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第15回稗田文芸賞(終)

2018/02/13 21:21:03
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第15回稗田文芸賞にアガサクリスQさん

 第15回稗田文芸賞は24日、人間の里・稗田邸にて選考会が行われ、アガサクリスQさんの『全て妖怪の仕業なのか』(稗田出版)が受賞作に決まった。授賞式は来月20日、人間の里にて行われる。
 今回の選考会の模様について、新選考委員の黒谷ヤマメ氏は「えーと、『全て妖怪の仕業なのか』と『日出ずる国の聖徳王』と『渡る者のない橋で』の三つ巴になってね、最終的に過半数の票を獲ったのが『全て妖怪の仕業なのか』だけだったんで一作受賞になったのよ。私はパルスィにもあげたかったんだけど、拒否反応も強くてねー。『聖徳王』は説明不足で読者に不親切すぎなのが足を引っ張ったね。ま、やっぱりアガサクリスQが一番面白いじゃん、ってことでいいんじゃないの? みんな納得するんじゃない」と語った。
 アガサクリスQさんは、本名・種族・職業など、経歴が一切伏せられた覆面作家。受賞に対しては鈴奈庵を通して「栄えある稗田文芸賞を頂けて、とても光栄に思います。ありがとうございました」というコメントが発表された。受賞作は小説デビュー作で、名探偵Qが幻想郷で起こる不可解な事件の謎を解き明かす連作本格ミステリー。
 選評は来月15日発売の《幻想演義》如月号に全文掲載される。

(文々。新聞 師走25日号一面より)



【選評】

大衆の心を掴む面白さの勝利  射命丸文
 謎の覆面作家・アガサクリスQは、『全て妖怪の仕業なのか』一作をもって間違いなく幻想郷の文芸史に名前を刻みました。この稗田文芸賞が始まって十五年、幻想郷の文芸は着実に発展を続けていましたが、それでもなお、幻想郷の全人妖の中の割合でいえば、小説を読む者はマイノリティと言っていい程度の数でした。
 しかし『全て妖怪の仕業なのか』は、これまで小説に一切の興味を持たなかった者、小説そのものに否定的だった者さえ手に取り、読みふけり、読者同士が語り合う姿がそこかしこで見られました。誰もが話題にする故に、話題に乗り遅れまいと手に取る者はさらに増え……という相乗効果で、幻想郷史上最大のベストセラーとなった本作は、これまでの稗田文芸賞の受賞作の中でも、最も偉大な役割を果たしたというべきだと思います。
 小説を読み慣れた者の目から見てどんな優れた作品も、そもそも小説に一切興味のない者に読ませることはできませんし、読書のプロにとっての「面白さ」は、必ずしも読書の素人にとっての「面白さ」とは一致しません(ここ数年の稗田文芸賞の結果に対する批判の多くはここに由来するでしょう)。とかく意識の高い読み手は「自分たちのような選ばれた読者だけに解る高度な素晴らしさ」をありがたがるものですが、そんなものは所詮コップの中の嵐に過ぎないわけでして、本当に素晴らしいものは素人が読んでも素晴らしいものに決まっているわけです。以前『六花』が受賞したときに阿求委員が「この作品の良さがわかる読者が増えるようになってほしい」という旨のことを仰っていましたが、そういう言説こそ、マニアックな作品の良さがわかる自分たちがより高尚で優れた読み手であるという驕りを象徴するものでしょう。
 リーダビリティの高い文章、魅力的な謎、明快な展開、驚くべき解決、かっこいい名探偵。『全て妖怪の仕業なのか』には、娯楽としての読書の愉悦が詰まっています。大衆の心を掴む面白さにこそ真の価値があると信じる私ですが、今回『全て妖怪の仕業なのか』を受賞作として顕彰することができることは、文芸の振興という稗田文芸賞の当初の目的に最も適うものでしょう。素晴らしい結果です。
 この『全て妖怪の仕業なのか』の価値と対極のところにあるのが、『日出ずる国の聖徳王』でしょう。そりゃあ歴史の解る方にとってはべらぼうに面白いでしょうが、これほど読者に前提知識を要求する作品をありがたがっていては、その先にあるのは果てしないマニアック化でしかないと思います。「わかる人にはわかる」面白さに一定の価値を認めること自体はもちろん吝かでありませんが、楽しめないのは前提知識のない読者が悪いと言わんばかりの作品の作りはむしろ「わかる人」への媚びめいていて悪印象を抱かざるを得ません。
 『聖徳王』とともに最後まで受賞を争った『渡る者のない橋で』も読み手を選ぶ作風ですが、こちらは恋愛という普遍的題材を扱っているぶん、『聖徳王』のような袋小路の印象はありません。しかしやはり夢オチはちょっとどうかと思うのが普通の読者の心理ではないかと。
 その他の四作では、『風天娘は風まかせ』と『悪霊斬り〝桜花〟』が面白かったですね。アガサクリスQと並ぶほどではないと思い推すところまでは参りませんでしたが、どちらも作者の個性が出た秀作だと思います。『新世界クリエイター』は前半は面白いのですが、後半は話についていけません。『倶に天を戴かずとも』とは、作者の人生そのものを実名で小説化したものをはたして小説と呼んでいいのかという点がどうしても引っ掛かりました。創作の要素があれば小説とはいっても、じゃあ創作部分のあるエッセイとは何が違うんでしょうか?



