Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

掌編2作[竹林じいさん/火傷をもたらす者]

2013/03/27 17:48:05
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■ 竹林じいさん

 あんたもかるい病こじらせて永遠亭にいく類かい。二日前にもそうやってお婆さんがやってきたよ。季節の変わり目になるとあんたみたいな人が多くてね、私も歩く量が増えちゃうよ。
 急ぎたいようだが、そう焦るな。竹林は長くて広いんだ、下手に急げばあっという間に迷っちゃうからね。竹林で迷子になるのは厄介に尽きる。疲れる、時間が食われる、変なものに出会う。迷子を狙う妖怪や悪霊がいるから、何の対抗もできない人間には魔窟だ。
 そうそう、私は案内のときに必ず話すようにしていることがあるんだ。怪談だが、一種の警句みたいなもの。まあ聞きなよ、どうせ道は長いんだ、鳥の鳴き声ばかり聞いていたってしょうがない。
 いつのことだったか、かれこれ三年以上前になる。私はその日は里にいって慧音と……慧音しってるよな? 慧音と酌をやりあっていた。帰り路についたのは曙を拝むにはまだ足りない時刻。
 酌といっても大した量じゃなかった。酔わずの私は、正気でまっすぐ自分の住処を目指していたつもりだった。里を出て竹林に少し入ったところにある我が家は、もちろんうんざりするほど通い慣れていた。目をつぶっていたって辿りつけたろうし、竹が目を惑わせる竹林ではそのほうが容易いかもしれないね。
 そんな風に、いつもどおりの帰り路のはずだった。微風に煽られて囁きかけてくる竹をくぐり抜けていった。やがて林の薄いひらけた土地が見えてきて、もう到着したと思ったものだよ。
 近づいてみると、私は口をぽかんと開けた。夜明け前の薄暗がりからぬっと顔を見せてきた民家が、私の住処と似ても似つかなかったのさ。古臭くって、風に吹き飛ばされそうなオンボロなのは一緒だが、初めて目にする外観だし、細部まで見ればみるほど違っていた。
 他人の家だろって思うだろ。いやいやあんた、ここは迷いの竹林だ。誰が好き好んで住み着くもんか。私のようなワケありや、よほどの世捨て人ならいざしらず、平気の人間がいる場所じゃない。私はすぐに疑ったよ、ここに住んでいる人外は誰かな、と。
 民家が廃屋じゃなかったことで私の疑いは強まった。閉め切られた戸口の隙間や窓から明かりが漏れていた。民家のまわりの土は何度も踏み抜かれて引き締まったものになっていた。
 とはいえだ。初めて見つけた怪しい場所にせよ、竹林に築かれたねぐら。いわば私とお隣同士、せっかくだからご近所付き合いの一つでもしてやろうと思って、近づいてみた。
 戸口はあっさり開いたので、土間にあがって居間を眺めた。色あせて毛羽立った畳の六畳間で、中央の煤けた囲炉裏に、火がとろとろ燃えていた。部屋の四隅には油灯の明かりが揺らめいていて、なんとまあ古風な風情だこと。
 私は土間から覗きこむようにして囲炉裏を見つめた。囲炉裏鍋がことこと煮えていて、うまそうな匂いと泡を吹き出していたのさ。それで油断をしていたもんだから、背中に声をかけられたときには驚いたよ。
 アッと振り返ると、いつのまにか老人が立っていた。人間かどうかは今となっては知る由もないが、見た目は疑いなくそのものだったね。擦り切れた麻の服を着ていて、しわくちゃな顔でこっちを睨みつけ、口をもごもごさせてこう言った。
「なんでおなごがおるんじゃ」
「ビックリさせちゃってごめん。道に迷ちゃって」
 そりゃあ、飛んでいけば迷うこともない。けど徒歩で迷ったことは事実なんだし、そう答えるのが正しかったはずだよ。
 老人はぶつくさ小言を交えながらも、上がりなさいと私を歓迎してくれたので、囲炉裏を囲んで座ることになった。座布団はなかった。私はともかく、老人は腰を痛めないものだろうかと、少し身を案じたよ。そんな心配もよそに、老人は直に畳に座った。
「あんた竹林で迷ったっちゅうと、たけのこ探しでもしとったんか」
「まあそんなもんね」
 言葉を交わしながらも、私は観察の目を絶やさなかった。老人の正体を見極めようとしたんだ。妖怪か悪霊か。しかし、見れば見るほど腰の曲がった頑固な爺さんだ。口の悪いほかに目に付くことは何もない。
