Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

妖夢、雷鳴隠し剣をあばく

2015/10/02 21:39:55
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  一

 月のまぶしい夜であった。
 人里のとある家から男の怒号があがるや、その家の屋根が吹き飛んだ。瓦が舞い散り、屋根の無惨な穴から金色の雷があふれ出した。瓦が月明りと雷光を反射して夜桜のようであった。
 雷をまとう黒い影が躍り出た。地面に飛び降りると驚くほどの素早さで駆け抜けていく。影の過ぎたところ、あるものが散らばっていった。お菓子の数々であった。みたらし団子はあんを血反吐のようにばらまいた。きなこ餅を覆うきなこは砂とほとんど混ざり合った。ようかんは踏みつぶされた。
 ふたたび男の怒号が聞こえたときには、もう影はいなくなっていた。
 日がかわって白玉楼。
 この頃、魂魄妖夢はダイエット中であった。甘いものと炭水化物を抑えて、修行を厳しくしたのは何十日前だったか。我慢の砦は今日まで守られている。
「はい妖夢、あーん」
 居間に呼び出された妖夢を待っていたの西行寺幽々子だった。机には寒天の黒あんみつ添えが二皿ぶんおかれている。幽々子の手のれんげは寒天をすくっていた。妖夢は額にかすか光る汗をぬぐう。素振りのあとで疲れた体が甘味をほしがった。
「いえ、私はいりません」
「ふたつ買っちゃったから、ほら食べて」
 幽々子が腰をすり寄せてくる。寒天がふるえて妖夢を誘った。妖夢はいちどは首をふった。だがれんげから黒あんみつが滴ってしまいそうだった。服や畳が汚れてしまうのが不安になってきた。
 ついに耐えきれなくなった妖夢はれんげを受け入れた。幽々子の手によって口に忍びこんできた寒天はひんやりと甘い。
(ああ、またダイエット失敗だ。いつも幽々子さまに邪魔される)
 いったん崩れたものを立て直すのは難しい。妖夢は仕方なく寒天一皿を手元にひきよせた。すると幽々子が調子づいてれんげを渡してくれない。
「はい、あーん」
「あ、あーん」
 幽々子のれんげを咥えていると、ふいに廊下の気配に気づいた。霧雨魔理沙が意外そうに口を開いている。妖夢は慌てて幽々子から遠のく。
「いつの間に入った、叩き斬ってやる」
「いやさ、仕事をもってきたんだけど」
 魔理沙は幽々子に会釈しながら腰を下ろす。すでに柄に手を添わせていた妖夢であったが、幽々子の笑顔をみて思いとどまった。
「お菓子屋泥棒の犯人探し。いっしょに探そうぜ」
「霊夢に頼めばいい」
「今回は乗り気じゃないのーって。妖怪の仕業っぽくないから私には関係ないのーって」
「咲夜さんとか、早苗とか、いるでしょ」
 幽々子が妖夢のスカートをつまんで引っ張ってきた。
「お菓子屋でしょ。仕事をうけてお菓子もらってきなさい」
「そんな下心で」
「とにかくいきなさい。修行だとおもって」
 妖夢は魔理沙とともに庭先へ出ると空を飛んだ。白玉楼の長い階段をくだっている途中、魔理沙がこんなことを言い出した。
「あれ、いつもやってんのか。あーんって」
「やってるわけない」
「いつもしてそう」
「うるさい」



  二

 里に訪れた妖夢を待っていたのは深夜の見回りであった。
 お菓子泥棒をお縄にせんと魔理沙との共働き。里には元から自衛の見回り隊がいるが、そちらとは別行動である。お菓子屋主人は犯人を妖怪かなにかだと断言し、見回り隊では不足らしいとは魔理沙の言。
 月夜の下、ふたりはわかれぎわに言葉を交わし合う。
「民家も襲われたって話だぜ。だから民家にも目を通しといて」
「もはや強盗じゃない」
「お菓子泥棒だ。なぜかお菓子だけを散らかす。お菓子屋はおはぎを全部くわれたって言ってたぜ」
「お菓子が落ちてたら証拠ってこと」
