「そういえばさぁ。」部屋を出る直前にまゆみが振り向いた。
「な、なに?」
「例大祭のホテル、こっちで取っちゃうよ。」
「……そ、そう、だな」
部屋を出る彼女を見送ると、俺はメイクを落としはじめた。
なぜか罪悪感と満足感、その他の感情が身体を駆け巡る。
今、起こったことが本当のことのようには思えなくなってしまっている。
まるで死んだ時の走馬灯のように、さっきの光景と、まゆみ、つまりyumakoと出逢ったときの光景が、ありありと蘇る。
ビッグサイトの西エントランス・ホールのビジョンが周囲に想起され、エスカレーターから驚きに満ち唖然としたまゆみの霊夢コス。
今までそつなく振る舞ってきただけで、あの時から好きだったのかもしれない。
そう彼女と出逢ったのは、忘れもしないあの、夏。
俺は、磨弓と、まゆみに恋をしたのだ。
02a
「あっ、……ついた、ついたぜ先生!、なあ!
なぁ静岡!オイ静岡!めっちゃ晴れてる――ッ!!」
俺は二人分の衣装の入った大きなカートを新幹線のドアから、ホームへと着地させた。
「知っとるわ。なんで説明口調なの。」
yumako先生は折りたたみ台車に載せたダンボール箱を転がして同じホームに降り立った。
「新幹線ひっさしぶりだったわ……」
「早かったな……」
修学旅行以来かもしれないな、新幹線だなんて。
でも、俺達はこれからもこうやってサークル活動の度に旅にでるのかもしれない。
――マァ、例大祭はビッグサイトでやってもらうに限るのだが。
「グリーン車にしたかったけど、特急入稿しちゃったかんね……すまんね、狭いほうで」
まゆみはバツが悪そうにはにかんだ。
「いいさ。帰りは乗れるだろ」俺の鼓動は戻らないでいた。5月なのに、ひどく暑い。
――それもこれも、こいつったら。
新幹線の中。本だけのはずなのに、まるで石のように重たい小さな箱=在庫を天棚に上げ、台車を畳んでやった。
「ヨイショッオラ!」
「あんがと。私窓側ね」
「まぁいいけどよ」俺のカートはでかいので膝の前に置いた。
「それさ」まゆみが俺のカートをさわる。「通路側によけちゃいなよ」
「あぁ?そしたらお前邪魔なるだろ」
「こっちきなよ」まゆみが窓の方に半身詰めて、肘掛けを持ち上げた。「ほれ」
「あ?ああ……」俺は言われるがまま彼女のほうへ寄って、カートを自分の左膝があった場所に寄せた。転がっていかないように、左手は添えたまま。
「ね」二人の膝がくっつく。
「狭くない?」
「へーきっ。」まゆみは窓に右肘をかけ、左手を俺の膝の上に載せた。
「んだ……?」
今日のまゆみは、磨弓を意識しているような黄色のワンピースと七分丈ジーンズ。
正直言って可愛い。好みだ。
数ヶ月前だったら、いくら同志yumako先生といえど、こんなに密着することはなかったのかもしれない。そも、俺が女子とこんなにくっつくことなんて……
「おい、これは、"手、にぎって"くれってことよ」
まゆみが俺の膝を叩く。
「わ、悪ィ、え、そなの?」
「ふん、これだからドーテーくんは」
「待った。俺もう童貞じゃ……」
「悪かったって」俺は慌ててまゆみの手を握った。
新幹線の通路を人が通るたびに、恥ずかしさで体の奥から熱が上がる。
時期が時期なら即隔離レベルに。
「けーくん、めっちゃ、汗かいてんじゃん」
「はずいんだよ。」
「ヤなの?」
「違っ。いいけど、いいけどさァ!ウレシイヨ?神絵師のyumako先生とこんなにお近づきになれてッ!」
「yumakoが好きなの?」
「そりゃァ好きだよ。」
yumako先生じゃない、まゆみが、俺の顔を覗く。鎖骨が見える。
「あいやいやまゆみもアノまゆみとしてもな、……うん」
「磨弓が好きなの?」
「おまえが好きだよ……」
新幹線がゆっくりと進み始めるのを感じた。「東京」の看板が窓の向こうを流れてゆく。俺の掌は大雨のように汗ばむ。
思ったよりも静かなイーンという音とともに、風景はだんだんと速くなる。
「本日も、JR東海をご利用いただき――――」
「そいやさ、あたし、好きってちゃんと言ってもらってなかったかもしれなーい。」
「言った!今言ったっすよ!」俺は握ってる手に力を込めた。
「好きも言われる前に、キスされたし、コスエ……」
「わーーー!声大きいんだよ!」声が大きいのは俺だけ。
「ホントに好き?」
「好き!!おまえが好き!!」
おばかなのかな?俺。
隣の客席の人が振り向いてんじゃん。
「うーれし。やーっとちゃんとした彼氏ができたかも、あたし。」まゆみは照れもせずにそんなことを言った。
灼熱地獄跡みたいになった手を離したいなぁと思いさりげなく握る力を落としながらも、俺はまゆみと会話を続けた。
「ちゃんとした、ってどゆこと?」
今思えばめちゃくちゃデリカシーない発言だわな。
「ん……」 まゆみが目をそらす。
「あいやすまん。いいよ別に。俺前の人ンことなんか気にしねーから」
「……あンね、中学くらいかな、天空璋でたころ?」
yumako先生が絵師を始めたころじゃないか。
「初めて例大祭行って、ま、そんときはサークルもコスプレもしてなかったんだけど、友達になったフォロワーがいて。」
「――そいつと?」
「気が早い。その人と何人かとでアフターに行ったンよ。 そこにいた男がね、あたしの……yumakoのファンだったらしくて、めっちゃんこ感想言ってくれるのね」
「そりゃうれしいな。そいつと……?」
「ちっげーよ。話最後まで聞け。」まゆみは手を握ったままリクライニングのボタンを押した。
顔を見てたかったので俺もそれにあわせた。カートが手から離れちゃった。
「ま、そいつは私が女絵師だったからそーゆーこと考えてたんだろね。」まゆみは新幹線の天井を見ながら語り続ける。俺はまゆみの整った横顔を見ていた。
「そしたら、私に対して抱きついてくるわけよ。大人よ?つかオッサン……」
酔ったんか知らんけど、とまゆみは続けた。
「サイテーですわ。そいつ、どうしたの?」まゆみを握る力が強くなる。本心は聞きたくなかったが、促した。
