注:前回からの続きです。
―――大会前夜。
魂魄妖夢は、白玉楼の敷地の外れにある離れにこもっていた。
ここ五日ほどで、永遠に続くかと思われた低気圧も鳴りを潜めていた。我が物顔で幻想郷を蹂躙していた台風だったが、衣玖の言うとおり大会当日までの滞在だったらしい。
白玉楼に残っていた食料が五日間が終わるに間に合わず尽きてしまったので、妖夢は昨日、外が轟々たる嵐の中、止むを得ず買いだしに出かけた―――里のほとんどの店からは出禁をくらっていたが、一部の奇特な店は存在していた。
自称空気を読める妖怪の大雨洪水警報は、伊達や酔狂ではなかったらしい。雨量は時が進むごとに爆発的に勢いを増し、用水路でもない普通の道にまで水が漲っていた。暴力的な雨風に打たれだんだん自暴自棄になってきた妖夢は、どうせならその調子で幻想郷全てが流れてしまえばいいなどと罰当たりな想いすら抱いた。まあ、実際は明日の大会すら流れないわけだが。
そんなこんなで……風やら雨やらがいいようにつっぱしる中、妖夢は命からがら買出しを遂げた。途中で偶然傘を差した博麗霊夢に出会ったのだが、霊夢の傘は滅茶苦茶に暴れていて、差してるんだかしがみついてるんだかわからない有様だった。
そんな地獄のような昨日を比べると……今夜は静かなものだった。
こうして暗闇の中瞑目していると、耳に残るのはかすかに柳が流れる音と、葉から葉へこぼれ伝う水雫だけだ。
魔理沙と別れて五日間、妖夢は暇をこしらえては、この離れで禅を組んでいた。
少々古式ゆかしいかもしれないが、悟りの境地は自己との対話によってのみ拓かれる。時間を忘れるほどの瞑想を続けながら、次第に心身が引き締まるような感覚が妖夢を包んでいた。身体の隅々の毛穴から空気をとりこみ、闇と一体となるような錯覚を得る。空気にわずかに含む湿気の気配、遠くで葉と葉がこすれ合わさる音、塗れた若竹の香り、全てが五感で感じ取れる。
―――このままでは、さとりには勝てない―――
妖夢は考えていた。どうして自分はさとりに手も足もでなかったのか。心を読まれるのは、読まれたくないという雑念と、同じく雑多な姦計が自分の中に満ちていたからだ。あの時、わたしは無様に動揺し、困惑し、立つ瀬すら見失ってしまった。無心になれなかった。敗因は己自身にあるといっても過言ではない……。
この離れは、元は先代の魂魄妖忌の所有する書斎だった。今の力量では到底さとりには及ばないことを思い知らされた妖夢は、魔理沙と別れ白玉楼に戻ると、すぐにここに訪れた。目的は、師の残した資料だった。師は妖夢に幽々子の警護役を引き継がせ雲隠れする際、この書斎に多くの書物を残していった。書物は盆栽や茶経、風姿花伝など師の趣味に関わる本もあるが、それ以外のほとんどが剣道に関する資料だ。自身が口伝する魂魄流のみならず、他流の兵法書、槍術、弓道、馬術、果ては西洋の剣術まで、ありとあらゆる武術の指南書が収められていた。
その中で妖夢が求めたのは、魂魄家に代々受け継がれてきた剣術の伝書……すなわち奥義を記した秘伝書だった。師事していた頃は、自身の未熟故に口伝していただけなかった魂魄流奥義。師を離れ、己の剣道を邁進する今となっても、今の自分が奥義を理解するに足る技量を身につけたとは到底言いがたい。しかし勝負の日が五日後に迫っている以上、もはや可能性としての頼みの綱はこれしかない。
しかし書庫をひっかきまわし、本棚を全て空にしても、奥義の口伝書は見つからなかった。どうやら師は、この山ある本の中からそれだけは持っていってしまったらしい。師は、自分が軽薄な思いで奥義に手を出すことを見越していたのだろうか……。
落胆のさなか最後に妖夢が見つけたのは、師の手記である備忘録であった。
逸る気持ちを抑えながら、妖夢はそれを手繰った。中身は手記というよりは、雑記帖だった。雲隠れする前の師はすでに老齢に達しており、物忘れもだいぶ進行していた。思いついたことをとりあえずメモするために使っていたのだろう。ただの手記といえど、祝辞のような一字一句の丁寧さが、師の生来の生真面目さを表していた。
とりとめない単語や、詩の一節、雑文の羅列が目につく中、ページを手繰る妖夢の手が止まった。
『剣道とは真理への道。
剣の極地とは、唯一なる真理にあり。
真理を得よ。真理を求めよ。
さすれば頭上より光明は啓けり』
真理……。
深く、心に反芻する。
その果てに、奥義がある。光明が啓ける。
でも、真理って……いったい?