「そういうこと。じゃあ一時間後にここ集合で」
 魔理沙は空から見て回るらしい。だがこの鮮やかな月夜では鳥でさえ目立つであろう。
 妖夢はしばし孤独に歩いた。
 ときおり遠くから見回り隊の足音と会話が聞こえてきた。酒屋のなかにはまだ暖簾を掲げている場所があった。だが大抵は静かであった。というのも今は中途半端な時刻なのである。深夜は深夜だがまだ人間が寝静まったばかり、妖怪が奮いだすには早すぎる。妖夢はふと昔のことを思い出した。
(こんなに静かな里は久しぶり。永夜異変のときもこんな感じだったっけ)
 妖夢はまたしても営業中の店にでくわした。玄関戸は開き放しで、店の主人らしき坊主男と目があった。
 表を歩いていると意外と人の目がある。そうとわかった妖夢は、路地裏を見回ることにした。
 ひとたび狭い路地裏に入ると、左右にそびえ立つ軒が月明りをさえぎりはじめる。夜の闇がいちだんと活気づいてきた。妖夢はなんとなくゾクゾクしてきたので、半霊を肩もとに寄り添わせる。こんなさもしい場所では、すこしでも我が身をかためたい。
 目の前から人がそそくさ歩いてきたではないか。笠を深くかぶって顔は見えぬが、肩幅からして女らしい。
 妖夢は女の服をよく確かめようとしたが、なぜかはっきりと見えなかった。どれだけ目をこらしても黒くぼやけてしまう。そうこうしていると距離が縮まってきた。妖夢はそっと壁際によって道をゆずる。
 横切る間際、じりっと奇妙な音がした。すぐにそよ風が肌を過ぎたので、妖夢はとっさに身をよじる。目の前が金色の雷でいっぱいになるや、すぐに蜘蛛の糸より細くなって消えた。
 妖夢がハッと気づけば女が走り去っていく。その右手にはまだ淡い光が灯り、三又のなにかを握りしめているのが見て取れた。
 すぐさま追いかける。
 女のすばしっこさに、さすがの妖夢も息があがってくる。里の巡りにあるすすき野原へ影は溶けていった。
(逃げられたか)
 と、妖夢はようやく立ち止まってあたりを見渡す。生えわたるすすきは夜風に揺れていた。視界は一寸先もわびしい秋の色。人影を見出すのは至難の技か。
 その矢先、妖夢は腕をしならせる。右横のすすきが一文字に斬り裂かれ、奥に見えていた黒い物体をあらわにする。すすきが落ちてみれば、いつ建てられたとも知れぬ塚石が佇んでいた。妖夢がそれと気づいたころには、塚石は真っ二つになって倒れ伏していく。
(どうした私、石と人の区別もつかないの)
 まったく妖夢としても、里で辻斬りまがいの悪意に出会うとは思わなかった。その動揺が剣さばきを乱していることを、恥ずかしも自覚せざるをえぬのである。
 しかし右手の楼観剣はまだ鞘に戻らない。妖夢は振り返りながら剣をさまよわせる。目の前がふたたびあの雷光に染まった。
 今度は正真正銘、女その人である。雷光はそれが彼女の剣か。右に左にと降りぬいてくる。だが太刀筋は甘い、妖夢は身をさばき、ときには剣でいなした。
 刃が舐め合えば火花とはまた違う小さな雷が飛び散る。雷光の剣先が、そばのすすきを焼いたりした。焦げ臭くなってくる。らちが明かないので妖夢は力強く踏み入る。見事に距離がつまったので、剣柄を女の腹にねじ入れた。人の肉とは思えぬやわらかく冷たい感触に妖夢は眉をひそめる。女はするりと退いてすすきに消えていく。
「妖夢、そこにいるのか!」
 頭上から魔理沙が降り立ってきた。それと同時にすすきがちらつくと、妖夢の目の前をわずか雷光が過ぎ去る。ピリっとした熱い痛みに頬がゆがむ。なんという速さか。
「魔理沙、空から撃って」
「さっきなんか通ったか」
「すすきを撃つ!」
 魔理沙はすばやくなにかを投げ飛ばした。豆粒くらいの大きさだったものが、一瞬で頭くらいに膨れ上がる。巷でオプションなどと言われている魔法の珠がひとつ、さっそく光って弾幕を放ちはじめる。真っ白く太い光線がすすき野原を走り抜けた。この間に妖夢は楼観剣をしまい、かわりに白楼剣を抜いた。
