Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

声を聴こう、世界は喜びに満ちている

2019/06/28 00:50:25
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 妖怪が寺子屋に通う場合の一番の問題点は、実は「宿題」の存在ではあるまいか、とリグルは思う。
 長命な妖怪と短命な人間では時間感覚がそもそも違う。人間にとっては長い時間と感じるものであっても、妖怪にとってはあっという間、ということも珍しくはないだろう。
 つまり、一週間と期限をもらったからと言って、その期限通りに宿題を進められるとは限らないのだ。

「あなたね、短命な生命の代表みたいな虫のリーダーがそれを言うのはおかしいでしょ」
「ふえぇぇん、そんなこと言ったって~~!」
「単にズボラで宿題できなかっただけでしょ、言い訳しないの」
 正論を突き付けられ、リグルは唸り声をあげた。
 手元には鉛筆、消しゴム、そして原稿用紙。作文の宿題だった。
「だいたい宿題なら自分の家でやればいいでしょ、というか今までそうしてたじゃない。どうして私の家でやってるの?」
 優雅にお茶を味わいながら疑問を口にするのは花を操る妖怪、風見幽香。
 花の香り漂う屋内で味わう紅茶は、他の場所で味わうものとはまた違った趣がある。それを幽香も、リグルも知っている。
 しかし今のリグルには茶を味わう余裕は無かった。原稿用紙を前に、うんうん唸り声を漏らすばかり。
「うう、一人でやってると何のアイディアも出てこなくて」
 情けない声でリグルは理由を口にする。ああ情けない。
 そうは思いつつ、放り出そうとまでは思えない。
 そう長い付き合いではないが、こうして訪ねてくれば茶をご馳走するくらいには親しい間柄だ。そのお茶のついでに話を聞いてあげるくらいは構うまい。
 ……「風見幽香が茶をご馳走してあげてもいい」「相手が情けない姿を見せていてもとりあえず話は聞いてあげよう」とまで思う人妖というのがごく限られている、という事実を幽香自身も自覚してはいたが、それについては棚に上げておくことにした。
「作文ってそんなに難しい宿題かしら?」
 幽香自身は学校に行ったり宿題をやったりした経験は無い。が、幼少の頃から強い妖力を持って生まれた幽香は、そもそも知能が昔から高かった。寺子屋で習う内容で困る、という感覚を想像するのは難しい。
「幽香にとっては簡単かも知れないけど私にとっては難しいよ、やり方を教えてもらえる算数や記憶問題の方がよっぽど楽だよ」
「文章の書き方がわからないの? 読み書きは教わってるでしょ」
「読み書きも文法も教わってるけど、作文は違うと思う」
 はて、と幽香は首をひねった。
「何が違うのかしら……そもそも、何についての作文なの? 何かについての文章を書け、って宿題なのよね?」
「宿題の内容はそれで合ってるよ。でも、何についてなのかはわかんない」
「わからない?」
「自由だって」
 自由作文。
 つまり「テーマは自由に決めてもいい」という作文だ。
 そしてリグルが困っているのは、そのテーマについてであった。
「待ちなさい、リグル」
「なに?」
「何を書くかについてで迷ってるの?」
「だって、何でも書いていいって言われてもよくわかんないよ」
「宿題の期限は一週間って言ってたわよね。具体的にはいつまで?」
「あ……明日」
「…………」
 幽香は呆れた。思わず口が半開きになるくらい呆れた。
「何さ!」
「だってあなたねぇ」
 一週間で作文書いてこいテーマは自由、と言われて、前日までテーマが決まっていない。
 まさか第一歩でつまづきっぱなしだとは思ってもみなかった。
