Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

千ノナイフガ胸ヲ刺ス

2012/03/15 02:37:40
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『それで終わりか?』
 月の下、ナイフを未だ私に向けたまま荒い息で睨み続ける人間。
 門番を潜り抜け、魔女へと視線を向けるでもなく、ただただ真っ直ぐと私へと向かってきた少女は膝を屈する寸前で、ふらついた足を気力だけで支えていた。
 私よりも身長は高く、荒んだ狼のような視線が私を見つめ、そして逃さないとでも言うように逸らす事もない。
『殺してやる、吸血鬼……ッ!』
 彼女の長い髪が揺らめいて、一瞬の内に視界に広がる銀の煌めき。
 四方八方へと広がる鋭く尖ったナイフは、千を下らない刃の数だったろう。
 到底、避けきれるような物ではないーーならば、選択はただ一つであった。
 槍を手に、翼を羽ばたかせる。
 悪魔の翼、悪魔の槍、悪魔のような形相を浮かべている私自身を自覚しながら、口元に浮かんでいるそれにふと気付いた。
 ああ、これは笑みだ。
 今目の前でナイフを操り、必死に食らいつこうとしている子狼の首の根を折り砕くのは容易い。
 敵意に満ちたこの瞳を曇らせて、絶望の縁へと落として命を奪う事は児戯に等しい事であるから。
 だから、私は。
 一瞬思考が取られていたのもあり、到底避けきれる状態ではなかった。
 ガッ、と鈍い音、私の肩に触れたナイフが貫通し、激痛が走る。
『ッ』
 握っていた槍を取り落とし、一瞬だけ意識が寸断されて身体が墜落ていく。
 瞳を開いた私の視界に映ったのは、に、と笑みを浮かべたその銀髪。
 確かに彼女は一瞬だけ、意識を緩めていた、その想いが何であったのかは私には解らないが。
 けれど、その一瞬の隙は私には十分以上の時間だった。
 肩を微かに押さえたまま、羽根だけがばさり、と強く羽ばたき、身体の中にある何か熱いものが爆発したように口から漏れた。
『……っ、ぁああああああああああああっ!』
 叫びが紅の夜を揺るがし、一瞬竦んだような表情を浮かべて青の瞳は私を射抜く。
 煮えたぎるそれに任せ、空を駆けて、彼女の袂へと。
『しまっ……!』
 ソレがのけぞり、飛び退こうとする首元へと手を伸ばし、届くと温もりが手に伝わってきた。
 細い細い、まるで折れてしまいそうなその首。
『っ、ぐ、ぅっ』
 呻き声を漏らしながら彼女は私を睨み、首元を解放しようと手に力を込めて剥がそうとしていた。
 空に向かって彼女の身体を突き出すように持ち上げれば、呼吸が一気に詰まったのか口元からは苦しく漏れた吐息だけが焼けている。
『良くやるものだ。楽しかったよ』
 肩に突き刺さったナイフから溢れるそれを感じながら口元を笑みの形に歪ませれば、目の前のそれは苦々しそうな声で吐き捨てるように言葉を口にした。
『殺せなかったのが残念よ、吸血鬼……! 千のナイフで刻んでしまおうと思ったのに』
『残念だけど、そう簡単に殺されてあげる訳にはいかなくてね。妹にまで手を出されてしまってはたまらない』
 ふぅ、と一つ息を吐けば、開いた片手で自分の肩に突き刺さったままのナイフを手に取ろうとすると焼けるような熱さが走った。
 握っているだけで、私の掌は焼けていく。
 無論、突き刺さっている私の肩も勿論だった。
 まるで炎で人が炙られたかのように、私の掌は赤く染まり拒絶するように火膨れが出来てきていた。
 なるほど、銀か、と認識する。
『やりなさい、よ、吸血鬼』
 薄ら笑みを浮かべた目の前のソレを、力一杯込めて床に背中から叩き付ける。
 どぉん、と鈍い音がして彼女がかは、と肺腑から息を吐き出して空を仰ぎ、その上に跨がれば彼女は諦めたように瞳を閉じた。
『早くやらないと、辛いわよ』
 その閉じられた瞳を見て、私は一つだけ間違えていた事を認識したのだった。
『確かにこれは灼けるな』
 そして私は彼女の首元を押さえ。