 光線にあぶり出されたか。女がふたたび妖夢の前に現れた。妖夢の両腕はすでに張りつめ、それを待ち構えていた。女の手に雷光が生まれつつあったが、だからなんだという。妖夢はみなぎる力で女の右肩から腰にかけて袈裟に斬りぬいてみせた。
 女は半分になるや、そのまま霧のようにぼやけていく。衣の跡や血のりなど、そんなものは何一つ残らなかった。
 まだオプションを従わせたままの魔理沙が降り立ってくる。さっきまで女がいた場所をしげしげと見つめた。
「死体が消えたぜ。幽霊かなんか?」
 叩き斬った感触は妖夢の両腕にまだ染みついている。たしかに白楼剣で斬れたのなら幽霊であろう。だがもっと気になることがあった。
「犯人は三鈷杵から雷を出していた」
「幽霊が仏具をつかうなんて」
「私が思うに、幽霊ではなく生き霊ね。犯人がわかった」
 妖夢は思いついた犯人の名を告げた。魔理沙は眉間にしわをつくった。信じていない顔である。
 翌日。
 妖夢と魔理沙は命蓮寺へむかった。
 早朝なので玄関を掃いている幽谷響子は眠たげ。通り過ぎて寺に入ると雲居一輪が真面目な顔をみせてきた。
「お客ですか。できればもうすこし日が昇ってから」
「聖白蓮に緊急の用事です。起きておられますか」
「起きてはおられますが。あ、ちょっと」
 妖夢は一輪の言葉を無視して廊下を渡った。こうやって勇んでみたはよいものの、白蓮のいる部屋を知らなかった。ぎこちなく振り返って尋ねようとすると、一輪はものも言わず先頭に立ってくれた。
 まもなくすると、庭先で星とともに洗濯物を干す白蓮がいた。一輪が声をかけると洗濯物の裏から忍び出て、ゆったりした足取りで妖夢たちのもとへ。妖夢にとって顔なじみでないこの女僧。だが、足取りの品のよさを見ては、ついかしこまってしまう。
「こんなお早い時間にすみません」
「朝も早いのにご苦労さまです。さぞ大事なお話しでしょう、部屋がよいですか?」
「ぜひ、そうしてください」
 居間へ。
 壁にかかったカレンダーには用事がことこまかに記されている。本棚は命蓮寺みんなの兼用らしく、本が雑多につまれている。仏教本、外の世界の本、ダイエット本。
 座布団にひざをたたむ妖夢と白蓮。魔理沙だけバツが悪そうにあぐらをかいていた。
「私、魂魄妖夢と申します」
「存じております」
「さっそくお話しを。いま里でお菓子泥棒が出ていることをご存じですか」
「そういえばそのような話をちらっと」
 妖夢はすこし間を置いた。唇が渇いてきた。
「実は、そのお菓子泥棒の犯人があなたではないかと思っています」
「それは、どういうことでしょうか」
「あなたの生き霊がひとりでに悪事を働いているのではないかと」
 白蓮のしとやかな笑顔が薄れて、困惑の色が浮かび上がってくる。妖夢も申しわけなさを感じつつ話を続けた。
 告げたのは昨日までの出来事であった。お菓子屋が襲われたことから、すすき野原での結末にいたるまで。ひととおり話し終えたあと、妖夢はそこで注目したことを口にする。
 気になったのは犯人が雷をともなう三鈷杵という仏具を扱うこと。三鈷杵をつかって戦う人間は幻想郷では聖白蓮しかいない。だが本人が犯行をしていたのではない。妖夢が斬った感触によると、あれは霊体であった。
 聖白蓮の力をもった生き霊が、本人の知らぬところで暴れ回っている。これが今日、妖夢が命蓮寺へ訪れた理由にちがいなかった。
 話を聞き終えた白蓮ははかない目をして、右手を唇にこすりつけた。
「本当に私の生き霊なのですか。なぜそのようなことに」
「問題はそこなんです。なぜなのか。聖さん、悩みごとがありますか」
 聖の顔がすこし揺れ動いた。視線が本棚にむけられたような気がした。妖夢も瞳だけ動かして本棚を見つめる。ついダイエット本に目がいってしまったので、何となく恥ずかしくなって視線を戻した。
