Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

八重咲く如く

2011/12/28 00:43:56
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「お邪魔しますよっ、パチュリー……………さん」


元気よく勢いよく。
紅魔館地下にある大図書館の扉を開け放つと同時に、私は思わず固まった。

相変わらず薄暗く、本棚は所狭しと並んでいる何時もの図書館なのだが問題は床にあった。
足の踏み場も無い、というのは正にその通りなのだが目に飛び込んできたのは


本、本、本、本、本、本、本、本、本、本――――――


いや、図書館なのだから本が在ること自体は何ら不思議は無いのだけど。
だけれど、扉を開けた先の床が一面の本で覆われていたらどうだろう?


「地震……という割には綺麗に並べられているみたいですし、人為的なようですが」


本を使ってドミノ倒しでもしたかのようにズラリ―――と並べられている様は中々圧巻だ。
とはいえ持ち主の性格の現れだろう、かなり丁寧に放置されている。

全くもって意味不明だが、そのなんとも非日常的な香りを感じれば何となくワクワクしてくる。
それが、常日頃から変化の少ない大図書館ともなればなおさらだ。


「魔理沙さん対策の新手のトラップか魔法の研究の一環なのか……」


カシャリ―――

愛用のカメラで現場を収めつつ、さて、と周囲を見渡してみる。
とりあえず、ここの主に尋ねれば答えは貰えるだろうが、目の届く範囲にその姿は窺えない。
何時もならば眠そうな顔をして「あら、また来たのね……」と何処か迷惑そうなそうでもなさそうな微妙な表情で迎えてくれるのだけど。

まぁ最も本の虫でもある彼女が完全に集中しているなら声を掛けても華麗にスルーなんて日常茶飯事だ。
この前来た時も何故か本を逆さにして熟読するとか天然ぶりを発揮していた。
そんな時はこの図書館の司書でもあるもう一人が対処してくれるのだが―――


「小悪魔さんも見当たりませんね」


いつもなら扉が開ければ字のごとく飛んでくる筈なんだけどな。

そんな普段とは違う図書館の雰囲気に、はて、と首を傾げる。

もしかしたら皆出払っていて居ないのかもしれないけど―――まぁいいや。


「じゃ、失礼しますよーっと」


バサリ―――

鍵が開いていたという事は積極的に“入るな”と主張しているわけではないだろうから、遠慮なく入室させてもらう。
とはいえ流石に本を踏んで進むのは躊躇らわれ、バサバサと羽ばたきながら無駄に広い図書館を飛翔する事にした。
本に対して下手な扱いをすれば後でどんな制裁が下されるか分かったものではない。

古い本特有のカビ臭さと草の匂いが混じったような匂いを嗅ぎながら、通り過ぎる本棚の本を目の端に入れつつぼんやり考える。

本当に留守だとするならば随分と無用心な話だ。
これでは魔理沙さんにどうぞ持っていって下さい、と言っているようなものなのだけど……。


「パチュリーさーん?」


幾重にも整然と連なる本棚を右へ左へ避けながら。
バッサバッサと羽ばたきながら適当に飛びつつ名前を改めて呼んでも反応が無い。

本当にいないのかな?

『動かぬ大図書館』という不名誉な(と、私は思っているが)渾名を戴く彼女はまさにこの図書館から外へと足を延ばす事自体が稀である。
だから何時来ても必ずといって言いほど此処に居る。

本来居るべき人が見当たらない空間。
そんな普段とは違う異質な雰囲気を感じつつ、神経を集中させて耳を澄ませてみると

ゴホゴホッ――――

微かに聞こえてきた咳き込み。


「あー………これは………」


それでようやく納得がいった。
連なる本が音を吸収してすぐに気付けなかったようだが、どうやら返事をする余裕など無かったようだ。

音の出処を求め、多少急いでひたすらに続く本棚の合間を抜けていくと―――


「パチュリーさん、大丈夫ですか?!」


案の定というかなんというか。
石造りの床に座り込みながら、体を丸めて激しく咳き込んでいる姿に慌てて降りて床に降りて駆け寄った。


「ゴホゴホッあ、ら……またゴホッきたゴホッゴホッ!……の、ね……ゴホゴホゴホッ!」
「ああ、もうほら喋らないでください」


ぜーぜーと。
咳をする以外は息も絶え絶えの状態で律儀に何時ものように対応されれば逆に呆れる。
人付き合いは特別良くないが真面目で勤勉、されど、どうにも彼女はどこか抜けていていけないと思う。

