたたしか、リグル。リグルナイトバグだろう」
 向けば、酒屋で店番をする若いのと、私の友人、リグルナイトバグが向かい合って、なにやら言い合っていた。
「うーん。リグルナイトバグ。その通りなんだけどさ、ごめん。やっぱおにいさんのこと、覚えてないや」
「なんだよあんたもか。あーあ。いいなぁ、あんたらみたいな奴らはさ、俺たち人間なんかよりよっぽど生きるし、そのくせなんでもすぐ忘れちまう」
 そんなこと言われてもさ、なんて嘯くリグルの隣まで行くと、私に気付いたリグルは片手をあげて反応したので、私もそれに合わせた。
 リグルはそのまま、酒屋の男に問いかける。
「じゃあさおにいさん。私とどこで知り合ったってのさ」
「あ? ああ、いやな。思えば知り合った、なんて言えるほどの事じゃないんだが。昔、よく見てたんだよ。あんたら、チルノとよく遊んでただろう? 寺子屋でさ」
 男が言うと、リグルは合点がいった様子で声を上げる。
「あー! もしかして同級生だ? ……いやでも、それにしちゃ若いね、おにいさん」
「ああいや、俺は三つ四つ下の課程だったからな。でも、あんたらがチルノと遊ばなくなってから、よくあんたらの話を聞いたよ。チルノからさ。まあ、あいつも、そのうちそんな話はしなくなったけど。俺にはどーもそれが、記憶に残ってたんだな」
 男はどこか懐かしげに、右上を眺めながらそんなことを話す。自分勝手に軟化した男の態度は、私を妙に苛立たせた。まあでも、怒ったって仕方がない。だいいち、何もそんなことで腹立てることもない。
「じゃあなに、あんた私がここに来る度〝知り合いかもな〟なんてミステリアスな態度取っておきながら、なんで今までこんな風に確認して来なかったのさ」
 私が言うと、会計台の向こうで、男が多少たじろいだ。
「い、いや。実のところ、驚いてたんだ。たしかルーミアって言ったか、あんた。あんたは、ほら、変わったじゃないか。服装だってだいぶ違うし、背だって伸びてるわけだろ。似てる他人なんじゃないかな、って、思ってさあ」
 あ、チャンスかも。
「それだけ?」
「あ、ああ」
「それだけの理由で他人かもしれない客に、あんな謎めいた接客してたわけ?」
「い、いや、悪かったよ」
 無表情な笑みを浮かべるリグルを尻目に、私は捲し立てる。
「いやー見えないね。悪かった、その言葉に誠意が見えない。全くもって、見えません。どうしようかなー。あ、そうだ。店主のお爺ちゃんって、あんたのお爺ちゃんでしょ?」
「悪かった、悪かったって。いいよ分かった。なんでも一本持ってっていいからさ、爺さんには余計なこと、言わないでくれよな」
 そうして私は、私とリグルの分の酒を獲得することに成功した。タダで。

「いやーちょっと、悪いことしちゃったかなー。私としたことが、お恥ずかしいところをお見せして」
「いいんじゃない? 別にさ」
 その後、私とリグルは通りをそのまま歩いていた。酒屋を通り過ぎてそのまま進めば、もうすぐ私の家がある。なんとなく、だから、これは、なんとなく。私の家に向かって歩いているような気がするのだが。別に、リグルを家に入れたくないわけではない。ただ少し、リグルと会うのは久しぶりすぎて、なんだか気まずかった。先程酒屋で男が言った通り、私は自分自身だいぶ変わったように思える。私はもう、あの頃のようなスカートは穿かなかったし、喋り方だって、随分変わってしまった気もする。だから正直、気まずさよりも、気恥ずかしさが大きいのかもしれない。
「ルーミアお前さ、随分変わったね」
「そーかな?」
 リグルは私の胸中を見透かしたような言葉を投げて来る。私は極力平然を繕って、それに答える。
「前は酒なんて、飲んでなかったじゃんか」
「あー、そうだっけ」
「それにしてもまた、珍しいの飲んでるね」
 リグルが私の片手に下がった瓶を指して言った。
「ああこれ。安いんだよ」
「へえ。外の酒なのに?」
「うん。何故か安い。多分、名前の所為だと思うんだけど」
「なるほどねえ」
 リグルも片手に瓶をぶら下げていたけれど、それを飲もうとはしなかった。私もリグルに倣って口をつけることはしなかったけど、なんとなく。なんとなくだけど、リグルも、私に倣っているような、気がする。そんな予感は、半ば確信に近いレベルで私の脳内を這い回っていた。
 靴の下で砂が滑る。気付けば、既に我が家の近くまで来ていた。ここまでくると、何故か人通りがやけに減る。思えば、家にいる際、近隣の生活音を聞かない気がする。もしかすると、私の家を挟むように建っているボロの二軒も、周りの数十軒も、もうとっくにみんな、空き家なのではないか。今度はそんな、妙な想像に、私の思考は囚われる。
 ああきっと、珍しいやつが隣を歩いてて、それでもって、片手に握った瓶のキャップを開けられないから。私はこんな妙なことを考えるんだ。いっそ、開けてしまおうか。
 親指に、力を込める。
 二つの足音のみが響く世界のしじまに、かちかち、と、音が響いた。
 リグルの表情を窺うと、リグルは相変わらず前を向いたまま、笑顔とも無表情ともつかぬ顔をしていた。リグルの表情は昔から、形容しがたいものがあった。笑ってるような、キョトンとしてるような無表情。それがリグルの普段の表情だった。
 そして、そんなリグルの普段通りの表情を見つめていると、不意に、かちかち、という音が聞こえた。それは間違いなく、瓶のキャップを開ける音だった。リグルの手元を見るまでもなく、私は瓶のキャップを完全に開け放った。するとやはり、リグルもそうした。瓶を呷り、一口流し込む。隣で、リグルも同様の動作をする。瓶から口を離すと、私たちは笑った。
「いやあ僕、もう一生飲めないかと思ったよ」
「あはは、私も。握りしめた酒瓶を遠く感じたね」
 閑静な秋の宙に、私たちの声はよく響いた。
「いいのかよ、昼間っからさ。お前、勉強は?」
「勉強? ありゃダメだよ。アレは人を不幸にする」
 言えてる、と、リグルが笑う。リグルが笑うのを見て、私は何だか、過去感じていたリグルへの侮蔑めいた感情が薄れていくのを感じた。
「あんたこそ、いいの? 昼間っからさ。仕事は? ほら、害虫駆除だっけ」
「ああ、休業期間なんだ。まあご贔屓さんのとこはぼちぼち行くけど。なんてったって秋だからね」
 どこか軽妙さを感じさせるリグルの口調に、私は自然と笑ってしまう。リグルも、それを聞くとなんだか同調するように笑った。その時、私の心に一つの想念が浮かんだ。胸中曰く、いけるかも。浮かんだ言葉は、それだった。曖昧に笑い合う最中、第一声として、いやあ、を選択し、私は続けた。
「ところでさ、お金かしてくれない?」
「……え?」
 秋風が、身にしみた。