「悩みなどと。欲は捨てています」
「あるはずなんです。特に聖さんは修行しておられるでしょう。禁欲的な生活は心に毒を溜めるものです」
「しかし本当に悩みなど」
「聖さん。悩みを解決しないと生き霊はまた出てきます。里でまたお菓子泥棒が出る。あいつは辻斬りをするくらい遠慮ないやつなんです」
 妖夢の力ある言葉もむなしく、白蓮の口は悩ましげにすぼんだままであった。これ以上時間をとらせるわけにもいかなかったので、妖夢と魔理沙はお暇することになった。
 命蓮寺をあとにしたころには、日が雲に隠れていた。魔理沙が命蓮寺に振り返りながらつぶやいた。
「洗濯物やばそうだな」
 とは口にしつつ、ふたりとも忠告に戻るなどという気分ではなかった。



  三

 それから何日かの間、里に平和がもどっていた。妖夢と魔理沙が重たいまぶたをこらえて見回る必要はなくなったかに思われた。が、四日目には民家から悲鳴と雷鳴が鳴り響いてしまった。
 里の見回り隊が記した調書によると、やはり今回も生き霊の犯行であった。民家にあったお菓子がことごとく散らかされ、おはぎが食べられている有り様であった。
 ふたりの生き霊退治はまだ終わらない。
 翌日の深夜、妖夢と魔理沙は見回りの準備をはじめる。通算で七日目になろうか。妖夢は慣れてきたゆえ早々に巡りはじめようとした。すると魔理沙が腕を引っ張ってくる。
「今日は待ち伏せ作戦だぜ」
「生き霊がどこに出てくるかわかっているの?」
「おはぎだよ」
 妖夢は魔理沙を睨みつけた。魔理沙はメモ帳を開きながら言葉をつづけた。
「今までの事件をみるとだな、お菓子を散らかしても食べない。食べるのはおはぎばっか。つまりお菓子泥棒の目当てはおはぎなんだ」
「生き霊をおはぎで釣って、それを待ち伏せると?」
「お菓子屋にはもう相談してある。おはぎを作ってもらったぜ」
 魔理沙はそそくさとお菓子屋の裏に忍びこんでいった。妖夢も立ちぼうけしているわけにはいかないので魔理沙の後を追った。
 ふたり、壁に背をあずけながら黙して待つ。妖夢はこの間、聖の悩みの種について考えてみた。
(聖はおはぎを食べたい? なら買って食べればいい。もしかして食べられない理由があるとか? おはぎを食べられない理由ってなに)
 妖夢の脳裏にあるものがちらつく。命蓮寺で見たダイエット本である。そして自分がダイエットをしていたときのことが思い浮かんでくる。甘いものをこらえて、喉をうずうずさせていたときの自分。
 と、お菓子屋の屋根から物音が聞こえた。ふたりは顔をあげた。息をひそめる間もなくお菓子屋の中でなにか爆発するような激しい音がした。
「かかった」
 魔理沙は玄関に、妖夢は屋根にのぼった。
 妖夢が屋根にのぼってみると、屋根の穴をふさいでいた木板が突き破られる。白蓮の生き霊が煙とともに現れると、屋根伝いから逃げ出していった。妖夢もすばやく瓦を蹴って追いかけていく。
 相手が白蓮の生き霊とわかっていれば、その黒い姿形にもよくよく見覚えを見いだせた。肩から太ももまでを覆う外套に長いくせ毛は、まさにそれ。
(やっぱり聖さんの悩みを解決しないと終わらないか)
 相手は白蓮本人の身のこなしをトレスした身軽さで、どんどん距離を開けていく。屋根から屋根へ次々とかかる墨色の橋はいかにも華麗であった。
 そのとき妖夢のそばを横切っていくものあり。魔理沙である。さすが飛行の速さを自慢しているだけはあり、生き霊を追いかけてどんどん小さくなっていった。
 生き霊と魔理沙の姿が消えた方角へ妖夢は急ぐ。里の外に打ち捨てられた廃屋がまぶしくなる。魔理沙の弾幕が空へ吸われていった。
 妖夢は廃屋の上空から様子をうかがった。雑草あふれる庭に黒服の人が倒れている。魔理沙とみるや、すぐさま降り立って抱きかかえる。
