いつものように図書館に行くと、パチュリーが本を開いて読んでいた。
と、それ自体は当然の光景なのだが、アリスはパチュリーの様子がいつもとは異なることに、すぐに気づいた。
非常に難しい顔をして、本の側にメモを置いて、右手にはペンを持っている。これは読んでいる、というより、取り組んでいる、といった具合だ。
たまに、そういったことがないわけでもない。数式が多い本だと、こんな状態になることもある。今回も何か計算でもしているのだろう、と思いながら、彼女の側にまで近づく。
「おはよう、パチュリー。朝から大変ね」
「あ……? あ、もう、そんな時間なのね。ここにいると、朝も夜もないわ」
「確かにね。――あら?」
興味を持って本を覗きこんでみると、そこに数式らしきものは確認できなかった。メモのほうにも同様だ。
ますます不思議に思って本文を読もうとする。が、読めない。
暗くて見えないという意味ではない。そこに何かが書かれていて、それが文字であることはわかるのだが、読めないのだ。
「……何語?」
「ペルシア語ね。遥か、大昔の」
「読めるの? 凄いわね」
「正直に認めれば、かなり時間をかければ、なんとかといったところ。難しいわ」
「そんな本があったんだ」
「今朝になっていくつか本が寄贈されてね。そのうちの一つ。……おかげで、当分は退屈しなくて済みそう」
紅魔館の図書館は広い。
それはもう、広い。とはいえ、年中ここの本を読み続けるだけの生活を送っているパチュリーにとってみれば、原理的には本はいくらあっても足りないのだ。この図書館にとって新しい本が増えることは、いつでも大歓迎である。
「まだ中身は全然読めてないけど、この本に価値があることはわかったわ」
「古い本だから?」
「それだけじゃないわ。この本の著者、あのフルーツバスケットなのよ」
「え……誰?」
「知らないの?」
「そんな美味しそうな名前の有名人がいたら、忘れないと思うわ……」
アリスの言葉を聞いて、パチュリーはふう、と息を吐いた。
まだまだ貴女も勉強不足ね、と呟く。
「昔の、有名な魔法使いの名前よ。人気、実力ともに相当高かったと聞くわ」
「……うーん。知らないわねえ」
「正確には個人名じゃないわ。当時魔法使い界を席巻した、4人組の人気魔法使いユニットの名前よ」
「あ、うん、雲行きが怪しくなってきた」
「人気絶頂の時に、魔法性の違いから惜しまれながらも解散したらしいわね」
「……」
「解散のときのメッセージがまた有名なのよ。『私たちの魔法はまだ始まったばかりだ!』って。聞いたことない?」
「えっ……と。どのあたりからが笑いどころ……?」
「何よ、信じてないの? ほら、ここにリーダーのアボカド・ヨシュアのサインが」
「知らないしっ!?」
パチュリーがどこまで本気で言っているのかはアリスにはわからないが(いつものことである)、ともあれ読解作業自体はかなり本気でやっているのは間違いないようだ。
時折辞書を引きながら、非常にゆっくりと読み進めている。
アリスは、一言断ってから、机に積んである本から一冊抜き出す。それは明らかに図書館にあるどの本よりも古かった。やはり、興味はある。
開いてみる。が、やはり、読めない。
これも古いペルシア語なのかまた別の言語なのか、アリスには判断がつかない。小さく溜息をつく。
「それにしても、どれもこれも古そうな本ね。どれもこれも考古学的な意味で価値があるんじゃないかしら」
「そうね。余裕があれば、写本を作ったほうがいいかもしれないわね」
「大変な作業ね……」
アリスとしても、中身は気になる。読めないのは残念だが、パチュリーが読めるのであれば内容を聞くことはできる。幸いというか、彼女の博識には感心するばかりだった。
せめて絵なり図なりないだろうかとページを捲ってみるが、残念ながらそのようなものは一切見当たらなかった。仕方ないか、と、本を閉じる。
「一体、これほどのものの寄贈が、どこから?」
「ん」
