秋が過ぎ、木々も葉を落とし、大空を寒風が吹き荒ぶ幻想郷。
人も、妖怪も、あまり姿を見せなくなるこの季節。元気なのは氷精や冬の妖怪ぐらいのものだった。
ある者は住処に篭り暖を取り、ある者は年末の大掃除の準備に走り回り、そしてまたある者はただ春を待ちわびる。
そして、冥界の白玉楼――この地も顕界と同じように冬を迎えていた。
空を見上げれば、薄墨を混ぜたような雲からハラハラと綿胞子のような雪が舞い降りてきている。
風に流されてヒラリと舞い込んできた結晶が鼻の頭に乗り、魂魄妖夢は思わずフルリと頭を振って、それを払い落とした。
――冷たい
鼻がムズムズとしてきて、思わず小さなくしゃみを2回ほど繰り返す。
そして妖夢は鼻の頭を擦ると、先ほどまでやっていた廊下の雑巾掛けの続きに取り掛かる。
流石にこの寒さの中、水は厳しいのでお湯を使ってやっているが、それでもどんどん手は冷えてくる。時折息を吐きかけながら廊下を擦ると、キュッキュッと小気味の良い音と共に汚れが落ちていくのを感じる。
妖夢はこの過程が好きだった。掃除をしているという実感がある。後ろを振り返ってみればピカピカと光る廊下が続いているのを見るととても気持ちが良い。
この輝きが妖夢の毎日の成果だった。
よし、今日の分は終わり。
妖夢は立ち上がると、腰に手を当てて背を反らす。
白玉楼は広い。全ての廊下を毎日掃除していたら時間がいくら有っても足りない。妖夢も廊下掃除だけをやっていれば良いわけではないのだ。なので、いくつかの区域に分けてそれぞれを日替わりで掃除するようにしているのだった。
手が冷たい……
妖夢は手を擦り合わせると、上着の中にそっと忍ばせた。
体温でほんのりと手が温まっていくのを感じる。痺れるような感覚が少し気持ち良かった。
モゾモゾとお腹の上辺りで手を動かす。そしてそのまま再び空を見上げた。
先程よりも心なしか雪が濃くなってきたようにも感じる。視線を下に向ければ降り積もった雪が庭を白く染めている光景が広がっている。
綺麗だな、と思った。この天候では庭仕事もままならないが、それでも雪は嫌いではなかった。
幽々子程ではないが、妖夢も風情は理解する方だ。しんしんと降る雪は様々な音を吸い込み、辺りを静寂に染める。その静けさにとても心が澄んでいくのを感じていた。
妖夢は振り返り、桶と雑巾を持ち上げる。
ゆっくりと掃除した廊下を歩いていると、彼方から妖夢を呼ぶ声が聞こえてきた。
「妖夢~、よ~~む~~」
幽々子の声だった。
優しげと言うか、気の抜けると言うか、聞いていると心が落ち着く声だ。
妖夢は一旦足を止めると、声のした方に向かって返事をする。
「はーい、少々お待ちください。今道具を片付けたら参りますので」
そして、タタタッと小走りで水場に向かう妖夢。幽々子様を余り待たせてはいけない。
急ぎ足で戻ってくると、部屋の前で一旦正座をする。
「失礼します」
そう声をかけると、そっと音を立てずに障子を開いた。
部屋の中には、炬燵に入ってまったりのんびりと過ごしている幽々子の姿。
炬燵の上には、カゴにこんもりと盛られた蜜柑が鎮座している。
「ん。来たわね、妖夢」
「はい。なにかご用でしょうか、幽々子様」
部屋の暖気が逃げてしまってはいけない。妖夢は腰を低くしたまま中に入ると、障子を閉め、そして訊く。
部屋の中は、火鉢が炊かれているのでほんのりと暖かかったが、今まで外で仕事をしていた妖夢にはそれが少しだけ熱く感じた。
「特に用と言う訳ではないのだけれど、そろそろ妖夢の仕事も終わった頃かしらと思ってね。呼んでみたのよ」
ニコニコと、機嫌の良さそうな顔でそのようなことを言う幽々子。
そして、チョイチョイと手招きをして、妖夢を呼ぶ仕草をする。