「うわ、懐かしいなあ。昔と全然変わってないね。あ、でも、昔はもうちょっと物があったね」
「最近減らしたの。全部お金に変えたってわけ」
 埃っぽい部屋の中、リグルが懐かしそうに部屋中を見渡す。リグルは一瞬、部屋を物色するような素振りを見せたが直ぐにやめた。触るまでもなく、其処に何もないことを察知したのだろう。
「じゃ、僕は上の段ね」
「お好きにどうぞ」
 金を貸してくれないか、その問いに、リグルは二つ返事で応えた。それどころか、返さなくてもいいとまで言う。曰く、暇だから。私がなるほどなぁ、と相槌を打つと、リグルは、
『そっちも暇なんでしょ?』
 と、聞いてきた。私はどうしても、はいその通りです、と答えるほかなく、実際、はいその通りです、と答えた。するとリグルは唐突に、じゃあしばらく、一緒に暮らそうよ、なんてことを言った。私は少し驚いたが、やはり暇だったから、承諾したというわけだ。会うこと自体久々のリグルとの暮らしに頭がかき乱されそうな予感はあるけれど、なにもないよりはずっとマシに思えた。そして家の前まで着いた際、私は片手に下げた馴染みの酒瓶を見て、どうせなら高い酒を持ってくればよかった、なんてことを考えながら戸を開けたのだった。
「あー、天井が近い。寝惚けて起き上がったら、頭打ちそうだ」
「下の段使えば?」
「いいよ、上で。せっかく勝ち取った場所だし」
 リグルは早速上段のベッドに上がって、寝心地を確かめている。私は床に敷かれた布団の上で、それを見るともなく見上げていた。断続的に、布と布とが擦れる音が上の方から聞こえてくる。暫くそんな静寂が続いて、リグルが唐突に口を開いた。
「それにしても、意外だな。お前は教師にでもなるのかと思ってたんだけどな、僕は」
「まさか」
 リグルが起き上がったようで、二段ベッドがけたたましく悲鳴を上げた。ラダーを軋ませながら降りてくるリグルに私は言う。
「私が寝てる時はゆっくり起き上がってよね」
「まかせてまかせて、よっと」
 床に足をつけたリグルは続けざまに口を開けた。
「じゃ、僕。一旦帰るね」
「あ、なんか持ってきてくれるってわけ?」
「うん、いろいろ。ここ、何も無さすぎて結局暇だし。いいよね」
「いいけど。ご覧の通り狭いから、あんまりでっかいのはダメ」
 私が言うと、リグルは分かった、と答えて家を出て行った。
 私は自分の言動に対し、これから生活費等を工面してもらう相手に対して随分な物言いだな、なんて思ったけれど、不思議と、罪悪を感じることはなかった。リグルと久々に会ったこの短い間に、もはや以前感じていた友人というソレよりも、もっと近しい間柄を感じていたのだ。言い表すならばそれは、共感とか、共鳴とか。そんな薄暗い軽薄な言葉だろう。リグルがどう思ってるかは定かでは無いけれど、なんとなく、リグルは私と同じな気がした。
「いや、私が寄せていったのかな」
 あはは、と笑って、酒を呷った。ともかくとして、これからは、なにかと忙しなくなるのだろう。それならそれで、いいやと思い、私はそのまま仰向けに、寝転ぶ。
「こうして見ると、なかなか新鮮な気もするけど」
 短い睡眠を予感しながら、天井の木目を眺め続ける。瓶の中は未だ、たっぷりと、琥珀色に、満ちていた。

 それから私は、何やら話し声で目が覚めた。工事がどうとか、代金がどうのとか、そんなやり取りが戸口の方から聞こえてくる。とにかく起き上がって部屋を見渡すと、床の上に一台、テレビがあった。ラジオなぞが普及し始めた昨今の人里でも中々お目にかからないソレからは一本の線が伸びていて、なにか壁に突き刺さっていた。うちに、コンセントなんてないはずだが。
「うわ、小銭ばっかりだなあ。ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……。はい、丁度ね。じゃ、またなにかあったら。それじゃあ」
「はい、ありがとーございましたー」
 人の声や物音で起こされると、寝起きの割には音がハッキリと聞こえてくる。家の狭さもあって、リグルが戸口から部屋に向かってくる足音もしっかりと聞き取れた。
「なに、誰か来てたの」
「ああ、河童だよ。電気工事を頼んだんだ」
 私はさして驚くこともなく、ふぅん、と相槌を打って、床の上に置かれたテレビの周辺を見やった。テレビの横にはこれまた見慣れない機械があった。それは恐らく、DVDプレーヤーというものだろう。プレーヤーからはやはり何本か線が伸びていて、いずれもどこかしらに突き刺さっていた。未だ寝ぼけた私にとって、勝手に電気工事を敢行されたことや、河童の技術力の逞しさよりも、まず頭に浮かんだのは突き刺さった線のことだった。突き刺さった、という言葉が、やけに、無意味に思考に張り付いていた。
「あんた、なに。これ、どこから持って来たの」
「拾ったんだ。無縁塚で。河童に修理を頼んでたんだけどさ、いやあ、取りに行くのが面倒でね。この機会に、と思って、電気工事のついでに持って来てもらったんだ」
 当然、此処ではテレビが見られない。リグルはきっと、プレーヤーを使って何かみようというのだろう。
「ええなに、なんか、みるの」
「うん。この日の為に色んなところ回ってさ、集めてたんだよ。無縁塚で拾ったものとか、拾った奴から買ったのとか、怪しい露店に並んでたやつとかさ。結構な量あるから、しばらく退屈しないと思うよ。ああ! 楽しみだなあ!」
 リグルが思いのほか本当に楽しみそうに話すので、じゃあ何故今まで一人で観なかったのだろう、とか、修理を頼むだけ頼んで取りに行かなかったのだろう、とか。その辺りの疑問が浮かんだ。しかし答えはすぐに出た。すばり面倒だったのだろう。私は勝手にそう決めつけて、気怠さに苛まれながら上体を起こした。
「じゃあ、酒とツマミを買ってこないとだ」
「当然! あ、一緒に行く? 準備に時間かかったりするかな。僕はもう待ちきれないよ!」
 イヤに上機嫌なリグルに感化されて、私はよっしゃと目紛しく外出の準備を急いだ。


