ぼんやりと、天井を見上げる。
苦しい発作は、幸いにも今回は早期に治まった。丸2日ほど続くことがあることを思えば、僅か数時間程度で済んだのはありがたいことだ。咳き込むのが止まらない間は本当に、何も考えられないものだ。
落ち着いた今となっては、残るのは体のだるさ。薬の作用によるものだろう。
計算の途中だった。少しでも早く戻らないと、どんどん忘れてしまいそうだ、と思う。が、同時に、既にその意味では手遅れだとも思う。ならば、もうしばらくはゆっくりしていてもいいのではないか。
事件は、そんな、本来であればまどろみの五分間となるべき時間に、起きた。
こん、こん。
ドアが静かに叩かれた。顔を横に向ける。
「――パチュリー様、起きておられますか。アリスさんがお見舞いに」
小さく、しかし聞き取りやすい声が、ドアの向こうから聞こえた。
聞こえてきたキーワードに、思わず勢い良く体を起こしかけて、途中で力尽きてまたベッドの中に崩れ落ちる。頭から何かが降りてくるような感覚とともに、目眩。思った以上に、弱っている。
それでもせめて、と、頭を少し上げて、ぐちゃぐちゃになっている髪を簡単にまとめる。前髪も、鏡で見ることは出来ないが、勘で揃える。
顔も酷いことになっているだろうが、これはどうしようもない。せめて、アリスがいつも褒めてくれる髪だけでも整えておきたい。汗で濡れているのであまり綺麗にはできないのだが、それでも多少なりとも抵抗はしたかった。
……戦いを終えて、ふう、と軽く息を吐く。
それなりの時間が経ったのだが、その間に小悪魔の確認の声が届くことはなかった。ただ、寝ていると判断されて帰ったわけではないという確信があった。彼女は、これくらいの時間は待ってくれる。
「……どうぞ。入って」
ドアに向かって言う。
「はい。失礼します」
予想したとおり、彼女の返事が淀みなく返ってきた。がちゃりと大きな音を立てて、ドアが開く。
ベッドの中から覗き込む、普段の八分の五ほどしかない視界で、小悪魔と、後に続くアリスの姿を確認する。心配そうなアリスの顔を見て、少し嬉しくなる。ついでに、アリスのことだから何か美味しいものでも持ってきてくれたのではないかと期待して、視線を少し下げる。布団に隠れて見づらいが、何やらカゴを持っているように見える。
期待感を抑えきれず、うっかり笑みが溢れそうになる。堪える必要は特にないのだが、しかし、なんとなく悔しくて、無表情を作る。
カゴには気づかなかったふりをしつつ、視線を今度は、なんとなくベッドサイドのテーブルの方に移す。特に意味はない。ただ、アリスの顔をじっと見るのもなんとなく違和感というか居心地の悪さがあったのだ。
――そして。
私は、テーブルの上にある本を見つけて。
その本が何であるかを思い出して。
固まった。
まずい。
どう考えてもまずい。テーブルの場所的に、通り過ぎられて視界から消える場所ではない。ベッドの隣に立っていれば、いずれはそこに目がいく。
実にまずい。
歩かなくてもすぐに手が届くところに置いておこうと思ったのが間違いだった。あれでは、丸見えだ。今後はいつ倒れてもいいように、片付ける癖をつけておかないといけない――なんて、反省しても、手遅れだ。
こうなると、発作が早く治まったことも裏目に出ていると思わざるを得ない。まだ酷く咳き込んでいる間だったら、小悪魔は自身以外に誰も人を入れない。そうこうしている間に、本に気づいた小悪魔が片付けてくれていたことだろう。
――なんて考えている間にも、もう、二人はすぐそこまで来ている。
まずい。
いくらなんでも、魔法少女の露出性癖モノはまずい。また主人公が、普段は物静かで大人しい内向的な少女だというのがまずい。どう考えても、連想されてしまう。いや。違うの。これはそういうアレじゃなくて。