 改めて原稿用紙を覗いてみると、名前欄しか埋まっていない。タイトルの場所には、書いては消してを繰り返した跡だけが残っていた。
「そんな変に悩まなくても、何でもいいんじゃないの?」
「ううん……寺子屋って、言われたことやってればいいのかって今まで思ってたから、何でもいいって言われると困るっていうか」
「リグル、私は寺子屋についてはよく知らないけれど、上白沢慧音については少しは知っている。
 宿題でそんな名文を書いてこいなんて無理を言うやつだとは思えないわ。多少雑な片付け方でも許してくれるんじゃない?」
「それはそうだと思う。わかってるつもりなんだけど……うう~~!」
 ここまで言ってやってもなお唸り声をあげるリグル。
 だめだ、思考の袋小路に入ってしまっている。
 リグルとて立派な妖怪、ある程度は好き放題生きるのが当然だというのに、変なところで頭が固いのはどうなのだろう。小さな虫出身の臆病な気質の表れなのだろうか?
「作文、作文ねぇ……」
 幽香は作文をやったことは無い。
 少しだけ、想像してみることにした。
 例えば、自分が作文をやってみるとして――原稿用紙、リグルの手元にあるのは400字詰めのものだ。それを文章で埋めようと考える。
 友人への手紙文――アリスにお茶会の誘いをしてみるのはどうだろう。あるいは、メディスンにお茶の入れ方を教えてあげるのもいいかも知れない。
 見聞きして面白かったものの感想文――最近では霊夢と萃香が宴会の席で披露した弾幕勝負が見事だった。人間と鬼という種族差と弾幕ごっこの競技特性を絡めて文章を綴るのも面白そうだ。
 あるいは、花の種類についての講釈――季節に応じて様々な種類の花がある。花を知らない人間にわかりやすく伝わるよう、一つずつ丁寧に教えるのもいいかも知れない――それこそ、寺子屋に通う人間の子供たちに向けて書いてみるのも良さそうだ。
「幽香なら、作文も簡単に書ける?」
「簡単かどうかはやってみないとわからないけど、何を書くかで悩むことは無いと思うわね」
「ぐぅ」
 ぐうの音くらいは出るらしい。多少は余裕がありそうだ。
 もっとも、余裕を完全に失っていたら、幽香の家にやってくる選択肢も頭に浮かばなかっただろう。
「じゃあリグル、私が何を書くか決めてしまってもいいのかしら? 例えば……虫の種類と生態についてとか?」
 思い付いたものをそのまま口にしてみた。
 実際、リグルにとっては得意分野だ。書こうと思えばすぐにでも、そしていくらでも書けるのではないだろうか。
「う、虫について……まあ、うん、それは、うーん」
 しかし、リグルは返答を避けた。幽香と目を合わさず、言い淀む。
「何か書きにくいことでもあるの?」
「うーん……だって、人間にしてみたら、教科書を見たらわかること、で済んじゃうこともあるでしょ?」
「……? 教科書と内容がかぶったらいけないルールでもあるの?」
「そんなことはないんだけどぉ」
 はっきりしない物言いのリグル。一体何が言いたいのか。
「ないんだけど、何?」
 苛立ちを覚えた幽香だったが。
 少し、小さく深呼吸して、待つことにした。
 リグルが、まだ何かを言いたそうにしていたから。
「でも、虫について教科書そのままのこと書いても、やっぱり変でしょ?」
「そりゃあまあ……人間が書くならわかるけど、あなたが教科書通りに書くのは変でしょう」
 リグル・ナイトバグ以上に虫について詳しい者もそうはいるまい。
 仮に、虫について何も知らない子供に教えるとしても……やはり「大人でも知らない虫の知識」を子供にもわかるように教えることはできる。他の人間にはできなくても、リグルにならできる。それを幽香は知っていた。
「でも、教科書に書いてないことを書こうとすると」
「……?」
「えっと……人間がそれを読んだら、気持ち悪くないのかな、って」

