Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

海を見に行きましょう

2021/02/02 17:36:07
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タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン―――――

空調の暖気と単調な車輛の揺れが、彼に眠気をもたらしたらしい。
座席に腰を下ろしていた青年は、うとうと舟を漕いでいた頭の重みでガクッと身体が傾き、慌てて目を覚ました。
ぼやけた視界でも、対面に座る人物がクスクスと無遠慮に笑っている姿が理解できた。
青年は窓際に置かれた眼鏡を掛け、憮然とした表情で腕を組み座席に座り直す。
白銀の髪は男性にしてはやや長く、ノーネクタイで漆黒のスーツが似合う、色白の優男だが端正な顔立ち。

「ふふっ、おはよう。良い夢は視られたかしら?」
青年に話しかけたのは、不敵な笑みを浮かべた金髪の淑女だ。濃い紫のセーターに藍色のジーンズ。
白魚のような指先にはオレンジのマニュキアが爪に施され、切れ長のワインレッドの瞳は妖艶な気配を醸す。

「あぁ、自宅のストーブに薪をくべながら、終日のんびり読書していた良い夢だよ」
深くため息をついてから、青年は嫌味を込めて返答した。その言葉に淑女は薄紅色のルージュを引いた唇を愉快そうに吊り上げ、再びクスクスと笑った。

「それは良かったわ。そんな退屈な夢、きっと結末は悪夢に決まっているもの」
青年は諦観したように肩を竦めると、対面する淑女から車窓へと視線を移した。曇天と雪に埋もれた田んぼが広がる、荒涼とした景色だった。
窓際で頬杖をつき、青年は流れゆく景色を眺めながらこの車輛…電車に乗っている経緯を思い起こしていた。



☆彡 ☆彡 ☆彡



「海を見に行きましょう」
小正月を過ぎた睦月の昼下がり。店を訪れた八雲紫の唐突な提案に、店主の森近霖之助は暫し沈黙した。
数年に一度の豪雪に見舞われ、彼が経営する古道具屋『香霖堂』は年末年始から客が来ない日が続いた。
時折、魔法使いの少女や博麗の巫女が冷やかしに来たり、妖怪の集会所代わりにされるが、売り上げは皆無だった。

「海? いきなり何を言い出すんだい君は…」
「私と一緒なら治外法権よ、さぁ行きましょう」
紫は霖之助の返事など待たず、自身の能力で「スキマ」を彼の足元に生じさせて椅子ごと放り込んだ。
二の句が継げぬ状況で霖之助は昏い空間へ呑み込まれてゆく。いつの間にか椅子が無くなり、霖之助は電車の座席に尻を着いていた。

「此処は…電車? 用途は、多くの人を運ぶための乗り物…か」
霖之助は視ただけで物の名称が分かり、触れただけで物の用途が分かる能力を有している。それは健在のようだった。

プルルルルルルルルル―――――
『●番線から列車が発車いたします。ドアが閉まりますのでご注意ください』

けたたましいベルの音が響いた後、機械的なアナウンスが流れて電車のドアが閉じられた。
その様子を霖之助は立ち上がって呆然と見つめていたが、電車が動き出したことで再び腰を下ろした。逃げ場は何処にも無い。
そして、霖之助は自分の服装が白いシャツに黒のスーツという格好に変わっていることにやっと気づいた。対面に座る紫もカジュアルな服装に着替えていた。

「やれやれ、妖怪に拉致されてしまった…それで、この電車は何処へ向かっているんだい?」
「言ったでしょう、海を見に行くって。いま出発したのはN駅、S本線を走ってK駅で降りるわ」
ため息交じりに行き先を尋ねる霖之助に対し、紫は簡潔に目的地を告げた。車輛には他に数名の乗客が居るが、手元に視線を落として誰も2人に気付かない。
乗客は口元をマスクで覆っていて、表情を窺い知ることができない。霖之助には他の乗客が人形のように思えた。
感じた不気味さを払拭するように、霖之助は不干渉を決め込んで静かに眼を閉じた。

タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン―――――



☆彡 ☆彡 ☆彡



N駅を出発して約50分で電車はK駅に到着した。降りた乗客は紫と霖之助の2人だけだった。霖之助は紫から手渡された厚手のコートに袖を通し、辺りを見渡した。
電車が走り去った後のホームは、雪が舞い始めて寒々としている。コンクリートの地面には雪の塊が隅に寄せられていた。
駅舎の壁面には頭を下げた大きな黒い動物の絵が描かれていた。それは里の居酒屋『鯢吞亭』のシンボルに似た姿だった。

「ここから少し歩けば海へ出られるわ。さぁ、行きましょう」
コートを羽織った紫は小さな手提げ鞄から切符を2枚取り出して回収箱へ投函すると、霖之助を促して駅舎へと這入った。
駅舎は無人だった。かつては職員が常駐していた窓口は封鎖され、今では「K駅ミニギャラリー」と銘打って利用されている。
色褪せた写真や、子供が画いた絵が掲げられているが、それは何処か忘れ去られたような哀愁が漂っていた。空間の広さに対する虚無が斜陽の印象をより一層強めている。
2人は駅舎を出て階段を下り、コンクリートで舗装された駅前のロータリーに立った。駅舎の壁面に、頭から水を噴き出す大きな黒い動物の絵が描かれていた。

