「今夜、星を見に行きましょう」
意を決したように椅子から立ち上がったアリス・マーガトロイドは、そう言ってパチュリー・ノーレッジを誘った。
「なるほど、悪くないわね。最近は本ばかり読んで星を見るのを怠っていたわ。魔法に関わるものとしてこれはよくない。ありがとう」
「……いいえ、どういたしまして」
「どうしたの?」
「いや、あんまりあっさり誘いに乗られて拍子抜けしただけ」
「もう少し抵抗する? アリスに解説してもらうのは楽しそうだからそこそこ乗り気なのだけれど」
「しなくていい。それと、誘っておいてなんだけど、私は天文についてそれほど詳しくないの。陰陽道とか修めてそうなあなたとは違ってね」
「まあ、アリスの魔法には天体はあまり関係ないとは思うけれど」
「というか、天体観測って言っても肉眼で星を見る程度のことしかできないし。物語も少ししか知らない」
「夜空を見上げて、あれがデネブ、アルタイル、ベガ、とか言うのかしら、その物語」
「それは、私が知らない物語ね」
「さておき、ミクロコスモスとマクロコスモスの照応を鑑みるに、星を見るのは決して無益ではないわ。わが上なる輝ける星空とわが内なる道徳律、とも言うし。いいでしょう。特別にここのテラスを使いましょう」
「ここの?」
「ええ。星見に必要な道具ならある程度揃えてあるから、即席の天文台くらい作れるわよ」
「そんなに大げさじゃなくても」
「いいえ、魔女の本分に関わる事柄だもの。手は抜かない。小悪魔、天球儀の用意。咲夜、望遠鏡はどこにしまったかしら」
やけに乗り気になってしまったパチュリーを見て、失敗したかもしれないとアリスは少しだけ後悔する。
途端にばたばたと賑やかになった図書館で、パチュリーはアリスに向かって手を差し出す。
「さあ、向かいましょう」
「どこに? そもそもまだ日も沈んでいないわ」
「そういえばそうね。まあ、用意だけはしておきましょう。あ、咲夜お茶」
パチュリーは多少興奮が冷めた様子で椅子に座りなおすと、咲夜から紅茶を受け取る。
一口飲んでため息を吐くと、手元に本を引き寄せた。
「で、何の話だったかしら」
「何の話でもないわ。あなたが急に元気になっただけ」
「そう。ま、用意は咲夜たちに任せて私たちは星を見る準備でもしましょうか」
「ええ、そうくると思っていたわ」
アリスはいつの間にか用意されていた紅茶を手元に引き寄せると、いつものようにパチュリーの長広舌に備える。
「デネブ、アルタイル、ベガといえば夏の大三角だけれど、日本では織姫と彦星が有名かしら。七夕は、今は新暦でやることが多いけれど、元は旧暦七月七日の年中行事で、上巳、端午、七夕、重陽なんかの節句のひとつね」
「ええ。多分あなたは気づいてないでしょうけど、今日は新暦七月七日よ」
「……ああ、突然星を見ようなんて言い出したのはそういうわけ」
「そういうわけ」
「まあ、いいでしょう。七夕といえば乞巧奠ね。技芸の上達を願って様々な儀式が行われる」
「夜露で墨を摺って短冊に願い事を書いたり」
「そうね。あとは歌会わせをしたり。ところでなぜ短冊が五色なのかといえば、五行なのだけれど」
「そうね。どんな願いを書こうかしら」
「もっと光を」
「それは辞世の句」
「ドイツ人は辞世の句を詠まないでしょう」
「というか、この図書館にこそもっと光をよ」
「本と髪が痛む」
「日光ならそうでしょうね」
「月光もそれなりに良くないものなのだけれど。気が狂うし」
「星の光は?」
「客星なんかは凶兆ね」
「滅多にないでしょう」
「だからこそ客星なのだろうけど。マレなのよ」
「まあ、星の光だと今より暗くなりそうよね」
「そこで超新星爆発を」
「しない」
「超重力?」
「ブラックホールは光を逃がさないほうよ」