……わからない。だが妖夢は直感で察していた。
理屈ではない。言葉では表せない。それこそが、真理……。
不思議な話だが、思考に没頭するうちに、考える事を止めていた。
わたしに足りなかったもの、それは……
「妖夢~? どーこいった~?」
はた、と妖夢は顔を上げた。幽々子の声だ。
こんな夜更けにどうしたというのだろう。明日は待ちに待った鍋の日だからと言って、今日は主をいつもより早く寝かせた。わざわざ彼女が床の間に入るのを確認してから、ここに来たというのに―――得意の夢遊病だろうか。
「幽々子様。こんな時間に、どうされたので?」
離れを出て、声をかける。生垣の向こうにいた西行寺幽々子はこちらを認めると、どういうわけか小躍りして近づいてきた。
「こんなところにいたのね。もう、探したわよ」
幽々子はぷっくり頬を膨らませて、寝巻きの袖をフリフリさせた。大会の予定が決まってからこっち、幽々子の機嫌は上昇気流に乗って、もはや有頂天の高さに達していた。こんな見てて恥ずかしくなるようなぶりっ子じみた真似も、ここ五日ほどは日常茶飯事と化しつつあった。
「何かあったんですか?」
「そう。あったのよ」と、両手を広げて大げさに告げて、「いや、ある予定と言ったほうが正しいかしら」
「はあ……? 予定?」
「そう、予定」
「何かある予定って……意味わかりませんよ。明日の大会のことを言ってるんですか?」
「それはもうわかりきってることでしょ。そんなことで、わざわざ夜中にあなたを探し回ることないじゃない」
「じゃあ、何です? 犯行予告でも入ったんですか?」
適当に発言したつもりだった。しかし意外なことに、幽々子はぴたりと止まった。
「なんでわかったの?」
「……は?」
「ピッタリ、正解よぉ。まさか、あなたの仕業じゃないでしょうね」
不審気な視線を幽々子は向けてくる。妖夢は慌ててそれを追い払った。
「ちょ、ちょっとちょっと。待ってください。正解って、どういうことですか? まさか、本当に……」
「ふふふ、そのまさかよ。これ、見て御覧なさい」
幽々子が懐から差し出したのは、文庫本がちょうど収まる程度の、小洒落た封筒だった。うっすらとした桃色の上に、封のふち部分に沿って赤色で装飾が施されている―――犯行予告というよりは、ちょっと気合の入ったラブレターにしか見えないけど……。
「…………なんですか? これ」
「開けてみなさい」
答えになっていないが、従う以外にないようだ。封を開けると、中から一枚の便箋が出てきた。
その便箋は、封筒と同じファンシーな桃色だった。しかし、そこに記されていた内容は、とても見ていて心が和むようなものではなかった。
「これは……」
≪ 明日繰り広げられし、大いなる遊戯
死者も、生者も、陰陽も。夢集う聖餐の場で
放たれし札の剣、響き合いし矜持の声
色達よ、百花繚乱に咲き乱れし時
我、汝らの剣を侵奪に参上す
~七色のレアハンター~≫
「…………」
妖夢の顔は、これまでの彼女の人生でも最上位にランクされそうなほどのしかめっ面で固まっていた。
「ね。ね。どう思う?」
ふと気づくと、幽々子がこちらの様子を上目遣いで窺っていた。反応を楽しもうとしているらしい。妖夢は呆れ半分、言葉をもらした。
「あー、これは……えーと、なんなんでしょうね?」
上機嫌な幽々子はプッと噴き出した。
「寝ぼけたこと言うのね。それとも、本当に今の今まで寝てたのかしら? 見ての通りに決まってるでしょ」
「見ての通りの犯行予告って、そう言いたいわけですか?」
それ以外に何があるのよ。とでも言うように、幽々子は肩をすくめる。
「そこに書いてあるでしょ、差出人の名前。レ・ア・ハ・ン・タ・ア。ほら、復唱なさい」
「レ、レアハンター……」
「レアハンターってどういう職業なのか、知ってるでしょ?」
「いやまあ、職業ではないでしょうけど」
「ああもう、煮え切らないわね」
幽々子は便箋をひったくると、それを面と向かってずいと突きつけてきた。
「いい? ここを見なさい。この文章、かっこつけてるのか何かの詩みたいに書いてあるけど、言ってることは要するにこうよ。まず、〝大いなる遊戯〟。これが明日の大会を差すことは、当然わかるわよね?」
妙な間が降りてくる。こちらの返事を待っているらしい。仕方なく、妖夢は「はあ」と生返事した。
「問題は三節目ね。放たれし札の剣、とある。札はカードを直喩し、同じく剣は暗喩している。剣がイコール、カードを意味するとみて間違いないわね。とすると、五節目。剣が再度登場しているから、これをそのままカードに当てはめて読むと……どういう意味になる?」
「……汝らのカードを侵奪に参上す」
くすくす、と幽々子は袖で口許を隠した。
「ほとんど直球よね。まあ、直球じゃないと犯行予告にはならないんだろうけど。それにしても、手口が幼稚よ。名前もわざわざレアハンターと名乗っているし、こちらに故意に意図を察させるためとしても、子供じみすぎているにもほどがあるわ。そうは思わない?」
ところで……幽々子が嬉々として手紙に対する自論を語り始めた辺りから、妖夢は偏性痛に耐えられなくなったみたいに額に手を当てていた。
「まあ……仰る通りだと思います」
……この手紙の内容が、幽々子が言うとおり、明日の大会でのいわゆる犯行予告であることは確かなのだろう。その点は、幽々子が今述べた通りで間違い無いと思う。
だが、妖夢にとってそんなことはどうでもよかった。今回こそは、至極健全なただのカードゲームの大会だと思ってたのに。なのに、それなのに……
七色の、レアハンターだって……?
