冬だった
人も動物も妖怪も寒さに打ち震え
住処の門扉を固く閉ざし
寒風に晒されることを嫌い
外の暗さを打ち払うように明るい室内に籠る
そんな冬将軍の猛威に負けることなく外に繰り出して得意のトランペットを吹き鳴らしてみても
冬の空の暗さに侵された人々の心は晴れることなく
演奏に耳を傾ける者もおらず
かといって五月蠅い演奏をやめろと口を出す者もおらず
何をしても反応のない絶対の空虚に襲われた彼女の心の中には
まるで二十億光年の孤獨の中に放置されたかのように広大な虚空が広がっていた
その空白は彼女の精神さえも揺らし
彼女自身もまた 謎の無為感を認めるに至っていた
それほどまでに冬であり 空は暗く淀む冬のただ中にあった
◆ ◆ ◆
「ただいまー」
この寒いのにメル姉は相変わらず外に出続けている。
「動く邪魔になるから」といって、防寒装備をマフラーしかつけずに。よくやるもんだ。
私とルナ姉はというと、家でぬくぬくと自堕落に暮らしている。こんな時は炬燵も羨ましくなるというものだ。洋館に明らかに似合わないから置いてないけれど。
私はカップに注がれた紅茶を飲みつつ、新しく買った小説のページをめくる。
こうも冷えた時には、温かい話のひとつでも読みたくなるというものだ。
黙々と読書に興じていたら、ルナ姉が突然呟いた。
「…………静かね」
ルナ姉がそんなことを言うだなんて珍しい。普段ならむしろうるさいことを厭うのに。
そう思いつつ顔をあげてあたりを見回すと、なるほどいやに静かだなと思った。
そして気が付く。メル姉が来ない。
なるほどそうだ。先ほど家に帰ってきたはずのメル姉はあたりを見回してもどこにもおらず、それでなお静かなこの空間は、メル姉の騒がしさに慣れた私たちには明らかな違和感を植え付ける。
そして、家の中のどこにいるにしても彼女が静かであることなんて考えられないのに、今この空間においてメル姉の音がしない。
そりゃあ普段は静寂と寂寞を好むルナ姉も思わず「静かだ」と言いだすわけだ。
いくらなんでもおかしいと考えざるをえない。
なにかおかしな様子はあったかな、と最近のメル姉の様子を思い浮かべる。
毎日外に(おもに人里に)出て行って、ずっとひとりトランペットを吹いてたらしい彼女。
「誰もかれも辛気臭い顔して厭になるわ~」とか言ってたっけ
あれ、今気が付いたけどメル姉がそんな”厭”だなんてネガティブな発言するなんて珍しい
そういえば最近メル姉の表情に陰が差していたような気も
えーと
ということは
つまり
――結論はあっという間に出た。よく考えなくても、メル姉が静かだなんて基本ありえないことなので、実は最初から分かっていたのかもしれない。
私は読みかけの小説に栞を挟み、そっとリビングを後にした。
■ ■ ■
階段を上って、時計回りにみっつ。
私はいつもの10倍くらい気を遣って、ドアをノックした。
「メル姉、入るよー」
「んー」
中に入るとメル姉はベッドの上で突っ伏して、青い砂の入った瓶を眺めていた。
それでも私が入ると起き上がって、私に笑顔を見せてくれる。なんていう姉だまったく。
私は彼女のすぐ隣に座った。
「どしたの?ルナサ。」
気丈に振る舞っているであろう姉の質問を無視し、私は彼女を抱きしめ、頭をなでてやる。
背の低い私がやるとちょっとおかしいけど、誰も見てないから気にしない。
「………どういう風の吹き回しかしら?」
「辛いの、バレバレなんだから無理しないの。」
肩越しに伝わるため息ひとつ
「リリカに励まされちゃうなんて……月日は経つものねぇ」
「どういう意味よそれ。ほら、おとなしく楽になりなさいな。」
ぽんぽんと背中をたたいてやると、彼女の涙腺もようやく観念したようだった。
泣いたときのメル姉は静かで、肩越しに振動が伝わるだけだった。
ほとんど無音の時間がしばらく過ぎたとき、
どこからかチェロの音が響いてきた。
もしかしなくてもルナ姉だろう。
程よくさみしげな、どちらかというと古風な響き。
言葉でいうのは苦手だからとか、そういうことなんだろう。
ルナ姉らしいなと、笑みをこぼした。
ぎゅっと、メル姉が私を抱きしめるのを、そっと受け止める。
メル姉の体は温かくて、なんだかやっぱり私が励まされてるみたいだな。なんて思った。
淀みなく流れるチェロの音が、私たちをそっと包んで、春が来るのを待ちわびていた。
人も動物も妖怪も寒さに打ち震え
住処の門扉を固く閉ざし
寒風に晒されることを嫌い
