ありきたりな悩みのせいで眠れなかった。
それでも目を瞑って、寝返りを打って、布団を額に擦り付けてなんとか眠りを手中に収めようと奮闘したのだが、私も最後にはそれが徒労であることを認めた。
季節の変わり目で鼻風邪を引いていて、肺に入ってくる空気は生ぬるくざらついていた。
私は一部がいがいがと切り立って妙に冴えた頭を抱えて、とりあえず水でも飲もうと思いふらふらと立ち上がった。
廊下はひんやりとして足に気持ちが良かった。
ぺたぺたと吸いつくような音がして、少し気分が晴れた。
茶の間の方に歩いているうちに、ぺたぺただけでなく、何か別の音が聞こえだした。
……こんな夜更けに、これはおかしなことだと思った。
夜盗だろうか。
生きた神のいる神社に盗みを働こうなどという命知らず、そんなものが幻想郷にいるだろうか。
まあ良いや、なんでも、と思った。
私だってただの人間ではない。
眠れなくていらいらしていたし、盗人をどやしてやるのも一興だと思ってずんずん進んでいった。
「げ……あ、なんだ早苗か」
「何が『あ、なんだ早苗か』ですか」と私は言った。
諏訪子様が見慣れた金髪を揺らしながら何かをもそもそと召し上がっていた。
薄暗い行灯の明かりの中で、彼女の髪は異様に妖しく輝いていて、ああ、やっぱりこの方は人間じゃないんだな、といがいがした頭でぼんやりと考えた。
でも、薄明かりの中でこっそりと食べ物をつままれるお姿は、人ならざる者にしては存外に可愛らしくて、私はさっきまで想定していた邪悪な盗人の姿とのギャップも相まってどうにも微笑ましく思ってしまった。
「なにしてるんですか」
「えー? 神奈子には内緒だよ?」
「いえ、良いですけど、案外もう知ってるかもしれませんよ」
「うん、私もそれは否定しかねるよね」と言って諏訪子様はうんうんと頷いた。「まあでもこう、後から振り返ってうじうじ叱られる方が、見つかってその場でどやされるよりは、瞬間最大風速が低いっていうか?」
「はあ」
「だから、早苗さんにはね、黙ってて欲しいなって。ほら金平糖」
「あら」
喋りながら、諏訪子様がそれをつまんでこっちに持ってこられるので思わず手を出してしまう。
行灯の温かい明かりの中で、つぶつぶの砂糖の結晶は本当に儚くて可愛らしく見えた。
そんなものをわざわざ家族に隠れて召し上がる諏訪子様はもっと可愛らしかった。
「ありがたいですけど、その、私もう歯磨いちゃいましたし」と一応私は言ってみた。
「案外良い子ちゃんなこと言うんだね。こんな夜更けにふらふら出てきたくせに」
「眠れなかったんですよ」
「ああ、そうだ、あんた風邪引いてるよね。ねーじゃあ、やっぱ甘いものは取らないとね。元気が出ないよ」と言ってにこにこと笑う。
言い訳も苦しくなってきたし、こんな可愛らしい秘密を共有するのを無下に断るだなんて無粋も良いところだと思い始めたので、私はありがたくそれを口に入れることにした。
指でつまんでやると、角が手の熱で少し溶けてぺったりとした。
口に入れると涼しい甘さが広がった。
舌の上で転がるときにつぶつぶが気持ち良かった。
「美味しい」
「うんうん」
諏訪子様も袋から一つ取り出して口に入れられた。
舌の上でそれをころころと転がしながら袋の口をしばられた。
「さー見つかっちゃったし今日はこれでおしまい」
「はい」
「早苗はどうする? ちゃんと眠れる?」
「はい……水を一杯飲んでから」
「一緒に寝てあげようか?」と諏訪子様は笑っておっしゃった。
「あ……それ良いかも」と私は思わず言った。
諏訪子様はびっくりされた。
「えー? ほんとに? 私寝相悪いよ?」
「自分で言ったのに……」
「いやあ、うんまあそう。そうね。早苗からそんなこと言ってくれるなんてね。いやあ、夜更かしもするもんだね」
「そうね」と神奈子様が低い声でおっしゃった。
諏訪子様は飛び上がった。
私も飛び上がった。
「早苗はお水飲んで部屋に戻ってちゃっちゃと寝なさい。諏訪子はこっち」と言って諏訪子様をずるずる引っ張って行かれた。
私はまだどきどきしていた。
お水を飲んで寝床に帰る頃には頭のいがいがはなくなっていた。
なんとか寝られそうだった。
眠りに入る直前、そうだ、さっきは神奈子様はちょっとだけ拗ねていたのかもしれない、と思い当たった。
神奈子様が出てこられたとき、じゃあ三人で寝ようと言えば良かったのだ。
明日はそう言おう、と思った。
そして、もしかすると、もしかすると神奈子様だって夜更けに金平糖を召し上がりたかったかもしれない。