つまり、だ。どこの誰だか知らないが、騒ぎに乗じてまたひと騒動を起こそうとしているらしい。カードゲームの大会なのだから、大人しくカードゲームだけをしていればいいのに。どうして毎回毎回、こう懲りずに馬鹿馬鹿しい事を考える輩が現れるのだろう。妖夢が額に手を当てていたのは、偏性痛に耐えられなくなったのではなく、この手元にあるピンク色の怪文のくだらなさ加減に心底呆れがきていたからだった。
「……えーと、どうしてこんなものが?」
「廊下に落ちてたのよ」
幽々子はニッと笑い、大げさにウインクをしてみせた。
「わたしは床に入っていたんだけど、明日が楽しみだったからなんだか眠れなかったの。神経が過敏になってたっていうのかしら。ま、遠足の前の日みたいな感じね。で、ふと、襖の向こうの縁側に気配を感じたから、なんだと思って開けてみたのよ。そしたら、この封筒だけが廊下に残されてたってわけ。うふふふふ」
大会前日ということで、今日は朝からわくわくを抑えられない様子の幽々子だったのだが、こんなウインクまで飛び出すということは、ここに来てさらにテンションが跳ね上がってしまったようだ―――もっとも幽々子のウインクは明らかに慣れたものではなく、顔半分をくしゃくしゃにして痙攣させただけにしか見えなかった。経験上、妖夢は主がこうなるとロクなことにならないことを嫌と言うほど知っていた。きっと今わたしがため息をついたら、人一人吹き飛ばすぐらいの威力が出てしまうのではないか。なんとなくそう思った。
「とにかくこんなものを送りつけられた以上、受けて立たないわけにはいかない。明日はなんとしてでも、この《七色のレアハンター》なる人物を見つけ出さなければならないわ」
ですよね……。
そうくることは予想済みだったので、妖夢は半ば諦めた口調で告げた。
「うーん、そうなると現行犯を捕まえるしかないでしょうね」
「あなた、何か心当たりは無いの?」
「いいえ、皆目。この文面には、他に手がかりはなさそうですし」
「ふうん。じゃあ訊くけど、妖夢……あなたは、誰が犯人だと思う?」
犯人……そう言われてもなぁ。
この時点では確かな事なんて何も無いだろうが……手がかりになりそうなものを強いて挙げれば、このふざけた名前だろうか。《七色のレアハンター》。幻想郷で二つ名に七色を持つ者といえば、あの人形遣い、アリス・マーガトロイドしかいない。魔理沙によると彼女は今動けないらしいが……。そうやって人払いをしている点は、逆に怪しいともいえる。とはいえ、彼女にはこんなことをする理由が無い。そもそもクールな性格の彼女がこんな子供じみたことをするとは、どうしても考えにくい。
他に考えられるとするならば……やはりアリスと同じく、最近姿を見せていない者が怪しい。
最近、姿を見せていない者……。
妖夢は首を傾げて考えていた。その首がほとんど九十度を回ったところで、はたと幽々子を見る。
「……あの、幽々子様。紫様は、今どちらにおられます?」
「えっ」
紫の名が出ることは全く予想していなかったらしい。幽々子にしては珍しく、素できょとんとする。
「紫って、あなたも知ってるでしょう。あいつはまだ力が戻らなくて、異次元で眠っているわ」
「それはあくまで、紫様本人―――あるいは式である藍さん―――の言ったことでしょう。そもそも、その異次元だって、紫様の力でしか行き来できない、あの方だけの場所。他人に真偽を確かめる術はありません。紫様が今どこで、本当に何をしているかは……」
言い終わる前に、幽々子はおどけた調子で言葉尻をひったくった。
「あなた、まさか紫が犯人だって言いたいの?」
「可能性と、直感的な話です」
「根拠は無いけど、ということね。まあ、確かにあいつはああみえてこういう幼稚なことは好きだし、いかにもやりそうだけど……でも、さすがに今回ばかりは違うでしょ。この前ひと騒動起こしたばかりなのに、何を急いでまた次をやらかす必要があるの?」