「寒かったでしょう? こちらに来て炬燵に入りなさいな」
「いえ、しかし……」
「もう後は急ぎの仕事はなかったはずでしょう? なら、休んでも良いじゃない」
少しばかり首をかしげさせて、相変わらずの笑顔で妖夢を誘う幽々子。
「まあ、そうですが……。――分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」
少し考えた後、従うことにする妖夢。
実際、体も冷えてきていたし、手の先もかじかんできていた所だった。暖かな部屋で休めるのは正直ありがたい。
「ふふ……水仕事ご苦労様ね」
「いえ、私の仕事ですから……」
布団に足を潜り込ませながら幽々子の言葉に応える。
じんわりと痺れるような温かさに包まれる足。思わずほうっとため息が出てしまう。
しばしの間、ぬくぬくと暖まる妖夢。ふと見ると、幽々子が蜜柑を剥いて食べていた。
均等に皮を剥かれた蜜柑。房を取り出すと綺麗に二つに割り、そこから一つ取りはむっと口に入れる。
その美味しさに満足したのか、顔を綻ばせてとても嬉しそうな様子だ。
思わずこちらの頬も緩んでしまうような笑顔だった。
なんとも言えない和やかな気持ちになりながら、そんな光景を見続ける妖夢。
すると、幽々子がそんな様子に気づいたようで、蜜柑を食べる手を止めて話しかけてくる。
「妖夢もお蜜柑食べたい?」
「い、いえ、そういう訳ではっ……」
主人の顔をじっと見つめていたことに気づいて、思わず焦った声を出してしまう。
「遠慮しなくてもいいわよ~。とっても美味しいわよ、このお蜜柑。妖夢も食べてご覧なさいな」
ニコニコと微笑みながら、蜜柑を一房差し出してくる幽々子。
「そ、そうですか。それなら少し……」
ここで断るのも悪い気がして、手を炬燵から出し蜜柑を受け取ろうとする妖夢。しかし、そのとたん幽々子がサッと蜜柑を引っ込めてしまう。
「幽々子様……?」
「駄目よ、妖夢。まだ手が暖まってないでしょう。そのままでいなさいな。代わりに私が食べさせてあげる」
相変わらずの笑みを浮かべたままで、そんな事を言い出す。なんだか、とても楽しげな様子だ。
「ゆ、幽々子様っ。幾ら何でもそれはっ……」
思わずちょっと仰け反ってしまった。いきなり何を言い出すんだろう、この主人は……。
「うふふ、良いじゃない。遠慮せずに甘えてしまいなさいな」
「で、でもですね……」
どうしたら良いか分からないかのように、俯いたり顔を上げたりを繰り返す妖夢。
幽々子は笑顔を崩さず、蜜柑をこちらに差し出している。
妖夢は暫しの間悩んでいる様子だったが、やがて笑顔のプレッシャーに押されたようにおずおずと顔を差し出すと、そっと幽々子の指先から蜜柑を口に入れた。
「クスクス……」
そんな様子が小動物じみていて、思わず口から笑みを漏らしてしまう幽々子。
一方の妖夢は真っ赤な顔でモグモグと蜜柑を食べていた。
「はい、どうぞ」
続けて蜜柑をまた一つ差し出す。
妖夢は少し逡巡した様子だったが、先ほどと同じようにあむっと口に入れる。
ムグムグ……
俯きながら蜜柑を食べる妖夢の姿はとても可愛らしい。そんな様子を見ながら、幽々子は炬燵とは別の意味でほんわかと暖まるわねぇ等と言うことを考えていた。
そしてふと、ある事が思い浮かんだ。
「ねえ、妖夢」
「あ、はい、なんでしょうか幽々子様」
口の中の蜜柑をコクンと飲み込んで、返事をする妖夢。
そんな彼女を見ながら、こんな事を言い出してみた。
「今度は私に食べさせてくれないかしら?」
「え、あの、蜜柑をですか……?」
「ええ、そうよ。妖夢が美味しそうに食べているのを見てたら、また食べたくなってしまったわ」
満面の笑みなどを浮かべてみる。
