Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

ARA_HABAKI.

2013/11/04 23:22:15
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一歩足を踏み出した途端に空気が変わったことにより豊聡耳神子は理解した。
境界。その一線を越えたのだ。
だからといって歩みを止めることもなく、神子と布都はゆるい坂道を登り続けた。
此処からコチラは妖怪の跋扈する世界であるが、此処からアチラは神の支配する領域。
見た目こそ先ほどから長々と歩かされている道ともいえぬ道となんら変わりは無い。
しかし違いはハッキリしている。
神域。
足を止めずに耳を澄ます。妖怪の世界であれば多数の欲が届いたものだ。しかし今は何も聞こえない。黙とし足を動かせば耳に入ってくるのは二人の吐息と無心に草土を踏む足音のみ。
ざわり。木々がさざめいた。
枝葉を揺らし吹き抜けた風は少しばかりの運動で汗ばんだ体には心地よい。
高きに行けば感ずる風も冷たくなるという。そのこともより静謐さを際立たせている一因となっているのかもしれない。
ふとした木漏れ日に顔を上げれば清々しく突き抜ける青い空が見える……なんて期待はすぐに吹き飛ぶ。妖怪が住んでいなければ人の手が入っているわけでもなし。鬱蒼と茂る原生の林は来る者を拒む為のものか、それとも内に囲うモノを出さぬ為のものか……。
見上げた先の空は木々に閉ざされておりほとんど拝むことはできなかった。

「――参ったものだのぅ」
物部布都がぽつりと呟いた。
道中は獣道。布都は惜しみなく脚を露出した己の服装を今回ばかりは嫌った。同じく神子も脛、脹脛を萱草に傷つけられることを鬱陶しいと感じていた。

やはり黙々と。獣すら歩くか怪しい草むらと木々の間を進めば脇に湖が現れた。湖には妙な柱が林立する。明らかな人工物ではあるがそれらのもつ意味は神子には見出せなかった。
湖に突き刺さるそれらをいぶかしげに眺めつつなお歩き続ければ、ようやく道が開け、石畳が見えてくる。石畳を歩ききった先には山坂に沿って丁寧に石段が積まれている。
汚らわしい土くれと草むらにようやっと別れを告げることができる。古き貴族思想とはなかなか別れを告げられない神子と布都はそうして石段を上って行く。
しばらくして、目当ての鳥居がようやく姿を見せた。



「むっはぁー!何という無礼者の集まりじゃ!どうなっておるのだこの山は!!」
「あ。死体さん、お久しぶりです」
「尸解仙じゃ!無礼者!!」

石段を登り鳥居をくぐる。鳥居の先に人影を見つけると相手が何者かも確認せずに布都は腹いせに怒鳴りつけた。

「って。なんだ早苗か。元気か?最近は姿を見せぬからどうしているのかと思っておったぞ」

冷静に相手を確認すれば、そこにいたのは東風谷早苗。
早苗はつい最近まで神子や布都が根城とする道場に通い布都に道教の指導を受けていた。はじめのころこそ足しげく通っていたので布都も適当ながら早苗に道教のなんたるかを教えていたが、最近はとんと姿を見せなくなっていた。

「元気ですよーこのとおり。貴女みたいに死んでもいませんし」
「お久しぶりです。春の目覚めの時以来ですね。お元気そうでなによりです」
神子は手にした笏を口元に当てた。うわぁ聖徳王。と大げさに驚いてみせた後、お久しぶりです、と早苗は返した。

「改宗した、と聞いていましたが」
「はい。改宗したのです。二回ほど」
「あら、そうだったの。それは残念ね」
「おぬしならいい仙人になれるのにな」
「仙人はもういいかな。ところで今日はどういったご用件で?……神前に見えるには、随分なご格好ですけど」
そう言うと不躾ながら早苗は二人のいでたちをつま先から脳天まで嘗め回すようにしげしげと見つめる。
なるほど早苗のいうように、二人は草むらを通ってきたがゆえの生傷だらけの皮膚。加えて獣道を通っただけでそうなるとは思えないほどのぼろぼろの服装をしていた。
早苗の指摘に布都はむすっと口をへの字に曲げ、この程度は鍛えているのですぐ治るけれどね、と神子は苦笑いをつくった。