 まさか本当にただの人間が竹林にいたのか。と内心で驚いていると、老人は鍋の様子を見ながらこう言ってきた。
「あんたも食うか。いや、食いな。俺ひとりだけがっついてちゃあ申し訳ねえ」
 老人は私の返事を待たずに土間にいき、お玉と木の器を二つ持ってきて鍋の中身をそこにすくいあげた。
 鍋の中身は粥だったよ。米と粟の混合に山菜と卵が入っていて、塩で味付けされた素朴なものだ。老人はこれをゆったりと食べ始めたが、朝食のつもりだったのかね。粥の中身におかしなところは何もなかった。骨でも浮いてりゃ怪談としてもちっと華やかになったろうが、すまないね。
 粥を食べながら老人とぽつぽつ会話をしていた。すると屋根裏でギイギイと音がしはじめた。家鳴りだろうと気にしなかったが、音はそれからしきりと鳴り始めて、あまりにしつこかった。私は気を取られて何度か顔をあげたし、老人も忌々しそうに天井を睨みつけていた。私は尋ねた。
「これは鳥が巣でも作っているの? それともねずみ?」
 老人はのろりと首をふったあとこう言った。
「あんにゃろ、静かにしておけと言ったのに」
 器を置いて立ち上がった老人は、外に出ていってしまった。私はその場で様子をうかがっていたが、老人の足音は家を回りこんで、屋根の上に向かっていった。家を外から眺めたときには気づけなかったが、屋根へと通じている階段を設けていたわけだ。
 屋根裏には、老人があんにゃろと称した者がいたようだ。何を飼っているのかなと想像してみたよ。軋む音の重たさを感じるに、鳥とは思えなかった。犬か猿くらいの生き物が頭をよぎった。
 老人が屋根裏にいってから音が収まって、これで落ち着けると思った。けど、しばらくしてドタドタ物凄い駆け足が階下に降りてきたんだ。驚いて外の様子に気を傾けていたところ、戸口の隙間から奇妙なものが見えた。羽を抜いた鳥のように生白い物が左から右へ横切って、がっしりした二対の脚と細長い尻尾みたようなものが見えた。
 私が目を丸くしているうちにそいつは見えなくなったが、民家の周囲を歩きまわる気配はやまなかった。土の踏まれる音がし、壁の薄板が叩かれ、窓から影が覗いてきた。居間の中をたしかめながら、入ろうか入るまいかと思案している様子じゃないか。
 最中、老人が怒鳴り声を響かせながら階下に降りてきた。次に犬とも何ともつかない引きつった呻き声が上がった。断末魔にも似たおぞましい声が繰り返され、そのたびに何かの押し付けられる衝撃が壁を震わせた。隙間風の通る薄板一枚へだてて、むこうで行われている狂態を思うと、私はそのそばから離れずにはいられなかった。
 絶叫がいちだんと激しくなったとき、窓の縁に何かが引っかかってきた。指らしきものが三本、生白いがほのかに朱がさし、いやに小汚い爪が油灯の明かりを受けてぎらついた。そいつは窓縁をつかんで離すまいとしていたが、やがて外の世界に引き戻されていった。
 声が嘘のように止んで、老人のぶつくさ漏らす小言だけが聞こえてくるようになった。得体の知れぬものが土の上をひきずられていく気配がし、重たげに屋根裏に上がっていった。
 屋根裏のものは何か。そんなもの、見たくもなかったよ。私は募る不安に耐え切れなくなって、老人が屋根裏へと獣を押し込んでいる間にこっそり家から抜けだしたんだ。外に出てみると、民家のまわりに足跡がたくさん付いていた。前に三つ指、かかとに一つ爪が伸びた奇妙なものさ。鳥のようだけど、太くがっちりしていた。そもそも鳥は四つん這いで歩きようがないじゃないか。私は忍び足をしつつも急いで民家から離れたよ。
 とまあ、この話はこれで終わりだ。どうだい、大した怪談じゃないだろう。老人も、何かも、調べてないから分からずじまいさ。今も調べるつもりはないね。未練だってあるもんか。
 私があんたに言いたいことは、この迷いの竹林は古くからある秘境の一つだ。私でも及ばない不可思議なものが根を下ろしているんだよ。だから迷わないこと。こんな場所で私が案内できるのは永遠亭までの道のりだけだ。他の場所には行きたくないし、行かせない。正直なところ、老人のいた民家への行き先は、まるで覚えていない。
 え、酔ってたんじゃないかって? ああ、そうだな、じゃあそういうことにしておこう。