「ええと、あの……」
そんな幽々子に、妖夢は迷うような様子をみせている。よく見てみると表情が微妙に色々変わってなかなか面白い。
「良いじゃない。お返しと言うことで。私も妖夢に甘えてみたいわぁ~、なんてね」
ツンっと妖夢のおでこを指で突っついてみた。
はわわ、と言いながら額を抑える妖夢。微笑ましい。
「わ、分かりました。幽々子様のご命令とあればっ」
「もう、そんなふうに考えなくても良いのよ。妖夢はそういう所真面目ねぇ」
何かを決意したかのような面持ちで応える妖夢に、幽々子は苦笑いしながら、ふにふにと今度はほっぺたを突っつく。
「うぅ……」
「ま、それはともかく、お蜜柑を食べさせてちょうだいな」
あ~んと口を開ける幽々子。
妖夢はそれに向かって蜜柑を差し出す。
――はむっ
指ごと食べられた。
「はわっ、ゆ、幽々子様!」
「あむあむ……」
チュポンと小さな音を立てて、口が指から抜かれる。
再び真っ赤な顔の妖夢。半霊も心なしか赤く染まっているようだった。
「ん~、やっぱり美味しいわぁ~」
「もう……幾ら何でも、私の指まで食べないでくださいよ……」
「ふふ……妖夢があまりに可愛いものだから、食べてしまいたくなったのよ」
冗談めかした言い方に、妖夢はパタパタと頬の熱を冷ますように叩きながら、はう……と縮こまるように俯く。
そんな、冬の暖かな光景だった。
穏やかな空気の流れる部屋。
幽々子が、炬燵に頬をぺたりとつけてくつろいでいる。
妖夢は、目を閉じ瞑想しているかのような様子を見せていた。
「そう言えば――」
突然幽々子が、思い出したように口を開く。
「今日は世間ではクリスマスって言うらしいわね」
「まあ、そうですね」
目を開き、幽々子と視点を合わせるかのように顎を炬燵につける妖夢。
「クリスマスかぁ……」
「顕界ではそれなりに盛り上がっているみたいですね」
「そうなのねぇ……」
「……もしかして、やりたかったんですか? クリスマス」
「特に騒ぎたい訳ではないのだけどね」
「はぁ……」
幽々子は、妖夢と同じように顎を炬燵につけた格好になると、何処と無く拗ねたような顔になって言う。
「チキンやケーキとかは食べてみたかったわねぇ……」
それを聞いて、クスリと笑う妖夢。なんとも微笑ましい理由だった。
「幽々子様らしいお言葉ですねぇ」
「あら、それじゃなんか、私が食いしんぼみたいじゃない? まあ、美味しいものを食べるのが好きな事は否定しないけど……」
「さてさて、どうでしょうね」
引き続きクスクスと笑う妖夢が、楽しそうに幽々子の言葉に応える。
「もう……」
そんな妖夢の様子に、ぷく~っと頬を膨らませる幽々子。
しかし、すぐに破顔すると妖夢と二人で笑いあう。
「クリスマスと言えば、プレゼントなんてものも有るわねぇ」
再び蜜柑に手を伸ばして、モグモグと食べながら幽々子がそんな事を言う。
「そうみたいですねぇ」
「妖夢は……もしプレゼントを貰えるとしたら、なにか欲しいものは有る?」
幽々子が訊くと、妖夢は少し考える様子を見せ……
「特にないかもしれません。庭仕事に掃除、幽々子様のお世話と、色々充実していますから」
そう言って笑う。
幽々子は、ふむ……と呟き、小さく息を吐く。
「妖夢は本当に真面目なんだから。もう少し色々な事を望んでも良いと思うのだけれど」
「今の状態で十分幸せですから。これ以上何かを望んだらバチが当たっちゃいますよ」
蜜柑を剥きながら、穏やかな表情で言う。
なんとも欲がないと言うか……。よく出来た従者と言えばそうなのだけれど。
幽々子は少しだけ寂しいような気分になりながら、そんな妖夢をじっと見つめていた。
「ねえ、妖夢」
「はい、なんですか。幽々子様」
