注意:前回の続きです。
< Yuyuko's scene >
―――白玉楼。
現世と境界で隔たれた幽世。生ある者が死に別れ、肉体から乖離した魂の行く末は閻魔大王の采配に委ねられる。
幾層に分けられた冥界、その一部を人は地獄と呼び、あるいは天国と呼ぶ。しかしそれぞれが一体冥界のどこに位置するのかは、わたしは知らない。
人知れぬ魂達の間で、この白玉楼は「桃源郷」と呼ばれる。
冥界は広すぎる。わたしは閻魔大王よりこの地を任される身ではあるが、その全ての領域を知っているわけではない。そもそも、この冥界は広さが常に一定ではない。訪れる魂は止め処なく、冥の土は迎え入れる魂魄の色を投影する。悪人が地獄に落とされるのではなく、落とされる悪人が地獄を見出すからだ。
幾星霜に渡る年月を経て、一体どれだけの魂が現世で生まれ、こちらにやってくるのか検討もつかない。それだけの魂魄を許容し、全ての安寧を満たすこの世界は、きっとわたしの思いが及ぶ遥か超常の理の上にできている。その理の地点から見下ろした時、わたしの知り得る知識はどれだけ矮小に映るのか、想像が及ぶ領域を越えているのは間違いない。
紫なら……それがわかるだろうか。答えが見出せるだろうか。
一面に灰色の冥界の空を見上げながら、西行寺幽々子はなんとなしにそう思った。
もっとも、あいつにそんなことをまともに訊く勇気は無い。どうせ、一笑に付すか、いつもの人を食った言葉遊びを返すだけなのだから。
……あの大会から、まだ二日しか経っていない。
庭園の一角にある大きな庭石に腰を据えていた幽々子は、改めてその広々とした邸内を見渡した。
二百由旬に及ぶ広大な白玉楼の敷地、この個人が所有する庭としては余りにも馬鹿げた土地面積を持つ庭園の管理は、たった一人の庭師に一任されている。
初冬を向かえ、暖気が寒気に移り変わって久しい季節。冥界にも雪が降る。庭師は毎年、生垣の剪定に追われる。今年もまた、その時節がやってきた。
今日は雲ひとつ無い晴天で、吹く風も肌をわずかに震わす程度しかない。木々の剪定にはうってつけと言える。
日も昇らぬ早朝から行われた剪定は、これから長い冬を迎える上での締めくくりとなる仕事だった。一本一本の枝先を切りそろえるだけでなく、枝同士を束にして縄で縛らなくてはならない。そうしないといずれ雪が積もり、その積雪の重さで枝が折れてしまう。その一つ一つの枝を束にして、丁寧にくくっていくのだ。この白玉楼の敷地には、大小で千いくつもの庭木が植えられている。その全てに処置を施すとなれば、ゆうに丸一日がかりの作業となる。
もっとも……今回は人手が増えた分、いつもより多少は早く……いや、余計にかかるかもしれないけど。
「幽々子様」
建物の方から、庭師の魂魄妖夢が駆けてきた。すでに半日作業をしていたせいで、全身が葉くずで汚れている。
「お疲れ様、妖夢。進捗のほどは?」
「ようやく五割、といったところでしょうか。本日中には終わりそうにないですね」
妖夢の溜め息が白く染まる。疲れがそのまま吐き出されたみたいで、少し面白かった。
「あらあら、芳しくないわね。明日辺りは天気が崩れそうだし、今日中やらないと駄目よ。これは徹夜作業になるかしらねぇ」
「……誰のせいだと思ってるんですか、もう。わたし一人だったらこんなにかかりませんて」
と、いうことは……やっぱりあいつは使い物にはならなかったらしい。まあ、予想はしていたけれど。
「初めのうちだけよ。そのうちあいつも作業に慣れてくるでしょ。人手が二倍なんだから、効率も二倍になって当然。そうじゃなくて?」
「それがなかなか慣れてくれないから困ってるんですよ。こういう仕事は、まったく経験が無かったみたいで。まあ、なにより、本人にやる気が無いのが一番問題なんですけど」
「神様が聞いて呆れるわね」
ひょっこら肩をすくめる。まあ、それも予想通りだった。
