第128軌道ポーター駅の閑散としたプラットフォームに辿り着いたレイセンはうんと背筋を伸ばして、巨大な三角形がいくつも貼りあわされた幾何学模様の空をつま先立ちになって見上げた。反射防止や赤外線カットが施された三層コートの華氏八百度にも耐える特殊ガラスに覆われた漆黒の空に、デブリの衝突や宇宙線に絶えずさらされ日々劣化する表層のコーティングを補修すべく天井磨きたちを乗せたハゴロモの隊列が、天蓋の太い支柱に沿ってさながら軍隊ありの行進のようにひっきりなしに行き交うのが見えた。
軌道車を待つ間、レイセンは鼻をフンフンさせながらゆっくりと身体を左右に揺すった。やがて軌道車の先頭車両がわずかな駆動音と共に滑り込み、プラットフォームの空気を撹拌した。レイセンはスカートがめくれてしまわないように両手で押さえた。軌道車は慣性制御モーターの低いうなり声を上げて停車した。エアロックが解除される小気味良い音と共に乗降口が勢いよく開き、乗客がゾロゾロと降車するのを待ってから、レイセンは最後尾の車両に乗り込んだ。浮上式の車体がわずかに沈み込む感触を足下に感じながらデッキを歩き、窓際のシートに小柄な身体をうずめた。発車のベルが鳴り、車体が音もなく滑り出した。慣性制御モーターが加速時のGをほとんど感じないくらいにまでやわらげた。
レイセンは外の景色に視線を移した。人工太陽を反射して白く輝く高層ビルのガラス窓の海の向こうに、天球を支えるミハシラの威容が見えた。中央集権の醜悪なモニュメントであるこの構造物は、大地に接する部分が最も太く、上に行くほど細くなり、巨大な蟻塚を思わせる尖塔の最上階はドームを貫いて宇宙空間にまで達しており、胞子をばら撒くように絶えずハゴロモを吐き出し続けていた。一辺が60フィートもある月夜見の肖像画とその下に掲げられた『月夜見様があなたを見ています』のキャプションがものすごい勢いで後方に飛び去っていった。レイセンは静かに目を閉じ、頭頂部に伸びた二本の長い耳を
総合ニュース(65ch)
爆破事件に流刑囚関与か――週末の買い物客でごったがえす北極星通り77番街のウキウキするようなショーウィンドウの前を、着剣した九六式小銃をかついだ治安部隊の一団が隊列を組んで通り過ぎる。洗練された街並みのいたるところに歩哨が立ち、繁華街を行き交う人々の不安と好奇の視線を集めている。
委員会が地上人による自爆テロであると早々に断定した爆破事件は、通りが最も混雑する午後の時間帯を狙って起こされた。瀟洒なショーウィンドウを粉々に破壊し、陳列された商品をなぎ倒し、多くの人命を奪った爆風は、32階建ての商用ビルの一階部分(そこには人気のカフェーがあった)を一瞬にして空虚な灰色の穴蔵に変えた。旧式の火薬に遠隔制御を必要としない原始的な着火装置を組み合わせただけのあまりにシンプルな爆発物は、都の周囲に何重にも張りめぐらされたセンサーの網をまんまとかいくぐり、犯人はそれを手動で起爆させるという到底信じがたい方法でその目的を達成した。「本件には地上の穢れた罪人どもが関与している」と委員会創設以来のメンバーで軍内部の情報部門とも繋がりが深いとされる大物委員のV氏は意気揚々と語る。「我々はその確かな証拠をすでに握っている」
爆破事件の後処理めぐり部局間に隔たり――落とした菓子にアリが群がるように、真っ白な防穢服に身を包んだ清掃兎たちがどこからともなく這い出してきて、毒々しい黄色地に目立つ黒字で『穢れ』と大きくプリントされたおなじみの規制線を張って人払いをはじめた。彼女らは防穢加工の施された専用袋に遺体を手際よく回収し、ちぎれた人体の一かけらも残すまいとピンセットを手に地面に這いつくばり、おびただしい血のあとを高圧洗浄機と専用の浄化剤で徹底的に洗い流した。そうして現場から一切の痕跡を運び去っていった。
職業的――と呼ぶにはあまりに人情味に欠ける彼女らの迅速なミッションによって、到着から数時間と待たずに生々しい事件の痕跡はすっかり浄化された。しばしば事件解決の糸口となり得る重要な手がかりでさえも根こそぎ持ち去ってしまう彼女らの強引なやりくちに異議を申し立てる権利は治安当局者にも与えられていない。「委員会は穢れの処理に執心するあまり犯人の証拠隠滅に加担している」と治安部門の某兎は実名を公表しないことを条件に取材に応じた。一方で、浄化局の元幹部P・N氏は次のように反論する。「穢れを取り除くことは他の何よりも優先されるべきだ。これは委員会の方針でもある」
政府広報(36ch)
