白玉楼の庭は広い。もしかすると幻想郷全体よりも広いのではないか、と錯覚するくらいに広い。
その広い庭に無数の桜の木が整然と植わっている様は、冬であれば柱の列がどこまでも続く回廊に見えるし、春には桜色の雲と雪片に包まれた、幻想的な風景を拝むことができる。けれど冥界の夏は涼しいので、力強い深緑の広がる様というのは、どうしたって見ることができない。
冥界では、満開の桜の花より、葉桜の方が貴重なのだ。
それがリリカには、何となく物足りない。
もちろん春の桜はきれいだと思う。でも花の美しさはどこかぼんやりとしていて、冥界を、ことさらに死後の世界らしく見せてしまうような気がした。それに較べて、地上の桜の葉っぱたちのくっきりした色や形は、彼ら彼女らが生きていることを実感させてくれるのだけれど、
「……まあ、ここは冥界だからね」
季節はちょうど初夏だった。冥界の桜の葉は、地上に較べれば、ずっと数が少なくて色も薄い。緑というより、色の抜けた紅葉のようだ。
そしてそんな色抜け紅葉の空間を、庭師の少女が縦横無尽に駆け回っている。
彼女が両手の剣を一閃させる度に、枝が落ちて葉が舞った。
少女の髪や肌の色は、冥界の桜の花と較べても薄く儚げだったけれど、その動きは躍動感に満ちていて、とても半分死んでいるようには見えなかった。
リリカは、適当に鍵盤を押してみた。
妖夢の足音、妖夢のかけ声、剣を抜く音、剣が空気を切り裂く音、葉っぱをかする音、枝に触れた音、切り落とされる枝の悲鳴、そして鞘に収まり区切りの呼気。
収集したは良いものの、これらの音をライブでどう使えばいいのか、リリカには見当もつかなかった。
「ふむ」
ぴこぴこと鍵盤を弾きながら、リリカは妖夢の動きを目で追い続けた。
ずっと遠くまで行ったと思えば、いつの間にか手前の方に戻ってきて、また遠のいて……もう二時間になるだろうか。額に汗を浮かべていても、呼吸は落ち着いていて、一つ一つの動作にも切れがあった。彼女の動き自体が、一つの音楽を形作っているようにさえ思われた。
「あ、そうだ」
ふと思いついて、リリカは妖夢の足取りに集中した。とても速い。でも、見切れないほどでもない。彼女のリズムを身体で感じ、指先に感覚を集中させて、
今だ!
リリカは指を鍵盤に走らせた。紡ぎ出されるのは妖夢の音。彼女の声、足音、衣擦れ、剣の声。音は妖夢の動作にぴったり寄り添い、なぞってゆく。彼女は全く気付いていない。このまま続ければ、最後まで気付かれないだろう。
それは厭だな、とどうしてだかリリカは思う。そして次第にリズムをずらしだす。
少しずつ、少しずつ、二人の音は離れていく。
二重の足音、二重のかけ声。
妖夢がちらりとこちらを見た。
リリカは俯いて、構わず演奏を続ける。
妖夢が遠のき、また戻ってくる。その繰り返し。やがて何かがおかしいぞ、とリリカの耳が訴える。
顔を上げるとそこには二人の妖夢がいた。
一方は元のまま、もう片方はリリカの音に合わせて舞っている。半霊だ。
そして、また何度か妖夢たちは庭を行き来する。
妖夢の動きにリリカは見とれ、リリカの音に妖夢は合わせる。
幾度も三人の視線は交わり合い、幾度目かに申し合わせたように微笑み合った。
そしてリリカは鍵盤から手を離し、二人の妖夢は仕事を終えた。
しんと静まり返った庭に遠い夏の日差しが差し込んで、妖夢の姿を浮かび上がらせる。
蜃気楼のように、半霊が元の形を取り戻した。
妖夢がゆっくりと近付いてくるのを、リリカは浮き立つような、怖いような、不思議な気分で見守った。
妖夢はリリカの目の前で立ち止まる。そして深々とお辞儀をした。
「見事な演奏でした」
リリカも慌ててお辞儀をし返す。
「そっちこそ。凄くきれいだった」
妖夢は恥ずかしそうに恐縮して、剣の柄を撫でさすった。
見ているうちにリリカも恥ずかしくなってきて、思わず無意味な騒音を立ててしまう。
妖夢は可愛らしい悲鳴を上げて驚いた。そして不満そうな顔で首を傾げる。
「突然、どうかしたの?」
「いや、何となく」
「何となくって」
「騒霊だからね」
リリカは笑って誤魔化した。
溜息をついて、お茶にしましょうと歩き出す妖夢を、リリカはふわふわと追いかける。
庭師の少女は後ろ姿もぴんと背筋が伸びていて、きれいだった。
彼女の悲鳴を採り損ねたことを、ちょっぴり後悔しながらも、
冥界の夏も悪くない、とリリカは思った。