外の暗さを打ち払うように明るい室内に籠る
そんな冬将軍の猛威に負けることなく外に繰り出して得意のトランペットを吹き鳴らしてみても
冬の空の暗さに侵された人々の心は晴れることなく
演奏に耳を傾ける者もおらず
かといって五月蠅い演奏をやめろと口を出す者もおらず
何をしても反応のない絶対の空虚に襲われた彼女の心の中には
まるで二十億光年の孤獨の中に放置されたかのように広大な虚空が広がっていた
その空白は彼女の精神さえも揺らし
彼女自身もまた 謎の無為感を認めるに至っていた
それほどまでに冬であり 空は暗く淀む冬のただ中にあった
◆ ◆ ◆
「ただいまー」
この寒いのにメル姉は相変わらず外に出続けている。
「動く邪魔になるから」といって、防寒装備をマフラーしかつけずに。よくやるもんだ。
私とルナ姉はというと、家でぬくぬくと自堕落に暮らしている。こんな時は炬燵も羨ましくなるというものだ。洋館に明らかに似合わないから置いてないけれど。
私はカップに注がれた紅茶を飲みつつ、新しく買った小説のページをめくる。
こうも冷えた時には、温かい話のひとつでも読みたくなるというものだ。
黙々と読書に興じていたら、ルナ姉が突然呟いた。
「…………静かね」
ルナ姉がそんなことを言うだなんて珍しい。普段ならむしろうるさいことを厭うのに。
そう思いつつ顔をあげてあたりを見回すと、なるほどいやに静かだなと思った。
そして気が付く。メル姉が来ない。
なるほどそうだ。先ほど家に帰ってきたはずのメル姉はあたりを見回してもどこにもおらず、それでなお静かなこの空間は、メル姉の騒がしさに慣れた私たちには明らかな違和感を植え付ける。
そして、家の中のどこにいるにしても彼女が静かであることなんて考えられないのに、今この空間においてメル姉の音がしない。
そりゃあ普段は静寂と寂寞を好むルナ姉も思わず「静かだ」と言いだすわけだ。
いくらなんでもおかしいと考えざるをえない。
なにかおかしな様子はあったかな、と最近のメル姉の様子を思い浮かべる。
毎日外に(おもに人里に)出て行って、ずっとひとりトランペットを吹いてたらしい彼女。
「誰もかれも辛気臭い顔して厭になるわ~」とか言ってたっけ
あれ、今気が付いたけどメル姉がそんな”厭”だなんてネガティブな発言するなんて珍しい
そういえば最近メル姉の表情に陰が差していたような気も
えーと
ということは
つまり
――結論はあっという間に出た。よく考えなくても、メル姉が静かだなんて基本ありえないことなので、実は最初から分かっていたのかもしれない。
私は読みかけの小説に栞を挟み、そっとリビングを後にした。
■ ■ ■
階段を上って、時計回りにみっつ。
私はいつもの10倍くらい気を遣って、ドアをノックした。
「メル姉、入るよー」
「んー」
中に入るとメル姉はベッドの上で突っ伏して、青い砂の入った瓶を眺めていた。
それでも私が入ると起き上がって、私に笑顔を見せてくれる。なんていう姉だまったく。
私は彼女のすぐ隣に座った。
「どしたの?ルナサ。」
気丈に振る舞っているであろう姉の質問を無視し、私は彼女を抱きしめ、頭をなでてやる。
背の低い私がやるとちょっとおかしいけど、誰も見てないから気にしない。
「………どういう風の吹き回しかしら?」
「辛いの、バレバレなんだから無理しないの。」
肩越しに伝わるため息ひとつ
「リリカに励まされちゃうなんて……月日は経つものねぇ」
「どういう意味よそれ。ほら、おとなしく楽になりなさいな。」
ぽんぽんと背中をたたいてやると、彼女の涙腺もようやく観念したようだった。
泣いたときのメル姉は静かで、肩越しに振動が伝わるだけだった。
ほとんど無音の時間がしばらく過ぎたとき、
どこからかチェロの音が響いてきた。
もしかしなくてもルナ姉だろう。
程よくさみしげな、どちらかというと古風な響き。
言葉でいうのは苦手だからとか、そういうことなんだろう。
ルナ姉らしいなと、笑みをこぼした。
ぎゅっと、メル姉が私を抱きしめるのを、そっと受け止める。
メル姉の体は温かくて、なんだかやっぱり私が励まされてるみたいだな。なんて思った。
淀みなく流れるチェロの音が、私たちをそっと包んで、春が来るのを待ちわびていた。
「どしたの?ルナサ」→リリカの間違いでは?
誤字報告ありがとうございます。
ですが、なんかパスワード入力の時にミスタイプしたらしくて編集できなくなりました。ごめんなさい。