それはちょっと訊けそうもないけれど。
それでも目を瞑って、寝返りを打って、布団を額に擦り付けてなんとか眠りを手中に収めようと奮闘したのだが、私も最後にはそれが徒労であることを認めた。
季節の変わり目で鼻風邪を引いていて、肺に入ってくる空気は生ぬるくざらついていた。
私は一部がいがいがと切り立って妙に冴えた頭を抱えて、とりあえず水でも飲もうと思いふらふらと立ち上がった。
廊下はひんやりとして足に気持ちが良かった。
ぺたぺたと吸いつくような音がして、少し気分が晴れた。
茶の間の方に歩いているうちに、ぺたぺただけでなく、何か別の音が聞こえだした。
……こんな夜更けに、これはおかしなことだと思った。
夜盗だろうか。
生きた神のいる神社に盗みを働こうなどという命知らず、そんなものが幻想郷にいるだろうか。
まあ良いや、なんでも、と思った。
私だってただの人間ではない。
眠れなくていらいらしていたし、盗人をどやしてやるのも一興だと思ってずんずん進んでいった。
「げ……あ、なんだ早苗か」
「何が『あ、なんだ早苗か』ですか」と私は言った。
諏訪子様が見慣れた金髪を揺らしながら何かをもそもそと召し上がっていた。
薄暗い行灯の明かりの中で、彼女の髪は異様に妖しく輝いていて、ああ、やっぱりこの方は人間じゃないんだな、といがいがした頭でぼんやりと考えた。
でも、薄明かりの中でこっそりと食べ物をつままれるお姿は、人ならざる者にしては存外に可愛らしくて、私はさっきまで想定していた邪悪な盗人の姿とのギャップも相まってどうにも微笑ましく思ってしまった。
「なにしてるんですか」
「えー? 神奈子には内緒だよ?」
「いえ、良いですけど、案外もう知ってるかもしれませんよ」
「うん、私もそれは否定しかねるよね」と言って諏訪子様はうんうんと頷いた。「まあでもこう、後から振り返ってうじうじ叱られる方が、見つかってその場でどやされるよりは、瞬間最大風速が低いっていうか?」
「はあ」
「だから、早苗さんにはね、黙ってて欲しいなって。ほら金平糖」
「あら」
喋りながら、諏訪子様がそれをつまんでこっちに持ってこられるので思わず手を出してしまう。
行灯の温かい明かりの中で、つぶつぶの砂糖の結晶は本当に儚くて可愛らしく見えた。
そんなものをわざわざ家族に隠れて召し上がる諏訪子様はもっと可愛らしかった。
「ありがたいですけど、その、私もう歯磨いちゃいましたし」と一応私は言ってみた。
「案外良い子ちゃんなこと言うんだね。こんな夜更けにふらふら出てきたくせに」
「眠れなかったんですよ」
「ああ、そうだ、あんた風邪引いてるよね。ねーじゃあ、やっぱ甘いものは取らないとね。元気が出ないよ」と言ってにこにこと笑う。
言い訳も苦しくなってきたし、こんな可愛らしい秘密を共有するのを無下に断るだなんて無粋も良いところだと思い始めたので、私はありがたくそれを口に入れることにした。
指でつまんでやると、角が手の熱で少し溶けてぺったりとした。
口に入れると涼しい甘さが広がった。
舌の上で転がるときにつぶつぶが気持ち良かった。
「美味しい」
「うんうん」
諏訪子様も袋から一つ取り出して口に入れられた。
舌の上でそれをころころと転がしながら袋の口をしばられた。
「さー見つかっちゃったし今日はこれでおしまい」
「はい」
「早苗はどうする? ちゃんと眠れる?」
「はい……水を一杯飲んでから」
「一緒に寝てあげようか?」と諏訪子様は笑っておっしゃった。
「あ……それ良いかも」と私は思わず言った。
諏訪子様はびっくりされた。
「えー? ほんとに? 私寝相悪いよ?」
「自分で言ったのに……」
「いやあ、うんまあそう。そうね。早苗からそんなこと言ってくれるなんてね。いやあ、夜更かしもするもんだね」
「そうね」と神奈子様が低い声でおっしゃった。
諏訪子様は飛び上がった。
私も飛び上がった。
「早苗はお水飲んで部屋に戻ってちゃっちゃと寝なさい。諏訪子はこっち」と言って諏訪子様をずるずる引っ張って行かれた。
私はまだどきどきしていた。
お水を飲んで寝床に帰る頃には頭のいがいがはなくなっていた。
なんとか寝られそうだった。
眠りに入る直前、そうだ、さっきは神奈子様はちょっとだけ拗ねていたのかもしれない、と思い当たった。
神奈子様が出てこられたとき、じゃあ三人で寝ようと言えば良かったのだ。
明日はそう言おう、と思った。
そして、もしかすると、もしかすると神奈子様だって夜更けに金平糖を召し上がりたかったかもしれない。
それはちょっと訊けそうもないけれど。