端的に言えば、マヨヒガは今日も平和であった。
八雲藍が八雲紫を布団から無理矢理叩き起こしたのは日も高く上がった正午の事だった。
「紫様、大変です」
「何よ騒々しい……」
藍は珍しく少し慌てた口ぶりで主人を呼び起こした。
紫は心地良い微睡みから叩き起こされたせいか些か不機嫌のようだった。
「というのもですね、今幻想郷中が紫様の発言によって混沌を極めてまして……」
藍によって軽く誇張された発言に眉を顰める紫。
「発言? 何よ、失言なんかした覚え無いわ」
「いや、失言ではなくほら、宴会騒動の時の」
「……え」
いきなりの言葉と悪い予感に紫は目を丸くする。
「言ってたじゃないですか。『幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。』って」
「……藍」
「はい」
「何で今更その台詞を引っ張りだすのよ! 恥ずかしいじゃない!」
「紫様が自分で言った台詞じゃないですか!」
「あの時はちょっと……ずっと起きてたからハイになってたのよ!」
「思春期ですか!」
まるで黒歴史を思い出すかのように顔を赤らめじたばたと手足を振り回す。
それが収まると紫は、訝しげな目をして藍の方に向き直った。
「で、混沌を極めてるって?」
「はい、始まりはこの間白玉楼の庭師が此処に駆け込んできた事でした……」
「何その思わせ振りな感じ」
「何でも、主人に胸をまじまじと見られては哀憫の眼差しを向けられて『幻想郷は全てを受け入れるのよ』って言われたらしく」
「それ私関係無いよね?」
「だから私も慰めたのですが、何を思ったか泣きながら逃げるように出ていってしまいました」
「……どんな風に慰めたの?」
「え? 肩を叩いて肌を寄せ、『幻想郷は全てを受け入れるのよ』って言ってあげましたが」
「それは藍が悪いわね」
「他にも」
「聞けよ」
「守矢の巫女がいきなり『幻想郷は全てを受け入れるのよ!』って叫んでは弾幕を振り撒くやら」
「私関係無いじゃない!」
「紫様の発言ではないですか」
「そうだけど……」
はぁ、と溜め息を吐くと藍は主人の目をじっと見つめそれまで少しおどけていた声のトーンを落として言った。
「極めつけに。今朝人里に買い物に行った時分、白澤から紫様宛てという手紙を渡されまして」
「白澤?」
「読みますね」
藍は懐から手紙を取り出し読み上げ始めた。
「『拝啓 この度は突然のお手紙失礼致します
畏まった手紙ですので堅苦しい文体ですが、どうか御一読願います
さて、行き成り本題に入らせて頂きますが、今人里では貴方の過去の発言が問題となっています
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。」という発言が人里で濫用されているのです
何処からこの発言が漏れたかは解りませんが、ともかく漏れた事は今問題ではありません
先刻もこの言葉を叫びながら他の子供に暴力を振るっていた生徒を叱ったばかりです
それだけではなく、この言葉を免罪符に犯罪を犯した輩も居る程です
また、人里の中枢となる里長会議でもこの言葉が出たという話です
また守矢の巫女などはこの言葉を振りかざし辺り構わず攻撃を仕掛けてくると妖怪達の間でも問題になっているようです
貴方の発言に悪気が無いとは解っていますが、それを悪意を以って捻じ曲げ解釈する輩が居るのも事実です
このままでは幻想郷の管理者という今の貴方の立場が悪くなる可能性があります
そればかりでなく、今後このような倫理の崩壊が進んでいけば人里ひいては幻想郷全体の崩壊へと繋がる可能性もあります』
ページ送りますね」
「続けて」
考えるように顎に手を当てて紫は続きを促す。
「『問題の当事者であり、妖怪の賢者である貴方に御意見を賜りたく手紙を送らせて頂いた所存です