洩矢諏訪子。彼女が真の《七色のレアハンター》だということは、妖夢にも教えていない。事実を知るのは、諏訪子本人らを除けばわたしと紫だけだ。
デュエルで勝利した幽々子は、諏訪子に一つの罰を与えた。一日だけ、妖夢の仕事の手伝いをすること。それが、幽々子が唯一、彼女に課した命令だった。
もともと、幽々子には、諏訪子をどうこうするつもりはなかった。もちろん、諏訪子が《七色のレアハンター》だということを世間に暴露するのは簡単だ。だが真実を公開すれば、ただでさえ多いとはいえない守矢神社の信仰はさらに低迷するだろう。それでは諏訪子が紫を陥れようとした手段となんら変わらない。一日手伝いをさせたところで、彼女が心から反省するとは思えないが、幽々子にしてみれば、少しお灸をすえることができれば十分だった。
「で、あいつは?」
「腰が痛くて仕方がないというので、今は休ませてます。あと少しで北東の区域が終わるから、切りのいいところまで頑張ってほしかったんですけど……。駄々をこねられて仕方が無いので、まあ、やむなく」
「まったくしょうがない奴ねぇ。あと少ししたら、皆でお茶にしようと思ってたんだけど。紫も来るし」
今日は久しぶりに、紫がここにに訪れる。呼んだのは幽々子だった。
時間は午後三時の、お茶の時間を指定した。時計は確認していないが、そろそろだろう。
「ですね。まあ、あの紫様が定刻通りに来られるとは思えませんけれど」
「来るわよ。今日は、ちゃんと」
「えっ?」
妖夢は怪訝な顔をしていたけれど、やがていつものことと思ったらしい。「そうですか」とだけ告げると、柔らかく微笑んだ。
ちなみに、諏訪子は紫が来るということを知らない。それはつまり、今回わざわざ紫を呼んだのは、ただ久しぶりにお茶をしたかったわけではない。それなりに訳がある。
「諏訪子を呼んできて。どうせ休むなら、お茶と請けがあった方がいいに決まってるからね」
「わかりました」
去り行く庭師の背中を認めると、幽々子はまた視線を空へ移した。
……結局のところ、同じだったのだ。諏訪子も、わたしも。
幽々子は途中で《七色のレアハンター》の計画を見抜いたが、当初、その動機まではわからなかった。知ったのは、諏訪子を燻り出し、デュエルで本心を聞き出した時だ。
諏訪子の目的は、言うなら報復だった。友人である八坂神奈子。彼女が紫によって貶められた、その復讐……。
諏訪子は神奈子のために行動した。確かに初めは、ちょっと嫌がらせをしてやろうという程度だったのかもしれない。でも、根源的には、神奈子の存在があった。祟り神の魔性にとらわれかけても、それを忘れることは無かった。ならば、紫のために《七色のレアハンター》に対峙した自分と、なんら変わらない。お互い、大切な友人のためを思っての行動なのは、一緒だったのだ。
同じ立場だからこそ、幽々子は諏訪子に大した罰を与えなかった。無論、諏訪子は悪人などではない。いがみ合う必要も無いと、すぐに気づいたからだ。
そう、いがみ合う必要なんて無い。わたしとも、紫とも……。
その時だった。気配を感じ、幽々子は首を向けた。
突如、巨大なメスを入れられたように、空間に一筋の裂け目が走る。
中ほどから左右に押し広げられ、真っ暗な闇が覗かせた。そこから二本の腕が伸び、裂け目の縁に手がかけられる。
「よいしょ、と」
次元の裂け目から現れたその影は、ふわりと身体を躍らせた。
トン、と軽い音をたて、つま先から着地する。
「あら、紫。お久しぶり」
「……うふふ、お久しぶり」
幽々子の知る、いつもの八雲紫だった。
*
「藍から話は聞いたわ」
紫は隣の庭石に腰を預けると、穏やかな口調で語った。
「改めて、と言っておこうかしら。何やら大変だった……もとい、楽しかったみたいじゃない?」
「楽しかったわ。紫のおかげで」
「わたしのおかげ? わたしは寝てただけなんだけどね」