「星間超トンネル」
「ない」
「まあ冗談はさておき。藤原定家という歌人の日記にも、客星についての記述がある」
「百人一首の人ね。一応読んだことはある。星の歌は、かささぎの、とかなんとかいうのがあったかしら」
「あれは万葉時代の歌人が天の川を詠んだ歌ね。しかも冬の。七夕になると天の川にかささぎが橋を架けるという言い伝えによるものよ」
「その橋を渡って会いに行くのね。ロマンチック」
「橋姫がいるかもしれない」
「嫉妬されちゃうわ」
「まあ、あの橋姫もそこまでの行動力はないでしょう。けふよりは今こむ年の昨日をぞいつしかとのみ待ちわたるべき、という歌もある。七夕の翌日に来年の七夕を待ち続けるような心情に対して嫉妬ばかりしてもいられないでしょう」
「別れてからの寂しさが切ない、と」
「後朝の歌のようなものかもしれない。同じ歌人が、有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし、と詠んでいるし」
「それも百人一首にあったわね」
「ええ。有名な歌人よ。まあ、詩歌の解釈は私よりも白玉楼の住人向きだからこのあたりで。星についてのあれこれが少ないのは、物語の舞台ではなく学問の対象だったからということじゃないかしら」
「パチュリーが今日しようとしてるみたいに?」
「物語をお望みならギリシャ神話をひとくさり語ってあげるけれど」
「やっぱりいい。いやまあ、パチュリーと星を眺めて語り合うとか難しいとは思っていたけれど」
「なにやら失礼な物言いね」
「だって思いっきり天体観測する気でしょう。ノートとかとって。私そっちのけで」
「いやまあ、するけど」
「ほら」
「だって折角の機会だもの。あ、アリスも見たければ自由に望遠鏡を使っていいのよ?」
「今そういう話だった?」
「天体観測の話でしょう?」
「ああそうね」
「ああ、もちろん星よりもアリスのほうが綺麗よ?」
「とってつけたように言わない」
「じゃあ今晩は天体じゃなくてアリスを観測する?」
「それで私は何をすればいいのよ」
「……何かを観測」
「観測以外で」
「……ふむ」
「考え込まない」
「つまりアリスは私と星空を見上げたい?」
「そうだけど言わない」
「難しいわ」
「これだから本ばかり読んでるようなのは」
「目の前の人形馬鹿の機嫌を直す方法は」
「本には書いてないんじゃないかなぁ?」
「……ふむ」
「そこで困らない」
「ねえアリス。ひとつ、提案があるのだけれど」
「何かしら」
「その前に。小悪魔、天球儀しまっちゃっていいわ。咲夜も。望遠鏡はいいからテラスにティーセットの用意をしておいて頂戴」
「……」
「さて、アリス。私と一緒に、星を眺めてくれないかしら」
「……まあ、いいでしょう」
右眉を上げながら、嘆息と共にアリスは承諾する。
「じゃあ、星を見上げながら永遠について語りましょう?」
「永遠といえば無限の時間とも言いかえらるけれど、ところで無限といえば――」
「パチュリー?」
「……はいはい」
「はい、は一回」
「イエスマム」
「マムじゃないけどマムはマダムのことで、とか繰言はいらないわよ?」
「……手ごわい」
「今夜は煙に巻かないこと」
「善処するわ」
「遵守しなさい」
「イエスユアハイネス?」
「……私も気をつけなきゃね」
アリスは苦々しい表情で呟くと、立ち上がり手を差し出す。
「アリス?」
「日が落ちるまでまだあるわ。散歩している間ならお話に付き合いましょう」
「そう。じゃあ、日の出ている間は精々付き合ってもらいましょう」
パチュリーも立ち上がり、アリスの手をとると庭に向かって歩き出す。
飲みかけの紅茶は、いつの間に以下片付けられていた。
