※ムラいち。夏のお話。
昼の日が差し込む廊下を歩いていると、奥から普段とは違う雰囲気の一輪が反対側から歩いてきた。私と目が合うと藤色の髪を揺らしながらこちらへ近づいてくる。
「あれ、一輪?」
「ちょっとムラサ、ぬえ見なかった?」
「ぬえ?」
またなんかしたんだろうか、と思いつつ、最後にぬえを見た時のことを思い出す。確か朝ご飯の前に起こしに部屋まで行った。その時は布団にくるまっていた芋虫姿だったので、
「まだ寝てるんじゃない?」
「さすがにもう起きてるわよ。というか、さっきまで居たの」
起きてたか。
なら知らない、と答えると一輪は小さくため息をついて耳にかかっていた髪を後ろへ流した。
「あ、頭巾だ」
「なによ」
「いや、珍しいね。この時間に頭巾外してるの」
「あー……うん。一枚以外、全部洗濯中なの」
「一枚以外?」
「ぬえに持って行かれた」
なるほど、だからぬえを探してるんだ。
ふぅん、と相槌を打つと「だから見つけたら取り返しておいて」と言われた。それにも相槌を打っておくと口から大きなため息が聞こえた。
「大丈夫?」
「なにが?」
「調子悪そう、暑いからかな」
「ぬえと追いかけっこしてるからよ……この忙しいのに……冗談じゃないわ」
その言葉に思わず笑ったら睨まれたので小さくごめん、と言った。
一輪は昼間とか、人前にでる時に頭巾を脱ぐ事に抵抗感があるようだった。そして今日も参拝者はたくさんいる。それなのにぬえのいたずらに巻き込まれているという事実が、彼女の機嫌の悪さに拍車をかけているんだろうと思う。
暑さにダルそうにしている一輪は小さく息をはくと「それじゃあ」とまたフラフラ歩き出した。
「一輪」
「うん?」
「いいじゃん、そのままで」
「なにが?」
「頭巾」
あぁ、と一輪は自分の頭――本人は頭巾を触ろうとしたのかもしれないけど――を撫でた。少しだけ髪が乱れる。
「うーん、でも、やっぱり落ち着かないのよね」
夜とか身内しかいない時ぐらいしか彼女は頭巾を外さない。
「これからもっと暑くなるよ? 一輪暑いの苦手なんだから気をつけた方がいいんじゃない?」
「あれはあれで日差し除けになるのよ」
「んーでもせっかく綺麗な髪してるのに」
ふわふわの髪は、夏の日差しを受けてキラキラ反射していてとても爽やかで綺麗なのにね。
ハッとこういった話題が苦手な一輪の照れ隠しで殴られるような気がした。
慌てて身構えて一輪の様子を見れば、一輪は心ここに非ずといった感じで、ぼーっとしている。
「……一輪?」
心配になって声をかけると、ハッと意識が戻ったような素振りを見せたと思ったら今度はなぜか不思議な物を見るような目で私を見つめてくる。
「え、なに?」
「いや……うん、なんでもないよ。暑いってやだね」
一輪がよくわからない。
「一輪」と声をかけたけれど今度こそ本当にフラフラとぬえを探しに行ってしまった。
私は、そんな一輪を追いかけることを忘れてただ呆然と突っ立っていた。
***
夏の日差しが暑い。夏だからしかたないのだけど、日が射さない地底とちがって地上はとにかく暑い。妖怪になってからそういうのには鈍くなったけど、目にささる日差しが嫌でも暑さ強調させる。
「とける……」
「ムラサの場合腐るじゃないの?」
「なっ! うわっ」
後ろから失礼な声が聞こえて、振り向こうとしたら世界が柔らかい闇に包まれた。鼻を通るのは先ほど一緒に話していた一輪の香りで、つまりこれは。
「ぷぁ」
「ムラサ一輪みたい」
「ちょっとぬえ!」
「なによ」
一輪の探し人は私を見てケラケラと笑っていた。
頭を覆う頭巾を外そうとすると手が伸びてきたので慌ててそれを遮る。
「ちょっとぉ」
「ちょっとじゃない!これは返却します!」
頭巾を胸に抱いてとられないようにする。ぬえは不服そうに頬を膨らませて、まぁいいかとつぶやいた。
「ムラサから返してもらった方が都合いいだろうし嬉しいだろうし」
「なに?」
「なんでもない。そのかわりに」
ひょい、と目の前を白い私の帽子が通りすぎ、そのままぬえの頭へと着地した。
「ちょっと!」
「代わり代わり。頭巾と交換でもいいよ?」
ニヤニヤ笑うぬえを苦々しく見る。帽子は大切だけど、一輪のことも大切なので後で取り返す事を決意する。
何も言わない私の顔を見つめるぬえの笑みがさらに深くなった気がした。
「あーあーあっついあっつい」
「なにがよ。涼しくなるように水浸しにしてやろうか?」
人の帽子を団扇にしないでほしい。
「ていうかあんたね、こんなことして知らないからね?」
「あー?」
「一輪怒ってたよ。夕飯とか覚悟しときなよ」
寺の食卓を担う彼女を、過去に酷く怒らせた腹ペコな虎はこの時の事について聞くと今でも口を紡ぐ。
「? あーまぁ大丈夫だよ。今饅頭怖いしてるから」
「饅頭?」
「好きなものに嫌いっていって、嫌いなものを好きって言ってる」
「…………え、それだけ?」
効果あるのかなぁ。一輪だったらわかってそうだけど。
「ものは試しって感じ? 私まだみんなと食事取り始めて日が浅いし、さすがにご飯抜きはないでしょ」
「……ふぅん」
そんなうまくいくかなぁ、と思ったけど口に出さないでおく。
「これで一輪だませたら面白いし、私は美味しいし、一石二鳥だよね」
「あのねぇ、そういう事は誰もいない所か、賛同者の前でいった方がいいと思いますよ?」