「いえね。郷に入れば郷に従えと言うでしょう。私たちはここでは新参者。ですからそろそろ先駆者たちにご挨拶をと思い守矢神社にお邪魔しようとしたの。それが……」
「それが何だ!」
布都が神子の言葉を継ぐ。
「神社を目指そうと山に一歩足を踏み入れるなり、犬だの河童だのカラスだの妖の類がわんさかと!!力の差がわかるやつは太子様のお姿を見るや否や逃げていくが、分別もつかん魑魅魍魎どもはわらわらと来おってからに!いずれも我らの敵ではないが、鬱陶しくてかなわん!!!」
故の、出会い頭での悪態であったわけだ。

「あーわかりますわかります。ちょっとレベル上げすぎた時にダンジョンをうろついてて遭遇する弱っちょろい敵とか、どうせやられるくせに出てくるなよって思いますもんね。ああいうのって鬱陶しいですよねー」
「この神社は、妖怪たちに守られているのかしら?」
早苗の言葉を無視して神子は問う。
「んー。そういうわけじゃあ、ないんですけどね。元はといえば、天狗たちが独自の社会を築いていたところに私たちが神社を建てちゃっただけなんですよ。まあ、うちの神様はその天狗たちの信仰を集めてこうやって神社が成り立ってるわけなんで、結果オーライなんですけどー」
「妖怪寺の次は妖怪神社か……」
小さくぼやいた布都の言葉を早苗は見逃さなかった。
「あっ!命蓮さんとこといっしょにしないでくださいよ??うちは人間の味方、悪い妖怪たちはキッチリ退治するんですから!」
「こんなところまでどうやって参拝に来るのかしら?人間たちが足を踏み入れたら忽ち天狗に食われそう」
「そこはご心配なく!きちんと手順を踏めば、神様の加護の元、無事うちまで参拝に来れます!……ですがまあ、そこまでして山のてっぺんまで参拝に来る人はめったにいないのですが」
「なら、どうやって信仰を集めているのか?」
ちっちっちっ、と早苗は舌を鳴らしながら人差し指を振った。
「うちは出張型なんですよ。各地に分社をトンテンカンっと」
「なるほど。ちゃっかりしておる」
布都が素直に感心し、神子は苦笑いをつくった。



「なんだい、早苗の独り言が一段と激しくなったのかと嘆いたのだが……お客さんか」
ひゅぅおっと音立て吹きぬけた風。境内に小砂が舞い上がる。
一度空を駆けた砂が舞い降りれば、境内を渡る神風と共にあらわれたのは一柱の影。
「ようこそお参り。守矢神社へ」
中空にて胡坐をかき風に座る。まさしく風の神。
その姿を目にするや神子は恭しくその場に屈みこむ。それを見て布都はあわてて倣いひれ伏した。

「ちょっと神奈子様、格好よく登場しようとして砂埃巻き上げないでくださいよ!掃除が大変だし服がよごれるじゃないですか」
恭しく対応する二人に対し、当の巫女的存在は己が祀るべき神に対して怒りを顕わにした。
「そんな堅いこと言うなよ。早苗」
「まったくもう。……えーとですね、このお方が守矢神社のかみさま、八坂神奈子様です。この通り派手好きの神様でね。まー仲良くしてやってください」
神への扱いも雑ならば、やはり紹介の仕方も雑であった。
あまりに杜撰な二人の関係に布都は呆れていたが、隣の神子がいまだ恭しく屈みこんでいるのを見て取ると倣って不動でいた。

八坂神奈子は片膝立てると右肘をその上についた。そして、顎に右手を沿わせる。
文字通り、高みより二人を見物し、格を定める目であった。
「私の加護無しにこの妖怪の山をぬけてくるとはなかなかやるじゃないかい。早苗、なんだいこの人たちは」
「以前の神霊がわんさか出てきた時の主犯です」
「そうか、悪人か」

神子は立ち上がる。
背筋を伸ばすと、頭を垂れ、カンペではない笏を両手で掲げ奏上した。

「お初御目にかかります。私は豊聡耳神子。そしてこちらが物部布都。私の部下です」
神子に倣い立ち上がると布都は神奈子に一礼した。
「寺の妖怪により復活を妨げられていましたが、この春ようやく眠りより覚めることができました」
「冬眠とは蛇や蛙の類みたいだねぇ」
「むしろ蝉ですかね」
神子は笑んだ。
「蝉化……なるほど合点が行った。人の身でありながら神仙を目指したか。しかしその器にあらざる為に天には召されず尸解仙に為るしかなかった、と。ご苦労なことだ」
言葉が終わるが早いか。神奈子の横を一筋の矢がひぃふつと掠め飛んだ。
紫色の髪が風にはらはらと舞う。

