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この作品はプチ27「亜神の川辺 4」の続きになっています。
先にそちらを読んで頂いたあなたはシャワーを浴びている時に「だるまさんがころんだ」と心の中で十回言ってはいけません。いいですか、いけませんよ「だるまさんがころんだ」だけは。
『 エピローグ 』
結局、小町ははじめから死神を辞めるつもりなどなかったらしい。
「今さら人間なんて喰えるわけないだろう」
そう言って彼女が見せてくれた封筒の中身は、空だった。どうりで薄いはずだとは思ったが、安堵と同時に沸いて出た憤りは拳一発分に相当した。
けれど、空っぽの辞表を懐に抱え、答えを出せないまま彼女が逡巡していた事も確かだ。死者の傍にいる事は、自身の生気をも蒙昧にしてしまうという。霊魂と関わる仕事に就いてさえ明るく振舞っていた分、小町が内側に取り込んだ憂きは深刻なものだったのだろう。色々と誤解を招いた家族二人に謝罪しつつ事情を話すと、神奈子はそんな事を教えてくれた。
他の死神の船頭たちが黙々と生真面目に仕事をするのは、精神にブレをきたさない為の制御法の一種なのだという。誰もが、決して無感情に死者を扱っているわけではないという事実を話した時、小町の表情がほんの少し和らいだような気がした。
もちろん、心配をかけたのは神奈子や諏訪子だけではない。
霊魂を運ぶための舟を小町の独断で拝借して彼岸へと渡り、閻魔の元へ。
顔を見せた瞬間からきっかり三時間ほどを説教に費やしながらも、最終的には早苗が割って入るまでもなく、涙を浮かべて二人は和解した。それで小町の待遇に変化があるかはわからないが、少なくとも悪い方向は傾くまい。
それから数日が経過した。あれきり雨も降らず、穏やかな空模様が続いている。
わざわざ言うほど変わった事など、一つとしてない。
ただ、あえて言うとするなら。
「……と、いうわけだ。そいつの記憶は、そこまで」
長い長い話を終えて、小町は余韻に浸るように眼を細めた。
川原は相変わらずの静けさを保ち、今日もどこかで繰り広げられているであろう弾幕の破裂音さえ届かない。それが何故かはわからないが、それすら気にならない、不思議で、特別な場所。それこそわざわざ言うまでもなく、二人はそこにいる。
砂利の上に敷いた手製の座布団に座って、聞き手に回っていた早苗はすうっと深く息をつく。
「……うん。凄かったんだね」
「あぁ、凄い。外の世界でこんな生き方をした奴は、そういない」
同じくクッションを背に挟んで岩に寄り掛かり、小町が感嘆の呟きを発する。
職務の合間を縫って、彼女たちはここで落ち合っていた。時には寝転がり、時には足先を水につけて涼んだり、飽きる事なく。それは、小町に因るところが大きかった。
船頭をしながら霊と語らった、生前の思い出。彼女はこの場所でそれを聞かせてくれる。なにせ一生分の記憶だ、その内容は壮大で、シビアで、必ず一抹の虚しさを聞き手に残す。それでも人生というのは楽しい事より辛い事の方が多いとは良く言うもので、話の中に時おり紡がれる幸福な出来事を聞くと、小町の話術もあって胸の内が大いに安らいだ。
小町もまた、早苗の前だけでなくより屈託なく笑うようになった。影を潜めた憂いが全て取り除かれたわけではないにせよ、死者たちの記憶を共有する事で肩の荷はだいぶ降りたように見える。
楽観的だろうか。これで何が解決したというのだろうか。
小町はやはり死神で、霊魂を彼岸へと運び続ける。
早苗はやはり人間で、神社への信仰の強まりは微々たるものだ。
ただ。
眼に見える必要などない。ほんの少しだけ心を揺り動かせば、それだけで世界の見方は変わる。それだけで人は救われる。たとえその名を冠するだけの亜神であっても、救えるものがある。
もう少し、微笑む小町の横顔を見ていたかったが。時間を気にして、早苗は告げた。
「そろそろ休憩はおしまいにしたら、小町?」
「んー、もう少しだけ。このクッションめっさええわー」
「駄目よ、ちゃんと仕事しないと。閻魔様に貴女のこと任されたんだから」
「わかったよぉ。その代わりあんたも仕事に戻れよな」
「はいはい。またそれ持ってきてあげるから」
「頼むよ。いってきます、早苗」
そよ風が舞い、青空の彼方へと赤い髪の少女が飛び去っていく。
一つだけ、あえて言うとするなら。
小町のサボる時間が、ほんの少しだけ短くなった。
ちゃんとクッション使ってるって書いてあるのに早苗さんの膝枕だと思ってしまった俺が居る
毎回密かに楽しみにしてました。
重いテーマでしたが、しこりや暗さの残らない
実にこの二人らしい爽やかな結末でとてもよかったです。
すっと流れるような話もいいね!