細い肩を震わせ、咳き込み続ける背中。
健康優良とは言い難い彼女の体は、こう言っては失礼かもしれないが細い枝のようで、少しでも力を込めれば折れてしまいそうなほどだ。

まさか実際折れるとは思わないが、それでも力を込めすぎないよう、優しく背中を摩る。

上質の生地を使っている服の手触りは滑らやかで、じんわりと人肌の温かさを掌に感じながら、ふと周囲を見渡してみた。

やはり、ここにも何冊もの本が所狭しと広げられており、本で作った城の中央にパチュリーさんが座っている、といった様相。
きっと何かしらの作業の途中で持病の喘息の発作が出たのだろう。

膝を落として近い視線を合わせれば、安心させるように言葉をかける。


「まぁ、ゆっくり落ち着いてください。特に私は急ぎじゃないので」
「―――ッ」


こくり、と。
口元を押さえてゴホゴホしたまま、パチュリーさんが微かに頷いた。











「はぁ………また来たのね」
「第一声がそれですか?」


かれこれ五分ほど。
ひたすら咳き込む彼女の背中を献身的に摩り続けた結果がこれとは。

きっと私は今ものすごく微妙な表情を浮かべたんだろう。
くすり、とほんの微かにパチュリーさんが笑った。


「酷い顔ね………冗談よ。ありがとう」
「―――いえいえ、どういたしまして」


静かな笑みにどきりと心が跳ねた。
普段から表情豊かとはいえず、またひねくれている訳ではないけど素直ともいえない。
鉄仮面、とまでは言わないが感情の起伏は少ないのがパチュリーさんだ。

何か良いことでもあったんだろうか?


「それで?」
「……え?」


中々見られない珍しいモノを見て密やかに感慨に耽っていたら、声をかけられた。


「今日は一体何の用かしら?」
「用が無くちゃいけませんか?」
「貴方が何の用も無しにここに来たことなんて無いと思うんだけど?」


コテン、と。
首を傾げて不思議そうに尋ねる彼女を見て、まぁ確かに、と頷く。

パチュリーさんの好きなものは第一に本であり、次に読書だ。
何かと取材を通じて紅魔館を訪れる事はあるが、その度に特に用も無く顔を出すというのは彼女の好きなことをする時間を奪うようで躊躇われる。
その為、彼女と顔を合わせるのは何かしらの用事があるなり作るなりした時だけだ。


「ごもっともです。まぁ………あれです、記事の為に資料を閲覧させて欲しかったんですよ」
「そう………そんな事だろうと思ったわ」


何処か少し落胆したかのような声と共に笑顔を消すと、何時もの何処か眠そうな表情を浮かべる。
そんな相手の変化を見て、あれ?と再び不思議に思った。
普段は冬の空ほど安定している彼女にしては珍しく、今日は秋の空模様のようだった。

よいしょ、と小さく声を出して立ち上がり、未だ床に腰を下ろし続けている彼女へ手を差しのべる。


「どうぞ?」
「……どうも。でも大丈夫よ」


が、彼女はちらりとそれを一瞥した後、まるでそれを拒否するかのように視線を逸らし、のっそりと立ち上がった。

一度やって駄目なら大人しく下がるに限る。
これでいて彼女は頑固だし、普段が落ち着いている分、揺れ動いている時は案外分かりやすい。

唇を軽く噛み締めながら、パタパタと服を払う彼女を見てそんな事を思えば肩を竦める。
ああやって不機嫌になると所作の端々に、“不機嫌ですよ”といった雰囲気を静かに醸し出すのも特徴といえば特徴だろう。

そういう時は無理に掘り下げないで適当に話題を変えるのだ―――出来れば本に関する事で。


「やれやれ………それより、この床に並べられている本は一体なんなんですか?」
「虫干しよ」
「………はぁ?」


思わず変な声が出た。
だが、あら?とパチュリーさんは逆に、さも意外とばかりに首を傾げた。


「虫干し。知らない?本来は本が傷まないように天日に晒すんだけど」
「いや、知ってますが………それって夏にやるものですよね?」


湿気の多くなる季節に虫やカビが本につかないようするそれは夏の季語でもあり、本来夏の土用の頃に行うものだ。
今は師走も暮れが迫るそんな日々。
なんでもってそんな日に虫干そうとしているのだろうか?