聖書朗読――(男声で)生き残りを賭けた長い闘いの末に海は穢れ、そして勝者だけが穢れ無き地上に進出した。陸上ではさらに壮絶な生き残りを賭けた闘いが繰り広げられた。ある者は肉体を強化し弱者を食糧にした。またある者は数を増やし食べられながらも子孫を増やした。陸上を離れ空に穢れのない世界を求める者も居た。地上を諦め再び海に戻る者も居た。勝者はほんのわずかであり、数多くは戦いに敗れ全滅した。生命の歴史は戦いの歴史である。常に勝者を中心に歴史は進む。そんな血塗られた世界だから地上は穢れる一方だった。生き物は本来いつまでも生きることができるのだが、穢れが生き物に寿命を与えた。生命の寿命は短くなる一方だった。現在、地上は百年以上生きる事の出来る生き物がほとんど居ない世界になってしまった。しかし穢れが与える寿命の存在に気付いた賢者がいた。その賢者は満月が夜の海の上に映るのを見て、穢れた地上を離れることを決意したという。海から地上へ、地上から海へ移り住むかの様に、賢者は地上から月に移り住んだのだ。その方が月の都の開祖であり、夜と月の都の王、月夜見様である。……(女声で)新・現代訳聖書、次回の朗読は第四章『月の遷都』です。明日のこの時間にお会いしましょう。皆様に月夜見様のご加護がありますように。
各種データ放送(12ch)
明日の天気――明日は第5行政区から第8行政区にかけて、13時から15時までの間に30分程度、浄化スプリンクラー点検に伴う降雨、その他の地域は晴れる見通し。宇宙線量及び大気中の穢れ濃度は基準値以下。人工太陽の照射時間は6時から18時です。
オープンチャット――軍事/公安/裏話(882ch)
MOFU:そこらじゅう検問だらけだけど何かあった?>ALL
REISEN:こんにちは
DANGO:ヒント/77番街/あとは自分で調べろ情弱>MOFU
CHEESE:ライブラリ漁ったけど映像ないね/規制かかってる?
CHEESE:こんにちは>REISEN
SUIREN:総合で地上人の関与って出てたけどあれってもう確定?
OMOCHI:委員会が言及したってだけでまだ証拠は出てないはず>SUIREN
DANGO:アポロで遥々飛んできたってか?>SUIREN
RINGO:何年か前に侵入されてるよね>DANGO
KKK:生命科学の無節操な発展によって我々の尊厳は永久に失われた
TECH_LAB:デバイス一切使わない起爆装置作ればセンサー類騙して持ち込むことは可能
TECH_LAB:おもちゃみたいなアポロ型宇宙船でたどり着けるかは知らんけどね>DANGO
REISEN:目撃証言とかないの?
CHEESE:直前に全身黒ずくめの怪しい男が目撃されてたとかそんな?>REISEN
KKK:死は終わりではなく次の生の始まりにすぎない/故に我々は闘争を開始したのだ
OMOCHI:何か変なの湧いてるね
RINGO:純化された馬鹿が多いんだよ最近>OMOCHI
KKK:我々は穢れによって生物本来の生を取り戻すのだ
KKK:世界に穢れを!/生命に死を!
「
背後からの声に、レイセンは意識を急浮上させてハッと目を開いた。振り向くと、一つ後ろの席に鈴瑚が座っていた。鈴瑚は目深にかぶるハンチングの
「こんにちは、二号さん」
「いるならいるって言ってよ」レイセンは頬を膨らまして抗議した。
「あんたがどんな顔で《おしゃべり》するのか、つい見たくなっちゃってね」鈴瑚は悪びれる様子もなく、ずるそうな顔でヒヒヒと笑って続けた。「いつも訓練漬けのあんたが街をぶらつくなんて珍しいじゃない。それとも飼い主様のお使いかな?」
「あんたには関係ないわ」レイセンはぷいとそっぽを向いた。
「77番街に行ったろ」鈴瑚は中に串団子が数本入った樹脂製の黒いケースのふたを開けて、それをレイセンの顔の前にぐいと突き出した。「で収穫はあったかい、可愛い兎ちゃん?」
レイセンは小さくため息をつき、団子の一本をケースからつまみ上げ、口に入れた。合成甘味料のお仕着せがましい甘みが口いっぱいに広がる。
「ないわ、きれいさっぱり、痕跡のかけらもありゃしない」
「だろうね」鈴瑚も一本つまみ、口に入れてムグムグと咀嚼した。「聞いた話じゃ救護隊が駆けつけた時には、もう清掃兎たちがあらかた作業を終えていたそうだよ。あのシロアリどもときたら、まだ息のある連中でさえ死体と一緒に袋に詰めて持ち去っちまう。当然証拠も何も全部洗い流してパァだ。穢れの処理が最優先なのさ」
レイセンは眉をひそめた。
「それで、どうして地上人の仕業ってことになるの?」