 ざんっ。
 力強くナイフで、彼女の長い髪を切り裂いた。

『もう持てないわね。嫌になっちゃう』
 髪を切り裂いたナイフを放り、身体を起こせば彼女は目を瞬かせる。
『どう言う、つもりだ、吸血鬼』
 よろ、と身体を起こしながら、必死で食らいつく姿は狼と表現したが違っていた。
 彼女の在り方、それは、狗の在り方。
 狼は食らえなければ死ぬのみと知っているが、狗は何が何でも生きようとする意地汚さがある。
 だからこそ、狗は狗であることが出来るのだ。
 誇り高く死ぬ事は、狗にとって必要ではないのだから。
『そろそろ私の名前を覚えないものかしら。レミリア・スカーレットと』
 口にすると、ぎっ、と歯を強く噛みしめたまるで理不尽な運命へと抗うかのように彼女は大声で叫んだ。
 ボロボロになっている絨毯の上、私の肩から溢れた血の返り血を浴びながら彼女は生かされている事を必死で否定しようとしていた。
『知っているッ! 何故私を生かした……!』
 口から溢れた叫びはそれである。
 けれど、そんなものはとうに私には解っているのだから。
『それが、あなたの運命だからよ。十六夜咲夜』
 口にしたその名前が、以外な程にしっくりと来た事に私自身驚きを隠せない。
 彼女は、この十六夜に咲いた花だ。
『何だ、それは』
『貴女の名前。これから私に貴女は仕えるんだよ』
『戯れ言をっ……!』
 笑いながら背を向ければ、鋭い殺気が飛んでくる。
 しかし、彼女がその行動に出ないのは、既に知っていた事だった。
『そうよ、戯れ。良いじゃない、貴女に、私の寝首を何時でも掻ける場所をあげるわ』
 それが運命だから、とは口にせずに言葉を続ける。
『最も、それが出来るのなら、だけれども』
 すると、彼女は私の足下にひゅん、と何かを投擲する。
 避ける必要すら無く、その銀閃は音を立てて床に突き刺さった。
『いつか、この千のナイフで、あなたを殺す。レミリア・スカーレット』
 睨みつける彼女の姿は、ボロボロでありながら、それでもまだ己が気高い狼であろうとする犬のようにも見えたのだ
『楽しみにしているわ、咲夜』
 かくあるように、私と咲夜は出会ったのだ。

 "Tonight..."

「……ん」
 軽く眠りに落ちていたのか、薄ら瞳を開けば見慣れた天井が映り込んで来た。
 眠ろうとしていた覚えは無いのに、不意に睡魔に襲われていたらしい。
 昼でも無いのに、珍しい事もあるものだとため息をつきながら身体を起こせば、古い椅子がぎしりと音を立てた。
 良い物を買ってきたものだ、と褒め称えたのはそう遠い昔のことでないように思えたが、半ば剥げているニスを見ればそれは即座に否定出来てしまう。
 塗り直すと言えば、きっと門番は張り切ってその作業を行おうとするのだろう。
 けれど、どうしてもそんな気にはなれずに今の今までこの椅子を使い続けてこんなに襤褸になってしまった。
 買った時は、艶があり、シックで落ち着いた色合いで部屋にもマッチしていたのに。
「……そろそろ、換え時かな」
 口ではそう嘯きながら、実際に換える選択肢は私の中に存在していない。
 自嘲を含んだ笑みが口元に浮かんでいるのを自覚しながら、軽く固まっていた身体を伸ばすと骨が鳴って仕方ない。
「我ながら、優美とはほど遠い行動だね」
 立ち上がりながらぼやけば、視界に飛び込んだのはイブニングドレスと浴衣と言うやはり妙な服の組み合わせだった。