「あなたの隣に行っても良いかしら?」
突然幽々子がそんな事を言い出す。
妖夢は少し驚いた顔をすると、蜜柑を食べる手を止める。
「え、ええ、まあ構いませんけど。どうしたんですか?」
「ふふ……少し、そうしてみたくなったのよ」
幽々子は微笑みながら炬燵を出ると、モソモソと妖夢の隣に潜り込む。
「少し狭いけれど、でも体がピッタリくっついて、これはこれで暖かいわね」
そして、妖夢の体を抱き抱えるように手を回す。さらにギュッとくっつくお互いの体。
温もりと共に感じる幽々子からの品の良い香の香りにドキドキしながら、妖夢はゆったりと力を抜いて身を任せてみる。
「少し恥ずかしいですね、幽々子様」
「たまにはこういうのも良いわ。それに今日は少し特別な日ですもの、ね」
「クリスマスだからですか?」
幽々子はそれに笑みで答えると、そっと妖夢のサラサラした髪を撫でる。
気持ち良さそうに目を瞑る妖夢。
お互い言葉もなく、穏やかで暖かな時間が過ぎて行く。
やがて、妖夢の頭がフラフラと船を漕ぎ始めた。
幽々子はそれに気づくと、そっと妖夢の体を自らの膝の上に横たえる。
そして、少しだけ汗ばんでいる額の前髪を掻き分けると、小さな声で呟いた。
「妖夢はプレゼントなんかいらないと言ったけれど……」
幽々子は炬燵の中に手を入れて、少し大きめの袋を取り出す。
「あまり似合わないと思ったのだけれどね、私も密かにマフラーなんてものを編んでみたのよ」
袋から取り出したマフラーを広げてみせる。
雪のように真っ白な毛糸で編まれているものだった。
それを、そっと妖夢の首に巻いてあげる。
「ふふ……これだと少し暑いかしらね」
そして、再び妖夢の髪を撫でながら、穏やかな眼差しで妖夢の寝顔を見つめる。
「いつもありがとう、妖夢」
雪の降る静かな聖夜。
此処、白玉楼でも暖かで幸せな時が過ぎていくのだった。
人も、妖怪も、あまり姿を見せなくなるこの季節。元気なのは氷精や冬の妖怪ぐらいのものだった。
ある者は住処に篭り暖を取り、ある者は年末の大掃除の準備に走り回り、そしてまたある者はただ春を待ちわびる。
そして、冥界の白玉楼――この地も顕界と同じように冬を迎えていた。
空を見上げれば、薄墨を混ぜたような雲からハラハラと綿胞子のような雪が舞い降りてきている。
風に流されてヒラリと舞い込んできた結晶が鼻の頭に乗り、魂魄妖夢は思わずフルリと頭を振って、それを払い落とした。
――冷たい
鼻がムズムズとしてきて、思わず小さなくしゃみを2回ほど繰り返す。
そして妖夢は鼻の頭を擦ると、先ほどまでやっていた廊下の雑巾掛けの続きに取り掛かる。
流石にこの寒さの中、水は厳しいのでお湯を使ってやっているが、それでもどんどん手は冷えてくる。時折息を吐きかけながら廊下を擦ると、キュッキュッと小気味の良い音と共に汚れが落ちていくのを感じる。
妖夢はこの過程が好きだった。掃除をしているという実感がある。後ろを振り返ってみればピカピカと光る廊下が続いているのを見るととても気持ちが良い。
この輝きが妖夢の毎日の成果だった。
よし、今日の分は終わり。
妖夢は立ち上がると、腰に手を当てて背を反らす。
白玉楼は広い。全ての廊下を毎日掃除していたら時間がいくら有っても足りない。妖夢も廊下掃除だけをやっていれば良いわけではないのだ。なので、いくつかの区域に分けてそれぞれを日替わりで掃除するようにしているのだった。
手が冷たい……
妖夢は手を擦り合わせると、上着の中にそっと忍ばせた。
体温でほんのりと手が温まっていくのを感じる。痺れるような感覚が少し気持ち良かった。
モゾモゾとお腹の上辺りで手を動かす。そしてそのまま再び空を見上げた。