   三


 ……。

「はえー面白い」
「なあ、オレンジは結局死んだのか」
「うーん、どうだろう。どっちでもいいけどな」
「言えてる」
「僕はホワイトが好きだな。こいつが居たから映画がオチた」
「オチたかな」
「ルーミア、お前は?」
「うーん。ブラウンかな」
「誰だっけ、そいつ」
「一番最初に死んだやつ」
「あー……? ところで、どうだった? この映画」
「なんだろうな、よく分かんなかったよ。面白いって言ったら、馬鹿にされそうな感じの映画」
「そっか。いやー僕はさ、この映画。夢みたいな映画だと思ったよ」
「あー、夢。夢ねえ」
「なんか下らない話しててさ、場面が飛んで、ショッキングな状況。時系列が前後してぐちゃぐちゃ。でも、最後に死ぬのは決まってる。夢ってそういうもんだろ? いつも、死ぬ瞬間には目が覚める。少なくとも僕はそうだった」
「なるほどねえ、んー。じゃあ、誰の夢さ。死ぬ瞬間に目が覚めるってんなら、オレンジの夢?」
「あー……。……ブラウン、かな」
「そりゃ、監督だからな。オチ考えてから喋んなさいな」
「いや、オチただろう」
「そうかな」
 ……。
 あれから暫くが経ち、映画も見慣れて来た頃だ。私とリグルはいつも通りで床に敷かれた布団に座し、同じく床にくっついたテレビモニターに張り付いていた。家には椅子がなかったので、私とリグルは大抵、動かない二段ベッドの下段の柵にもたれて、それを観た。リグルはごく稀に〝ご贔屓さん〟の所へ出向く程度で、他に外出といえば酒とツマミを買いに行くぐらいだった。私の場合はそれだけだ。
 そして、かつてリグルに対して感じていた軽蔑、或いは侮蔑、それかその両方は、もう完全になりを潜めていた。それは、気付けば私もリグルを笑えなくなっていただけのことかもしれない。マッチポンプで享楽を送るリグルと、その金で悠々と暮らす私。どちらにせよ、ろくでもないということは確かだった。
 というかぶっちゃけ、私の方が下じゃないかな。あー、やだやだ。
「ところでさ、あんた。なんで無縁塚なんてとこに行ったのさ」
「あー、探し物かな」
 リグルは映画のディスクをケースにしまいながら答えた。ディスクをケースにはめるとカチ、と音が鳴るし、ケースをたたんで閉じるときにも同じ音がする。
「探し物ってなにさ」
「いやあ、失くしものがあってさ。それを探しに行ったんだよ」
 また、カチ、と音が鳴る。リグルと暮らし始めてから意外だったことが二、三あり、この音はそのうちの一つだった。リグルは深く息を吸い込んで、吐き出した。灰色をした煙が部屋の薄暗さに溶けて行く。意外なことに、リグルは煙草を吸っていた。別に、リグルの楽しいことに貪欲な、一種の軽薄さを感じさせる性格から考えれば、それほど不自然ではないような気もしないではない。しかしリグルは虫の妖怪なのだ。勝手なイメージには他ならないけど、虫の妖怪は煙が苦手なものだとばかり思い込んでいたのだ。けれど、リグルが初めて懐から煙草を取り出した際に気になって尋ねてみたところ、苦手だよ、なんて言っていた。謎は深まるばかりである。
「それで? 見つかったの、その失せ物は」
「うーん。あそこってさ、要は忘れられたものが落ちてるわけじゃん。一瞬、見つけられたと思ったんだけどねぇ、手を伸ばそうとした途端、消えちゃった。それから、なに探してたかすら思い出せないけど、代わりにコレが手に入ったから。いいんだ、別に」
 リグルは言いながらプレーヤーの電源を落とした。私は私で、リグルの左手の煙草から伸びる煙が消えていくのを眺めつつ、ふうん、と口を動かした。
「じゃあまた、少し行ってくるよ」
「あいよ。酒はいつものでいいんでしょ? つまみ、なんか食べたいのある?」
 聞くとリグルは、特にないよ、と言って、そのままふらふらと部屋から出て行った。
「特にない、とか言うわりに、文句言うんだよなぁ」
 下段のベッドにてきとーに撒かれた金をてきとーに握って、私も家を出た。
 外は肌寒かった。木々はすでに葉を落とし、秋は終わりを迎えようとしていた。外気は冷たく、冬服を売ったことを後悔させる。自分の体を抱くように、二の腕辺りを互いの腕で掴んで、うとおの間辺りの発音で唸ったところで、白いシャツの袖口は私に心許なさを運ぶのみだった。
 ぽつり、ぽつりと、人とすれ違う。その中から、一等暖かそうな服を着たのを見つけて、私は心中でそいつの身ぐるみを剥ぎ、着た。やはり寒さは拭えずに、私は雲の薄い、秋空の下をとぼとぼ歩いた。
 目的の品を買い揃えて、私はまたまた道を歩く。婆ちゃんの営む酒屋は未だ開くことはなかった。私は仕方なくあの男が店番をする酒屋に行ったが、男はやはり左上辺りを見ながらぼんやりとしてあたし、私は右上の方を見ていた。その後、適当な店でてきとーなつまみを買った。両腕に袋を提げているせいで、さっきみたいに体を抱くことができないので、とても、寒い。
 見上げれば、空は相変わらず白かった。雲を引き延ばして、引き延ばして、引き延ばし続けたものをいくつかばら撒けば、きっとこういう白になるのではないか。そんなことを考えると、私は猛烈に酒が飲みたくなったし、映画が観たくなった。
 今にも雪が降りそうだから、冬の映画がいいな、なにか、ちょうど良さそうなタイトルはないものか。リグルが帰ってきたら聞いてみよう。と、そんなことを考えていると、不意に、見覚えのある格好をした人物が向こうから歩いてきている。向こうも私に気がついたようで、少し駆け足で向かってくる。どこか嬉しそうな面持ちでこちらへ向かってくるミスティアを見て、私はなぜか、強盗団に潜入した囮捜査官のような気分になった。
「ルーミア! 久しぶり、元気だった?」
「うん。元気元気。ただちょっと寒いけど」
「あ、ほんと! こんな寒いのに、上着一枚じゃ風邪引いちゃうよ」
 ミスティアが自身の羽織る上着を脱ごうとするので、私は慌てて制止した。
「だって、寒いでしょ? だいじょうぶなの?」
「うん。だいじょうぶだいじょうぶ。すぐ帰るからさ」
 言うと、ミスティアは、そっか、と少し寂しそうな顔をした。私はハッとして、何かちょうどいい話題を探した。
「あ、いやえっと、そうだ。ミスティア、最近何やってるのさ。まだ、歌うたってるの? そうだ、ずっと前に会った時さ、バンド組んだって言ってたよね。なんだっけあの、山彦の子とさ」
「……うん、まだやってるよ。バンドね、最近調子良いんだ。八橋さんって人がいてね、いろいろ教えてくれたりして、絶好調って感じ。……チケット、あるんだけど、よかったら……」
 ミスティアは相変わらず、おずおず、として言う。そうか、まだ、やってるんだ、歌。なんだか少し安心する。なんてことを考えながら、私は一方でチケットを受け取らないための言い訳を考えていた。
「いや、そのう。私、最近忙しくてさ。チケット貰っても行けるかどうかわかんないし、行けなかったら悪いからさ。その分、他の人にあげてよ」
「……そっか」
 ……。
「いや、でもさー。すごいよねミスティアは。子供の時から好きだったものまだ続けててさ、なんか、こっちまで勇気湧いてくるよ。あはは、ちょっと言い過ぎかな。でも、ほんと、なんか嬉しいんだ。ミスティアが歌続けてるの。とにかくさ、頑張ってよ、応援してるんだから。ね!」
 ミスティアが「うん、ありがとう」と返した後、もう一度、頑張ってね、なんて言葉を吐いて、私は歩き始めた。しばらくして振り返るってみると、ちょうど、ミスティアも振り返って、目があった。私は軽く手を振って、前を向いて、歩いた。
「応援してるんだから、か」
 家までの道筋の中、囮捜査官に自分を重ねてみたり、右上を眺めたり、積雪を願ったり、した。

 ……。

「なあ、オペラ座の怪人って、そもそもはどんな話なんだ」
「音楽の才能がある醜い男が女に片思いして一生めちゃくちゃやる話。最後はおとなしくなる」
「はえー、じゃ、この映画と大体一緒か」
「大体一緒。どうでもいい」
「そうだな、どうでもいい。まあ、面白くなさすぎて、楽しめたけど」
「言えてる」
「そうだ。昔こんな感じのダサい名前のヒーローアニメ、雑誌で見なかったか? たしか、科学忍者……? なんだっけ、引っ掻くみたいな名前の、ほら。あー、なんだっけなー」
「それこそほんとにどうでもいいわ」
「思い出すの手伝えよー」
「知らん」

 ……。
 …………。
「たまにはミュージカルもいいね」
「うーん。美しいって、こんな感じだよね」
「でもさルーミア、ミュージカルって大抵綺麗に終わってさ、ハッピーエンド、ちゃんちゃん。って感じだけど、実際はそうじゃないよな」
「あー、どゆこと」
「いやあ、なんというか。緞帳が落ちても、そいつの人生は続いてさ。きっと、あとを濁すようにジタバタしてさ、ふっと、死んでいくんだよ。どれだけハッピーエンドでも、きっと、みんなそうなんだよ。それは多分綺麗なもんじゃないし、面白くもないから、んーと、まあ、描かれないんじゃないかなーと、僕は思ったよ」
「なるほどねえ」
「僕、なんか深いこと言ったんじゃなーい?」
「でもさ、この映画。ジャンバルジャンは最後、死んでるじゃん」
「え?」
「ジャンバルジャン、死んでるじゃん」
「……ルーミアお前、情緒がないなあ」
「あんたに言われたくないわ」
 …………。

