家にはテレビも電子レンジも、iPhoneさえもあって、めまいがしてしまった。
そんな近代化を遂げた私たちの家だったけれど、変わらないものだってある。
それは、私たちの心なのでした。
「鬼は外ー! 福はうちー! メル姉は外ー! ルナ姉は内ー!」
「なにそれ、ひどくない!?」
「だってルナ姉、帰ってこないんだもーん。まだなのー?」
「私のことはどうだっていいっていうのー!?」
庭にて、豆まき。伝統文化なんてよく分からない。そう思っていたけれど、やってみると案外おもしろい。何だかほっとした気持ちになってしまう。
大昔の日本から、ずっとここにいたような感覚。どんなに文明が進んでも、私たちは変わらずに、ここに居続ける。そんな、変な気分。
……といっても、私たちは日本製じゃないんだけれども。
「ルナ姉……」
ランニング中の姉が、脳裏に浮かんだ。理想な体をキープするため、運動を欠かさないんだとか。
自分に厳しく、私にちょっと甘いルナ姉だけは、変わらない。
一緒にいて安心できて、そんでもって、どこか憧れてしまうのであった。
=====
「……豆まき、中?」
「ルナ姉、お帰りー!」
「うえーん、姉さーん、リリカが冷たいのー!」
黒のジャージ姿なルナ姉が、タオルで汗をふきふき現れる。かっこいいなー。
でも、何だか不機嫌そうな顔で、私とメル姉を交互に見比べる。おまけにため息までもらってしまった。
「あのねえ。あなた達、そんなことで福なんてくると思っているの?」
「来るよ! 古の日本の儀式、鬼は外福は内、なんだもの! 来ないはずがないわ!」
根拠もないのに無駄に信じきっているメル姉、そしてそれを一喝するルナ姉の構図となった。
「いいえ、来ない! 来るはずがない! 決して、そんな心構えでは!」
「じゃあ、どういう心構えならいいの?」
「鬼は内、福は内! 鬼を恐れていては、福なんてやってこないのよ!」
ルナ姉、何をするかと思えば、水筒の蓋を開けて、こきゅこきゅやり始めた。
結構な勢いで喉元が上下に揺れて、なんかクールというか、色っぽいというか。
「例えば、運動の後の水のうまさ! だらだら過ごしている時に飲むより、ずっと美味しいのは当たり前!」
「た、確かに」
「鬼を恐れていては、福は来ないのよ! 苦労無くして幸は無し! 鬼、無くして福は無し!」
ルナ姉が人差し指を上にぴっと向けて、語っちゃいますモードに突入。もう誰にも止められない。
「そもそも、幸・不幸というのは現状との比較で感じるのよ。いったん不幸になった方が、より幸を感じる。これを心理学用語で、ゲイン・ロス効果というのよ!」
ルナ姉は何でも知っているなあ。頭もいいし、スポーツもできるし、音楽だって一番理解しているはず。すごいなー。あこがれちゃうなー。
さて、ゲイン・ロス効果、ねえ。
「今100万円持っている人に1万円あげるよりも、3円しか持ってない人に1万円を上げるほうが喜ばれる、みたいな?」
「さすがリリカ、発想がゲンキンというか現金そのものね!」
「メル姉は黙ってて! そんなつもりじゃないの! じゃあじゃあ。ただのラーメンは普通だけど、何日か絶食させた後に食べさせた方が喜ばれる、みたいな?」
「さすがリリカ、お腹空いている人とかじゃなくて、絶食させるってあたりがなんだかどSね」
「そ、そんなつもりはないのにー!」
他にいい例えはないものかとルナ姉をまじまじと見つめると、しょうがないわね、との眼差しが返ってきた。
「そうねー。例えば、ツンデレの心理なんかによく使われてるわね。いつも好き好き言うより、一度ツンツンした方が際立つ、みたいな」
「な、なるほど! その手があったのねー!」
ほら見ろ、そんな話をするから馬鹿姉が食いついちゃったじゃないのー!
かと思ったら、メル姉、意外と目をキラキラさせない。むしろ、黒い眼差しで唇を噛み締めながら、ルナ姉をきりりと睨みつけた!