『ええ。そのようなお召し物がお似合いかと』
 私が何時も着ている服とは少し違う、ドレスに似たそれを見ながら咲夜はにこりと笑顔を浮かべる。
 着たまま羽根を微かに動かしたが、違和感は無く心地よさすら感じる程だった。
 特注するに当たり、仕立屋を呼んだのは人里に慣れていた咲夜。
『気に入ったぞ、これは良いものだ』
『……へ、へぇ』
 頭を上げずに丸い身体の仕立屋が禿頭を微かに上げれば、彼の表情は真っ青なそれであった。
 恐怖を押さえきれず、かと言って逃げる事も出来ない様子が心地良い。
 なるほど、これは癖になるかもしれない。
『では次を』
『へ、へい。……こいつなんぞ、如何ですかい』
 咲夜の凛とした声が響くと、浴衣のようなそれを持ち出しながら仕立屋は己の汗を拭う。
『……へぇ』
 咲夜が受け取ったそれを広げれば、藍一色に月の模様が描かれたそれが柔らかな手触りでとても着心地が良さそうなものであった。
『そうね、咲夜。あなた、着てみなさい』
『……え?』
 一瞬だけ硬直した咲夜の戸惑った表情が私を楽しませる。
『おい、これと同じ柄の大きいものはあるのだろうな?』
『あの、お嬢様? って、え?』
 驚かせ半分で少し凄みのある口調で仕立屋に声を掛ければ、彼は飛び上がったように背を竦ませてこちらへと視線を向ける。
 一方、私は咲夜の着ている服を脱がそうと手を掛け始めていた。
『お、お嬢様あっ!? お止めくださいっ!?』
 慌てた咲夜の様子は、とても面白いものだった。
『へ、へぇっ、そいつは勿論!』
 人間から”赤い悪魔”に対しての反応は大方そのようなものだった。
 精々が巫女と魔法使い、その他僅かな人間だけが私に対して礼儀もなっていなければ全く気を遣おうともしない。
 あいつらはもう少し私の扱いを良心的に扱えば良いのに全くそんな様子を見せすらしないのだ。
 妹に対してもそれは変わらないようだが、あれは逆に来る度喜んで魔法使いと巫女の相手をしている。
 此処まで外に出なかった、出せなかったフランが人間と会話し、感情を育んでいると言うのは私には衝撃も良いところだった。
『お姉様、何してるの?』
 明るい妹の声が響いて扉ががちゃんと開けば、金色の髪がぴょこん、と揺れる。
『ああ、フラン。手伝いなさい、咲夜の服を脱がすのよ』
『妹様、お助け下さいー……』
 丁度下着を咲夜が隠そうとしているところだった。
 仕立て屋の男は真っ赤な顔をしながら右往左往としているが気にとめる程の相手ではない。
 妹は、さて何をどうするかと思ったところでとてもいい笑顔を見せたのだ。
 朗らかな、それで居て遠慮のないそれを見るのは久しぶりである。
『咲夜』
 フランが優しい声で、手を差し伸ばすように掌を上に向ける。
 安堵したかのような表情を咲夜が浮かべたところで、フランが口元を歪めた。
『残念だったね?』
 ぼう、と一瞬だけフランの掌に紺か黒か解らない何かが一瞬だけ見えた。
 そして、開いていた掌をぎゅっ、と強く彼女が握りしめる。
 すると、咲夜の着ていたメイド服がバラバラになって崩れていって、悲鳴が部屋の中に響き渡った。
『きゃ、きゃあああああああああああああっ!?』

 "I pray for you..."

「あ、お姉様、何処行くの?」
 廊下を歩いていると、背から声を掛けられて私は振り返る。
 フランが首を傾げて、此方に歩いてきていた。
「ちょっとね」
 微かに肩を竦めれば、フランが窓の方を見やり
「もうそろそろ陽が昇るよ?」
「心配しないで。子供ではあるまいし」
 ふ、と笑みを浮かべるとフランがにやにやと笑みを浮かべながらこちらを見やる。
「どうかなぁ。お姉様、案外抜けているところあるんだもの」
「姉に対する敬意を少しは払いなさいよ、もう!」
 睨んで怒ったように声を荒げてやると、フランがきゃー、とか小さく声を漏らしながら頭を抱えて嬉しそうにころころと笑う。
「全くもう。行くわよ私は」
 唇を尖らせて背を向けてやれば、妹から声が飛んでくる。
「あ、傘借りたけどいつものところに戻しておいたから!」
 そしてぱたたた、と走り去る音が聞こえて振り返れば、フランの姿はとうに離れた場所へと行ってしまっていた。
 地下室まで行ってしまうと、それこそ声すら届かない。
「こら、また勝手に外に、それに人の物使うなと言っているのに!」
 深くため息をつきながら足を向けて、その部屋の扉を開けば目の前の白に一瞬だけ見惚れながら、この空間に包まれて居るという事に微かな安堵の息を吐いた。
 ここの部屋だけは、何時も変わらない。
 メイド妖精にすら掃除をさせず、きちんと私がこの部屋を綺麗にしてきたのだ。
 私以外は、この部屋に入る事は許されない、メイド妖精などが立ち入る事は絶対に許さない。
 フランはある意味では例外であるのは妹に甘い姉だからか、それとも。
 白い色調の家具と、真っ白な皿が置かれたテーブルクロスにグラス。
 ベッドはきちんとメイクされており、汚れの一つも無く保たれている。
 その家具棚の側にある真っ白な日傘を、私は手に取った。