 リグルも酔うと口数が減る。逆に、酔って口数が増えたときのリグルは最悪だった。口調そのものは上機嫌なのだが、話す内容は大抵不機嫌なものが多かった。「河童の殺虫剤がヤバい」だとか、「河童共が憎い」だとか。一番酷かったのは、やはりリグルが一番酔っ払ったときのことだった。映画を観終わって呑んでいたら、リグルが唐突に妙な話を切り出して、そこから訳が分からなくなった。
 思い出せる限りでは、
『なあルーミア。おまえ、ベニクラゲって知ってるか』
『ああ、なんとなくね。あの死なないってやつでしょ』
『あいつら死なないでさ、増えるんだぜ。どう思うよ、ルーミア』
『いや、別にどうとも』
『どうともって! このままだといずれ、海はベニクラゲだらけになって、ベニクラゲのものになってしまうよ。僕はどうしたらいいのか、ああ!』
『ここには関係ないでしょ。あんた少し飲み過ぎじゃない』
『だいじょぶ、だいじょぶ。ときに、ルーミア。セックスってさ、どう思うよ』
『お酒、残りは私が飲むわ』
『セックス、アレはさ。感染症のリスクがあって、子供が出来たら金が掛かるだろう? ああ、それで。ルーミア、里で一番多い苗字って、知ってるか?』
『呉』
『え、マジ? どーしよー、呉だらけになるよう』
『話の続きは?』
『ああ、そうだ。だからさ、要はさ、子持ちの人間にタバコを注意されたくないってはなし! 歩きタバコはさ、そりゃダメだけど。タバコ吸ってるならやめたほうがいいよ、お金は減るし、悪影響だし、って、なんなんだよ。余計なお世話だよ! 僕は煙が苦手だし、お金なんてどうだっていいんだ!』
『つまみも残り、食べていいでしょ』
『ああ、そうそれで。世にはさ、あーてぃすと、なんて呼ばれる連中がいるけどさ。あれはダメだよ。映画でみたんだ、本でも読んだ。雑誌でもみたし』
『なにがどうダメだっての』
『不幸の、不幸の中毒なんだ。悲しいこと辛いこと悔しいこと虚しいこと、それを良しとしてるんだ。僕は嫌いだね、報われない努力なんて』
『ミスティアは?』
『みすちー……あいつは、あいつは、好きだよ。もう、僕はどーしたらいいのか、ああ』
『寝たらいいわ』
『……うん、そーする』
 こんな感じだった。
 ときに、言葉を吐き出すのは大抵その言葉を飲み込めなかったときだ。愚痴なんかを想像するとわかりやすい。吐き出す相手によってはそれを食べやすく刻んでくれる相手もいるが、えいやと飲み込んだそれが薬であるとは限らないし、毒であるかもわからない。あるいは毒でも薬でもない、毒にも薬にもならないものかもしれない。ただ言えるのは、毒も薬も、大概苦いということのみだ。だいいち、今更感情の話なんてしたくもない。
 私たちの日々は概ねこんな具合に流れていたが、しかし家でじっとしているばかりではなかった。私は家でじっとしていたかったのだが、リグルがそれを妨げた。だから私は、現にこうして雪降りしきる空の下、雪玉なぞを丸めているわけなのだ。互いにどこかに隠れて、先に相手を見つけて雪玉をぶつければ勝ちという、どう考えても待ちが有利なこのルールはリグルの考案だった。リグル曰く、冬っぽいことできればなんでもいい、とのことだった。勝負はどちらかが5勝するまで続く。互いに冬服を所持していない私たちにとって、もはや勝敗はどうでもよく、さっさと勝負を終わらせることが肝要だった。はずなのに。現在私は4勝4敗と、くだらない経過に至っている。特に何かを賭けているわけでもないが、意地の張り合いが続いたというわけだ。


「あいたっ」

 
 後頭部に衝撃が走り、今まさに決着。私の負けだ。もうなんでもいいから、早く帰りたい。


  四


 ……。
「はえー面白い」
「ゾンビものかと思ってたけど」
「な。全然違ったな」
「けどワンとツー、殆ど同じ内容だったね」
「どっちが好き? 僕はツーかなー! 右手との死闘が笑える。血飛沫ももはやアホだね」
「わたしはスリー」
「あれはスリーなのかな」
「さあ」
 ……。

 最近なんだか暖かい。そんなこんなで春は終わり、気付いたらもう夏だった。蒸し暑い部屋の中、肌にシャツを張り付かせながらリグルのタバコを拝借していると、二段ベッドが悲鳴をあげた。リグルが起きたのだろう。リグルはいつも、私の後に起きてくる。バレて困るということもないので、私はゆっくりと煙を吸って、ゆっくり吐いた。
「おはよ、ルーミア」
「おはよーさん」
 今日何観る? 覚束ない身振りでラダーを下るリグルに尋ねる。リグル動くから、部屋に差し込む僅かな光芒の中、埃が舞っている。
「え、っとね。今日は、どーしよっか。よっ、と」
 リグルは最近、仕事に行かない。正確に言えば去年の冬、ちょうど二人で雪合戦なぞに興じた辺りから、リグルは仕事に行かなかった。理由を聞けばその都度、冬だからとか、春だからとか、夏だから、とか。毎度、要領の得ない答えが返ってくるのみだった。
「うぅ、う、ん、うーん、と」
 リグルがラダーを使って、猫のように体を伸ばす。背骨等の軋むくぐもった音が、私の聴覚にさえ聞こえてくる。リグルがこの柔軟体操をやる日は、大抵外出を提案する日だ。雪合戦のときもリグルは起き抜けにこれをやった。だから私がこれまでのことを回想できる時間は残り僅かだろう。あと十秒もしないうちに、リグルはその口を朗らかに開くに違いない。
 去年の冬、私たちは一日だけ酒を飲まなかった日があった。腰の悪い婆ちゃんの店も例の男の店も閉まっていたのがその日だ。その日私はいつものように右上らへんを見やりながら腰の悪い婆ちゃんの店へ向かった。するとやはり、婆ちゃんの酒屋は閉まっていた。婆ちゃんの酒屋が閉まっているのは、その時には既に当たり前のようになっていた。だから私はいつも通りに、仕方なくあの男が店番をする酒屋に行ったのだが、閉まっていた。酒を買わずに帰ってはリグルに顔向けができない。そう考えた私は、しばらく待った。数刻、待ったと記憶している。そして、空に朱が差した頃、男が喪服を着て帰って来たので、その日の酒はそこで諦めた。後日、男は聞きもしないのに教えてくれた。腰の悪い婆ちゃんは腰の悪いまま、逝ったそうだ。
 それからもう半年も経つが、やはり婆ちゃんの酒屋が開かれることはなかった。親族間でどんなやり取りが為されたかは分からないが、きっともう、二度と開くことはないのだろう。外でけたたましく鳴く蝉が、聞きもしないのにそれを私に再確認させてくれたわけだ。なんともまあ、殊勝なこって。
「よし、ルーミア。早速買い出しに行こう。昨日の話、覚えてる?」
 二度、首を鳴らしてタバコに火をつけたリグルが口を開いた。
「昨日の話? なんだっけ。ああ、どの作品のゾンビが一番強いかってはなしだ」
 多分、違う。幻想郷にショッピングモールはないし。
「違うよ。夏らしいことしようって言ってただろう? バーベキューだよ、バーベキュー。水辺でさ」
「……ああ、言ってたかも」
 本当は覚えていた。霧の湖、その湖畔でバーベキューをしようというリグルの提案は、忘れられるはずもなかった。私はもう何年も霧の湖に行っていない。というよりも、避けていた、という方が正鵠に近い。何故なら〝特別な機会〟がなかったからだ。しかしだからと言って、今回の〝バーベキュー〟なぞが特別な機会足りえないことは、リグルも承知しているだろう。
 だから、
「いやあ楽しみだね! ちょっと良い肉買っちゃおうか」
「いやいやこういうのはさ、やっすいのがいいのよ、やっすいのが」
 私たちは、イヤに元気だった。

「おいルーミア、野菜も買わないと」
「正気? 肉だけでいいでしょ」
「お前の気持ちは正直分からんでもない。けどルーミア、お前が肉のみを所望する理由を考えてみろよ」
「野菜が邪魔だから……あー」
「そう、野菜が邪魔だから、肉が欲しいんじゃないか。な、野菜は必要だよ。野菜も買う、いいね?」
「うーん。まあ、あんたの金だし、好きにしたらいいわ」
 食材を買い込んで、湖畔に来た。リグルが自分の住処からそれっぽいグリル(私は悪くない)を持ってきたところで、バーベキューが始まった。
「おお、いいね。さっそくジュージューいってるよ、なあ。湖面が風に揺れてキラキラして、うーんなんとも夏っぽい!」
「全くだなあ! 吹く風一つとっても夏だね、いやはや!」
 私にとって懐かしい湖畔の景観は、恐らくリグルにとっても懐かしいものに違いないのだろう。互いに酒を持参しなかったのがその証明に思えた。網の上では食材たちが競うように身を焦がしていく。なんとも、もどかしい気分である。
「ああ、もどかしいなあ! ときにルーミアよ、お前、一口目はどうするよ」
「一口目! 大事だね、一口目は。でも、やっぱ肉だよ。肉しかない」
 お、もう食べられるぞ、とリグルが肉を箸で摘む。ここで、リグルと私は調味料を買い忘れたことに気がついたが、そんなことは私たちにとってさしたる問題ではなかった。私もやけになって、焼けた肉を口に運ぶ。
「うん、安い肉の味がするよ。調味料がなくても全然いけるな。なんてったって夏だもの」
「ほんとほんと。湖畔で夏の風を感じながら肉を食べる。なんて夏らしいんだ!」
 私は尚更、一刻も早くこの馬鹿げた催しをやめたかった。それは、リグルもきっと同じだろう。
「ははは、楽しいなあ、ルーミア」
「ほんと。愉快で仕方ないわ、あはは」
 その後も、二人して「ははは」と笑いながら箸を動かした。野菜も食べたし、肉も食べた。ただ、そのうちに口数は減っていった。無論、互いに食べることに専念したとか、そういうわけじゃない。妙な沈黙の中、私たちはきっと、互いに、同じ言葉を吐き出せないままでいた。
「おいおいルーミア、肉が焦げちゃうぜ。早く食べないと」
「わかってるよ。そっちこそ、野菜ばっか食べてさ」
「いやあ最初に肉ばっか食べちゃったから、ちょっと胃がやられちゃってさあ、ははは。ははは……はぁ」
 リグルのため息によって、一瞬にして、空間が静まり返る。空気は重たく、息を吸えば肺らへんがどこかひんやりとするのを感じた。安っぽい畜肉の水分がしみ出して、網の上で蒸発する音だけが、私とリグルの間を滑っていく。
「……なあ、ルーミア」
 先に口を開いたのはリグルだった。リグルの声は、普段の軽い声色とはうってかわって真剣な色を帯びていたから、私は気が滅入った。リグルが何を吐き出そうとも、私にはそれを飲み込めるよう刻んでやることはできないし、何より聞きたくもなかった。
「帰ろっか」
 私の口から溢れた声は、思うよりずっと軽い声色をしていて、自分自身、驚いた。リグルはおずおずといった具合に、うん、と頷いたけれど、下を向き眉を潜めて、視線を泳がせている。どうやらまだ、何か言いたいことがあるようだ。
「……違うんだ、僕……。僕さ、あの頃のこと」
「いいから、帰ろうって。いいからさ」
 やはり私は、リグルの言葉に懺悔めいた予感を感じた。私はやはり、それに付き合うことはできない。リグルのことは嫌いじゃない。友人だし、一緒にいると楽しい。ただ、一緒にいて楽しくなければ、当然、一緒にいたいとは思わない。そんな、当たり前のような、血の通わないような、どちらともつかぬコトの是非を自問しているうちに、リグルは、うん、と、頷いた。