「私、姉さんのこと、大っ嫌い」
「ふえ……!?」
言われた瞬間、ルナ姉の目が、何だか乱反射し始めた。涙だ! 涙でうるうるし始めちゃってる!
途端、メル姉もわたわたし始めちゃうし!
「ち、違うの! 好きよ、大好き! 大好きなの!」
「ね、こんな感じに普段落ち着いている私が感情をあらわにすると、妹を自由に操れる」
「なにそれ、狙ってたの!?」
そういうと、ルナ姉、鼻高々にどや顔スマイル。
「まあ何にせよ、鬼が来なくちゃ福は来ないってことなのよ」
「そうね。姉さんの言う通りね。私、間違ってた。姉さんのこと、全面的に支持するわ!」
今度はメル姉が、希望の光で目をきらんきらんさせながら話し始めた。
「姉さんはこう主張したいわけよね! 私たち、みんなマゾなんだって! 快感とは痛みを水で薄めたようなものである!」
「ちょっと、メルラン!?」
「徹夜後の睡眠は果てしなく気持ちいいし! 我慢した後のトイレとか気持ちいいし! 卒論や修論を何度も突っ返される方が提出時は気持ちいいし!」
「うわあああん、メル姉がおかしくなったー!」
「私は変わらない! だって、私はいつだって、メルランなんだから!」
「良い事っぽく言ってるけどおかしいからー!」
暴走モードだ。メル姉、完全に暴走モードだ。もう駄目だ! プリズムリバー姉妹は変態に支配されてしまうんだ!
「というかルナシューターとか本当マゾだから! 2面ボスのスペカ履歴が70/90なのに1面ボスは270/300とかなってるけど、なんとも思わない連中だから!
無駄にラスペで2ボム消費しちゃったり、三色UFOで赤の時に慌てて取りに行ったら青になっちゃったり、花映塚だと後ろから妖精に追突されたり!
そんな辛い目を何度も味わってでもクリアの快感を味わいたい、マゾな人種でしかないのよ!」
「そ、そうかもしれないけれど!」
「勝手に剃髪とかマゾなのよね!? 変な政治家とか叩かれたくてやってるマゾなのよね!?
ついつい夜更かしネットしちゃう人とか寿命削る系マゾなのよね!? というか、SS書いてる人って色々とマゾよね!?」
「ル、ルナ姉ー! 助けてー!」
でも、意外とルナ姉、メル姉をぽーっと見つめているような……。
「メルランの言う通りかもしれないわね!」
「どういうことー!?」
「生きている限り、辛いことも苦しいこともたくさんある。でも、マゾになったら、全部喜びになる。さすがはメルラン、ハッピーの殿堂者……」
「ふふん。私を甘くてもらっちゃあ困りますなあ」
メル姉、指をちっちっちーと鳴らして鼻息ふんふん、得意気である。
もう駄目だ。メル姉を調子づかせたらどうなることか。もう知らないよ!?
「きっとメルランなら、全ての苦しみを喜びに変えられるはず! たとえ精神攻撃であっても、物理攻撃であっても!」
「……ル、ルナ姉? なんか雲行きが怪しいような……」
「いいわ。ハッピーの極地を見せてあげる。生きとし生けるもののあるべき姿を、体現してみせるわ! 生きてないけど!」
こうして、メル姉の修行の日々が始まるのであった。
===
その晩。
「姉さん、もう一発お願い!」
「ああ、メルラン……。ごめんなさい!」
乾いた音が、リビングに鳴り響く。
馬鹿姉が馬鹿姉をビンタし続けるという馬鹿な作業が、214回ぐらい繰り返されている。
私、どうすればいいの。こんなお馬鹿な姉たちを、私、どうすればいいの!?