「でも、紫のおかげよ。紫のせいで、と言ってもいいけど」
「ふふふ。寝てただけなのにねぇ」
「それだけ寝たんだから、もう大丈夫なんでしょう?」
「そうでもないのだけどね」
「……身体の方は?」
す、と紫は手の平を前に出す。そして何かを確かめるように、握ったり開いたりを繰り返した。
「とりあえず動かせる、と言えるレベルよ。妖力に至っては、半分も戻っていない。一通りやらなければならないことをやったら、また一眠りするわ」
「そう……」
また冬眠に入らなければならないらしい。まあ、それも予想がついていたことだ。妖力をゼロまで使い果たしたうえに、肉体の消耗。紫ほどの妖怪になれば、回復には尚更時間がかかる。
今回は、いつまで出てこれないのだろうか……。
「……難儀なことね」
「うふふ。そうでもないわ。布団で寝てるだけなのだし。考え事もし放題よ」
幽々子は笑った。紫相手に、贅言を尽くす必要などないのだった。
その時だった。ふいにこだました声は、屋敷の方から発せられた。
「……八雲紫っ!」
怒りに満ちた形相で、洩矢諏訪子が駆けて来る。今にも紫に掴みかかるぐらいの距離で、後ろから妖夢に羽交い絞めにされた。
「ちょ、ちょっと。いきなりどうしたんですか、諏訪子さん」
「離してよ。離せ!」
しかし妖夢の腕力はことのほか強く、振りほどくことができない。諏訪子は興奮して喚くばかりだった。
「…………」
……一瞬、間に入るべきか迷った。
でも……もともと、わたしは二人の確執に関係はない。言うなら部外者だ。結局二人の問題は、二人で解決するしかないのだ。
やがて、音も無く、紫が立ち上がる。
そして……
「ごめんなさい」
腰を折り、低頭した。
「なっ……」
呆気にとられたように、諏訪子は目を丸くする。傍目の幽々子ですら、我が目を疑いたくなる景色だった。
あの八雲紫が……傍若無人の権化とも形容すべき妖怪が、他人に頭を下げている。
腰を折り、慇懃に両手を前に組み、深々と低頭している……。
まさに、にわかには信じがたい光景だった。
「八坂神奈子の件、彼女だけでなく、友人のあなたにも迷惑をかけました。本当にごめんなさい。心から謝罪します」
調子に抑揚は無かったが、それは心がこもっていないのではなく、ただ単に紫が謝るという行為に慣れていないのだろう。その不器用さが、返って本心からの言葉であろうことを強調していた。
一方、機先をとられた諏訪子は、振り上げた感情の槌の降ろし場所を失っていた。
「なによ、それ……」
諏訪子は、もう暴れてはいなかった。ただただ困惑しているようにも見える。よもや彼女も、あの紫がのっけから侘びを口にするとは、思ってもみなかったのだろう。
でも、わたしは知っている。
紫とて、鬼から生まれたわけではない。自分のした行いがどれだけとんでもないことか、その行いによってどれだけの迷惑と悪影響を与えるのか、ちゃんと―――むしろ、誰よりも―――理解している。
低く唸るように、諏訪子が言った。
「……そんな口先だけの言葉で、はいそうですかって信じると思ってんの? わたしの怒りが鎮まると思ってんの?」
紫は頭を下げたまま、動かない。
……もういいだろう。幽々子は諏訪子に声をかけた。
「だ、そうよ。いい加減、許してあげてもいいんじゃない? 確かに紫は相当捻くれてるけど、あなたが思っているほど悪い奴でもなくてよ」
「っ…………」
尚も諏訪子は紫を睨みつける。しかしその眉根には、さっきまでの力は篭っていない。
紫は誠意を見せた。もう諏訪子の目には、紫がかつての怨敵とまったく同じには見えなくなっているはずだ。だからこそ、諏訪子も戸惑いを隠せないでいるのだろう。
結局……誰かを憎むことは、自分を憎むことも同じなのだ。
諏訪子が許せば、彼女自身も救われる。現にわたしは、もうとっくに許した。紫が素直に詫びたことで、諏訪子もわかってくれるはずだ。