意を決したように椅子から立ち上がったアリス・マーガトロイドは、そう言ってパチュリー・ノーレッジを誘った。
「なるほど、悪くないわね。最近は本ばかり読んで星を見るのを怠っていたわ。魔法に関わるものとしてこれはよくない。ありがとう」
「……いいえ、どういたしまして」
「どうしたの?」
「いや、あんまりあっさり誘いに乗られて拍子抜けしただけ」
「もう少し抵抗する? アリスに解説してもらうのは楽しそうだからそこそこ乗り気なのだけれど」
「しなくていい。それと、誘っておいてなんだけど、私は天文についてそれほど詳しくないの。陰陽道とか修めてそうなあなたとは違ってね」
「まあ、アリスの魔法には天体はあまり関係ないとは思うけれど」
「というか、天体観測って言っても肉眼で星を見る程度のことしかできないし。物語も少ししか知らない」
「夜空を見上げて、あれがデネブ、アルタイル、ベガ、とか言うのかしら、その物語」
「それは、私が知らない物語ね」
「さておき、ミクロコスモスとマクロコスモスの照応を鑑みるに、星を見るのは決して無益ではないわ。わが上なる輝ける星空とわが内なる道徳律、とも言うし。いいでしょう。特別にここのテラスを使いましょう」
「ここの?」
「ええ。星見に必要な道具ならある程度揃えてあるから、即席の天文台くらい作れるわよ」
「そんなに大げさじゃなくても」
「いいえ、魔女の本分に関わる事柄だもの。手は抜かない。小悪魔、天球儀の用意。咲夜、望遠鏡はどこにしまったかしら」
やけに乗り気になってしまったパチュリーを見て、失敗したかもしれないとアリスは少しだけ後悔する。
途端にばたばたと賑やかになった図書館で、パチュリーはアリスに向かって手を差し出す。
「さあ、向かいましょう」
「どこに? そもそもまだ日も沈んでいないわ」
「そういえばそうね。まあ、用意だけはしておきましょう。あ、咲夜お茶」
パチュリーは多少興奮が冷めた様子で椅子に座りなおすと、咲夜から紅茶を受け取る。
一口飲んでため息を吐くと、手元に本を引き寄せた。
「で、何の話だったかしら」
「何の話でもないわ。あなたが急に元気になっただけ」
「そう。ま、用意は咲夜たちに任せて私たちは星を見る準備でもしましょうか」
「ええ、そうくると思っていたわ」
アリスはいつの間にか用意されていた紅茶を手元に引き寄せると、いつものようにパチュリーの長広舌に備える。
「デネブ、アルタイル、ベガといえば夏の大三角だけれど、日本では織姫と彦星が有名かしら。七夕は、今は新暦でやることが多いけれど、元は旧暦七月七日の年中行事で、上巳、端午、七夕、重陽なんかの節句のひとつね」
「ええ。多分あなたは気づいてないでしょうけど、今日は新暦七月七日よ」
「……ああ、突然星を見ようなんて言い出したのはそういうわけ」
「そういうわけ」
「まあ、いいでしょう。七夕といえば乞巧奠ね。技芸の上達を願って様々な儀式が行われる」
「夜露で墨を摺って短冊に願い事を書いたり」
「そうね。あとは歌会わせをしたり。ところでなぜ短冊が五色なのかといえば、五行なのだけれど」
「そうね。どんな願いを書こうかしら」
「もっと光を」
「それは辞世の句」
「ドイツ人は辞世の句を詠まないでしょう」
「というか、この図書館にこそもっと光をよ」
「本と髪が痛む」
「日光ならそうでしょうね」
「月光もそれなりに良くないものなのだけれど。気が狂うし」
「星の光は?」
「客星なんかは凶兆ね」
「滅多にないでしょう」
「だからこそ客星なのだろうけど。マレなのよ」
「まあ、星の光だと今より暗くなりそうよね」
「そこで超新星爆発を」
「しない」
「超重力?」
「ブラックホールは光を逃がさないほうよ」
「星間超トンネル」
「ない」
「まあ冗談はさておき。藤原定家という歌人の日記にも、客星についての記述がある」
