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第14回稗田文芸賞

2018/01/16 23:25:26
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第14回稗田文芸賞に宇津保凛さん、二ッ岩マミゾウさん

 第14回稗田文芸賞は24日、人間の里・稗田邸にて選考会が行われ、宇津保凛さんの『石桜の降りつむ道』(旧地獄堂出版)と、二ッ岩マミゾウさんの『エイリアンはもう帰れない』(稗田出版)の二作が受賞作に決まった。奇しくも受賞者はそれぞれ第一回・第二回の稗田児童文芸賞受賞作家。授賞式は来月15日、命蓮寺にて行われる。
 今回の選考会の模様について、選考委員の八雲藍氏は「第一回の投票ではやばやと『石桜の降りつむ道』『エイリアンはもう帰れない』『千里を斬る眼』の三作に絞られ、そこから長い討議となった。三作の中では『石桜』の評価が頭ひとつ抜けていて、単独受賞にするか、二作受賞なら『エイリアン』と『千里』のどちらにするかで白熱した議論が交わされたが、最終投票で七票中五票となった『石桜』と『エイリアン』の二作受賞に確定した」と語った。
 宇津保凛さん(本名…火焔猫燐)は、旧地獄の灼熱地獄跡に住む火車。『地の底のイカロス』でデビュー、同シリーズの完結編となる『イカロスは太陽を夢見る』で第一回稗田児童文芸賞を受賞している。受賞作は、石桜の降る地底で過去に亡くした友人を回想する形式の連作ミステリー。
 二ッ岩マミゾウさんは、幻想郷の狸を統率する化け狸。『天野ジャックは嘘をつかない』で第二回稗田児童文芸賞を受賞している。受賞作は、人間の里に迷い込んだ謎のエイリアンと人間の少女の友情を描いた青春小説。
 選評は来月15日発売の《幻想演義》如月号に全文掲載される。

宇津保凛さんの受賞のことば
 え、受賞したの? いやあ、あたい的には失敗作かなあと思ってたからちょっとびっくりだよ。いや、あたいの小説って基本的に親友に読ませるために書いてるからさあ。今回のは、地上でアガサクリスQが売れてるじゃん? だからミステリーっぽいの書いてみたんだけど、おくうに読ませたら「よくわかんない」って言われたから……。さとり様は面白いって言ってくれたんだけど、あたいはやっぱりおくうが面白がってくれるような話を書きたいね。までも、貰えるものはありがたく貰っていきますとも。あんがとねー。

二ッ岩マミゾウさんの受賞のことば
 ま、当然の結果じゃのう。ふぉっふぉっふぉっ。

(文々。新聞 師走25日号一面より)



