森の中 人知れず 月を見上げた 愛しい人たちに何を残せる?
竹林にある一つの診療所。
そこに住むのは永遠に縛られた二人の人と沢山いた兎と紅い眼の兎。
紅い眼の兎、鈴仙は布団の中で静かに部屋から見える月を見ていた。
ああ、いつだったっけな、私があそこにいたのは。
静かな夜に弱い弱い呼吸音が響く。
わかっていたのに。
あそこから逃げ出せば、いつかは終わりが来ることも。
それなのに。
なのに。
私は何も変われていない。
二人に拾われ、兎達と一緒に住むことになった、あの日から、何も。
月から机の上に視線をうつす。
そこには天狗に撮ってもらった妹のような笑顔が眩しい悪戯っ子が写っていた。
事の始まりは半年ほど前だった。
一匹の兎がいきなり吐血し高熱を出して倒れた。
そして、それを合図としたようにどんどん兎達は倒れていった。
原因は不明。
ただし兎にしかかからないものらしく、里などには被害は無かった。
そこから、永遠亭は地獄絵図へと変わった。
部屋から聞こえる沢山の呻き声、苦しそうな呼吸の音。
一番つらかったのは、泣き声。
病気にかかった兎は巫女の結界で隔離されていたが、声だけは鮮明に聞こえていた。
タスケテ、クルシイ、サムイ、イタイヨ
それが聞こえるたびに、鈴仙は泣いた。
意味がないとわかっていても泣き続けた。
ゴメンナサイ
ふっ、と何かがなくなるような感覚が鈴仙にはしった。
そして扉を開く永琳の顔。
彼女もまた、泣いていた。
そしてできるだけ感情を押し殺した声で告げた。
兎の一人が死んだ、と。
見ればてゐの頬にも涙が伝っていた。
それを見た私はより一層強く泣いた。
そんな私を二人は優しく包んでくれた。
一匹が死んだのを嘆いている暇など、彼女達には存在しなかった。
一日、一日ごとに力尽きていく兎達。
庭にはいつしか大量の墓が出来ており、もはやそれは墓地ともいえた。
そして、ついにてゐが病にふせた。
信じたくなかった。
こればっかりは絶対に。
あの悪戯っ子がいなくなってしまう?
あの眩しい笑顔が見れなくなってしまう?
あの甘える仕草が見れなくなってしまう?
嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
そんなのって、無いよ。
そんなのって、酷いよ。
師匠にどれだけ会わしてくれといっても会わしてくれなかった。
それは病気をうつさないためか、私を気遣ってのためか。
その時は喚いたけど、今ならそれは師匠なりの優しさだったのだと思う。
泣く事しか出来なかった。
泣いて、泣いて、泣いて。
叫んで、叫んで、叫んで、叫んで。
どれくらい叫んだのだろうか?
周りには誰一人居なかった。
ああ、そうか。
顔を上げて鏡を見る。
涙でぐちゃぐちゃになった酷い顔だった。
泣きつかれたのかな、と瞳の下をこする。
そして紅い、狂気の瞳をじっと見てみる。
自分には効かない、瞳。
効いてくれれば、狂気にあてられれば楽に慣れたのかな。
そんな紅い瞳も、泣きつかれて虚ろなものに変わっていた。
ギシッ、と畳が軋む音。
後ろには師匠と姫が立っていた。
――本当は、わかっていた。
姫がゆっくりと口を開く。
――ひとりぼっちになっているその意味も。
「てゐが果てた」
そう、言った。
涙は、自然と出なかった。
死体は、とても可愛らしい寝顔のようだった。
病原体は死体には宿らないらしく、私はその日、てゐに会った。
正確には、てゐだった「もの」に。
私はそれを埋めた。
何も話さず、何も思わず、何の表情もなく。
ただただ、埋めた。
そんな私の姿を師匠たちはどう思っていたのだろう。
きっと不気味なものにしか見えなかったと思う。
だってあれは生ける屍が死んだ屍を埋めているだけだったから。
そして、体が見えなくなった。
カラン、
スコップが地面に転がる音が響く。
ゴボッ
鈍い水の音が不気味な程に竹林で聞こえた。
ドサリ、と倒れる音は聞こえなかった。
私に分かったのは見えるのは月ではなく土。
そして顔が苦しそうに歪む師匠、永琳様の顔。
どうしてそんなかおをしているのですか?