繁盛店と隠れた名店  西行寺幽々子
 この賞の選考会でよく話題になるのが、繁盛している大衆店と、知る人ぞ知る隠れた名店のどっちを評価すべきか、という問題。みんな行ってる人気店を今さら改めて褒め直す必要はない、みたいな言い分もまあ、私自身グルメガイドを書いている身だからわからないでもないわ。大きな繁盛店より、規模は小さいけど良心的なお店に肩入れしたくなるのは普遍的な心理だと思うし、大衆人気では計れない価値を提供するのが本職の仕事というのも実際その通りだと思うの。でも、だからといって大衆的なものを最初から排除するのもおかしな話だし、逆に大衆が認めているからこれは素晴らしい料理だっていう決めつけも変だわ。結局は出された料理が美味しいか否か、それだけで判断すればいいんじゃないのかしら。その味そのものも、大衆的な店は隠れた店より劣るに決まっている、あるいはその逆、みたいな予断をもって食べてしまうと、その通りに感じられてしまうのが厄介なのだけれどね。
 今回の受賞作になった大繁盛店の大人気セットメニュー『全て妖怪の仕業なのか』は、私個人の価値基準で候補七作の中に並べると三番目か四番目ぐらい。ちょっと一本調子なのを品数の多さでカバーして飽きずに食べられる、よくできた大衆料理だと思うわ。また食べたくなる味であるからこそ繁盛しているわけで、そのことをちゃんと認めるのも大切よね。
 個人的に一番美味しいと思ったのは『倶に天を戴かずとも』だったのだけれど、他の人の反応が鈍かったのはちょっと不思議。以前豆腐だけで作った豆腐あんかけ焼きそば(麺も豆腐、挽肉はおから)を食べたことがあるのだけれど、この作品からはそれと同じ、たったひとつの食材、それもありふれた食材の味を極限まで引き出す技巧の粋、食材のもつ可能性が宇宙のごとく広がっていることを示すスケールの大きさを感じたわ。今回はこれで決まりだと思っていたのだけれどね。
 お気に入りだったのは、茶店の行列ができる銘菓『風天娘の風まかせ』。かわいらしい三個入りの、それぞれ味の違うお饅頭が、食べる順番で違う味を感じさせてくれるの。こういう作品はあまり注目してもらえないといういつも通りの結果だったけれど、私はまたこの銘菓を買いに行きたいと思うわ。
 『日出ずる国の聖徳王』はいい料理を出すお店だと思うんだけど、それだけに一見さんお断りの店構えが勿体ないという意見に私も賛成。入りにくい雰囲気だからこそ維持できる隠れ家感の魅力があるのはわかるけれど、せめてメニューにどんな料理かの説明書きぐらいはつけてもいいんじゃないかしら。
 ちょっと扱いに困ったのが『渡る者のない橋で』で、想像の中で食べるごちそうが一番美味しいけれど結局想像じゃお腹は膨れない、っていうテーマは共感するところなのだけれど、想像の扱い方が安直じゃないかしら。多様な味わいがあるって力説してるひとがいたけれど、この作品の味わいのバリエーションは全部同じところに行き着いてしまう気がするの。
 最後に『悪霊斬り〝桜花〟』と『新世界クリエイター』は、まだ子供の見よう見まねの料理の域を出てないと思うわ。候補にするにはまだ早かったんじゃないかしら?