【選評】

三つ巴バトルロイヤル  射命丸文
 今回の選考会は、あっという間に議論の対象が三作品に絞られる三つ巴の展開となりました。『石桜の降りつむ道』『エイリアンはもう帰れない』『千里を斬る眼』の三作と比べると、ほか三作はそれぞれに推す人こそいたものの明らかに分が悪く、あまり熱の入った議論が行われることもなく退けられてしまいました。というわけで、私は先に退けられた三作からいくことにしましょう。
 私が無理と承知で推したのは『狂月の狙撃手』です。他の選考委員からは「あまりにも読みにくい」「いささか作者の自己陶酔が過ぎる」などと言われてほとんど洟も引っかけてもらえませんでしたが、この独特の文体だけで敬遠してしまうのは勿体ない秀作です。かつて逃げだした故郷を救うため単身立ち上がる主人公が、「過去は変えられないが未来を変えることはできる」と、故郷の危機と自分自身のカルマに立ち向かっていく展開は、熱血アクション小説のシンプルな力強さに満ちており、今後の作品にも大いに期待したいところです。
 今回妙に楽しげだった幽々子委員が特にお気に召していた『美味しいお団子のつくりかた』は、料理バトル小説という新しいジャンルを切り拓く一作となるでしょう。いがみあうライバルから、互いの弱点を補い合う相棒へ変わっていく主人公コンビにも魅力があります。ただ、トーナメント形式ゆえに展開が読みやすくなってしまったことが残念でした。
 阿求委員イチオシの『パンクロックシャウト』は、やはり他作家の作品の影響が強すぎるのが大きな減点となってしまいました。瞬間最大風速には素晴らしいものがあるのですが、その輝きを全編に出せるようにならないとこの賞では厳しいのではないかと思います。
 さて、最終投票に残った三作のうち、私が推したのは『エイリアンはもう帰れない』です。第十一回の受賞作『生首が多すぎる』を思わせるところの多い作品ですが、もう一段大人の視点から書かれたこの作品には、『生首』にはない風格、貫禄を感じさせるものがありました。主人公に感情移入しすぎず、時に冷酷なぐらいに突き放す、余裕のある語り口は読んでいて快く、妖怪の山という社会に生きる天狗として共感するところも大です。『生首』が等身大の青春小説とすれば、『エイリアン』は大人の目の高さから若さの痛みを冷静に、しかし根っこの部分では暖かく見守る、大人の青春小説と申せましょう。このシチュエーションで主人公コンビの関係が最後まで決して恋愛感情にならないところも非常に好感度が高いです。
 『千里を斬る眼』については、私自身の好みでいえば推して然るべきだったのですが、やはり《白狼の咆吼》シリーズと比較したときに、この作品で彼女に賞をあげるのが本当に良いのかという点で躊躇いを覚えるものがありました。主人公のキャラクター造形が《白狼の咆吼》の剣紅葉と似すぎているのも気になります。手癖でこれだけの作品が書けるのは間違いなく彼女の才能ではありますが……。
 なお『エイリアン』とともに受賞作となった『石桜の降りつむ道』については、ひとつながりの長編として読むにはいささか展開の起伏が少なすぎるのが気になり、推すところまでは参りませんでした。技術的に極めて高度な作品であることはわかるのですが、その技術を「面白い」と思える感性が私にはやはり無いようです。アガサクリスQと比較する声もありましたが、これなら私はアガサクリスQの方が好きですね。



とっても楽しい甘味祭り  西行寺幽々子
 言うなれば、今回の選考会は楽しいおやつの時間。午後三時にお菓子とジュースで幸せいっぱいな童心にかえることができる、とても快い候補作たちだったわ。
 たとえば『狂月の狙撃手』は、たっぷりのバターとメープルシロップがかかった熱々のホットケーキ。メープルシロップのべったりした甘さが、大人の舌にはちょっと合わないというような声が多かったけれど、うちの妖夢なんかとっても喜んで、はふはふ言いながら食べるのよね。そういうものとしては大成功してるんじゃないかと思うし、大人の味に慣れきった私の舌も、久しぶりにこういうほかほかの甘さを楽しんだわ。
 『パンクロックシャウト』は、言うなら紫がたまに持ってくる外の世界の炭酸ジュース。自然の果物の味とは違う人工的な味に顔をしかめるのもわからなくはないけれど、喉を通り抜ける炭酸の刺激のさわやかさには捨てがたいものを感じたわ。
 『千里を斬る眼』は焼きたてのクッキーの盛り合わせ。サクサクとした快い食感に、チョコチップ入りだったりシナモン風味だったりゴマ入りだったり、色んな味で変化がついて、ついつい次へ次へと手が伸びてしまうのが最大の魅力ね。ずっと同じクッキーなのに、食べる方を飽きさせない工夫が凝らされた、職人の技を感じさせるお菓子だったわ。
 その中でも特に愛らしかったのが『美味しいお団子のつくりかた』。実際のお団子屋さんで作中のお団子を売るっていう企画だけで個人的に百点をあげたいわ。実際は商品化されていないものが大半なんだけど、そんな作中に出てくるいろんなお団子が、どんな味なのかと想像力を刺激してわくわくしてくるの。お料理を題材にした小説は今までもたくさんあったけれど、奇想天外なお料理で勝負するっていう作品は初めて読んだし、ぜひ作中のお団子を全部商品化してほしいものだわ。
 そんな楽しい楽しい甘味祭りの中でも、やっぱり受賞作となった二作は頭ひとつ抜けていたわね。『エイリアンはもう帰れない』は、アケビとかザクロとかドリアンとか、見た目や匂いはあまり気持ちのいいものではないけれど食べると美味しいフルーツの盛り合わせ。「見た目の悪いものが実は美味しい」っていうだけならわざわざ食べて確かめるほどのことじゃないんだけど、「どんなに美味しくてもドリアンの匂いは嫌」という当たり前の感覚をちゃんと言語化したうえで、「匂いの存在を認めた上で、ドリアンが美味しいということをどうやって伝えたらいいのか」というのを真剣に考えていることが誠実さだと思うの。
 もう一作の『石桜の降りつむ道』は、とっても綺麗な和菓子。しかもお菓子の味だけでなく、美しいその形、盛りつけるお皿、そしてそれを食べる場所まで含めた、和菓子という名のひとつの芸術品の域に達していたわ。たったひとつのお菓子を、五感すべてで味わう快楽。しかもこの作品は、そんな芸術品を三つ並べて、全部食べることで本当の味がわかる。それを「あなたのためだけに作りました」と囁いてくる心憎さ。こういうものを食べると、ああ、生きていて良かったって思うのね。幸せだわ。