声は届くことなく、代わりにまた水の音がなった。
月の兎。
私はこれであるから最後まで残ったのだろう。
その証拠に私はひとりぼっちだ。
もうこの屋敷には兎は私以外誰もいない。
みんな、朽ちていった。
全く、なんて皮肉だ。
高熱で朦朧とする意識の中、私は自虐的に笑う。
それを聞いていたのか、師匠が近づいてくるのが見えた。
「どうしたの?」
そう言った顔に満ちていたのは、悲しみと、わずかな怒りと、虚無。
あなたがそんな顔をする必要は無いのですよ。
これは全て私が悪いのですから。
そう、これは全て私の責任。
私の、罪。
手を伸ばし師匠にさわろうとしてみたがその手は虚空をつかんだ。
でも床に着く前に師匠はその手を握ってくれた。
その手は、暖かかった。
それだけ。たったそれだけのことで私は涙をながした。
冷たくなかったから。
柔らかかったから。
動いていたから。
生きているとわかったから。
一度零れた涙は一向にとまることなく私の顔を濡らした。
その感覚は、永遠を生きる彼女も同じなのだろうか。
だから泣きそうなのかな。
そうだったら嬉しいな。私は心の中で笑う。
だって、それはこんな私でも想ってもらえてる、って事だから。
指に力を入れて手を握る。
師匠の手も力を入れて握り返してくれた。
今度は嬉しさで笑えた。
死ぬ間際になると急に周りが見えてくる、というのは本当だった。
いつも気になることが全て消えてゆき、なんとも不思議な気分になる。
同時に死への恐怖も自覚させられる。
最初は怖かったが、徐々にその恐怖も無くなった。
『死』を受け入れ始めた。
これは輪廻の中にいる者だけができる権利。特権。
『死』を受け入れるとき、いるんな記憶を思い出した。
夏に向日葵畑に行って死にそうになったこと。
秋に山に行って迷いそうになったこと。
冬に里に行って寒い中薬を売りに行ったこと。
七夕に笹に短冊をかけ、星に願ったこと。
全てが懐かしく、遠い、何年前のように思えた。
苦労してるなぁ…私。と涙を流しそうに何回もなった。
…それでも、楽しかった。
てゐは悪戯に手をやいたが、時折見せる可愛い表情を見ると全て許せてしまって。
師匠は変な薬の実験台に何回もなったが、いろんなことを教えてくれた。
姫は自由すぎて困ったが、この世の美しさを分からせてくれた。
永遠亭の日々は、本当に楽しかった。
私は幸せ者だ。
自分には多すぎるほどの幸せを、沢山、沢山、貰った。
『だから、今度は……………』
私は熱っぽい体を無理やり起こす。
部屋には運よく一人きりだったので、簡単な上着を羽織って外に出る。
高熱状態での歩行は、とても苦しかったが歯を食いしばって進む。
『だから、今度は私の番だ』
確か、この辺に……!!
何でこれが思いついたのかは分からない。
でも、部屋に居るときからずっと頭の中に残っていたのだ。
我武者羅に、竹を掴みながら歩く。
少し歩いただけで息は上がり、口の端からは鮮血が伝っていた。
月が綺麗に輝く夜、竹林に黒い影が動く。
その影の先にあるのは、慎ましく咲く白い花。
儚くも凛とした花が月を仰ぐ。
私も月を見て泣いていた。
この花に名づけよう。私の願いを。
この花に詰め込もう。今まで見たものを。今までの記憶を。
この花で伝えよう。私の想いを。
私を愛してくれた人たちに。
たとえ私がここから居なくなっても、いつまでも此処にあるように。
何時までも、何時までも花を咲かせ、あなたと共に居よう。
永遠に、あなたと共に過ごそう。
ありがとう。
私はとても温かい感覚に包まれて、眠りについた。
「さみしくなったわね」
「そうね。因幡達がいないと夜がさむいわ」
くすくすと笑い合う。
永遠を生きる二人の周りには、優曇華の花が咲いていた。