※さとり以外の台詞の上にマウスを置くと、覚り妖怪タイム。
――最初の一歩――
古明地さとりには、悩み事がある。
言ってしまえば、可愛い悪戯だ。彼女の妹が、ここ最近さとりに“悪戯”をしているのだ。
けれどさとりはそれを、素直に笑って許してやることが出来ない。その悪戯で、ひどい目に遭ったことだってある。そんな、色々と紙一重な悪戯だ。
「わからない」
さとりはそう、頭を抱える。目の前には、彼女の大事なペット、火焔猫燐が可愛らしく首を傾げていた。きっと、心を読めば自分を心配してくれていると言うことがわかることだろう。
だが、その、“心を読む”ということが問題なのだ。
「さとり様? どうされました?」「大丈夫かな? さとり様……」
聞こえてくる“声”は、到底燐が言いそうにないこと。けれどそれは確かに、燐から聞こえてくるのだ。他でもない、燐自身の心から。
考えられる事はただ一つ。どこかに潜んでいるこいしが、無意識を操りつつさとりの耳元で呟いているのだ。燐の心を隠蔽し、適当な言葉を。
「具合でも、悪いのですか?」「薬は、ええと」
「だ、大丈夫よ、お燐。何でもないわ」
かと思えば、真っ当な“声”も聞こえてくる。ここ最近、ずっと“こう”なのだ。ふと気を抜けば、聞こえてくるのは予想だにしない声。
うっかり勘違いでもしようものなら、向こう一週間は顔を合わせるのも面気まずい事態と成る。さとりの神経は、この悪戯によって、地味に削られていた。
こいしの“無意識”を探り当てられない以上、どんなに探しても無駄骨になる。
「こいしなら、きっと」
けれど、同時に思うこともある。
どうしようもない事態なように思えてその実、解決方法は簡単だ。
ようはさとりが動じなくなって、どれもこれもクールやり過ごすことが出来るようになれば、それだけでこいしは“飽きて”やめることだろう。
「ふ、ふふふ、お姉ちゃんの実力、見せてやるわ! こいし!」
さとりは諸手を挙げて、宣言する。口元に浮かべるのは、一歩間違えれば引きつっていると言われかねない、不敵な笑み。
精一杯の自信と姉であるということの見栄が、さとりを奇行に走らせていた。
「お薬はどこだったかな?」「風邪の薬で良いのかな? うーん」
さとりは、燐から届く“声”を極力聞かないようにして、走り出す。とりあえず、ペットたちを相手にしていたら、何時までも同じ事を繰り返しそうだと、己に言い聞かせて。
意識的無意識時間のハートフルワールド
――二歩目は斜めに――
旧都を歩くと、沢山の声が聞こえてくる。そのどれもが心地よい世間話という訳ではない。さとりを見て、蔑む言葉もある。
けれど大多数が“こいしフィルター”の無い声だと思えば、それほど神経をすり減らされる心配も無かった。
「おい、あれ」「覚り妖怪じゃねぇか、厄日だぜ」
「うげっ」「読むな読むな読むな」
「見ろよ、あれ」「ハァハァ、さとりたん」
「お、おう」「大丈夫か? こいつ」
……無いったら、無いのだ。たぶん。
顔を引きつらせながら、さとりは旧都をぶらぶらと歩く。とりあえず知人にあって、狼狽しないようにする。さとりの目下の目的は、これだ。
「えーと、ぁ」
そうして歩いていると、大きな木に寄りかかって酒を呑む、友人の姿が見えた。昼間っから酒を呑んで、悠々自適。良いご身分だと、さとりはそっと肩を竦める。
「勇儀」
さとりが声をかけると、鬼――星熊勇儀はきょとんと首を傾げた。けれどそれも一瞬の事で、直ぐに、笑顔に戻ってさとりに手招きをする。
「よう、一緒に呑むか?」「珍しいな。一人でふらふらと」
「え、遠慮しておくわ。昼間から、呑むつもりもないし」
さとりは、早速躓きそうだった心を持ち直し、無難な言葉を返す。肴になるつもりが無いのはもちろん、昼間から呑むつもりもないのだ。
「ははっ、そうか」「また、宴会くらいあるだろうしな。その時に一緒に呑めばいいか」
「あ、あははは、はぁ」
絶対に、勇儀が言いそうに無い“声”を、さとりは一生懸命無視する。彼女の心に耳を傾けて、反応し、奇妙な形で怒りを買いたくない。