ここ五年で最も納得のいく結果  上白沢慧音
 『石桜の降りつむ道』と『エイリアンはもう帰れない』の二作受賞。この結果には満足の一言しかない。この二作は、候補作が発表される以前に既に読んでいたが、候補作が発表された時点でこの二作以外は有り得ないと確信したし、それがそのまま受賞作となったのだから。『六花』の受賞した第九回以来、ここ五年で最も納得のいく結果と言えるだろう。
 受賞二作はいずれも甲乙付けがたいが、私が一番に推したのは『石桜の降りつむ道』だ。デビュー作『地の底のイカロス』から宇津保凛氏の作品にはずっと注目し続けていたが、この作品は紛れもなく、幻想郷の文芸史に大文字で銘記されるべき、まさに歴史的傑作だ。冒頭、石桜の降る地底の光景を描写する筆の確かさにまず背筋が伸びる。そして人が知る「真実」など所詮は石桜の破片のようなものでしかなく、「本当のこと」は砕けた魂のように誰の記憶にも残ることはない、という結論を肯定するでも否定するでもなく、ただあるがままの世界の姿として描く結末は、歴史を司る者として深く深く感じ入るものがある。
 歴史教師として子供から「なぜ歴史を学ばなければならないのか」と問われることがある。私はその問いに「それは君自身が歴史の中から見つけるべきもので、そのために歴史を学ぶ必要があるのだ」と答えることにしている。人はよく「歴史に学べ」と言うが、歴史はただの人妖の営為の積み重ねであり、現代の我々の教訓のためにあるのではない。歴史を教訓にするのは有用だが、教訓にするために歴史を学ぶのは本末転倒だ。記録されなかったものがこぼれ落ち続ける歴史とは、本作でそれぞれの語り手が辿り着く結論のように重要な情報が欠け落ちた不完全なものでしかない。だが、完全な歴史は存在しえないからこそ、我々は自分たちの足跡を少しでも多く残すために歴史を記録するのだ。そうして残された歴史はただ歴史としてそこにあるのであり、そこからはどんなものも見出しうる。あらゆることを学ぶことができる。歴史とは、そうした懐の深い学問なのだ。過去を探るミステリーという形式で歴史の本質に鋭く迫った『石桜の降りつむ道』は、老若男女を問わず、歴史を学ぶ者すべてに読んでもらいたい。
 二番手に推した『エイリアンはもう帰れない』の方には、里を守る者としてこれまた深く感じ入るものがあった。人間の里というコミュニティにおいて、阻害される者と阻害する者の関係を鋭く描く本作は、単純な理想論の押し付けで終わらない深みを持っている。どんな人間も完全無欠の聖人君子たりえはしない。どれだけ己を律したところで、誰しも醜さを心のどこかに抱えているし、大抵の場合、それを自分では醜さではなく正しさだと信じている。そのため、己を正しく律しようとするがゆえに無自覚な醜さを増大させてしまうことさえある。本作はそんな「正義の醜さ」を鋭く登場人物に、そして同時に私たち読者の喉元に突きつける。だが、本作を貫くのは決してシニカルな諦観でも、まして断じて多数派におもねったポジショントークなどでもなく、人間の人間的なるものに対する強い信頼だと私は思う。人間は弱く醜いものだと書きながら、それでも人間は自分たちと「違うもの」と心を通わせることができるはずだと力強く語る本作の結末は、いつまでも噛みしめていたい。
 この素晴らしい二作を受賞作とできた喜びの中で、落選作に無粋な苦言を呈するのは控えることにしよう。強いて言えば、『千里を斬る眼』や『パンクロックシャウト』には心惹かれるものがあったが、この二作の前ではさすがに相手が悪い。今回の受賞二作は稗田文芸賞史上においても特筆すべき素晴らしい二作だ。選考委員として誇りと自信をもって推薦する。