かえすがえすも無念  上白沢慧音
 昨年は本命の二作に受賞できて大満足の選考会だったが、なかなか世の中そう何度も上手くはいかない。今回、『日出ずる国の聖徳王』という、文字通り十年に一度の傑作を受賞させられなかったことはかえすがえすも無念であり、慚愧の念に堪えない。
 前回の選評で、歴史は教訓にするために学ぶものではない、と書いた。しかし後世の者として、歴史の結果を知る私たちは、歴史を見るとき、どうしても超越者の視点から離れられず、それ故に歴史上において下された判断において、この判断は正しかった、これは間違いだったと、特権的な高みから論評する誘惑から逃れられない。自分が全ての答えを知っている試験に挑む者は、自分よりも愚かに見えるからこそ、歴史を教訓としたがる者が多いわけだ。
 そして、だからこそ歴史小説は書かれる。たとえば歴史の結果から見れば暗愚としか見えない為政者を別の角度から掘り下げ、彼の判断はやむをえなかった、あるいは必ずしも彼の視点からは間違いではなかった、というような別解を提示するのは、作者も読者も超越者として歴史を見るからこそ生まれる歴史小説の魅力だ。歴史小説は読者が歴史の結果を、つまり物語の結末を最初から知っていることを前提に書かれるジャンルであるから、作者が動かしがたい史実をどう再解釈したか、そして史書の余白にどんな想像の翼を書き加えたかを味わう、そこにこそ歴史小説の醍醐味がある。
 『日出ずる国の聖徳王』は、そんな歴史小説の中において、非常に特異な位置を占める。聖徳太子の人間的側面を妻である刀自古郎女の視点から掘り下げるものだが、本作は作者が完全に刀自古郎女と一体化しており、後世の超越的な視点がほぼ完全に排除されている。作中ではさまざまな歴史的事実が描かれるが、通史的な説明は一切ない。それにより読者は自らの歴史知識に基づいて、作中で起きていることの読解を迫られる。一視点から断片的にしか語られない情報を繋ぎ合わせることで、何が起きているのかが徐々に明らかになっていく過程が、一級の知的興奮を味わわせてくれるのだ。それとともに、一個人の視点に絞って歴史を叙述することで、歴史に翻弄される個人の悲哀と、歴史の流れに立ち向かう個人の気高さが強く引き立てられる。読解の手がかりの出し方は極めて周到で、妻の視点から描かれる「夫・聖徳太子」像は意外性に富み、それを鏡として刀自古郎女という語り手の人物像もくっきりと立ち上がってくる、その描写力と構成力は八坂神奈子氏のそれに匹敵する。襟を正し、背筋を伸ばし、正座して読むべき「歴史小説」だ。要求される歴史知識が高度すぎるという意見に対しては、不勉強に猛省を促したいが、もし本作の価値が広く理解されないとすれば歴史教師である私の汚点に相違ない。よりいっそう歴史の啓蒙に努めたい所存だ。
 受賞作となった『全て妖怪の仕業なのか』については、殺人事件を扱いながら被害者や犯人の人物像の掘り下げが少なく、人の死をパズル的に扱う点には大きな不満があるし、一部の短編において仕掛けを図解してしまうのは小説としての敗北ではないかとも思う。無駄な装飾を排した平明な文体には好感を持ったので、最終的には受賞に同意したが、稗田文芸賞で評価するべき作品だったのかどうかには疑問が残る。
 『渡る者のない橋で』と『倶に天を戴かずとも』はどちらも語り手の独りよがりを突き詰めた作品であるが、前者は滑稽譚としての面白さが、作品の構造自体がもつ腰砕けの印象を突破するまでには至らなかった。後者は格調高い文章に感嘆させられたものの、語り手の純化される復讐心に対して正面からの反論が欲しかった。残る三作は、候補にしたこと自体にやや疑問のある作品であった、と言うだけに留めておこう。