 家に帰って、私たちは酒を飲んだ。それは、いつもより緩やかなペースで進んだけれど、いつもよりずっと、長い間、飲んでいたように思う。夕暮れ、外にポツポツと雨が降ってきた。雨は時間が経つにつれ勢いを増し、一向に止む気配は見えなかった。
 そうして、気がつけば眠りに落ちていた私は、大きな雷の音で目が覚めた。時刻はわからないが、リグルと共に瓶を空にしたのが夜だったから、恐らく朝だろう。私は布団を頭から被って眠っていたらしく、瞼を開けど視界は真っ暗だった。外から地面を鞭打つような激しい雨音が聞こえてくる。布団からはみ出た足を布団の中へおさめようともぞもぞさせると、爪先が何か人体を蹴った。リグルはどうやら胡座をかいているらしく、私の爪先が蹴ったのは太腿のあたりだ。しかし、蹴られた本人は声を上げることもなく、特にこれといった反応を示さなかった。
 いや、違う。声は上げていた。起きた時から、雨音に混じって、リグルの声が聞こえていた。それは小さな声だったけど、この狭い部屋の中、聞き取るには十分な声量だった。
「『じゃあ久し振りに、チルノちゃんのところでも、いかない』」
「だからさ、今更鬼ごっこやかくれんぼなんかしたって、楽しいわけないって、言ってるだろ」
 布団の中から隙間を作りリグルを見やると、リグルは灰皿辺りの遠くを見つめながら、空いた酒瓶に手を添えて、その口を小さく動かしていた。
「ああお婆ちゃん、待って、待ってください。お婆ちゃん、もしかすると部屋に害虫などは出ていませんか? ええそうでしょう、そうでしょう。先程御宅の玄関先を通りかかった際にですね、妙に気に掛かったんですよ。なんだかやけに目に付いた。きっと、虫の知らせというやつでしょう。ときにお婆ちゃん、ワタクシ害虫駆除を生業にしてますこういうものです」
「人間も、意外にチョロいなぁ」
「『あたいの家より、よっぽど上等だ』」
「ええ? お婆ちゃん、また虫が出たんですか? おかしいなそんなはず、ああいやいや、やらせてもらいますよ」
「『トランプで決めようよ』」
「え、お婆ちゃん、また虫が出たの。わかったわかった、じゃあ、お昼頃、お茶を買っていくからさ、待っててね」
「『婆ちゃん、腰悪いまま逝っちまったとよ』」
「次から集合場所は……。『雪合戦であたいに勝とうなんて』……。ああ、暇だな、何か楽しいことはないものか……」……。…………。
 妖怪の体と心は人間のそれほど密接でなかったり、ときに密接であったりする。あの頃、人間の体と心の仕組みについて必死で学習したけれど、分かったのは妖怪の心身の成長、その不可解さのみだった。だから、私は一つ、意味もなく。わざとらしく自然な寝返りをうって、そのまま眠った。起きて酒を買いに行った際にようやく、私は昨夜の雨が酷い嵐だったことを知った。


  五


 ……。
「なあ、この映画の主人公みたいにすぐ記憶がなくなるとしたら、ルーミア、お前はどんな刺青いれるよ?」
「桜吹雪」
「ナンセンスなこと言っとらんと」
「あんたの名前」
「おー、じゃあ僕もそうしようかな」
「お揃いね」
「うん。『リグル・ナイトバグ』。僕は明朝体にしようかな、やっぱ明朝体だよ。お前は?」
「ゴシック体」
「かわいー」
「カリグラフィーで」
「かっくいー」
 ……。
 …………。
「クリスは死んじゃったのか」
「かなしいなあ」
「ね。いやでも、テディはもっとイイとこに勤めるんじゃないかと思ってたけどなあ」
「なんでさ」
「なんとなく。いやあ、面白かったね、この映画は」
「まあね。……ああ。あの子は今頃、なにやってんのかな」
「あの子? ああ〝あの子〟か。僕、こないだ、あの子に会ったよ」
「ふうん。どうだった?」
「忘れてたよ、僕たちのこと」
「ふうん」
 ……。
 …………。
 そんな日常にも次第に飽き、私はまた日柄里をふらつく日々に戻っていた。プレーヤーやらモニターやら、吸い殻の詰まった灰皿やらは、まだ私の家に在ったが、リグルは段々と、私の家には帰らなくなっていた。
 里をふらついていたら、ミスティアに会った。ミスティアは歌をやめるらしく、私に最後のライブのチケットを手渡した。ミスティアの最後のライブとあっては受け取らずにいられなかったチケットは今も二段ベッドの下段に置いてある。どうやらライブは明日らしい。私はどうも、行かなければならないような、いよいよもって終わりの日が訪れてしまったような、何かそんな、後悔に似た焦燥を胸中に感じていた。
 とはいえ。
「とはいえ」
「何かしようとも思えないけど」
「リグルは帰ってこないし、映画ももう面白くないし。酒を飲むほど体調も優れない。これが、暇というやつなのだよ。全くもって、諸行は無情である。なんて、私は何を言ってるのやら」

「『やればやるほどつまんないよ』ねぇ。あいつもあいつで、悩んでいたってわけだ。あー、どーも、ダメだな。素面のはずなんだけど。……素面だからかな」

「『私達も帰ろっか』か。なんだか、昔のことばっかり思い出すなぁ。あんなこと言わず、二人でチルノのところでもいきゃよかったかな。いや、どーだろ」

「チルノ、チルノねぇ。あー、ダメだ、ダメだな。ミスティア、結局歌やめるのか。なんだかなぁ。……ああ、人間の増える理由は分かったよ。『では何故、妖怪は成長するのか。』教えてほしいよ、慧音せんせー」

「公共、交響、孝経、虹橋。……いやあ、どうもさっぱりだな。あの人さては、思いつきでテキトー言っただけなんじゃないか。なんか、ありえそーで、ははは。笑える」

「ああそういや、大妖精なんてのが居たなぁ。たまにしか、遊ばなかったけど。いやでも、いい子だったな……たしか。あの子らは、いや、みんな……ああ、もう。ダメだな、こりゃ」