「魔理沙さん」
 と、庭に生えている松の裏から生き霊が躍りかかってくる。妖夢はすばやく魔理沙をおんぶして、むかってきた生き霊を蹴り飛ばす。それと同時に妖夢の半霊が人の形をとりはじめた。
 再び生き霊が雷光片手に迫る。
 もうほとんど妖夢の姿を真似た半霊は、すばやく本人の腰から楼観剣を引き抜き、生き霊の横腹を刺し貫く。黒いもやが散り散りになった。人しか斬れぬ楼観剣でも、霊が握れば霊を斬れるという寸法である。
 妖夢はどこか適当な場所に魔理沙を寝かせたかった。そこで廃屋の縁側に片足をのせたとき、薄汚れた障子に人影が写りこむ。ハッと気づいた刹那、人影は鮮やかな光に掻き消え、雷光が障子を突き破ってきた。間一髪、妖夢は体を一回りさせて刃から逃れる。白楼剣を逆手に引き抜き、障子へねじこんだ。かすかな手ごたえの後、生き霊が障子をバリバリと破きながら倒れ落ちる。
 まだ終わりではない。部屋の奥から立て続けに二三人の生き霊が現れる。半霊がすぐさまひとりめに斬りかかり、あとのふたりを気迫のみで部屋へと押しやってくれた。ふたりめは瞬く間に斬りかかってきたが、半霊は懐を斬り抜けていき、その威勢のまま三人目を討ち取る。
 さらに、廃屋の奥や庭先から九人、十人と新手が湧き出てくる始末。妖夢と半霊はともに顔をしかめた。
(なにこれ。分身している。ぜんぶ斬り伏せる)
 半霊がじりっとした足取りで妖夢のまわりを巡りだす。早くも三人、生き霊の分身が飛びついてきた。雷光が三度も闇を切り裂いたが、ひとつとして半霊を捉えることなく。じゅんぐりに返り討ちにあっては消え去った。
 分身の首が空に舞ったが、その背後から新たな分身が忍び出て雷光を槍のごとくしごき上げる。半霊は剣の腹で受け止める。そんな隙を突いてほかの分身が縁側を乗り越えてきた。妖夢はすばやく白楼剣を順手に持ち替え、振り下ろされんとする両腕を真っ二つにしてやった。
 こんな調子で、ふたりの妖夢は次から次へと分身をつぶしていく。庭と廃屋に人混みを作るほどだった分身らも、あっという間に数えることひとり。
 残りひとりは押し負けていると悟ってか、その場で跳躍、杉のこずえに片足をかけた。
(逃がすか)
 と妖夢が念じたときにはすでに動き出す半霊である。剣の構えをひょいと変えて、生き霊の背にむかって槍っぽく投げつける。生き霊は一瞬のけぞるや、その姿勢のままこずえから落ちて塵へともどった。あとには楼観剣だけが地面に突き立つ。
 半霊はすばやく楼観剣を抜き取りにむかった。妖夢はその間に、やっと魔理沙を縁側へ寝かすことができた。
(ついにけが人を出ちゃった。こんなことはさっさと終わらせないと)
 顔面の打ち身のほかに目立つ傷はなし。口元に耳をちかづけると吐息が妖夢をくすぐった。頬を浅めに叩いてみるが起きそうにない。ちょっと強めに叩いてみたが、しかめ面でよくわからない言葉をつぶやいた。眠っているだけらしい。
 白楼剣をしまい、半霊から受け取った楼観剣もしまう。その最中、半霊の両頬に黒い染みができていることに気づいた。そこで自分の頬をさすってみると、指先が赤く濡れる。傷に気づくと急に痛み出すものである。妖夢は苦虫をかみつぶしたような顔になった。



  四

 妖夢はすぐさまお菓子屋にもどった。眠る魔理沙を主人に預けたあと、おはぎを何個か包んでもらった。包みを片手に命蓮寺へすっとんだ。
 深夜でありながら命蓮寺はうっすらと明かりがともっている。妖怪を受け入れる寺だからであろう。本堂からごそごそと声が聞こえていた。妖夢はとにかく人を呼ぶために本堂へあがろうとした矢先、廊下から足音もなく星が現れ出る。
「冥界の? そのケガはどうしたのですか」
「聖さんに用があります。お部屋はどこで」
「聖さまとて人の子、今は寝ておられます。明日にでも」
 星の言葉を聞く間も惜しい。妖夢は星を無視して廊下を小走りした。