「パチュリーさん、失礼を承知で聞きますが………今何月か分かってますか?」
「12月ね。巷じゃ西洋宗教の重要人物の誕生日に浮かれてるみたいだし」
「ええ、そうです。25日のクリスマスですが………なんで虫干し」
「元々この図書館の湿気や気温は私が魔法で管理してるんだけどね。どうも、外から持ち込まれたみたいで、本棚の一角でカビが生えてたのよ。………まったく、本をようやく返したと思ったらこれだもの」
「ああ、魔理沙さんですか」
「そういうこと。だから他に傷んでる本がないか確かめつつ保護の魔法をかけていたんだけど………思いのほか埃が溜まってて、ね」


途端に歯切れ悪く呟くのを聞いて、ははあ、と肩を竦めてみせた。


「それで喘息の発作を起こしたと………結構パチュリーさんってバカですよね」
「んなっ?!そ、そんなことないわよ!なんでよ?!」
「ご自身の体は誰よりもご存知でしょうに。そもそも、そういった作業のために小悪魔さんがいらっしゃるのでは?」


顔を微かに赤らめて講義する姿にヒラヒラと手を振りながら、先程から姿の見えない使い魔の姿を求めてキョロキョロと見渡す。
すると、ああ、と得心がいった様子でパチュリーさんが頷いた。


「あの子なら人里へ買い物に連れて行かれたわ」
「買い物?」
「ええ、レミィにね。今夜はパーティーだって張り切ってたから」
「あー………なるほど。クリスマスパーティーですか」


紅魔館の主であるレミリアさんが割とお祭り騒ぎが好きなのは重々承知している。
とはいえ、本来吸血鬼の敵であるキリスト教会のお祭りを祝うってどうなのだろうか。


「あれでいて誰かをもてなすのは好きだからね、レミィは。祝う理由があればなんでもいいのよ」
「あやや………身も蓋もないですねー」
「お祭りなんてそんなものよ。あなたもパーティーにくるのかしら?レミィ、結構あっちこっちに招待状出してたみたいだけど」
「―――え?私は貰ってませんよ………?」


嫌われるのが新聞記者とはいえ、パチュリーさんの話しぶりでは割と多く招待しているのだろう。
それを思えば、なんともハブられた気分だ。

彼女も居心地が悪いのか、何とも言えない微妙な表情で僅かに眉を顰めている。


「レミィ………わざとね」
「まぁ、万人に好かれる新聞記者なんていませんからね。仕方ありません」
「そういう訳じゃないのよ………ああ、もう!」


珍しく苛立ちを隠そうともせず、あちらこちらへと視線をさ迷わせるパチュリーさん。
だが、ようやく意を決したのか、キリッ、とこちらを睨むように見つめられ、思わず半歩退いた。


「あー………どうかしら。私もちょっとは顔を出すし、あなたも来ない?」
「え?いえ、ですがレミリアさんから招待されてませんし………」
「私が誘った、って言えばレミィも文句は言わないはずよ?」
「………いえ、参加したいのは山々ですが、仕事もありますから。今回は遠慮しておきますよ」


若干言い辛そうに告げられた言葉に、逡巡しながらも首を横に振った。
魅力的な誘いではあったが、正式な招待を受けていないのに顔を出すというのも厚かましいし、それ以上にパチュリーさんに必要以上に気を遣わせてしまうのが申し訳ない。