「や、勘違いされてるけど、私、yumako本人じゃなくて、売り子です、って言ってサ……隣にいたフォロワーが注意してくれて、そんときは事なきを得たんだけど」
yumako先生の横顔は、締め切り間近のときとも、テストの時とも違う哀しみをたたえていた。
電車ん中じゃなかったら、俺……
「あの……カートが」
男に声をかけられる。
「あ!すいませ!」俺は慌ててまゆみから手を離そうとする。離れない。
まゆみを引っ張ったまま片手でカートを膝元に戻す。
「あっれ、もしかして魔理太郎、ちゃうわ、K太郎氏?」
「あ!"うどんすきさん"?!」
「ひっさしぶりー!」
ロン毛メガネのうどんすきさん、20代くらいだっけ。
メイクしたら結構変わるけど、声と素顔は知ってる。もしかしたら去年の例大祭アフターぶりかも。
「うわーっ!久しぶり!例大祭ッスか?」
「そ。前日入りよ。……その子彼女?」
うどんすきさんが俺の手と繋がっているまゆみに目をやる。
「えへ、どーもー」
まゆみは、俺がどう答えるか、待っているように笑顔を作って見せた。
「えーと、うん。そっすよ。」
「えーー!やるじゃん!もしかして彼女もコスプレするん?」
「おう。まゆけーき併せする」
「マジ?たのしみ!じゃ会場でな。カート気をつけんだぜ」
「オッス。」
「……フォロワーさん?」
「ああ、古いつきあいよ。それよりおまえの話。」
俺はまゆみの顔を見ながら握った手に力をこめた。
お前の方が大事だよ、という気持ちをこめて。
「あーどこまではなしたっけ。」
「ヤベーヤツに抱きつかれて、フォロワーさんに助けてもらったって。」
「そう……ハァ。」まゆみは窓を顔に向けて続けた。
「そしたら、次の日、そん人からDMとリプで長文謝罪みたいなのがいくつも来て、無視して即ブロしたの。
そしたらしばらくして、その時隣にいた"ちぇんぱんつさん"……がさ、
そいつがツイッターネームをyumakoの彼氏、ってのにしてる、これホント?って教えてくれて……
所謂あー、あれって、ネトスト?なんかな。
知り合いのFF(相互フォロワー)には説明して、注意喚起ツイ流してもらっ…………なんでそんな顔してんの?」
気づいたらまゆみが俺の方を見ていた。
まるで鬼のような形相をしながら涙ぐんでいたらしい。
「けーくんのそういうとこ好きだがな。」まゆみはニヒルに口角を上げた。俺の温度がどんどんあがってゆく。
「照れたり怒ったり忙しいやつめ。お茶飲む?」
俺はまゆみからペットボトルを受け取り、一気に半分くらい飲んだ。
「で、あたし顔割れてっじゃん?だからコスアカは別名義にしてるのよ。ほら、私メイクで顔変わるタイプじゃん?」
――俺は解ったけどな。ビッグサイトのエスカレーターで、一瞬で。
「もちその人は先制ブロ済みよ。今何してるかもわかんなァい。どーせもう東方にはいないでしょよ」
東方界隈、マジにわからんな、厭になってくる人の気持ちもちょっとわかる。
「俺、その人に刺されっかもな」
「させるかよ。創造主を護るのが"マユミ"の仕事っしょ?」
――あぁ、霊長園の人間霊になりたい。
「そいや、さっき言ってた"ちぇんぱんつ"さんって、
あのちぇんぱん先生?」
pixyvに真面目イラストを投稿すると"きれいなちぇんぱん"
タグが付くでおなじみの。
「そだよ。橙のぱんつたべたべシリーズの」
「まっじっかァー、お前の交友関係やっぱパネな。
――どんな人なの」
「10歳くらい上かなぁ。旦那さんいて、一昨年娘さんも産んだよ。」
「意外……まっ、は??女の人なん?!」
旦那と娘がいて、後輩作家をちゃんとキッパリと護れるような人妻が、あの「橙のぱんつたべたべ」を書いてるという事実…………故に紳士なのか。
「そだ!彼氏できたってこと、ちぇんぱんさんに報告してもイイ?」
yumakoが嬉しそうにリクライニングシートから乗り出して、座席の前のテーブルに置いたスマホを取った。
「は??えっ?」
「あたしそん時から男苦手になっちってて……いろいろと相談に乗ってもらってたのよ。」
「俺、男じゃあなかったのだわよ……?」
「ま~ #CJDは女の子 お前に関しては異論なーし」
「ハァ?そんなタグ使ってる奴に美人の試しなーし。」
暴言を吐きました。
優勝者を告げるK-1の審判のように俺の手を挙げるまゆみ。
「――あれ?それじゃーお前、他の彼氏、とかって?」
「あァーー?……聞く?」
霊夢みたいな返事をしと思ったら、
まゆみがようやく俺の汗ばんだ手を離し、
俺の耳に唇を近づけた。
「……あの時けーき様としたのが、まゆみの初めてだよ……♡」
「あたしに恋させてくれて ありがとよ、けーくん。」
「静岡。静岡。ご乗車ありがとうございます。
お降りの際は、お手荷物などお忘れ物ないようにご注意ください。しずおかー。しずおかー。」
「けーくん、寝てんのか?起きろォ?」
――――ダメだってぇ。
お前、そんな、台詞、
「下ろして。落とすなよ?」
さっきのセリフを反芻しながら、yumako先生の大事な在庫を天棚から下ろす。
――――――――――――――
yumahouse 「レーマリオン」
日光印刷
███████様
東京ビッグサイト
ヱ███8b 1██部 21部
――――――――――――――
yumakoさんの新刊は、
どんな、本なんだろうな。
「――あっ、……ついた、ついたぜ先生!、なあ!
なぁ静岡!オイ静岡!晴れてる――ッ!」
「知っとるわ」
02b
yumako先生のおかげで会場にほど近いホテルがとれている。ビッグサイトでいったらお台場くらいの距離。サークルチケットもあるので、始発待機とかじゃあなく、
起きてホテルから『徒歩五分』。ステキだわ。
「広くねー?やば。広い」
小学生みたいに興奮してきた。
「いいねー、けーくんカーテン開けて」
カートを適当な位置に転がしてカーテンを開けると、
見慣れない静岡の景色が広がっていた。
「晴れてるー」 つい当たり前の事を言ってしまう。
「ほら、アレ」まゆみが俺の腰に手をかけて窓の向こうを指差す。平たい建物。
「おいまさかアレ?」
「うん。なんとかホール。あれだよ明日の会場」
「見えんの!?