いや確かに自分に近い少女が、服の下に恥ずかしい格好を隠して衆人環境に身を晒してドキドキして興奮しているという、その状況に感情移入して興奮していたのは事実なのだが。事実なのだが。
違うんです。妄想イコール願望ではないんです。わかって。
と、どこかにいるであろう運命の女神っぽい人に愚痴っていても仕方がない。死が目前に迫っているときに、ただ座して運命を待つことが許されるのは人生を走り終えた者だけだ。
……そうだ、希望は、ある。
(小悪魔)
視線を彼女に向ける。
しっかりと目が合う。当然だ。彼女は私からの視線を絶対に逃したりしない。
視線をテーブルの上に小さく動かす。ちら、と。小悪魔は、涼しい笑顔のまま、特に反応は見せない。
もう二人は、あと一歩でベッドの前にたどり着く。小悪魔は、アリスのためにベッドの前の場所を空ける――そのとき、非常にさりげない動作で、彼女は、テーブルの上にある本を左手で回収した。私ですらその動きに一瞬気づかなかったほど、自然な体の流れのまま。
……
ほう、と息を吐く。
見事だ。普段はどこか頼りない彼女だが、私の求めるものを与えてくれるという一点においては、ほとんど完璧といっていい仕事をしてくれる。
「よかった。そんなに悪くはなさそうね」
案の定、アリスは全くその動きに気づいた様子もなく、ほっとした顔で言った。ほっとしているのはこちらのほうだ。
もちろん私はここまでの動揺など表に出すことはなく、クールに決めるのだ。
……小悪魔への礼は、後で言おう。
「アリスが来てくれたおかげで、よくなったわ」
「もう、またそんな適当な事言ってー。……無理、しないでね」
「うん」
私たちの会話の間に、小悪魔はすっと後ろに下がって、アリスのための空間を確保する。……例の本は、後ろ手に持っているのだろう。
「ちょっと、ごめんね」
アリスの手が近づく。
少し緊張して、構える。
ぴた、と、額に冷たい手の感触を感じる。冷たくて、気持ちいい。
「うん、熱は問題ないみたい」
手が離れる。
……ちょっと、惜しい。
「大変ね、いつも。完全に治すことは、できないのかしら。本当に」
「研究は、してるんだけどね」
「病気は難しいからねー……」
アリスの悩む表情にも、癒される思いだ。病気の辛さは以前と変わっていないが、こうして心配してくれる人がいるというだけでも、気分はずっと楽になる。
「ま、もうちょっと寝てたほうがよさそうね。りんご、持ってきたんだけど、後でね」
「えー」
「まだ体を起こすのも大変でしょ。無理したら、また悪化しちゃう」
「アリスが口移しで食べさせてくれれば問題ないわ」
「それ危険だからね、普通に」
……冷静にツッコまれた。
少し、寂しい。
いやしかし、アリスの反応の悪さは、それだけ心配してくれているということだ。悪くはない。うん。
アリスがテーブルの上にカゴを下ろす。どうやら中身はりんごだったらしい。
そして、アリスの視線の動きが、テーブルの上で、止まった。
……
微妙な、間。
釣られて私も、視線をテーブルに向ける。アリスの視線を追う。
…………
……
(もう一冊あったァーーーーーーーーッ!?)
ガビーン。
あれは。あれはなんだったか。ここからでは表紙は見えない。
ええと。ええと?
いや、いや、思い出してもどうしようもないのだが。
とか考えていると思い出してしまった。そうだ。アレはかなりのレアモノ。
苦労して探し出して、最近ようやく手に入れた本。
人形遣いの少女が、魂を人形に移し替えられて、今まで自分がしていたように好きなように弄ばれてしまうという――
という――
……
(明らかにさっきよりなお悪いー!!)