理性、理性、おとなのおんな、理性、と掌に書いて呑み込む。そうすると、次第に心は静まっていった。
「栄養取らないと、大きくならないぞ」「横にも縦にも、成長……するのか?」
「余計なお世話よ、おっぱいまじんめ」
「ははは、気にしてたのか? すまんすまん」「何時もならこの程度は聞き流すのに、珍しいな」
もう、何が本当のなのかわからない。
さとりは叫び出したくなる気持ちをぐっと、ぐぐっと抑え込んで、何度も何度も深呼吸を繰り返す。理性、理性、きっとせいちょう、理性。
「わ、私はここで、失礼するわ」
「お? そうか? またな!」「希望を捨てなければ大丈夫だろ。たぶん」
勇儀の言葉を振り切って、全力で走り出す。
どうにも、失敗をしている気がしてならない。
さとりはそんな気持ちを覆い隠して、ただひたすらに、足を動かすのであった。
――千鳥足で、三歩進んで――
適当な茶屋で腰掛けて、さとりは大きくため息を吐く。最初の頃のやる気は早くもぐらつき初めて、どうにも元気が出なかった。
疲労は大きい。けれど確かに、勇儀との会話で得た物もあった。そう、肝心要の“対処方法”がわかったのだ。
なんということはない。心を読めないことを前提に、ただの妖怪同士、ただの人間同士が会話するようにすればいいのだ。
覚り妖怪だからこそ思い浮かべられなかった、対処方法。それに、さとりは小さく苦笑いを浮かべる。いつの間にか、心を読むと言うことに、固執していた。
「ふふ、本当、ばかね」
「誰がバカなんだ?」「ちょうど良かった。探してたんだ」
そう一言零した時、見計らったように声が掛かる。いや、事実、声をかけるタイミングを見計らっていたのだろう。
声の主、霧雨魔理沙は、机を挟んでさとりの正面に腰かけた。心なしか、そわそわしているように見えて、さとりはそれに小さく首を傾げる。
「地底に来るなんて、どうしたの? というか、人間があまり気軽に来ちゃダメよ」
「いやな、ここの温泉卵が欲しいんだよ」「いや、宴会の席でアリスが食べたいって言うから……いいだろべつに」
からからと笑う魔理沙に、さとりはぐっと気持ちを抑え込む。言っていることと考えていることが真逆で、“如何にも”なひねくれ者。それが、霧雨魔理沙という少女だ。
これがこいしの悪戯なのか、それとも魔理沙の本心なのかはわからない。けれど、不敵な笑みを見る限り、魔理沙の本心のような気がして――さとりは小さく首を振る。
心では判断できない。だから、声に出す会話と相手の表情、五感だけで判断しようと決めたのは、ほんのついさっきのことなのだ。
こんなに早く、自分で決めたことを破るつもりは無かった。
「温泉卵? それで、私を捜していたの? わざわざ?」
「偶然だよ、偶然」「だって、さとりに聞けば確実に手に入るだろうし、アリスも喜ぶ……なんだよ」
肩を竦めて首を振る魔理沙に、さとりはぐっと、ぐぐっと、ぐぐぐっと我慢する。トラウマを発掘するのは簡単だが、それだとこいしに負けを宣言するようなものだ。
理性、理性、ひとのこといえないだろ、理性、と呑み込み深呼吸。
「で? どうなんだよ?」「あんまり遅くなると、あいつ、心配するから」
「っ……さ、さぁ、残ってなかったような?」
そうは言うものの実は、まだある。
さとりの部屋の片隅に、ぽつんと置かれた鳥かご。そこに並べられた温泉卵は、今日帰ってから食べようと思っている、所謂一日の“楽しみ”なのだ。
先程から失礼極まりないこの白黒ネズミに喰わせてやれるほど、気軽にあげられる物ではない。なにせさとりが、卵から厳選したのだから。
だから、耐える。どんな言葉にも動じまいと、温泉卵を渡してなるものかと耐え――
「ちょっとくらい残ってないのか? あったら分けて欲しいんだが……」「そ、そんなぁ……アリス、がっかりするかな……いや、なに弱気になってんだ」
「ありますよ。ええ、ありますとも!」
――きれずに、ついにさとりは爆発する。