考えることの楽しさ  八雲藍
 SFの魅力とは何か。それはあまりに多岐にわたるが、あくまでいちSFファンの私見として語るなら、私は「考えることの楽しさ」を重要な部分のひとつとして置きたい。たとえば、河城にとり氏の『さよならラバーリング』は伸縮自在の新素材というひとつのアイデアを軸に、その活用法を徹底的に考え抜く過程が最大の魅力だった。
 (現時点において)現実にないものの存在を仮定して、「それがあることで何ができるか、何が起こるか」をとことん突き詰めて考える。私の考えるSFの醍醐味のひとつがそこにある。逆に言えば、その条件を満たしていれば、一見してSFに見えない作品にも私のアンテナは強く反応するのだ。
 剣豪小説である『千里を斬る眼』をSFだと思って読む読者はまずいないだろう。私もこの作品をSFだと認定するのはさすがに躊躇いを覚えるが、その意味合いにおいて、本作の面白さはSFの面白さと非常に近似したところにある。本作の根幹を為すのは「千里眼で視た相手を遠隔で斬り殺す」という主人公の能力だが、「この能力をどう使い、どう対抗するか」ということを、本作は徹底的に考え抜いているのだ。次々とこちらの予想の上をいくアイデアを繰り出し、駆け引きの醍醐味を味わわせる作中の戦いには、優れたSFを読むときと同種の興奮がある。ヒロインの存在で主人公に接近戦での不殺というハンデを与えるのはやや非論理的かとも思ったが、それを終盤に鮮やかに伏線として回収する立式には白旗を揚げるほかない。細部まで考え尽くされた本作は、断じて手癖で書かれたルーチンワークの水準作などではない。剣豪小説に考えることの楽しさを導入した画期的な傑作として強く推したのだが、もうひとつ理解を得られず残念だ。
 逆に、今回の候補作の中でSFらしい作品はどれか、と問えば、大抵の人は『狂月の狙撃手』を挙げるのではないか。月を舞台に外の世界の科学との戦いを描くこの作品をSFに分類することに関して、私は一切否定する気はない。だが、私のSFアンテナはこの作品にはあまり反応しない。月という舞台や外の世界の科学といった道具立てがただの道具立てに留まっていて、そこに思考がないからだ。言ってしまえば、この作品の月や外の世界の科学は、たとえば魔界と悪魔に置き換えてもそのまま成立するだろう。思考を見せてほしい部分がお約束的な描写で流されてしまうため、どうしても食い足りなさが残る。
 もちろん、SF的興奮があるかどうかと、作品として素晴らしいかどうかはまた別の問題であるし、SF的要素を敢えて掘り下げない方が魅力的な作品もある。たとえば以前本賞の候補になった永月夜姫の『バイバイ、スプートニク』は、SF的興奮があるか、と言われると若干首を傾げるが、SF的な道具立てを用いたエンターテインメントとして超一流の傑作であることには疑いがない。前回の受賞作である秋静葉の『巡らない季節の中で』も、SF要素にSF的に突っ込まないことが作品として正しい選択であるタイプの作品だった。
 今回の候補作では『エイリアンはもう帰れない』が、まさにそのタイプの作品だ。エイリアンというSF的な道具立てには突っ込まず、共同体から排斥される者同士の友情譚として秀逸だった。また、さまざまな問題について読者に自分で考えることを促す作りになっており、ちょうど『千里』と対になるという意味でも推した。『千里』が落ちたことは残念だが、『エイリアン』を受賞させられたので五十点の結果というところか。
 紙幅がないので残りは駆け足で。もう一方の受賞作『石桜の降りつむ道』については強く推された慧音委員や阿求委員に任せたい。『パンクロックシャウト』は第十一回で受賞した『生首が多すぎる』に比べると社会を見つめ、社会について考える視線がまだ弱い。『美味しいお団子のつくりかた』は様々なお団子のアイデアに光るものを感じたが、決勝戦のお団子を実際に作ってみたところあまり美味しくなかったのは残念だった。