 ……。

 私は、かつてリグルが指定した〝次からの集合場所〟に来ていた。全くもって馬鹿らしいが、ここに来ればまだ終わらない気がしたのだ。何が終わらないのかはわからないが、とにかくそんな気がした。晴れでもなければ雨でもない里の白昼を抜けるのには苦労した。思いもよらず半分ほど残っていた瓶の中身を空にしてしまったほどだ。
 木々に囲まれた森の中。私の視界は殆ど枝葉に覆われていて、僅かな木漏れ日に照らされた白い靄は湿気を孕んでいる。汗と湿気で額に張り付いた前髪を少し整えて、私はまた、歩き始める、
「ここ、昔はもう少し明るかったと思うけど。ああ、木もでかくなったのか、そりゃそうだよな。背も伸びてて、気付かなかった」
 口から出る言葉よりずっと、内心は落ち着かなかった。こんな所を歩いていると、今にもチルノがそこら辺から飛び出して来そうで、ドキドキしていた。
 ああ、今そんな事が起きたら、私はきっと声を上げて驚いてしまうかもしらん、およそ起こり得ない空想をへらへらと揺蕩わせていると、目の前を背の低い妖精が左から右へと横切った。私が思わず、あ、と声を上げると、妖精もこちらに気付いたようで、妖精は私の視界の右らへんで足を止めた。妖精は私をじっと、見つめている。
「あ、あのさ。今、なにやってんの?」
 先に口を開いたのは私の方だった。酒のせいで、少し呂律が怪しかったかもわからない。とにかく私はへらへらと、訝しげに私を見つめる妖精に、そんな言葉を投げかけた。
「かくれんぼ」
 妖精はそう言って、森の深い方へ走り去った。
「……あー、やっぱり……」
 一人残された私は、そうなのか、なんて言葉を舌の上で燻らせた。枝葉に覆われた森の空気は、嘘のように澄んでいて、あの妖精の髪の色は、私が引き延ばして来たあの夏と、同じ色をしていた。
 
 家に帰ればリグルがいた。てっきりもう帰ってこないものかと思っていたけど、そんなこともないらしい。まあ、さして驚くことでもない。
「おかえり、随分疲れてるみたいじゃん。……チルノにでも会った?」
 リグルは窓のそばの壁にもたれて、タバコを吸っていた。窓枠に置かれた灰皿にぐちゃぐちゃに丸められたタバコのパッケージが見えるから、どうやら最後の一本らしい。
「私さ、知ってたんだ。本なら何でも読んだから、妖精の一回休みがどんなもんか、知ってたんだよ」
 ……。
 タバコの火を消して、リグルは窓を閉めながら口を開いた。
「あいつ、やんちゃだったからな」
 そう言って、リグルがはははと笑うから、私もつい笑ってしまう。
「覚えてるはず、ないね」
「全くだよ」
 乾いた笑いを互いに交わしたのち、リグルは一息置いて話し始めた。
「僕もさ、薄々、知ってはいたんだ。ほら、大妖精っていただろ? よく遊んだじゃん、たまに」
「あー、覚えてる。よく遊んだ。たまに」
「でもあいつさ、住んでるところ絶対教えてくれなかっただろ?」
「気にしてたの、あんただけだったけどね」
「いやあ、それでさ。気になって、つけてみたことがあったんだよ、あとを」
「あんたらしいわ」
「それで、あいつの住処までつけたんだ。もうどこだったかは忘れちゃったんだけど、場所なんてどうでもよくてさ。部屋の中が凄かったんだよ」
「入ったの」
「うん、後日出かけたのを見計らって。いや、何が凄かったってさ、日記だらけだったんだよ。紙もあったし、紙じゃないのもあった。とにかくすごい量だったよ。それで、悪いかなとは思ったけど、何冊か開いてみたんだ。そしたらさ、書かれてる内容が、大妖精の日記のはずなのに、まるでチルノの日記みたいなんだよ」
「なるほどね。やんちゃだもんなあ、チルノは」
「そう。だからさ、それからさ、その……何となく、つまんなかったんだよ。ずっと……いやあ、僕ね……悪いと思ってるんだ。お前にも、ミスティアにも。……みんながこんなに集まらなくなったのは、あの頃の僕のせいだよ。ごめん、ごめんな」
「そんな、話のついでに謝られてもなあ」
「いやあ……ははは」
「冗談だって、気にしないよ。なにより、もう終わったことだしね」
「……うん、そうだね。……明日、ミスティアのライブ、どうする? ルーミアもチケット貰ったんだろ?」
「あんたも貰ったわけ。うーん、そっか。じゃ、行こうか。明日。最後だしね」
「うん、最後だ」
 話終わると、リグルは部屋にあった自分の荷物を纏めて帰っていった。とはいっても、プレーヤーも金も、もういらないから、とすべて置いていったから、リグルが持ち帰ったものと言えば自身の僅かな衣服ぐらいなものだった。二段ベッドの下段にばら撒かれた金は以前より随分疎らになっていた。私にとってももはや必要とは思えなくなったそれらを処分する気も起きず、私はただただ、引き延ばしすぎてぷっつり途切れてしまった水色の先の、空白をイメージし続けた。横たわる視界の不可解な明瞭さが曖昧になった頃、私は意識を手放した。
 そして、電気のついた明るい部屋の中で暮らす、妙に生活感のある夢を見たけれど、ただそれだけの夢ですら、今の私には寂しく思えたのを、覚えている。

 月の出ない夜だった。妖怪の山、その山中の、とりわけ平らで開けた場所にライブステージはあった。ステージは四つの照明で照らされていたけれど、そのうち一つは非等間隔で点滅を繰り返していたし、一つは完全に切れていた。ステージの上には既に機材が置かれていた。ドラムセット、ギターアンプ、ベースアンプ、PAスピーカー等々。出所不明のそれらは私に酷くそれっぽさを感じさせたが、ステージ全体で見ると、やはりどこかチープだった。しかしそんなステージを取り囲むように、そこそこの人集りがザワザワと蠢いている。客席から遠い後方にはどこから聞きつけたか河童たちが屋台を出しており、屋台の前にはテーブルやら椅子やらが設置されていて、ライブ会場はもはやちょっとしたビアガーデンの様相を呈していた。
 椅子等に座り酒やらフランクフルトなどを食らってる奴らもライブを観に来たことには違いないのだろう。しかし、ステージ前で何かつんのめってる奴らこそが、とりわけファンと呼ぶに相応しい連中なのではないかと、私は思った。
「ビールでいいよね、フランクフルトなんかも買ってきたよ」
 リグルは河童達の屋台から持ってきたそれらをテーブルの上に置いた。私たちはステージ前から後方の、ビアガーデンめいた席からミスティアのライブを見届けることにしたのだ。
「いや、一曲ぐらいは素面で聴かないと。なんか悪いでしょ」
 たしかに、と言って、リグルはフランクフルトに噛り付いた。ステージ前の連中はそれなりに落ち着きを持って騒めいている様子だけれど、ここら辺に座って酒を飲んでる奴らは既に落ち着きを逸し喚いている。無関係かつプライベートな話で盛り上がっている奴らが大凡のウェイトを占めるこの近辺だが、それでも所々から〝鳥獣伎楽〟という単語が聞こえてくる。
「結構、人気だったみたいだね」
「ほんと。あ、リグルあんた、一曲ぐらい素面でって言ったじゃん」
「いやあ、フランクフルト、食べちゃったらもう無理だよ」
「も、いいや。私も飲んじゃえ。……たまらん! もう一杯買ってきてよ」
「えー、今度はそっちが買ってくる番だろー。僕はさっき行ったし」
「行ってきて行ってきて、おーねーがーいー」
 ビール一杯程度では酔わないけれど、私たちは変なテンションだった。リグルがどうかは知らないが、私はなんだか、心が軽くなって、軽くなりすぎて、スースーするのを感じていた。それは、まあ、清々しいといえば清々しい気分には違いない。違いないけれど、やはりどこか違うのだろう。脳内で言葉を探したら、何もない、というのが見つかった。これはなかなか、合致しているような気がした。
 どちらがビールを買ってくるかを、リグルとジャンケンで決めることにした。リグルがパーを出して私がグーを出している最中、私はジャンケンの勝敗よりも席を立つ億劫さよりも、夜風の匂いを感じていた。それは私の体を通り抜けて、心を撫でるように滑り抜けていく感覚だった。あー、今日はなんだか妙に抽象的な感慨ばかりが起こる。そんなことを考えていると、席に着く私たちに声をかける者がいた。
「あ。あんた達。あんた達アレでしょ? ルーミアと、リグル・ナイトバグ。ミスティアのおともだち」
「おねえさん、だあれ」
 リグルが無表情に笑いながら尋ねる。面倒だから私は黙っていようと考えた。
「私はおねえさんじゃなくて妹。九十九妹よ、知らない? 結構有名なんだけど」
「あー、バンド関係の人だ」
「そ、バンド関係の人。昔は琴なぞ爪弾いてたけど、最近はギターを弾いてました八橋と申しまして。まあ、最近ってのもちょっと昔だけどね。ほんとに知らない? ねえさんと私と堀川雷鼓のあのバンド。有名だったでしょー?」
「あ、雷鼓って人は聞いたことあるかも」
「でしょー? でもうちは〝ウィズH〟じゃ無かったのよ。元々三人で出来たバンドだったんだから」
「ふーん。なるほどなあ」
 八橋と名乗るその人は話も半ばにどこかへ行ってしまった、かと思えば、ジョッキを三つ持って戻ってくるなり私の隣の席に着いた。
「一杯ごちそうするわ、あの子今日も調子良さそうではなかったし、飲まなきゃムカムカして観れないわ」
 九十九八橋の口振りを聞いて、私はようやく、以前ミスティアと交わした会話を思い出した。なるほどこの人はミスティアの先輩のような存在にあたる人物なのだ。そうだ、ちょっと、聞いてみようかな。そこまで興味はないけど。
「ねえ九十九さん。ミスティアの先輩なんでしょ? あいつ、なんで歌やめるの」
「九十九さんて。それじゃねえさんと区別つかないじゃない。八橋〝さん〟でいいわ。あの子が歌をやめる理由ね、えっとたしか……」
 瞬間、ステージから音楽が流れた。それなりの音量で鳴らされた音楽に九十九八橋の語る〝ミスティアが歌をやめる理由〟はかき消されてしまった。しかし、九十九は気にせず話し続けている様子だったので、私は何も聞き取れないまま、適当に相槌を打ち続けた。そのうちに、ステージ前から歓声が上がった。どうやら演者が出てきたらしい。ステージを見やると、ギターを抱えたミスティアと、ベースのサングラスのちんまいのと、それと何故か、堀川雷鼓が現れた。あの尖ったサングラスのちんまいのが、ミスティアの言う〝響子ちゃん〟なのか、私は悩んだが、恐らくその人で間違い無いのだろう。多分。
 リグルは一組目にミスティアが現れたのが意外だったようで、大音量のSEの中必死になって、
『トリじゃないんだね!』
 と私に伝えてきた。知らん。
 SEの途切れた頃、九十九が口を開いた。
「ほんとはトリのはずだったんだけど、断ったのよ、あの子」
 リグルがほえーと相槌を打つと、九十九が早口になって喋った。
「お、始まるわ。まあ今日はMCからでもいいけど、うわ響子が喋るのか。あの子から入ると、長くなるのよね」
 九十九が喋り終わると同時に、ステージ前から何か生温かい笑いが起きた。どうやらマイクの電源が切れていたらしく、電源の切れたまま勢いよく第一声を発した〝響子ちゃん〟に対して起こった笑いのようだ。九十九の、
「あーあー、愛想ふりまいちゃって」
 という呟きが、イヤに耳についた。

