私はどうしてしまったのだろう?
目を閉じると浮かぶ彼女の笑顔。その笑顔につられるように笑顔が浮かぶ私。
私に意思など必要ないのに……
お嬢様の為に生き、紅魔館の為に死ぬ。
それだけを考えなくてはいけないのに、いつの間にか彼女のことを考えている。そしてそんな時間は日々増えていく。
どうやら、私は壊れてしまったようだ。
このまま壊れ続け、不完全な姿を晒し、お嬢様に不要と言われることが恐くなった。
今ならまだ間に合うだろうか?
私はそっと紅魔館を抜け出し、彼女……霊夢の住む神社に向かう。
無用心にも雨戸も閉めていない縁側からそっと障子を開け、彼女の寝室に忍び込む。
危機感がまるで感じられない顔で呑気に眠る霊夢。
寝顔を見ていると霊夢との思い出が浮かぶ。
そして、怒った顔、笑った顔、拗ねた顔も……
ナイフを抜き、振りかぶると霊夢の喉に狙いをつける。
迷いを振り切る為、目と閉じて一気にナイフを降り下ろす。
お嬢様に仕える迄に何度も味わった嫌な感触がない。
恐る恐る目を開けると降り下ろしたナイフは霊夢の首の直ぐ傍を掠めて枕に刺さっている。
寝返りを打った為か、今迄上を向いて寝ていた霊夢は横を向いている。
(まったく大した運ね。)
ほっとすると同時に呆れてしまった。
「私ってあんたにそんなに恨まれていたんだ。」
「!」
いきなりの霊夢の声に体が硬直する。
「でも、私を殺すなら刺さる瞬間まで時間を止めてないと無理ね。」
殺そうとした私にアドバイスするような言葉を続ける霊夢に私は混乱する。
「それで、なんで私を殺そうとしたの?理由ぐらいは話して貰うわよ。場合によってはだけど殺されてあげるわよ。」
そんな私を無視して話す霊夢の言葉に私はさらに混乱した。
「何を言っているの?博麗の巫女が死んだら幻想郷は……」
「たった今、私を殺そうとしたあんたがそれを言うわけ?大丈夫よ。博麗の巫女が死んだからって幻想郷がすぐに崩壊するわけでもないし。」
「そうなの?」
「過去何度か、巫女が不慮の事故や病気で急死して一時的に不在になったことがあるみたいね。紫がすぐに後継者を決めて対応していたみたいだけど。」
「……そう……」
「そうよ。さて、理由ぐらい話して貰うわよ。」
そう言うと未だにナイフが首筋にあることをまるで気にせずに、起き上がり私の前に座り直す霊夢。
私は枕に刺さったナイフから手を離すとそんな霊夢から視線を外したまま話を始めた。
「貴方が……霊夢がいけないのよ。」
「私が?……なんかしたっけ?」
「……私は人形でなくてはいけないの……人間の社会からはみ出して、殺すことと、死ぬことばかり考えていた私を拾って、生きる場所と理由を与えて下さったお嬢様の為に……私は、お嬢様の剣であり、盾であり、意思を全うする人形でなくてはいけないの……その為になら死んでも構わないと思っていたわ……今迄……それで良いと思っていたわ……」
霊夢は無言で私の話を聞いている。
「でも、貴方と出会って初めて生きていたいと思うようになって……死ぬことが怖くなってしまったの……おかしいでしょ?感情なんて持たない……いいえ、感情なんて持ってはいけない人形なのに……」
「お嬢様の為に『完璧で瀟洒な人形』でなくてはいけない私が貴方の表情で一喜一憂しているのよ?馬鹿みたいでしょ?」
「私としては嬉しいんだけど……」
そんな霊夢の言葉に喜びが浮かんでしまう。
でも、そんな感情を私は持っていけない。だから私は首をそっと振る。
「そう、要するに私を殺してあんたは完璧で瀟洒な人形に戻ろうとしたわけ?」
霊夢の言葉に私は無言で頷く。
「そう……わかったわ……私はあんたのことが結構好きだから、あんたになら殺されてあげるわ……」
霊夢の言葉に顔を上げて霊夢の顔を見る。その顔は今迄見たことのない慈愛に満ちた穏やかな顔だった。
「だからもう泣かないでよ……あんたに泣かれると結構応えるみたいだから。」
そう続けられた霊夢のの言葉で始めて自分が泣いている事に気付いた。
霊夢は枕に刺さっていたナイフ抜くと私の手に握らせると、そのまま私の手をとり自分の首筋にナイフを当てる。