……ちっちゃくねぇか?」
ビッグサイトと比べると。
「上から見てっからね。」
まゆみは愉しそうにはにかんだ。見下ろすと、鎖骨がちらつく。
「そだ、いくらだったっけ、ここ」
俺は胸元から目をそらし、尻ポケットから財布を取り出そうとした。
「いーよ、買いもんするでしょ?もう決済してあるから、君のバイト代でてからでもいい。」
「恩に着る。戦利品は共有しよう。」
俺はまゆみの肩に手を回し返した。
「ふふ。いいよ、相棒」
俺とyumakoは明日、あそこに立ち並ぶ同人誌の群れを想像して、胸が高鳴る。
「さーて、どしよかなー」まゆみは窓から離れると早速でかいベッドにダイブしつつ、スマホを触った。
「とにかく昼飯食おうぜ」
「静岡ってサァ何が美味いの?」
「いっぱいあるっしょ。なんだっけ、あー、さわやか?とか……」俺もまゆみのいるベッドに腰掛け、到着ツイートをした。
「アレ郊外でしょ結構」
「えーっと、マウンテン?」
「それは名古屋。まったく地理弱いなぁけーくん」
「わっ、わっかんねーよ。来たことねーもん。初静岡。」
「あたしも~。フォロワーさんに聞いてみよーっと」
間もなくすると、yumako先生の紫アイコンがフリート欄に流れてくる。
――――――――――――――――
○yumako:例大祭ゐ-012b
静岡ついた。
ゆるぼ:ごはん。
――――――――――――――――
「あ、さっきのうどんすきさんからフォロー飛んできてる。」
通知欄を見ると、俺のアカウントでRTしたyumako先生の宣伝ツイートからたぐってきたっぽい。そういや、書いてる座標も同じだし。
「悪い人じゃねーよ」
「ま、絵アカは絵師だけと決めてるからなー。
じゃあコスアカからフォローしとこ」
「風呂先入ってい?俺ほら、ムダ毛処理があっからさ」
「ええよ。全裸で出てくんナよ?」
風呂で身体を流しつつ、不必要な毛を手早く破壊して、
パンツと寝間着の弾幕Tを着て浴場を出ると、
部屋に磨弓がいた。
――間違いない、磨弓だった。
「おっおっおっ……かわいい……」
「ふふ。」
「いやどうして」
「試着。」
合皮張りの籠手を撫でながら、yumakoの磨弓が立ち上がる。
「一人で着れるようにしといてくれたんだね、あんがと」
「女子更衣室に入るわけにゃいかんからなァ。そこんとこは任せんしゃいよ。」
「で、どうですか?」磨弓が微笑む。
「ンァーーーッめっちゃ好き!!」
「磨弓が?」「まゆみがだよ!!!」
どうした俺、泣きそう。
「おいで♡」磨弓が両手を広げて、ベッドに腰掛けた。
迷わず俺は飛びつく。
「アアー!!」
俺は壊れた。
合皮製の珪甲を抱きしめながらベッドに横たわる二人。
なきべそをかいているのか喜んでいるのかわからない、とにかく見せられない顔をしていた。磨弓から微かに香水のかおりがする。
yumakoさんの端正な顔が近くではにかむ。ここにいる磨弓が本物ではないかと錯覚する。
「……この前の衣装併せ、けっこー伸びたのよ。まゆけーき揃ってのコス写が稀少なのもあっけどね」
――そりゃァおい、お前が可愛いからだろ。
言いたかったけど、今日の俺のボムはとっくに残ゼロだった。
「かわいい?わたし。」
だが、避けられない。
「うん、かわいい。」
身体が激しく熱くなる。
二人は黙ってしまった。
黙ったら、顔は自然と近づく。
03a
寝不足だっ!
なにがあったか?聞くな!
はい!前回までのあらすじ!
俺、コスプレ売り子のK太郎は絵師でクラスメイト(一応、彼女)のyumakoと共に静岡に来ていた!
そして今日は東方最大同人即売イベント『例大祭』!
yumakoに推しの磨弓のコスプレを作ってあげて、
俺は先程見事埴安神袿姫に変身し、男子更衣室を出た!
スマホを見ると、会場まであと10分!!一般待機列が目前に迫る!
俺は慌てて『yumahouse』のサークルスペースに戻る。
あくまで、走らずに。
というか、この袿姫のコス、下駄がガッチャガチャするので走れるわけがないッ!尤も走ってはいけないが!
yumako先生は誕生日席。
ちなみにベテラン東方二次小説愛好同士諸君には説明不要かもしれないが、僭越ながら説明させていただくと、誕生日席とは、『島』の先端に配置されているということ。すなわち、それだけyumakoという絵師が期待されている証だ(個人の感想です)。
「おまたせーッ!」
「おかえりー。着替えンの早くなったねぇ!」
磨弓が剣を振って出迎えてくれる。かわいすぎか。
背後にはまゆけーきのポスター。アッ!右のサークル知ってる人だ!!もちろんまゆけーき!
「男子混んでた?」
「いつもの感じだったかな……新刊これ?」
yumakoの描いた磨弓と袿姫が鮮やかに輝く。表紙の紙と相俟って、最高に輝いている。俺の目には、この例大祭の中で最も手に入れる価値ある本のように見えた。
「そだよっ。ごめんね全年齢で」
「バカ言え、出せねーだろ、買えねーだろ。」
アナウンスが入り、『童祭』の原曲がホール全体にこだまする。即売会開始の拍手が轟々と鳴り響く!行列の移動する足音が聞こえた。例大祭の始まりだっ!!
03b
開場からすぐ、数人の参加者が買いにきた。これだけの数のサークルがあるのに、最初に来てくれたのか……
凄いな、yumako。
「500円です!ありがとうございます!」
「おっ…………」俺の地声に圧倒される一般参加者の図。
「お、おや男性ですか、すごいですね気づきませんでした。」嬉しい。
「えーっ、お世辞うまい!?ありがとうございます!」
「あのー、yumako先生って……いらっしゃってますか?」
「あっ……」俺はyumakoの方を一瞬見るが、新幹線の時の話を思い出した。
「……ああ、今いなくて。差し入れとかでしたらお渡ししますが」
「あ、いえ、お忙しくなければ、スケブを頼もうと思ってただけで……。そしたら売り子の方でこれ、召し上がってください。」男性は鞄から個包装のチョコレート菓子を三つつ渡してくれた。
「あーっ、ありがとうございます!まゆみっ……あ」
しまったァーーーッッ!!!!!!
"yumako"呼びを避けた結果の、
まさかの、本名……ッ!
最悪だ。yumakoいない前提でなんと呼ばせるか考えておけばよかった……どうしよう。なんとか誤魔化……!?
俺が血の気の引いた脳細胞を霊界トランスさせている間にyumako=まゆみがパイプ椅子から立ち上がる。
「あ、ありがとうございます。"袿姫様と"一緒に頂きますね」
yumakoは俺の失態をキャラ呼びでうまくカバーした。
よかった……まゆみが磨弓で……。
「よろしくお伝えください」
「感想が一番嬉しいと言ってらしたので、よかったらマシュマロにでもよろしくお願いしますね~」
「あー。そうしますね。感想書かせていただきます。売り子さんどちらも可愛いですね。また。」
「「ありがとうございます~」」
「今日は基本まゆみって呼んでいいよ。なりきりじゃないけど、キャラ呼びは違和感ないっしょ。あるいはコスアカの方の"飛行蟲ネスト"かな」
「す、すみません飛行蟲ネスト様……」俺はパイプ椅子にうずくまった。
「いーよ、ファインプレーだったわ。」
しばらくすると、30代くらいの金髪ボブの女性がやってきた。
「どうぞ~」
「ネストちゃー!来たよ!新刊くだち~!」
「ちぇんぱん先生ー?おひさですー!」
――マジ!?壁サー、ちぇんぱんつ先生、yumakoのスペース来るの!?