気がつけば、さとりは魔理沙の心の声にまんまと釣られていた。声を荒げて立ち上がり、喉が痛むほど声を張り上げる。よく見れば、彼女の瞳に浮かぶ透明な涙に、気がつけたことだろう。
「お、そうなのか?」「ホントか?!」
「ええ、ええ、本当ですもの! めにものみせてやるわよっ!」
「あー、でも、良いのか?」「分けてくれると、嬉しいけど、どうなんだろう」
「良いですよ! なーんにもっ、問題っ、ないですともっ」
思わず妙な丁寧語になるさとり。そんな彼女に、魔理沙は嬉しそうな笑みを浮かべて、立ち上がった。
その、心の底から嬉しそうな顔に、さとりの身体が硬直する。
「恩に着るぜ! じゃあな!」「ありがとう! さとり!」
「ちょ、ちょっと待って、ああっ」
さとりの制止も虚しく、魔理沙は箒に跨って飛び去っていく。
さとりが慌てて追いかけても、きっと、持ち前の“運”でさっさと地霊殿の自室から温泉卵を手に入れ、持ち帰るところとすれ違う程度だろう。
「わたし、の、温泉卵が……」
人目も憚らず、両膝をついて項垂れるさとり。
きっとこんなさとりの姿を見て、こいしは爆笑していることだろう。それでも、項垂れずには居られなかった。
しばらくその場でそうしていたが、やがて、彼女はふらりと立ち上がった。
その幼い背には哀愁が漂っていて、力なくお題を置く肩は、煤けている。
けれどその瞳だけは、爛々と輝いていた。
「どーせ近くに居るんでしょう? こいし。ふふ、ふふふふふ」
不気味に笑う彼女に、近づく者は居ない。ただ誰もが、遠巻きに彼女の背を見つめるのであった。
―― 一歩下がって後ろ向き――
あまり、夜遅くまでこの悪戯をに付き合う気はない。
そうは言っても、このまま終わるのは、やはり悔しい。そう、さとりが向かったのは、地底と縦穴の境にある小さな橋だった。
「いた」
そう、小さく囁いた先。橋の欄干に腰掛ける異民族衣装の少女に、さとりはそっと近づく。自分の心をさらけ出している彼女は、元よりあまりさとりを恐れていなかった。
そんな、どこか――心地よい関係を保てている妖怪。それが彼女、水橋パルスィだ。
「さとりじゃない」「ちょうど良かった。逢いたかったの」
「そ、そう」
パルスィが、あのパルスィが、心の中で殊勝なことを言っている。そんなことはあり得ないと、さとりは今日何度目か解らない深呼吸をした。
ひっひっふーと独り言のように深呼吸を繰り返す姿は、なんとも痛ましい。色んな意味で。
「どうしたの?」「なに困ってるのよ? 可愛いわね」
「なんでも、なんでもないのよ。ふふ、ふふふ」
じっと瞳を覗き込んで告げるパルスィに、薄気味悪い笑い声を上げるさとり。傍から見れば、さとりが一方的に“怪しいひと”と見られることだろう。
危ない薬でも決めてそうな、というよりは、妙に追い詰められた表情だ。
「それで? 今日はどうしたの?」「読まれているのよね……ねぇ、泊まっていかない?」
「えと、その、あのね――」
「なによ?」「ふふ、そうね。手料理でも振る舞ってあげるわ。どう?」
あのパルスィが、そんな真っ直ぐなことを考えるはずがない。読まれているのは重々承知、読ませて会話をするのがパルスィだ。なにせ、心の内側も捻くれているのだから。
だから臆面もなく、こんな事を言うはずがない。ならばこれは、こいしが“言わせている”ことなのだろう。
だったら、と、さとりは穏やかな笑みを浮かべる。
「――そうね。泊めてもらおうかしら」
「そう、わかったわ」「へ? ほ、本当に?」
心から聞こえる、焦ったような声。慌てて断るさとりが見たいから、こいしはこんな事を言わせているのだろう。だったらあえて乗ってやろうと返答したら、この有様。
ひとの言葉を借りるとき、絶対に焦りを見せなかったこいし。彼女が、焦っているのだ。
「そっか。じゃ、来なさい」「それなら、そうね、添い寝……とかは、どう?」
「ええ、いいわ。泊めてもらうんですもの」
心の声に、照れが混じる。言っておいて照れるなんて、こいしにも可愛いところがあるじゃないか。