「まだよ。こんなものじゃ、苦痛じゃない! もっと苦しくなくちゃ、ハッピーになれない! もう一発お願い!」
「て、手が痛い……!」
===
次の日の晩。
「こ、この、お馬鹿さん!」
「……ふむ。まだ、心に波風すら立たない」
「むうー。じゃあ、この、シャツが真っ白透け透けお化けめ!」
今日はルナ姉の罵声のような何かがずっとリビングに鳴り響く。
メル姉、物理的な痛みをなんとも思わなくなってしまったらしい。今度は精神攻撃なんだとか。
坐禅しながら、メル姉、一つ一つの言葉を噛み締めながらも、落ち着いてらっしゃる。
駄目だ。こんな罵声程度じゃ、今のメル姉には歯がたたない……!
===
さらに次の日の夕方。
セーラー服姿のルナ姉とメル姉が、夕焼けに染まったクスノキの下で、背を向けて立っていた。
メル姉が、スカートをたなびかせながら、ルナ姉に向き直る。
「先輩、来てくれたんですね……」
一筋の風が、二人の間を駆ける。
メル姉のウェーブがかった銀髪がルナ姉へたなびく。それにつられるように、メル姉の両腕が真っ直ぐに伸びた。
「ルナサ先輩。これ、私の気持ちです!」
赤みがかった封筒、それはメル姉の心、そのものであるかのようだった。
つまるところ、それはラブレター。真っ直ぐなメル姉の腕に、その心が宿っていた。
「ふぅん。今時、ラブレター、ね」
ルナ姉が、芝居がかったように、くるんと華麗にターンを決める。
前髪を一度振り払って、少し不機嫌そうにして、ルナ姉はひとつだけ、ため息をついた。
「私、同性には興味ないの。というか、あなた、同性としても嫌い」
「ぐ、ぐぅぅううう! こ、これぞ、愛別離苦……!」
おおっと、さすがにこれはダメージがでかい!
わざわざメル姉の望んだシチュエーションをぶち壊す作戦、効果てきめん! メル姉、お腹の辺りをぎゅっと抱えて倒れこんじゃう!
でも、まだ目を開けて、しっかりと前を向いている!
「ま、まだよ。この程度の苦痛じゃ、まだまだ……」
===
そのまた次の晩。
「生きている限り、苦から逃れられないと思うの」
「ルナ姉ー! メル姉が狂ったー! より一層狂ったー!」
「満たされても満たされても、欲望は膨らむばかり。欲望は、いつかは満たされない。私は生まれた時から、常に苦と共にあったのね」
坐禅のまま、メル姉、ずっと絶食しているんだけど。大丈夫なの?
でも、なんか、心なしか、顔つきがみょーに穏やかなような……。
===
でもって、今日。
「बोधि? विमुक्त、विमोक्ष」
「メル姉……」
解脱した。メル姉は、煩悩の束縛を解き放ったんだ。
坐禅したままふわふわ浮いて、後光を四方八方に撒きちらす様は、まさしく仏陀だ。
私、メル姉を甘く見てた。馬鹿してて、ごめんなさい。メル姉、あなたこそ尊師だったね!
「一切皆苦。今、私は苦、そのもの」
ぶつぶつと言いながら、仏陀、ふよふよとホバリングしながら台所へ。
そのまま、偉大な霊力でもって、冷蔵庫が勝手に開いた。尊師を導いているかのようだ。
「しかし、苦こそハッピーの源よ」
冷蔵庫から、尊師、何やらキャトルミューティレーション。黄色くてふるふるなあいつを握りしめ、スプーンと一緒にやってきた。
「メルラン」と書かれたプリンの蓋が、絶大な仏陀パワーで剥がれる。
一、二度、プリンをつんつんした後、馬鹿姉、スプーンでつるんとすくった。
「ぷひゃあ! やっぱり仏陀の後のプリンは、格別ねー!」
やっぱり煩悩まみれじゃないですかー! やだー!
「がんばった……。がんばったわね、メルラン!」
ルナ姉、感涙しちゃってるしー! そんでもって感極まってハグハグの刑だ。イイナーアコガレチャウナー。
「苦あれば楽あり! プリンもおいしいし、姉さんにぎゅっとしてもらえるよ! 君も、レッツ涅槃寂静!」
誰でもいいので、助けてください! 姉さん達についていけない私を、救ってください!