「え!?磨弓ちゃんかわよ!けーきさま売り子?はー二人とも可愛い!スゲーッ!」
「ド、ドーモ!」俺はニンジャか。
「はいこれ差し入れー!あなた、もしかしてー!」
「あ、K太郎ッス!あひゃじめまして!いつも見てます」
「噛んだし」
「ちぇんぱんつでーす。」トートから新刊「ちぇんのぱんつたべたい37(全年齢)」とクッキーを二個差し出して俺にくれた。挨拶用にあらかじめ用意したものらしく、表紙にマステで名刺が貼られていた。
「うお!あざっっ!!」
ちぇんぱんつ先生、スゲー凝ったネイルをしている。
あっ、橙モチーフか、この色彩は。
ちぇんぱんつ先生は橙ネイルの掌を口元に当て、
yumakoに顔を近づけた。
「……ぴ?」「うん。」
「ヤベーーー!春に来たって感じ!!」
ちぇんぱんつ先生、結構ツイッターは淡々と「ちぇんのぱんつたべたひ」って言ってるけど、結構こんなに陽気なタイプなんだ……。
「衣装もね、彼が作ってくれたんです」 「ほぇ、スッゲーーー。」俺たちをまじまじと見る神絵師。
「あっ、yumakoの新刊です……」
「きみきみ。」新刊を渡そうとした俺の手を、ちぇんぱんつさんがガシッと握り、真剣な顔で俺を見た。
「yumaちゃん泣かしちゃダメだかんね……!」
「あっ、おお、はいっ!」
「はーうちもコス売り子はべらそっかなー橙ちゃんの。橙ちゃんレイヤー知り合いにいる?」
フツーに橙ちゃんのことを考えてにやにやしているようだが、俺には、まゆみの事、yumakoのことを心配してくれていて、俺たちを見て安心したかのようにもみえた。
俺にサードアイが生えてたら、号泣しているところだったろう。
「……どーだったかなー、けーくんは?」
「そうッすね、CJDなら紹介できますよ」
「それでもいいねぇ!低身長のショ……あっ!戻るわ。またねぇー!」 嵐のように帰って行くちぇんぱんつ先生。
「そろそろ落ち着いたし、買い物いっていーよ」
「あ、ほんと?!お前ひとりで大丈夫?」
「できたらでいいから、ココだけ買ってきて。」磨弓がメモを俺に渡す。
「おう!わかった、任せな。まずは……」
俺はおもむろにサークルスペースから立ち上がり、磨弓のほうを向いた。
「新刊ください!!」
04a
「ただいまー。」
「おかえりなさい、袿姫様♡」磨弓が笑う。
俺はにやけた。
「キモい顔になってっぞ、袿姫様」
「え、だって、最高じゃん」
――控えめに言っても最高なんだよな、磨弓ちゃんに『おかえり』って言ってもらえるなんて。
「キモイわー。」
「あ、お前メモんとこ、これでよかった?」渡されたメモのサークルの紙袋セットを手渡す。
「おー、やったゼ。あんがとー。」
「俺のオススメも入れといた。レイマリとか」
「でかした。」パイプ椅子に戻ると、にわかに男性がやってくる。
「新刊一部。」
「はいっ、500円ッス」俺は立ち上がり、新刊を渡した。
「どーも~。」男性は硬貨を俺に渡すと、新刊を受け取りながら話し始めた。「あのォ、あとでコス広場とか行く予定あります?」
「えっ、どーかな、まゆ、磨弓はどーする?」
「ん、えーと、サークルがあるので。袿姫様だけでしたらお貸しできますが……」
お貸し、って。
「磨弓と袿姫さん、合わせで撮りたかったなぁ。
じゃまた今度!」
「あざます!」
yumakoは展示している新刊を並べ直して、俺の方を向いた。
「――なんか、さっきの人、"いらすとや"みたいな顔してなかった?」唐突にyumakoが破顔する。
「え!?は、はは。してた?"いらすとや"あんな顔?」
「うん。似てたって。」磨弓がはにかむ。
まるで磨弓と一緒に売り子をやっているような気持ちになる。最高に幸せだ。
レイヤーとしては、写真になって、投稿することがフィニッシュかもしれない。俺も半分はそう思っていたが、
今この瞬間、この、女友達(yumako)と、いや、彼女(まゆみ)と、そして磨弓と過ごしているこの瞬間が、限りなく『完成』に近かった。この喜びは、誰にも分かち合えない。分かち合うことはできない。
「けーくん、そろそろ次の箱開けてちょ」
「え?いや、それで最後だぜ?」
「マジ……?じゃコレ売れたら終わりかぁ」
「委託分とかは?」
「レモンブックスととらのまるには置いてあるけど……」
「もうねーの!?」まだ13時を回ろうかという頃である。
いや、確かにここまでかなりのペースで捌けたし、見るとお金を入れているタッパーは硬貨でいっぱいだ。
「へへ、グリーン車乗れるね」
「のんきだなぁ。」
「アフター焼き肉奢ってもいいよ」
「……マジ?」
「ちわー、新刊くださいな」
カートをごろごろと引いてやってきたのは、鈴仙コスのうどんすきさん。
「新幹線ぶりッスね!500円ですー。」
「すご、本当に磨弓と袿姫じゃん。K太郎くん自作?」
「作った!」
「パネェな……写真撮ってもいい?」うどんすきさんが鈴仙のジャケットのポッケからスマホを取り出す。
「それが、サークルスペース俺らだけなんで、コス広場いけんのですよ。」「そっかァ。」
「あーー、"行ける"かも。」yumakoが段ボールの前にしゃがんだままつぶやいた。
「えっ?」
「けーくん、お金しまって、持ってってくれる?」
「――まさか?」
磨弓が立ち上がって、神妙な顔で告げた。
「新刊、完売です。ありがとうございます。」
「うおっしゃー!?おめでとう!」
「おめでとうッス!!」俺とうどんすきさんは精一杯の拍手をした。
「おめでとうございますー!」隣のサークルさん(※ダザイオサQさん)も拍手してくれた。
うどんすきさんがカートから手を離した。「そ、そしたら、仕舞うものとか手伝うよ!?」
「恩に着ます」
「よし、けーくん、既刊ダンボールたのむ。じゃア、うどんすきさん? 最後の一人だし、ポスター要ります?」
「ほしい!」
「あ待って!俺もホシイ!」
yumakoは油性ペンを手に取り、岸辺露伴顔負けのスピードで磨弓をスケッチブックに描くと、
――――――――――――――――――――
『新刊完売しました!委託あります!』
――――――――――――――――――――
と添えて、裸の机にブックスタンドを置いた。
「盗られん?」「別に取らんでしょ……」
「yumako書き下ろしだぜ?」
「おーげさ……」
「――閉会までだったら、見ておきますよ」隣から声がした。
「ダザイオサQさん……」
ヤバい、泣きそうだよ……
「さっきもらったけど、買わしてください!!既刊ぜんぶ!」
「あは、気にしなくていいですよ。ライダーは助け合いでしょう?」
「ダザイオサQさん!!」隣の既刊を二部づつ買った。
04b
――うどんすきさんに撮ってもらって、俺のアカウントで投稿したまゆけーきは
520fav、200RTを記録した。マジかよ。
「左男?」とか傷つく引用リプライもあったが、
「仲良さそう」というリプが一番嬉しかった。
フォロワーは、あんまり増えなかった。
家に帰るのを待てずに宿で読んだyumako先生の本は、最高だった。
隣で恥ずかしそうにほくそえむ作者がいた。
俺は"まゆみ"の磨弓に、もう一度恋をした。
「な、なに?」
「例大祭のホテル、こっちで取っちゃうよ。」
「……そ、そう、だな」
部屋を出る彼女を見送ると、俺はメイクを落としはじめた。
なぜか罪悪感と満足感、その他の感情が身体を駆け巡る。
今、起こったことが本当のことのようには思えなくなってしまっている。
まるで死んだ時の走馬灯のように、さっきの光景と、まゆみ、つまりyumakoと出逢ったときの光景が、ありありと蘇る。
ビッグサイトの西エントランス・ホールのビジョンが周囲に想起され、エスカレーターから驚きに満ち唖然としたまゆみの霊夢コス。
今までそつなく振る舞ってきただけで、あの時から好きだったのかもしれない。
そう彼女と出逢ったのは、忘れもしないあの、夏。
俺は、磨弓と、まゆみに恋をしたのだ。
02a
「あっ、……ついた、ついたぜ先生!、なあ!