■ 火傷をもたらすもの

 紅魔館の図書室の一角には小さな部屋が設けられている。もっぱらパチュリーの研究に利用される部屋で、中には多くの実験器具や材料、資料が管理されていた。
 パチュリーは数日前からこの部屋にこもりきって、ある召喚術の構成に打ち込んでいた。この日、それは大詰めを迎えていて、あとは実際に試してみるだけというところまで差し掛かっていた。普段は司書をしている小悪魔の手も借りて、最後の作業にとりかかった。
 狭く暗く、薬品の香りに満たされた一室でパチュリーは召喚術の準備を行う。部屋は実験室と倉庫室の二部屋で形作られており、今は実験室が用いられている。大きく幅をとるテーブルは、今は箒と並んで壁際に立てかけられていた。箒がこの部屋で用いられることは滅多にない。テーブルのあった場所にはかわりに、キングサイズのベッドもかくやという白紙が敷かれ、そこに魔法陣が描かれていた。
 複雑に入り乱れる幾何学模様や出所も分からぬ古代文字群に彩られた、仰々しい円形魔法陣だ。それを間違えることなく描き終わったパチュリーは、安心の一息をつきながら画材を放り投げる。そばで恭しく待ち構えていた小悪魔から魔法の材料をもらい、陣の周囲に散りばめた。得体のしれない繊維質の物体に火をつけて中央に投げこむことで締めだ。火は盛り広がることがなければ衰えることもなく、陣の描かれた紙に移りもしなかった。
「では始めるわ。小悪魔、静かにしていなさいね」
 パチュリーは小悪魔を下がらせながらそう命じた。小悪魔は素直に一歩引いて、感心のなさそうな顔で陣を見つめていた。
 パチュリーが火に語りかけるように呪文を唱えだす。どこの国の言語とも知れぬ言葉が薄暗い部屋に響き渡った。厳粛な雰囲気はいよいよ高まり、平静を保っていたパチュリー、興味のなさそうな小悪魔にしても、少なからず成否を期待する緊張の色を浮かべた。
 呪文の詠唱が終盤にさしかかったところ、今まで反応ひとつ見せなかった陣から急激に光と風が放たれ、その著しきことは実験者たちの顔をそむけさせた。暴風は部屋にたまっていた埃煙を立ち上がらせる。何かとてつもない激しい物が落下し、ガラス類が割れ散らかったが、目の効かなくなっていた二人には音だけが聞こえていた。もう一つ、このとき二人は不可解な音も耳にしていた。水っぽく生々しい音がそこら中に撒き散らされていくというものだ。
 嵐は一瞬で過ぎ去った。パチュリーはこわごわと目を開けてみたが、明かりが掻き消えていて何も見えない。暖色の魔法の明かりを灯して宙に浮かべたところ、ゾッとする光景が実験室に広がっていた。
 陣のあった場所には赤黒い肉の塊がこんもりと居座っていて、落下してきたシャンデリアが刺さって王冠のようになっていた。そこを中心にして肉は飛び散り、燭台を倒しながら、床壁はおろか天井に至るまで汚らわしく塗りつぶしていた。
 パチュリーはおぞましい光景と漂う悪臭に顔をしかめたあと、ハッと気がついて振り返った。小悪魔が青ざめ、目を丸くしていた。とりあえず部下の身が無事だったことが分かり、安堵の息を漏らす。
「これはなんですか。こんなのを呼び出したかったんですか」
「失敗よ。こんなものネズミより役に立たないわ」
 パチュリーはそう毒づきながら、ひとまず図書室へと出るため扉に近づいた。これにも肉がべっとりまとわりついている。後でしなければならない掃除のことを憂いながら火の魔法を放って、肉を焼き切ろうとした。
 肉は燃え上がりはしたものの火の回りが悪かった。しかも硫黄色の煙を上げはじめ、同色の体液をここぞとばかり吹き出してきた。
 見るからに不潔だった。パチュリーは体液を嫌がり、顔を片腕で隠しながら後ろに下がったが、たちまり痺れる痛みが腕に襲いかかってきた。みると、片腕にもろに体液が降り注いでいて、自慢のローブを薄汚く濡らしていた。その下の肌には耐え難い痛みが生じている。すぐさま袖を切り裂いて捨て、腕を魔法の水で洗い流したが、痛みが引くことはなく、ただれがうっすらと残った。