『あ、お嬢様。お持ちしますのに』
 咲夜は微笑いながら、私の後を追うと深くため息。
『全く、遅いわよ』
 呆れたように言ってあげれば、咲夜は深くため息を吐いたのだ。
『お嬢様が早すぎるんですよ……』
 歩調を併せて私の側に並び立った咲夜を見上げながら私は
『咲夜は時間を止められるけど、時間は咲夜を待ってはくれないよ?』
 出会った頃よりも大人びた咲夜は、すらりと背を伸ばして落ち着いた様子で私の傍らを歩く。
 きっと里の人間の婚姻の適齢期は、とうに来て下手すると過ぎ去っているのかもしれなかった。
『初めての時に比べれば丸くなったね、それにしても』
 何とはなしにそんなことを口にすれば、咲夜が飛び上がるように驚いて目を瞬かせて私を覗き込む。
『太ったってことですか?』
 突然そんなことを言われて、自分の発言を思い返せばなるほどそうとも取れる発言であったのに気付いた。
 全く意識していなかった発言であるが、彼女にとっては非常にデリケートな問題であったようだ。
 最も、仮にそうであっても私にとっては些事でしかないのだが。
 少々太ったところで、咲夜は咲夜だ、と言う事は変わらないのだから。
『いや、私を殺すって言ってた割には、さ』
『……ああ』
 一番最初に出会った時の言葉を口にしてやれば、咲夜が微苦笑を浮かべて一つ安心したような息を吐いた。
『まだ私を殺さないのかい、十六夜咲夜?』
 おどけた口調で笑みを浮かべてやると、咲夜はに、と笑みを浮かべて言うたのだ。
『ええ、まだ』
『何だ、面白くない』
 唇を尖らせて返してやると、咲夜は口元に指を当てて、もう一度笑みを浮かべるのだ。
『いつかだ、と思っている方が面白いと思いませんか?』
『やれ、殺すと言われる側の苦悩を少しは味わった方が良いよ、咲夜は』
 主人に対して大概の口調だと思わないでも無いが、きっとこの口調は彼女特有のものなのだろう。
 少なくとも、妹にしろ門番にしろ、または魔女にしろその使い魔にしろ、このような物言いをする存在は私の周りには居ない。
 無論、赤白や白黒などとは別次元だ。
『ふふ、申し訳ありません。でも』
 咲夜が屈み込み、こつん、と私の額に彼女の額を当てると瞳を閉じて呟く。
『私がお嬢様を殺すまで、私はお嬢様にお仕え致しますわ』
 その唇がとても瑞々しいもので、そっと腕を伸ばして彼女の頬に触れる。
『ん』
 触れるだけのキスを、一度だけ交わした。

 "Tonight,I pray for you..."

 ひゅう、と宵の風は私の背を撫でて行く。
 少しだけ肌寒く、爽やかとは言い難いそれは私を通り抜けて館へと走っていった。
 妖精か、それとも子供か、無邪気と思えるその抜け方から何故フランの笑顔が浮かぶのかは解らない。
 些細な偶然だとは思うのだが、それにしても、だ。
 まだ陽は昇って居らず、慣れた宵闇と星が空を覆い尽くしている。
 浮かんだ月は欠けていて、金色を地上へと降り注いで居た。
 ただ一人、丘の上へとゆっくりと歩を進めながら。
 日課と言う訳では無いけれど、ふらり、とそこへ足を進めたくなるのだ。
「こんな時間に来るのはあまり無いのだけど、ね」
 誰に言うでもなく一人ごちた。
 夜が終わりかけて、朝が開け始める時間帯に来る日があるとは、とも思う。
 だから、今日は特別である。普段はあり得ないのだから。
 何が特別な日なのかは私にも説明出来ないのだが、それが特別だと言う確信めいたものを抱きながら足を進めたのだ。
 小高い丘は、丁度程良く館からも離れていて、それで居て人も妖もまず来ないと言う絶妙な場所であった。
 何か悪意のある存在がいる訳でもないのに、そこには何故か近寄ろうとしない。
 偶然なのか、それともそれは必然なのか、運命に問いかけてみてもその理由まで解らない事だけが、とても歯がゆい。
 けれど、私にとっても彼女にとってもそれは非常に都合が良かった事でもあったのだ。
「来たよ、咲夜」
 私が抱きしめたらすっぽりと包み込めてしまえそうな程の石。
 それが、彼女の眠っている目印だった。