ぶぶ漬けは出される前に御暇するのが日本人の礼儀だ―――いや、天狗だけどさ。


「あら、そう………」


途端に、ガックリ、とパチュリーさんは疲れたように肩を落とし、恨めしそうに顔を俯せた。


「―――どうせならちゃんと運命読みなさいよ、レミィ………」
「え?何か言いましたか?」
「なんでもないわッ」


ブツブツと小声で呟かれた何事かを尋ねれば、切り返される鋭い声。
やはり、今日の彼女は何処か不安定なようだ。

はぁ、と深い溜息を吐きながら、それより、と眠そうな目を向けられた。


「仕事の資料。どんなのが欲しいのかしら?」
「え?ええと………天体に関する資料ってありますか?」
「天体?あるにはあるけど………今度は一体なんの記事を書くの?」
「いえ、流星祈願会について香霖堂の店主を取材する予定なんですけどね?」
「………ふぅん。それが理由でパーティーには出ないと………」
「な、なんですか?」


じと、と何かを責めるような視線。
何故か突然更に機嫌が悪くなった様子に焦るが、別に、とつっけんどんな態度で視線を逸らされた。


「さぁね。それで?取材のために予習?」
「いやー………ほら、ある程度知識が無いとあの人の話の腰が折れないじゃないですか」
「―――はぁ、まったく………記者がそれでいいのかしら?」
「構わないんですよ。それこそ、ある程度のところで退散しないと何時までも喋られてしまいますから」
「そう………じゃあ、取ってくるわ」
「あ………お願いします」


呆れたように呟き、トボトボと歩き始める哀愁漂う後ろ姿を見送りながら、はて、と頬を掻く。

小悪魔さんも居ない時に作業をしていたのでお疲れ気味、といったところなのだろう。
そんな時は無理せず大人しくしていればいいのに。

そんな事を思いながら、ふと、天井に届くのでは無いかと思える程に高い本棚を見上げてみると中途半端に残された数冊の大きめな本が視界に入った。
きっとあそこの本を下ろしている途中で発作を起こしたんだろう。


「いつもお世話になってるし、手伝うとしますか」


トンッ―――と床を蹴り上げてバサバサと宙に浮かぶ。
いく段にも重なる棚を越え、次第に近付いてきた本の背表紙には何やらグネグネとミミズが這いずったような文字が並んでいる。
大抵ここの図書館にある本は読解不能な文字で書かれている事が多いから特に気にもならないが………


「とはいえ、どれだけの時間を掛ければ言語も統一されていないこれだけの本を読めるんですかねー」


魔法使いの生が如何程かは分からないが限りはあるだろうに。
きっとその全てを賭けてでも彼女は読むのだろうな、としみじみと思いながらその背表紙に手をかけたその瞬間


カッ――――!!


目の前が真っ白な光に包まれ、全身をハンマーで殴られたかのような衝撃が襲い、遅ればせながらにドッカァァァアアン!!!という爆音が脳天を突き抜けた。


「―――?!!」


悲鳴すら上げる事もできずに、ガンッ!ガンッ!と背中に顔にへと襲い来る衝撃に対して受身も何もとる暇など一切ないまま、真っ逆さまに落ちていく感覚が数秒間続いたと思ったら、一際強くドンッ!と体全体がしたたかに打ち付けられた。
突然の閃光に視界は完全に死んでいて何がなんだか良くわからなかったが、段々と視力が戻ってくれば、グラグラと揺れる視線の先には図書館の天井があるのに気付いた。

つまり、いつの間にか床に大の字になっているようだった。


「………はぁ?」


とりあえず体中が痛い。
ついでにキーン、と酷い耳鳴りもするし、三半規管がいかれたのか、床に寝ている筈なのに天井に向かって落ちていきそうな感覚。

そんな摩訶不思議な初体験に思わず悪態をついていると、バタバタ!と慌てたような足音が床に接している頭に直接響いた。


「ちょ、ちょっと?!今爆発音したけど大丈夫?!」
「………パチュリーさん」


腕いっぱいに抱えるほどの大きな本を脇に抱え、息を乱しながら天井を遮るように視界に入ってきた相手の名を呟く。

床に伸びている私が割と満身創痍だと気付いたのか、彼女はギョッと目を見張って読んで字の如く本をそこいらに投げ出すと、床に膝をついて額にそっと掌を当てられた。
僅かに体温の低い彼女の手は未だにグラグラしている視界を落ち着けてくれるようで気持ちがよい。


