守矢神社の朝は早い。
山の上に位置するため早朝の気温は午前五時にしてマイナス3℃。ネパールやアフガン、タジキスタンの山岳地帯も真っ青な寒さである。
神社の外に出していた水ガメの表面に氷が張る事からも察していただきたい。
「……おはようござーます、神奈子しゃま」
「おはよう早苗、今日も寒そうだねぇ」
頷きつつ早苗は早速囲炉裏やストーブ、家中の暖房機器に火を入れる。季節は夏であるのに早苗の朝のスタイルはアウターにM○nt-Bellのマウンテンジャケット、L○WE ALPINEのダウンジャケットの下にフリース、そしてその下に寝巻。重ねて言うが今は夏である。
「神奈子様は神様ですから寒く無いのですか?」
「まぁね。でも取り敢えず怖いからその目だし帽をとりなよ早苗、そろそろ陽が出るよ」
「そうですね………うぅ寒い」
震えながら目だし帽を取った瞬間、早苗は身震いをして火を入れたばかりの囲炉裏にへたり込む。冷涼と言えば聞こえはいいが実際は酷寒の山の上、寒くて仕方ないのだ。
「そう言えば諏訪子様は?」
「あぁ寝てるよ、全く手加減と言う事を知らない奴だ、まだ腰が痛いよ」
そう言えば今朝の神奈子はやけにつやつやしている。寒いのにお熱い一時過ごしやがって羨ましいとは早苗の心の叫びである。
早苗は自分の顔を拭く為に暖めていた濡れ手拭いを神奈子に渡しながら溜息をもらした。
「溜息つくと幸せ逃げるぞ早苗」
「今の私の幸せはこうやって囲炉裏に当たる事です。囲炉裏は逃げません」
暖かい手拭いを腰に当てながら言う神奈子に早苗は奥歯を鳴らしながら答える。
夏だと言うのに守矢神社の位置する場所、妖怪の山の早朝は白い息が出る。立地条件からして過酷だ。
冬は雪が積もり入り口は閉ざされ夏は激しい紫外線に晒され日焼けで半泣きの目を見る。日向と日陰の温度差は激しく、森林限界に達しているため風を遮る木は無い。
「こうしていても埒が明きませんので、朝餉の支度をしてまいります」
「あぁ、お願いね早苗」
台所へ去る早苗の背中を神奈子は誇らしげに見つめた。
酸素は薄く、幻想郷は妖怪の山に来た当初は度重なる高山病の症状に悩まされた早苗だが常に深呼吸を意識し十分な水分補給を繰り返し血中ヘモグロビンがあぁなってこうなった結果今では八千メーターの高所で自由自在に動き回れるスーパークライマーへと成長した早苗を。
蛇口をひねる音と水に悲鳴を上げる早苗の可愛らしい声を聞きながらも、あの子はしっかりとした現人神へと成長していく。それが、神奈子にとって誇り以外の何物でもないのだ。
暫くして芳しい香りを放つお櫃と暖かな湯気を立たせた鍋を持った早苗が姿を現す。先程までの厚着姿はすでになかった。調理中に体温が上がって行ったのだろう。
「神奈子様、諏訪子様はどうします?」
「いや、寝かせておいてあげよう、顔合わせるのが……」
恥ずかしい、と言って顔を赤らめる神奈子を見て早苗はもう一緒になって何年ですかと笑いながらご飯をよそい味噌汁を碗に注ぎ渡した。
「それでは頂きましょう」
「あぁ、頂きます」
朝食が終わり、その後片付けをしている頃、漸く妖怪の山にも太陽が顔を覗かせる。
「あぁ、今日は晴れますか」
一人呟き早苗は割烹着のポケットからサングラスを取り出しかける。高地の太陽は眩しすぎて網膜を傷つかせないための配慮だ。
皿洗い以外の、例えば洗濯物などの冷たい水仕事を一通り終わらせ、早苗は朝一番から牧歌を口ずさまずハードロックを掻きならす激烈な太陽の光を浴びながら今日も人里での布教活動をする為の準備を入念にしていた。
マウンテンジャケットやフリースの下に着込んでいる可愛らしい水玉模様の寝巻から何時もの腋を出した服に着替え若干身震いしながら玄関で靴を履くと、心配そうな顔をした神奈子が早苗に問いかける。
「早苗、今日も里に下りるのかい?」
「そうですよ、神奈子様。八坂様を心から信じてもらえるように今日も里で頑張ってきます」
頑張るのも良いけど程ほどにねと言う神奈子の励ましを受け、早苗は守矢神社を出発した。
こうして彼女、東風谷早苗は厳しい山の朝を乗り越え里へと降り立ち普段よりも濃い酸素を吸う事でテンションマックスとなり、唯一神絶対許早苗へと変貌を遂げるのである。
蒸れるばっかで正直役に立たんさー。
と、豆知識を無駄に披露してみる。
夏場、3000m級の山から一日で降りてくると本気で暑さがヤバいんだ、これが。
そう考えると、早苗さんの脇出しは暑さ対策だったのか……