私が一輪に言う可能性だってあるのに。
「やー、だって一輪からかうの楽しいじゃん? ちょっとは見たいって思わない?」
同意を求められても。
……まぁでも気持ちはわからんでもないけど。照れたり恥ずかしがったりしてる顔はまあ普段あまりみれないし……って挑発に乗っちゃダメだ。
「……でも今回は一輪かなり困ってたよ。身内だからってあんま羽目外すなよ」
説教が嫌いなぬえはあからさまにおもしろくない顔をして人差し指に帽子をひっかけて回し始めた。
「ちゃんと謝っときなよ」
「…………だって暑そうだったし」
「は?」
「見てるこっちも暑いし、頭巾とれば少しは涼しいじゃん?」
なんだ、こいつも一応彼女の事を心配していたんだ。
そしたら追いかけてくるし……とごにょごにょと言っているぬえの頭を不意に撫でたくなったのでぽんぽんと撫でたら驚いたぬえの手にはたかれた。
「ばっ」
「素直じゃないなぁぬえちゃぐへっ」
右頬をグーで殴られた。照れ隠しに手が出やすい人たちばっかで困る。
「別に一輪が、っていうかそもそもなんで一輪こんなくそ暑い日なのにあんなのかぶってんのよ!」
逆ギレされても困る。そんなの私が――
「あー……なんか聞いた気がする」
「え、なんて?」
「…………」
「……覚えてないの?」
使えない、といった顔をされた、地味に傷つく。
それよりえぇと、一輪はなんていっていたっけ。
「……私もういく」
「おぉ」
黙りこくった私に痺れを切らしたのかぬえが背中を向けて歩き出した。ぬえの背中が角を曲がって見えなくなったと思ったら顔だけ出して、
「それで変なことするなよ?」
それだけ呟いて姿が消えた。
「変なことって」
手に持ってるのは一輪がいつも使ってる頭巾。一輪の……
「……っ!!! するかばかっ!!!」
遠くから鵺の笑い声が聞こえた気がした。
***
夏の日差しに照らされて氷なんてすぐに溶けてしまう。参拝者に用意していた麦茶も随分ぬるくなってしまった。
それでも先ほどよりかは随分過ごしやすくなって、「今日は暑いですね」と何度も人に話しかけられて「暑いのでお気をつけて」と何度も答えた。ずっと昔、聖が封印される前にもあったやりとり。長い空白なんて無かったように、あの日からずっとこんな日が続いていたような錯覚。
「船長さんさようなら!」
「はい、さようなら。気をつけてね」
馴染みになった子に挨拶されて、近くにいた母親に会釈された。それに帽子をとって応えようとしたらその帽子が無いことを思い出した。
頭巾を一輪に渡そうと探してみたけどうまく出会えず、しかもちょっと忙しくて、結局渡しそびれたまま、部屋の隅に置いてある。
「もう大丈夫かな」
今思えば一輪の部屋の前とか居間とかに手紙を置いておけばよかったのかもしれないけど、それも後の祭りでしかない。
頭巾を手に持つと一輪の香りがふわっと漂ったような気がした。
さっきぬえにこの頭巾を押しつけられた時の事を思い出す。いつも近くにいて、いつも感じている筈なのに、どうしてこんなドキドキしてるんだろう。
頭がクラクラして、一輪の笑顔が頭から離れない。頭巾を持つ手に力が入って皺にならないか、なんて思いながら何も考えられなくなる。
気付いたら頭巾を抱きしめていた。それだけで一輪がそばにいる気がして、体が熱くてなにも考えずにただ欲望に忠実に顔を頭巾に近づけて……
「あ、ムラサよかったこんなところにいたんですね」
「ふわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ふえぇぇぇぇぇぇ!?!?」
「だ、しょ、星か!ななななんですか!?」
「び、びび、びっくり……吃驚した……」
後ろから見知った声が聞こえて思わず頭巾を隠した。人間だったらきっと心臓が飛び出していたに違いない。人じゃなくてよかった。
心配の声をかけてくる星に平静を繕いながら、何故か頭巾をバレないように必死に隠す。「何してたんですか?」と言われて適当に応える……どうやら私が何してたのかまではわかっていないようだった。
(ていうか私なにして……)
無意識ってこわい。意識が覚醒してきて自分のしてきた事と、ぬえの去り際に言われた台詞を思い出して、周りにぬえがいないか警戒する。
「む、ムラサ?」
「あぁなんでもないなんでもない」
周りを警戒しながら改めて星と向き合う。それでなに? と聞くと星はビクビクしながら口を開いた。
「あぁ、その実は……」
***
夏の日差しに負けたある日の事。夏バテするなんてなんか格好悪くて、妖怪なのだからそこらも補正かかればいいのに、とぼそりとつぶやいた。そうすればたとえ地獄に落ちてもやりやすいだろうと思う。
それを聞いていた彼女が団扇を扇ぎながら笑う。
羨ましいな、私今そういうのあまりわからないから。
失言だったか、と口を紡ぐと冷たい手が瞼の上に置かれた。
大丈夫だよ、いくらぶっ倒れても、私が介抱してあげるから。
そう言われて、それは助かるなぁと思っていると手が動いておでこと、髪を優しく撫でる。
風がふいて海の香りがした気がした。
それから、それから――
***
急ぎ足で向かった部屋の前で呼吸を整える。一輪、と小さく呼びかけて、でも返事はないので入るよ、と戸をあけた。
――どうやら体の調子が悪いようで