なぁ静岡!オイ静岡!めっちゃ晴れてる――ッ!!」
俺は二人分の衣装の入った大きなカートを新幹線のドアから、ホームへと着地させた。
「知っとるわ。なんで説明口調なの。」
yumako先生は折りたたみ台車に載せたダンボール箱を転がして同じホームに降り立った。
「新幹線ひっさしぶりだったわ……」
「早かったな……」
修学旅行以来かもしれないな、新幹線だなんて。
でも、俺達はこれからもこうやってサークル活動の度に旅にでるのかもしれない。
――マァ、例大祭はビッグサイトでやってもらうに限るのだが。
「グリーン車にしたかったけど、特急入稿しちゃったかんね……すまんね、狭いほうで」
まゆみはバツが悪そうにはにかんだ。
「いいさ。帰りは乗れるだろ」俺の鼓動は戻らないでいた。5月なのに、ひどく暑い。
――それもこれも、こいつったら。
新幹線の中。本だけのはずなのに、まるで石のように重たい小さな箱=在庫を天棚に上げ、台車を畳んでやった。
「ヨイショッオラ!」
「あんがと。私窓側ね」
「まぁいいけどよ」俺のカートはでかいので膝の前に置いた。
「それさ」まゆみが俺のカートをさわる。「通路側によけちゃいなよ」
「あぁ?そしたらお前邪魔なるだろ」
「こっちきなよ」まゆみが窓の方に半身詰めて、肘掛けを持ち上げた。「ほれ」
「あ?ああ……」俺は言われるがまま彼女のほうへ寄って、カートを自分の左膝があった場所に寄せた。転がっていかないように、左手は添えたまま。
「ね」二人の膝がくっつく。
「狭くない?」
「へーきっ。」まゆみは窓に右肘をかけ、左手を俺の膝の上に載せた。
「んだ……?」
今日のまゆみは、磨弓を意識しているような黄色のワンピースと七分丈ジーンズ。
正直言って可愛い。好みだ。
数ヶ月前だったら、いくら同志yumako先生といえど、こんなに密着することはなかったのかもしれない。そも、俺が女子とこんなにくっつくことなんて……
「おい、これは、"手、にぎって"くれってことよ」
まゆみが俺の膝を叩く。
「わ、悪ィ、え、そなの?」
「ふん、これだからドーテーくんは」
「待った。俺もう童貞じゃ……」
「悪かったって」俺は慌ててまゆみの手を握った。
新幹線の通路を人が通るたびに、恥ずかしさで体の奥から熱が上がる。
時期が時期なら即隔離レベルに。
「けーくん、めっちゃ、汗かいてんじゃん」
「はずいんだよ。」
「ヤなの?」
「違っ。いいけど、いいけどさァ!ウレシイヨ?神絵師のyumako先生とこんなにお近づきになれてッ!」
「yumakoが好きなの?」
「そりゃァ好きだよ。」
yumako先生じゃない、まゆみが、俺の顔を覗く。鎖骨が見える。
「あいやいやまゆみもアノまゆみとしてもな、……うん」
「磨弓が好きなの?」
「おまえが好きだよ……」
新幹線がゆっくりと進み始めるのを感じた。「東京」の看板が窓の向こうを流れてゆく。俺の掌は大雨のように汗ばむ。
思ったよりも静かなイーンという音とともに、風景はだんだんと速くなる。
「本日も、JR東海をご利用いただき――――」
「そいやさ、あたし、好きってちゃんと言ってもらってなかったかもしれなーい。」
「言った!今言ったっすよ!」俺は握ってる手に力を込めた。
「好きも言われる前に、キスされたし、コスエ……」
「わーーー!声大きいんだよ!」声が大きいのは俺だけ。
「ホントに好き?」
「好き!!おまえが好き!!」
おばかなのかな?俺。
隣の客席の人が振り向いてんじゃん。
「うーれし。やーっとちゃんとした彼氏ができたかも、あたし。」まゆみは照れもせずにそんなことを言った。
灼熱地獄跡みたいになった手を離したいなぁと思いさりげなく握る力を落としながらも、俺はまゆみと会話を続けた。
「ちゃんとした、ってどゆこと?」
今思えばめちゃくちゃデリカシーない発言だわな。
「ん……」 まゆみが目をそらす。
「あいやすまん。いいよ別に。俺前の人ンことなんか気にしねーから」
「……あンね、中学くらいかな、天空璋でたころ?」
yumako先生が絵師を始めたころじゃないか。
「初めて例大祭行って、ま、そんときはサークルもコスプレもしてなかったんだけど、友達になったフォロワーがいて。」
「――そいつと?」
「気が早い。その人と何人かとでアフターに行ったンよ。 そこにいた男がね、あたしの……yumakoのファンだったらしくて、めっちゃんこ感想言ってくれるのね」
「そりゃうれしいな。そいつと……?」
「ちっげーよ。話最後まで聞け。」まゆみは手を握ったままリクライニングのボタンを押した。
顔を見てたかったので俺もそれにあわせた。カートが手から離れちゃった。
「ま、そいつは私が女絵師だったからそーゆーこと考えてたんだろね。」まゆみは新幹線の天井を見ながら語り続ける。俺はまゆみの整った横顔を見ていた。
「そしたら、私に対して抱きついてくるわけよ。大人よ?つかオッサン……」
酔ったんか知らんけど、とまゆみは続けた。
「サイテーですわ。そいつ、どうしたの?」まゆみを握る力が強くなる。本心は聞きたくなかったが、促した。
「や、勘違いされてるけど、私、yumako本人じゃなくて、売り子です、って言ってサ……隣にいたフォロワーが注意してくれて、そんときは事なきを得たんだけど」
yumako先生の横顔は、締め切り間近のときとも、テストの時とも違う哀しみをたたえていた。
電車ん中じゃなかったら、俺……
「あの……カートが」
男に声をかけられる。
「あ!すいませ!」俺は慌ててまゆみから手を離そうとする。離れない。
まゆみを引っ張ったまま片手でカートを膝元に戻す。
