早苗は日本の伝統的とも呼べる、立派な神社の一人娘であり、巫女。
昔から友人も多く、これといって不自由ない学校生活を送っていた早苗は度々友人を家に招待してみたことも、逆に泊まりに行くことも多々あった。
そんな彼女の両親は優しく、一人娘の早苗を大事に育てていた両親は、高校入学の時にその頃早苗が欲しがっていた携帯電話をプレゼントしたり、不自由を与えることなく大切に育てられた。
両親は勿論のことだが、早苗はこの神社のことが大好きだった。
何らかのイベントの際には町の皆から崇拝される神を奉る神社。それは一人の巫女として誇りにしていたようだ。
そんな幸せな日々を送っていたある日。
テスト勉強を夜遅くまでしていた早苗は、一段落したので息抜きに飲み物でもと、台所へと向かう。
すると、丑三つ時に差し掛かる程の時間だというのに居間の明かりが点いていたことに気付いた。襖の隙間から様子を伺うと、神妙な面持ちの父親と、泣いているのか肩を震わせて顔を手で覆った母親が向き合うように座っている。
机の上には一枚の紙。自分の耳に届くかもわからない程小さな声で『もしかしたら離婚?』と呟き、勝手に解釈した早苗には机の上の紙が離婚届けにしか見えなくなっていた。しかし、余りの場の空気の重さにそれ以降、声も出せずに見守る。すると、その紙を父親が居間の箪笥の上段へとしまい、母親と何らかの会話を始めた。
その現場を目撃した早苗は完全にテスト勉強のことなど忘れ、早々と自室に戻ってベッドへと倒れ込んだ。
いつも通りの時間に起き、いつも通り支度し、いつも通り学校へ向かう。
周りからみたら何も変わらないいつもの早苗の姿だったが、実際は昨夜の出来事で頭が一杯だったらしく、テストの時間もボンヤリしている。あの状態でテストを受けたのに赤点を取らなかったのは奇跡だと思う。
この頃、既に能力を開花させていたのかと思うと、早苗は天才だと思う。
テストの日は大体午前には学校が終わる。テスト期間中は家で勉強出来るようにと学校側が考慮した結果だ。
しかし、すぐに帰って勉強する生徒は少なくテスト期間中に遊ぶ者が多い。案の定、早苗もクラスメートに遊びに行かないかと誘われていた。それでも早苗は友達から誘いを全て用事があると断り早々と1人家へと急いだ。昨夜のことをハッキリさせておきたかった。
両親は出掛けており、家には誰も居ないためシンとしている。親しみ慣れたはずの我が家なのに何故か早苗は緊張し、もし離婚だとしても私はこの神社を守るために残るんだと、まるで自分を励ますように何度も口に出していた。
昨夜の記憶を頼りに居間にある箪笥の上段の引き出しを開ける。そこには裏返しにコピー用紙らしき紙が一枚置いてある。
この地点でホッと溜め息をついた。こんなペラペラのコピー用紙が離婚届けの訳がないと直感的にわかったから。
離婚届けじゃないのなら、なんでお母さんは泣いていたのだろう?そんな疑問を口に出しつつ、早苗はその紙を手に取り内容を見る。
そこで早苗は理解出来ずに頭を傾げた。
【○月×日、高速道路拡張の為、守谷神社取り壊しのお知らせ】
簡単なのに理解が出来ない。いや、ただ理解したくないだけなのかもしれない。早苗にとっては離婚というイベントより衝撃が強かったかもしれない。
意味がわからない。
なんで神社が取り壊すの?私が大好きなこの神社を?そんなに簡単に神社って壊せるものじゃないでしょ?
……それに両親はこのことを私に相談してくれないの??
自然と早苗は守谷神社の本堂へと足を進めていた。ボンヤリと、まるで魂が抜けたように歩を進め神が奉られている社を前に座り込んだ。この場所に自然と足が進んだのは、幼い頃から大好きだったからだけではなく、巫女として神に従う者として申し訳ない気持ちで一杯だったのかもしれない。
そして、早苗は初めて神奈子の声を聞いた。正確には神奈子が早苗にハッキリ声をかけた、だ。
普通、突然天の声が聞こえたら大半の人間は警戒するだろうが、精神的に傷ついていた早苗は優しく問い掛ける神奈子の言葉を神のお告げだと信じきり、満面の笑みを浮かべて姿も見えない神奈子に何度もお礼を言っていた。
この時早苗に神奈子が話した内容が『幻想郷という場所に、守谷神社ごと引っ越さないか?』――だった。
その日の夜、早苗は両親に神社取り壊しの件を尋ねた。案の定、両親の顔色が曇る。どうやら本当のことらしい。
本当は嘘でした、など少なからず期待していたが僅かな望みはすぐ消えてしまった。
それでも昼間にあったお告げを両親に話して承諾してもらえれば平気だと、自信満々に昼間の出来事を鮮明に話した。
しかし、期待はあっさり裏切られた。
『神社を取り壊すことが相当ショックだったから幻聴が聞こえたのね』とか『ショックのせいだから一晩休みなさい』とか。そんな常識的な答えしか返ってこなかったのだ。
~♪~♪~♪~