「委員会が一度こうと決めれば、もう誰にも覆すことはできない。あんたがどんな事実を望もうとも、だ。なあ同志、あんたが望む事実っていったい何だ?」
レイセンは答えなかった。鈴瑚はわずかに目を細め、続けた。
「飼い主を庇いたい気持ちはわかる、でも嘘はいけない。77番街で何を見つけた?」
電気ショックを受けたみたいにレイセンの身体がびくりと震えた。レイセンは車窓の外に目をそらした。『すべての兎たちに労働を!』と書かれたキャプションが目の前を通り過ぎた。鈴瑚は二本目の団子をたいらげ、三本目に手を伸ばした。レイセンが外の景色を眺めながら言った。
「太るよ?」
「まさか、カロリーたっぷりの地上の団子じゃあるまいし」鈴瑚は三本目を口に運ぶ手を止め、見ようによっては蓬莱の玉の枝に見えなくもないその白い球体をしげしげと見つめた。「前から聞きたかったんだけどさ……」
「なに?」レイセンは紅い瞳を鈴瑚に向けた。
「あんた地上に降りたことがあるだろ、地上の団子ってのは、その、うまいのか?」
「ええ、とっても」レイセンはにこりと微笑んだ。
「ふむ」鈴瑚は腕を組み、シートに深く身を凭せた。ハンチングの庇がうつむき加減の目線を隠した。鈴瑚は尋ねた。「なあ同志、もし地上に住むことが許されるなら、あんた地上に住みたいか?」
「うーん、どうだろ」レイセンは小首を傾げた。「そりゃ食べ物はおいしいけど……でもどうして?」
「我々玉兎に生き方を選択する権利はない。生まれてから死ぬまで同じ仕事をする。あんたみたいに飼い主が変わるのは稀だ……あんたはどう、仕事が変わって後悔とかしてない?」
鈴瑚は話している間中ずっと夢中で串団子を振り回していたが、突然それをインタビューマイクのようにレイセンの鼻っ面に突きつけた。レイセンは両手でそっとインタビュアーの手を優しく包み込んだ。
「仕事いやなの?」
「あんたの飼い主がやろうとしていることは」鈴瑚は真っ赤にした顔を庇で隠しながら、ごわごわしたハンチングの上からばつが悪そうに頭を掻いた。「単に誤りというだけじゃなく、戦略的にも危険なんだ。それでなくとも八意様の件で委員会の権威は著しく損なわれたというのに……あんたの飼い主は地上との距離が誰よりも近い、いや、近すぎると言っていい。もっと自分の立場を自覚すべきだ」
「何それ、心配してくれてるの?」
「あんたにウロチョロされると私の仕事的にも迷惑なの。いい、忠告はしたからね」
ふいに軌道車が急ブレーキをかけたので車両が大きく揺れた。一瞬遅れて慣性制御モーターが減速Gを打ち消したので揺れはすぐに収まった。レイセンは窓にはりついて車両の前方を確認した。軌道は長く緩やかなカーブを描いていたので、先頭車両のさらにその先まで見通すことができた。八本足の偵察戦闘車両が一台、軌道を塞いでいるのが見えた。車掌室からクリーム色の制服を着た兎が血相を変えて飛び出していった。「神聖な軌道の運行を妨げるなんて、穢れてしまいます!」
前方からモスグリーンの軍服を着た三匹の兎が近づいてくるのが見えた。三匹のうち二匹は治安部隊のものよりは一回り大きな小銃で武装していた。残りの一匹は隊長らしく、武装した二匹を背後に引き連れて歩いた。車掌が三匹に近づいた。隊長は部下の一匹から小銃をもぎ取り、やたらと両手を振り回して何かわめき散らしている車掌の腹部を銃床で殴りつけた。車掌はひざから崩れ落ち、軌道脇の砂地に転がった。レイセンは後ろの席を見たが、すでに鈴瑚の姿はなかった。エアロックが強制解除されて、左肩に《片翼の白鷺》の部隊章をつけた兎たちが車両に乗り込んできた。
「レイセンはいるか?」中尉の肩章をつけた隊長の兎が威嚇するような低い声でわめいた。
レイセンは俯いたまま息を殺してじっとしていた。
「お前がレイセンか?」隊長は二つ前の席にいた別の兎の胸ぐらをいきなりつかんだ。
「ちっ、違います!」
「やれ」
部下が銃床で兎の頭部を殴った。シートに血の飛沫が飛び、悲鳴が上がった。レイセンは恐ろしさのあまり思わず隊長の顔を見上げた。残酷な紅い目と視線が合った。隊長は殴り続けている部下に片手を上げて下がらせ、レイセンの前までゆっくりと歩き、血の気を失った蒼い顔を見下ろした。顎をしゃくって部下の一匹を呼び寄せ、部下はレイセンの鼻先に令状を突きつけた。
非常事態法第●●条■■項の規定に基づき被疑者 レイセン の無期限の勾留を認める。
中央委員会特令第×××号
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