さて、横着な貴方は「それだったら貴方の能力でそんな発言をした歴史を消してしまえばいい」と仰るかもしれませんが、事はそう簡単では無いのです
そもそも全体的に私の能力の及ぶ所ではありませんが、弁明をさせて下さい
まず、「貴方が発言をした」という事実は消す事が可能ですが、言葉自体を消す事は出来ません
言葉というものは無限に、そして同じ言葉でも何回でも生み出す事が出来るものだからです
言葉は絶えず変化するものであり、元となった言葉を消しても無限に派生した言葉を消す事は不可能です
言葉は歴史の影響は受けるかもしれませんが歴史によって生み出されるものではない
言葉は歴史を作るかもしれませんが、歴史は言葉を作りません。歴史が作ったように見えるものも本当はその逆です
言葉は歴史ではないのです
遅かれ早かれ言葉は創りだされるのですから発言する事を抑制する事も事実上不可能です
それ以前に貴方がたのような高位な妖怪にはこの能力は及ばないという事が既に先の異変で思い知らされておりますが
というかこんな事で能力を使いたくはないというのが本音です
一番簡単にこの発言を消すには言論統制を行うのが最も早いと思われますが、それが果たして最善かどうかは分かりかねます
単刀直入に言えば、なんとかしろという事です
会議でも何でも承りますからまずは貴方の見解を示して下さい
お待ちしております 敬具』」
「……」
事が自分の思っていたより重大だったせいか、紫は藍が読み上げを終えても黙ったままでただじっと考えているばかりだった。
暫くそうしたままで辺りには静寂が漂っていたが、突然紫の大声によってそれは破られた。
「そうよ……藍! 白澤に返事を書きなさい!」
「はいはい、どう書けば宜しいのですか?」
藍は瀟洒な従者さながら筆と紙と机を既に用意していた。
「まず私の発言を悪いように使った奴らは全員とっちめて何かしらやりなさい! 殴るとか!」
「はいはい」
藍は筆に手をつける。
「それで何か言い返してきたら……」
紫は立ち上がり人差し指を藍に向け決めポーズを取り威勢良く言い放った。
「『この幻想郷では常識に囚われてはいけないのです!』って返しなさい!」
些か白けた雰囲気が漂う中、そんな威張って言う事でも無いのになぁ、と藍は筆の頭で頭の後ろをぼりぼりと掻いていた。
*
端的に言えば、守矢神社は今日も平和であった。
洩矢諏訪子が東風谷早苗の部屋をノックしたのは日も沈みかけた夕方の事だった。
「早苗ー、大変……ってまだ落ち込んでんのか」
「……」
部屋の隅で顔を青く染め体育座りでぶつぶつと呟く早苗の姿を見て諏訪子は溜め息を吐く。
「ちょっとネジが飛んだ発言するくらい早苗の年なら珍しくないじゃない、まだ百年も生きてないんだし」
「あんな醜態を幻想郷中に振りまいてしまったのが恥ずかしいんですよぉ!」
「中二病かッ!」
鋭いツッコミに目に涙を溜めつつ早苗は立ち上がり諏訪子へ向き直った。
「それで……何ですか?」
「あー、うん。えーっとね……人里の上白沢さんからお手紙……」
「慧音さんですかっ!?」
「んーとね、端的に言えば『お前の発言で人里がヤバい』って感じの……」
「……え?」
諏訪子は懐から手紙を取り出し読み上げた。
「『あの紫ババアが「幻想郷では常識に囚われてはいけないのよ!」と罪人を殴るわ蹴るわでどうしようもないんだが』」
「……はは……ちょっと待ってよそんな事……」
早苗は乾いた笑いを漏らしつつ顔を青く染めていく。
「『これお前の発言だろ? さっさと何とかしないとマズいぞ。主に私が。角立てて怒るぞ? いろんな意味で』」
「早苗……」
諏訪子は顔を青を通り越して土色に染めた早苗の肩をぽんぽんと叩き、出来るだけ厳かに言った。
「……幻想郷は全てを受け入れるのよ、それはそれは残酷な話……」
「あんまりだぁッ!!!」