この日以来、早苗はガラリと変わった。
ほとんど学校には行かなくなり、以前はよく笑うとても明るい性格だったのに、今は生気がないというかすっかり元気がなくなってしまった。たまに口を動かして喋る内容は『神様からのお告げがあったんだよ』の一言。
牢獄みたいな部屋で点滴を打たれたり、カウンセラーの話を聞いたり。
早苗は本当のことを言っているだけなのに、皆から変な目で見られる。
大好きな神社を守ろうと両親に持ちかけた話なのに、両親が信じない。
早苗の心を壊すには十分すぎる要素。まるでゼンマイ仕掛けの玩具が止まっていくように、徐々に早苗は壊れていった。
神社取り壊しの日が近くなった頃、毎日のように早苗は本堂の神奈子の声を聞いた場所に座り込み、何か考え込むように目を瞑っている日が続いた。勿論、今日も朝早くからいつもの場所に座り込んでいる。
神奈子が初めて声をかけた時と比べると痩せ細り、点滴を何度も打たれた腕は痛々しく包帯が巻かれて肌は透き通るように白くなっていた。
心配そうに神奈子は早苗の様子を見守る、今どう声をかけても逆効果になるのが見えていた。だから、何もせずに見守るだけ。
静寂の中、時間がゆっくりと過ぎる。まるでこの空間だけ別世界なのかと思うほどにゆっくりと・・・その静寂を破るように早苗が呟くように口を開いた。
お父さんも。お母さんも。神様のお告げを信じない。私の邪魔をする。なら簡単だよね。常識に囚われてはダメなのね。
邪魔をする二人を ばいいんだ。
そしてお父さんとお母さんを た後に神様のお告げの通り『幻想郷』に引っ越せばいいんだ。なんて簡単なことなんだろう。
そう呟いて、立ち上がった早苗の様子は清々しそうに笑い、そのまま何かを求めて台所へと向かった。
数時間が過ぎただろうか。早苗は揃って出掛けていた両親の帰りを居間で静かに座って待っていた。
早苗が居間に居ることは珍しいことで、帰宅した両親は驚き、喜んだ。いつも部屋に引きこもっていた早苗が笑顔で両親の帰宅を待っていたのだから。
しかし早苗の笑顔は両親が帰ってきたから出たものではない。
悩んでいた問題を解くことが出来たから。
・・・・・・その笑顔の早苗の手には、鋭い光を放つ包丁が握られていた。
~♪~♪~♪~
「・・・・・・なにこれ?」
諏訪子の部屋を掃除していた時に見つけたボロボロのノートの文章はそこで終わっていた。自分が主人公で、ストーリーは過去の私が起こした出来事だろうか。
「あー!勝手に見ちゃダメだよ。私の小説。」
ピョコピョコと効果音が聞こえてきそうな歩き方で諏訪子が部屋に入ってきた。そんな諏訪子を少しムッとした様子で早苗は睨む。
「諏訪子様、勝手に私を主人公にした小説なんて書かないで下さい。この終わり方じゃ私がお父さんとお母さんを殺害したみたいじゃないですか・・・縁起でもない。私のお父さんとお母さんは外の世界で元気に暮らしています。」
「あはは・・・。ごめんねぇ。突然暗い感じの小説書きたくなったからさぁ。」
そう言って諏訪子は早苗からノートを受け取り、ちゃんと処分するからと誤魔化すように笑う。そんな諏訪子の様子に呆れ気味に早苗はため息をついた。
「とにかく、もうやめてくださいよ?じゃあ私は晩御飯の支度してきますね。」
「うん。今夜は岩魚の塩焼きがいいなー。」
諏訪子の最後の一言を聞いたか聞かないか、そんな会話を最後に早苗は部屋から出て行った。一人部屋に残された諏訪子は早苗が去ったことを確認してからノートを見つつ、安心するように大きく息を吐いた。
「早苗の過去の記録なんていつ書いたんだ?」
いつの間にか壁に寄りかかるように立っていた神奈子はそう諏訪子に声をかけた。そんな神奈子の言葉に驚くことなく諏訪子はヤレヤレと手を振る。
「知らないよ。多分アイツが誰かを操って書かせたんでしょ。アンタとアンタに負けて従うようになった私に対して仕向けたイヤガラセみたいなもんだろうね。祟り神だし。」
「早苗はこっちに来る前の本当の記憶を覚えてないから本当のことを思い出されては洒落にならん。また早苗が壊れてしまうかもしれないし。」
「全くだよ。祟り神っていうのはタチが悪くて嫌だねぇ。」
「・・・お前の元・部下だろうが。」
そんな会話をしていると、台所から晩御飯が出来たと早苗の大きな声が聞こえてきた。今夜は諏訪子の希望通りなのか、魚を焼いた香ばしく美味しそうな匂いがする。
「さて、早苗が作ったご飯食べてこんなこと忘れよ!私お腹空いたし。」
それもそうだな、と神奈子は先に部屋から出て行く。
一人部屋に残った諏訪子は改めてボロボロのノートを見直す。
「・・・早苗が過去の記憶を取り戻すような、そんな『奇跡』なんて私はゴメンだね。」
諏訪子は『なにか』に呼びかけるように、そう言ってノートをゴミ箱へ投げ捨て部屋を後にした。
携帯からだとちょっと見づらいかな。
幻想郷
病んでる早苗さんが怖かった…