『あーあー、マイクテス、てすてす、マイクテス。え? 河童さんがもうやったって? じゃあなんで電源切れてんのさ。全く。あー、えー、改めまして、どーも鳥獣伎楽です』

 尖ったサングラスの〝響子ちゃん〟が挨拶の部分を妙に早口で捲し立てるとステージ前から歓声が起きた。テーブル席に着いたここら辺のやつらも、おー、とか、うぇー、とかそんな声を上げる。リグルは〝おー〟だった。

『えー今日は、私たちの、所謂解散ライブ、というやつで、実際は、活動休止なんだけども、まあ、解散ライブでも、さほど変わりはないね』

 語り口は訥々としているが、一区切り一区切りまでが妙に早口で、どうにもわざとらしい息遣いだ。それはきっと、長いバンド活動の中で響子チャンの見つけたスタイル、或いは敬愛する何者かの模倣なのだろう。どちらにしたって、人に歴史あり、という言葉は無遠慮に私の軽薄さを詰る。

『結局、最後までドラムは見つからずじまいだったよ』

 その一声で前列あたりに起こった笑いに対し、八つ当たりに似た軽蔑が浮かぶ。ああ、なんにしたってもう終わりだというのに、この期に及んで、私の捩くれは直らないようだ。はは、それはそれで、人に歴史あり、ってことだろう。

『じゃ、あんまり長くくっちゃべってると、コワイ先輩に怒られるから。……最初だけ、湿っぽいのを一曲、私はこういうときに、そういう、湿っぽい曲をやるのはね、反対したんだけど。まあ、ここも今日限りで取り壊されるし、私たちも解散するしで、まあ、御誂え向きのやつでは――』

 そこまで言うと、堀川雷鼓がドラムを二度叩く。前列の生暖かい笑い声から察するに、二度の叩音には恐らく「話が長い」の含意があるように感じられる。ああ、どうも乗り切れない。これの、なにが面白いというのだろう。

『ははは、怒られちゃった。こわいねぇ、はは。……じゃあ、やろっか、ミスティア。……それじゃああらためまして、鳥獣伎楽。よろしくおねがいします』

 限られた歓声と疎らな拍手と同時に、堀川雷鼓が等間隔のリズムを刻む。九十九を見やると、彼女はなにか感慨深そうに、また、愉しむような表情で、ステージの上を見つめている。視線を戻す際、対面のリグルと目を合わせれば、リグルはイヤに感傷的に、寂しげに、諦めたように、笑ってみせた。その頃には、ミスティアがギターを弾き始めていて、リグルの開いた口が何を言っていたかは判然としないが、それはおそらく「ははは」だった。私も、同じ顔をして、同じように発声したはずだ。
~Good bye my JAM
 ステージの上、演奏された一曲目は赤かった。赤く、錆びて、きっと、赤褐色の鉄の球だった。極小の錆びた鉄球が、落ち着いた、等間隔のリズムの上を飴玉のように転げ回るような、そんな曲。歌詞の内容としては思い出の場所が消えることを皮肉たっぷりに歌い上げたニヒルなもので、抽象的なイメージに落とし所をつけるとすれば、取り壊しまで残りわずかなライブハウスに、ピックの当たる部分以外が錆びついたギターが打ち捨てられている。そんなところだ。
 曲が終わって、響子チャンがなにやらくっちゃべっているが、私の心は賑やかな夜風に凪いでいた。それは、リグルも同じだったようで、黙っていればいいものを、感慨深そうに腕を組む九十九に対し、なにやら問いかけた。
「ねえおねえさん、今の曲はさ、ミスティアが作ったの」
 九十九はステージを見つめたまま笑い声を乾かして、言った。
「あの子たちはコピーバンドよ。オリジナルも無理矢理作らせたことがあるけど、どうも、才能ないんだなあ、あの子らは。……あはは、ほんとに、全然観に来てなかったってわけね」
 私たちは無感動に気まずい笑いで相槌を打って、顔を見合わせた。リグルの目は相変わらずに無感動で、私にしたって、きっと、それは同じだろう。ただ、賑やかで寂しい喧騒の中で、終わりを悟った。

 そのあと、ミスティアたちは打って変わって、賑やかなだけの曲を演った。九十九曰く青春パンクというジャンルで、ミスティアたちが随分世話になった曲目らしい。夜に靡く青春パンクの爽やかさは虚しさも内包しているように思えたが、実際のところはわからない。ミスティアのよく通る歌声が空騒ぎであるか、青春との永別であるかは、前列あたりでしっちゃかめっちゃか汗をかいているやつらと、したり顔で酒を飲む九十九の方が、私たちよりもよっぽど詳しいのだろう。
 そのうち、九十九が消えた。どうやら次の演者は奴のバンドらしい。リグルも、判然としない狂熱の中へ飛び込みに行った。どうせ最後だし楽しんでくるよ、とかなんとか、エクスクラメーションマークを付けて。空っぽの心で身体を動かす才能は、なるほど、リグルの方が上らしい。
 どうも、やってられない。直視に耐えずステージから目をそらすと、会場の端の方、見覚えのある妖精が腕を組み、演奏を見つめていた。妖精の周囲には、おそらく妖精に拐かされて来たであろう悪ガキどもがよくわらなさそうな顔でステージを見つめていた。仁王立ちで腕を組むリーダー面の妖精は私の視線に気付くと、組んだ腕のまま、顎でステージの方を指し示した。まるで、ちゃんと見ておけ、とでも言いたげな顔で。
 しかし、私は妖精を眺め続けた。妖精はもう私なんかに気を留めることもなく、ミスティア達を口を結んで見つめている。その表情は、ミスティアにとって最後の歌と演奏を、見届けてやろう、そんな表情にも思えた。
 なんて、はは、私は本当に、どうしようもない。
 リーダー面した妖精の隣にはこれまた見覚えのある妖精が立っていて、私に気づいたそいつが、困ったような笑みを浮かべて、手を振るものだから、私も同じように手を振り返して、それっきり、妖精たちから目を逸らして、仕方なく、演奏を眺め続けた。やはり、夜の匂いが、鮮明だった。

