霊夢が寝静まった後も、魔理沙はしばらくその寝息を聞いていた。
霊夢を抱きしめた時、初めて魔理沙は強くこう思ったのだ。霊夢を守りたい、と。
この守りたいは、失いたくない、とほぼ同義だ。そしてそのことを、魔理沙ははっきりと自覚していた。
失う恐怖を、魔理沙は実感し始めていた。それも手放すに堪えない程のものを。
昨秋、魔理沙は一人の旧友を喪った。人里に暮らす、幼い頃からの友人だった。それが不治の病に罹り、しばらくの闘病の末、逝った。
友人は魔理沙が出奔した後も変わらぬ関係を続けてくれた者の一人だった。顔を合わせる機会は多くなかったが、里で会った時は互いの関係が揺るぎないものであることを確かめずとも認め合える仲だった。病が発覚した時は悲しみこそしたが、近い将来についての話を面と向かってぶつけあえる程に、互いに現実を受け止められているつもりでもあった。
それほどに許容出来る素地を作ることが出来ていながら、それでも魔理沙は失うことに対する怯えを消しきれていない。
毎年、魔理沙には新たな出会いが生まれていた。新しい出会いはかけがえのない新鮮さと活気をもたらす貴重なものだ。だがそれを以ってしても失ったものに対する補填には成りえない。いや、それも当然のことといえる。それぞれの出会いと喪失は唯一無二のものなのだ。どうしてそれぞれの出会いや別れを秤にかけられる天秤が存在しようか?
また魔理沙自身は幸運にも未だ経験のしていないことだが、今生の別れではなく、しかし生き方や考え方の相違などから、もはや交わりようの無いものとなるに至った関係の話も魔理沙は耳にしていた。一時は確かにかけがえのない程のものであると言えた関係であったにもかかわらず、如何なる事情があってのことか、最終的にやむにやまれず道を違えざるを得なくなった当人たちの苦しみは、様々な人と人との間柄を目にし耳にして、その上で昨秋の別れを経験した魔理沙にとっては想像に難くないものであった。
人の想いは移ろい変わりゆくもの。人として生きる限り、いずれ避けようの無い別れに直面していくことを魔理沙はもう十分に承知している。そしてその際に生ずるであろう苦しみは、そうと許容し、耐え、受け止めていくしかないことも。
別れの苦しみは耐えられるようになるわけではない。時の流れと共に感情が薄れ、忘れることが出来るようになるだけだ。そして時の移ろいがあってもなお、決して消せない喪失というものがある。それは極めてまれなケースだが、人類史において間違いなく存在する事象である。その対象に、魔理沙は躊躇いなく霊夢の名を挙げる。
霊夢との関係は、魔理沙にとってもはや自身の半身と認める部分が多いことを自覚している。霊夢との付き合いは魔理沙の半分の人生であり、霊夢との経験は魔理沙の半分の記憶になっている。それは言わば独立した依存とも呼べる状態であり、万一霊夢を喪失した時のダメージがどれほどになるか魔理沙自身にも予想がついていない。
故に、魔理沙は喪失を怖れている。万一その喪失が現実化した場合、それを許容できる自信がないために。
故に、魔理沙は強さを求めている。万一であるその確率を、限りなくゼロに近づけるために。
故に、魔理沙は共感を重視する。彼女と分かち合うその想いが、彼女との信頼の証左であるために。
それらは明文化された想いではない。しかし全くの無意識であるわけでもない。
最後に霊夢に捧げた祈り。その言葉、内容が、全くそのまま自身にも向けたものとなっていることに、魔理沙はまだ気づいていない。いずれその意味に気づく時が来るだろう。しかしその時に、彼女が彼女であるかは定かではない。
ただ間違いなく言えることがある。魔理沙は喪失の回避のためなら、どんな手段も躊躇うことなく取るであろうと。たとえそれが、自身の喪失と引き換えにするものであったとしても。
やがて魔理沙は眠りに落ちていった。今ある幸せが、今ある形のまま、いつまでも続くことを祈りながら。