「あっれ、もしかして魔理太郎、ちゃうわ、K太郎氏?」
「あ!"うどんすきさん"?!」
「ひっさしぶりー!」
ロン毛メガネのうどんすきさん、20代くらいだっけ。
メイクしたら結構変わるけど、声と素顔は知ってる。もしかしたら去年の例大祭アフターぶりかも。
「うわーっ!久しぶり!例大祭ッスか?」
「そ。前日入りよ。……その子彼女?」
うどんすきさんが俺の手と繋がっているまゆみに目をやる。
「えへ、どーもー」
まゆみは、俺がどう答えるか、待っているように笑顔を作って見せた。
「えーと、うん。そっすよ。」
「えーー!やるじゃん!もしかして彼女もコスプレするん?」
「おう。まゆけーき併せする」
「マジ?たのしみ!じゃ会場でな。カート気をつけんだぜ」
「オッス。」
「……フォロワーさん?」
「ああ、古いつきあいよ。それよりおまえの話。」
俺はまゆみの顔を見ながら握った手に力をこめた。
お前の方が大事だよ、という気持ちをこめて。
「あーどこまではなしたっけ。」
「ヤベーヤツに抱きつかれて、フォロワーさんに助けてもらったって。」
「そう……ハァ。」まゆみは窓を顔に向けて続けた。
「そしたら、次の日、そん人からDMとリプで長文謝罪みたいなのがいくつも来て、無視して即ブロしたの。
そしたらしばらくして、その時隣にいた"ちぇんぱんつさん"……がさ、
そいつがツイッターネームをyumakoの彼氏、ってのにしてる、これホント?って教えてくれて……
所謂あー、あれって、ネトスト?なんかな。
知り合いのFF(相互フォロワー)には説明して、注意喚起ツイ流してもらっ…………なんでそんな顔してんの?」
気づいたらまゆみが俺の方を見ていた。
まるで鬼のような形相をしながら涙ぐんでいたらしい。
「けーくんのそういうとこ好きだがな。」まゆみはニヒルに口角を上げた。俺の温度がどんどんあがってゆく。
「照れたり怒ったり忙しいやつめ。お茶飲む?」
俺はまゆみからペットボトルを受け取り、一気に半分くらい飲んだ。
「で、あたし顔割れてっじゃん?だからコスアカは別名義にしてるのよ。ほら、私メイクで顔変わるタイプじゃん?」
――俺は解ったけどな。ビッグサイトのエスカレーターで、一瞬で。
「もちその人は先制ブロ済みよ。今何してるかもわかんなァい。どーせもう東方にはいないでしょよ」
東方界隈、マジにわからんな、厭になってくる人の気持ちもちょっとわかる。
「俺、その人に刺されっかもな」
「させるかよ。創造主を護るのが"マユミ"の仕事っしょ?」
――あぁ、霊長園の人間霊になりたい。
「そいや、さっき言ってた"ちぇんぱんつ"さんって、
あのちぇんぱん先生?」
pixyvに真面目イラストを投稿すると"きれいなちぇんぱん"
タグが付くでおなじみの。
「そだよ。橙のぱんつたべたべシリーズの」
「まっじっかァー、お前の交友関係やっぱパネな。
――どんな人なの」
「10歳くらい上かなぁ。旦那さんいて、一昨年娘さんも産んだよ。」
「意外……まっ、は??女の人なん?!」
旦那と娘がいて、後輩作家をちゃんとキッパリと護れるような人妻が、あの「橙のぱんつたべたべ」を書いてるという事実…………故に紳士なのか。
「そだ!彼氏できたってこと、ちぇんぱんさんに報告してもイイ?」
yumakoが嬉しそうにリクライニングシートから乗り出して、座席の前のテーブルに置いたスマホを取った。
「は??えっ?」
「あたしそん時から男苦手になっちってて……いろいろと相談に乗ってもらってたのよ。」
「俺、男じゃあなかったのだわよ……?」
「ま~ #CJDは女の子 お前に関しては異論なーし」
「ハァ?そんなタグ使ってる奴に美人の試しなーし。」
暴言を吐きました。
優勝者を告げるK-1の審判のように俺の手を挙げるまゆみ。
「――あれ?それじゃーお前、他の彼氏、とかって?」
「あァーー?……聞く?」
霊夢みたいな返事をしと思ったら、
まゆみがようやく俺の汗ばんだ手を離し、
俺の耳に唇を近づけた。
「……あの時けーき様としたのが、まゆみの初めてだよ……♡」
「あたしに恋させてくれて ありがとよ、けーくん。」
「静岡。静岡。ご乗車ありがとうございます。
お降りの際は、お手荷物などお忘れ物ないようにご注意ください。しずおかー。しずおかー。」
「けーくん、寝てんのか?起きろォ?」
――――ダメだってぇ。
お前、そんな、台詞、
「下ろして。落とすなよ?」
さっきのセリフを反芻しながら、yumako先生の大事な在庫を天棚から下ろす。
――――――――――――――
yumahouse 「レーマリオン」
日光印刷
███████様
東京ビッグサイト
ヱ███8b 1██部 21部
――――――――――――――
yumakoさんの新刊は、
どんな、本なんだろうな。
「――あっ、……ついた、ついたぜ先生!、なあ!
なぁ静岡!オイ静岡!晴れてる――ッ!」
「知っとるわ」
02b
yumako先生のおかげで会場にほど近いホテルがとれている。ビッグサイトでいったらお台場くらいの距離。サークルチケットもあるので、始発待機とかじゃあなく、
起きてホテルから『徒歩五分』。ステキだわ。
「広くねー?やば。広い」
小学生みたいに興奮してきた。
「いいねー、けーくんカーテン開けて」
カートを適当な位置に転がしてカーテンを開けると、
見慣れない静岡の景色が広がっていた。
「晴れてるー」 つい当たり前の事を言ってしまう。
「ほら、アレ」まゆみが俺の腰に手をかけて窓の向こうを指差す。平たい建物。
「おいまさかアレ?」
「うん。なんとかホール。あれだよ明日の会場」
「見えんの!?