「……貴様。太子様を愚弄するか」
先ほどまでのたどたどしい態度とは一転。
布都は神に対峙していた。
神子をその背にかばう格好で立ち、神奈子をぎろりと睨みつける。

中空より布都を見下ろし、神奈子はほほぅ、と顎を擦った。。
「……お前も、尸解仙か。神仙の道はそれほど魅力的だったか?人の身を捨て不老と不死を得ることは」
「貴様に答える義理など在らぬわ」
「ふぅん……。豊聡耳。神に対する礼儀も教えていないのか?部下も随分だが、上司も怠惰であるな?」
ぶちり。何かが切れる音がした。
「これ以上の太子様への愚弄……神といえど、許すわけにはいかぬ……!!!」
欠けんばかりに歯を食いしばった布都が拳を握り締めて走り出した。
「あーあー!!ちょっとやめてもらえますー!?ここ神社なんで。流血沙汰はやめてほしいんですっ。ほらっ神奈子様も調子に乗らない!謝ったげてくださいよ!」
今まで黙って双方を見ていた早苗が割って入る。丁度目の前を塞がれて布都は急ブレーキをかけた。
「ああ、すまないねぇ早苗。ちょいと遊んだだけだ」
「遊びだと!太子様を愚弄しておいて、あろうことか遊び……!!」
「布都、やめなさい」
「ッしかし太子様…………!」
神子は布都の肩に手を置くとゆっくりと首を振った。神子に言われれば布都もこれ以上は手が出せない。神子にたてついては元も子もない。おとなしく布都は引き下がる。
「じゃ、まあ挨拶も済んだことだし、適当に境内の案内でもしてやりなよ。ああ、アイツにも顔見せておいたらいいんじゃないか」
じゃあな、と手を振ると神奈子は始めと同じく、神風と共に姿を消した。
神奈子がいなくなった後の石畳を布都は親の敵でも見るかのようににらみつけた。

「すみませんね。あの通り、お茶目な方なんです。さ、次に行きますよ」
「次?そういえば八坂様もアイツとおっしゃっていましたね。守矢神社には神様が二柱おられるのですか?」
「そういうことです。……あー、私も、なんでなのか、とか諏訪子様が何のかみさまなのか、とか。よくわかってないんですけどねー実は」
あはは、と早苗は軽く笑う。
どうあれ、信仰していればいいんです。そう言って早苗は二人を先導した。







それは遙か昔のことで、すぐ昨日のことだったようにも感じる。
鼻をすん、と動かせば。風が運ぶのはその頃を思い出す懐かしい香り。
旧き人の匂いがする。
「……けほっ!」
大きく吸い込んだ息には社の黴びた空気も混ざっていたのか。洩矢諏訪子はけほけほとせき込んだ。
「っあー……」
涙ぐんだ目尻を拭い、もう一度だけ、小さくけほりと咳をして、諏訪子は立ち上がった。
みしり。一歩踏み出せば板床が悲鳴を上げた。
天井の一角は蜘蛛の棲家。床の一面は埃の山と黴の温床。常若の精神を旨とする神の社とは到底思えない洩矢の社。
もう慣れた。
どれだけ蜘蛛が巣を掛けようとも、床板が古びて朽ちようとも、埃つもり湿気を含み黴が生えたところで誰も掃除などしないことも。
幻想郷に来る前も今も、何も変わらない。今更不満にさえ思わない。
何も朽ちているのは社だけではない。信仰だって、同じこと。
引き戸を解き放つと、諏訪子はぴょいっと飛び出した。






早苗に連いて歩いていくと、境内から山中へと続く細い小道が現れた。小道は石で舗装されているとはいえ、苔むした様子とすきまから覗いているぺんぺん草の生育具合を見ればほとんど使われていない道であることは明らかだった。
「この上ですよ。でも、あまり好んで人前に出られるお方ではないので、期待はしないでくださいね」
では行きますよ、と早苗は進む。神子と布都は後ろに続いた。
「……神がホイホイと人前に出てくる方が問題じゃ」
布都がポツリとつぶやいた。明らかにピリピリした雰囲気だ。神奈子様にも困ったものだ、と早苗は思った。