「このままナイフを引けば、多分死ぬわよ。簡単でしょ?」
そう言って、霊夢は目を閉じた。
「いつでも良いわよ。」
まるで他人事のようにさえ思える淡々とした霊夢の声。
この手を引けば確実にナイフが霊夢の首を切り裂ける……そうすれば私が私に戻ることができる。しかし、自分の腕なのにまるで動かない。
身体が動かないまま意識だけが緊張していく。
「……その代わり、これから先ずっと笑って生きていってよ。嘘の笑顔でなくて、上辺でなくて心から笑ってね。そうでないとあんたの為に死ぬ私が馬鹿みたいだから……」
私には永劫と感じるほど長く感じたが、時間にすれば一瞬だったのだろう。
そう続けられた霊夢の言葉に体から力が抜け、手からナイフが零れ落ちる。
「……貴方を殺して……笑って……生きていけ……るわけ……ない……じゃ……ない……」
私はそう言うと霊夢の胸に顔を埋め泣くことしかできなかった。
「まったく……無理をし過ぎなのよ。あんたは……」
そう言うと私の頭をそっと抱き、子供を宥めるようにそっと髪を梳き撫でてくれる霊夢。
「なにやっているの!」
いきなり縁側に続く障子が良きよい良く開き、あまりにも聞き馴染んだ声を聞いて振り返ると、縁側越しにお嬢様の姿があった。
「お嬢様……」
「咲夜!主をほっといて夜遊びどころか夜這いしに歩くとは何事よ!」
「いえ、決してお嬢様をほっといたわけでは……まして夜遊びや夜這いなどでは……」
「じゃぁ、何をしていたわけ?」
「……霊夢を……殺そうと……していました……」
お嬢様に対して嘘を言うことなどできずに私は歯切れ悪く答えた。
「殺しに来て抱き合ってるってどういう殺し方なのか知りたいものね!」
「いえ、これにもわけがありまして……」
「レミリア、咲夜はあんたの為に完璧なメイドでいる為に感情を殺して人形になろうとまでしたのよ。そんな言い方することないじゃない!」
私のことを気遣ってくれたのか霊夢が私を擁護してくれる。
「霊夢こそ、何言っているの!人形になんて興味ないわよ。人形がいいなら始めからパチェに魔導人形を作らせるわよ。だいたい、折角、咲夜が私好みの一寸ドジを踏んだり、慌てたりして私を楽しませてくれる最高に完璧なメイドになったのに、またつまらない人形になって、私が喜ぶと思ってるわけ!」
そんな霊夢の言葉に答えるお嬢様。
今のお嬢様の言葉で私は一気に力が抜けてしまった。
私には不完全でしかないと思えていた今の私の姿をお嬢様は最高に完璧と言っている。私は今迄何をしていたのだろう?
「それにね、咲夜。あんたに霊夢を殺せるわけないじゃない。」
「確かに私の力は霊夢に及びませんが、寝込みを襲えば……」
「私が言いたいのは、あんたと霊夢はいずれ結ばれる運命にあるのだから、そんなことできないって言っているの!」
お嬢様の言った言葉に思わず私は言葉を失う。
「言っておくけど、この運命は私の能力でもどうにもできないからね。」
駄目押しのように続けられたお嬢様の言葉に私だけでなく、霊夢も呆然としてしまう。
「二人ともなんて顔しているの?もう良いわ。咲夜。今晩は休みをあげるからよく頭を冷やしておきなさい。」
そう言うと翼を広げ夜空に舞い上がるお嬢様。
「え~と、つまり咲夜は私のってことで良いの?」
まだ呆然とお嬢様を見送る私に、先程までの表情が嘘のようにおずおずと聞いてくる霊夢。
「さぁ、それはどうかしらね?」
あまりの霊夢の変わりように思わず悪戯心が浮かんでくる。
「だって、レミリアでも変えられない運命なら……」
そう言う霊夢の唇を私は人差し指でそっと押し、言葉を止める。
「私の気持ちは分かってくれたのよね?でも、私は貴方の気持ちを聞いていないの……」
「良いじゃない!そんな事。」
「言ってくれるまで私も答えられないわ。」
「う~~~」
「折角、お嬢様から休暇を頂いたのだから、今夜じっくり聞かせて頂けるかしら?」
「……わかったわよ!……いじわる……」
霊夢はそう答えながらも、お嬢様が開け放っていた障子を閉めた。
きっと今夜は永夜異変より長い夜になるのだろう。
でも、良かったです
咲霊がもっと増えますように