その広い庭に無数の桜の木が整然と植わっている様は、冬であれば柱の列がどこまでも続く回廊に見えるし、春には桜色の雲と雪片に包まれた、幻想的な風景を拝むことができる。けれど冥界の夏は涼しいので、力強い深緑の広がる様というのは、どうしたって見ることができない。
冥界では、満開の桜の花より、葉桜の方が貴重なのだ。
それがリリカには、何となく物足りない。
もちろん春の桜はきれいだと思う。でも花の美しさはどこかぼんやりとしていて、冥界を、ことさらに死後の世界らしく見せてしまうような気がした。それに較べて、地上の桜の葉っぱたちのくっきりした色や形は、彼ら彼女らが生きていることを実感させてくれるのだけれど、
「……まあ、ここは冥界だからね」
季節はちょうど初夏だった。冥界の桜の葉は、地上に較べれば、ずっと数が少なくて色も薄い。緑というより、色の抜けた紅葉のようだ。
そしてそんな色抜け紅葉の空間を、庭師の少女が縦横無尽に駆け回っている。
彼女が両手の剣を一閃させる度に、枝が落ちて葉が舞った。
少女の髪や肌の色は、冥界の桜の花と較べても薄く儚げだったけれど、その動きは躍動感に満ちていて、とても半分死んでいるようには見えなかった。
リリカは、適当に鍵盤を押してみた。
妖夢の足音、妖夢のかけ声、剣を抜く音、剣が空気を切り裂く音、葉っぱをかする音、枝に触れた音、切り落とされる枝の悲鳴、そして鞘に収まり区切りの呼気。
収集したは良いものの、これらの音をライブでどう使えばいいのか、リリカには見当もつかなかった。
「ふむ」
ぴこぴこと鍵盤を弾きながら、リリカは妖夢の動きを目で追い続けた。
ずっと遠くまで行ったと思えば、いつの間にか手前の方に戻ってきて、また遠のいて……もう二時間になるだろうか。額に汗を浮かべていても、呼吸は落ち着いていて、一つ一つの動作にも切れがあった。彼女の動き自体が、一つの音楽を形作っているようにさえ思われた。
「あ、そうだ」
ふと思いついて、リリカは妖夢の足取りに集中した。とても速い。でも、見切れないほどでもない。彼女のリズムを身体で感じ、指先に感覚を集中させて、
今だ!
リリカは指を鍵盤に走らせた。紡ぎ出されるのは妖夢の音。彼女の声、足音、衣擦れ、剣の声。音は妖夢の動作にぴったり寄り添い、なぞってゆく。彼女は全く気付いていない。このまま続ければ、最後まで気付かれないだろう。
それは厭だな、とどうしてだかリリカは思う。そして次第にリズムをずらしだす。
少しずつ、少しずつ、二人の音は離れていく。
二重の足音、二重のかけ声。
妖夢がちらりとこちらを見た。
リリカは俯いて、構わず演奏を続ける。
妖夢が遠のき、また戻ってくる。その繰り返し。やがて何かがおかしいぞ、とリリカの耳が訴える。
顔を上げるとそこには二人の妖夢がいた。
一方は元のまま、もう片方はリリカの音に合わせて舞っている。半霊だ。
そして、また何度か妖夢たちは庭を行き来する。
妖夢の動きにリリカは見とれ、リリカの音に妖夢は合わせる。
幾度も三人の視線は交わり合い、幾度目かに申し合わせたように微笑み合った。
そしてリリカは鍵盤から手を離し、二人の妖夢は仕事を終えた。
しんと静まり返った庭に遠い夏の日差しが差し込んで、妖夢の姿を浮かび上がらせる。
蜃気楼のように、半霊が元の形を取り戻した。
妖夢がゆっくりと近付いてくるのを、リリカは浮き立つような、怖いような、不思議な気分で見守った。
妖夢はリリカの目の前で立ち止まる。そして深々とお辞儀をした。
「見事な演奏でした」
リリカも慌ててお辞儀をし返す。
「そっちこそ。凄くきれいだった」
妖夢は恥ずかしそうに恐縮して、剣の柄を撫でさすった。
見ているうちにリリカも恥ずかしくなってきて、思わず無意味な騒音を立ててしまう。
妖夢は可愛らしい悲鳴を上げて驚いた。そして不満そうな顔で首を傾げる。
「突然、どうかしたの?」
「いや、何となく」
「何となくって」
「騒霊だからね」
リリカは笑って誤魔化した。
溜息をついて、お茶にしましょうと歩き出す妖夢を、リリカはふわふわと追いかける。
庭師の少女は後ろ姿もぴんと背筋が伸びていて、きれいだった。
彼女の悲鳴を採り損ねたことを、ちょっぴり後悔しながらも、
冥界の夏も悪くない、とリリカは思った。
妖夢が妹ポジは全力で同意。
妖夢の遊び心がまた良かった。