「それはまあ、そうなんですけど……」
前回の大それた事件の張本人だという先入観だろうか。幽々子は違うと端から決めてかかっているようだが、絶対に紫ではないと、断言することをよしとしない自分がいる。そもそも、自分は紫の事をそれほど知っているわけではない。主の友人として訪れるのを、従者として幾度か迎え入れているだけに過ぎない。付き合いの長い幽々子が違うというのだから、間違いは無いと思いたいけど……行方をくらましている現在、容疑者の筆頭に挙げられるのは彼女ではないだろうか。
「それより、わからないのは犯人の目的ね。ただカードが欲しいのなら、わざわざこうして予告なんて出すのはおかしいわ。とすれば、カード以外の何かか、それともこれだけ派手な真似をした上でカードを奪うのが目的なのか……楽しみね。ふふふふふ」
なにが楽しみなものか……。ただでさえ、明日はなんとしても勝たなければならない日だというのに。
余計なことにかかずらわって、集中を乱したくない。探偵業は魔理沙あたりに任せようか……。
「とにかく、任せたわよ。わたしは明日は解説で動けないから」
踵を返そうとする幽々子を、妖夢は慌てて引き止めた。
「ま、待ってください。解説って、なんですそれは?」
「頼まれたのよ。あなたは今日ずっと離れに引きこもってたから知らないでしょうけど、昼ごろ新聞記者の天狗が来てね。明日の大会の実況席に座ることになったの。あいつが実況、わたしが解説♪」
バチン、と幽々子は例の土砂崩れウインクをしてみせた。
「……そ、そうなんですか」
こんなポヤンポヤンした人に、解説なんて務まるんだろうか……。右から左に放送禁止用語が飛び出しそうで、妖夢はおおいに不安だった。
「言っておくけど、わたしの心配をする前に自分の心配をすることね。天狗から聞いたわよ。明日の対戦相手のメンバー、なかなかに手強そうだったわ。大丈夫なのかしらね、妖夢は」
ふいに下がった言葉の温度から、幽々子の調子の変化が伝わってくる。
表情を引き締め、妖夢はまっすぐその視線を見据えた。
「お任せください。幽々子様の大願、必ずや成就してご覧に入れます」
時が止まったように、視線が交錯する。冷たい季節風が二人の間を走り、幽々子の桃色の髪をなびかせる。
再び戻ってきた夜の静寂の中。ふふふ、と幽々子の口許が和らいだ。
「念を押すまでもなかったようね。ああ、でも勘違いしないで。わたしは決して、あなたには荷が重過ぎるとは思っているわけじゃない。見せてほしいのよ、あなたがこの数日でどれだけ成長したかを。様々な敵と出会い、戦い、立ち向かって得た成果を、ね」
幽々子は踵を返した。去り行く主の背中を眺めているうちに、妖夢は胸に闘争心に似た炎が燃え上がってゆくのを感じた。
でも……違う。これはただ戦いを前に奮い立つだけの感情じゃない。忠義の炎だ。
勝利のため、鍋のため、そしてなにより我が主のために……わたしは身を灰にしてでも、与えられた命を全うしなければ……。
「あ、そういえば」
ふいに、幽々子は振り返った。
「どうしてもあなたに言っておかなきゃならないことがあったわ」
「まだ何か?」
「明日、大安だったわよ」
ほとんど最終兵器みたいな皮肉を放った幽々子は、妖夢がすっかり面食らっているうちに、そそくさと屋敷に引っ込んでしまった。
・・・・・・To be continued
七色から連想できるのはアリス。レアハンターから連想できるのは輝夜、ナズーリンくらいでしょうか?
ナズーリンがハンターで黒幕白蓮はあるかもですね。
続き楽しみにしてます!
いや、結論を急いじゃいけませんね。まだ慌てるような時間じゃない。大会を楽しみにしときます。
どうでもいいですけど、サクリファイス対真六武衆って、サクリファイス有利ですよね。
…美鈴?
…ないか
それで意外にも強かったりしたら最高だな。相手が魔神カードの効果忘れてて攻撃して返り討ちとか。