(寝ているということは寝室にいるわけだ)
 本堂の奥に構えられた小さな母屋へ。星が声をあげながら追いかけてくる。妖夢はかたっぱしからふすまを開けては通り過ぎ、あるひとつの部屋に目を止める。布団からはみ出るのは一度見ると忘れられない暮れの空を描くような長髪、まちがいなく聖が寝ている。
 星が妖夢の腕をつかんできた。
「こら、だから寝ていると言ったでしょう」
「起こす!」
 妖夢は星の手をつかみ返すや反時計まわりに捻ってみせる。星がかすかなうめきを漏らして一歩退くと、その隙をついて蹴り飛ばした。星が庭先で尻もちをついている間に、妖夢は白蓮の枕元に飛びつく。
「聖さん起きて」
 布団をはぎ取り肩をゆすぶると白蓮の寝息が乱れた。いまいましげにまぶたが上がる。妖夢を確認したらしい。目をぱちくりさせた。
「なぜあなたが」
「聖さん、これを食べてください」
 妖夢は片手におさめていた包みを白蓮の胸元においた。ちょうどそのとき、背後から星が飛び掛かって両腕にくみついてきた。
「帰れ無礼者め! 聖さま、そんなものは捨ててください」
「すてるな! 今すぐ食べてもらわないと、けが人も出ているのに」
 さすが虎といったところか、星の剛力はすさまじい。妖夢は拘束を解くことができぬまま、ずるずると廊下まで引きずりだされていく。だが、やっと白蓮が上半身を持ち上げて、包みを開きはじめてくれたところであった。ここで終わってはならぬと柱にしがみつく妖夢。
「聖さん、ダイエット中なんでしょう。おはぎが食べたいのに食べられないんでしょう! だから今すぐ食べて」
「なぜダイエットのことを」
 半霊がぐるりとねじれて妖夢の姿をとるや、まだ顔の形も定まらぬまま白蓮に近づいていく。星がアッと叫び、白蓮がすこし身を引いた。半霊は白蓮の手元から包みを奪い取り、おはぎをひとつ手づかみにする。ぐいっと白蓮の口元にちかづけた。
「いやっ、いりません」
「食べて。でないとまた生き霊が出てくるんですよ」
 白蓮が両腕を盾にすると、半霊は腕をつかみにかかる。白蓮の寝間着は帯がおどけて、布団はすっかり乱れていた。
「お、おはぎは」
「あなたは食べたがっている」
「食べたがっているなどと、なぜあなたに分かるのですか!」
 半霊、業を煮やしたか。白蓮に馬乗りになっておはぎを押し付ける。白蓮はとうとう泣きそうな声を漏らしはじめた。
「いや……や……イヤアアアアアアアアアアアア!」
 そのとき、白蓮の体から赤黒い炎が立ち上る。炎は火柱となって天井へ届くほどに膨れ上がり、猛烈な熱気と爆炎を解き放つ。半霊が矢のような速さで吹き飛ぶ。寝室の入り口で抱き合っていた妖夢と星でさえ、蒸し暑い熱風を感じたときにはもう遅い。正面から流れてきた圧力に押され、ふたり団子になって庭を転げ飛んだ。
「聖さま」
 星の叫びが妖夢の耳を刺し貫く。それはふたりが重なりあっているからに他ならない。急ぎわかれたふたりは寝室に目をやる。
 白蓮のいた場所に彼女の生き霊が立っている。妖夢が剣を交えたとき以上に濃い影をまとい、背にする黒炎はさながら不動明王の勢い。ダイエットに苦しみおはぎを恋い焦がれた欲は、ここまで邪悪になるものであろうか。数々の霊を見てきた妖夢でさえ背筋が凍えるほどである。
「そこの黒いの、よくわからぬが聖さまをどうした!」
 星が飛びかかる。その矢先、生き霊が右腕をふるう。三鈷杵がバチバチと爆ぜる雷光を伴って、目にもとまらぬ速さで飛んできたではないか。それが星の顔に直撃し、ふたたび地面を舐めさせる。気絶したのかそれっきり動かなくなった。その惨状を横目に妖夢は立ち上がる。
 まるで妖夢を待っていたかのように生き霊が走り出して、新たに作り出された三鈷杵は雷光を育ませる。さんざめく剣と白楼剣がぶつかりあった。
(つ、強くなっている)