「あの………今本を取ろうとしたら棚が爆発したんですが………」


柔らかな掌に安心感を覚えればホッと息を吐き出し、今起こったであろう事をありのまま伝えると、え!?と心配そうに顔を歪ませていた彼女は驚いたように目を丸めた。


「ひょっとして、棚の上の方にある本に触ったのかしら………?」
「ええ、いつものお世話になってるので、本を下ろすのを手伝おうと気紛れを起こしまして………」
「そう………ごめんなさい、私の所為だわ………」


途端に申し訳なさそうにハの字に眉を下げる表情を見て、もしかして……とある考えが脳裏を過ぎった。


「ひょっとして、魔理沙さん避けのトラップですか………?」
「ええ、そう………割と危険な魔術の内容が書かれている本だから、盗られないようにって殺傷を目的としないのを仕掛けておいたのだけど………」


まさかあなたが先に掛かるなんてね、と小さく呟かれれば、なるほど、と心の中で頷いた。
確かに閃光と爆音だけで実際の爆発の炎などは感じなかった。
恐らく視力と聴力を一時的に奪うことを目的とした物なのだろうが―――如何せん衝撃波は凄かったし、あんな高さから落下するとなれば下手をしたら大怪我するだろう。
体が頑丈な天狗になった事を今日ほど有難く思った事もないが、もしも人間である魔理沙さんがモロに喰らえばどうなるか分からない。
まぁ窃盗を目的とした相手にそんな気配りは必要ないといえば必要ないのかもしれないが………。


「とりあえず、あれは危ないんで止めておいた方がいいですよ」
「そうね、そうするわ………ぁ―――ッ」
「?」


小さな悲鳴が上げ、額に当てていた手を離してパチュリーさんが途端にオロオロしだした。
優しい感触が無くなったのをどうにも寂しく感じながら、思わず首を傾げる。
一体どうしたのだろうか?


「パチュリーさん?」
「ごめんなさい………頬から出血してる」
「え?」


反射的に手を上げて頬に当ててみるとピリッと微かな痛みと指先が濡れる感触。
目の前へと指を持ってくれば、なるほど、微かに紅に染まっていた。


「あー………落ちたときに切りましたか」
「本当にごめんなさい、起き上がれる?無理ならそのままで手当するわ」
「ま、まぁまぁ落ち着いて下さい」


今すぐにでも飛んで救急箱を取りに行こうと静かに慌てる相手を宥めながら苦笑する。
慌てる人を見ながら逆に気が落ち着く、とは良く言うが正にその通りだと思う。

よっ、と小さく声を出せば腹筋の要領で上半身を起こして、床に座り込んだまま不安そうな表情を浮かべている彼女に笑いかける。


「大丈夫ですよ、天狗は代謝も高いんです。この程度の傷なら、すぐに治りますから手当も不要です」
「でも駄目よ。傷口から細菌が入ったら化膿するわ」
「いや、本当に。これくらいの傷は割と日常茶飯事ですし、それこそ舐めておけば治ります」
「非科学的よ、そんなの。それに、どうやってそんな場所を舐めるのよ」
「あー確かに。誰かに頼むとしましょうかねー」


恐らくトラップを仕掛けてケガを負わせた事に引け目を感じているんだろうが、一声掛けずに勝手に本を触ったのは己の過失だ。
ならば責任の所在は半々。
一方的に彼女が悪い、とは言えない。

体のあちこちは若干痛いが視界は大分快復したし、頬は掠った程度で実際にすぐに治る類の傷だ。
だから暗い表情のパチュリーさんに少しでも安心してもらおうと、おどけたように肩を竦めてみせた―――のだが


「………そう」
「え?」


何故か彼女は若干不機嫌そうに眉を潜め、小さく一言呟くとズイっと迫ってきた。
近付かれた分だけ思わず退がろうとしたが、ガシッ、と肩に両手を置かれればそれすら叶わない。