「ああ、よかったね。ミスティア、こんなにかっこいいことやってたんだ」
「ほんと。もっと、観に来てればよかった」
「それは言いっこなしだろ」
「うるさいな、ステージ前まではしゃぎに行ったやつには言われたくない」
 私たちは空しく笑い合いながら、有象無象の演奏が全て終わるまで、ぬるいビールを飲み続けた。全ての演奏が終わったのは空が漆黒から薄青へと推移した頃で、おそらく、大団円というやつだったのだろう。
「終わったね」
「うん。帰ろっか」
 会場の人々はなにかをやり切った様子各々疎らになっていく。妖精達も、もういない。河童は軽薄にも既にステージの解体を始めて、前列のやつらはその様子をしみじみといった具合に観賞していた。
「結局さ、ミスティアはなんでやめちゃうのかな。あんなに楽しそうに歌ってたのに」
「さあね。いろいろ、あったんでしょ。私たちには分かり得ない、いろいろがさ」
 しかし今、前列のあたりからはフォークギターの落ち着いた音が朗らかに響いて、それに混じって、楽しそうな歌声が聞こえていた。それは間違いなく歌をやめるはずのミスティアの声で、果たしてどういう気持ちで歌っているのか、慮るのは不誠実な気がするからしないけれど、不思議と、悪い気はしなかった。

「僕たちもうたいながら帰ろうか?」
「いいね。むしろもう、バンド組んじゃお」
「ルーミアお前、天才かよ」
「私がボーカルね。あとは全部あんた」

 ……。
 結局、置きっぱなしの色々を、いらない、と言って、私の家に寄ることもなくどこかへ帰っていった。だから、途中で別れた家路の最中、私はやはり、右上の方を見ていたのだけど。しかし、もう、それも終わりにするべきなのかもしれない。
 あの男の酒屋の手前、右上の、夜明け前の混沌から視線を逸らし、左上へと動かした。
 左上を見やると、馬鹿でかいアレの枝葉は当然、なくなっていて。そこには広い、空があった。視線を落とすと、そこには寺子屋の、裏庭が在った。
 槻はもう、なかったけれど、代わりに、ええと、木が生えていた。この木はたしか、ううむ、なんだっけ。たしか昔、勉強した記憶があるけれど、だめだ。思い出せない。帰ったらちょっと、復習してみるか。

 ああ、本屋に、行かなきゃな。

 その後、私は家に帰り、眠り。起きたらたらたら本屋へ出向き、また、家に帰り。
 それからひたすら、復習をした。

 たぶん、二、三年、やっていた。



 エピローグ

 それから私は教師になった。初授業の日、慧音先生の見守る中、私は鼻水を垂らしたクソガキどもに言ってやった。
 ――今日からこの寺子屋で勉強を教えるのは慧音先生だけじゃない。自己紹介までに、名前はルーミア。まあ、私の名前なんて覚えなくたっていい。ただ一つ、お前らに言っておくことがある。いいか、一度しか言わないからよく聞けよ。んっんー。……いいかおまえら、学問とはずばり、我々の世界のコウキョウなんだ。

 ――意味はわからずじまいだったが、目的はクソガキどもに教養を授けることではなく、それは、慧音先生に対するアピールだった。先生、私は今でも覚えています。なんて、そんな気持ちで放ってやった文句だったのだが。小さい頃憧れてた人物が実はポンコツだった、なんて話はよくあることのようで、先生は教卓の横で不可解そうに首を傾げていた。
 おまけに、私の自己紹介が済むなり、クソガキのリーダーとその仲間たちが、「あたいはおまえなんかを教師なんかとみとめない!」と蜂起して何処かへ遊びに行ってしまった。散々だ。
 しかし、そんな連中を見て浮かんだ感慨があったので、授業のあと、私は先生に或ることを言ってみたりした。

 ――先生。チルノも、いわばみんなの教師みたいなものなのかもしれないね。体育かなんかのさ。あはは。

 ――先生は相変わらずに何もわからなさそうに首を傾げて、どういうこと? なんて聞くものだから、私は先生を危うく罵倒してしまいそうになった。しかし根が善良で、かつ、たまにいいことを言うので、私は先生に対する尊敬をかろうじて保てている。

 さて、リグルについてだが、やつは今まさに、私の隣に座って酒を飲んでいる。
「いやあまさかほんとに、教師になるなんて! はは、僕は、僕はなんだかうれしいよ、ルーミア!」
 上機嫌に顔を赤らめ笑うこいつにしたって、あれから変化があった。相変わらずに害虫駆除という火消し労働を続けてはいるが、放火はやめたのだ。その際に名刺に使っていた肩書きを「害虫駆除業者」から変更したとの話だが、どうも、リグルのセンスは読めない。
「おいおい、センスがおかしいのはおまえだよ、ルーミア。今や、僕が里を歩くとみんなが指を指して目を輝かせるんだぜ」
 いわく、ムシキング。アホか。

「はい、おまたせしました、日本酒ね」
「ありがと。ああ、ヤツメウナギもおねがい」
「はーい」

 それから、ミスティアはやっぱり歌をやめた。しかし、屋台の壁には使い込まれたフォークギターが飾られており、ミスティアはよく、頼んでもいないのに、弾いてくれる。ああ、そう。私たちは今ミスティアが始めた屋台で飲んでいる。だから、私はいま、酔っている。
「うう、教え子の作った店で、教え子たちと呑める日がくるなんて。こんなにうれしいことはない。う、うう、教師冥利、教師冥利というやつだなぁ……」
「僕うれしいなあ。泣くほど喜んでもらえるなんて。でも先生、僕の服でいろいろ拭うのはやめてよ」
 今日は私の就任記念というやつで、それは、リグルとミスティアの、二人の計らいだった。先生はどうにも酒に弱く、二杯と飲まないうちに涙腺が壊れてしまったようで、さっきからよくわからないことばかり言う。
「ああ、特に、ルーミア! 私は、私はお前のことが一番うれしいよ。心配だったんだ、卒業間近ってときに、寺子屋に来なくなって、それきりだったから! だから、厳密に言えばお前はまだ卒業していないんだぞ、卒業もせずに教師だなんて。おかしな話もあったもんだなあ」

 泣いていたかと思えばキョトンとして、感嘆混じりに腕を組んだり。うーん、この人にお酒飲ませるべきじゃないな。

「そうだ! ルーミア、なにか、なにか詩を読んでくれ。就任に御誂え向きなのを、そしたら先生、きっと、もっと泣いてしまうから! あ、出来れば三十一字で頼む。先生な、好きなんだ。三十一字が」

 ともかくとして、私の日々はこんな具合に流れている。その日々は、思いのほか、あの青い夏と地続きで。まあ、つまるところ、終わりを決めるも決めないも、結局、自分自身、というか、なんというか……はは、わかんないや。

 先生に頼まれた詩に関しては、そのとき、私は就任を祝われてる、ということもあり、随分前向きなのが思い浮かんでしまった。それは、私の日々は次の世のため、とか、そんな内容で。小っ恥ずかしかったから、頭をひねって、わかりにくくしてやった。

 朝の月
 酔えばのたうつ
 平熱の
 日々は槻を
 濁すよに

 槻の別称とか、そういうのを捻って考えた詩なのだが、どうも、慧音先生のみならず、リグルにも、ミスティアまでにも、きょとん、をいただいた。
 まあ、この孤立感というのが、すなわち教養というやつなのだ。きっと、そうに違いない。
 いや、でも。うーん……そうなのか? とか、言ってみたりしてさ。
 
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
夏休みに読みたい物語
2.名前が無い程度の能力削除
冒頭の話は「学校であった怖い話」のような、正体不明な不気味さを聞かされている気分になりました