地底の黒谷ヤマメさんが結婚
お相手は海底出身のアマビエさん
山の麓に穿たれた風穴の奥地に住む建築家の黒谷ヤマメさん(土蜘蛛)が結婚したことを明らかにした。
本紙は以前から風穴に出入りする人影を捉えており、その姿は淡く発光する海底の妖怪・アマビエさんに酷似していた。
風穴の奥地に立つ黒谷邸は六角形のコンクリート造りの平屋。そこでヤマメさんは取材に応じてくれた。
結婚の真偽を尋ねると、ヤマメさんは色白の頬を朱に染め、いじらしく左手の薬指にキラリと光る指輪を見せてくれた。
銀色の指輪に血色のような紅い宝石珊瑚が輝く結婚指輪だ。その指輪を大切そうに撫でながら、結婚の経緯を語った。
「今までもアマビエの旦那とは酒を酌み交わす仲だったんだけどさ、去年の2月から外の世界で疫病退散のご利益があるからと出ずっぱりになってね。それで私も少し寂しい思いをしていたんだけど、つい先日帰ってきていきなり『結婚しよう』って指輪を渡されたのよ。」
稲穂のような髪を揺らし、嬉しそうに語るヤマメさんの横顔は幸せいっぱい笑顔だった。
実はこのインタビューにはアマビエさんも同席していて、話を聞くことができた。ご両人は既に同棲を始めているらしい。
全身を鱗で覆われた肌は湿気の多い地底で艶やかに滑っている。水かきの張った手で長髪をかき上げながら外の世界での経験などを語ってくれた。
「私が外の世界で急激に信仰されるようになったのは昨年の2月末だったと思います。以前(注:約180年前)海の神様から預かった地上の人間へ豊作と疫病の予知を伝えたのが、そのまま世間から疫病退散の象徴に祭り上げられたようで…」
尖がった唇を曲げてアマビエさんは苦笑しながら続けた。
「まぁ、『鰯の頭も信心から』と言いますか、信仰され続けるうちに私自身にも疫病に対する耐性が向上したようで。かねてから好意を抱いていたヤマメさんと、これなら共に暮らせると思いプロポーズを決心しました。」
そう言ってアマビエさんは力強くヤマメさんの肩を抱き寄せた。ヤマメさんは恥ずかしそうに目を伏せながらも身体をゆだねている。
この後、ご両人の甘い新婚生活を延々と聞かされたのだが、割愛させていただく。ただ、アマビエさんの言葉が本紙には印象に残った。
「本当に恐いのは病気ではなく、差別する心ですよ。一部の妖怪も差別によって地底に追いやられましたが、人間の差別は自死に追いやる。目先の利益や安全だけを考える人間は、ある意味で妖怪よりも妖怪です。」
外の世界では妖怪や幽霊の存在が否定されているが、代わりに人間を脅かしているのは露見した人間の暗い部分なのかもしれない。
【番外1】
旧都の居酒屋 2階の個室
多くの鬼や妖怪が行き交う旧都の大通り。そこに軒を連ねる居酒屋は深夜まで酒豪の客たちで賑わっている。
店先にアルコール消毒の機材もなければ、テーブルにアクリル製の仕切り板もない、雑然とした居酒屋である。
その2階の個室で酒を酌み交わしているのは覚り妖怪・古明地さとりと橋姫・水橋パルスィだ。
「ふふっ、綺麗だったわねヤマメさんのウェディングドレス。真っ黒なドレスがヤマメさんの色白の肌に映えて…」
「………」
2人は結婚披露宴の2次会で飲んでいるらしい。不敵な笑みを浮かべるさとりの対面で、パルスィは濁った藻のような瞳で酒を呷っていた。
「まさかアマビエさんが洛外に引っ越して来るなんて思っていなかったわ。でも、あそこには塩分濃度の高い温泉も湧いているし、案外住み心地が良さそうね」
「…………」
パルスィはさとりの話に相槌を打つこともなく、ひたすらに酒を呷っている。アルコールで頬が紅潮しているが表情は能面のように無機質だ。
「店員さん、カルーアミルクと緑茶ハイ…えっ、次はレモンハイが良い? じゃあレモンハイの焼酎濃いめで。あとフグ鯨の竜田揚げ」
さとりは黙々と酒を呷るパルスィの思考を読み取って通りすがりの店員に注文した。皿に残った空豆をつまみながらさとりが話を続ける。
「そうそう、披露宴で二人の思考を読んでみたんだけど、もうすっかり夜の営みで頭がいっぱいだったわ。きっと今頃は自宅のベッドで体液が糸を引くくらい甘々な濃厚接触を楽しんでいるでしょうね」
「……………」
「ふふっ、笑っていいのよ。土蜘蛛だけに『糸を引く』、アマビエだけに『甘々な』…」
「はっはっはっはっはっはっは……」
おかわりのレモンハイ濃いめを飲み干し、光の宿っていない瞳で天井を仰ぎながらパルスィは唐突に高笑いした。そして…
「笑えねえんだよおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
居酒屋に橋姫の嫉妬が渦巻く魂の叫びが木霊した。
【番外2】
花果子念報から取材を受けた縁で定期購読していた永江衣玖さんは、芸能面の記事を読んでから生気を失っていた。
「あの、天子様…永江さんが砂浜に打ち上げられた小魚みたいな状態になってます……」
貧乏神の依神紫苑がオロオロとした表情で天子にすがり付いている。
天人の比那名居天子は腰に両手を当て、呆れた表情で衣玖を叱咤激励した。
「はぁ…元気出しなさい、衣玖! 男なんて星の数ほど居るでしょうが!!」
「まぁ、星に手は届きませんけどね」
死んだ魚のような目で天を仰ぐ衣玖に、紫苑の独り言が耳に入らなかった。