やったらやり返される。そこに他意があろうとなかろうと同じこと。だったら、やらなければやり返されない。わたしも紫も、初めから諏訪子に向ける矛など無かったのだ。
あとは彼女がその矛をどうするか。赦し収めるのも、また憎悪とともに向けるのもいい。
後者を選択するというなら……またわたしが相手になる。それだけだ。
「あ、あのう。幽々子様、紫様。これはいったい、どういう……」
一人、まったく事情を知らない庭師がしどろもどろしていた。
困惑もっともなのだが、今は邪魔されたくはない。静かに、と、幽々子は唇に人差し指をあてて伝えた。
諏訪子は黙っている。どうすればいいのか、考えがまとまらないのだろう。紫の方もまた、頭を下げたまま動かない。
まったく……。本当に、どちらも不器用だこと。
埒が明かないので、再び話しかけた。
「そういえば、諏訪子。お茶を飲みに呼んだんだったわね。一服……していく?」
「だっ、誰がっ! ……仕事に戻る!」
案の定の反応だった。諏訪子はむきになったように、勢いよく背を向ける。
しかし、すぐ立ち止まり……
「……今日のところは、見逃してやるわ。でも、紫。あんたとはいずれ決着つけてやるから! だから……勘違いしないでよ!」
「ちょ、ちょっと。諏訪子さんっ」
また慌てて、その背を庭師が追いすがる。ずんずんと早足だった諏訪子は、追う妖夢ともども、たちまち視界から消え失せていった。
……ありがとう。諏訪子。
紫には聞こえないように、喉の奥で幽々子はそう呟いた。
*
「……ふう」
結局、紫が頭を上げたのは、諏訪子がいなくなってしばらくしてからだった。さすがに身体が痛くなったらしく、腰をさすりながら隣に座った。
「これでいいの? 幽々子」
「いいんじゃない。紫にしては」
くすくす、幽々子は笑う。紫は気を悪くした様子もなく、軽く微笑み返す。
「そういう意味じゃないんだけどね。まあ、いいわ。幽々子がそう言うなら」
実際、幽々子は紫の謝り様に満足していた。
さっきの紫の謝罪。あれは確かにわたしが頼んだことだ。
でも、あそこまでちゃんと謝意を示せなどとは言っていない。紫にその気がないのなら、悪かったとそっけない一言で済ますこともできたはずだ。
それが……生まれてこの方まともに頭なんて下げた経験なんて無いであろう紫が、あれだけ平身低頭してくれた。その事実だけで充分に察することができた。きっと紫自身も、罪悪感を持っていたであろうことを。それがわかっただけでも、今日紫を誘った甲斐があったというものだ。
ふと、一つ思い出す。
「あっ、そうだわ。妖夢~!」
大きな声を出したので、妖夢はすぐに戻ってきてくれた―――おかげで肩で息をしていたけど。
「な……なんでしょう?」
「後で、もう一つ頼みごとをお願いしたいの。いいかしら」
「それは構いませんけど……。というか、できれば先に言ってほしかったですが」
「言い忘れたのよ。後ででいいんだけど、使いに行ってくれない? 守矢神社に」
「守矢神社? ああ、諏訪子さんを送り届けて来ればいいんですね」
「逆よ。連れてきてほしいの」
ほ? と妖夢は首を傾げる。
「それはつまり、もう片方の神様をってことですか?」
「そ。なんなら、現神人もね。諏訪子も一日野良仕事すれば疲れるでしょう。なら労をねぎらうためにも、せっかくだし、皆招待して食事にしようかとね」
「はあ。でしたら、行きがけに食材も買わなきゃですね。それだけいたんじゃ、今ある分じゃ足りないでしょうし」
「わざわざ招いて料理が足りなかったなんてなったら、失礼以前に間抜けすぎるしね。頼んだわよ」
「いや……一番食べるのは幽々子様じゃないですか」
また軽く、妖夢は溜め息をつく。この娘は今回の件で随分成長したけれど、強くなってもこういうところは相変わらずだ。