先程よりも心なしか雪が濃くなってきたようにも感じる。視線を下に向ければ降り積もった雪が庭を白く染めている光景が広がっている。
綺麗だな、と思った。この天候では庭仕事もままならないが、それでも雪は嫌いではなかった。
幽々子程ではないが、妖夢も風情は理解する方だ。しんしんと降る雪は様々な音を吸い込み、辺りを静寂に染める。その静けさにとても心が澄んでいくのを感じていた。
妖夢は振り返り、桶と雑巾を持ち上げる。
ゆっくりと掃除した廊下を歩いていると、彼方から妖夢を呼ぶ声が聞こえてきた。
「妖夢~、よ~~む~~」
幽々子の声だった。
優しげと言うか、気の抜けると言うか、聞いていると心が落ち着く声だ。
妖夢は一旦足を止めると、声のした方に向かって返事をする。
「はーい、少々お待ちください。今道具を片付けたら参りますので」
そして、タタタッと小走りで水場に向かう妖夢。幽々子様を余り待たせてはいけない。
急ぎ足で戻ってくると、部屋の前で一旦正座をする。
「失礼します」
そう声をかけると、そっと音を立てずに障子を開いた。
部屋の中には、炬燵に入ってまったりのんびりと過ごしている幽々子の姿。
炬燵の上には、カゴにこんもりと盛られた蜜柑が鎮座している。
「ん。来たわね、妖夢」
「はい。なにかご用でしょうか、幽々子様」
部屋の暖気が逃げてしまってはいけない。妖夢は腰を低くしたまま中に入ると、障子を閉め、そして訊く。
部屋の中は、火鉢が炊かれているのでほんのりと暖かかったが、今まで外で仕事をしていた妖夢にはそれが少しだけ熱く感じた。
「特に用と言う訳ではないのだけれど、そろそろ妖夢の仕事も終わった頃かしらと思ってね。呼んでみたのよ」
ニコニコと、機嫌の良さそうな顔でそのようなことを言う幽々子。
そして、チョイチョイと手招きをして、妖夢を呼ぶ仕草をする。
「寒かったでしょう? こちらに来て炬燵に入りなさいな」
「いえ、しかし……」
「もう後は急ぎの仕事はなかったはずでしょう? なら、休んでも良いじゃない」
少しばかり首をかしげさせて、相変わらずの笑顔で妖夢を誘う幽々子。
「まあ、そうですが……。――分かりました。お言葉に甘えさせていただきます」
少し考えた後、従うことにする妖夢。
実際、体も冷えてきていたし、手の先もかじかんできていた所だった。暖かな部屋で休めるのは正直ありがたい。
「ふふ……水仕事ご苦労様ね」
「いえ、私の仕事ですから……」
布団に足を潜り込ませながら幽々子の言葉に応える。
じんわりと痺れるような温かさに包まれる足。思わずほうっとため息が出てしまう。
しばしの間、ぬくぬくと暖まる妖夢。ふと見ると、幽々子が蜜柑を剥いて食べていた。
均等に皮を剥かれた蜜柑。房を取り出すと綺麗に二つに割り、そこから一つ取りはむっと口に入れる。
その美味しさに満足したのか、顔を綻ばせてとても嬉しそうな様子だ。
思わずこちらの頬も緩んでしまうような笑顔だった。
なんとも言えない和やかな気持ちになりながら、そんな光景を見続ける妖夢。
すると、幽々子がそんな様子に気づいたようで、蜜柑を食べる手を止めて話しかけてくる。
「妖夢もお蜜柑食べたい?」
「い、いえ、そういう訳ではっ……」
主人の顔をじっと見つめていたことに気づいて、思わず焦った声を出してしまう。
「遠慮しなくてもいいわよ~。とっても美味しいわよ、このお蜜柑。妖夢も食べてご覧なさいな」
ニコニコと微笑みながら、蜜柑を一房差し出してくる幽々子。
「そ、そうですか。それなら少し……」
ここで断るのも悪い気がして、手を炬燵から出し蜜柑を受け取ろうとする妖夢。しかし、そのとたん幽々子がサッと蜜柑を引っ込めてしまう。
「幽々子様……?」