日差しを防いだ部屋は薄暗く、少しだけ涼しい。
音を立てないように静かに部屋の中央で横になっている一輪に近づく。
――看病を、と思ったのですが寝てれば治ると。それでも心配じゃないですか
近づいて、一瞬息をのんだ。
横向きに寝ている一輪の顔のすぐ近くに、まるで寄り添っているように私の白い帽子があった。ぬえが置いていったんだろう。
反応に困っていると彼女が身じろいて、やがて完全に肌と帽子が触れ合ってしまった。
「う……」
なんだか気恥ずかしい。それでも、一輪の顔が少しだけ安堵したような笑顔になったと思うのは自惚れだろうか。
「…………あいつもなぁ、素直になればいいのにね」
帽子の持ち主は私だけど、さっきまで所有していた女の子を思い出す。なんだか一輪もぬえも不器用だなと思う。
一輪を起こさないように傍に座る。寝息が聞こえてきて最近忙しかった事を思い出す。
「そういえばあんま二人で話させなったね」
一輪が寝がえりをうった。仰向けになったせいで帽子と離れてしまったけど、帽子に一輪を独り占めされるよりかはいいか、なんて思ってしまった。
そんな事を思っていたらなんだか恥ずかしくなって、手持ち無沙汰だしなんとなく一輪の頭を撫でた。
いつも私は撫でられる方だけど、時々逆転する。例えば今みたいに一輪がちょっと弱ってる時とか、甘えてくる時とか。
「んぅ……」
うめき声が聞こえて手が止まる。
あ、と思う間もなく、ゆっくりと一輪のまぶたが開かれていく。焦点の定まってない瞳と目が合って、ごまかすように笑った。
「……ムラサ、だ」
「ごめんね、起こしちゃった」
「うぅん、いいの」
名残惜しいけど一輪から手を離す。そうしたら一輪の手がのびてきて手首を掴まれた。
「お?」
一輪が小さく呻いて、私の手を瞼の上においた。
「いい。冷たいから、しばらく」
一輪の意図がわかって頬が弛む。かわいいと呟いたら「気のせい」と返された。
手を覆うように重ねられて、お互い何も喋らない。そうしてしばらくぼーっとしていると、薄暗い部屋にこもってから忘れていた夏の音が耳に届き始めた。
なんとなく、一輪の手を重ねたまま、腕を動かす。手のひらをおでこに当てて、そのまま髪も流すように撫でた。一輪の腕がぽてっと布団の上に落ちる。勝手に腕を動かしたのが不満なのか、一輪がジト目で睨みつけてくる。
「今日は暑かったね」
「……そう、ね」
「うん。すごく」
視線に気づかない振りをして頭を撫で続ける。時々頬も撫でてやる。そんな事してたら一輪から呻き声がまた聞こえて、ブロックするように腕で顔を隠してしまった。頬も頭も撫でづらい。
「…………」
「暑いから気をつけて、って言ったのになー」
ぐぅ、と呻き声が漏れて、おずおずといった感じで腕が顔から離れた。出てきた顔は色々思う所があるのか、眉は下がっていて、申しわけなさそうにしている。
「よしよし」
「…………馬鹿」
「バカはどっちよ。倒れるまでさ」
「倒れてないわよ、ちょっと気分悪くなって休憩してただけ」
「どっちもそう変わんないよ」
諫めるように一輪を見れば、彼女はごめん、と一言つぶやいた。
「いつも手間かけさせて、ごめん」
「それは別にいいけど」
別に介抱が嫌だって訳じゃない。ただもうちょっと自分の事考えてもらいたいなと。
またしばらく無言になる。
気づけば一輪が私の手を握っていて、そのせいでうまく身動きがとれなくなっていた。一輪はぼーっと天井を見ていて、私はそんな彼女をぼーっと眺めていた。
どの位の時間が経ったのかわからないけれど一輪がモゾッと動いた。繋がれた手が離れて、今まで見下ろしていた一輪の頭が目の前にきて、彼女が起き上がった事に気付いた。
「ありがとう」
「もう大丈夫なの?」
「ん。まぁ、ちょっと気分悪かっただけだし、今ので随分楽になったよ」
だからありがとう、と彼女が言って、大きく伸びをした。
「もう少し休んでれば。夕飯、私が作ろうか?」
「大丈夫だって。ムラサだって今日忙しかったでしょ? これからの時間ぐらいゆっくりしなよ」
一輪は変に頑固な所あるからきっとこれ以上言っても意味ないだろう。何も言えなくなってしまった私を見て一輪がまた「ありがとう」と呟いた。
「頭巾見つけてくれたんだ」
膝に置いてあった頭巾を指摘されてハッと思い出した。ずっと膝掛けのように使ってたけど一輪に頭巾を渡さないと、
「あ、まだだめ」
いけないんだけど。
頭巾を背後へと回す。頭巾を取ろうとしていた一輪の動きが止まって私を睨みつける。
「ちょっと、もう追いかけっこは勘弁よ?」
「いやいやいや、ちょっと聞きたいことがありまして」
こほん、とわざとらしく咳払いをしたら一輪もわざわざ正座になってくれた。でも視線は冷たい。
「で、なに?」
「んー……どうして頭巾被ってるのかなぁって」
素朴な疑問。だけどずっと前にも聞いた疑問。
一輪は呆れた顔でため息をついた。
「……思い出したくない話だったらいいけど」
「ずっと前に話したじゃない。まぁ忘れちゃってても仕方ないと思うけど」
「あう……」
「なんてことないわよ。ただある人にその髪は人を遠ざけるから隠しなさい、って言われたの」
一輪が自分の髪をつまんで見つめる。そういえば出会った頃の一輪はもっと髪の露出が少なかったような気がする。