幽々子はご機嫌に、くすりと漏らした。
「じゃあ頼んだわよ。もう少しやらせたら、さすがの諏訪子も仕事に慣れる頃でしょう。一人で任せても大丈夫だと思ったら、あなた、行ってきなさい」
「わかりました。まあ、仕事に慣れてもわたしがいないならサボるでしょうけど」
最後にはにかむような苦笑を残して、妖夢はまた持ち場へ戻っていった。
しばらくしてから、隣の紫が口を開く。
「わざとサボらせてあげるんでしょ?」
「わざと? どうして」
「あら、言ってもいいのかしら」
「くすくす。別に、構わなくてよ」
「今回の事、大会を含めて、八坂神奈子は何も知らない。諏訪子が教えたくなかったからね。だから、勝手に夕食になんか招待すれば、当然諏訪子は慌てて激怒する。なんで冥界なんかで庭師の真似事させられてたのか、神奈子に言い訳するのも大変だしね。で、諏訪子は当然、すぐにあなたの仕業だって気づくでしょう。そこで幽々子、あなたはこう言うわけよ。『昼間サボってた罰よ』ってね。要はわざと仕事をサボるように仕向けて、無理やり罰にして食事会を正当化させる。違う?」
紫は無表情に空を見つめていたけれど、その目元は嫣然としていた。正解だということをまるで疑っていない顔だ。
「そんな小細工巡らすなんて、些か幽々子らしくない意地悪ね。そんなに皆で食事がしたかったのかしら」
「まあね。やっぱり、食事は大勢の方が楽しいじゃない」
くすくす、と幽々子は笑う。紫の方はというと、ただ湯呑みに口をつけただけだった。
一瞬でそこまでおみとおしなんて……。やっぱり、紫は紫ね。
神奈子達を招待することに、別段、深い意味は無い。せっかくだから、食事は大勢で。その言葉はまんざら嘘でもない。
ただ、敵対していた同士、卓を囲み食事することは、古くから和解の歩み寄りであると言われている。ともに同じ料理を食べることで、平等を。そして過去の事柄を、喉元を通して無かった事にする。つまりは願掛けの意味をこめた、一つの儀式のようなものだ。
まあ……少しは意地悪してやろうとも思ったけど。あの娘は神様だけど、どうやら、なかなかいじられる素質もあるみたいだし。
いきなり神奈子が現れたら、諏訪子はこれ以上無いぐらいに慌てるだろう。彼女の性格から察するに、今回の件、諏訪子は神奈子には何も話していない。今回の件が元はと言えば神奈子のためだと本人に知れたら、顔から火が出るどころの話ではない。
神奈子の顔をみた瞬間、真っ赤になってどこかに走り出すかもしれないわね。考えるだけで、幽々子は心が愉快になった。
まあ、それにしても……。
「勘違いしないで、なんて言ってたわね。諏訪子も面白いのね。今度は小間使いじゃなくて、ちゃんと客人として招待しようかしら」
「あなたのせいでしょう、幽々子。まあ、わたしは構わないけどね」
「勘違いされたままでも構わないって? さすが紫。罪な女ね」
「罪があるとしたら、その所在はカオスにある。とても測りきれなくてよ。ヒトは誰でも、そしていつでも、勘違いと折り合いをつけて生きているのだから」
どこから取り出したのか、紫の手にはいつの間にか広げた扇子があった。それを扇ぐでもなく、ただ口許にあてて、彼方の山肌を見つめている。それに習って、幽々子も同じ方を眺めた。
「新説ね、それは」
「あら。初耳というわけじゃないでしょう?」
「どうして?」
「古明地さとりが言っていたじゃない。ヒトの意識同様、この世界はカオスなる混沌で満ちている。にも関わらず、〝勘違い〟のせいにして目を背け続けなければならない。でなくば、混沌の闇に呑まれ、この世界に帰還できなくなってしまう。だから誰しも、勘違いして生き続けるしかないの」
「…………」
なぜあの時、会場にすらいなかった紫が、さとりの話をわたしに聞かせるのか。幽々子にはわからなかった―――ついでに、その話の内容もさっぱりと。
でも、驚きはしない。