『……お嬢様、陽に当たられては宜しく無いですわ』
 嗄れた声が耳に響いて、私は目を瞬かせる。
 しっかりと閉められたカーテンの隙間から陽が漏れていて、当たりかけていたらしく危ないところだった。
 痩せてしまった細い指先、彼女の掌が私に直接陽が当たらないよう遮っていてくれたらしい。
 身体を起こそうとして、触れられている事が心地良く離れる事が惜しいものだから止めて頭を預けたまま咲夜へと笑い掛ける。
『起きてたの?』
『起きてしまいました。もう殆ど身体が動かないと言うのに難儀なものです』
 深く刻まれた皺と、かさかさになってしまった手の皮。
 咲夜のベッドに寄り掛かって、短い時間眠ってしまっていたらしい。
 私の肩には、緋い外套が掛けられていたが掛けられた事すら気付かなかった。
『ん、これ』
『きっと妹様ですわ』
 笑いながら咲夜は薄ら瞳を閉じる。
『あれも成長したものね。姉に対してどうかと思うけれども』
 その優しい口調が何となく気に入らなくて、唇を尖らせれば
『元よりお嬢様をお嫌いではないのですよ、妹様は』
 ふふ、と柔和な笑みを浮かべた咲夜が、深く身体をベッドに預けるようにしながら呟いた。
『距離感が解らなかっただけなのかもしれませんね、お二人とも』
『かもしれないわね』
 五百年に少し満たない程度の時間、彼女と私は積極的に触れ合う事は無かったのだ。
 人は勿論の事、妖怪も変わるものだな、と言う実感に満たされて深く息を吐いた。
『咲夜も随分と成長したものよね』
 口にしてから少し後悔し、ふぅ、と一つ大きく息を吐いた。
『ええ。こんな程になるとは思いませんでしたが』
 口元と目元の皺が緩やかな形を作っているのは、この体勢でもよく見えていた。
『ふふ。最初は物騒な事を言っていたのに、こんな優しそうなお婆さんになるなんて、ね』
 折れてしまいそうな姿の咲夜と、未だあの頃と変わらない姿のままの私。
 この運命は、最初から解っていた事だった。
『少し、長く生きすぎたのかもしれません。あの夜の……』
 深い息を吐いて、咲夜はゆっくりと言葉を紡ぎ出して瞳を閉じた。
 私も瞳を閉じて、いつかの夜の事を思い出す。
 きっと、咲夜も全く同じ事を思い出しているのだろう。
 私は一生、死ぬ人間ですよ。
 その言葉が、今目の前で現実となろうとしている事に気付かされてしまった。
『聞きたくないよ、咲夜。そんな昔のこと』
 少し掠れた上擦った声が、己の唇から出ているのを自覚する。
『お嬢様』
 咲夜の声が、とても小さなものとなっているのに気付いた。
『わたしは、しあわせ、でした』
 そして、確かに咲夜はそう言ったのだ、間違いなくそう言ったのだ。
 掌を私の髪の上から落としながらも、彼女が私に伝えたかった最後の言葉を。
『咲夜』
 身体を起こし、安らかに横たわる咲夜の掌を握りしめた。
『私を、殺すんじゃなかったの、咲夜』
 すでに血液が巡っていない、それでもまだ残り香のような暖かさの残る掌を。



 "千ノナイフガ胸ヲ刺シテ...途方ニ暮レル..."