どう見てもアリスを連想させるものです。
本当にありがとうございました。
しかも入手したアレはカバー付き限定版。
糸に絡められた少女のアレな姿がばっちり描かれているのである。
……
なんてこと。
テーブルの方を向くことなく自然に本の回収をやってのけた小悪魔の、その技術が裏目に出るとは。少しでも目をやっていたのなら、下に積んである本がここまでアレだったらすぐに気づいて続けて回収してくれたはずだった。
これはいったいどういうことなのだ。
雨が弱くなるのを待ってから出発しようとぎりぎりまで粘った結果、一番雨が強い時間にちょうど移動するハメになってしまったような気分だ。
さて。
いくら悶えていても、アリスの視線がそちらに向かっているという事実をもはや覆すことはできない。
……
いや、魔法とか薬とかでなんとかできないでもないかもしれないが。
……
いや……しかし……それは……
そう。悩んでいる間に、事は、次のステージに、移った。
小悪魔が、ごく自然な動作で手を伸ばして、その本を手に取った。
「失礼しますね」
「え、あ……うん」
戸惑うアリスに向かって、小悪魔はにこ、と微笑む。
そして、私に向かって、深く頭を下げた。
「申し訳ございません、パチュリー様。私の私物を部屋に忘れたままでした。責任持って回収しておきます」
そんなことを、言った。
「――!」
さすがに。
とっさにはクールな言葉が出なかった。
「あ、ああ……そうね……」
何がそうね、なのかわからない。
ほら。私はアドリブに弱いのだ。
「アリスさんも、ごめんなさい。少し気を悪くされたかもしれません。うっかり夢中になって、パチュリー様の看病の間も手放せず、こんなところまで持ち込んでしまいました。私、その、こういう本が大好きで」
「え、う、ううん、別に、私は何も。何も問題ないんじゃないかしら」
「ありがとうございます、アリスさん」
小悪魔はアリスに対しても頭を下げた。
「……」
小悪魔。
これほどの。
――これほどのモノとは!
頭を下げたいのは、私のほうだった。
ごめんなさい。なんか本当。ごめんなさい。
……給料と休暇を、いっぱい上げてやろう。うん。
落ち着いた佇まいで、小悪魔はもう一度一礼して、それでは失礼します、と言って、ドアの向こうに消えた。
アリスと二人で、彼女を見送る。微妙な、不思議な空気。
ドアが閉まったところで、アリスはこちらを振り向いた。
あはは、と乾いた苦笑いを浮かべて。
「いやー……びっくりしちゃったわ。図書館の本なのかしら」
「う……うん……まあ、ね」
しどろもどろ。
落ち着け自分。こんなに慌てててどうする。私はいつだってクールで、慌てるのはいつだってアリスの役割のはずなのに。
「それにしても、あれだけ堂々と宣言されると、逆に清々しいわね。ある意味、カッコいいかも……」
「……!」
何気ない言葉なのだろう。
しかし、聞き逃せない。
かっこいい、とは。
そうだ。こんなにオタオタしている私より、小悪魔のほうがよほど格好いいではないか。アリスの視点は、正しい。目が覚める思いだ。
軽いパニック状態になっていた私は、その言葉で落ち着きを取り戻した。
いつだってクールなのが、パチュリー・ノーレッジである。
「アリス」
「ん?」
もう迷わない。
もう何も怖くない。
「私も、あの本、好きなの。三日前にも世話になったところよ」
堂々と。
清々しく。
かっこよく!
「あ、あ、そ、そうなの……」
アリスは、とても困ったような顔で、微笑んだ。
そして部屋を包む、沈黙。
……
(やっちゃったコレーーーーーーーーーーーーー!!)
はい小悪魔の身を削った献身も無駄にしましたー!