願わくば、私にもルナ姉のハグハグの加護が、あらんことを。
そんな近代化を遂げた私たちの家だったけれど、変わらないものだってある。
それは、私たちの心なのでした。
「鬼は外ー! 福はうちー! メル姉は外ー! ルナ姉は内ー!」
「なにそれ、ひどくない!?」
「だってルナ姉、帰ってこないんだもーん。まだなのー?」
「私のことはどうだっていいっていうのー!?」
庭にて、豆まき。伝統文化なんてよく分からない。そう思っていたけれど、やってみると案外おもしろい。何だかほっとした気持ちになってしまう。
大昔の日本から、ずっとここにいたような感覚。どんなに文明が進んでも、私たちは変わらずに、ここに居続ける。そんな、変な気分。
……といっても、私たちは日本製じゃないんだけれども。
「ルナ姉……」
ランニング中の姉が、脳裏に浮かんだ。理想な体をキープするため、運動を欠かさないんだとか。
自分に厳しく、私にちょっと甘いルナ姉だけは、変わらない。
一緒にいて安心できて、そんでもって、どこか憧れてしまうのであった。
=====
「……豆まき、中?」
「ルナ姉、お帰りー!」
「うえーん、姉さーん、リリカが冷たいのー!」
黒のジャージ姿なルナ姉が、タオルで汗をふきふき現れる。かっこいいなー。
でも、何だか不機嫌そうな顔で、私とメル姉を交互に見比べる。おまけにため息までもらってしまった。
「あのねえ。あなた達、そんなことで福なんてくると思っているの?」
「来るよ! 古の日本の儀式、鬼は外福は内、なんだもの! 来ないはずがないわ!」
根拠もないのに無駄に信じきっているメル姉、そしてそれを一喝するルナ姉の構図となった。
「いいえ、来ない! 来るはずがない! 決して、そんな心構えでは!」
「じゃあ、どういう心構えならいいの?」
「鬼は内、福は内! 鬼を恐れていては、福なんてやってこないのよ!」
ルナ姉、何をするかと思えば、水筒の蓋を開けて、こきゅこきゅやり始めた。
結構な勢いで喉元が上下に揺れて、なんかクールというか、色っぽいというか。
「例えば、運動の後の水のうまさ! だらだら過ごしている時に飲むより、ずっと美味しいのは当たり前!」
「た、確かに」
「鬼を恐れていては、福は来ないのよ! 苦労無くして幸は無し! 鬼、無くして福は無し!」
ルナ姉が人差し指を上にぴっと向けて、語っちゃいますモードに突入。もう誰にも止められない。
「そもそも、幸・不幸というのは現状との比較で感じるのよ。いったん不幸になった方が、より幸を感じる。これを心理学用語で、ゲイン・ロス効果というのよ!」
ルナ姉は何でも知っているなあ。頭もいいし、スポーツもできるし、音楽だって一番理解しているはず。すごいなー。あこがれちゃうなー。
さて、ゲイン・ロス効果、ねえ。
「今100万円持っている人に1万円あげるよりも、3円しか持ってない人に1万円を上げるほうが喜ばれる、みたいな?」
「さすがリリカ、発想がゲンキンというか現金そのものね!」
「メル姉は黙ってて! そんなつもりじゃないの! じゃあじゃあ。ただのラーメンは普通だけど、何日か絶食させた後に食べさせた方が喜ばれる、みたいな?」
「さすがリリカ、お腹空いている人とかじゃなくて、絶食させるってあたりがなんだかどSね」
「そ、そんなつもりはないのにー!」
他にいい例えはないものかとルナ姉をまじまじと見つめると、しょうがないわね、との眼差しが返ってきた。
「そうねー。例えば、ツンデレの心理なんかによく使われてるわね。いつも好き好き言うより、一度ツンツンした方が際立つ、みたいな」
「な、なるほど! その手があったのねー!」
ほら見ろ、そんな話をするから馬鹿姉が食いついちゃったじゃないのー!
かと思ったら、メル姉、意外と目をキラキラさせない。むしろ、黒い眼差しで唇を噛み締めながら、ルナ姉をきりりと睨みつけた!