SFならざる作品のSF的なる魅力  八雲藍
 前回の選評でSFの魅力について語ったが、今回は受賞作が本格ミステリ連作である『全て妖怪の仕業なのか』であるということで、前回の選評を踏まえつつSFとミステリの魅力の質的違いについて私見を述べるつもりだったが、書いてみたところ紙幅があまりにも足りなさすぎたため泣く泣く丸ごと削除した。別の機会に詳述することにしたい。
 作品評に移る。私は今回、『渡る者のない橋で』と『日出ずる国の聖徳王』の二作を受賞作と予想した。『渡る者のない橋で』はパチュリー・ノーレッジ氏が既に指摘されている通り、運命の出会いを何度もやり直す時間SF(あるいは並行世界SF)として読める。SFマニアの牽強付会と見られるかもしれないが、精神力で時間を行き来するSFは珍しくないのだから、妄想が時空間を飛び越える本作をSFと評することに躊躇いはない。ループもののSFのバリエーションの一種として、運命の恋人を探す主人公の試行錯誤の過程を楽しく読んだ。
 『日出ずる国の聖徳王』はSF要素ゼロの歴史小説だが、SF読者として見逃すことのできない魅力がある。外の世界のSFには、未来社会を描く際に、その社会において当たり前の(現代には無い)テクノロジーについては登場人物がわざわざ読者に説明しない、という手法がある。これはたとえば、現代の幻想郷を舞台にした小説で、登場人物が「弾幕ごっことは何か」をわざわざ説明しないのと同じことで、未来社会を未来の現代小説として書くというスタイルだ。本作はそれとちょうど正反対のベクトルをもつ、約千五百年前の世界を現代小説の文法で書いた小説ということになる。この時代の常識であることは一切説明しないという叙述によって、徐々に過去社会の有り様に焦点が当たっていく作りには、優れた近未来SFと同種の興奮があった。全く違う問題が同じ方程式によって全く同じ解を導き出したかのようである。
 この二作を最終投票で打ち倒して受賞作となった『全て妖怪の仕業なのか』は、本格ミステリとして非常に優れた出題、優れた解法を示した、秀逸な出題集であったことに疑いはない。魅力的な謎、奇想天外なトリックが全て、現代の幻想郷の常識の中に回収されてしまうことそのものを不満に思ってしまうのはSF者の業というもので、作品自体の弱点ではないことから、積極的に推さないまでも、反対はしなかった。
 SF者としてあまりに惜しかったのが『新世界クリエイター』で、前半の天界・地上の滅亡シミュレートは、立式や証明に甘さもあるものの、なかなか読み応えのある仕上がりだった。それだけに後半でそれを超える解法を見せて欲しかったのだが、あえなく論理が空中分解し、あらぬ解に辿り着いてしまう。試験ならば泣く泣く×を付けざるを得ないところだ。
 『風天娘は風まかせ』は三角関係の恋愛力学にどういう解を求めるかに関心をもって読んだため、最終的な結論の放棄が肩すかしだった。『悪霊斬り〝桜花〟』は手堅い仕上がりだが、解き始めた瞬間に全ての手順が解ってしまい意外性に欠ける出題であった。『倶に天を戴かずとも』は憎しみという感情を突き詰める過程の論証に物足りなさが残る。こちらの想像を超えるものを見せてほしかった。



美しき論理、美しき感情  十六夜咲夜
 魅力的な謎を、魅力的な名探偵が、鮮やかな推理で解き明かす。そんな本格推理小説をひそかに愛好する者として、『全て妖怪の仕業なのか』の登場には、一読者として快哉を叫んだものです。外の世界の本格推理小説を読んでいる身としては、やや既視感のあるトリックが多いのですが、幻想郷ならではの美しい論理展開の魅力は、それを補って余りあります。連作形式を最大限に活かし、各エピソードでの論理の隙を最終話で鮮やかに伏線として回収する作りには感嘆いたしました。個人的な好みで申しますれば、名探偵Qと語り手の「私」との関係性をもう少し掘り下げる部分があればなお良かったのですが、外の世界の本格推理小説と比肩しても何ら恥じることのない傑作と言えるでしょう。外の世界では、このような遊戯的な本格推理を文学とは認めないというような狭量な価値判断が未だに主流と側聞いたしますが、その意味でも稗田文芸賞がこの作品に賞を与えられるということは、幻想郷文芸の多様性を保証する素晴らしい判断であろうと思われます。アガサクリスQ氏には是非、次は読み応えのある長編をお願いしたく思います。
 もう一作、耽美の徒として是非受賞させたかったのが『倶に天を戴かずとも』だったのですが、こちらは予想に反してあまり支持を得られず、悔し涙に枕を濡らす結果と相成りました。愛と憎しみは表裏一体と申しますが、憎しみの感情を果てしなく純化していった先にある相手への感情はもはや愛と変わらない、というテーマには、心のときめきを抑えきれません。なんと美しい感情の交歓でしょうか。相手側の感情が一切書き込まれていないところがまた想像の翼をはためかせ、一途なる純粋な愛憎、その果てのあまりにも美しい殺し愛のなんと尊いことでしょう。読了後、あまりの尊さに語彙を失い感謝の祈りを捧げました。選考会ではこの尊さが理解されず非常に残念であります。やはり耽美をもっと幻想郷に広めなくてはなりません。
 恋に恋するという感情を妄想という形で暴走させる『渡る者のない橋で』にも心惹かれるものがありました。これを時間SFとして読むのはさすがにこじつけではないかと愚考しますが、精緻を極める妄想が砂上の楼閣として消え去りまた組み立てられ、という無為の繰り返しにはえも言われぬおかしみがあります。また、主人公が些細な描写から妄想を膨らませていく過程は名探偵の謎解きめいた面白みもありまして、前二作がなければ推したところでした。
 『風天娘は風まかせ』は、かっこいい主人公を挟んだツンデレ幼なじみとポンコツクールの三角関係というシチュエーションは個人的にあまり好みではないので推しかねました。人気がるのはわかりますが、ちょっと主人公のかっこよさがあざとすぎるのではないかと。『日出ずる国の聖徳王』は、聖徳太子と蘇我馬子の関係性に魅力はありましたが、やはり私も読者への不親切さが気になるところです。『悪霊斬り〝桜花〟』は藍さんも仰っていましたが、伏線の張り方が丁寧すぎて、一話目を読み終える頃には全体像がだいたい見えてしまうのが惜しいところでした。『新世界クリエイター』は、天界を滅ぼすのは賛成するにやぶさかでもないですが、ついでに地上まで滅ぼされては困りますし、理想の世界は人の数だけ存在しましょう。私の理想はお嬢様が幸福であらせられる世界でありますので。