 ああ。
 やっとわかった。そりゃあ書く手も止まる。
 リグルは、格好をつけようとしすぎているのだ。

「…………」
 幽香にも理解はできる。
 リグルは、蟲の地位向上を目指している。蟲の存在を人間にもっと知ってほしい、蟲を軽んじてほしくないと考えている。
 そんなリグルにとって、蟲のイメージダウンはできる限り避けたいことではあるだろう。
 しかしだ。リグル・ナイトバグはどこからどこまでも、蟲の妖怪なのだ。
 他のテーマで作文を書いたとしても、蟲としての知識や価値観は多少なりと反映されるだろう。そこを隠し通すのは不可能……とまでは言わないが、慣れていなければ難しいだろう。
 リグル自身「人間から見た蟲の印象」をちゃんと把握しているわけではないだろうに。蟲のどんなところが人間に好印象、悪印象を与えるのか。それを把握してもいないのに、「蟲の印象が悪くならないような作文にしないと」と考えてしまっている。
 それは――
 無駄なことでは、ないかも知れないけど。
 もしかしたら、上手くいくかも知れない。人間の価値観に歩み寄ることも可能かも知れない。
 仮に失敗したとしても、ここで苦労した経験は糧になるかも知れない。文章の書き方、人間から見た自分たち――なるほど、悪いものではないだろう。
 だけど。
「はあ」
「え、何?」
 溜め息をついた。
 幽香は、そんなリグルは見たくない。
 そんな、自分に蓋をするような。
 無理をして、やりたくもないことをやるような。
 良いか悪いかの問題じゃない。それを言うのなら、きっとリグルは何も悪くない。人間だって妖怪だって、やりたくないことを頑張らなければならないことはあるだろう。
 ――だけど、わざわざ自分からそんな風に、自分を追い込まなくてもいいじゃないか。
 それは、幽香個人の我儘だ。幽香はリグルに、もっと――