もしかして返答はないかもしれないと思いつつ、尋ねてみる。なんとなく、この古さと、ペルシア語というのがいかにも曰くありげに思えたからだ。
しかし実際のところ、返事はすぐに返ってきた。
「例のゴシックメッシュ」
「……誰」
「ほら、貴女と同郷の――」
「惜しいですが、違います。私は魔界に長い間いましたが、故郷はこちら側ですよ」
不意に第三者の声が届く。顔を上げると、パチュリーの隣あたりに彼女――例のゴシックメッシュこと、魔法使い聖白蓮が立っていた。にこにこと笑顔を見せながら。
「あ……あなたも、ここに来ていたのね」
「本を置いてから、ずっと図書館を見て回っていました。ここは知識の宝庫ですね――素晴らしいです」
白蓮は図書館を褒めるが、パチュリーはぴくりとも反応しない。
そんなパチュリーが開いている本に視線を落として、あら、と彼女は言う。
「どうですか? その本、面白いでしょう」
「……まだ読み始めたばかり」
「楽しんでいただけると良いのですが。それは、昔の作品の中ではかなり自信作なんですよ。とてもよく、売れました」
「……」
パチュリーが顔を上げる。
アリスも思わずパチュリーの顔を見てから、白蓮の顔を見つめる。
「……アボカド・ヨシュア?」
「まさか! 私は彼ほど優秀ではありませんでした。ふふ……フルーツバスケットの柑橘一点、オレンジ・ホワイトとは私のことです」
「……」
「……」
「……いたんだ、フルーツバスケット」
「だから言ったでしょ……」
「懐かしいものです。かつてはこう名乗ると、『どっちだよ!』と返されるのが恒例だったのですが――」
遠い目をして彼女は呟く。
少し寂しそうな顔をしながらも、しかし彼女は微笑を絶やさない。
「しかし今、世の中にこれだけ魔法が受け入れられているのです。魔法をもっと身近に、もっと親しみをという私たちのかつての活動も、無駄ではなかったのでしょう」
「いい話の流れなんだ、これ」
「すれ違いもありましたが、みんなで同じ目標に向かって活動していました。私にとっても、いい修行になりました。思えばあの頃――」
どういう反応が正しいのかわからず戸惑うアリスの前で、白蓮は滔々と昔話を語り続ける。
……
それはもう、止めどなく。
「――そんな彼女に言ったのです。両腕をクロスさせるときは右手のほうが前ではないかと。すると彼女は、順番など本質ではない、大切なのは自分が納得できることだ――と。私ははっとしました。彼女はいつだって本質を見抜いて――」
「あの」
「はい、なんでしょう」
「あ、えっと……」
もう疲れました。勘弁してください。
……という本音がかなり出かかりながら、アリスはぐっと言葉を飲む。
「え、ええと、どうしてこの本は、ペルシア語なのかしら?」
「あ、それはですね、ユニット活動をしていた頃の拠点では、それが一番通じる言葉だったからですよ。アラビア語版も発行していましたが、もう失われてしまいました」
「そ、そうなの。大変だったのね」
「ええ、大変なこともありました。しかし私たちは魔法が恐ろしいものでも遠いものでもないことを知らしめるという常に強い意志を持って――」
「あのっ」
「はい、なんでしょう」
「えー……と……例えば、今パチュリーが読んでる本って、どういう本なの?」
「『マジカルシンキング ~48の基本テクニック~』ですか」
「そんなタイトルだったんだ」
「気まぐれな上司との付き合い方を説いた実用書です」
「魔法関係無っ!?」
「ええ、生活に密着した魔法使い、が私たちのモットーでしたから」
「たぶんそれもう、目的とか手段とか色々と見失っていたんじゃないかしら……」
会話を一応聞いていたのか、必死になって本を読んでいたパチュリーががくっと肩を落としているのが見えた。
……
もし自分の本を書くことがあったら、中身が容易に想像できるタイトルにしようと心のなかで誓うアリスだった。後世の人のために。