ヤマメちゃんも太鼓判  黒谷ヤマメ
 どーもはじめまして、今回から選考委員になりました黒谷ヤマメちゃんです。選考委員になったはいいけど、さとりみたいに山ほど小説読んでるわけじゃないし、自分でも普段はフィーリングで小説書いてるから、他人様の小説に偉そうにあーだこーだ言うのはあんまり性に合わないんだけど、引き受けちゃったものは仕方ない。ま、一般読者代表の意見ぐらいのつもりで受け取っておくんなまし。堅苦しく書くのも性に合わないからこんな文体でいくよー。こんな奴に選考されたくねえ! って苦情は私じゃなくて振興会の方によろしく。
 じゃ、面白かったものから順にいってみよーか。まずは受賞した『全て妖怪の仕業なのか』。これが受賞したことに文句のある人はあんまりいないんじゃない? 地底で本格的に発売されたのは合本版が出てからだから、私は最初から合本版で読んだんだけど、地上でバカ売れしてるのも納得の面白さ。いろんな問題を機転で解決する連作は私も書いたことあるけど、「こんな不可思議なことをいったいどうやったの?」っていう謎に、「なるほど!」って手を叩きたくなる筋の通った解決がつくだけでこんなに面白いんだねえ。考えてみれば、普段の生活でも「?」と思ったことが「!」とわかった瞬間って気持ちいいからね。その気持ちよさを純粋に小説にするとこういう形になるんだねえ。ヤマメちゃんも太鼓判! 今回一番オススメ!
 その次に面白かったのが、最後の投票で落ちちゃった『渡る者のない橋で』。いや、別にパルスィに受賞させて選考委員代わってもらおうってわけじゃないよ(笑)。最初は「おい妄想かよ!」って思わずツッコミ入れちゃったけど、それを言ったら私の書いてる小説だって妄想を文字にしたようなもんだからね。あんたどこまで妄想するんだい! っていう迫真の想像力が愉快で、主人公がかわいそうなことになっても妄想だから安心して読めて、後半はもう笑いっぱなし。受賞させてあげたかったなあ。
 残り五つは順番決めると差し障りがありそうだから順不同でいくよー。『悪霊斬り〝桜花〟』は普通に面白かったんだけど、今年の神奈子賞獲った魔理沙の新刊とわりと似たような話じゃん? やっぱり魔理沙には勝てないよねえ。悪霊の背景の過去話にもうちょっと捻りがあればもっと面白かったと思う。惜しい!
 『新世界クリエイター』は地上滅亡の原因が異常気象からの疫病コンボなんだけど、疫病の設定がちょっとツッコミどころ多いなあ。私に監修させてくれれば良かったのに。他の選考委員はみんな後半に文句言ってたけど、私は後半もけっこう好きよ。
 『風天娘は風まかせ』は友人が主人公にメロメロになっちゃって個人的にちょっと複雑なんだけど(ここ笑うとこね!)、三角関係ラブコメでメインキャラ三人とも魅力的に描けてるのはすごいなーと素直に思うよ。これでお話にもうちょっと起伏があれば推したんだけど。あ、私はお団子姫派なんでそこんとこよろしく。
 『日出ずる国の聖徳王』は、「説明がなくて全然わからん!」って意見と「いや説明しないのが目的の小説だから!」って意見がぶつかってたけど、私は必要なところは説明した方が読者のためにいいと思うなあ。説明しないのが技術だって言われたらそうなんだーって納得はするけど、それって本当に読者のための技術なの?
 最後に『倶に天を戴かずとも』は、心理描写だけでずーっと引っ張る文章の上手さはすごいと思うけど、なんだか一本調子だと思う。中盤で夫を殺すところでもっとぐわーっと盛り上げてほしかったなあ。不完全燃焼な感じ。
 選評ってこんな感じでいいのかな? まあ、普段だったら絶対読まないような小説も読めたし、他の人の意見聞くのも面白かったから、来年も声かかったらまたよろしくー。