紫との付き合いは数百年になるが、それが充分に長い付き合いと言えるのかはわからない。なぜなら、わたしは紫のことを、せいぜい三割も理解していないからだ。わたしもよく他人から言動がわからないと言われるが、紫の方がよっぽどわからない。そもそもなぜこのような一種族の妖怪が存在するのかすら、さっぱりだった。
ただ一つ言えるのは、紫は頭の構造が違うということだ。こいつは数百万の桁の自然数を一瞬で素数分解したり、何十年も前の日に何があったか正確に覚えていたり、あるいは、普通考えてとてもありえない図形―――マンデルブロがどうとかいうヤツ―――を、なんの道具も使わずに鉛筆だけでキャンバスに描いたりできる。
人は猿から進化を遂げたと言うが、実際はさして変わっていないのだろう。一度紫の知性を目の当たりにすれば、誰もが自覚するに違いない。こいつは人間とも妖怪とも、完全に別種の生き物なのだ。
なのに……
なのにどうして、紫はわたしなんかといてくれるのか。友人と見做してくれているのか。
この何百年、そんな疑問が一度も浮かばなかったわけじゃない。
紫という妖怪が、義などという普遍的で単一的なものによって動かないことは、重々承知している。
それでも、あえて……その疑問の答えを探すとするならば、それはきっと、わたしの前世に関係しているのだろう。さすがにそこまで掘り下げて知りたいとは思わない。
だからわたしは、わからないままでいい。無知のままで構わない。
あなたがそこに……いてくれるのならば。
ふと、紫の視線を感じた。
「ほらね。またしてる、勘違い」
…………。
そうなのかしら。
まあ、紫が言うのだから、きっとそうなのだろう。
幽々子は笑った。
「うふふ。そうね」
「よかったわ。幽々子が相変わらずで」
そう漏らすと、紫は立ち上がった。置いた湯呑みには、まだ半分ほど茶が残っている。
幽々子は尋ねた。
「もう、行くの?」
「ええ。言ったでしょう。一通りやらなければならないことがあるって」
一通り。それが具体的にどんなことなのか、幽々子は詳しく知らない。ただ一つ言えるのは、幻想郷の秩序を維持するために必要なことだということだ。
この八雲紫は、幻想郷の創設に関わった数少ない妖怪の一人である。
幽々子はその一部始終を知ってはいるものの、人から伝え聞いただけに過ぎない。でも本人に訊いても否定しないのだから、おそらく事実なのだろう。
幻想郷を幻想郷足らしめる博麗大結界。現実と幻想を乖離する境界線の、その枠組みはとても不安定だという。その維持には、繊細な作業と、それらを積み上げてできる莫大な労力が必要とされる。しかし今となっては、それもほとんど紫一人が担っている―――本来ならば博麗の巫女である霊夢と共同するべきなのだろうけど、紫曰く彼女はまだ未熟だから足をひっぱるだけらしい。
でも、その結果として、先のような事件が起こってしまった。紫一人が幻想郷の負担となり続けた末路、訪れて当然の未来だった。
あの時、幽々子にはどうすることもできなかった。
幽々子は唯一、紫の計画と真意を知っていた人物だった。そして、彼女の言うとおりに協力もした。自分の力では、紫を救うことができない。そうわかっていたから、従わざるをえなかった。
紫はあの時、アリス達の起こした奇跡に等しい勝利によって救われた。しかし、元々の計画では、紫は助からないはずだった。力を解放するために異次元に行き、五人の戦士達とともに次元ごと道連れとなり消滅。結果、幻想郷は救われる。紫は暗黒面に落ちた自分の行動を推測した上で、そう計画した。初めから、自分が犠牲になるつもりで大会を開いたのだ。
紫からその計画を持ちかけられた時、幽々子は断ることができなかった。他にどうすることもできない。代わりの案など以ての外。ならば、死をも覚悟の紫を引き止められる言葉など何があろうか。自ら破滅の道を進む友人に、哀れみよりももどかしさを覚えた。