ついでに言えば、完全に拘束されたままドンドンと近付いてくる何かを決意した怒りを灯した瞳は少し怖い。
というか、近い。


「あ、あのパチュリーさん?」
「何かしら?」
「近くないですか?」


恋人同士ならキスの一歩手前ほどだ。
だが、クスリ、と先ほどとも違う少し艶っぽい笑みを浮かべると、彼女は何でも無いようにとんでもない事を言い出した。


「離れていたら舐められないじゃない」
「はぁっ?!ちょ、なに言って―――ッ!」


まさか真に受けた?!
慌てて立ち上がって離れようとしたが、彼女の顔が近付くのはそれ以上に早かった。


「ん―――」
「ッ?!」


ピリ、と頬に痛みが走った後にやってきた柔らかく暖かい感触に思わず息をのんだ。
まるで意思を持ったように動く何か―――ぶっちゃけ、多分、パチュリーさんの舌によって傷口が優しく撫でられる。

呆気にとられたまま、痛み以上にビリビリと痺れる左頬へ視線を向けると、ほぼ零距離の場所に彼女の顔があった。
アメジストのような瞳は閉じられていて見る事は出来ないが、髪と同じ色の睫毛をピクピクと僅かに震わせている。

想定外の出来事に思考は完全に麻痺していて、ああ案外睫毛長いんだな―――なんて、普段なら有り得ない距離にいる相手を思わずマジマジと観察していた。

先程まで体を襲っていた痛みも、最早何処が痛かったのか分からない。
ただただ頬で動いている軟体動物のようなそれだけに意識を奪われ続けた。


「…………」
「…………」


互いに無言のまま。
チロチロと小刻み震えながら動く舌の音以外静寂に包まれていたが、満足したのかスッ―――と彼女の顔が離れた。

無限の時間が過ぎたようにも感じられたが、多分数秒の出来事だったのだろう。

近付いてきた時と同じく、何でも無いように離れた彼女の顔を呆然と眺めながら、途端に寒さを感じる頬に手を当てれば息苦しさを感じ何だろう?と眉を顰める。
が、ただ思わず息を止めてしまっていたという事に気付けば、ははは、と苦笑しつつスーハーと一つ深呼吸をしてポツリと尋ねる。


「―――どういうつもりです?」
「別に?誰かが舐めるなら私でも問題ないでしょう?」
「言葉の綾ってやつですよ………?」
「そう―――綾、ね。なら、やっぱりちゃんと手当てしないとね」


そのまま立ち上がる彼女の姿を馬鹿みたいに見上げながら、あー………、と小さく呟きながら言葉を選ぶ。
彼女は間違いなく知識人だが、それでいて割と世間知らずで、天然な部分が多いのだ。

今回も、そんな常人とはズレた感覚がこんな事をしでかさせたのだろう―――


「パチュリーさん」
「何かしら?」


くるり、と背を向け歩き出そうとした相手を呼び止める。

だから、ちゃんと正す所は正して再発を防がないと他の誰かに余計な誤解を招かせてしまうかもしれない。


「あんまり、ああいう事をやらないほうがいいですよ?」
「………なんでかしら?」


きっと本人も恥ずかしいのだろう、表情は見えないが耳が真っ赤に染まっている。

照れ隠しのような、つっけんどんな物言いに思わず苦笑を浮かべてしまった。
きっと思わず行動に移したけれども、それが如何に恥ずかしい事か気づき、内心穏やかではないに違いない。

そういう所が、彼女が天然である所以だと思うが―――


「ああいう事すると、勘違いする人だってきっといますよ?」
「………あなたは、私が誰彼かまわずああいう事をやると思うのかしら?」
「え―――?いや、そういう訳じゃ………」


まるで責め立てるかのように棘のある言葉。
そこから、彼女の本気の苛立ちを感じ取れば、思わず目を丸める。
確かにそう取られても仕方のない台詞だったが、そうではない、と否定の言葉を口にしようとしたらパチュリーさんが振り返った。
私の知らない、何の感情とも読み取れない黒紫の瞳で射竦められれば、思わず体が固くなる。


