Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

猫の話

2009/12/24 03:09:21
最終更新
サイズ
9.91KB
ページ数
1

分類タグ


 レミィが子猫を拾ってきた。
 可愛くもない猫だった。顔には生気がなく最低限の愛想もなく、身体は埃と血で汚れていた。
 別れがつらいから飼ってはいけないと私は言った。猫は私たちよりもずっと早くに死んでしまうから。
 けれどレミィは私の意見なんて何一つ聞き入れないまま「この屋敷の主は私よ」とのたまい、深手を負って動けない猫を抱いたまま私に背を向けて去っていった。彼女は最初から異論を考慮するつもりはなかったのだ。友人の性格を考え合わせればそれは当然と言えて、なら彼女は一体なぜ私の元へとやってきたのだろうと考えた時にようやく、レミィはきっと私にも猫を可愛がってほしかったのだということに気付いた。
 次に会った時は優しくしてやろうと思った。
 猫は嫌いではない。

 別の日のこと。
 所要のために地下から上がって屋敷の廊下を歩いていると、向こうから件の猫が歩いてきた。
 もう歩けるようになったのかと驚きながら挨拶をしてやると、猫は全身をビクリと硬直させるなり、にゃあとも返事をせず全速力で逃げ出していった。失礼なものだ。
 その夜に大図書館を訪れたレミィと紅茶を飲みながら、ケモノの躾はきちんとしないと駄目だというような話をした。
 気をつけるわねとレミィは言った。穏やかに微笑みながら。
 気分を害した様子は全くなかった。ペット煩悩というやつだろうか。

 猫は見る間に成長していった。
 私たちの三ヶ月が、猫にとっては一年なのだ。もちろんこれは比喩だけど。
 猫は私たちの言葉を解し、私たちをよく敬い、とても美味しい紅茶を淹れた。
 料理、掃除、洗濯、その他この屋敷をうまく回していくために必要なありとあらゆる知識と技術を彼女は学び、片時もレミィの傍を離れようとしなかった。それが正しいことだと教えられているようだった。
 彼女はまた、拾われてきた頃から刃物をよく扱った。特に細身の銀製ナイフを好み、いつの間に手入れをしているのか、彼女が果物を剥くナイフの刃はいつも新品そのもののように冷たく光っていた。
 彼女が腰につけた懐中時計について言及したこともあった。あなたはいつもそれを着けているのね、それは一体何なのかしらと尋ねてみると、彼女は一つ礼をしてからその懐中時計について語った。
 それは簡潔で明快で、そして驚くべき答えだった。
 レミィがあなたを可愛がるのも無理ないわねと言うと、彼女は非の打ち所がない微笑を浮かべて再び礼をした。

 猫の晩年についても記しておこうと思う。
 前述したように、私たちの三ヶ月は猫にとっての一年に相当する。
 猫は見る間に年老いていった。
 屋敷に勤めるメイドたちが目まぐるしく入れ替わる。私たちが変わらぬ姿のままで紅茶を飲んだりチェスを指したりする。その中で子猫は立派な成猫になり、そして精悍な老猫になった。
 彼女は自分自身に関してはその能力を決して発揮することなく、容赦なく自らを削り取っていく非情な時の流れをただ粛々と受け止め、受け止めた年月の通りに歳を重ねていった。
 それがいかに尊いことであるかは――或いは、この手記を手にしているあなたが人間であるのなら尚更――お解り頂けることと思う。
 高かった背は低くなり、皮膚には彼女が歩んできた道の険しさを示唆するかのような深い皺が刻まれ、感情を自然に発露させて笑うとそれがますます深くなった。
 そして彼女がレミィに拾われてから実に一世紀と三年四ヶ月、猫は生涯のほとんど全てを主人とこの館に捧げ、暖炉の前の暖かなソファに腰掛けたまま眠るように死んだ。