「リグル、立ちなさい」
「?」
 首をかしげるリグル。しかし、幽香は返事を待たなかった。
 リグルから見ると――向かい側に座っていたはずの幽香が、突然隣に立っていた。そんな風に見えたはずだ。
 そのくらいに幽香に迷いは無かったし、逆にリグルは隙だらけだった。
 幽香はそのまま黙って、リグルが座る椅子の背もたれを持った。
 黙ったまま、椅子を引っこ抜いた。
「えっ――?」
 いきなり椅子を失って、転びそうになる。
 反射的に足を踏ん張ろうとするリグル。
 しかし、その必要は無かった。
 浮遊感。
 突然の視界の変化、密着感――甘い花の香りと、安心感。
 一体何が。
「一から十までやり方を説教したりするのは性に合わないのよ」
「えっ……あれ、ゆう、か?」
「リグル。今、あなたに見えるものは何?」
 リグルより頭一つ以上は背が高い、幽香の顔。
 見上げれば、ほとんど目と鼻の先、すぐ目の前にあった。
 幽香に倒れ掛かるようになったリグルの華奢な体は。幽香の細腕で抱き留められていて。
 半ば密着するようになった幽香の体は、女性らしい繊細さと妖怪らしい力強さを持っていて――つい、何もかもを預けてしまいそうになる。
「幽香……?」
「何を感じるのか……きっと私たちは、最終的にそれだけでいいのよ」
「どういうこと?」
「わからないなら、目を閉じていなさい。すぐに済ませてあげる」
 有無を言わせない、幽香の言葉。
 乱暴さと優しさを備えたような、不思議な声が耳朶を打つ。
 リグルの目の前には、何を考えているのかわからない――うっすらと微笑む、幽香の顔。
 強い妖怪の、笑顔。
 リグルの胸に宿る、よくわからない衝動――幽香が自分に何を求めているのか、そして自分は幽香に何をされたいのか――幼いリグルには、はっきりとはわからない。
 わからないままに。
 目を、閉じてしまった。
 それが全てを受け入れてのものなのか、それとも拒絶してのものなのか。
 自分の行動の意味さえ、リグルにはわからないまま――
「何を感じるのか……耳を、澄ませてみなさい」
「耳……?」
 目を閉じたまま、耳を澄ませてみる――すると。
 最初に感じたのは、音ではなかった。
 幽香の体温と、体の感触。
 幽香の柔らかさ、暖かさを間近に感じる。幽香の腕はリグルを抱き留めたまま、放そうとしない。
 幽香の香り。
 幽香の花の香り、土の香り、紅茶の香り、そして女性らしい甘い香りが鼻孔をくすぐる。
 その次に――幽香の心音。
 幽香の体から直接、音が伝わってくる。生命の力強さそのもののような、確かな音。
 体温と、香りと、音が伝わる。まるでリグルに伝染するかのように。
 その音はまるで、幽香の心の中のようで。
 幽香は今、何を感じてる?
 リグルを抱きしめて、どう思ってる?
 そして――リグルは疑問に思う――自分は今、幽香のことを、どう思ってる?
「幽香……?」
 リグルは、目を閉じたままだ。じっと――何もわからないまま、幽香を感じている。
 そんな、リグルの肌に。
 ふわりと。
 風に似た何かが、感じられた。
「?」
 何もわからないのだ。何もわからないのだから、感じるままでいるしかない。
 ふわり、ふわり――何かを感じる。甘いような、包み込む風のような――とても、幽香そのもののような。
 あれ、これってもしかして?
 と、思った矢先のことだった。
 その、ふわりと包み込む何かが、一気に膨れ上がった。
「!?」
 周囲の全てが変わった気がした。色のついた風が、世界を塗り替えていく。
 数秒ほどの出来事なのに、時間が引き延ばされたような錯覚を覚える。
 色を変えられた場所から、じわりじわり、と音のようなものが聞こえる――それは実際には音ではない。色と、音ならぬ音に、囲まれて。
 その音が、一斉に。
 変わった――開いた。
 ぶわっ、と次々に生み出される感覚――そこで、リグルは耐えられなくなった。
「これって!」
 目を開けた。
 先ほどと変わらない、幽香の姿。
 変わっていたのは周囲の風景だ。
 花々が咲き誇っていた。
 突然に表れた花は、幽香の弾幕――魔法だ。魔力から生み出された花が一斉に咲き誇り、幽香とリグルの周りを包み込んでいた。
「う、わぁ……!」
 普段から幽香の弾幕は見慣れているつもりだった。しかし、こうして落ち着いて、じっと見つめたことはなかったかも知れない。
 季節感も何もあったものじゃない、でたらめにさえ見える色とりどりの花々――だというのに毒々しさは感じない、ただひたすらに美しい。
 それを、リグルは全身の感覚で感じ取っていた。
 鋭敏になったリグルの感覚に押し寄せる花の数々、大渦のように、あるいは竜巻のようにリグルを飲み込んで、圧倒する。
 こんなにも、美しく。
 こんなにも、優しいのに。
 それはなんて、暴力的なのだろう。
「あなたが今、感じているもの――」
「う、うん」
 はっと顔を上げると、幽香は変わらずそこにいた。リグルを抱きしめたまま、笑顔で見つめている。
「それは、人間たちには感じられないものよ。他の妖怪だって、全く同じにはならない。小さな蟲から変じた、あなただからこそのもの」
「そう、なの?」
「私たち妖怪には、それぞれ自分たちだけの感覚があるわ。それは、それぞれの種族で全く違うものなの。
 私とあなただって、全く同じにはならない――そしてだからこそ、私たち妖怪は、強い自我を持ったまま生きていける」
 世界をどう感じるか。
 感じるままの世界で、どう生きるか。
 それこそが妖怪の本懐。幽香の言葉が、リグルの胸に沁みこんでくる。
「リグル」
「うん」
「虫たちのことを、伝えたいのでしょう?」
「うん」
「虫の世界を知っている、小さな虫たちと対等に生きている――そんなあなたの感覚はとても独特で、強烈よ」
「うん」
「なら――思う存分やってみなさい」
「うん――!」
 もう、リグルは迷わなかった。
 幽香の腕から離れる。テーブルに残っていた鉛筆、消しゴム、原稿用紙をかっさらった。
 ――だって、今用意してある分だけだと、絶対に原稿用紙が足りない。
 確信を胸に、リグルは幽香の家を出ていった。自分の家にまだ、原稿用紙のストックが残っている。
 玄関を出たら一直線に、飛行する。ただし、地を這うような低空飛行。
 幽香の花を見た時から。
 リグルの感覚は、最大限に開いたままだった。
 ほんの少しでも多く、虫の気配を、音を、声を聞いていたかった。
 そして、虫の気配と共に、ずっと感じていたかったものがもう一つ――
 それは、胸の高鳴り。
 溢れる気持ちを早くどうにかしたくて、全速力でリグルは飛んだ。