お相手は海底出身のアマビエさん
山の麓に穿たれた風穴の奥地に住む建築家の黒谷ヤマメさん(土蜘蛛)が結婚したことを明らかにした。
本紙は以前から風穴に出入りする人影を捉えており、その姿は淡く発光する海底の妖怪・アマビエさんに酷似していた。
風穴の奥地に立つ黒谷邸は六角形のコンクリート造りの平屋。そこでヤマメさんは取材に応じてくれた。
結婚の真偽を尋ねると、ヤマメさんは色白の頬を朱に染め、いじらしく左手の薬指にキラリと光る指輪を見せてくれた。
銀色の指輪に血色のような紅い宝石珊瑚が輝く結婚指輪だ。その指輪を大切そうに撫でながら、結婚の経緯を語った。
「今までもアマビエの旦那とは酒を酌み交わす仲だったんだけどさ、去年の2月から外の世界で疫病退散のご利益があるからと出ずっぱりになってね。それで私も少し寂しい思いをしていたんだけど、つい先日帰ってきていきなり『結婚しよう』って指輪を渡されたのよ。」
稲穂のような髪を揺らし、嬉しそうに語るヤマメさんの横顔は幸せいっぱい笑顔だった。
実はこのインタビューにはアマビエさんも同席していて、話を聞くことができた。ご両人は既に同棲を始めているらしい。
全身を鱗で覆われた肌は湿気の多い地底で艶やかに滑っている。水かきの張った手で長髪をかき上げながら外の世界での経験などを語ってくれた。
「私が外の世界で急激に信仰されるようになったのは昨年の2月末だったと思います。以前(注:約180年前)海の神様から預かった地上の人間へ豊作と疫病の予知を伝えたのが、そのまま世間から疫病退散の象徴に祭り上げられたようで…」
尖がった唇を曲げてアマビエさんは苦笑しながら続けた。
「まぁ、『鰯の頭も信心から』と言いますか、信仰され続けるうちに私自身にも疫病に対する耐性が向上したようで。かねてから好意を抱いていたヤマメさんと、これなら共に暮らせると思いプロポーズを決心しました。」
そう言ってアマビエさんは力強くヤマメさんの肩を抱き寄せた。ヤマメさんは恥ずかしそうに目を伏せながらも身体をゆだねている。
この後、ご両人の甘い新婚生活を延々と聞かされたのだが、割愛させていただく。ただ、アマビエさんの言葉が本紙には印象に残った。
「本当に恐いのは病気ではなく、差別する心ですよ。一部の妖怪も差別によって地底に追いやられましたが、人間の差別は自死に追いやる。目先の利益や安全だけを考える人間は、ある意味で妖怪よりも妖怪です。」
外の世界では妖怪や幽霊の存在が否定されているが、代わりに人間を脅かしているのは露見した人間の暗い部分なのかもしれない。
【番外1】
旧都の居酒屋 2階の個室
多くの鬼や妖怪が行き交う旧都の大通り。そこに軒を連ねる居酒屋は深夜まで酒豪の客たちで賑わっている。
店先にアルコール消毒の機材もなければ、テーブルにアクリル製の仕切り板もない、雑然とした居酒屋である。
その2階の個室で酒を酌み交わしているのは覚り妖怪・古明地さとりと橋姫・水橋パルスィだ。
「ふふっ、綺麗だったわねヤマメさんのウェディングドレス。真っ黒なドレスがヤマメさんの色白の肌に映えて…」
「………」
2人は結婚披露宴の2次会で飲んでいるらしい。不敵な笑みを浮かべるさとりの対面で、パルスィは濁った藻のような瞳で酒を呷っていた。
「まさかアマビエさんが洛外に引っ越して来るなんて思っていなかったわ。でも、あそこには塩分濃度の高い温泉も湧いているし、案外住み心地が良さそうね」
「…………」
パルスィはさとりの話に相槌を打つこともなく、ひたすらに酒を呷っている。アルコールで頬が紅潮しているが表情は能面のように無機質だ。
「店員さん、カルーアミルクと緑茶ハイ…えっ、次はレモンハイが良い? じゃあレモンハイの焼酎濃いめで。あとフグ鯨の竜田揚げ」
さとりは黙々と酒を呷るパルスィの思考を読み取って通りすがりの店員に注文した。皿に残った空豆をつまみながらさとりが話を続ける。
「そうそう、披露宴で二人の思考を読んでみたんだけど、もうすっかり夜の営みで頭がいっぱいだったわ。きっと今頃は自宅のベッドで体液が糸を引くくらい甘々な濃厚接触を楽しんでいるでしょうね」
「……………」
「ふふっ、笑っていいのよ。土蜘蛛だけに『糸を引く』、アマビエだけに『甘々な』…」
「はっはっはっはっはっはっは……」
おかわりのレモンハイ濃いめを飲み干し、光の宿っていない瞳で天井を仰ぎながらパルスィは唐突に高笑いした。そして…
「笑えねえんだよおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
居酒屋に橋姫の嫉妬が渦巻く魂の叫びが木霊した。
【番外2】
花果子念報から取材を受けた縁で定期購読していた永江衣玖さんは、芸能面の記事を読んでから生気を失っていた。
「あの、天子様…永江さんが砂浜に打ち上げられた小魚みたいな状態になってます……」
貧乏神の依神紫苑がオロオロとした表情で天子にすがり付いている。
天人の比那名居天子は腰に両手を当て、呆れた表情で衣玖を叱咤激励した。
「はぁ…元気出しなさい、衣玖! 男なんて星の数ほど居るでしょうが!!」
「まぁ、星に手は届きませんけどね」
死んだ魚のような目で天を仰ぐ衣玖に、紫苑の独り言が耳に入らなかった。