真摯な選考の結果  稗田阿求
 選考会のあと、里で「これだけ売れた『全て妖怪の仕業なのか』に、今さら稗田文芸賞が後追いで賞をあげてどうするんだ」「最近神奈子賞の方が人気あるから、アガサクリスQの受賞は稗田文芸賞の人気回復策で最初から既定路線だったんだろ」などという意見を耳にした。選考委員として反論させてもらえば、今回の受賞も七人の選考委員による白熱の議論を経て決定されたものであり、また候補作も豊作で、そのような政治的配慮の類いは一切なかったことを確言する。かような風説の流布は稗田文芸賞そのものへの侮辱であり、厳に慎まれたい。
 さて、受賞作となった『全て妖怪の仕業なのか』の魅力について個人的な見解を述べるならば、やはり最終話にて立ち上がってくる真実の多重性と選択の必要性というテーマだろう。名探偵Qが最後に語る名探偵の有り様は、そのまま幻想郷に生きる我々人間の生き方に対する重要な示唆になっている。「人の死をパズル的に扱いすぎている」と慧音さんが難色を示していたが、この遊戯的な書き方の中から、こういったテーマが立ち上がってくることこそがこの作品のミソなのだ。深みのない娯楽作に過ぎない、と侮っている手合いには読みの浅薄さに対し猛省を促したい。もちろん、そんなテーマを読者全員が気にする必要はないわけで、誰が読んでも面白い娯楽作であることと、精読することで浮かび上がる真摯で現在的なテーマとを両立させた本作は、やはり幻想郷文芸史に名を残して然るべき作品と言えるだろう。
 受賞作を含め、今回私は三作品に○をつけた。歴史に携わる者としては『日出ずる国の聖徳王』はたいへん面白く読み、アガサクリスQを打ち倒すとすればこれかと思ったが、作品の狙いはともかく読者に対して不親切に過ぎるという意見には、はっとさせられるものがあった。私はここに書かれていることが全て解るからすらすら読めるが、確かに歴史的な知識がなければ本作を読み通すのは骨だろう。自分が当然の知識として知っていることを知らない読者のことを想定するのは誰だって難しい。ただこの作品の場合、註釈をつけると作品の狙いが中途半端になってしまう感もある。非常に狭い範囲の読者にとっては素晴らしいという類いの作品を稗田文芸賞がどう評価すべきか、次回以降の課題としておきたい。
 もう一作○をつけた『渡る者のない橋で』は、夢オチという禁じ手を逆手にとって、様々な恋愛とその破局のバリエーションを描いてみせる手法に感嘆した。一冊の中で運命の一目惚れあり、再会した幼なじみとのじれったい恋あり、不倫あり、極端な年の差恋愛あり、と多様な味わいを見せつつ、『全て妖怪の仕業なのか』にも通じるテーマに帰着する。着実に筆力をつけている水橋パルスィ氏は、今回は残念だったが数年内の受賞を期待したい。
 『倶に天を戴かずとも』も推せるなら推したかったが、既に幻想郷恋愛文学賞を獲っていることもありここでは遠慮させていただいた。流麗優美な文章は新人離れしており、次作が楽しみな作家である。『風天娘は風まかせ』と『悪霊斬り〝桜花〟』は楽しく読める娯楽作だったが、今回はアガサクリスQと一緒に候補になってしまったことが不運だっただろう。『新世界クリエイター』は世の中に対する怨念が爆発する前半に異様な迫力があった。それだけに後半の失速が惜しまれる。
 稗田文芸賞の選考結果に対して文句を言うのは自由である。ただ、文句を言うなら受賞作を含め候補作全てを精読したうえで言っていただきたい。受賞作も読まずに「ベストセラーにぶら下がるようじゃ稗田文芸賞も終わったな」などというような文句だけを放言するのは恥ずべき振る舞いである。全部読んでそれでも納得できないなら、あなたの作品評を、あるいは『全て妖怪の仕業なのか』を上回るようなあなたの作品を、出版社に持ち込み、活字にして発表すると良い。幻想郷の文芸は多くの者に開かれているのだから。