----------

 ここまでは彼女への追悼のために。
 彼女の幸福な死に、最上の敬意と祝福を。
 以下は事実として記す。

----------

 猫の死に際したレミィの有り様は目も当てられないものだった。
 安らかな遺体を前にしてもそれが抜け殻であることを認めようとせず、彼女は一世紀前と変わらぬ小さな手で、かつて幼く決定的に傷付いていた子猫を抱いていたその手で、もう動かない老猫の肩を何度も揺さぶった。
 彼女が与えてやった猫の名を呼びながら、何度も揺さぶった。
 この国の気候では死した動物の死体はすぐに腐ってしまう、早急に燃やすか埋めるかした方がいいのではないか、と私は提案した。
 レミィはゆっくりと立ち上がり、驚くほど静まり返った目で振り向くと、そのまま手を振り上げて私の頬を打った。
 何も言わないでいる私に、彼女は数々の口汚い暴言を怒声と共に投げ掛けた。
 何れも彼女が今まで決して口にすることのなかった、最低の、魔女を貶める言葉だった。
 レミィが去った暖炉の前に佇んだまま、私はまず暖炉の火を消した。次に猫が座っていたソファに簡単な魔方陣を記述して、猫の遺体を地下の大図書館に転送した。
 図書館に戻ると私の帰りを待っていた小悪魔が指示を仰いできたので、私は即興で水晶の棺桶を作り上げて、猫の遺体をそこへ入れるようにと言った。私には単純な腕力が不足しているので、小悪魔の存在はありがたい。
 腐り落ちて蛆などが湧かないように遺体を凍結させ、棺桶の蓋を閉め、猫の遺体が入った棺は強固な結界を施して別室に安置された。私がこの結界を解かない限り、恐らくは千年先も、いかなる妖怪にさえ彼女の遺体が暴かれることはない。

 それからしばらくの時間が経った頃、心の整理をつけたらしいレミィが大図書館を訪れた。彼女は手土産として上等の紅茶葉とクッキーを持参し、ばつの悪そうな顔で俯きながら私に先日の非礼を詫びた。構わないと私は答えた。だってレミィ、あなたは私の最も古い友人なのよ。
 猫の遺体は別室に安置していることを伝えると、レミィはそれを見たいと言った。よくない事態も重々に想定して慎重に部屋へ通してやると、彼女は驚くほど落ち着いた様子で棺桶の前に立ち、厳かな表情のまま黙って手を合わせた。彼女の生まれ育ちを考え合わせると、奇妙な礼拝の仕草だった。彼女はそれをどこで学んだのだろう。

 けれどそれでも、彼女が最も愛した猫の死を受け入れたのかといえば、どうやらそういうことでもないようだった。
 レミィは二度と猫の遺体が見たいなどとは言わず、以前よりは目つきを鋭くして、メイドの些細な失敗をあげつらっては甲高い声でそれを糾弾した。そしてそれを非難する言葉の中には、しばしば彼女の最も愛した猫の名前が含まれていた。
 夜よりは朝に近い夜更けにネグリジェのまま大図書館にやってきて、血走った目で私の肩を掴んでは「やはり私はあの子の運命を奪っておくべきだった」と半狂乱で繰り返したこともあった。
 レミィが屋敷やメイドを始めとする財産の管理にほとんど注意を払わなくなったので、以降の実際的な指揮は私が執った。形式上の当主は彼女のままということになっていたけれど、彼女自身は今さらそんなものなどどうでもいいと考えているようだった。
 実際的な立場にいたメイドだけを残し、他には暇を出した。姉の有り様に辟易した妹様が時折私の元を訪ねては、私に労わりの言葉を掛けて美味しい紅茶を淹れてくれた。妹様は時間の経過と共に姉よりもよほど物を大切に扱う術を身につけ、仕草は真摯で、彼女の淹れた紅茶はあの猫のものととてもよく似た香りがした。
 レミィは見えるはずのものを見なくなり、見えないはずのものを見るようになった。
 もう限界だと感じた私は、彼女のたった一人の肉親である妹様に事の如何を伝えて了承を得ると、自室で眠るレミィの胸に木の杭を打ち込み顔に一瓶分の硝酸銀を浴びせかけた。この世のものとは思えない悲鳴を上げる彼女の身体を妹様の手が棺桶に押し込み、あらかじめ用意してあった釘で内側から開かないように蓋を打ち付けた。
 言うまでもなく、最も力のある妖怪の一勢力である吸血鬼はこの程度では死なない。ただ永い眠りにつくだけだ。私は棺桶そのものに結界を施すと、それが安置されている部屋にも何重もの結界を施した。私がいつか結界を解く日まで彼女が目覚めないように、そして或いはこの結界を解くだけの力と目的を持った誰かが訪れるまで彼女が目覚めないように。
 全てを終えてその場にへたり込んだ私の背中を、妹様の手が優しくさすった。これであなたは自由になったのよ、と彼女は言った。あの図書館はあなたのものよ。もしあなたがそれを望むなら、あの図書館と一緒にどこか別の場所で新しい生活を始めてもいい。
 あなたはどうするのか、と私は尋ねた。
 妹様は悲しそうに笑って、私はここに残るわと答えた。だって、私はあいつのたった一人の家族だから。