物語は理想であるべき  聖白蓮
 これまで私は原則として、弟子の作品に関しては投票を辞退し、選評でも言及しない方針をとって参りました。今回も幽谷響子さんの『パンクロックシャウト』に関しましては(言いたいことは色々ありましたが)原則通りの対応をいたしました。ただし今回受賞された二ッ岩マミゾウさんは、かつて命蓮寺に居候されていたことはありますが、仏門に帰依した弟子ではなく、また既に定宿を余所へと移されておりますので、その原則の適用範囲外であることをお断り申し上げておきます。南無三。
 というわけで『エイリアンはもう帰れない』ですが、私はこの作品に断固反対の立場を採り、特に慧音さんに対して真っ向から対立することとなりました。迫害する者とされる者の関係を軸としたこの作品を、「単純な理想論に留まらない深みがある」と絶賛する慧音さんの意見にどうしても承伏しがたいものがあったからです。
 これまで私がこの稗田文芸賞で強く推してきた『生首が多すぎる』『殺戮のデッドエンド』『スラムラビット』といった作品群は、いずれも現在の幻想郷、人間の里の社会の在り方に対する鋭い批評性がその魅力でありました。この『エイリアン』もまたその系譜に位置づけられる作品だろうと慧音さんは言いましたが、この作品の社会描写は断じて批評性などではなく、悪しき両論併記、小ずるいポジショントークに他なりません。弱者への迫害はする方が一方的に悪いのであって、される側にも責任があるかのような書き方は描写の深みなどではなく、多数派へのおもねりでしかないでしょう。間違ったことを為している側にも、彼らなりの合理性があるというのは確かに現実でしょうが、そんな現実を見るのならば物語ではなく現実をそのまま見れば良いのです。物語は現実を描いても現実ではなく、そこで現実では為しえぬような理想を臆面もなく語ることにこそ物語の強い意味があるはずです。藍さんは「読者に対し、何が正しいかを自分で考えることを促す作り」と仰っていましたが、小説の中の作者の意見が正しいかどうか読者が考えるべきなのは当たり前のことで、問題提起をしながら自身の意見を述べずに済ませるのは不誠実というものでしょう。『生首』や『殺戮』や『スラムラビット』にあるような社会の歪みへの怒りもない、このような不誠実な作品に賞を与えるのが正しいとは思えません。多数決での受賞という結果にはあくまで不服を唱える次第です。南無三。
 ああ、また一作に紙幅を費やしすぎてしましました。もう片方の受賞作である『石桜の降りつむ道』は受賞して当然の作品で、今回の受賞作はこれ一作で良かったと思います。『千里を斬る眼』は主人公の殺生があまりに無批判に描かれすぎである点が気になりました。『狂月の狙撃手』は奇妙なフリガナを多用する文体があまりにも読みにくく、魅力を汲み取ることが私には難しい作品でした。『美味しいお団子のつくりかた』は、そもそもどうして料理人がトーナメント形式で戦わないといけないのかがわかりません。お店を出しているのですから商売で勝負をするのがあるべき姿なのではないのでしょうか?