 彼女を困惑させるものは他にもあって、それは硫黄色の煙だ。吸い込めば喉がちくちくと刺激され、むせかえらずにはおれない。多量に吸えば呼吸をさまたげるものとすぐにわかった。そしてこれが火傷を負わす体液と同じ成分だろうことも予想がついた。
 肉壁から放たれた体液は火を鎮めてしまい、肉自身はまだ厚みを保っている。これを全て燃やしきるのは面倒だ。パチュリーは肉壁を忌々しく睨みつけたが、それも無駄なことだった。諦めて扉から離れると、うろたえている小悪魔にこう命じた。
「材料をかき集めなさい」
「え、何をなさるおつもりで。早くここから出ましょうよ」
「そのためによ。再実験するわ」
「なんで!」
 きいきいと文句をいう小悪魔を落ち着かせるため、パチュリーは自分の考えを説得材料にあてた。この肉塊は有害なものを含んでいるため、下手に取り除こうとすればこちらが危機に陥りかねない。再び召喚術を行なって元の場所に返すのがもっとも安全なことだ、と。
 そうはいっても、周囲を取り囲む醜怪におののいている小悪魔は、早く逃げ出したいと金切り声だ。
「こんなのぶっ壊せばいいでしょ!」
「壊せば毒は出すし、空気も汚染される。送り返すほうがずっと安全なの、分かってちょうだい」
「じゃあ跡形もなくすればいい!」
「そんな簡単にできないわ」
 パチュリーは骨を折って小悪魔をなだめすかした。彼女が落ち着いたとみるや、二人で再実験の準備をはじめた。肉魂の下に陣を描いた紙が埋もれているとして、材料をもってこなければならない。が、隅にのけておいた材料入りの瓶は、肉に飲み込まれてしまっているか、割れて使い物にならなくなっているかの、どちらかだった。
 パチュリーがさらに小悪魔に与えた命令は、奥の倉庫部屋から予備材料を持ってくることだった。小悪魔はここでもぐずり、文句をさんざん口にした。パチュリーは怒気を含んだ言葉で、彼女の足をどうにか動かした。小悪魔はパチュリーが作った魔法の明かりと共に奥へ消えていった。
 一人になってからは、そこらに散らばった器具や材料を片付けていった。シャンデリアも取り払おうとしたが、落下した衝撃でか、この短時間で肉が成長したのか、肉塊に深く埋め込まれていて彼女の力では敵わなかった。
 パチュリーは黙々と小物の掃除をしていて、あることに気がついた。部屋の悪臭が濃くなっていた。鼻はとうに麻痺しているはずだったが、それにも増して嫌な臭いがいじめてくる。パチュリーはもしやと思って周囲を見渡し、確信を得て恐怖を強めることとなる。そこらの肉はかすかにだが煙を発している。顔を近づけてみると(もちろん彼女はそんなことをしたくなかったが)悪臭と痛みを伴う煙に鼻がムズムズした。
 想像していたよりも窮地に立たされている。そうと分かったパチュリーは小悪魔の早い帰りを願うばかりだった。
 倉庫室のほうから明かりがもどってきたので、パチュリーはねぎらいの言葉でもかけるつもりで振り向いた。ところが小悪魔は今まで以上に顔を土気色にして、目をうるませているではないか。怪訝に思っていると、彼女は走ってきたなり抱きついてきた。
「こ、小悪魔? どうしたの」
「私もう嫌です! 早くここから出して」
「落ち着きなさい。何があったの」
「何かいるんです。もうやだ。お願いですパチュリー様、扉をあけて。怪我してもいいから早く出たい」
「何かって、この肉じゃなくて?」
 胸に顔をうずめてうなづく小悪魔。パチュリーは、今まで彼女がいた倉庫室に目をむける。部屋へと通じる通路は肉塊にせばめられ、どんよりと赤みがかっていた。奥まで見通すことはできない。
 パチュリーを小悪魔を慰めてから、自ら倉庫室に行こうとした。だが小悪魔が一人になりたくないと背中にすがりついてきたので、では二人で行こうかというと、首を振る。倉庫室には行きたくないが、一人にはなりたくないのだ。一方パチュリーはさっさと材料をもってきて、再実験を行いたい。