苦しい発作は、幸いにも今回は早期に治まった。丸2日ほど続くことがあることを思えば、僅か数時間程度で済んだのはありがたいことだ。咳き込むのが止まらない間は本当に、何も考えられないものだ。
落ち着いた今となっては、残るのは体のだるさ。薬の作用によるものだろう。
計算の途中だった。少しでも早く戻らないと、どんどん忘れてしまいそうだ、と思う。が、同時に、既にその意味では手遅れだとも思う。ならば、もうしばらくはゆっくりしていてもいいのではないか。
事件は、そんな、本来であればまどろみの五分間となるべき時間に、起きた。
こん、こん。
ドアが静かに叩かれた。顔を横に向ける。
「――パチュリー様、起きておられますか。アリスさんがお見舞いに」
小さく、しかし聞き取りやすい声が、ドアの向こうから聞こえた。
聞こえてきたキーワードに、思わず勢い良く体を起こしかけて、途中で力尽きてまたベッドの中に崩れ落ちる。頭から何かが降りてくるような感覚とともに、目眩。思った以上に、弱っている。
それでもせめて、と、頭を少し上げて、ぐちゃぐちゃになっている髪を簡単にまとめる。前髪も、鏡で見ることは出来ないが、勘で揃える。
顔も酷いことになっているだろうが、これはどうしようもない。せめて、アリスがいつも褒めてくれる髪だけでも整えておきたい。汗で濡れているのであまり綺麗にはできないのだが、それでも多少なりとも抵抗はしたかった。
……戦いを終えて、ふう、と軽く息を吐く。
それなりの時間が経ったのだが、その間に小悪魔の確認の声が届くことはなかった。ただ、寝ていると判断されて帰ったわけではないという確信があった。彼女は、これくらいの時間は待ってくれる。
「……どうぞ。入って」
ドアに向かって言う。
「はい。失礼します」
予想したとおり、彼女の返事が淀みなく返ってきた。がちゃりと大きな音を立てて、ドアが開く。
ベッドの中から覗き込む、普段の八分の五ほどしかない視界で、小悪魔と、後に続くアリスの姿を確認する。心配そうなアリスの顔を見て、少し嬉しくなる。ついでに、アリスのことだから何か美味しいものでも持ってきてくれたのではないかと期待して、視線を少し下げる。布団に隠れて見づらいが、何やらカゴを持っているように見える。
期待感を抑えきれず、うっかり笑みが溢れそうになる。堪える必要は特にないのだが、しかし、なんとなく悔しくて、無表情を作る。
カゴには気づかなかったふりをしつつ、視線を今度は、なんとなくベッドサイドのテーブルの方に移す。特に意味はない。ただ、アリスの顔をじっと見るのもなんとなく違和感というか居心地の悪さがあったのだ。
――そして。
私は、テーブルの上にある本を見つけて。
その本が何であるかを思い出して。
固まった。
まずい。
どう考えてもまずい。テーブルの場所的に、通り過ぎられて視界から消える場所ではない。ベッドの隣に立っていれば、いずれはそこに目がいく。
実にまずい。
歩かなくてもすぐに手が届くところに置いておこうと思ったのが間違いだった。あれでは、丸見えだ。今後はいつ倒れてもいいように、片付ける癖をつけておかないといけない――なんて、反省しても、手遅れだ。
こうなると、発作が早く治まったことも裏目に出ていると思わざるを得ない。まだ酷く咳き込んでいる間だったら、小悪魔は自身以外に誰も人を入れない。そうこうしている間に、本に気づいた小悪魔が片付けてくれていたことだろう。
――なんて考えている間にも、もう、二人はすぐそこまで来ている。
まずい。
いくらなんでも、魔法少女の露出性癖モノはまずい。また主人公が、普段は物静かで大人しい内向的な少女だというのがまずい。どう考えても、連想されてしまう。いや。違うの。これはそういうアレじゃなくて。