もっと耽美を  十六夜咲夜
 前回の選評で耽美主義宣言をいたしましたが、今回の候補作は耽美の魅力に欠けるラインナップでいささか残念でありました。私は作者の強烈な美意識が作品の完成度よりも優先されるようなエッジの効いた作品が候補に挙がってくることを望んでおります。
 そんな候補六作の中から私が推しましたのは、順当に『石桜の降りつむ道』でした。最近、人間の里で爆発的に売れているアガサクリスQ氏の『全て妖怪の仕業なのか』は、フェアな描写と手がかりの配置によって作者が読者に「この事件の謎が解けるか」と挑戦する、小説という媒体を介しての知恵比べが魅力で、読者として解決編の前に真相がわかったときの快感は言いしれぬものがあります。『石桜』は一見、そういう本格ミステリ小説には見えない作りですが、物語の全体像を把握するのに読者側からの読み解きが必要という点ではよく似ています。もちろんそういった作例ではパチュリー様や西行寺幽々子氏、古明地さとり氏などに既に極めて優れた作例があるわけですが、『石桜』はそれらの作品に比べると全体像の読み解きは極めて容易で、名探偵による解決編がなくとも誰でもわかるように書かれているところがポイントです。これによって、読者は「自分だけが全てをわかっている」名探偵気分が味わえるわけです。誰でも謎が解け、しかも登場人物が謎を解けないことは全く不自然ではない。アガサクリスQ作品のような路線は謎解きが簡単すぎては拍子抜けですが、『石桜』はその簡単さを逆に魅力にしてみせたという意味で、『全て妖怪の仕業なのか』と並べて読みたい作品です。
 もう一方の受賞作『エイリアンはもう帰れない』は、私はどちらかといえば聖白蓮氏の意見に与するところで、作者の周到さが鼻につく部分があり、票は投じませんでした。作品自体が非常によくできていることは認めるところですので、受賞という結果自体に異議はありません。しかし白蓮氏が選考会で熱弁しておられた件、『生首が多すぎる』はともかく『殺戮のデッドエンド』や『スラムラビット』の作者に、彼女の言うような「社会の歪みへの怒り」があるとは到底思えないのですが……。まあ、作品の受け取り方は人それぞれということでしょう。
 『千里を斬る眼』はベストセラー作家の面目躍如というべき達者なエンターテインメントで、娯楽小説として純粋に最も楽しく読めた作品でしたので、最終投票ではこちらにも票を投じました。難を言えば、この作者の作品はどうも「辛い過去を持つ寡黙な男×守るべき健気な少女」という組み合わせがパターン化されすぎていて、個人的にはもうちょっとそのあたりに工夫が欲しいところです。
 『狂月の狙撃手』はたいへん微笑ましい作風で、好感のもてる作品でしたが、さすがに前記三作が相手では勝負になりません。『美味しいお団子のつくりかた』はそのタイトルに反して作中のお団子レシピに突っ込みどころが多すぎるのが……。『パンクロックシャウト』は光るものもありましたが、堀川雷鼓氏や河城にとり氏の作品のモノマネの域からまだ脱していないというのが厳しいながら実際のところでありましょう。