 またしても小悪魔の説得に時間が費やされた。パチュリーはどんどんひどくなっていく空気に怯えていたが、その態度と事実は決して顔に出さなかった。小悪魔が冷静でいられなくなることは分かっていた。
 パチュリーは小悪魔を何とかうなづかせることに成功した。二人で倉庫室に向かうことになった。小悪魔に合わせた忍び足でいざ行ってみると、倉庫室の奥にまで肉の侵食がすすんでいる有様だ。並べられていた戸棚の一部が倒れいるではないか。貴重な材料を無駄にされた損害を思うと、パチュリーはため息をもらさずにいられない。
 目当ての材料もダメになっているのではという恐怖は、奥までいってみると杞憂だった。それが置かれていた棚は少し肉が絡みついてる程度で済んでいて、材料の入った瓶を難なく手に入れることができた。これで一安心、とパチュリーが安堵していると、腹に腕をまきつけていた小悪魔の力がぐっと強まった。
「なに、どうしたの」
 小悪魔は、目を見開いてある一点を見つめている。パチュリーはそうと気づいて同じ方向を見、うりふたつの反応をすることになった。
 二人が見たものは、そそり立つの肉の柱だ。二人を超える全長だが、幅はなく、表面のグロテスクなことを除けば樹木がもっとも近い形をしていた。下部では根を思わす触手がうねくっていて、頭頂部では枝葉のように細かく枝分かれしている様も、植物という印象を助長させた。だが、この肉柱に対して抱く嫌悪感はそんな比ではない。他の肉塊と同じく表面は赤黒いが、加えて野太い血管が見え隠れし、あちこちのデキ物からは膿のようなものを絶えず流していた。
 肉柱がどんな感覚に頼っているのか分からなかったが、暗がりから現れ出ると、棚に沿いながら二人にゆっくり近づいてきた。頭の触手がすばやく病的に振り回され、棚の上でまだ無事だった瓶が叩き落される。すると肉柱の興味は、すぐさま瓶の落ちたほうに注がれた。割れた瓶にむかって屈みこんで、考え事をしているように見えなくもない硬直を見せた。
 パチュリーはこの間に、風圧を呼び起こして肉柱へ見舞った。相手があっけなく吹き飛んで地面にへばったところを、さらに身体機能を狂わして麻痺させる。肉柱は痙攣をはじめ、その場から動けなくなった。
 パチュリーは絶句している小悪魔を引きずって実験部屋に急いで引き返した。あの肉柱に、研究者としての気持ちが傾かなかったかといえば嘘になる。しかし彼女とはいえ、興味と命の二つを天秤にかけたとき、傾くほうは決まっていた。今はとにかく、再実験で彼らに帰ってもらうのが先だ。
 実験室にもどると、まずは放心気味の小悪魔を正気づかせた。そして二人がかりで再実験の準備をすすめていった。切羽詰まっていたので、迅速に事が運ばれていく。十分もせぬうちに、異変が起こる前の段階までたどり着くことができた。
 パチュリーは心を落ち着け、胸の内でやるべきことを復唱しながら、一度目のときとまったく同じことをした。材料を陣、今は肉魂の上に散りばめていき、もっとも大事な繊維質の物体を燃やして落とす。
 いざ呪文を唱えようとなったとき、とつぜん小悪魔が悲鳴をあげた。パチュリーは驚いて何事か見定めようとしたが、背中に何かが覆いかぶさってきて膝を屈した。途端、焼け付く痛みが背中を覆いはじめ、鼻のもげるような臭いがまとわりついてきた。肉柱が魔法の拘束をといて迫ってきたのだと、混乱のなかで感じ取った。
 ここまで来て実験を止められてたまるものか。パチュリーは片膝をついたまま、半狂乱になっている小悪魔に怒号をぶつける。
「こいつをどかしなさい」
「無理ですよお……」
「やりなさい馬鹿!」
