むかしむかしからあるところには、宵闇の妖怪が住んでいました。
宵闇というのは、夜、そして暗がりのことです。ですから宵闇の妖怪というのは、夜と暗がりの妖怪ということですね。
宵闇の妖怪は、いつも夜のように黒い服を着ています。ひとみは夕焼けのように赤く、満月のような金色の髪には、これまた朝焼けのような赤色のリボンをつけているのでした。
宵闇の妖怪は、名前を「ルーミア」といいます。
いつもいるのは、妖怪キノコのずらりとはえた、薄暗い森のなか。みんなからは、「魔法の森」と呼ばれるところです。
そして、その魔法の森をはじめ、ひとたび迷うと出られないという竹やぶや、天狗が住んでいるという山など、あたり一面を全部まとめて。
その場所は、ふしぎなものの住んでいるところ、「幻想郷」、と呼ばれていました。
もしかしたら、みなさんはもう知っているのかもしれませんが、夜というのは、めんどくさがりやです。
だから毎日、お日さまが向こうの方から顔を出すと、けんかなんかはめんどくさくてやってられないよ、とばかりに、夜は山の向こうへと、すぐに隠れてしまうのです。
暗がりもまた、おんなじですよね。まっくらなお部屋も明かりをつけると、暗がりはすぐに、どこかへ出て行ってしまいます。
明かりや朝とけんかすることは、夜や暗がりにとっては、とても、めんどくさいのです。
ですから夜と暗がりの妖怪、宵闇の妖怪ルーミアも、それはそれはたいへんな、めんどくさがりなのでした。
こんな話があります。
ルーミアはお肉が大好きです。ですがお肉を食べるのに、がんばりたくはありません。
ルーミアはにんげんを食べます。兎や、ほかの動物も食べます。ですが、にんげんやほかの動物と、けんかしたくはありません。
考えこんだルーミアは、「じさつ」するにんげんを、さがすことにしました。そして、そのにんげんに、残ったお肉は食べていいかな、と訊いたのです。
おかげでルーミアは、だれともけんかすることなく、ときどきお肉を食べることができるようになったのでした。
さて、とある寒い寒い秋の日のことです。
いつものように、ルーミアは、「魔法の森」のあるところで、ぼうっと寝転がっていました。
「考えごとをするのは、めんどくさい。立つのも、座るのも、めんどくさい」
ルーミアは、そのように思っていましたから、なにもないときは、いつも、ぼうっと寝転がっていたのです。
すると、なにやら向こうの方から、どさりと、まるで、なにかが落ちたような音が聞こえました。
「なんだろう」
と、ルーミアは思いました。
「行き倒れの、にんげんだったらいいな。動物でもいいな」
ルーミアは、そう思いながら、ふわりと浮かんで、音のしたところへ向かいました。
ちなみに「行き倒れ」というのは、たとえば、おなかがすいたのに食べものがなかったり、寒いのにあったかい服がなかったりしたにんげんが、ばたり、と外で倒れてしまうことです。こういったにんげんも、ルーミアや、ほかの妖怪たちの食べるお肉になるのですね。
はたして。
ルーミアの行った先にいたのは、たしかに「行き倒れ」ではありました。
ですがその「行き倒れ」は、にんげんでも、そして動物でもありませんでした。
「行き倒れ」は、ホタルの妖怪でした。
「行き倒れ」のホタルの妖怪は、草原のような緑の髪と、森林のような、緑のひとみをしていました。からだは大きな黒いマントにおおわれていて、頭には黒い、それこそ虫のような触角が二つ、ひょっこりとのびているのでした。
ホタルの妖怪の名前は、「リグル・ナイトバグ」。みんなからは、「リグル」と呼ばれています。
ルーミアがリグルに近づくと、リグルはその触角をゆらゆらさせて、ルーミアの方に顔を向けました。
「まだ生きてる?」
と、ルーミアは訊きました。
リグルは、うなずいて、
「もうじき死ぬよ」
と、言いました。
「もうすぐ死ぬから、食べるのは、そのあとにしてくれないかい。いたいのは、やっぱり、いやなんだ」