「こっちよ」
「あぁ…」
2人の会話は最低限の短い発声になっていた。硬い防寒ブーツを鳴らして歩く紫の後ろで、霖之助の履いた革靴の足音が重なる。
積雪で狭まった道端を線路沿いに歩いてすぐ、紫は右に曲がった。霖之助も彼女の豪奢な金髪を追うように右へ曲がる。其処は線路を潜る歩道になっていた。
数十メートルの薄暗いトンネルを抜けると、左手には民宿などの建物が並んでいた。道は真っ直ぐの下り坂と右手の上り坂に分かれている。
「……」
「……」
紫が後方に一瞬目配せしてから、右手の上り坂へ向かって歩き始めた。霖之助も黙って彼女に付いてゆく。吹き付ける風に舞う粉雪が、2人の口を重く閉ざしているようだ。
坂道には幾つかの民家が建っていたが、人の気配は感じられなかった。郵便局には灯りが点っているが、2人は誰ともすれ違わず高台のO公園まで辿り着いた。
広大な駐車場には、小型トラックが1台停まっているだけだった。霖之助はK駅の待合室以上に、空間という容れ物の中身が空虚である寒々しさを肌で感じた。
松の木が風で梢をざわつかせている。その音に混じり、波が寄せては返す潮騒が2人の耳に届いていた。或いはその音は、国道を行き交う自動車のエンジン音も混じっているかもしれない。

「…此処まで誰にも会わなかったが、この町は昼間でも眠っているのか?」
身を切るような寒々とした空気に耐えられなかったのか、霖之助が道中に抱いた疑問を紫に投げかけた。
小雪が舞う天候とはいえ、人間の多い『外の世界』の昼下がりに誰も歩いていないことに霖之助は不自然さを覚えた。

「いいえ、この町はちゃんと目覚めているわ。ただ、出歩く人の居ない『スキマの時間』を見計らって来ただけよ」
この世界では今、外出が自粛されているから容易いのよ、『人ならざるもの』が昼間でも闊歩できるなんて―――
霖之助に聞こえるか分からない程度の声量で紫は呟く。波と風の音に掻き消され、結果として霖之助は紫の呟きに気づかなかった。
駐車場を横切り、海岸へ続く下り坂を2人は黙って歩いた。左手に白波の立つ荒々しい日本海が眼下に望めた。その光景に、霖之助は眼鏡越しに目を細めた。
坂道にも何軒かの民宿が建っていたが、廃墟となっている建物も少なくない。2人は近道として作られた階段を下り、道路を横断して海岸へ到達した。
道路では数台の車が往来していたが、霖之助には電車の乗客と同じく、車を運転している人間も人形のように思えた。防砂林の松林と砂浜を隔てる壁には「T海水浴場」と名称が掲げられていた。

「おぉ…」
眼前に広がる群青色の海原を目の当たりにして、霖之助は感嘆の息を漏らした。雪はいつの間にか止んでいて、海上の雲の切れ間から青空が垣間見える。
薄っすらと雪が積もった砂浜には、流木や漂流物などが散乱していた。漁業の浮きや、異国の文字のパッケージのゴミが凍てつく雪に覆い隠されている。
2人は雪と砂を踏み締めながら、波打ち際まで足を進めた。遙か水平線に大陸のようなSヶ島の島影が霞んで見えた。

ざざぁぁん、ざざぁぁん、ざざぁぁん―――――

砂利と海藻が打ち上げられた浜辺で、2人は佇んで遠い島影と果てしなく広い海を眺めていた。空と海の境界で白波が生まれ、浜辺で打ち寄せては泡となって消えてゆく。
やがて、曇天の隙間から西へ傾きつつある太陽の光が差し込んで海面を照らした。清冽な冬の海が銀色に煌めいて、霖之助は眼鏡を掛け直しながら目を細めた。

「ふふっ、如何かしら? 初めて見た海の感想は」
「…壮大だね、しかし何故、君は僕を海に連れて来たんだい?」
紫と肩を並べて海を眺めていた霖之助は、今回の小さな旅行に自分が選ばれた理由を尋ねた。
その問いに紫はすぐには答えず、そっと霖之助の右腕に自分の左腕を絡ませ、彼の肩に頭をもたれ掛からせた。
潮風に混じる甘い髪の香りと、腕から伝わる紫の胸の柔らかな感触に、唐変木と言われる霖之助も少し緊張した面持ちになる。

「貴方と一緒に海を見たかった…からじゃダメかしら?」
「……!?」
耳朶をくすぐるような甘い猫撫で声に、霖之助は思わず紫の方へ顔を向けた。その瞬間、紫の顔が急接近して…接吻を交わした。
時間を計測すれば数秒にも満たない短いキス。紫の唇が離れた後も、霖之助は自身の唇から伝播した柔らかく濡れそぼった感触に唖然としていた。

「ふふふっ、貴方のそんな顔が見られるなんて…やっぱり連れて来て良かったわ!」
金色の髪を潮風になびかせ、霖之助から数歩の距離を取った紫は、悪戯に成功した子供のように満面の笑みを浮かべた。
そしてパッと身を翻して、紫はいきなり砂浜を駆け始めた。カモシカのように軽やかな足取りだった。

「…あっ、ちょっと、待て!」
漸くからかわれたことに気づいた霖之助は、慌てて後を追って走り出す。革靴に砂が入り込むことも気にせず、前方で靡く金色の髪の少女を追いかける。
それは傍目からみれば、カップルがいちゃついているようにしか見えないだろう。人が出歩かない「スキマの時間」に戯れる人外の男女だ。
霖之助は恐らく、この旅行から帰っても気づかないだろう。前を走る少女の頬が弛み、喜悦で紅潮していたことに。 【了】
このあと2人は恋人岬に行ったり、市内で食事して楽しいデートを過ごしましたとさ。
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