だから……。
結局わたしは、紫の力になりたかったのだ。
あの時、何もできなかったから。ただ死への手伝いしか、できなかったから。幽々子が大会前まで続いていた無気力状態は、自身の無力さに起因していた。
紫の命は助かったが、あれはアリス・マーガトロイド達の力で、自分の力ではない。結局自分の能力は、人を殺すことはできても、救うことはできない。幽々子の無気力の原因は、そんな言いようのない無意識の諦念に根ざしていた。
だから、紫に危害を加えようとする諏訪子を、見逃せなかった。あの時何もできなかった罪滅ぼし、なんて言うつもりはない。それでも少しでいいから、どんなささいなことでもいいから、紫の力になりたかった。
今回の件―――諏訪子を止めたことが、本当に紫のためになったのか、この涼しげな横顔からはわからない。ひょっとしたら、紫一人でどうとでもできたかもしれないし、ただわたしの自己満足でしかなかったのかもしれない。
でも、だとしても……
焦る必要は無かったのだ。
わたし達にとって、時間は無限にある。そして紫も、こうしてそこにいる。
この、時が停止したかのような白玉楼の景色の中にいると、余計にそう思う。亡霊のわたしにも未来があると、錯覚することもできる。
そう、錯覚……今はそれでもいい。今は何もできなくとも、いつかきっと、友人として力になれる。こうしてともにいる限り、いつか、きっと。
…………心強くなった庭師も、側にいてくれることだしね。
「ああ、そういえば」
再び裂け目を開き、中に体を滑り込ませようとしていた紫だったのだが、ふと思い出したように振り返った。
「何?」
「結局、どうして作らせたのが鍋だったの?」
そんなことが気になるのか。少しおかしくなって、幽々子はくすりと頬をゆるめた。
「別に、大したことじゃないけど」
「そう? だったら、答えてくれてもいいじゃない」
「でも本当のことを言うと、たぶん紫笑うでしょう」
「笑わないわよ」
「鍋を食べたいって言った時、妖夢が特に嫌と言わなかったから」
紫は笑った。
~ fin ~
・・・・・・Thank you for enjoying!!
私もなんだかんだと比較的最初の方から読んでいました。
コメントをつけ始めたのはⅠの中盤過ぎからで、まだ名無しでしたが。
創想話において、こうしてまた一つの物語の完結を見れたことをうれしく思います。
お疲れ様でした~。
そんなに前からお付き合いしてもらってたんですねw
いやはや、本当に嬉しいです。
完結といっても、気が向いてモチベが復活したら、またひょっこり現れるかもしれません。
だとしても、また以前みたいに半年か一年ぐらいは間を空けるとは思います。
夏にはきっと神霊廟も出ると思いますし、キャラやエクシーズのカードが増えるのを待つ意味もあるので。
とりあえず、長々とありがとうございましたm(_ _)m
レイトショーで傑作映画を観た家路のような、叫び出したいくらいの高揚感。大連載お疲れさまでした!
遊戯王は漫画のみでアニメもOCGも触れていない非デュエリストですが、怒濤の熱量で一気呵成に読まされてしまいました。
シーズン2の終盤三戦(vsこいし、さとり、諏訪子)の超カタルシスに放心状態です…とりわけ衣玖さんのデュエルときたら! 某凡骨然り、頑張るビギナーの熱さには心震えずにはいられません。
唯一の心残りはシーズン1ラスト、闇紫を間柴って読んだせいで終始眉毛のボクサーが頭にちらついていたこと……バカ過ぎだ自分orz
長々と申し訳ありません。デッキの考察やゲーム的な感想が出来ない我が身が不甲斐ないですが……
面白かった。
最高に面白かったです。
素敵な時間を下さった作者様と、幻想郷の決闘者たちに感謝を!
いやぁ、お疲れ様でした~。
考察なんてとんでもない!