端的に言えば、幻想郷は今日も平和であった。
八雲藍が八雲紫を布団から無理矢理叩き起こしたのは日も高く上がった正午の事だった。
「紫様、大変です」
「何よ騒々しい……」
藍は珍しく少し慌てた口ぶりで主人を呼び起こした。
紫は心地良い微睡みから叩き起こされたせいか些か不機嫌のようだった。
「というのもですね、今幻想郷中が紫様の発言によって混沌を極めてまして……」
藍によって軽く誇張された発言に眉を顰める紫。
「発言? 何よ、失言なんかした覚え無いわ」
「いや、失言ではなくほら、宴会騒動の時の」
「……え」
いきなりの言葉と悪い予感に紫は目を丸くする。
「言ってたじゃないですか。『幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。』って」
「……藍」
「はい」
「何で今更その台詞を引っ張りだすのよ! 恥ずかしいじゃない!」
「紫様が自分で言った台詞じゃないですか!」
「あの時はちょっと……ずっと起きてたからハイになってたのよ!」
「思春期ですか!」
まるで黒歴史を思い出すかのように顔を赤らめじたばたと手足を振り回す。
それが収まると紫は、訝しげな目をして藍の方に向き直った。
「で、混沌を極めてるって?」
「はい、始まりはこの間白玉楼の庭師が此処に駆け込んできた事でした……」
「何その思わせ振りな感じ」
「何でも、主人に胸をまじまじと見られては哀憫の眼差しを向けられて『幻想郷は全てを受け入れるのよ』って言われたらしく」
「それ私関係無いよね?」
「だから私も慰めたのですが、何を思ったか泣きながら逃げるように出ていってしまいました」
「……どんな風に慰めたの?」
「え? 肩を叩いて肌を寄せ、『幻想郷は全てを受け入れるのよ』って言ってあげましたが」
「それは藍が悪いわね」
「他にも」
「聞けよ」
「守矢の巫女がいきなり『幻想郷は全てを受け入れるのよ!』って叫んでは弾幕を振り撒くやら」
「私関係無いじゃない!」
「紫様の発言ではないですか」
「そうだけど……」
はぁ、と溜め息を吐くと藍は主人の目をじっと見つめそれまで少しおどけていた声のトーンを落として言った。
「極めつけに。今朝人里に買い物に行った時分、白澤から紫様宛てという手紙を渡されまして」
「白澤?」
「読みますね」
藍は懐から手紙を取り出し読み上げ始めた。
「『拝啓 この度は突然のお手紙失礼致します
畏まった手紙ですので堅苦しい文体ですが、どうか御一読願います
さて、行き成り本題に入らせて頂きますが、今人里では貴方の過去の発言が問題となっています
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ。」という発言が人里で濫用されているのです
何処からこの発言が漏れたかは解りませんが、ともかく漏れた事は今問題ではありません
先刻もこの言葉を叫びながら他の子供に暴力を振るっていた生徒を叱ったばかりです
それだけではなく、この言葉を免罪符に犯罪を犯した輩も居る程です
また、人里の中枢となる里長会議でもこの言葉が出たという話です
また守矢の巫女などはこの言葉を振りかざし辺り構わず攻撃を仕掛けてくると妖怪達の間でも問題になっているようです
貴方の発言に悪気が無いとは解っていますが、それを悪意を以って捻じ曲げ解釈する輩が居るのも事実です
このままでは幻想郷の管理者という今の貴方の立場が悪くなる可能性があります
そればかりでなく、今後このような倫理の崩壊が進んでいけば人里ひいては幻想郷全体の崩壊へと繋がる可能性もあります』
ページ送りますね」
「続けて」
考えるように顎に手を当てて紫は続きを促す。
「『問題の当事者であり、妖怪の賢者である貴方に御意見を賜りたく手紙を送らせて頂いた所存です