おやすみ、魔理沙。また、明日。
霊夢を抱きしめた時、初めて魔理沙は強くこう思ったのだ。霊夢を守りたい、と。
この守りたいは、失いたくない、とほぼ同義だ。そしてそのことを、魔理沙ははっきりと自覚していた。
失う恐怖を、魔理沙は実感し始めていた。それも手放すに堪えない程のものを。
昨秋、魔理沙は一人の旧友を喪った。人里に暮らす、幼い頃からの友人だった。それが不治の病に罹り、しばらくの闘病の末、逝った。
友人は魔理沙が出奔した後も変わらぬ関係を続けてくれた者の一人だった。顔を合わせる機会は多くなかったが、里で会った時は互いの関係が揺るぎないものであることを確かめずとも認め合える仲だった。病が発覚した時は悲しみこそしたが、近い将来についての話を面と向かってぶつけあえる程に、互いに現実を受け止められているつもりでもあった。
それほどに許容出来る素地を作ることが出来ていながら、それでも魔理沙は失うことに対する怯えを消しきれていない。
毎年、魔理沙には新たな出会いが生まれていた。新しい出会いはかけがえのない新鮮さと活気をもたらす貴重なものだ。だがそれを以ってしても失ったものに対する補填には成りえない。いや、それも当然のことといえる。それぞれの出会いと喪失は唯一無二のものなのだ。どうしてそれぞれの出会いや別れを秤にかけられる天秤が存在しようか?
また魔理沙自身は幸運にも未だ経験のしていないことだが、今生の別れではなく、しかし生き方や考え方の相違などから、もはや交わりようの無いものとなるに至った関係の話も魔理沙は耳にしていた。一時は確かにかけがえのない程のものであると言えた関係であったにもかかわらず、如何なる事情があってのことか、最終的にやむにやまれず道を違えざるを得なくなった当人たちの苦しみは、様々な人と人との間柄を目にし耳にして、その上で昨秋の別れを経験した魔理沙にとっては想像に難くないものであった。
人の想いは移ろい変わりゆくもの。人として生きる限り、いずれ避けようの無い別れに直面していくことを魔理沙はもう十分に承知している。そしてその際に生ずるであろう苦しみは、そうと許容し、耐え、受け止めていくしかないことも。
別れの苦しみは耐えられるようになるわけではない。時の流れと共に感情が薄れ、忘れることが出来るようになるだけだ。そして時の移ろいがあってもなお、決して消せない喪失というものがある。それは極めてまれなケースだが、人類史において間違いなく存在する事象である。その対象に、魔理沙は躊躇いなく霊夢の名を挙げる。
霊夢との関係は、魔理沙にとってもはや自身の半身と認める部分が多いことを自覚している。霊夢との付き合いは魔理沙の半分の人生であり、霊夢との経験は魔理沙の半分の記憶になっている。それは言わば独立した依存とも呼べる状態であり、万一霊夢を喪失した時のダメージがどれほどになるか魔理沙自身にも予想がついていない。
故に、魔理沙は喪失を怖れている。万一その喪失が現実化した場合、それを許容できる自信がないために。
故に、魔理沙は強さを求めている。万一であるその確率を、限りなくゼロに近づけるために。
故に、魔理沙は共感を重視する。彼女と分かち合うその想いが、彼女との信頼の証左であるために。
それらは明文化された想いではない。しかし全くの無意識であるわけでもない。
最後に霊夢に捧げた祈り。その言葉、内容が、全くそのまま自身にも向けたものとなっていることに、魔理沙はまだ気づいていない。いずれその意味に気づく時が来るだろう。しかしその時に、彼女が彼女であるかは定かではない。
ただ間違いなく言えることがある。魔理沙は喪失の回避のためなら、どんな手段も躊躇うことなく取るであろうと。たとえそれが、自身の喪失と引き換えにするものであったとしても。
やがて魔理沙は眠りに落ちていった。今ある幸せが、今ある形のまま、いつまでも続くことを祈りながら。
おやすみ、魔理沙。また、明日。