 立派な門の前には相変わらず彼女が立ち続けていた。
 私は小悪魔に支えられながら彼女の元へと赴き、事の経緯を説明した。流石に驚いたようだったけれど、彼女は事実を淡々と受け止めて力強く頷いた。その目には強い光が宿っている。久しく目にした記憶がないような、とても真っ直ぐな想いを宿した目だった。
 あなたはどうするのか、と私は尋ねた。
 紅美鈴は穏やかに笑って、私はここに残りますと答えた。だって、私は紅魔館の門番ですから。
 けれどあなたほどの腕なら他に雇ってもらえる場所はいくらでもあるでしょうと言うと、彼女は“忠臣は二君に仕えず”という言葉を知っていますか、と尋ねてきた。
 大陸の諺ね、あなたの故郷のもの? と尋ねると美鈴は曖昧に笑って、咲夜さんに教えてもらったんですよと答えた。
 私はそれ以上を尋ねなかった。
 大図書館に帰ると私はいつも通りのテーブルについて、けれど本を開くことはせず、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる小悪魔に、あなたにもここを去るという選択肢があるのだと伝えた。小悪魔は当然のように首を横に振って、私がお仕えしているのはパチュリー様ですからと言いながら、乾いた咳を繰り返す私の背中をさすってくれた。
 知らぬ間に涙が溢れてきた。こんな私でも、まだ泣くことができるのだ。

 もちろん、私には図書館だけをどこか別の場所に転送させてそこで新たな生活を始めるという選択肢も残されていた。冷静に考えればそれが最もまともな選択だった。この屋敷には良くも悪くも思い出が溜まりすぎている。
 けれど私はそうしなかった。最も古い友人をこの手で眠らせてしまった罪を負いながら、ここで屋敷を守り続けることを選んだ。
 私を最も理解した友人と、
 最も近しい場所にいながら彼女とは決定的に隔てられているその妹と、
 亡き友の言葉を大切にしながら古びた門を守り続ける門番と、
 そして、私の友が最も愛した猫の亡骸と共に。

 妹様と美鈴が図書館にやってきて、別室の猫の遺体を見せてほしいと言ったので案内してやった。
 妹様は黙って棺を撫でていた。美鈴は最上の敬意を込めて棺に礼をすると私に向き直り、やはりこの遺体は棺から出して土に埋めた方がいいのではないかと言った。やはり人間の遺体は土に還っていくのが自然の摂理だから、と。
 妖怪が人間のありようについて講釈するのは滑稽ではあったけれど、恐らくは私よりもこの猫についてよく知っている彼女の言い分に頑として反抗する理由もなく、私たち三人は遺体が収まった水晶の棺を伴って中庭へと出た。
 天気は曇り。湿度はそれなり。一雨来る前に済ませてしまおうという話になり、美鈴が大きなスコップで深い穴を掘った。妹様が棺から凍結の魔法を解いた猫の遺体を慎重に抱え上げ、穴の底に大切に置いた。土を被せた。水晶の棺桶は蓋を残して始末した。
 水晶の蓋を墓石代わりにして、表面に魔法で文字を彫った。没年、彼女が仕えた主の名、彼女の名前、彼女が愛したもの、彼女を愛した者、……。美鈴と妹様は猫にまつわる思い出話に花を咲かせ、美しい笑い声が上がるたびに、水晶に刻まれた文字列は伸びていった。
 ようやく墓石が完成した頃には、薄く冷たい雨が降り始めていた。
 雨が降る前に屋根の下へと避難していた妹様に微笑みかけて、あなたも早く戻りなさいと美鈴を促した。その背中を見送ってから私はもう一度だけ墓石に向き直ると、真新しい水晶の墓石を撫でながらそっと呟いた。
 私の大切な友を、レミリア・スカーレットを愛してくれてありがとう。あなたは今まで私が出会った猫の中で最も賢く、そして最も幸福な子だった。
 墓石には、歪な文字で《十六夜咲夜》と刻まれていた。
「なぁ、どんな感じだ?」
 と耳元で尋ねられたので、さとりの心臓は止まりそうになった。たったいま目にした光景への動揺を押し殺しながら平静を装って振り向くと、赤らんだ顔の魔理沙が興味津々といったふうにこちらの顔を覗き込んでくる。
「どんな感じ、とは?」
「だからさ、パチュリーの心象風景? ってのかな、そういうの。見えたんだろ?」
 口調は完全に酔っ払いのそれであり、目が虚ろな上に呂律が回っていない。「この機会に滅多に外に出てこないパチュリーの心を覗いてみてくれよ」という魔理沙の頼みは、恐らく酒の力に任せた単なる悪ふざけだったのだろう。深い意味はないのだ、きっと。
 とにかく手当たり次第の人員を呼び集めたどんちゃん騒ぎはここにきて一層の盛り上がりを見せており、件の魔法使いはレミリアの横で珍しく微笑みながら酒を舐めている。
 赤ら顔で絡んでくる魔理沙を適当にやり過ごしながら、さとりは先程の光景について思いを巡らせた。
 あれはきっとあの魔法使いが――パチュリー・ノーレッジがたまらなく恐れている、しかしそれが避けようもないことも同じくらいによく理解している、遥か未来の光景なのだ。
「なーあーっ、どうだってんだよぉ」
「……あまりそういうことは詮索しない方がいいですよ。寿命を縮めます」