そのようにリグルが言ったので、ルーミアは首をかしげました。
それもそのはず。ふつう「行き倒れ」のにんげんは、ルーミアの言葉に、
「死にたくない」
と、なきながら言うか、
「ころしてくれ」
と、お願いするかの、どちらかだったのですから。
「死にたくない、って言わないの?」
と、ルーミアが訊くと、リグルは、首を横に振りました。
「それなら、ころしてくれ、って言わないの?」
それにもリグルは、首を横に振ります。
「不思議なひとね」
と、つぶやいたルーミアに、
「そうかもね」
と、リグルは言って、ふふ、とほほえみました。
「それはきっと、私が毎年、秋に死んでは、春に生き返るからだと思うよ」
そう、リグルはルーミアに言いました。
ところで、虫って不思議ないきものですよね。
夏になると、色々な虫を見かけます。
カとか、セミとか、ホタルとか。
秋にもさまざまな虫がいますね。
スズムシ、コオロギ、キリギリス……。
ところが、冬になると、ぱったりと虫を見かけることがなくなります。
冬の初めの頃などは、虫の死がいなら、いろんなところに落ちています。
ですが、それも、中ごろになるとめったに見なくなりますよね。
そうして、春になるとまた、どこからともなく、虫たちは、あらわれるのです。
まるで、生き返るみたいに。
え?
虫は卵で、それか冬眠して冬を越す、ですって?
たしかに、私たちにとってはそうなのかもしれません。
でも、妖怪たちにとっては「見た目」がいちばん、大切なんです。
もしかしたら、地震は土の下の大きなナマズが起こしているのかもしれない。
もしかしたら、山彦は山に住んでる妖怪が大声を返しているのかもしれない。
もしかしたら、迷子になった子供たちは、天狗にさらわれたのかもしれない。
そして、もしかしたら、虫は春になると、生き返るのかもしれない。
そんな「もしかしたら」がつみ重なって、妖怪というのは、うまれるのですよ。
リグルとルーミアの話に戻りましょう。
それからルーミアは、リグルのとなりに寝そべって、ぼうっと、空をながめていました。
「つまらないな、ってならないの?」
と、リグルはたずねましたが、
「でも、立つのも、座るのも、めんどくさいから」
なんて、ルーミアが言ったので、リグルは、
「そうかい」
と、それだけ言って、そのまま、口をとじました。
しばらく、そのまま時間がたちました。
どれくらいかというと、まだ青かった空が、あかあかと、夕焼けに染まりきるぐらいまでです。
そうして、ようやく、リグルは口をひらくと、
「ほんとうは、食べてほしくもないんだ」
と、言いました。
ルーミアは、しずかに、それを聞いていました。
「ねえ、ミスティア・ローレライ、という妖怪を知っているかい。桜のような髪の色をして、背中のはねが、こうもりのつばさに、鳥の羽毛をならべたような、ふしぎなかたちをしているんだけど」
と、リグルは言って、ルーミアの方を見たのですが、ルーミアは、ただ、首を横に振っただけでした。
「まあ、とにかく、もしできたらでいいんだけど。そのミスティアに、私のしかばねを、持っていってあげてほしいんだ。ミスティアは、ヤツメウナギのかば焼きを、いつも屋台で売っているから、においですぐに、見つかると思う。私のしかばねを渡したら、ミスティアはきっと、やつめうなぎのかば焼きを、ごちそうしてくれるはずだよ。だから、わるい話ではないと思うんだ」
「いやだよ。めんどくさいもの」
「うん、そうか」
と、リグルはうなずいて、言いました。
「どうして、持っていってほしいの」
と、ルーミアが訊くと、
「それはね」
と言って、リグルは、話しだしました。
「それはね、私とミスティアが、約束をしているからなんだよ。
どんな約束かというとね、毎年、私が死んだら、そのしかばねを、ミスティアに食べてもらうんだ。
どうして、そんな約束をしたのか、というとね、ミスティアが、けっして私を、食べ残さないでくれるからなんだよ。