そう思い始めたら、多少ではある物の、さとりの溜飲も下がっていった。さとりはこれで、中々単純な面もあるのだ。
けれどさとりは一つ、忘れていた。
今日一日だけで、煮え湯を飲まされてきたさとりは、溜飲を下げると共に、警戒まで下げてしまったのだ。
いつもいつも一筋縄ではいかない、妹――古明地こいしに対しては、常に警戒しなければならないということを、すっかり忘れていたのだ。
「ふふ、こいしの言ったとおりね」「ふふ、こいしの言ったとおりね」
「えっ?」
さとりの手を引く、パルスィの手。ぼんやりと熱を持った掌と、うっすらと朱が差した頬。
綻ぶ口元から紡ぎ出される声は、どうにも、心の底から楽しそうで。
「ま、まさか」
さとりの顔から、血の気が引いた。
「ぱ、ぱるすぃ、こいしは貴女に何を言ったの?」
「ふふ、あの子も、可愛いところあるじゃない」「心の中だけでも、素直になってみると良い。きっと、頷いてくれる、って」
青くなった顔が、次第に赤くなる。
もしも、先程までのやりとりが全て、パルスィの本音だとしたら。
さとりは、何を約束したのか。
泊まっていき。
手料理を振る舞われて。
最後には、添い寝をする。
それは、それはまるで――こいびと同士のような。
「ままま、待って、あの、えと、ままま、待って、パルスィ――!」
慌てるさとりと、彼女の叫び声を聞く余裕がないのか、耳まで赤いパルスィ。
今夜待ち受ける事態からもう逃げられそうにないと、さとりは、光を失った瞳でゆっくりと覚悟を決めるのであった。
「さて、さとりはもう布団に……うん?」「友達と添い寝が出来るのが嬉しい、か、私も初心ね」
「え? いつも、裸で寝てるの?」「……寒くないのかしら?」
「さとりー、大丈夫?」「さとりー、大丈夫?」
「うう、だいじょうぶです、もう、本当に、こいしの――――ばかぁーっ」
「あははっ、ごめんごめん」
――了――
――最初の一歩――
古明地さとりには、悩み事がある。
言ってしまえば、可愛い悪戯だ。彼女の妹が、ここ最近さとりに“悪戯”をしているのだ。
けれどさとりはそれを、素直に笑って許してやることが出来ない。その悪戯で、ひどい目に遭ったことだってある。そんな、色々と紙一重な悪戯だ。
「わからない」
さとりはそう、頭を抱える。目の前には、彼女の大事なペット、火焔猫燐が可愛らしく首を傾げていた。きっと、心を読めば自分を心配してくれていると言うことがわかることだろう。
だが、その、“心を読む”ということが問題なのだ。
「さとり様? どうされました?」「大丈夫かな? さとり様……」
聞こえてくる“声”は、到底燐が言いそうにないこと。けれどそれは確かに、燐から聞こえてくるのだ。他でもない、燐自身の心から。
考えられる事はただ一つ。どこかに潜んでいるこいしが、無意識を操りつつさとりの耳元で呟いているのだ。燐の心を隠蔽し、適当な言葉を。
「具合でも、悪いのですか?」「薬は、ええと」
「だ、大丈夫よ、お燐。何でもないわ」
かと思えば、真っ当な“声”も聞こえてくる。ここ最近、ずっと“こう”なのだ。ふと気を抜けば、聞こえてくるのは予想だにしない声。
うっかり勘違いでもしようものなら、向こう一週間は顔を合わせるのも面気まずい事態と成る。さとりの神経は、この悪戯によって、地味に削られていた。
こいしの“無意識”を探り当てられない以上、どんなに探しても無駄骨になる。
「こいしなら、きっと」
けれど、同時に思うこともある。
どうしようもない事態なように思えてその実、解決方法は簡単だ。
ようはさとりが動じなくなって、どれもこれもクールやり過ごすことが出来るようになれば、それだけでこいしは“飽きて”やめることだろう。
「ふ、ふふふ、お姉ちゃんの実力、見せてやるわ! こいし!」
さとりは諸手を挙げて、宣言する。口元に浮かべるのは、一歩間違えれば引きつっていると言われかねない、不敵な笑み。
精一杯の自信と姉であるということの見栄が、さとりを奇行に走らせていた。
「お薬はどこだったかな?」「風邪の薬で良いのかな? うーん」