……ちっちゃくねぇか?」
ビッグサイトと比べると。
「上から見てっからね。」
まゆみは愉しそうにはにかんだ。見下ろすと、鎖骨がちらつく。
「そだ、いくらだったっけ、ここ」
俺は胸元から目をそらし、尻ポケットから財布を取り出そうとした。
「いーよ、買いもんするでしょ?もう決済してあるから、君のバイト代でてからでもいい。」
「恩に着る。戦利品は共有しよう。」
俺はまゆみの肩に手を回し返した。
「ふふ。いいよ、相棒」
俺とyumakoは明日、あそこに立ち並ぶ同人誌の群れを想像して、胸が高鳴る。
「さーて、どしよかなー」まゆみは窓から離れると早速でかいベッドにダイブしつつ、スマホを触った。
「とにかく昼飯食おうぜ」
「静岡ってサァ何が美味いの?」
「いっぱいあるっしょ。なんだっけ、あー、さわやか?とか……」俺もまゆみのいるベッドに腰掛け、到着ツイートをした。
「アレ郊外でしょ結構」
「えーっと、マウンテン?」
「それは名古屋。まったく地理弱いなぁけーくん」
「わっ、わっかんねーよ。来たことねーもん。初静岡。」
「あたしも~。フォロワーさんに聞いてみよーっと」
間もなくすると、yumako先生の紫アイコンがフリート欄に流れてくる。
――――――――――――――――
○yumako:例大祭ゐ-012b
静岡ついた。
ゆるぼ:ごはん。
――――――――――――――――
「あ、さっきのうどんすきさんからフォロー飛んできてる。」
通知欄を見ると、俺のアカウントでRTしたyumako先生の宣伝ツイートからたぐってきたっぽい。そういや、書いてる座標も同じだし。
「悪い人じゃねーよ」
「ま、絵アカは絵師だけと決めてるからなー。
じゃあコスアカからフォローしとこ」
「風呂先入ってい?俺ほら、ムダ毛処理があっからさ」
「ええよ。全裸で出てくんナよ?」
風呂で身体を流しつつ、不必要な毛を手早く破壊して、
パンツと寝間着の弾幕Tを着て浴場を出ると、
部屋に磨弓がいた。
――間違いない、磨弓だった。
「おっおっおっ……かわいい……」
「ふふ。」
「いやどうして」
「試着。」
合皮張りの籠手を撫でながら、yumakoの磨弓が立ち上がる。
「一人で着れるようにしといてくれたんだね、あんがと」
「女子更衣室に入るわけにゃいかんからなァ。そこんとこは任せんしゃいよ。」
「で、どうですか?」磨弓が微笑む。
「ンァーーーッめっちゃ好き!!」
「磨弓が?」「まゆみがだよ!!!」
どうした俺、泣きそう。
「おいで♡」磨弓が両手を広げて、ベッドに腰掛けた。
迷わず俺は飛びつく。
「アアー!!」
俺は壊れた。
合皮製の珪甲を抱きしめながらベッドに横たわる二人。
なきべそをかいているのか喜んでいるのかわからない、とにかく見せられない顔をしていた。磨弓から微かに香水のかおりがする。
yumakoさんの端正な顔が近くではにかむ。ここにいる磨弓が本物ではないかと錯覚する。
「……この前の衣装併せ、けっこー伸びたのよ。まゆけーき揃ってのコス写が稀少なのもあっけどね」
――そりゃァおい、お前が可愛いからだろ。
言いたかったけど、今日の俺のボムはとっくに残ゼロだった。
「かわいい?わたし。」
だが、避けられない。
「うん、かわいい。」
身体が激しく熱くなる。
二人は黙ってしまった。
黙ったら、顔は自然と近づく。
03a
寝不足だっ!
なにがあったか?聞くな!
はい!前回までのあらすじ!
俺、コスプレ売り子のK太郎は絵師でクラスメイト(一応、彼女)のyumakoと共に静岡に来ていた!
そして今日は東方最大同人即売イベント『例大祭』!
yumakoに推しの磨弓のコスプレを作ってあげて、
俺は先程見事埴安神袿姫に変身し、男子更衣室を出た!
スマホを見ると、会場まであと10分!!一般待機列が目前に迫る!
俺は慌てて『yumahouse』のサークルスペースに戻る。
あくまで、走らずに。
というか、この袿姫のコス、下駄がガッチャガチャするので走れるわけがないッ!尤も走ってはいけないが!
yumako先生は誕生日席。
ちなみにベテラン東方二次小説愛好同士諸君には説明不要かもしれないが、僭越ながら説明させていただくと、誕生日席とは、『島』の先端に配置されているということ。すなわち、それだけyumakoという絵師が期待されている証だ(個人の感想です)。
「おまたせーッ!」
「おかえりー。着替えンの早くなったねぇ!」
磨弓が剣を振って出迎えてくれる。かわいすぎか。
背後にはまゆけーきのポスター。アッ!右のサークル知ってる人だ!!もちろんまゆけーき!
「男子混んでた?」
「いつもの感じだったかな……新刊これ?」
yumakoの描いた磨弓と袿姫が鮮やかに輝く。表紙の紙と相俟って、最高に輝いている。俺の目には、この例大祭の中で最も手に入れる価値ある本のように見えた。
「そだよっ。ごめんね全年齢で」
「バカ言え、出せねーだろ、買えねーだろ。」
アナウンスが入り、『童祭』の原曲がホール全体にこだまする。即売会開始の拍手が轟々と鳴り響く!行列の移動する足音が聞こえた。例大祭の始まりだっ!!
03b
開場からすぐ、数人の参加者が買いにきた。これだけの数のサークルがあるのに、最初に来てくれたのか……
凄いな、yumako。
「500円です!ありがとうございます!」
「おっ…………」俺の地声に圧倒される一般参加者の図。
「お、おや男性ですか、すごいですね気づきませんでした。」嬉しい。
「えーっ、お世辞うまい!?ありがとうございます!」
「あのー、yumako先生って……いらっしゃってますか?」
「あっ……」俺はyumakoの方を一瞬見るが、新幹線の時の話を思い出した。
「……ああ、今いなくて。差し入れとかでしたらお渡ししますが」
「あ、いえ、お忙しくなければ、スケブを頼もうと思ってただけで……。そしたら売り子の方でこれ、召し上がってください。」男性は鞄から個包装のチョコレート菓子を三つつ渡してくれた。
「あーっ、ありがとうございます!まゆみっ……あ」
しまったァーーーッッ!!!!!!
"yumako"呼びを避けた結果の、
まさかの、本名……ッ!
最悪だ。yumakoいない前提でなんと呼ばせるか考えておけばよかった……どうしよう。なんとか誤魔化……!?
俺が血の気の引いた脳細胞を霊界トランスさせている間にyumako=まゆみがパイプ椅子から立ち上がる。
「あ、ありがとうございます。"袿姫様と"一緒に頂きますね」
yumakoは俺の失態をキャラ呼びでうまくカバーした。
よかった……まゆみが磨弓で……。
「よろしくお伝えください」
「感想が一番嬉しいと言ってらしたので、よかったらマシュマロにでもよろしくお願いしますね~」
「あー。そうしますね。感想書かせていただきます。売り子さんどちらも可愛いですね。また。」
「「ありがとうございます~」」
「今日は基本まゆみって呼んでいいよ。なりきりじゃないけど、キャラ呼びは違和感ないっしょ。あるいはコスアカの方の"飛行蟲ネスト"かな」
「す、すみません飛行蟲ネスト様……」俺はパイプ椅子にうずくまった。
「いーよ、ファインプレーだったわ。」
しばらくすると、30代くらいの金髪ボブの女性がやってきた。
「どうぞ~」
「ネストちゃー!来たよ!新刊くだち~!」
「ちぇんぱん先生ー?おひさですー!」
――マジ!?壁サー、ちぇんぱんつ先生、yumakoのスペース来るの!?