「今は……幻想郷で生きていく分には問題はないと思うんだけどね。時々里の人の前でも外してるし」
人が私たちを受け入れてくれる事はなかった。私だって人であった時は、妖怪は恐ろしい物で、退治されて当然だと思っていたし。妖怪は人を襲って退治される。退治されなくても追放されて、人の世界から隔てられる。
「ごめん、いやなこと思い出させた」
「そんな顔しないでよ。確かに昔は生きづらかったけど、今はそんな言うほど深刻な話じゃないんだから」
一輪は少し笑って、私の頭を優しく撫でた。またありがとう、と声が聞こえる。
その声で昔そんな話を聞いた事を少しだけ思い出した。その時も私は一人で悲しくなって、一輪に笑われたんだ。
「あんたは昔から本当に変わらないわねぇ」
「べ、べつにいーじゃん……」
クスクス笑われて悔しくなる。頬を膨らませたらごめんと謝られた。
「だってムラサ、昔の貴女も昼間と同じこと言ってたわよ?」
「え」
「……髪ぐらいで、って思われるかもしれないけど、嬉しかったなぁ。気味悪がれたり、奇異の目で見られはしたけど、ほめられたことはあまりないからね」
昔を懐かしむように髪をいじっている彼女は、年相応の女の子で、可愛くてなんだかちょっとこそばゆい。
なんて返そうか困っていると、一輪がさて、と手拍子を打った。
「さ、これでいいでしょ。そろそろお夕飯つくらなくちゃ」
「あ、うん、手伝うよ」
頭巾を渡そうと目の前に持ってくる。よくよく見ると所々痛んでいた。大切に扱ってきたんだろう。
「でもさぁ、それならぬえ追いかけ回さなくても良かったんじゃないの?」
素朴な疑問を呟くと、「うげ」と声が聞こえた。咄嗟に延びてきた手から守るように頭巾を抱え込む。
「え、なに、なにその反応?」
「別にいいじゃない! ほらとっとと返す!」
「やだ、気になる」
チッと舌打ちが聞こえた。
「他の本当に洗濯中なの?」
「う……い、いいじゃない、別に今はそんなこ……」
「一輪、『不妄語戒』だよ?」
ぐっ、と息をのむ音、それからはぁ、と盛大なため息。
「…………あんたの」
「はい?」
「その頭巾、あんたの」
「え? 私の?」
自分が頭巾を所有してただなんて始めて知った。ふざけて被ったこととかはあったけど。
「違うわよ。あんたはもう覚えてないかもしれないけど、それムラサが私にくれた奴よ」
だから、と続いたけれどその後の言葉は小さくて、私は私で混乱してて耳には届かなかった。
「…………覚えてないの?」
ため息をつかれたのは覚えてないことに不服だからだろう。乾いた笑いで答えて必死に過去の記憶を荒らす。
「いつ頃……」
「頭巾を被ってる理由を話した時。次の日に何枚か持ってきたのよ」
「私が?」
「そうよ」
もうそれのほとんどがボロボロになってしまったけど、と一輪は視線を頭巾に向けて呟いた。そういえばそんなこともあった気がする。
「あーあー、なんか思い出したかも」
あの時は確か少しでも気分を変えられたら、と思っていくつかの頭巾を渡したんだった。自分で縫ったり、縫いでもらったり、買ったり。
「ははぁ、じゃあこれ最後の一枚なんだ」
大切にしてもらっていたんだと、嬉しくなってエヘヘと声がでる。
「そうよ。だから、大切なものなの」
ぶっきらぼうに言うけれどその顔は少し赤く染まっている。
「ん……それじゃあ、はい」
握りしめていたせいか、少ししわのできた頭巾を少しのばしてから、頭巾がようやく元の持ち主の元へと帰って行った。
ありがとうの言葉とともに畳まれていた布が開かれて、一輪の頭を覆う。
「うん、やっぱ頭巾も似合うね」
一輪がクスクス笑う。きっと昔の自分も同じ事言ったんだろう。でもそれは本心なんだから仕方ない。
「ご飯の支度、手伝うよ」
うん、と一輪が立ち上がって今度は身体全体を伸ばす様に大きく伸びをして、深呼吸した。私は彼女の足元に転がっていた白い帽子を拾い上げる。
「ふふふ」
「なに?」
一輪の笑う声につられて彼女を見た。頭巾の端を引き寄せていて少し顔が隠れている。
「あんたこれとどれだけ一緒にいたのよ」
「はぁ?」
「まぁいいんだけどね」
一輪がまたおかしくなった。訳が分からない。
「ちょっとちょっと、これって? 訳が分からないんだけど」
「いや、なんてことはないんだけど」
布の隙間から見える顔ははにかんでいて。
「ムラサの匂いがするなぁって」
言われた意味がわからなくて頭がうまく回らなくて。
硬直する私をよそに彼女は私に洗濯頼んだわよ、と告げていなくなってしまった。
「…………なにあれ」
汗臭いとか言われた方がよかった。
そんな短時間で匂いが移るわけないじゃないか。そう思うけど今日の事を思い出して、一輪の笑顔を見て、頬が熱くなる。
「はぁ……暑いってやだなぁ」
その場にうずくまって赤くなっているであろう顔を隠すように帽子を顔にあてた。
ほのかに、彼女の香りが漂ったような気がした。
その日の晩。
ぬえが助けを請うように私を見つめてくるけれど、私は知らんぷりを決めこんだ。
食卓に並んでいるのはぬえの“大好物”が載った大皿と“大嫌いな物”が一皿。
一輪の「好きなんでしょ?」という笑顔の一言に涙ぐみながら、ぬえが晩御飯と戦うのはまた別のお話――
昼の日が差し込む廊下を歩いていると、奥から普段とは違う雰囲気の一輪が反対側から歩いてきた。私と目が合うと藤色の髪を揺らしながらこちらへ近づいてくる。