さて、横着な貴方は「それだったら貴方の能力でそんな発言をした歴史を消してしまえばいい」と仰るかもしれませんが、事はそう簡単では無いのです
そもそも全体的に私の能力の及ぶ所ではありませんが、弁明をさせて下さい
まず、「貴方が発言をした」という事実は消す事が可能ですが、言葉自体を消す事は出来ません
言葉というものは無限に、そして同じ言葉でも何回でも生み出す事が出来るものだからです
言葉は絶えず変化するものであり、元となった言葉を消しても無限に派生した言葉を消す事は不可能です
言葉は歴史の影響は受けるかもしれませんが歴史によって生み出されるものではない
言葉は歴史を作るかもしれませんが、歴史は言葉を作りません。歴史が作ったように見えるものも本当はその逆です
言葉は歴史ではないのです
遅かれ早かれ言葉は創りだされるのですから発言する事を抑制する事も事実上不可能です
それ以前に貴方がたのような高位な妖怪にはこの能力は及ばないという事が既に先の異変で思い知らされておりますが
というかこんな事で能力を使いたくはないというのが本音です
一番簡単にこの発言を消すには言論統制を行うのが最も早いと思われますが、それが果たして最善かどうかは分かりかねます
単刀直入に言えば、なんとかしろという事です
会議でも何でも承りますからまずは貴方の見解を示して下さい
お待ちしております 敬具』」
「……」
事が自分の思っていたより重大だったせいか、紫は藍が読み上げを終えても黙ったままでただじっと考えているばかりだった。
暫くそうしたままで辺りには静寂が漂っていたが、突然紫の大声によってそれは破られた。
「そうよ……藍! 白澤に返事を書きなさい!」
「はいはい、どう書けば宜しいのですか?」
藍は瀟洒な従者さながら筆と紙と机を既に用意していた。
「まず私の発言を悪いように使った奴らは全員とっちめて何かしらやりなさい! 殴るとか!」
「はいはい」
藍は筆に手をつける。
「それで何か言い返してきたら……」
紫は立ち上がり人差し指を藍に向け決めポーズを取り威勢良く言い放った。
「『この幻想郷では常識に囚われてはいけないのです!』って返しなさい!」
些か白けた雰囲気が漂う中、そんな威張って言う事でも無いのになぁ、と藍は筆の頭で頭の後ろをぼりぼりと掻いていた。
*
端的に言えば、守矢神社は今日も平和であった。
洩矢諏訪子が東風谷早苗の部屋をノックしたのは日も沈みかけた夕方の事だった。
「早苗ー、大変……ってまだ落ち込んでんのか」
「……」
部屋の隅で顔を青く染め体育座りでぶつぶつと呟く早苗の姿を見て諏訪子は溜め息を吐く。
「ちょっとネジが飛んだ発言するくらい早苗の年なら珍しくないじゃない、まだ百年も生きてないんだし」
「あんな醜態を幻想郷中に振りまいてしまったのが恥ずかしいんですよぉ!」
「中二病かッ!」
鋭いツッコミに目に涙を溜めつつ早苗は立ち上がり諏訪子へ向き直った。
「それで……何ですか?」
「あー、うん。えーっとね……人里の上白沢さんからお手紙……」
「慧音さんですかっ!?」
「んーとね、端的に言えば『お前の発言で人里がヤバい』って感じの……」
「……え?」
諏訪子は懐から手紙を取り出し読み上げた。
「『あの紫ババアが「幻想郷では常識に囚われてはいけないのよ!」と罪人を殴るわ蹴るわでどうしようもないんだが』」
「……はは……ちょっと待ってよそんな事……」
早苗は乾いた笑いを漏らしつつ顔を青く染めていく。
「『これお前の発言だろ? さっさと何とかしないとマズいぞ。主に私が。角立てて怒るぞ? いろんな意味で』」
「早苗……」
諏訪子は顔を青を通り越して土色に染めた早苗の肩をぽんぽんと叩き、出来るだけ厳かに言った。
「……幻想郷は全てを受け入れるのよ、それはそれは残酷な話……」
「あんまりだぁッ!!!」
端的に言えば、幻想郷は今日も平和であった。