「お茶は残したまま、ドアは開けっ放し……余裕が無いこと」
 幽香の家。
 取り残された幽香は一人、やれやれと苦笑していた。
「焚きつけた私が言うのもなんだけど、まだまだ女の子として未熟よね」
 一人、言葉を紡ぐ幽香。
 一人の時間が長い幽香にとって、独り言は珍しくはない。
 だが、今の独り言は少し、普段とは事情が違っていた。
「自分に、素直に……」
 口で言うのは簡単だ。
 だが、その自分の気持ちがはっきりしない時は、どうすればいいのだろう。
 残された紅茶、リグルの席を見て、幽香は思う。
 抱きしめたリグルの体。小柄な体躯から伝わる体温、鼓動――様々な感情。
 思い出す。リグルの表情。幽香から迫られ、幽香を見上げた体勢でそっと目を閉じ、ただ幽香の言葉を受け入れていた。
 受け入れるでもなく、誘うでもなく、拒絶するでもなく、ただ無防備に。
 無垢な、女の子の妖怪。

 ――『何をぼんやりしているの、リグル』
 ――『キスでもされると思った?』

 一言、からかうつもりだった。もののついでに、恥ずかしがらせてやろうと思ったのだ。
 その一言が、言えなかった。
 幽香は胸を押さえた。未だにドクドクと鳴り続ける、自分の鼓動。
 唇を指でなぞる。先ほどまで紅茶を飲んでいたはずなのに、少し乾いている気がする。

 ――「わからないなら、目を閉じていなさい。すぐに済ませてあげる」――

 思い出す。無防備なリグルの姿を。
 何もわからないままでこちらの言葉に素直に従う、彼女の顔を、体を。
 あの時、幽香はリグルを、どうにでもできた。
 大妖怪と弱小妖怪だ、元より力の差は歴然。いつだってどうにでもできる、それは当たり前だ。
 それでも、リグルは幽香と共にいることを選び、ただ素直に幽香の言葉に耳を傾ける。
 そんなリグルを抱きしめて、腕の中で、彼女の温度を感じて。

 ――自分のものになってしまったような、錯覚を覚えて。
 ――本当に、そうしてしまえば良かったじゃないか、と。
 ――すぐ目の前にある、リグルの唇を奪ってしまえば、どんなに心地よかっただろうか――

 ぞくぞくと、幽香の体をしびれのような感覚が駆け抜けた。
 甘い感覚に震えながら、幽香は自分の感情を整理する。
 ――自分はリグルに好意を持っている。それは――気恥ずかしいが、もはや誤魔化しようがない。認めざるを得ない。
 しかしその好意は、どういう種類のものだろう。そして、どのくらいの大きさの好意だろうか?
 ――自分はリグルを、どうしたい?
 ――自分はリグルに、何をしてほしい?
 ――自分はリグルと、どんな関係になりたい?
 様々な可能性が浮かんでは消える。荒唐無稽な可能性もある、希望に満ちた可能性もある、あるいは――血が沸き立つような、暴力的な可能性もまた、魅力的だ。
 期待があり、不安がある。それらを考えた上で、今のリグルに対する想いは。
 ――今のリグルはまだ、物足りない。
 ――まだ、もったいない。
 ――もっと欲しい。もっと、リグルのことを、リグルに何ができるかを見せてほしい。
 今のリグルは、幽香にとって不確かな存在だ。友人ではあるかも知れないが、唯一無二の存在ではない。
 さりとて遠ざけるにはあまりに惜しい。
 目が離せない――そうだ、それだ。リグルへの期待と不安、それらは表裏一体の一つの感情だ。
 それが幽香とリグルの妖怪としての相性の良さから来るのか、それともリグル自身の魅力によるものなのか。理由は幽香にもわからない。
 理由などどうでも良かった。
 自分の感覚に素直であれ。最終的にはそれだけでいいと、幽香は考える。
「次はどんなことをしてくれるかしら、ね……」
 少し先の未来に想いを馳せて、幽香は身震いした。
 興奮と期待に満ちた微笑みは、夢見る少女のようだった。