獲るべき作品が獲った  稗田阿求
 選考会後の打ち上げで、慧音委員が満面の笑みで「いや今回は素晴らしい結果になった」と心底楽しそうにお酒を飲んでいたが、全くの同感である。まさに獲るべき作品に受賞の栄誉を冠することができた、理想的な選考だったと思う。
 その慧音委員が白蓮委員と激しくやりあった『エイリアンはもう帰れない』については、私は慧音委員の意見を全面的に支持する。人間の里のアクチュアルな問題に引きつけて読める内容ながら、作者自身の意見表明を可能な限り排し、何が正しいかの判断を完全に読者に委ねる手法を、慧音委員や藍委員は誠実であると称揚し、白蓮委員は不誠実であると難じた。白蓮委員の「作品と現実は別であり、現実がかくあるべきという理想を語るのが物語の役割でしょう」という意見は傾聴に値するとしても、「現実をそのまま書くのならば現実を見ればいい」というのはいささか乱暴ではないか。現実に私たちが無自覚に行っていることや、うまく言語化されていない感覚を、読者に代わって言語化するのも立派な物語の役割だろうと思う。その意味で私たちの無自覚な醜さを言語化する『エイリアン』は、見事に「物語の役割」を果たしている。受賞は当然の結果だろう。
 同時受賞となった『石桜の降りつむ道』も、受賞は当然というべき作品だった。本作は、この世に「真実」などというものは無限にあり、私たちはその中から自分に都合のいい真実を選ばなければならない、という真理を見事に活写している。咲夜委員がアガサクリスQ作品と比較されていたのは慧眼というべきで、『全て妖怪の仕業なのか』の構造は本作と共鳴するところが多い。本格ミステリとして読むなら、本作は各エピソードの解決に論理性が欠如しているためアガサクリスQの方に軍配が上がるのは明らかではあるが、アガサクリスQ作品に通底する問題意識を巧みに作品化している点で、是非両作は読み比べてみてもらいたい。
 この両作に一歩及ばなかった『千里の斬る眼』も、主人公と敵の知恵比べに読み応えがある佳作だった。読書は娯楽であっても、やはり知的興奮があってほしいものである。
 他三作では、『パンクロックシャウト』の結末が印象に残った。他の回であったら推したかもしれない。確かに他作家の影響が強すぎるのは感じるが、第九回で候補になった『リピート・アフター・ミー』ともども、物語に非常に印象的な結末をつけられるそのセンスに関しては端倪すべからざるものがある。さらなる成長を期待したい。
 『美味しいお団子のつくりかた』は何も考えずに笑って読める娯楽作としては上等だが、この設定を読者に納得させるにはもっと書き込みが必要だろう。『狂月の狙撃手』は慧音委員も仰っていたが、作者が自分の文体に酔いすぎである。もっと冷静になってはいかがだろう。
 ともあれ、アガサクリスQの功績により里の読書人口が大幅に増えた今、稗田文芸賞が理想的な受賞作を送り出せたことは慶賀の至りである。アガサクリスQ作品で読書の楽しみに目覚めた方を、さらなる読書の悦楽へ導ける受賞作となったはずだ。豊穣なる幻想郷文芸の魅力が、より多くの人に広まることを願ってやまない。

(幻想演義 如月号 特集「第14回稗田文芸賞全選評」より)




◆受賞作決定と選評を読んで、メッタ斬りコンビの感想

霊夢 たいへんよくできました、って言うべき結果じゃない、今回は。
萃香 大橋もみじがまた落ちたのは残念だけど、まあ極めて順当な結果になったね。こんなに驚きのない結果は幽香が獲ったとき以来かも。おかげで特に言うことがない(笑)。しかし宇津保凛、『石桜』を「失敗作だと思ってた」って、そりゃないだろ(苦笑)。
霊夢 最終投票で受賞二作が七標中五票だったって明かされてるけど、選評見る限り『石桜』が幽々子・慧音・白蓮・咲夜・阿求、『エイリアン』が文・幽々子・慧音・藍・阿求ってことかしらね。
萃香 で『千里』が藍・咲夜の二票で落選と。まあ、相手が悪かった。しかし白蓮の『エイリアン』評は個人的に同意するところもあるんだけど、そのあとの咲夜のツッコミには笑った。咲夜はこれ完全に自分の選評が白蓮の次に置かれることわかってて、白蓮の選評を先読みして書いてるね(笑)。
霊夢 本人を知ってる身として言うけど、咲夜の言う通り、永月夜姫や因幡てゐに「社会の歪みへの怒り」なんてあるわけないわよねえ。
萃香 まったく(苦笑)。まあでもそれは作者本人をよく知ってるから笑っちゃうだけで、知らなきゃ白蓮みたいな感想を抱くのもわからんでもないけども。
霊夢 私は慧音とか阿求の言う通りだと思うけど。
萃香 ま、それこそ受け取り方次第だねえ。
霊夢 そういえば、今回阿求の選評が珍しく共感できたわ。
萃香 なぜか候補でもないアガサクリスQをやたらと推してるからね(笑)。
霊夢 でも阿求がアガサクリスQ好きだったなんてちょっと意外なんだけど。
萃香 なんで?
霊夢 「読んだ?」って話を振ってもあんまり食いついて来ないんだもん。読んではいるみたいだけど、あんたはどう思う? って聞いてもどうも歯切れが悪いし。
萃香 ふうん。あ、ひょっとしたら作者の正体知ってて遠慮か何かがあるんじゃない? 覆面作家だけど、稗田出版から出てて鈴奈庵で取り扱ってる以上、さすがに小鈴と阿求は正体知ってるだろうし。
霊夢 小鈴には訊いたんだけど教えてくれなかったのよねえ。
萃香 少なくとも『全て妖怪の仕業なのか』が完結するまではトップシークレットだろうね。
霊夢 早く続きが読みたいわ。
萃香 あ、小鈴といえば、なんか十五日の授賞式でやたらとびっくりしてなかった? マミゾウが受賞者挨拶に人間姿で出てきて、化け狸に戻ったときに。
霊夢 ああ、アレね。あの子、マミゾウのこと人間だと思ってたのよ。マミゾウのやつ、別名義でお伽話の幻想郷向けの翻案やってたでしょ? あいつあの名義を、人間に化けた姿の名前ってことにして、鈴奈庵に人間姿で出入りしてて。
萃香 あー、それで化け狸だと知らなかったと。
霊夢 正確には、お伽話の翻案やってる人間と、児童文学作家の化け狸の二ッ岩マミゾウが同一人物だと知らなかったのよね、あの子。
萃香 出版サイドの人間のくせして、そんなこともあるんだねえ(苦笑)。