「―――どうしてそれが確信犯でないと言い切れるのかしら?」
「―――え?」
「なんでもないわ………救急箱を持ってくるから、そこを動いちゃ駄目よ」


唇を微かに噛み、彼女は小さく呟くと再び顔を背けてスタスタと足音も殆ど立てる事なく何処かへと行ってしまった。

私は、消え行く背中を座り込んだまま、ただポカンと見送る事しか出来なかった。


「………」


人の気配が消え、静寂に包まれた図書館にひょっとしたら響いているのではないか?と不安になるほどドクドクと早鐘を打つ心臓。
頬に当てていた手で微かに湿った傷口をなぞるとピリッと針を刺したような痛みが走る。
夢、という訳ではないようだ。

だが、確信犯―――ってどういう事だろうか。


「………そういう事なんですか?」


思わず宙に向かってポツリ、と呟くと同時に頬に血が集まってくる。
これでは止められた血が再び流れてしまう。

でも―――

と同時に頭を過ぎるのは、彼女が割と天然で時々変なズレ方しているという事実で―――


「どうしてくれるんですか、パチュリーさん………」


結局どういう意味か計り兼ねる言葉に、思わず情けない声が漏れた。
傷口を強く抑えればズキズキと痛み出すが、それ以上に指先で感じる熱い頬。


「暑い………」


きっと今、顔中が無駄に赤いのだろう。
温度管理は確か魔法で成している筈だが、きっと調整を間違えたのだ。
彼女は天然なのだから。

パタパタ、と手で風を送って頬の熱を冷ましながら、はぁ―――と深い溜息を吐いた。


「戻ってきたら、どんな顔すればいいのよ………」


このまま帰る、というのも手だが一声も掛けずに帰るのも失礼だし、もしも帰り道でバッタリ鉢合わせれば奇声を上げる自信がある。
整理の着かない心に頭を抱えつつ、うー……と思わず唸る。

とにかく、時間が欲しい。
今は少しでも彼女が遠くまで救急箱を取りに行ってくれる事を願うしか出来なかった。















トンッ―――

背中を本棚にあずけると、そのまま力が抜けたようにズルズルと座り込んだ。
髪が床に着く事など気にも止めないまま、自らの行いを恥じるようにキツく目を閉じればギリッ、と強く唇を噛み締め、口の中に鉄の味が広がれば「あ………」と小さく呟き慌てて口を開いて、赤い顔を隠すように俯いた。


「………」


思い出すのは、先程の出来事。
食事以外で本領を発揮する事などあるはずもない舌先が感じた触感を思い出せば、反射的に口元を手で覆い、パチュリーは静かに呟いた。


「何やってるのかしら………私」


最早“勢い”という言葉以外に誰も分からない答えを求めながら、果たしてどんな顔をして戻ればいいのか?という事を思い起こせば、ああああ………と呻きながら頭を抱えた。


「………帰るわけないわよね」


はぁ、と小さく溜息を吐けば、間違いなくずっと待ち続けるであろう律儀な天狗の性格を思い起こせば一縷の望みも最早ない。
ノロノロと立ち上がり、図書館の出口へと向いながらアタフタと視線をさ迷わせる。


「とりあえず―――ここからなら食堂が一番遠いかしら」


1メートルでも遠く、1秒でも時間の稼げる救急箱のある場所。
それを必死に考えつつ、段々と遅くなる足取りのまま図書館の扉がゆっくりと開かれ、その身が扉向こうへと消えればバタン―――と閉じられた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ひょんな事から出来上がった?カプですが、こんな感じで良かったのだろうか………?

一応クリスマスに合わせて書いていたのですが、いう程クリスマスメインな話でも無く、挙句、題名もクリスマスとは何ら関係の無い感じになり、正直言ってクリスマスであるべき要素は皆無になった為、三日ほどズラしました。
不知火
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
あかん、パチュリー様可愛すぎる…
2.名前が無い程度の能力削除
好意に気が付かれなくてやきもきするパッチェさん可愛い
3.名前が無い程度の能力削除
あやパチェ…だと…!!
続編キボン
4.名前が無い程度の能力削除
天狗と魔法使いは相性がいいらしい
5.名前が無い程度の能力削除
可愛いなあ可愛いなあ可愛いなあ!
6.名前が無い程度の能力削除
文パチュとは始めてみたがいいね
最後思わず素の口調になる文ちゃん百合可愛い