 /


 提出された作文を読み終えて、上白沢慧音は苦笑した。
 もしかしたら爆笑したほうがよかったのだろうか、と変なところで疑問に思ったりもした。
 出した宿題は自由作文、400字詰め原稿用紙三枚以上とすること。
 大体の生徒がギリギリ三枚程度の作文を提出する中で。
 リグルが出した作文は、原稿用紙五十枚以上。その時点で、他の生徒たちはみんなドン引いていた。
 リグルが堂々と胸を張って提出した、虫についての作文だ。
 虫の音と虫が生きる姿が交互に書かれた文章が、虫の種類ごとにびっしり書き込まれていた。
 この「虫の音」というのが特に凄い。鳴き声のみならず、人間では絶対に聞き取れない生活音、虫が蠢く音や羽根で空を飛ぶ音、食事や産卵、巣作りや他種族への防衛行動など、虫の生存に関するありとあらゆる音が、見たことも無い表現の擬音語を駆使して書かれている。そこに、虫がどんな生活をしているかの解説文が添えられているという形式だ。
 慧音とて半人半獣であり、また、妖怪の生徒を持つ教師だ。
 妖怪にこの手の創作の宿題を出せば、時として個性的な結果になる。そのことを、知っているつもりだった。
 それでも、こうして圧倒されることはある。
 しかし――全く、嫌な気分ではない。
 もしかしたらこの作文は、虫嫌いの人が読めば、嫌悪感を催すものかも知れない。
 しかし慧音は、そうは思わなかった。
 生徒びいき、それもあるかも知れない。
 しかしそれ以上に、慧音は情熱と、思いやりを感じた。
 それは虫と、そして作文を読む読者への思いやりだ。どうにかして虫のことを知ってほしい、伝わってほしいと願う、真摯な願いだ。
 無論、文章として稚拙なところはあった。誤字や文法の乱れはいくつも見つけられる。
 しかしそれは、失敗を恐れずに最後まで書き上げた証でもある。
「凄いな、これは……何がお前にここまでさせたんだ、リグル?」
 読み終えた作文に手を触れて、思い出す。
 徹夜で作文を書きあげたのだろう、疲労しきっているくせに、目の奥には煌々と燃える光があって。
 そして提出した瞬間の、満足しきったような笑顔。
 それを見られたことこそ、教師として最も喜ばしいことで。

 たいへんよくできました、と書かれたハンコが、作文の最後にポンと押された。
 窓から射す日の光を受けた原稿用紙が、まるできらめいているようにも見えた。
幽リグ! テンション上げて書けて満足!
風見幽香の可能性を見せつけられた気がします。実際に書いてみると奥が深い、まだまだ可能性に満ちています。また幽リグを書いてみたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

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コメント



1.ヘンプ削除
うわあああ……凄かったです。まず表現に圧倒されました。
リグルが悩んでいるところから、幽香が諭すところに……表現したいことを書けることが素晴らしいと思いました。
2.奇声を発する程度の能力削除
良かったです
3.ukkmzvqwwc削除
Muchas gracias. ?Como puedo iniciar sesion?