いや確かに自分に近い少女が、服の下に恥ずかしい格好を隠して衆人環境に身を晒してドキドキして興奮しているという、その状況に感情移入して興奮していたのは事実なのだが。事実なのだが。
違うんです。妄想イコール願望ではないんです。わかって。
と、どこかにいるであろう運命の女神っぽい人に愚痴っていても仕方がない。死が目前に迫っているときに、ただ座して運命を待つことが許されるのは人生を走り終えた者だけだ。
……そうだ、希望は、ある。
(小悪魔)
視線を彼女に向ける。
しっかりと目が合う。当然だ。彼女は私からの視線を絶対に逃したりしない。
視線をテーブルの上に小さく動かす。ちら、と。小悪魔は、涼しい笑顔のまま、特に反応は見せない。
もう二人は、あと一歩でベッドの前にたどり着く。小悪魔は、アリスのためにベッドの前の場所を空ける――そのとき、非常にさりげない動作で、彼女は、テーブルの上にある本を左手で回収した。私ですらその動きに一瞬気づかなかったほど、自然な体の流れのまま。
……
ほう、と息を吐く。
見事だ。普段はどこか頼りない彼女だが、私の求めるものを与えてくれるという一点においては、ほとんど完璧といっていい仕事をしてくれる。
「よかった。そんなに悪くはなさそうね」
案の定、アリスは全くその動きに気づいた様子もなく、ほっとした顔で言った。ほっとしているのはこちらのほうだ。
もちろん私はここまでの動揺など表に出すことはなく、クールに決めるのだ。
……小悪魔への礼は、後で言おう。
「アリスが来てくれたおかげで、よくなったわ」
「もう、またそんな適当な事言ってー。……無理、しないでね」
「うん」
私たちの会話の間に、小悪魔はすっと後ろに下がって、アリスのための空間を確保する。……例の本は、後ろ手に持っているのだろう。
「ちょっと、ごめんね」
アリスの手が近づく。
少し緊張して、構える。
ぴた、と、額に冷たい手の感触を感じる。冷たくて、気持ちいい。
「うん、熱は問題ないみたい」
手が離れる。
……ちょっと、惜しい。
「大変ね、いつも。完全に治すことは、できないのかしら。本当に」
「研究は、してるんだけどね」
「病気は難しいからねー……」
アリスの悩む表情にも、癒される思いだ。病気の辛さは以前と変わっていないが、こうして心配してくれる人がいるというだけでも、気分はずっと楽になる。
「ま、もうちょっと寝てたほうがよさそうね。りんご、持ってきたんだけど、後でね」
「えー」
「まだ体を起こすのも大変でしょ。無理したら、また悪化しちゃう」
「アリスが口移しで食べさせてくれれば問題ないわ」
「それ危険だからね、普通に」
……冷静にツッコまれた。
少し、寂しい。
いやしかし、アリスの反応の悪さは、それだけ心配してくれているということだ。悪くはない。うん。
アリスがテーブルの上にカゴを下ろす。どうやら中身はりんごだったらしい。
そして、アリスの視線の動きが、テーブルの上で、止まった。
……
微妙な、間。
釣られて私も、視線をテーブルに向ける。アリスの視線を追う。
…………
……
(もう一冊あったァーーーーーーーーッ!?)
ガビーン。
あれは。あれはなんだったか。ここからでは表紙は見えない。
ええと。ええと?
いや、いや、思い出してもどうしようもないのだが。
とか考えていると思い出してしまった。そうだ。アレはかなりのレアモノ。
苦労して探し出して、最近ようやく手に入れた本。
人形遣いの少女が、魂を人形に移し替えられて、今まで自分がしていたように好きなように弄ばれてしまうという――
という――
……
(明らかにさっきよりなお悪いー!!)