「あれ、一輪?」
「ちょっとムラサ、ぬえ見なかった?」
「ぬえ?」
またなんかしたんだろうか、と思いつつ、最後にぬえを見た時のことを思い出す。確か朝ご飯の前に起こしに部屋まで行った。その時は布団にくるまっていた芋虫姿だったので、
「まだ寝てるんじゃない?」
「さすがにもう起きてるわよ。というか、さっきまで居たの」
起きてたか。
なら知らない、と答えると一輪は小さくため息をついて耳にかかっていた髪を後ろへ流した。
「あ、頭巾だ」
「なによ」
「いや、珍しいね。この時間に頭巾外してるの」
「あー……うん。一枚以外、全部洗濯中なの」
「一枚以外?」
「ぬえに持って行かれた」
なるほど、だからぬえを探してるんだ。
ふぅん、と相槌を打つと「だから見つけたら取り返しておいて」と言われた。それにも相槌を打っておくと口から大きなため息が聞こえた。
「大丈夫?」
「なにが?」
「調子悪そう、暑いからかな」
「ぬえと追いかけっこしてるからよ……この忙しいのに……冗談じゃないわ」
その言葉に思わず笑ったら睨まれたので小さくごめん、と言った。
一輪は昼間とか、人前にでる時に頭巾を脱ぐ事に抵抗感があるようだった。そして今日も参拝者はたくさんいる。それなのにぬえのいたずらに巻き込まれているという事実が、彼女の機嫌の悪さに拍車をかけているんだろうと思う。
暑さにダルそうにしている一輪は小さく息をはくと「それじゃあ」とまたフラフラ歩き出した。
「一輪」
「うん?」
「いいじゃん、そのままで」
「なにが?」
「頭巾」
あぁ、と一輪は自分の頭――本人は頭巾を触ろうとしたのかもしれないけど――を撫でた。少しだけ髪が乱れる。
「うーん、でも、やっぱり落ち着かないのよね」
夜とか身内しかいない時ぐらいしか彼女は頭巾を外さない。
「これからもっと暑くなるよ? 一輪暑いの苦手なんだから気をつけた方がいいんじゃない?」
「あれはあれで日差し除けになるのよ」
「んーでもせっかく綺麗な髪してるのに」
ふわふわの髪は、夏の日差しを受けてキラキラ反射していてとても爽やかで綺麗なのにね。
ハッとこういった話題が苦手な一輪の照れ隠しで殴られるような気がした。
慌てて身構えて一輪の様子を見れば、一輪は心ここに非ずといった感じで、ぼーっとしている。
「……一輪?」
心配になって声をかけると、ハッと意識が戻ったような素振りを見せたと思ったら今度はなぜか不思議な物を見るような目で私を見つめてくる。
「え、なに?」
「いや……うん、なんでもないよ。暑いってやだね」
一輪がよくわからない。
「一輪」と声をかけたけれど今度こそ本当にフラフラとぬえを探しに行ってしまった。
私は、そんな一輪を追いかけることを忘れてただ呆然と突っ立っていた。
***
夏の日差しが暑い。夏だからしかたないのだけど、日が射さない地底とちがって地上はとにかく暑い。妖怪になってからそういうのには鈍くなったけど、目にささる日差しが嫌でも暑さ強調させる。
「とける……」
「ムラサの場合腐るじゃないの?」
「なっ! うわっ」
後ろから失礼な声が聞こえて、振り向こうとしたら世界が柔らかい闇に包まれた。鼻を通るのは先ほど一緒に話していた一輪の香りで、つまりこれは。
「ぷぁ」
「ムラサ一輪みたい」
「ちょっとぬえ!」
「なによ」
一輪の探し人は私を見てケラケラと笑っていた。
頭を覆う頭巾を外そうとすると手が伸びてきたので慌ててそれを遮る。
「ちょっとぉ」
「ちょっとじゃない!これは返却します!」
頭巾を胸に抱いてとられないようにする。ぬえは不服そうに頬を膨らませて、まぁいいかとつぶやいた。
「ムラサから返してもらった方が都合いいだろうし嬉しいだろうし」
「なに?」
「なんでもない。そのかわりに」
ひょい、と目の前を白い私の帽子が通りすぎ、そのままぬえの頭へと着地した。
「ちょっと!」
「代わり代わり。頭巾と交換でもいいよ?」
ニヤニヤ笑うぬえを苦々しく見る。帽子は大切だけど、一輪のことも大切なので後で取り返す事を決意する。
何も言わない私の顔を見つめるぬえの笑みがさらに深くなった気がした。
「あーあーあっついあっつい」
「なにがよ。涼しくなるように水浸しにしてやろうか?」
人の帽子を団扇にしないでほしい。
「ていうかあんたね、こんなことして知らないからね?」
「あー?」
「一輪怒ってたよ。夕飯とか覚悟しときなよ」
寺の食卓を担う彼女を、過去に酷く怒らせた腹ペコな虎はこの時の事について聞くと今でも口を紡ぐ。
「? あーまぁ大丈夫だよ。今饅頭怖いしてるから」
「饅頭?」
「好きなものに嫌いっていって、嫌いなものを好きって言ってる」
「…………え、それだけ?」
効果あるのかなぁ。一輪だったらわかってそうだけど。
「ものは試しって感じ? 私まだみんなと食事取り始めて日が浅いし、さすがにご飯抜きはないでしょ」
「……ふぅん」
そんなうまくいくかなぁ、と思ったけど口に出さないでおく。
「これで一輪だませたら面白いし、私は美味しいし、一石二鳥だよね」
「あのねぇ、そういう事は誰もいない所か、賛同者の前でいった方がいいと思いますよ?」
私が一輪に言う可能性だってあるのに。
「やー、だって一輪からかうの楽しいじゃん? ちょっとは見たいって思わない?」