「駄目よ、妖夢。まだ手が暖まってないでしょう。そのままでいなさいな。代わりに私が食べさせてあげる」
相変わらずの笑みを浮かべたままで、そんな事を言い出す。なんだか、とても楽しげな様子だ。
「ゆ、幽々子様っ。幾ら何でもそれはっ……」
思わずちょっと仰け反ってしまった。いきなり何を言い出すんだろう、この主人は……。
「うふふ、良いじゃない。遠慮せずに甘えてしまいなさいな」
「で、でもですね……」
どうしたら良いか分からないかのように、俯いたり顔を上げたりを繰り返す妖夢。
幽々子は笑顔を崩さず、蜜柑をこちらに差し出している。
妖夢は暫しの間悩んでいる様子だったが、やがて笑顔のプレッシャーに押されたようにおずおずと顔を差し出すと、そっと幽々子の指先から蜜柑を口に入れた。
「クスクス……」
そんな様子が小動物じみていて、思わず口から笑みを漏らしてしまう幽々子。
一方の妖夢は真っ赤な顔でモグモグと蜜柑を食べていた。
「はい、どうぞ」
続けて蜜柑をまた一つ差し出す。
妖夢は少し逡巡した様子だったが、先ほどと同じようにあむっと口に入れる。
ムグムグ……
俯きながら蜜柑を食べる妖夢の姿はとても可愛らしい。そんな様子を見ながら、幽々子は炬燵とは別の意味でほんわかと暖まるわねぇ等と言うことを考えていた。
そしてふと、ある事が思い浮かんだ。
「ねえ、妖夢」
「あ、はい、なんでしょうか幽々子様」
口の中の蜜柑をコクンと飲み込んで、返事をする妖夢。
そんな彼女を見ながら、こんな事を言い出してみた。
「今度は私に食べさせてくれないかしら?」
「え、あの、蜜柑をですか……?」
「ええ、そうよ。妖夢が美味しそうに食べているのを見てたら、また食べたくなってしまったわ」
満面の笑みなどを浮かべてみる。
「ええと、あの……」
そんな幽々子に、妖夢は迷うような様子をみせている。よく見てみると表情が微妙に色々変わってなかなか面白い。
「良いじゃない。お返しと言うことで。私も妖夢に甘えてみたいわぁ~、なんてね」
ツンっと妖夢のおでこを指で突っついてみた。
はわわ、と言いながら額を抑える妖夢。微笑ましい。
「わ、分かりました。幽々子様のご命令とあればっ」
「もう、そんなふうに考えなくても良いのよ。妖夢はそういう所真面目ねぇ」
何かを決意したかのような面持ちで応える妖夢に、幽々子は苦笑いしながら、ふにふにと今度はほっぺたを突っつく。
「うぅ……」
「ま、それはともかく、お蜜柑を食べさせてちょうだいな」
あ~んと口を開ける幽々子。
妖夢はそれに向かって蜜柑を差し出す。
――はむっ
指ごと食べられた。
「はわっ、ゆ、幽々子様!」
「あむあむ……」
チュポンと小さな音を立てて、口が指から抜かれる。
再び真っ赤な顔の妖夢。半霊も心なしか赤く染まっているようだった。
「ん~、やっぱり美味しいわぁ~」
「もう……幾ら何でも、私の指まで食べないでくださいよ……」
「ふふ……妖夢があまりに可愛いものだから、食べてしまいたくなったのよ」
冗談めかした言い方に、妖夢はパタパタと頬の熱を冷ますように叩きながら、はう……と縮こまるように俯く。
そんな、冬の暖かな光景だった。
穏やかな空気の流れる部屋。
幽々子が、炬燵に頬をぺたりとつけてくつろいでいる。
妖夢は、目を閉じ瞑想しているかのような様子を見せていた。
「そう言えば――」
突然幽々子が、思い出したように口を開く。
「今日は世間ではクリスマスって言うらしいわね」
「まあ、そうですね」
目を開き、幽々子と視点を合わせるかのように顎を炬燵につける妖夢。
「クリスマスかぁ……」
「顕界ではそれなりに盛り上がっているみたいですね」
「そうなのねぇ……」
「……もしかして、やりたかったんですか? クリスマス」