どう見てもアリスを連想させるものです。
本当にありがとうございました。
しかも入手したアレはカバー付き限定版。
糸に絡められた少女のアレな姿がばっちり描かれているのである。
……
なんてこと。
テーブルの方を向くことなく自然に本の回収をやってのけた小悪魔の、その技術が裏目に出るとは。少しでも目をやっていたのなら、下に積んである本がここまでアレだったらすぐに気づいて続けて回収してくれたはずだった。
これはいったいどういうことなのだ。
雨が弱くなるのを待ってから出発しようとぎりぎりまで粘った結果、一番雨が強い時間にちょうど移動するハメになってしまったような気分だ。
さて。
いくら悶えていても、アリスの視線がそちらに向かっているという事実をもはや覆すことはできない。
……
いや、魔法とか薬とかでなんとかできないでもないかもしれないが。
……
いや……しかし……それは……
そう。悩んでいる間に、事は、次のステージに、移った。
小悪魔が、ごく自然な動作で手を伸ばして、その本を手に取った。
「失礼しますね」
「え、あ……うん」
戸惑うアリスに向かって、小悪魔はにこ、と微笑む。
そして、私に向かって、深く頭を下げた。
「申し訳ございません、パチュリー様。私の私物を部屋に忘れたままでした。責任持って回収しておきます」
そんなことを、言った。
「――!」
さすがに。
とっさにはクールな言葉が出なかった。
「あ、ああ……そうね……」
何がそうね、なのかわからない。
ほら。私はアドリブに弱いのだ。
「アリスさんも、ごめんなさい。少し気を悪くされたかもしれません。うっかり夢中になって、パチュリー様の看病の間も手放せず、こんなところまで持ち込んでしまいました。私、その、こういう本が大好きで」
「え、う、ううん、別に、私は何も。何も問題ないんじゃないかしら」
「ありがとうございます、アリスさん」
小悪魔はアリスに対しても頭を下げた。
「……」
小悪魔。
これほどの。
――これほどのモノとは!
頭を下げたいのは、私のほうだった。
ごめんなさい。なんか本当。ごめんなさい。
……給料と休暇を、いっぱい上げてやろう。うん。
落ち着いた佇まいで、小悪魔はもう一度一礼して、それでは失礼します、と言って、ドアの向こうに消えた。
アリスと二人で、彼女を見送る。微妙な、不思議な空気。
ドアが閉まったところで、アリスはこちらを振り向いた。
あはは、と乾いた苦笑いを浮かべて。
「いやー……びっくりしちゃったわ。図書館の本なのかしら」
「う……うん……まあ、ね」
しどろもどろ。
落ち着け自分。こんなに慌てててどうする。私はいつだってクールで、慌てるのはいつだってアリスの役割のはずなのに。
「それにしても、あれだけ堂々と宣言されると、逆に清々しいわね。ある意味、カッコいいかも……」
「……!」
何気ない言葉なのだろう。
しかし、聞き逃せない。
かっこいい、とは。
そうだ。こんなにオタオタしている私より、小悪魔のほうがよほど格好いいではないか。アリスの視点は、正しい。目が覚める思いだ。
軽いパニック状態になっていた私は、その言葉で落ち着きを取り戻した。
いつだってクールなのが、パチュリー・ノーレッジである。
「アリス」
「ん?」
もう迷わない。
もう何も怖くない。
「私も、あの本、好きなの。三日前にも世話になったところよ」
堂々と。
清々しく。
かっこよく!
「あ、あ、そ、そうなの……」
アリスは、とても困ったような顔で、微笑んだ。
そして部屋を包む、沈黙。
……
(やっちゃったコレーーーーーーーーーーーーー!!)
はい小悪魔の身を削った献身も無駄にしましたー!
もう笑うしかない。は…ははは…は…
そりゃアリスさんも反応に困りますねw
そして小悪魔さんマジ瀟洒
パチュリーさんあなた……
それに比べてパッチェさんはwww
優しく手懐けた挙句に美味しくいただいちゃう本とかあるはずだからw
二冊目・東方浮世絵巻「リメンバー☆アリス」
実在する薄い本です。本当にありがとうございました
パチュリーと友達になりたいと思ったのは初めてだわw
せっかくアリスに会うために髪を整えたのに…
ここまで優秀な小悪魔うらやましいわ!
それに引き替えパッチェさんときたら……w
後書きで更にほっこりきた