鬱蒼とした山に踏み入ると、半刻と歩かぬうちに視界が開けた。あれだけうっとうしかった草は徐々に低くなり、木々はまばらになり始める。
すかすかの林の向こうを見やれば、眼下には件の丸太棒が突き刺さる湖が広がっていた。
あの棒はなんですか、神子は早苗に尋ねようとしたがやめた。
「もっと鬱蒼としたところを歩かされるのかと思ったけど……案外ひらけているのね」
代わりに神子は境内の感想を言った。
「諏訪子さまは湖がお好きですから。もうすぐですよ。…………ほら。あすこが守矢神社のもう一柱の神様のお社です」
早苗が指さす方を二人は見上げた。
幅一メートルにも満たない苔むした石段の頂上。
「むぅ、これはまた……」
布都はうなった。
神を奉っていた頃の血がそうさせるのか。
石段の行き止まりに座す、今にも崩れそうな朽ち果てた社を目にして、布都は多少なりとも憤りを感じざるを得なかった。

「諏訪子様ーお客様が見えてますよー」
さて、先ほどと同じく早苗は軽率に神を呼ぶ。
「諏訪子様ー諏訪子様ぁーケロちゃーん」
足早に頂上まで登った早苗は社に向かって問いかける。くるくると社の周りを歩きながら、外に中に、呼びかけていた。同時に神子と布都も石段を上りきり早苗に追いついた。
「うぅーん………いらっしゃらないのかな?」
「いえ。そうでもないみたいですよ?」
「え?」
神子は早苗の横に立つと空を見上げた。早苗も視線を追う。
「ーーあっ」
天へとまっすぐに伸びる杉の大木。その枝にちょこりと座る人影が見えた。
そのいでたち。まず目に飛び込んでくるのは、植木鉢をひっくりかえしたような帽子。形状だけでも特徴的なのに、その天辺にはまあるい目玉が二つ着いている。そんなふざけた帽子を被っているものの、纏う衣服は貴人のそれ。上位のものにしか許されない色である紫に染め上げられたあしぎぬの衣の脇腹には刺繍された蛙の緑色が生地に映える。同じく紫衣に蛙の刺繍が施されたスカートを履く。その丈は短い。下から覗く太ももに意識せずとも視線が向く。服装のセンスが布都と似ているのかもしれない、と神子は思った。惜しげなく白磁の脚を外気にさらすかと思いきや、膝まで届く長い靴下がそれを隠している。その辺りの分別が布都との差か。しかし、羞恥心があるのかないのか判断しかねる。と神子は思った。
「やあやあ、これが客人か」
声が聞こえた。そう思ったら、木の上には誰もいなかった。振り向くと同じ人影が神子と布都の背後にあった。
「驚きました。一体、いつの間に移動なされたんですか?」
「まあ、神だからね」
「これぞ神出鬼没!とか言うつもりでしょう!私そんな安いボケにはつっこみませんからね!」
「何言ってんのさ早苗。それよりも、ほら。はやく紹介しておくれよ。その為に連れてきたんだろう?この二人は、何だい誰だい??」
「ああ、そうでした」
早苗は神子と布都を指して諏訪子に向きなおった。
「こちらが、豊聡耳神子さん。聖徳太子とも呼ばれるそうです」
神子は深々と会釈をした。
「ああ、皇族か。道理で。懐かしい匂いがすると思ったよ。……なんだアンタもこっちにきたのか。しかし何故だ?アンタの信仰は栄えているほうだと思うが??」
「太子信仰というやつでしょうか。あれは私というよりも、私の幻影を求めているものですから」
「なるほどね。やっぱりアンタ、蕃神に与したってワケじゃなかったんだ。だからといって、大和の神を恐れている風でもないようだね?」
「ご炯眼恐れ入ります。私は、神仙に身を置いています」
「はあーすごいねえ。人の身を捨てたか。まあ、神奈子にひれ伏しておいて私にしない辺りでなんかわかったよ。アンタ、人の機嫌とるのもうまそうだ」
「お褒めに預かり光栄です」
「あのー……お知り合いですか?」
神子と諏訪子の会話に早苗が口を挟んだ。
「いいや。しかし大和のことは関係が途絶えたあともちょいちょい聞いてたからね。すごい諡をもらった皇族がいるぞってねぇ」
諏訪子は神子の肩をぺしぺし叩いた。神子は笑みを浮かべるだけだった。
「えーと。そして残り物のこちらが、物部布都さん。神子さんの部下で、仙人さんだそうです」
早苗に紹介されると同時、神の手前、布都は衣が汚れるも意に介さず、土くれの上に伏せた。
「ほほぅ、物部……。そりゃあ、懐かしいニオイもしてくるものだ」
諏訪子は地面と背を水平にした美しい礼を見せる布都をまじまじと見下ろした。
「良い良い。こうべをあげな人間。私ゃもう表立って崇められるような立場じゃあない。信仰は神奈子にやるといい」
「……あれは好きませぬ」
布都は衣の裾をはたきながら立ち上がった。
「はは。そういやさっき威勢の良い啖呵を切っていたな。いや、すまない。無礼を許してくれ」
諏訪子は着帽のままぺこりと頭を下げた。
「やめてくだされ。神に頭を下げられるなど心地よいことではありませぬ。……同じ神でも、先ほどのに謝ってもらわねば意味もない」
「そうかい。そうだな」
諏訪子は頭を上げるとからからと笑った。
「ところで早苗さん。こちらの神様はなんとお呼びすればいいでしょうか?」
神子に尋ねられ早苗は目をしばたかせた。
「あっ。あー。そういえばご紹介を忘れていました!」
「なんだい早苗。さっきから諏訪子諏訪子言ってるからもう紹介は済んでるものかと思ったよ」
「すみません。失礼しました」
早苗がぺこりと頭を下げて、諏訪子はやれやれという風に両手を上げると向きなおった。
「未熟な祝に代わって名乗らせていただこう。私は洩矢諏訪子。かつては王様張ってた時もあったが、いまや見ての通りさ。ま、気軽に接してくれ給えよ」
神子は目をしばたいた。
「洩矢……もしや、あなたがこの神社の本当の……」
諏訪子はウインクを一つ、くれてやる。
「今は神奈子が主神、それでいいのさ」
そして諏訪子はぴょいっと朽ちた社に飛び込んだ。
「ああ、こんなにヒトと話したのは久しぶりだ。こんなに外に出たのもね。ちょっと疲れた。私は休ませてもらうよ」
そう言うと諏訪子の姿はすぅっと消えた。