私は虫の妖怪だから、寒くなったら、からだが動かなくなるし、もっと寒くなったら、かんたんに死んでしまうんだ。それは仕方ないと思う。そのしかばねを、だれかが食べることだって、ふつうのことだと思うよ。
だけど、もしも私を食べるならせめて、食べ残さないでほしいんだ。食べのこされた私のしかばねを、捨てられるのははらが立つし、それに、それを知り合いに見せてしまうのは、あんまり、よいことではないからね。
そう、ミスティアはかならず私を、ぜんぶ食べきってくれるんだ。くし焼きにして、売っているって言っていたから、みんなひとりで食べているのではないらしいんだけど。それはいいんだ。私は、ひとりに食べてほしい、なんて思ってはいないから。
なにより、ミスティアのひとみが、すてきなんだ。
ミスティアの、食べものを見るそのひとみは、とても真剣で、私も見とれてしまうぐらいなんだ。その理由はきっと、ミスティアが、食べものを売っているからだろうね。食べられるものを捨てることが、どんなによくないなことなのか、ミスティアは、よくよく分かっているんだよ。
だから、私は、ミスティアのひとみを、一目見たときに、思ったんだ。ほかの誰よりも、ミスティアに、私を食べてほしい、って」
そうして、リグルが口をとじてからも、ルーミアは、言葉をこぼすことはありませんでした。
それを見て、リグルは、
「どうせ、そのからだの大きさだと、私のことを食べきることはできないよね」
と、言いました。
ルーミアは、そんなことはない、と思いました。なにせ、ルーミアは、リグルよりも背の高い、「行き倒れ」や、「じさつ」したにんげんを、7日ほどかけて、なんども食べきったことがありましたから。
ですがルーミアは、それを口にはしませんでした。それは、リグルのもとめているものではないと、ルーミアは分かっていたのです。
「それなら、私を食べないで、ミスティアのところに持って行って、かわりにヤツメウナギのかば焼きを、ミスティアにもらう方が、ずっとずっと、まんぞくできると思うんだ」
「めんどくさいなあ」
と、ルーミアは、ほんとうに、めんどくさそうに、言いました。
「そうかい。ざんねんだよ」
と、リグルは言って、それから、息をすいこむと、大きな声で、言いました。
「ああ、今年も、私のことを、ミスティアに食べてほしかったなあ!」
そうして、リグルは、こときれました。
ちからのぬけたリグルを見たルーミアは、起き上がると、そっと、リグルのからだをゆすりました。そうして、リグルが、ちっとも動こうとしないのをたしかめると、ルーミアは、リグルのうでを、ゆっくりと、自分の顔の前まで持ち上げました。
そうして、ルーミアは、リグルのうでを、じっとしばらく見つめると、そのまま、かじりつくこともしないで、そっと、もとのところに戻したのです。
そのまま、ルーミアは、じっとリグルのしかばねを、ただただ見つめつづけました。
あかあかと夕焼けに染まった空が、だんだんと青く、暗くなっても、ルーミアはそのまま動きませんでした。
山の上にいたお日さまが、山の後ろに隠れきって、宵闇がまっくろに空を染め上げても、ルーミアはちっとも動きませんでした。
まっくろに空を染めきった宵闇が、ふたたび反対の山の後ろから顔を出したお日さまに、空を追い出されてしまうまで、ずっとルーミアは動きませんでした。
ルーミアが、そのとき、なにを思ったのかは、だれも知りません。
リグルの言葉に心を動かされたのか、なにかめんどうなことがあったのか。それとも、べつに、なんにも考えていなかったのかは、誰にも分かりません。
ですが、ひとつ、たしかなことには。ルーミアは、それからしばらく、ヤツメウナギのかば焼きには、まったく、こまらなかった、ということです。
リグルの死生観というか虫の妖怪の死生観や、虫と鳥の自然界の関係を取り入れたミスティアとの仲だとか、感心しました。
背景の黒から青へ変わるグラデーションの仕掛けも面白かったです。