さとりは、燐から届く“声”を極力聞かないようにして、走り出す。とりあえず、ペットたちを相手にしていたら、何時までも同じ事を繰り返しそうだと、己に言い聞かせて。
意識的無意識時間のハートフルワールド
――二歩目は斜めに――
旧都を歩くと、沢山の声が聞こえてくる。そのどれもが心地よい世間話という訳ではない。さとりを見て、蔑む言葉もある。
けれど大多数が“こいしフィルター”の無い声だと思えば、それほど神経をすり減らされる心配も無かった。
「おい、あれ」「覚り妖怪じゃねぇか、厄日だぜ」
「うげっ」「読むな読むな読むな」
「見ろよ、あれ」「ハァハァ、さとりたん」
「お、おう」「大丈夫か? こいつ」
……無いったら、無いのだ。たぶん。
顔を引きつらせながら、さとりは旧都をぶらぶらと歩く。とりあえず知人にあって、狼狽しないようにする。さとりの目下の目的は、これだ。
「えーと、ぁ」
そうして歩いていると、大きな木に寄りかかって酒を呑む、友人の姿が見えた。昼間っから酒を呑んで、悠々自適。良いご身分だと、さとりはそっと肩を竦める。
「勇儀」
さとりが声をかけると、鬼――星熊勇儀はきょとんと首を傾げた。けれどそれも一瞬の事で、直ぐに、笑顔に戻ってさとりに手招きをする。
「よう、一緒に呑むか?」「珍しいな。一人でふらふらと」
「え、遠慮しておくわ。昼間から、呑むつもりもないし」
さとりは、早速躓きそうだった心を持ち直し、無難な言葉を返す。肴になるつもりが無いのはもちろん、昼間から呑むつもりもないのだ。
「ははっ、そうか」「また、宴会くらいあるだろうしな。その時に一緒に呑めばいいか」
「あ、あははは、はぁ」
絶対に、勇儀が言いそうに無い“声”を、さとりは一生懸命無視する。彼女の心に耳を傾けて、反応し、奇妙な形で怒りを買いたくない。
理性、理性、おとなのおんな、理性、と掌に書いて呑み込む。そうすると、次第に心は静まっていった。
「栄養取らないと、大きくならないぞ」「横にも縦にも、成長……するのか?」
「余計なお世話よ、おっぱいまじんめ」
「ははは、気にしてたのか? すまんすまん」「何時もならこの程度は聞き流すのに、珍しいな」
もう、何が本当のなのかわからない。
さとりは叫び出したくなる気持ちをぐっと、ぐぐっと抑え込んで、何度も何度も深呼吸を繰り返す。理性、理性、きっとせいちょう、理性。
「わ、私はここで、失礼するわ」
「お? そうか? またな!」「希望を捨てなければ大丈夫だろ。たぶん」
勇儀の言葉を振り切って、全力で走り出す。
どうにも、失敗をしている気がしてならない。
さとりはそんな気持ちを覆い隠して、ただひたすらに、足を動かすのであった。
――千鳥足で、三歩進んで――
適当な茶屋で腰掛けて、さとりは大きくため息を吐く。最初の頃のやる気は早くもぐらつき初めて、どうにも元気が出なかった。
疲労は大きい。けれど確かに、勇儀との会話で得た物もあった。そう、肝心要の“対処方法”がわかったのだ。
なんということはない。心を読めないことを前提に、ただの妖怪同士、ただの人間同士が会話するようにすればいいのだ。
覚り妖怪だからこそ思い浮かべられなかった、対処方法。それに、さとりは小さく苦笑いを浮かべる。いつの間にか、心を読むと言うことに、固執していた。
「ふふ、本当、ばかね」
「誰がバカなんだ?」「ちょうど良かった。探してたんだ」
そう一言零した時、見計らったように声が掛かる。いや、事実、声をかけるタイミングを見計らっていたのだろう。
声の主、霧雨魔理沙は、机を挟んでさとりの正面に腰かけた。心なしか、そわそわしているように見えて、さとりはそれに小さく首を傾げる。
「地底に来るなんて、どうしたの? というか、人間があまり気軽に来ちゃダメよ」
「いやな、ここの温泉卵が欲しいんだよ」「いや、宴会の席でアリスが食べたいって言うから……いいだろべつに」
からからと笑う魔理沙に、さとりはぐっと気持ちを抑え込む。言っていることと考えていることが真逆で、“如何にも”なひねくれ者。それが、霧雨魔理沙という少女だ。