守矢神社への挨拶はこれまで。
神子は早苗に礼を言い、遠くから眺める神と眠りに落ちている神に心中で礼を言った。
きびすを返した神子の後ろで、布都が足を止めた。
「のう、早苗。ちょっと頼みがあるのだがいいか?」
「なんですか師匠?三回目の宗旨替えでしたらお断りです」
「それもあるが、それは後の楽しみとして、ちょっと話があるのだ」
「はい。お聞きしましょう」
布都が口を開くより早く、"耳"をそばだてた神子はふっと笑った。



******************************




まだ開けぬ瞼の裏で、眠りこけていた意識は少しずつ醒めて行く。
まどろみにとらわれたままの頭を軽く振り、諏訪子は目を開けた。
「……?」
横たえた体を起こした諏訪子は異変に気がついた。
「珍しいこともあるもんだね……」
諏訪子が好んで根城としている拝殿。千と数百年、寝てもさめても変わらなかった風景に、ひとつ、変化が。
社の最奥にはいつの間にやら机が据えられ、玉串が奉納されていた。その前面には米、塩、酒が、古式に則り供えられている。
己の社に神饌を見たことなどいつぶりだろうか。
よくよく見渡せば、変化はまだあった。昨日まで梁に懸かっていたはずの蜘蛛の巣がなくなっている。さらには朽ちた床板の上に薄く積もっていた埃もなくなっている。