(幻想演義 如月号 特集「第15回稗田文芸賞全選評」より)



◆受賞作決定と選評を読んで、メッタ斬りコンビの感想

萃香 やー、ここ数年、以前に比べてもうひとつ盛りあがらなかった稗田文芸賞がこんなに盛りあがったのっていつ以来だろうね。一般的にはまあ当然アガサクリスQだよねっていう空気の中、アガサクリスQ断固否定派が喧しいこと(笑)。選評の載った《幻想演義》如月号には一票差で落ちたパルスィの恨み節全開のエッセイが載り、その翌日には花果子念報の投稿欄で鬼人正邪と封獣ぬえが揃ってアガサクリスQと稗田文芸賞をクソミソに罵倒。パルスィはともかくお前らはなんの怨みがあるというのか(笑)。
霊夢 あいつらはただ単に流行に逆張りしてるだけじゃないの?
萃香 ぬえはアガサクリスQの正体不明っぷりにお株を奪われるのを危惧してるのかな(笑)。そりゃこんだけ売れりゃ、相当数のアンチが発生するのは当然だけど、批判するなら阿求の選評にあるように、せめて読んでからにしようね。幽々子の選評の通りに先入観はなるべく排して。それが一番難しいんだけどさ。
霊夢 ま、そうやって酒の肴にあーだこーだ言うのが賞の楽しみじゃないの。私らがやってるこれだってまさにそういうもんじゃない。
萃香 ごもっとも。しかしアガサクリスQの受賞自体は予想通りの面々が推してのあんまり意外性のない結果だったけど、意外だったのは『倶に天を戴かずとも』の低評価。幽々子と咲夜が推しただけで、まさか最終投票にも残らないとは……。文はそもそも私小説ってもの自体を理解してないし(苦笑)、慧音や藍は読みどころがズレてる気がするなあ。
霊夢 結局、最終投票はアガサクリスQが文・咲夜・ヤマメ・阿求の四票、パルスィが藍・ヤマメ・阿求の三票、屠自古が慧音と藍の二票だったのかしら?
萃香 なのかな。幽々子の推した純狐と小松町子は最終まで残らなかったし。藍が『聖徳王』を無理矢理SFとして読んで推したのは笑った。阿求が純狐よりパルスィを優先して推したのも意外だったね。ヤマメの選評はどう思う?
霊夢 まあ、こういうポジションが選考委員にひとり居てもいいんじゃないの。しかつめらしい顔して深読みするだけが小説の面白さでもないでしょ。
萃香 ヤマメが神奈子賞に回ってさとりがこっちに来た方がいい気もするけどね(苦笑)。しかし、授賞式にアガサクリスQは来るのかね?
霊夢 さあ。もうずっと覆面作家のままの方がミステリアスでいい気もするわ。今さら「あいつだったの!」ってやられても、知り合いだったらちょっと反応に困るし……。
萃香 正体、今一番有力なのは八雲紫説なんだけど(笑)、実際紫だったらどうする?
霊夢 退治する。
萃香 ひどい(爆笑)。はたして何が起こるのか、二十日の稗田邸での授賞式を刮目して見届けよ。あ、そういえばあんまり関係ないけど、春先の小鈴失踪事件って結局何だったの?
霊夢 あー、あれ? 失恋の傷心旅行だったらしいわよ。
萃香 えええー。え、失恋の相手って誰?
霊夢 それは小鈴から口止めされてるんで内緒。
萃香 気になる……。

(文々。新聞 睦月20日号 三面文化欄より)