同意を求められても。
……まぁでも気持ちはわからんでもないけど。照れたり恥ずかしがったりしてる顔はまあ普段あまりみれないし……って挑発に乗っちゃダメだ。
「……でも今回は一輪かなり困ってたよ。身内だからってあんま羽目外すなよ」
説教が嫌いなぬえはあからさまにおもしろくない顔をして人差し指に帽子をひっかけて回し始めた。
「ちゃんと謝っときなよ」
「…………だって暑そうだったし」
「は?」
「見てるこっちも暑いし、頭巾とれば少しは涼しいじゃん?」
なんだ、こいつも一応彼女の事を心配していたんだ。
そしたら追いかけてくるし……とごにょごにょと言っているぬえの頭を不意に撫でたくなったのでぽんぽんと撫でたら驚いたぬえの手にはたかれた。
「ばっ」
「素直じゃないなぁぬえちゃぐへっ」
右頬をグーで殴られた。照れ隠しに手が出やすい人たちばっかで困る。
「別に一輪が、っていうかそもそもなんで一輪こんなくそ暑い日なのにあんなのかぶってんのよ!」
逆ギレされても困る。そんなの私が――
「あー……なんか聞いた気がする」
「え、なんて?」
「…………」
「……覚えてないの?」
使えない、といった顔をされた、地味に傷つく。
それよりえぇと、一輪はなんていっていたっけ。
「……私もういく」
「おぉ」
黙りこくった私に痺れを切らしたのかぬえが背中を向けて歩き出した。ぬえの背中が角を曲がって見えなくなったと思ったら顔だけ出して、
「それで変なことするなよ?」
それだけ呟いて姿が消えた。
「変なことって」
手に持ってるのは一輪がいつも使ってる頭巾。一輪の……
「……っ!!! するかばかっ!!!」
遠くから鵺の笑い声が聞こえた気がした。
***
夏の日差しに照らされて氷なんてすぐに溶けてしまう。参拝者に用意していた麦茶も随分ぬるくなってしまった。
それでも先ほどよりかは随分過ごしやすくなって、「今日は暑いですね」と何度も人に話しかけられて「暑いのでお気をつけて」と何度も答えた。ずっと昔、聖が封印される前にもあったやりとり。長い空白なんて無かったように、あの日からずっとこんな日が続いていたような錯覚。
「船長さんさようなら!」
「はい、さようなら。気をつけてね」
馴染みになった子に挨拶されて、近くにいた母親に会釈された。それに帽子をとって応えようとしたらその帽子が無いことを思い出した。
頭巾を一輪に渡そうと探してみたけどうまく出会えず、しかもちょっと忙しくて、結局渡しそびれたまま、部屋の隅に置いてある。
「もう大丈夫かな」
今思えば一輪の部屋の前とか居間とかに手紙を置いておけばよかったのかもしれないけど、それも後の祭りでしかない。
頭巾を手に持つと一輪の香りがふわっと漂ったような気がした。
さっきぬえにこの頭巾を押しつけられた時の事を思い出す。いつも近くにいて、いつも感じている筈なのに、どうしてこんなドキドキしてるんだろう。
頭がクラクラして、一輪の笑顔が頭から離れない。頭巾を持つ手に力が入って皺にならないか、なんて思いながら何も考えられなくなる。
気付いたら頭巾を抱きしめていた。それだけで一輪がそばにいる気がして、体が熱くてなにも考えずにただ欲望に忠実に顔を頭巾に近づけて……
「あ、ムラサよかったこんなところにいたんですね」
「ふわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ふえぇぇぇぇぇぇ!?!?」
「だ、しょ、星か!ななななんですか!?」
「び、びび、びっくり……吃驚した……」
後ろから見知った声が聞こえて思わず頭巾を隠した。人間だったらきっと心臓が飛び出していたに違いない。人じゃなくてよかった。
心配の声をかけてくる星に平静を繕いながら、何故か頭巾をバレないように必死に隠す。「何してたんですか?」と言われて適当に応える……どうやら私が何してたのかまではわかっていないようだった。
(ていうか私なにして……)
無意識ってこわい。意識が覚醒してきて自分のしてきた事と、ぬえの去り際に言われた台詞を思い出して、周りにぬえがいないか警戒する。
「む、ムラサ?」
「あぁなんでもないなんでもない」
周りを警戒しながら改めて星と向き合う。それでなに? と聞くと星はビクビクしながら口を開いた。
「あぁ、その実は……」
***
夏の日差しに負けたある日の事。夏バテするなんてなんか格好悪くて、妖怪なのだからそこらも補正かかればいいのに、とぼそりとつぶやいた。そうすればたとえ地獄に落ちてもやりやすいだろうと思う。
それを聞いていた彼女が団扇を扇ぎながら笑う。
羨ましいな、私今そういうのあまりわからないから。
失言だったか、と口を紡ぐと冷たい手が瞼の上に置かれた。
大丈夫だよ、いくらぶっ倒れても、私が介抱してあげるから。
そう言われて、それは助かるなぁと思っていると手が動いておでこと、髪を優しく撫でる。
風がふいて海の香りがした気がした。
それから、それから――
***
急ぎ足で向かった部屋の前で呼吸を整える。一輪、と小さく呼びかけて、でも返事はないので入るよ、と戸をあけた。
――どうやら体の調子が悪いようで
日差しを防いだ部屋は薄暗く、少しだけ涼しい。
音を立てないように静かに部屋の中央で横になっている一輪に近づく。