これがこいしの悪戯なのか、それとも魔理沙の本心なのかはわからない。けれど、不敵な笑みを見る限り、魔理沙の本心のような気がして――さとりは小さく首を振る。
心では判断できない。だから、声に出す会話と相手の表情、五感だけで判断しようと決めたのは、ほんのついさっきのことなのだ。
こんなに早く、自分で決めたことを破るつもりは無かった。
「温泉卵? それで、私を捜していたの? わざわざ?」
「偶然だよ、偶然」「だって、さとりに聞けば確実に手に入るだろうし、アリスも喜ぶ……なんだよ」
肩を竦めて首を振る魔理沙に、さとりはぐっと、ぐぐっと、ぐぐぐっと我慢する。トラウマを発掘するのは簡単だが、それだとこいしに負けを宣言するようなものだ。
理性、理性、ひとのこといえないだろ、理性、と呑み込み深呼吸。
「で? どうなんだよ?」「あんまり遅くなると、あいつ、心配するから」
「っ……さ、さぁ、残ってなかったような?」
そうは言うものの実は、まだある。
さとりの部屋の片隅に、ぽつんと置かれた鳥かご。そこに並べられた温泉卵は、今日帰ってから食べようと思っている、所謂一日の“楽しみ”なのだ。
先程から失礼極まりないこの白黒ネズミに喰わせてやれるほど、気軽にあげられる物ではない。なにせさとりが、卵から厳選したのだから。
だから、耐える。どんな言葉にも動じまいと、温泉卵を渡してなるものかと耐え――
「ちょっとくらい残ってないのか? あったら分けて欲しいんだが……」「そ、そんなぁ……アリス、がっかりするかな……いや、なに弱気になってんだ」
「ありますよ。ええ、ありますとも!」
――きれずに、ついにさとりは爆発する。
気がつけば、さとりは魔理沙の心の声にまんまと釣られていた。声を荒げて立ち上がり、喉が痛むほど声を張り上げる。よく見れば、彼女の瞳に浮かぶ透明な涙に、気がつけたことだろう。
「お、そうなのか?」「ホントか?!」
「ええ、ええ、本当ですもの! めにものみせてやるわよっ!」
「あー、でも、良いのか?」「分けてくれると、嬉しいけど、どうなんだろう」
「良いですよ! なーんにもっ、問題っ、ないですともっ」
思わず妙な丁寧語になるさとり。そんな彼女に、魔理沙は嬉しそうな笑みを浮かべて、立ち上がった。
その、心の底から嬉しそうな顔に、さとりの身体が硬直する。
「恩に着るぜ! じゃあな!」「ありがとう! さとり!」
「ちょ、ちょっと待って、ああっ」
さとりの制止も虚しく、魔理沙は箒に跨って飛び去っていく。
さとりが慌てて追いかけても、きっと、持ち前の“運”でさっさと地霊殿の自室から温泉卵を手に入れ、持ち帰るところとすれ違う程度だろう。
「わたし、の、温泉卵が……」
人目も憚らず、両膝をついて項垂れるさとり。
きっとこんなさとりの姿を見て、こいしは爆笑していることだろう。それでも、項垂れずには居られなかった。
しばらくその場でそうしていたが、やがて、彼女はふらりと立ち上がった。
その幼い背には哀愁が漂っていて、力なくお題を置く肩は、煤けている。
けれどその瞳だけは、爛々と輝いていた。
「どーせ近くに居るんでしょう? こいし。ふふ、ふふふふふ」
不気味に笑う彼女に、近づく者は居ない。ただ誰もが、遠巻きに彼女の背を見つめるのであった。
―― 一歩下がって後ろ向き――
あまり、夜遅くまでこの悪戯をに付き合う気はない。
そうは言っても、このまま終わるのは、やはり悔しい。そう、さとりが向かったのは、地底と縦穴の境にある小さな橋だった。
「いた」
そう、小さく囁いた先。橋の欄干に腰掛ける異民族衣装の少女に、さとりはそっと近づく。自分の心をさらけ出している彼女は、元よりあまりさとりを恐れていなかった。
そんな、どこか――心地よい関係を保てている妖怪。それが彼女、水橋パルスィだ。
「さとりじゃない」「ちょうど良かった。逢いたかったの」
「そ、そう」
パルスィが、あのパルスィが、心の中で殊勝なことを言っている。そんなことはあり得ないと、さとりは今日何度目か解らない深呼吸をした。