稗田文芸賞授賞式、アガサクリスQ氏は現れず 新作は年内刊行予定

 20日、人間の里・稗田邸にて第15回稗田文芸賞授賞式が行われた。受賞したのが正体不明の覆面作家・アガサクリスQ氏ということもあり、謎に包まれていたその正体がついに明かされるかと会場内には多くの来場者が詰めかけた。
 授賞式はまず幻想郷文芸振興会副代表・本居小鈴氏、選考委員代表の十六夜咲夜氏が続けて挨拶し、選考会の模様を語った。そしていよいよ受賞者の登壇となったが、そこで登壇したのは稗田出版代表の稗田阿求氏。阿求氏は「受賞者のアガサクリスQ氏は本人の意向により会場にはいらしておりませんので、私が代理人を務めます」とアナウンス、会場が微妙な落胆に包まれる中、前回受賞者の二ッ岩マミゾウ氏から阿求氏にトロフィーと花束が手渡された。
 続いて阿求氏がアガサクリスQ氏の受賞スピーチを代読。その最後に、文々春新報にて連載予定だった長編『MはMで死ぬ』を年内に書き下ろし長編として刊行することが予告され、やや盛り下がっていた会場は途端に大いに沸き立った。
 アガサクリスQの正体は現在、幻想郷に関する広範な知識などから、書評家などの間では妖怪の賢者・八雲紫氏であるとする説が有力視されているが、はっきりした証拠はない。依然として謎のベールに包まれた覆面作家の活躍は今後も続きそうだ。

(文々。新聞 睦月21日号一面より)
鈴奈庵で公式に稗田文芸賞みたいな話をやられてしまったわけで、このシリーズはアガサクリスQを区切りにするのがちょうどいいでしょう、ということで今回が最終回です。
この変なシリーズにお付き合いいただきありがとうございました。

で、誰か作中作を実際に書いてくれませんかね。
浅木原忍
[email protected]
http://r-f21.jugem.jp/
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.名前が無い程度の能力削除
何年もの間お疲れ様でした。ずっと楽しませて頂いた大好きなシリーズでした。
(浅木原さんが作中作を実際に書いてくれるのもひそかに期待しています)
3.名前を忘れた程度の能力削除
いやあなた以外に誰が書けるのよこれら・・・w(大量のタイトルを見ながら)
楽しいシリーズでした!
4.名前が無い程度の能力削除
これで最終回ですか、悲しい
悲しいって言うか、ずーっと読み続けられるタイプの小説なんで、読めなくなるのが残念、と言うクチの感想ですけど
それにしても、選考委員にヤマメですか(驚愕)
萃香の言うとおりさとりと逆の方が「らしい」人選になるんじゃとも思ったけど意外と成立するんですねえ
スタンスも文に近いようで違いますし
文は苦手なもんは苦手でぶん投げるタイプだけど、ヤマメはこうしてくれりゃあもっと面白れーのに、と割かしポジティブな選評なんすね
私情の入り方も文の椛に対するやつと違って前向きな奴だし、選評の体を保とうとしている他のメンツと違ってより読者に寄り添った形、選評と言うより感想に近いと言うか。
私情と言えばゆゆ様の選評に、身内故の情けとかが一切無いと言うのも中々凄いですが(そんで選評が気になって仕方ない妖夢にプライベートでアレコレ助言だか雑談だかよくわからん話をする所まで幻視した)
>作中の作品を誰か書いて
言いだしっぺの…と言いたい所ですがこいしの奴はもう執筆されてたんでしたっけ?
>屠自古が慧音と藍の二票だったのかしら?
ここいきなり太子を浸食する屠自古

とにかくお疲れ様でした!
欲を言えば第一回も読みたかったんですが、それも読者故の無茶ぶりか
楽しませて頂きました
5.4削除
あっすいません普通に聖徳~を太子の作品として読んでました
読んだばっかりで間違えるとかどんだけ鳥頭なんだと
こんな読み方してたら萃香に何か言われるな(反省)
6.名前が無い程度の能力削除
ほんとにこのシリーズ面白かった。書評に書かれている作品の端々から、
それらの作品が本当に魅力的な作品なのだとはっきりと「わかる」。
7.名前が無い程度の能力削除
稗田文芸賞シリーズの完結おめでとうございます。長い間お疲れさまでした。
いずれ文芸賞メッタ切りシリーズの新刊が出るのではと期待しています。
それにしても幽々子様の書評…ショウアンは幻想入りしていたのか。
8.名前が無い程度の能力削除
それにしてもアガサクリスQは誰なんだろう気になる(棒読み
読むのが遅れてしまいましたがすごく楽しかったです。
幻想郷で小説書くのが流行ったら、ほんとにこんなのありそうだなと。
浅木原さんの作品はどれもこれも「うん、ありそうありそう」と呟いてしまう魅力があると思います。
これって二次創作にすごく大事な要素じゃないかなと。
次回作も素敵な「ありそう」を期待しています。

で、これらどこに売ってるんでしょうか?(鼻血