(文々。新聞 睦月21日号 三面文化欄より)



鈴奈庵店主の本居小鈴さんが失踪
 貸本屋・鈴奈庵の店主で、幻想郷文芸振興会副代表の本居小鈴さんが、一日から行方がわからなくなっており、自警団に捜索願が出されている。店主のいなくなった鈴奈庵は一日から臨時休業しており、里では小鈴さんの安否が気遣われている。
 小鈴さんは一日の昼頃に自宅を出たのを最後に消息を絶っており、その後の足取りは杳として知れない。家族によると、小鈴さんは睦月頃から何かに悩んでいる様子があったという。自警団は何らかの事故に巻き込まれた可能性、あるいは妖怪に連れ去られた可能性があるとして捜索を続けているが、現在のところ有力な手掛かりはない。
 里では夏頃に奇妙な神隠し事件が相次いだが、博麗霊夢氏によればその件は既に主犯の妖怪を退治して解決しており、今回の小鈴さんの失踪とはおそらく無関係とのこと。
 自警団は、本居小鈴さんの行方に関する情報提供を呼びかけている。失踪後の小鈴さんの足取りについて何らかの情報をお持ちの方は、お近くの自警団員、もしくは稗田家まで。

(文々。新聞 弥生4日号一面より)
芥川賞・直木賞の発表に合わせようと思ってたらそそわが落ちてた……。
このシリーズは次で完結する予定です。
浅木原忍
[email protected]
http://r-f21.jugem.jp/
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.名前を忘れた程度の能力削除
たまってる文芸賞メッタ斬りだけで2冊分くらいの分量になってる気がする。
そして今回も「だからその実物を読ませてよ!」となってしまう紹介。
ほんとこのシリーズは地獄だぜ!(絶賛
3.名前が無い程度の能力削除
対立する選評それぞれにもっともらしく頷ける部分があり、このSS自体が作中の講評で語られる「歴史」や「真実」と同様に重層的で多面的な読みを可能にする広がりを持っていることに毎回唸らされます。
4.名前が無い程度の能力削除
幽々子の選評が一番「読んでみたい」と思えるなぁ。
霊夢も言ってたけど気に入らない作品を落とそうとせず、基本的にいいところ探しをするタイプだからかな。
5.名前が無い程度の能力削除
>幻想郷大水害
意図しないところで評価されちゃった感が絶体絶命都市みたいな…
白蓮さんは外連味のある面白さについていけないクチでしたか…
藍さまが実際に団子作って美味くないって話をするシーンはちょっと狐独のグルメ要素っすね
ゆゆさまの選評が楽しそうでよかった
今までで最高に楽しんでてこちらも幸せな気分になる
慧音が大満足してる描写って何気に初なのでは?
おりんりんの過去探しってテーマの謎は、宮部みゆきの火車みたいに当該人物が一切出ないのにそいつの事を読者に詳細に諒解させるという作品の極致を知ってると、おりんりんの種族と合わせて妙なシンクロニシティを感じました
読後の余韻の強さも良さそうですしねー
ナベジュンはピントのズレた評価してましたが…
うどんちゃんの作品もそこまで悪いとは思わないけど、阿求の「冷静になってはいかがか」でワロタ