 こまめに清掃されて、綺麗になっているその小さな墓の周りには、花が絶えず咲いていた。
 妹、門番、魔女、メイド妖精、その内のいずれがここに来たのかは解らないが、まだ萎れて居ない新鮮な花が捧げられている。
 そう言えば、今日は花を持っていなかった。
 用意出来る時は用意するのだが、時間が時間か、だがその言い訳も我ながら見苦しい。
 情けない主だ、と自分を叱咤するが、それでも咲夜しかいないのだから偶には甘えたいのだ。
 墓石に背を預けて座り込み、丘の遠くを見るようにすれば薄ら明ける色に空が染まり始めていた。
 全く、何時までフランは遊びほうけて居たのやら。
 私が目を覚ます直前までだとするのなら、陽が落ちてからほぼずっとである。
「そろそろまたきちんと管理した方が良いのかしら、当主として」
 妹様はそれもまた嬉しがるかもしれませんね。
 ふと何処かからそんな声が聞こえた気がして、はっ、として周囲を見回したが、そこには何もなくただ風だけが吹き抜けていた。 
「咲夜」
 この下に眠る彼女の名前を呟けば、声が震えているのに気付く。
 何度目かは解らないけれど、こうして彼女の名前を呼んでいるだけで、壊れていきそうな心のかけらを繋ぎ止められているのだと、そう信じてここに一人、私は来ている。
 思い出話は、妹だけではなく、他の妖怪達とも語り合えることだ。
 けれど、私がしたいのは思い出話ではなく、ただただこの冷たい石へ触れていたいだけ。
 何処まで言っても彼女は孤独で、解き放たれていた。
「咲夜」
 もう一度、彼女の名前を呼ぶと、私の瞳から何か熱いものが零れていることに気付いた。
 安らかにここで眠り続けているあなたの平穏を、私は願いたい。
 けれど、悪魔と踊り続けたあなたを想って、悪魔は何に祈れば良い?
 陽が昇り、世界は橙色に染め上げられて行く。
 輝きに手を翳せば、熱く感じた私の掌から煙のように何かが宙に溶けていく。
 それでも、潤んだ視界に映る、次第に染め上げられていく世界は例えようも無い程に美しかった、綺麗だった。
 そして、その陽は私の身体を灼いて、きっと灰に変えてしまう。
「咲夜ぁ……」
 でも、灰になるまで咲夜を抱きしめて居られたのなら、それも良かったのかもしれない。
 私は、確かにあなたに完膚無きまでに殺されてしまったよ、咲夜。
 あなたは私の心を千のナイフで切り裂いてしまったのだから。
 しゅう、と焼けた私の身体が、大気の中に溶けていくのをただ待ち続けながら、私は少しずつ死に始めていた。
 これが運命なら、いっそ、このまま。
「お姉様……!」
 すると、館から飛んできたフランが大声を上げて、私の身体を抱えて日傘を刺して飛ぶように地を駆ける。
 妹の息遣いを間近に感じながら、そのまま私は緩やかに意識を落とした。

 

『っ……』
 咲夜の遺品を整理していて、どうしても触れないものがあったのだ。
 彼女の所持品のナイフである。
 これだけは、私に触れないものであるから門番に整理して貰った。
 私も手に取りたかったのに、どうしても触る事が出来ない。
『お姉様、火傷したー』
 フランがからんからん、と音を立ててナイフに触れたのを見ながら、深くため息を吐いた。
『全く。触れないのが解ってるでしょうに』
『そうだよね。……でも、咲夜のだから私も一つ欲しかったんだもの。形見分け』
 何気なく、フランはそう言いながら目先を時計に移して言った。
『お姉様、これ、私が使っても良い?』
『ダメ。似たのを買ってあげるわよ』
 唇を尖らせたフランに、私は深くため息を吐いた。



"千ノナイフヲ...胸ニ刺ス..."
 