---------------------------------

初めまして、シンと申します。皆さんの素敵な作品を読み漁っていたらもう矢も盾も堪らなくなり、ふと我に返った頃にはいつの間にやら投稿していました。
甘い百合を書こうと思っていたのにどうしてこうなった!
正直これ系のネタは何番煎じなのか恐ろしい感じですが、まったりとお楽しみ頂ければ幸いです。平伏。
次は甘い百合が書きたい…っ!
シン
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
泣けました。
あぁ…。
2.名前が無い程度の能力削除
残念だ……本当に残念だ。最後以外に一ヶ所だけ名前を使ってるのでそれさえなければ
この独特の雰囲気がいっそう強くなると思っただけに残念です。
3.名前が無い程度の能力削除
パッチェさんどんだけ未来まで想定してんのwww

とても素敵でした。
4.名前が無い程度の能力削除
淡々とした語りが、より悲しい雰囲気を深めていますね……;;

私的に好みの作風なので、
次回作もぜひ読んでみたいです。
5.名前が無い程度の能力削除
泣きそうになった。
心に深く染み入る話をありがとう!

甘い百合楽しみにしています。
6.ずわいがに削除
咲夜は猫じゃなくて犬だっつってんだろぅおぉっ!

しかし実際レミリアはどういう態度を取るんでしょうねぇ。
7.シン削除
コメントありがとうございます!僭越ながら以下お返事など。

>>1
ありがたいお言葉です!涙ふいてふいて
咲夜さんには幸せな死を迎えてほしいなぁ…

>>2
アドバイス㌧です!
私もそこは結構迷ったんですが、やっぱり美鈴には曖昧にぼかさず「咲夜さん」と言ってほしいなぁ…
ということで、結局名前を出してしまいました。
独特な雰囲気、出てますかね。嬉しいなぁ。

>>3
パッチェさんはほら、堅実派だからさ…!w
マジレスすると、本文は「パチュリーが想定し得る最悪の事態」というテーマで考えていたので、
傾向への対策が行くところまで行っちゃった感じかなという。
お楽しみ頂けたようですごく嬉しいです。

>>4
普段はあまりこういう簡潔な文体ではないので、パチェさんのまねっこ楽しかったです。
おお、好みとは嬉しいお言葉…!次も頑張りますので、お付き合い頂ければ嬉しいです!

>>5
もったいないお言葉です。こちらこそありがとう!
こういう話も甘い話も大好きなんですが、次は甘いものが来るような気配なので、
お暇でしたら次回もぜひお付き合い頂ければと思います。

>>ずわいがにさん
犬と猫…誤差の範囲内ね。
この話はパチュリーの恐れというつもりで考えていたので、実際のレミリアはもっと
しっかりしているんじゃないかなぁと思います。
いい意味でパチェの期待を裏切るレミリア様、ということで一つお願いしたい。
8.名前が無い程度の能力削除
オチを書きすぎな気が
でもそれはそれで安心をもたらすから良し
9.名前が無い程度の能力削除
レミリアと咲夜の愛を書くのに
咲夜が関わるとどれだけレミリアが取り乱すか表現するのに
友人を物差し代わりに使うのは勘弁してほしいのが正直な感想です。

書く人はそんなことを意識して書いてるわけでもないでしょうが、
悪気無く踏みにじられるのは気分のいいものではありません。