「特に騒ぎたい訳ではないのだけどね」
「はぁ……」
幽々子は、妖夢と同じように顎を炬燵につけた格好になると、何処と無く拗ねたような顔になって言う。
「チキンやケーキとかは食べてみたかったわねぇ……」
それを聞いて、クスリと笑う妖夢。なんとも微笑ましい理由だった。
「幽々子様らしいお言葉ですねぇ」
「あら、それじゃなんか、私が食いしんぼみたいじゃない? まあ、美味しいものを食べるのが好きな事は否定しないけど……」
「さてさて、どうでしょうね」
引き続きクスクスと笑う妖夢が、楽しそうに幽々子の言葉に応える。
「もう……」
そんな妖夢の様子に、ぷく~っと頬を膨らませる幽々子。
しかし、すぐに破顔すると妖夢と二人で笑いあう。
「クリスマスと言えば、プレゼントなんてものも有るわねぇ」
再び蜜柑に手を伸ばして、モグモグと食べながら幽々子がそんな事を言う。
「そうみたいですねぇ」
「妖夢は……もしプレゼントを貰えるとしたら、なにか欲しいものは有る?」
幽々子が訊くと、妖夢は少し考える様子を見せ……
「特にないかもしれません。庭仕事に掃除、幽々子様のお世話と、色々充実していますから」
そう言って笑う。
幽々子は、ふむ……と呟き、小さく息を吐く。
「妖夢は本当に真面目なんだから。もう少し色々な事を望んでも良いと思うのだけれど」
「今の状態で十分幸せですから。これ以上何かを望んだらバチが当たっちゃいますよ」
蜜柑を剥きながら、穏やかな表情で言う。
なんとも欲がないと言うか……。よく出来た従者と言えばそうなのだけれど。
幽々子は少しだけ寂しいような気分になりながら、そんな妖夢をじっと見つめていた。
「ねえ、妖夢」
「はい、なんですか。幽々子様」
「あなたの隣に行っても良いかしら?」
突然幽々子がそんな事を言い出す。
妖夢は少し驚いた顔をすると、蜜柑を食べる手を止める。
「え、ええ、まあ構いませんけど。どうしたんですか?」
「ふふ……少し、そうしてみたくなったのよ」
幽々子は微笑みながら炬燵を出ると、モソモソと妖夢の隣に潜り込む。
「少し狭いけれど、でも体がピッタリくっついて、これはこれで暖かいわね」
そして、妖夢の体を抱き抱えるように手を回す。さらにギュッとくっつくお互いの体。
温もりと共に感じる幽々子からの品の良い香の香りにドキドキしながら、妖夢はゆったりと力を抜いて身を任せてみる。
「少し恥ずかしいですね、幽々子様」
「たまにはこういうのも良いわ。それに今日は少し特別な日ですもの、ね」
「クリスマスだからですか?」
幽々子はそれに笑みで答えると、そっと妖夢のサラサラした髪を撫でる。
気持ち良さそうに目を瞑る妖夢。
お互い言葉もなく、穏やかで暖かな時間が過ぎて行く。
やがて、妖夢の頭がフラフラと船を漕ぎ始めた。
幽々子はそれに気づくと、そっと妖夢の体を自らの膝の上に横たえる。
そして、少しだけ汗ばんでいる額の前髪を掻き分けると、小さな声で呟いた。
「妖夢はプレゼントなんかいらないと言ったけれど……」
幽々子は炬燵の中に手を入れて、少し大きめの袋を取り出す。
「あまり似合わないと思ったのだけれどね、私も密かにマフラーなんてものを編んでみたのよ」
袋から取り出したマフラーを広げてみせる。
雪のように真っ白な毛糸で編まれているものだった。
それを、そっと妖夢の首に巻いてあげる。
「ふふ……これだと少し暑いかしらね」
そして、再び妖夢の髪を撫でながら、穏やかな眼差しで妖夢の寝顔を見つめる。
「いつもありがとう、妖夢」
雪の降る静かな聖夜。
此処、白玉楼でも暖かで幸せな時が過ぎていくのだった。
白玉楼はやっぱこのほのぼの雰囲気が一番安心出来ますね。
もっとやれ!いや、やってくださいお願いします。