「私、姉さんのこと、大っ嫌い」
「ふえ……!?」
言われた瞬間、ルナ姉の目が、何だか乱反射し始めた。涙だ! 涙でうるうるし始めちゃってる!
途端、メル姉もわたわたし始めちゃうし!
「ち、違うの! 好きよ、大好き! 大好きなの!」
「ね、こんな感じに普段落ち着いている私が感情をあらわにすると、妹を自由に操れる」
「なにそれ、狙ってたの!?」
そういうと、ルナ姉、鼻高々にどや顔スマイル。
「まあ何にせよ、鬼が来なくちゃ福は来ないってことなのよ」
「そうね。姉さんの言う通りね。私、間違ってた。姉さんのこと、全面的に支持するわ!」
今度はメル姉が、希望の光で目をきらんきらんさせながら話し始めた。
「姉さんはこう主張したいわけよね! 私たち、みんなマゾなんだって! 快感とは痛みを水で薄めたようなものである!」
「ちょっと、メルラン!?」
「徹夜後の睡眠は果てしなく気持ちいいし! 我慢した後のトイレとか気持ちいいし! 卒論や修論を何度も突っ返される方が提出時は気持ちいいし!」
「うわあああん、メル姉がおかしくなったー!」
「私は変わらない! だって、私はいつだって、メルランなんだから!」
「良い事っぽく言ってるけどおかしいからー!」
暴走モードだ。メル姉、完全に暴走モードだ。もう駄目だ! プリズムリバー姉妹は変態に支配されてしまうんだ!
「というかルナシューターとか本当マゾだから! 2面ボスのスペカ履歴が70/90なのに1面ボスは270/300とかなってるけど、なんとも思わない連中だから!
無駄にラスペで2ボム消費しちゃったり、三色UFOで赤の時に慌てて取りに行ったら青になっちゃったり、花映塚だと後ろから妖精に追突されたり!
そんな辛い目を何度も味わってでもクリアの快感を味わいたい、マゾな人種でしかないのよ!」
「そ、そうかもしれないけれど!」
「勝手に剃髪とかマゾなのよね!? 変な政治家とか叩かれたくてやってるマゾなのよね!?
ついつい夜更かしネットしちゃう人とか寿命削る系マゾなのよね!? というか、SS書いてる人って色々とマゾよね!?」
「ル、ルナ姉ー! 助けてー!」
でも、意外とルナ姉、メル姉をぽーっと見つめているような……。
「メルランの言う通りかもしれないわね!」
「どういうことー!?」
「生きている限り、辛いことも苦しいこともたくさんある。でも、マゾになったら、全部喜びになる。さすがはメルラン、ハッピーの殿堂者……」
「ふふん。私を甘くてもらっちゃあ困りますなあ」
メル姉、指をちっちっちーと鳴らして鼻息ふんふん、得意気である。
もう駄目だ。メル姉を調子づかせたらどうなることか。もう知らないよ!?
「きっとメルランなら、全ての苦しみを喜びに変えられるはず! たとえ精神攻撃であっても、物理攻撃であっても!」
「……ル、ルナ姉? なんか雲行きが怪しいような……」
「いいわ。ハッピーの極地を見せてあげる。生きとし生けるもののあるべき姿を、体現してみせるわ! 生きてないけど!」
こうして、メル姉の修行の日々が始まるのであった。
===
その晩。
「姉さん、もう一発お願い!」
「ああ、メルラン……。ごめんなさい!」
乾いた音が、リビングに鳴り響く。
馬鹿姉が馬鹿姉をビンタし続けるという馬鹿な作業が、214回ぐらい繰り返されている。
私、どうすればいいの。こんなお馬鹿な姉たちを、私、どうすればいいの!?
「まだよ。こんなものじゃ、苦痛じゃない! もっと苦しくなくちゃ、ハッピーになれない! もう一発お願い!」
「て、手が痛い……!」
===
次の日の晩。
「こ、この、お馬鹿さん!」
「……ふむ。まだ、心に波風すら立たない」
「むうー。じゃあ、この、シャツが真っ白透け透けお化けめ!」
今日はルナ姉の罵声のような何かがずっとリビングに鳴り響く。
メル姉、物理的な痛みをなんとも思わなくなってしまったらしい。今度は精神攻撃なんだとか。
坐禅しながら、メル姉、一つ一つの言葉を噛み締めながらも、落ち着いてらっしゃる。
駄目だ。こんな罵声程度じゃ、今のメル姉には歯がたたない……!