――看病を、と思ったのですが寝てれば治ると。それでも心配じゃないですか
近づいて、一瞬息をのんだ。
横向きに寝ている一輪の顔のすぐ近くに、まるで寄り添っているように私の白い帽子があった。ぬえが置いていったんだろう。
反応に困っていると彼女が身じろいて、やがて完全に肌と帽子が触れ合ってしまった。
「う……」
なんだか気恥ずかしい。それでも、一輪の顔が少しだけ安堵したような笑顔になったと思うのは自惚れだろうか。
「…………あいつもなぁ、素直になればいいのにね」
帽子の持ち主は私だけど、さっきまで所有していた女の子を思い出す。なんだか一輪もぬえも不器用だなと思う。
一輪を起こさないように傍に座る。寝息が聞こえてきて最近忙しかった事を思い出す。
「そういえばあんま二人で話させなったね」
一輪が寝がえりをうった。仰向けになったせいで帽子と離れてしまったけど、帽子に一輪を独り占めされるよりかはいいか、なんて思ってしまった。
そんな事を思っていたらなんだか恥ずかしくなって、手持ち無沙汰だしなんとなく一輪の頭を撫でた。
いつも私は撫でられる方だけど、時々逆転する。例えば今みたいに一輪がちょっと弱ってる時とか、甘えてくる時とか。
「んぅ……」
うめき声が聞こえて手が止まる。
あ、と思う間もなく、ゆっくりと一輪のまぶたが開かれていく。焦点の定まってない瞳と目が合って、ごまかすように笑った。
「……ムラサ、だ」
「ごめんね、起こしちゃった」
「うぅん、いいの」
名残惜しいけど一輪から手を離す。そうしたら一輪の手がのびてきて手首を掴まれた。
「お?」
一輪が小さく呻いて、私の手を瞼の上においた。
「いい。冷たいから、しばらく」
一輪の意図がわかって頬が弛む。かわいいと呟いたら「気のせい」と返された。
手を覆うように重ねられて、お互い何も喋らない。そうしてしばらくぼーっとしていると、薄暗い部屋にこもってから忘れていた夏の音が耳に届き始めた。
なんとなく、一輪の手を重ねたまま、腕を動かす。手のひらをおでこに当てて、そのまま髪も流すように撫でた。一輪の腕がぽてっと布団の上に落ちる。勝手に腕を動かしたのが不満なのか、一輪がジト目で睨みつけてくる。
「今日は暑かったね」
「……そう、ね」
「うん。すごく」
視線に気づかない振りをして頭を撫で続ける。時々頬も撫でてやる。そんな事してたら一輪から呻き声がまた聞こえて、ブロックするように腕で顔を隠してしまった。頬も頭も撫でづらい。
「…………」
「暑いから気をつけて、って言ったのになー」
ぐぅ、と呻き声が漏れて、おずおずといった感じで腕が顔から離れた。出てきた顔は色々思う所があるのか、眉は下がっていて、申しわけなさそうにしている。
「よしよし」
「…………馬鹿」
「バカはどっちよ。倒れるまでさ」
「倒れてないわよ、ちょっと気分悪くなって休憩してただけ」
「どっちもそう変わんないよ」
諫めるように一輪を見れば、彼女はごめん、と一言つぶやいた。
「いつも手間かけさせて、ごめん」
「それは別にいいけど」
別に介抱が嫌だって訳じゃない。ただもうちょっと自分の事考えてもらいたいなと。
またしばらく無言になる。
気づけば一輪が私の手を握っていて、そのせいでうまく身動きがとれなくなっていた。一輪はぼーっと天井を見ていて、私はそんな彼女をぼーっと眺めていた。
どの位の時間が経ったのかわからないけれど一輪がモゾッと動いた。繋がれた手が離れて、今まで見下ろしていた一輪の頭が目の前にきて、彼女が起き上がった事に気付いた。
「ありがとう」
「もう大丈夫なの?」
「ん。まぁ、ちょっと気分悪かっただけだし、今ので随分楽になったよ」
だからありがとう、と彼女が言って、大きく伸びをした。
「もう少し休んでれば。夕飯、私が作ろうか?」
「大丈夫だって。ムラサだって今日忙しかったでしょ? これからの時間ぐらいゆっくりしなよ」
一輪は変に頑固な所あるからきっとこれ以上言っても意味ないだろう。何も言えなくなってしまった私を見て一輪がまた「ありがとう」と呟いた。
「頭巾見つけてくれたんだ」
膝に置いてあった頭巾を指摘されてハッと思い出した。ずっと膝掛けのように使ってたけど一輪に頭巾を渡さないと、
「あ、まだだめ」
いけないんだけど。
頭巾を背後へと回す。頭巾を取ろうとしていた一輪の動きが止まって私を睨みつける。
「ちょっと、もう追いかけっこは勘弁よ?」
「いやいやいや、ちょっと聞きたいことがありまして」
こほん、とわざとらしく咳払いをしたら一輪もわざわざ正座になってくれた。でも視線は冷たい。
「で、なに?」
「んー……どうして頭巾被ってるのかなぁって」
素朴な疑問。だけどずっと前にも聞いた疑問。
一輪は呆れた顔でため息をついた。
「……思い出したくない話だったらいいけど」
「ずっと前に話したじゃない。まぁ忘れちゃってても仕方ないと思うけど」
「あう……」
「なんてことないわよ。ただある人にその髪は人を遠ざけるから隠しなさい、って言われたの」
一輪が自分の髪をつまんで見つめる。そういえば出会った頃の一輪はもっと髪の露出が少なかったような気がする。
「今は……幻想郷で生きていく分には問題はないと思うんだけどね。時々里の人の前でも外してるし」