こちらからすれば、OCGわからないのに付き合っていただいたことに感謝したいです。
これまで凄く長かったのに、一気に読むのは大変だったと思います。
でもそう考えると、本当にグッドタイミングでしたねw
それに、そこまで言っていただけると、こちらの喜びもひとしおどころじゃないぐらいです。
ありがとうございましたm(_ _)m
1の終わり頃に見つけて読み始めたんですけど
いつもハラハラドキドキさせてもらいました
あと、この作品よんでA・O・Jとエレキのデッキを作りましたー
番外編ではぜひアリスをお願いします
それではミステリーの方もwktkしながら待ってます
自分の作るデッキの指針にもなるいい作品でした。東方で遊戯王を見て作ろうと決意した作品の多いこと……。
スキドレバルバにトーチテンペスト組み込んで、結局回らなかったのはいい思い出です。
サクリファイスにノースウェムコ入れてたのもいい思い出……。
そして結局それぞれデッキを分割するのはご愛嬌。
しかし、いきなりデッキギミックが変わるような展開は燃えるものがありました。
東方で遊戯王次回作があるとすれば、またいい魅せデュエルをよろしくお願いします。
みすてりぃ!!
自分は1期開始の頃から読ませて頂いてたんですが、すごく面白かったです。
自分じゃ思い付かないシナジーの数々、参考になりました。
(すいかが使ってた洗脳解除デッキは身内に大好評ですww)
アニメ5D'sも終わり、このシリーズも終わる。遊戯王ユーザーにとっては少し寂しいですね。
長々と書いてしまいましたが、本当にお疲れ様でした。
ミステリも好物なのでそっちも期待してますね!!
ありがとうございます~。
デュエルを読んで触発されたというコメントと聞くと、喜びが二乗になりそうです(*´ω`*)
番外編はいつになるかわかりませんが、忘れた頃に投稿したらごめんなさい(´∀、)
>>6
ありがとうございます~。
話の中だと、ドラマを狙うあまり現実には厳しいデッキになるのは、仰るとおりご愛嬌ですねw
サクリファイスにノースウェムコは、確かにいい例です。
でもこいしちゃんのイドビートは、何気にあの構築でも強いんですよ!
>>7
一期からのお付き合いありがとうございますm(_ _)m
自分はメインがオンラインでかなりの古参なので、カードさえあればデュエルし放題という環境です。
なのでリリースしたばかりのカードでなければ、大半のデッキが作って試せます。
その中でも、ゴーレムコントロールは自分もかなりこだわりがあります。
やってる方も相手も楽しくていいデッキですね。ラヴァゴでパーデク食べれるし。
あ、でもヘルテンペストはさすがにロマンですw
アニメと終わりを合わせたわけではないですが、かっとビングに期待するしかないですねw
番外編を楽しみにしてます。
そしてぜひ、古いカードですがアルカナフォースを使ってください!
長文となってしまいましたが本当にお疲れさまでした。
ロマン対ロマンの連続、最後は非OCG対OCG、とにかく熱かったです!
衣玖さんがエレキ使っていたのには驚きました。
エレキは真剣に考えたけど、これ戦えないだろ・・・って思っちゃってたので。電池メンだとばっかり。
次のロマンはゼンマイか。
オーバーレンチにリミッター解除で4倍・・・!
エンドフェイズにも、破壊されず手札に戻せる優れもの。だといいなぁ・・・
誰も突っ込んでないけど誤字ですよね?最初のほうの。
>落とされる悪人が地獄を見出すからだだだからだ。
サンレンダァ
ありがとうございます。そしてお疲れ様でしたm(_ _)m
フィニッシャーはやはりそのデッキの切り札を出したいとは思ってるんですが、
やっぱりなるべく意外性を持たせようと一捻り二捻りしてみたくなるんですよね。
まあでも、ラストのアバターは読めた人も多かったかもですが(´∀、)
リクエストも考えてみます。
アルカナフォースは自分も好みです。
この前出たパックで新しいワールドトランスも組めそうですし。
最後にもう一度。ありがとうございました~。
>>10
ありがとうございます~。
確かにエレキは普通に使うときついですよね~。
主に黒薔薇とか、黒薔薇とか……。
攻撃力がぼんぼん上がるデュエルばかりなのはあんまりよくないということもあり、副将戦は魅せるのに工夫した記憶があります。
指摘いただいた点も直しておきました。
ていうか三連打とかww最後におもしろい間違いをしてしまった(´∀、)
熱く楽しい決闘をありがとうございました。
番外編たのしみにまってます。^^ノシ
ありがとうございますm(_ _)m
番外編はまだ全然計画してないのでいつになるかわかりませんが、
先に手直しの方をまずやっていきたいと思いますです。