何者かに騙くらかされでもしているのか。
諏訪子は床板をみしみし言わせて歩き出すと、社の扉をがらりと開けた。

日はすでに高い。五ツ半、といったところか。木々の隙間から漏れる光に目を細めながら、諏訪子は言った。
「………何を、している?」
物部布都が竹箒を片手に立っていた。石段を上り終えたところのあたりで、諏訪子と同じような姿勢で空を眺めていた。諏訪子の声が聞こえたのか、布都はくるりと振り返った。
「おやっ。おられたのですか神様。姿が見えないからいらっしゃらないのかと思っておりましたぞ!何を?おお、これですか。今丁度掃き掃除を終えたところであります」
「……この神饌も、お前が?」
諏訪子は社の中を指差す。
「うむ。そうであります」
「何で、お前がそんなことを」
「何で?」
布都は竹箒を持ったまま器用に腕を組んでふんぞり返った。
「ひとがかみを祀るのは当然の義務である。だが何らかの事情で祀られぬ神がおわすのであれば、ひとの代表としてお祀り差し上げることは物部たる我の義務。なんの疑問がありましょうぞ!それに貴女とて信仰が見える形で得られぬまま神をやっていてもつまらぬでありましょう、そうであろう?」
悪びれるとか謙遜とか。そんな色を一切見せないまっすぐな瞳。諏訪子はため息をついた。
「よくわからんな、お前は。無礼にも見えるし従順にも見えてくる」
「む。我は礼を失することなどありませぬ」
「そうかい」
ぴょい、っと、諏訪子は跳ねた。どこへ行ったかと目で追えば、布都のすぐ後ろで石と沓がコツリと当たる音。気づけば背後に、諏訪子はいた。
「本当に、懐かしい」
諏訪子は寄りかかるように布都の背に己の背を合わせた。不意の重みに前のめりに倒れることを防ぐには布都も同じく諏訪子の背に寄りかからざるを得なかった。
作用反作用、釣り合って、姿勢を保つ。
「……驚いた」
興味深く布都は言った。
「神にも、体温はあるのか」
背中が、暖かい。
「なんだ。神に触れたことがないのか?」
「ええ。触れるどころか、見たのも幻想郷に来てからであります」
「嘘を言え。貴様物部だろう」
「冗談ではありません。我は能無しでありました。で、あるが故に宗家の娘として生を受けながら、早くに外に追い出されてしまいました」
「そうか。……なるほどそれで聖徳太子の下についているのか」
「いろいろと経緯を省略すれば、結果そういうことになります」
「そうか」
「……っ!」
不意に、諏訪子が姿を消した。
重みを感じたのも突然であれば、重みが消えるのも突然。寄りかかるものを失った布都はバランスを崩す。諏訪子が消えた背後は急峻な石段。体勢を整えるにも間に合わず、転げ落ちることを覚悟したが、落ちていったのは布都が手放した竹箒だけであった。
「面白いな、貴様」
カラン、カランと石段の上で跳ねる竹の音を背後に、そう声がかけられた。
布都の手を、諏訪子が握っていた。あわや、転げるところ片腕一本伸ばして食い止める。互いの体格はほぼ変わらぬはずだが、布都の体重をやすやすと支えていた。
カラン、コロン、カラン。
几帳面に一段一段跳ね落ちていくその音が山に響く。音が聞こえている間、布都は己に手を伸ばす神の目を見ていた。
なぜか目線が、離せなかった。
自由落下する距離とて限りがある。いずれおとずれる静寂。
竹箒が石段を降りきったとき、諏訪子は口を開いた。
「なあ物部。お前は明日も此処に来るか?」
「……」
「なあ物部」
「神よ、その前に、我を普通に立たせてくれ」
「む」
足は地面に着いているものの、布都の体は宙を舞う直前のナナメになった態勢のままであった。諏訪子は布都の腕を引き寄せると、石段の上に立たせてやった。
「かたじけのうございます」
一度、ぺこりと礼をする。
「返答ですが。早苗がいやしくも八坂の神を祀るのみで手一杯であるのであれば、我は明日もあさっても神をお祀りしに参ります」
「おお、そうか、そうか」
諏訪子はその場でぴょいぴょいと跳ねた。諏訪子が跳ねるたびに、この神はまたどこかへ瞬間移動するのではないかと布都は気が気でならない。
「そうか、物部の。来るのか。だったら物部の。少し、話をしようじゃないか」
「話、ですか」
「そうだ。話だ」
「何を話すのです」
「昔話だ。私はあんたに興味があるよ。なあに、そうそう時間はとらせんさ。ちょいと榊を手向ける間、ちょいと供物を並べる間、そんな間だけで良い」
「ふむ……そのくらい、なんということもありませんが……。望むのであれば、何刻でもお話し差し上げますが」
「いやいや。ちょいとの間だけでいいんだ。あんまり長いと私も疲れる。しかしな。物部の。毎日、来るんだ。いいか?毎日、まあ、たまにはサボったって祟りゃしないが、頻繁に来て、そして話しておくれよ」
「はあ。構いませんが」
「おお!構わないか、構わないか!それは、良かった!!」
諏訪子はまたぴょこぴょことはねた。そして気づくと、ほら、まただ。
気づくと諏訪子の姿は拝殿の入り口にあった。
「じゃあな、物部の。また、明日!」
そう告げると諏訪子はぴしゃりと扉を閉めた。
second life in Lotus Land
ししゃも
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
布都と諏訪子の絡みがいいな。
メインにすえて、もっとどっぷり読んでみたいところ。
2.名前が無い程度の能力削除
おおこれは続きが読みたいです。細々でいいから続きを書いてくれないかなって思いました。
3.名前が無い程度の能力削除
これは良いですね。
わたしも続きを読みたいですよ。