===
さらに次の日の夕方。
セーラー服姿のルナ姉とメル姉が、夕焼けに染まったクスノキの下で、背を向けて立っていた。
メル姉が、スカートをたなびかせながら、ルナ姉に向き直る。
「先輩、来てくれたんですね……」
一筋の風が、二人の間を駆ける。
メル姉のウェーブがかった銀髪がルナ姉へたなびく。それにつられるように、メル姉の両腕が真っ直ぐに伸びた。
「ルナサ先輩。これ、私の気持ちです!」
赤みがかった封筒、それはメル姉の心、そのものであるかのようだった。
つまるところ、それはラブレター。真っ直ぐなメル姉の腕に、その心が宿っていた。
「ふぅん。今時、ラブレター、ね」
ルナ姉が、芝居がかったように、くるんと華麗にターンを決める。
前髪を一度振り払って、少し不機嫌そうにして、ルナ姉はひとつだけ、ため息をついた。
「私、同性には興味ないの。というか、あなた、同性としても嫌い」
「ぐ、ぐぅぅううう! こ、これぞ、愛別離苦……!」
おおっと、さすがにこれはダメージがでかい!
わざわざメル姉の望んだシチュエーションをぶち壊す作戦、効果てきめん! メル姉、お腹の辺りをぎゅっと抱えて倒れこんじゃう!
でも、まだ目を開けて、しっかりと前を向いている!
「ま、まだよ。この程度の苦痛じゃ、まだまだ……」
===
そのまた次の晩。
「生きている限り、苦から逃れられないと思うの」
「ルナ姉ー! メル姉が狂ったー! より一層狂ったー!」
「満たされても満たされても、欲望は膨らむばかり。欲望は、いつかは満たされない。私は生まれた時から、常に苦と共にあったのね」
坐禅のまま、メル姉、ずっと絶食しているんだけど。大丈夫なの?
でも、なんか、心なしか、顔つきがみょーに穏やかなような……。
===
でもって、今日。
「बोधि? विमुक्त、विमोक्ष」
「メル姉……」
解脱した。メル姉は、煩悩の束縛を解き放ったんだ。
坐禅したままふわふわ浮いて、後光を四方八方に撒きちらす様は、まさしく仏陀だ。
私、メル姉を甘く見てた。馬鹿してて、ごめんなさい。メル姉、あなたこそ尊師だったね!
「一切皆苦。今、私は苦、そのもの」
ぶつぶつと言いながら、仏陀、ふよふよとホバリングしながら台所へ。
そのまま、偉大な霊力でもって、冷蔵庫が勝手に開いた。尊師を導いているかのようだ。
「しかし、苦こそハッピーの源よ」
冷蔵庫から、尊師、何やらキャトルミューティレーション。黄色くてふるふるなあいつを握りしめ、スプーンと一緒にやってきた。
「メルラン」と書かれたプリンの蓋が、絶大な仏陀パワーで剥がれる。
一、二度、プリンをつんつんした後、馬鹿姉、スプーンでつるんとすくった。
「ぷひゃあ! やっぱり仏陀の後のプリンは、格別ねー!」
やっぱり煩悩まみれじゃないですかー! やだー!
「がんばった……。がんばったわね、メルラン!」
ルナ姉、感涙しちゃってるしー! そんでもって感極まってハグハグの刑だ。イイナーアコガレチャウナー。
「苦あれば楽あり! プリンもおいしいし、姉さんにぎゅっとしてもらえるよ! 君も、レッツ涅槃寂静!」
誰でもいいので、助けてください! 姉さん達についていけない私を、救ってください!
願わくば、私にもルナ姉のハグハグの加護が、あらんことを。
そして2回目にしてルナサ姉さんが絶望してない件について。いやまあ元ネタのほうでも毎回絶望してるわけじゃないのか。
人生楽しんでるなー