 妖夢は構えた剣ごと地に寝かされかける。なのでつばぜり合いをやめて剣を弾いた。すると返す刀で視界を横切る雷撃か。
 生き霊の剣術は力、技ともに上達していた。妖夢が右に避ければ右から襲われる。左に退こうとすれば、もうそこには雷光が待ち構えている。そして反撃に挑めば当たらぬ、いなされる。またこれ、いなされたときの力強さよ、衝撃が剣を通じて妖夢の腕をゆすぶってくる。おもわず剣を取り落としてしまいそうになる。
 ようやく立ち上がってくれた半霊が生き霊の背後をとらえる。妖夢はここと見るや、片手で斬りつけるふりをする。生き霊は見事に釣られて構えた。その隙をついてもう片手が楼観剣を鞘から抜いて投げた。ちょうど反対側にいた半霊がつかみ取り、勢いのまま生き霊を襲う。
 が、ここでも生き霊は尋常ならざる体術を浮き彫りにさせた。半霊と妖夢の挟み撃ちを太刀筋だけで崩してみせるや、華々しい跳躍をしてみせる。妖夢は前の戦いのように白楼剣を投げつけたが、かいなく蹴り弾かれてしまった。
 妖夢は生き霊を追うため、そして空中に羽ばたく白楼剣を取り戻すため飛び上がる。目指した先は命蓮寺の屋根の上、瓦が月明りを跳ね返してまぶしい。
 半霊も屋根についたと同時に生き霊を狙う。首をねらった一振りはなにも斬らずじまい。しかし妖夢が距離をつめる時間は稼げた。足を薙ぎ払おうとすると、また飛び上がる生き霊、半霊の肩を蹴ってトンボ返り、妖夢の背後をうばう。振り返りながら剣を放てど、やはり逃げられる。
 こんなやり取りが何度もつづく。月夜に踊る影三つ。屋根の上を自在に泳ぎ回って、一見どちらが有利とも言いかねた。しかし、戦う本人はしかと感じ取っていた。妖夢は半霊を兼ねた立ち振る舞いである。心身ともに疲れはひどくもはや荒い呼吸を隠すこともできない。服はたっぷり汗を吸い取って重たいほどである。ひしひしと、ある事実を痛感しはじめていた。
(こんなの、ただの斬り合いじゃ勝てない)
 雷鳴とどろく剣戟のさなか、妖夢は勝つ方法を探る。剣を投げる奇襲はもう見抜かれている。妖夢の剣術はほぼすべて取りこまれている。二人で追い詰めても甲斐なし。
 しばらくして生き霊が距離をとってくれた。鬼瓦の上に降り立つ姿はいかにも得意げである。妖夢は苛立ちながらまだ試していない方法に打って出る。
 半霊がいつもの丸い姿にもどり、妖夢のうしろに縮こまった。妖夢は受け取った楼観剣をもういらぬと鞘にしまう。のこす白楼剣も、なんと鞘にしまう。まったくの手ぶらで生き霊に立ちはだかった。
 妖夢は額から垂れてきた大粒の汗をなめとる。生き霊は様子をうかがってか動かなくなった。お互いに立ち止まったことで、場は一気に静まる。三鈷杵からのびる雷光がチリチリと鳴いている。それが草むらに住まう秋の虫の音色と重なるのであった。
 瓦が一枚、屋根からこぼれかかっている。先ほどまでの戦いで、妖夢か生き霊かのどちらか蹴ってしまったものであろうか。グラ、グラ、と傾きを繰り返す。そのとき、遠方のすすき野原に波模様が生まれた。波がどんどん命蓮寺にせまってくる。すすき野原は庭先で終わっていたので、そこから波も見えなくなった。ほんのちょっと雑草が揺れた。
 妖夢の頬にざあっと風が吹きつけてくる。初秋らしい肌寒い風であったが、戦いの熱にほてっていた妖夢の肌にはちょうどよかった。瓦の揺れが乱れて、カンッと音をたてながら屋根の下に見えなくなった。
 静止していた生き霊の姿が掻き消える。だが、それこそが妖夢の待ち望んでいたもの。もともと見張っていた目をさらに見張り、ほとんど不可視の速度で迫り寄る生き霊を見定める。楽にしていた腕を鞭のようにしならせ、白楼剣を風にのせる。
 剣を振りぬいた風切り音だけが響いた。気づけば妖夢と生き霊は背中合わせ。妖夢はカッと目を見開いたまま。息はとまったまま。腕は剣を振りぬいた形で硬直したまま。全身が緊張にこわばっていた。