ひっひっふーと独り言のように深呼吸を繰り返す姿は、なんとも痛ましい。色んな意味で。
「どうしたの?」「なに困ってるのよ? 可愛いわね」
「なんでも、なんでもないのよ。ふふ、ふふふ」
じっと瞳を覗き込んで告げるパルスィに、薄気味悪い笑い声を上げるさとり。傍から見れば、さとりが一方的に“怪しいひと”と見られることだろう。
危ない薬でも決めてそうな、というよりは、妙に追い詰められた表情だ。
「それで? 今日はどうしたの?」「読まれているのよね……ねぇ、泊まっていかない?」
「えと、その、あのね――」
「なによ?」「ふふ、そうね。手料理でも振る舞ってあげるわ。どう?」
あのパルスィが、そんな真っ直ぐなことを考えるはずがない。読まれているのは重々承知、読ませて会話をするのがパルスィだ。なにせ、心の内側も捻くれているのだから。
だから臆面もなく、こんな事を言うはずがない。ならばこれは、こいしが“言わせている”ことなのだろう。
だったら、と、さとりは穏やかな笑みを浮かべる。
「――そうね。泊めてもらおうかしら」
「そう、わかったわ」「へ? ほ、本当に?」
心から聞こえる、焦ったような声。慌てて断るさとりが見たいから、こいしはこんな事を言わせているのだろう。だったらあえて乗ってやろうと返答したら、この有様。
ひとの言葉を借りるとき、絶対に焦りを見せなかったこいし。彼女が、焦っているのだ。
「そっか。じゃ、来なさい」「それなら、そうね、添い寝……とかは、どう?」
「ええ、いいわ。泊めてもらうんですもの」
心の声に、照れが混じる。言っておいて照れるなんて、こいしにも可愛いところがあるじゃないか。
そう思い始めたら、多少ではある物の、さとりの溜飲も下がっていった。さとりはこれで、中々単純な面もあるのだ。
けれどさとりは一つ、忘れていた。
今日一日だけで、煮え湯を飲まされてきたさとりは、溜飲を下げると共に、警戒まで下げてしまったのだ。
いつもいつも一筋縄ではいかない、妹――古明地こいしに対しては、常に警戒しなければならないということを、すっかり忘れていたのだ。
「ふふ、こいしの言ったとおりね」「ふふ、こいしの言ったとおりね」
「えっ?」
さとりの手を引く、パルスィの手。ぼんやりと熱を持った掌と、うっすらと朱が差した頬。
綻ぶ口元から紡ぎ出される声は、どうにも、心の底から楽しそうで。
「ま、まさか」
さとりの顔から、血の気が引いた。
「ぱ、ぱるすぃ、こいしは貴女に何を言ったの?」
「ふふ、あの子も、可愛いところあるじゃない」「心の中だけでも、素直になってみると良い。きっと、頷いてくれる、って」
青くなった顔が、次第に赤くなる。
もしも、先程までのやりとりが全て、パルスィの本音だとしたら。
さとりは、何を約束したのか。
泊まっていき。
手料理を振る舞われて。
最後には、添い寝をする。
それは、それはまるで――こいびと同士のような。
「ままま、待って、あの、えと、ままま、待って、パルスィ――!」
慌てるさとりと、彼女の叫び声を聞く余裕がないのか、耳まで赤いパルスィ。
今夜待ち受ける事態からもう逃げられそうにないと、さとりは、光を失った瞳でゆっくりと覚悟を決めるのであった。
「さて、さとりはもう布団に……うん?」「友達と添い寝が出来るのが嬉しい、か、私も初心ね」
「え? いつも、裸で寝てるの?」「……寒くないのかしら?」
「さとりー、大丈夫?」「さとりー、大丈夫?」
「うう、だいじょうぶです、もう、本当に、こいしの――――ばかぁーっ」
「あははっ、ごめんごめん」
――了――
さとパルちゅっちゅ
真・覚り妖怪タイムまで3回読み返しました。とても面白かったです。
面白かったです!
「見ろよ、あれ」←この台詞を言った奴は表へ出ろ
さとりは散々だったかもしれませんが、ハッピーエンドだったから良いじゃない!
他の作品も見てみたいです!
最初ぽかーんだったがなるほどなぁww
こんなことされたら確かに混乱せざる負えないww