「え!?磨弓ちゃんかわよ!けーきさま売り子?はー二人とも可愛い!スゲーッ!」
「ド、ドーモ!」俺はニンジャか。
「はいこれ差し入れー!あなた、もしかしてー!」
「あ、K太郎ッス!あひゃじめまして!いつも見てます」
「噛んだし」
「ちぇんぱんつでーす。」トートから新刊「ちぇんのぱんつたべたい37(全年齢)」とクッキーを二個差し出して俺にくれた。挨拶用にあらかじめ用意したものらしく、表紙にマステで名刺が貼られていた。
「うお!あざっっ!!」
ちぇんぱんつ先生、スゲー凝ったネイルをしている。
あっ、橙モチーフか、この色彩は。
ちぇんぱんつ先生は橙ネイルの掌を口元に当て、
yumakoに顔を近づけた。
「……ぴ?」「うん。」
「ヤベーーー!春に来たって感じ!!」
ちぇんぱんつ先生、結構ツイッターは淡々と「ちぇんのぱんつたべたひ」って言ってるけど、結構こんなに陽気なタイプなんだ……。
「衣装もね、彼が作ってくれたんです」 「ほぇ、スッゲーーー。」俺たちをまじまじと見る神絵師。
「あっ、yumakoの新刊です……」
「きみきみ。」新刊を渡そうとした俺の手を、ちぇんぱんつさんがガシッと握り、真剣な顔で俺を見た。
「yumaちゃん泣かしちゃダメだかんね……!」
「あっ、おお、はいっ!」
「はーうちもコス売り子はべらそっかなー橙ちゃんの。橙ちゃんレイヤー知り合いにいる?」
フツーに橙ちゃんのことを考えてにやにやしているようだが、俺には、まゆみの事、yumakoのことを心配してくれていて、俺たちを見て安心したかのようにもみえた。
俺にサードアイが生えてたら、号泣しているところだったろう。
「……どーだったかなー、けーくんは?」
「そうッすね、CJDなら紹介できますよ」
「それでもいいねぇ!低身長のショ……あっ!戻るわ。またねぇー!」 嵐のように帰って行くちぇんぱんつ先生。
「そろそろ落ち着いたし、買い物いっていーよ」
「あ、ほんと?!お前ひとりで大丈夫?」
「できたらでいいから、ココだけ買ってきて。」磨弓がメモを俺に渡す。
「おう!わかった、任せな。まずは……」
俺はおもむろにサークルスペースから立ち上がり、磨弓のほうを向いた。
「新刊ください!!」
04a
「ただいまー。」
「おかえりなさい、袿姫様♡」磨弓が笑う。
俺はにやけた。
「キモい顔になってっぞ、袿姫様」
「え、だって、最高じゃん」
――控えめに言っても最高なんだよな、磨弓ちゃんに『おかえり』って言ってもらえるなんて。
「キモイわー。」
「あ、お前メモんとこ、これでよかった?」渡されたメモのサークルの紙袋セットを手渡す。
「おー、やったゼ。あんがとー。」
「俺のオススメも入れといた。レイマリとか」
「でかした。」パイプ椅子に戻ると、にわかに男性がやってくる。
「新刊一部。」
「はいっ、500円ッス」俺は立ち上がり、新刊を渡した。
「どーも~。」男性は硬貨を俺に渡すと、新刊を受け取りながら話し始めた。「あのォ、あとでコス広場とか行く予定あります?」
「えっ、どーかな、まゆ、磨弓はどーする?」
「ん、えーと、サークルがあるので。袿姫様だけでしたらお貸しできますが……」
お貸し、って。
「磨弓と袿姫さん、合わせで撮りたかったなぁ。
じゃまた今度!」
「あざます!」
yumakoは展示している新刊を並べ直して、俺の方を向いた。
「――なんか、さっきの人、"いらすとや"みたいな顔してなかった?」唐突にyumakoが破顔する。
「え!?は、はは。してた?"いらすとや"あんな顔?」
「うん。似てたって。」磨弓がはにかむ。
まるで磨弓と一緒に売り子をやっているような気持ちになる。最高に幸せだ。
レイヤーとしては、写真になって、投稿することがフィニッシュかもしれない。俺も半分はそう思っていたが、
今この瞬間、この、女友達(yumako)と、いや、彼女(まゆみ)と、そして磨弓と過ごしているこの瞬間が、限りなく『完成』に近かった。この喜びは、誰にも分かち合えない。分かち合うことはできない。
「けーくん、そろそろ次の箱開けてちょ」
「え?いや、それで最後だぜ?」
「マジ……?じゃコレ売れたら終わりかぁ」
「委託分とかは?」
「レモンブックスととらのまるには置いてあるけど……」
「もうねーの!?」まだ13時を回ろうかという頃である。
いや、確かにここまでかなりのペースで捌けたし、見るとお金を入れているタッパーは硬貨でいっぱいだ。
「へへ、グリーン車乗れるね」
「のんきだなぁ。」
「アフター焼き肉奢ってもいいよ」
「……マジ?」
「ちわー、新刊くださいな」
カートをごろごろと引いてやってきたのは、鈴仙コスのうどんすきさん。
「新幹線ぶりッスね!500円ですー。」
「すご、本当に磨弓と袿姫じゃん。K太郎くん自作?」
「作った!」
「パネェな……写真撮ってもいい?」うどんすきさんが鈴仙のジャケットのポッケからスマホを取り出す。
「それが、サークルスペース俺らだけなんで、コス広場いけんのですよ。」「そっかァ。」
「あーー、"行ける"かも。」yumakoが段ボールの前にしゃがんだままつぶやいた。
「えっ?」
「けーくん、お金しまって、持ってってくれる?」
「――まさか?」
磨弓が立ち上がって、神妙な顔で告げた。
「新刊、完売です。ありがとうございます。」
「うおっしゃー!?おめでとう!」
「おめでとうッス!!」俺とうどんすきさんは精一杯の拍手をした。
「おめでとうございますー!」隣のサークルさん(※ダザイオサQさん)も拍手してくれた。
うどんすきさんがカートから手を離した。「そ、そしたら、仕舞うものとか手伝うよ!?」
「恩に着ます」
「よし、けーくん、既刊ダンボールたのむ。じゃア、うどんすきさん? 最後の一人だし、ポスター要ります?」
「ほしい!」
「あ待って!俺もホシイ!」
yumakoは油性ペンを手に取り、岸辺露伴顔負けのスピードで磨弓をスケッチブックに描くと、
――――――――――――――――――――
『新刊完売しました!委託あります!』
――――――――――――――――――――
と添えて、裸の机にブックスタンドを置いた。
「盗られん?」「別に取らんでしょ……」
「yumako書き下ろしだぜ?」
「おーげさ……」
「――閉会までだったら、見ておきますよ」隣から声がした。
「ダザイオサQさん……」
ヤバい、泣きそうだよ……
「さっきもらったけど、買わしてください!!既刊ぜんぶ!」
「あは、気にしなくていいですよ。ライダーは助け合いでしょう?」
「ダザイオサQさん!!」隣の既刊を二部づつ買った。
04b
――うどんすきさんに撮ってもらって、俺のアカウントで投稿したまゆけーきは
520fav、200RTを記録した。マジかよ。
「左男?」とか傷つく引用リプライもあったが、
「仲良さそう」というリプが一番嬉しかった。
フォロワーは、あんまり増えなかった。
家に帰るのを待てずに宿で読んだyumako先生の本は、最高だった。
隣で恥ずかしそうにほくそえむ作者がいた。
俺は"まゆみ"の磨弓に、もう一度恋をした。