 やがて雷のとどろきがおさまっていき、聞こえなくなる。妖夢が恐る恐る振り返ってみると、そこにはもう何も立っていなかった。
 妖夢は初めて、居合というものをしたのであった。



  五

 翌日になる。
 生き霊の大暴れは命蓮寺をあわただしくさせた。白蓮の寝室はめちゃくちゃになり、屋根は瓦がいくつも割れていた。妖夢はこのことを深く反省したが、彼女以上に白蓮が反省の色をみせた。
「私がおはぎを拒んだばかりにこのようなことになってしまいました。申しわけありません」
「謝るのは私です。いきなりおはぎを食えといわれて、食うやつはいません」
 白蓮と妖夢は客間にいた。妖夢は体の至るところに包帯を巻いて痛々しい。深手を負ったわけではないが、無数の切り傷を隠すためであった。
 ちゃぶ台の上の皿にはおはぎが盛り付けられている。白蓮はそのひとつを箸でとって一口で頬張った。満面の笑み。
「よく私がダイエット中であると気づけましたね」
「実は私もダイエット中でしたので。もしやと思って。けど、そんなにおはぎが好物なんですか」
「好物というか。その、おはぎをとっておいたのです。けど寺の誰かが食べちゃったのですね。ダイエット中だし、ちょうどいいいかなと思いつつ、後悔が」
 なるほどなと妖夢は合点した。
 もともと白蓮はダイエット中ゆえに甘いものが食べられぬ鬱憤がたまっていたのであろう。そんな中でとっておいたおはぎは、ある種の心の支えだったに違いない。ダイエット中だけど、どこかで食べよう、いつか食べようというおはぎ。それが食べられてしまった。しかしダイエット中なのでそのことを言い出せない。気持ちはもやもやしっぱなし。これが邪念を目覚めさせる引き金となったわけか。
 とにかく事情もハッキリとした。後始末は残っているが。
「聖さん、お菓子屋さんの家が壊れてしまったことですが」
「すでに弁償のため一輪を使いに出しております。妖夢さんが心煩わせることではありません」
「そうですか」
「魔理沙さんにもお詫びをしないといけませんね」
 後始末に関しても世話は無用とわかった。これにて一件落着かと思った妖夢、立ち上がろうとしたところ、白蓮が手招きをする。妖夢が腰を下ろし直すと、白蓮はにこにこしながらおはぎを差し出してきた。
「妖夢さんにもお詫びをします」
「いえ、そのような」
「はい、あーん」
 こしあんのたっぷり重なるおはぎである。あんの甘い香りが、まだ朝食も済ませていない妖夢の鼻をくすぐってくる。きっと中の餅もどっしりして旨かろう。ダイエットという言葉が脳裏をよぎったのは一瞬、口は自然に開いていた。
「せめてものお詫びですから、あーんって」
「あ、あーん」
 ほんのり甘いあんを下の上ですりつぶしながら、妖夢は恥ずかしいやら美味しいやら複雑な気持ちであった。
(こんな有り様じゃ私の生き霊が暴れることはないだろうな)
妖夢と聖にチャンバラをさせたかった。
今野
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
ダイエットはブラフにしておいてもう一工夫欲しかったかな。
ただ「あーん」の伏線は素晴らしい。
2.名前が無い程度の能力削除
おはぎ食べたさの執念が深すぎるw

誤字
>ほんのり甘いあんを下の上ですりつぶしながら
舌の上
3.名前が無い程度の能力削除
あまりやせすぎると体に悪いですよ!
4.名前が無い程度の能力削除
最初はなんだぬえの仕業か、そういえば鵺は雷鳴の轟きがその鳴き声と言われたこともあったような無かったような。白蓮に見えたのはぬえの偽装か正体不明の種による錯覚か、なーんて思ったりしていたらストレートに白蓮の生き霊の仕業と言われてかえって驚いたw
しかし妖夢に剣豪ものをやらせると実に似合う。立ち合いの張り詰めた緊張感などはとても良い空気を出していたと思います