「……」
 瞳を開くと、白い部屋。
 咲夜が使っていた部屋の、汚れの一つもない真っ白なベッドに私は寝かされていた。
 ゆっくりと身体を起こせば、もうすでに夜を迎えているのに気付いた。
 何故かは簡単だ、カーテン越しの灯りがもう既に見えない。
 丸半日、私はここで眠りに付いていたらしい。
「……フランか」
 ここに運び込んで来たのは、単に傘を戻すのが面倒臭かっただけなのか、それとも。
 額に手を当てて身体を起こせば、ひらり、と紙が一枚舞った。
『道化師は己の思いを見せず、ただ笑う』
 紙に書かれた見覚えのある文字は、きっとフランのものだ。
 けれど、何故フランはこんなものを書き置いたのだろう?
 一瞬戸惑いながらも、整理して何処にあるかはすべて解っている咲夜の痕跡の事だろう、とふと思って立ち上がった。
 我ながら情けない当主だな、そろそろ隠居して妹に家督を譲った方が良いのではないだろうかとも思いながら先にカーテンを開けると、苦笑が口元に浮かぶ。
 そうすれば心おきなく、咲夜の後を追えるかもしれないと言うのに。
 言葉には出さずに言いながら、彼女の私物であったクローゼットを開ける。
 
 開けないで下さいって、もう。

 そう言われたような気がして振り返るが、誰もそこには居ないのだ。
「当主の権利だろうに」
 全く、メイド長の管理は私が直に行うものだというのは解っていた筈だろう、と呟くと、小さな紙片がナイフに挟み込まれていた。
 フランは、これを伝えたくて先ほどのメモを残したのだろうか。
「……ふ、ん」
 教えてくれたことには感謝しないではないが、これは私には触れないものだ。
 どうせ手が灼けるに違いないので触らないに限る。
 そこまで思考が回ってクローゼットを閉じかけて、それが何であるのか、という事に気付いて私はもう一度クローゼットを開け放った。
「まさか……っ!」
 そして、紙片の挟まれていたナイフを手に取る。
 
 フランが触っている以上、私が触れないものでは無い。
 考えてみればその通りであるが、ここに放り込まれた直後の私はその思考を私自身に許さなかったのだ。

「これ……」
 掌にナイフを取って、抜き払うと銀色の輝きを持った刃が月に照らされて照り返している。
 掌が灼けないこのナイフは、銀では作られていない。
 そして、刻まれた文字にはこう書かれていたのだった。

 お嬢様へ。
 私は、今も貴女の側に居ります。
 
 そしてそのまま、裏側へひっくり返すと同じように書かれた言葉。

 敬愛するお嬢様へ。
 懸命に、けれど幸せに、生きて下さい。

「咲夜ぁ……っ……!」
 悲鳴のような声が漏れたけれど、構っていられる程の余裕は無かった。
 限界だった。
 涙がぼろぼろと落ちて、白い絨毯の上に落ちて痕を作り、それでもまだ足りない程に溢れてきて止まらない。
 どうして、殺すって言ったのにあなたは私に生きて下さいって言うの!?
 心も何もかも、殺してくれた方がよほど楽に終わる事が出来たのに!
「うぁ、あ……ぁ、咲夜ぁ……咲夜あぁぁぁぁあああああああっ!」
 ナイフを握りしめて、己の手が傷つけられるのも構わない。
 ただただ慟哭しながら、床の上に突っ伏しながら咲夜の声を聞いていた。

『もう、お嬢様。戯れはそれくらいに』

『今日の紅茶は少し面白い物を。如何でしょう?』

『妹様と仲がよろしいのは良いことと存じますわ』

『大丈夫、生きている間は一緒にいますから』

「うあ、あぁあああああああっ、ぅううううっ……!」
 ただ慟哭しながら咲夜の言葉の一つ一つを噛みしめる。
 苦しくて、張り裂けそうで、どれだけ嘆きの声を上げてもまだ足りなくて。
 けれど。
 ……それでも、生きていかなければならないのは、私自身がよく知っている。
 だから。
「……」
 ぐす、と漏れる声を押さえて。
 顔を拭い、涙を押さえ込んで。
 どれだけの傷を抱えても、立ち上がるしかない。
 ……それが、私に許された、運命なのだから。
「そうだよね、咲夜」
 ぽつり、白い部屋の中に私の掌から溢れた血の滴が朱を作っていた。
 けれど、きっとそれで良い。
 私の命は、まだ終わっては居ないのだから。


 扉の影で、七色の翼が揺れたような気がした。
ふと思いついたので。
GLAYの「千ノナイフガ胸ヲ刺ス」より。
takasaka
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
うーむ…やっぱ切ないですねぇ…
2.名前が無い程度の能力削除
もはや、ある種の神聖さがあると言っていい
3.名前が無い程度の能力削除
次は「月に祈る」ですかね