 小悪魔は涙を溢れさせ、よろめきながら、隅にたてかけてあった箒を持つと肉柱に突っ込んだ。開いた筆の部分が振り回され、肉柱をこれでもかと打ち付けていく。その容赦ない衝撃はパチュリーにも響いてきたが、一潮の踏ん張りで、詠唱の正確さをたしかなものにしていた。
 しかし激しく打っているのに肉柱は弱まる気配をみせず、肉の侵食をのばし続けていた。脇腹や足にからまってきた痺れが、パチュリーの額に脂汗を滴らせる。このままでは実験が終わる前に飲み込まれるか、体が動かなくなるかもしれない。そんな焦りが膨れ上がっていった。
 肉柱の触手が耳元まで侵し始めたとき、ついに詠唱を唱え終わった。紙の上にのさばっていた肉魂が光輝き、風とともにみるみる縮まっていく。引きずられて周囲の肉も光に吸い込まれ、圧縮されて掻き消えていく。パチュリーはこの間際に、自分の背中が軽くなったのを感じた。
 光と風は実験室にあったあらゆる不浄な存在を消し飛ばしていった。彼らが生息していた、理解もおよばない遥か深淵の彼方へと。全てが終わってみると、擦り切れた紙一枚がはためくばかり。パチュリーと小悪魔は我先にと扉にむかう。
 外の図書室は、いつもどおり無数の本棚が沈黙のうちに佇んでいた。召喚失敗の悪夢は、実験室の中でのみ起きた出来事だったわけだ。
 二人は顔を見合わせ、安堵をわかちあおうとした。が、部屋の暗闇から飛び出してきたものにぶつかり、パチュリーは吹き飛ばされる。馬乗りになってきた、元に返したはずの肉柱が見せつけてくる硫黄色の体液したたる触手に、死の危険を覚悟した。
 その刹那、肉柱が部屋に飛び跳ねていった。パチュリーはワケが分からず呆然としていると、そばに降り立ってきた者に気がついた。咲夜だ。彼女はすました顔で部屋に転がっていった肉柱へナイフを投げつけていく。傷つけられた肉柱は体液と煙を噴出させたが、距離があったのでパチュリーたちに触れることはなかった。やがてぐったりと床に倒れ伏し、とろとろと残りカスのような体液を漏らすだけに成り果てた。
 パチュリーは咲夜の手を借りて立ち上がる。
「何があったのですか。アレはなんですか」
「ちょっと、失敗したのよ」
 この大事態は、三人のみが知るものとなった。特に詳細は、事態を引き起こした張本人とその部下の、二人だけが胸に秘めるばかり。
 その後、実験部屋の大掃除が行われることになったが、異臭は何日もの間残りつづけた。返送をまぬがれて、唯一この場にいつづけた肉柱は、厳重に縛り付けたうえで、焼却施設にて秘密のうちに処分された。さて焼いてみると、いまやパチュリーと小悪魔にとって見るだけで身悶えしてしまう、硫黄色の煙が濛々と、幻想郷の空に上がった。異臭騒ぎが、紅魔館を少しのあいだ騒がせることになった。
ホラー掌編2作で、どちらもオーソドックスなものでした。

1作目は、妹紅が老人なり化け物なりに襲われて逃げ帰る、
にしてもよかったのですが、「こんなことがあったんだよ」
という都市伝説な感じにしたかったので中途半端な終わらせ方
をしました。

2作目はホラーというかB級パニックものですね。御大を意識して
書いたつもりでしたが、気がついたら某era派生モノっぽい内容に
なっていた。
今野
コメント



1.名前が無い程度の能力削除
妹紅のほうはよく分からなかったです\(T0T)/

僕には少し難しかった・・・


パチュリーの方は怖かったです・・・

2.名前が無い程度の能力削除
二編とも原因を解明せず、「触れてはならぬ物」として遠ざけた所に良さがあった。
3.名前が無い程度の能力削除
これは面白かった。
最後まで読まさせられました
4.名前が無い程度の能力削除
一作目の話がいかにも怪談らしくていい。正体不明の生き物の断片的な描写が上手かった。
5.紳士的ロリコン削除
てっきりパチェはクトゥルフ的なものを呼び出したのかと
6.名前が無い程度の能力削除
こういうの面白いです
7.奇声を発する程度の能力削除
怖さがあり面白かったです