「百人一首の人ね。一応読んだことはある。星の歌は、かささぎの、とかなんとかいうのがあったかしら」
「あれは万葉時代の歌人が天の川を詠んだ歌ね。しかも冬の。七夕になると天の川にかささぎが橋を架けるという言い伝えによるものよ」
「その橋を渡って会いに行くのね。ロマンチック」
「橋姫がいるかもしれない」
「嫉妬されちゃうわ」
「まあ、あの橋姫もそこまでの行動力はないでしょう。けふよりは今こむ年の昨日をぞいつしかとのみ待ちわたるべき、という歌もある。七夕の翌日に来年の七夕を待ち続けるような心情に対して嫉妬ばかりしてもいられないでしょう」
「別れてからの寂しさが切ない、と」
「後朝の歌のようなものかもしれない。同じ歌人が、有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし、と詠んでいるし」
「それも百人一首にあったわね」
「ええ。有名な歌人よ。まあ、詩歌の解釈は私よりも白玉楼の住人向きだからこのあたりで。星についてのあれこれが少ないのは、物語の舞台ではなく学問の対象だったからということじゃないかしら」
「パチュリーが今日しようとしてるみたいに?」
「物語をお望みならギリシャ神話をひとくさり語ってあげるけれど」
「やっぱりいい。いやまあ、パチュリーと星を眺めて語り合うとか難しいとは思っていたけれど」
「なにやら失礼な物言いね」
「だって思いっきり天体観測する気でしょう。ノートとかとって。私そっちのけで」
「いやまあ、するけど」
「ほら」
「だって折角の機会だもの。あ、アリスも見たければ自由に望遠鏡を使っていいのよ?」
「今そういう話だった?」
「天体観測の話でしょう?」
「ああそうね」
「ああ、もちろん星よりもアリスのほうが綺麗よ?」
「とってつけたように言わない」
「じゃあ今晩は天体じゃなくてアリスを観測する?」
「それで私は何をすればいいのよ」
「……何かを観測」
「観測以外で」
「……ふむ」
「考え込まない」
「つまりアリスは私と星空を見上げたい?」
「そうだけど言わない」
「難しいわ」
「これだから本ばかり読んでるようなのは」
「目の前の人形馬鹿の機嫌を直す方法は」
「本には書いてないんじゃないかなぁ?」
「……ふむ」
「そこで困らない」
「ねえアリス。ひとつ、提案があるのだけれど」
「何かしら」
「その前に。小悪魔、天球儀しまっちゃっていいわ。咲夜も。望遠鏡はいいからテラスにティーセットの用意をしておいて頂戴」
「……」
「さて、アリス。私と一緒に、星を眺めてくれないかしら」
「……まあ、いいでしょう」
右眉を上げながら、嘆息と共にアリスは承諾する。
「じゃあ、星を見上げながら永遠について語りましょう?」
「永遠といえば無限の時間とも言いかえらるけれど、ところで無限といえば――」
「パチュリー?」
「……はいはい」
「はい、は一回」
「イエスマム」
「マムじゃないけどマムはマダムのことで、とか繰言はいらないわよ?」
「……手ごわい」
「今夜は煙に巻かないこと」
「善処するわ」
「遵守しなさい」
「イエスユアハイネス?」
「……私も気をつけなきゃね」
アリスは苦々しい表情で呟くと、立ち上がり手を差し出す。
「アリス?」
「日が落ちるまでまだあるわ。散歩している間ならお話に付き合いましょう」
「そう。じゃあ、日の出ている間は精々付き合ってもらいましょう」
パチュリーも立ち上がり、アリスの手をとると庭に向かって歩き出す。
飲みかけの紅茶は、いつの間に以下片付けられていた。
アリスがもはやすっかりパチュリーの扱いに慣れてしまってる感があってよかったと思います。
これも二人の自然な関係なのかしら