人が私たちを受け入れてくれる事はなかった。私だって人であった時は、妖怪は恐ろしい物で、退治されて当然だと思っていたし。妖怪は人を襲って退治される。退治されなくても追放されて、人の世界から隔てられる。
「ごめん、いやなこと思い出させた」
「そんな顔しないでよ。確かに昔は生きづらかったけど、今はそんな言うほど深刻な話じゃないんだから」
一輪は少し笑って、私の頭を優しく撫でた。またありがとう、と声が聞こえる。
その声で昔そんな話を聞いた事を少しだけ思い出した。その時も私は一人で悲しくなって、一輪に笑われたんだ。
「あんたは昔から本当に変わらないわねぇ」
「べ、べつにいーじゃん……」
クスクス笑われて悔しくなる。頬を膨らませたらごめんと謝られた。
「だってムラサ、昔の貴女も昼間と同じこと言ってたわよ?」
「え」
「……髪ぐらいで、って思われるかもしれないけど、嬉しかったなぁ。気味悪がれたり、奇異の目で見られはしたけど、ほめられたことはあまりないからね」
昔を懐かしむように髪をいじっている彼女は、年相応の女の子で、可愛くてなんだかちょっとこそばゆい。
なんて返そうか困っていると、一輪がさて、と手拍子を打った。
「さ、これでいいでしょ。そろそろお夕飯つくらなくちゃ」
「あ、うん、手伝うよ」
頭巾を渡そうと目の前に持ってくる。よくよく見ると所々痛んでいた。大切に扱ってきたんだろう。
「でもさぁ、それならぬえ追いかけ回さなくても良かったんじゃないの?」
素朴な疑問を呟くと、「うげ」と声が聞こえた。咄嗟に延びてきた手から守るように頭巾を抱え込む。
「え、なに、なにその反応?」
「別にいいじゃない! ほらとっとと返す!」
「やだ、気になる」
チッと舌打ちが聞こえた。
「他の本当に洗濯中なの?」
「う……い、いいじゃない、別に今はそんなこ……」
「一輪、『不妄語戒』だよ?」
ぐっ、と息をのむ音、それからはぁ、と盛大なため息。
「…………あんたの」
「はい?」
「その頭巾、あんたの」
「え? 私の?」
自分が頭巾を所有してただなんて始めて知った。ふざけて被ったこととかはあったけど。
「違うわよ。あんたはもう覚えてないかもしれないけど、それムラサが私にくれた奴よ」
だから、と続いたけれどその後の言葉は小さくて、私は私で混乱してて耳には届かなかった。
「…………覚えてないの?」
ため息をつかれたのは覚えてないことに不服だからだろう。乾いた笑いで答えて必死に過去の記憶を荒らす。
「いつ頃……」
「頭巾を被ってる理由を話した時。次の日に何枚か持ってきたのよ」
「私が?」
「そうよ」
もうそれのほとんどがボロボロになってしまったけど、と一輪は視線を頭巾に向けて呟いた。そういえばそんなこともあった気がする。
「あーあー、なんか思い出したかも」
あの時は確か少しでも気分を変えられたら、と思っていくつかの頭巾を渡したんだった。自分で縫ったり、縫いでもらったり、買ったり。
「ははぁ、じゃあこれ最後の一枚なんだ」
大切にしてもらっていたんだと、嬉しくなってエヘヘと声がでる。
「そうよ。だから、大切なものなの」
ぶっきらぼうに言うけれどその顔は少し赤く染まっている。
「ん……それじゃあ、はい」
握りしめていたせいか、少ししわのできた頭巾を少しのばしてから、頭巾がようやく元の持ち主の元へと帰って行った。
ありがとうの言葉とともに畳まれていた布が開かれて、一輪の頭を覆う。
「うん、やっぱ頭巾も似合うね」
一輪がクスクス笑う。きっと昔の自分も同じ事言ったんだろう。でもそれは本心なんだから仕方ない。
「ご飯の支度、手伝うよ」
うん、と一輪が立ち上がって今度は身体全体を伸ばす様に大きく伸びをして、深呼吸した。私は彼女の足元に転がっていた白い帽子を拾い上げる。
「ふふふ」
「なに?」
一輪の笑う声につられて彼女を見た。頭巾の端を引き寄せていて少し顔が隠れている。
「あんたこれとどれだけ一緒にいたのよ」
「はぁ?」
「まぁいいんだけどね」
一輪がまたおかしくなった。訳が分からない。
「ちょっとちょっと、これって? 訳が分からないんだけど」
「いや、なんてことはないんだけど」
布の隙間から見える顔ははにかんでいて。
「ムラサの匂いがするなぁって」
言われた意味がわからなくて頭がうまく回らなくて。
硬直する私をよそに彼女は私に洗濯頼んだわよ、と告げていなくなってしまった。
「…………なにあれ」
汗臭いとか言われた方がよかった。
そんな短時間で匂いが移るわけないじゃないか。そう思うけど今日の事を思い出して、一輪の笑顔を見て、頬が熱くなる。
「はぁ……暑いってやだなぁ」
その場にうずくまって赤くなっているであろう顔を隠すように帽子を顔にあてた。
ほのかに、彼女の香りが漂ったような気がした。
その日の晩。
ぬえが助けを請うように私を見つめてくるけれど、私は知らんぷりを決めこんだ。
食卓に並んでいるのはぬえの“大好物”が載った大皿と“大嫌いな物”が一皿。
一輪の「好きなんでしょ?」という笑顔の一言に涙ぐみながら、ぬえが晩御飯と戦うのはまた別のお話――
朝ごはんに潮風と青空の匂いが混じる
>1様
朝ごはんおいしく頂けましたでしょうか。
甘いって言われてコーヒーが美味しく飲めました。ありがとうございます!
>奇声を発する程度の能力様
ありがとうございます!
少しでも癒せることができたなら嬉しい限りです。