「ところで、ここの本ってどこから出てきたの? 魔界にも持ち込んでたの?」
「いいえ。私が封印されたときに、財産の一つとして星が大切に保管してくださってました。あ、星というのは私の大切な仲間なのですが――」
「封印って確か、千年近く続いていたのよね……?」
「ええ。本当に仲間たちには感謝しています」
「ええと……その彼女は、この本が何なのか知ってるのかしら」
「寄贈する前に尋ねられました。彼女には、この言語は読めませんから。――そういえば、教えたとき、貧血なのかふらふらしていました。大丈夫ですとのことなので後のことは一輪に任せてきましたが、心配ですね」
「あ……うん……心配ね……すごく……」
と、それ自体は当然の光景なのだが、アリスはパチュリーの様子がいつもとは異なることに、すぐに気づいた。
非常に難しい顔をして、本の側にメモを置いて、右手にはペンを持っている。これは読んでいる、というより、取り組んでいる、といった具合だ。
たまに、そういったことがないわけでもない。数式が多い本だと、こんな状態になることもある。今回も何か計算でもしているのだろう、と思いながら、彼女の側にまで近づく。
「おはよう、パチュリー。朝から大変ね」
「あ……? あ、もう、そんな時間なのね。ここにいると、朝も夜もないわ」
「確かにね。――あら?」
興味を持って本を覗きこんでみると、そこに数式らしきものは確認できなかった。メモのほうにも同様だ。
ますます不思議に思って本文を読もうとする。が、読めない。
暗くて見えないという意味ではない。そこに何かが書かれていて、それが文字であることはわかるのだが、読めないのだ。
「……何語?」
「ペルシア語ね。遥か、大昔の」
「読めるの? 凄いわね」
「正直に認めれば、かなり時間をかければ、なんとかといったところ。難しいわ」
「そんな本があったんだ」
「今朝になっていくつか本が寄贈されてね。そのうちの一つ。……おかげで、当分は退屈しなくて済みそう」
紅魔館の図書館は広い。
それはもう、広い。とはいえ、年中ここの本を読み続けるだけの生活を送っているパチュリーにとってみれば、原理的には本はいくらあっても足りないのだ。この図書館にとって新しい本が増えることは、いつでも大歓迎である。
「まだ中身は全然読めてないけど、この本に価値があることはわかったわ」
「古い本だから?」
「それだけじゃないわ。この本の著者、あのフルーツバスケットなのよ」
「え……誰?」
「知らないの?」
「そんな美味しそうな名前の有名人がいたら、忘れないと思うわ……」
アリスの言葉を聞いて、パチュリーはふう、と息を吐いた。
まだまだ貴女も勉強不足ね、と呟く。
「昔の、有名な魔法使いの名前よ。人気、実力ともに相当高かったと聞くわ」
「……うーん。知らないわねえ」
「正確には個人名じゃないわ。当時魔法使い界を席巻した、4人組の人気魔法使いユニットの名前よ」
「あ、うん、雲行きが怪しくなってきた」
「人気絶頂の時に、魔法性の違いから惜しまれながらも解散したらしいわね」
「……」
「解散のときのメッセージがまた有名なのよ。『私たちの魔法はまだ始まったばかりだ!』って。聞いたことない?」
「えっ……と。どのあたりからが笑いどころ……?」
「何よ、信じてないの? ほら、ここにリーダーのアボカド・ヨシュアのサインが」
「知らないしっ!?」
パチュリーがどこまで本気で言っているのかはアリスにはわからないが(いつものことである)、ともあれ読解作業自体はかなり本気でやっているのは間違いないようだ。
時折辞書を引きながら、非常にゆっくりと読み進めている。
アリスは、一言断ってから、机に積んである本から一冊抜き出す。それは明らかに図書館にあるどの本よりも古かった。やはり、興味はある。
開いてみる。が、やはり、読めない。
これも古いペルシア語なのかまた別の言語なのか、アリスには判断がつかない。小さく溜息をつく。
「それにしても、どれもこれも古そうな本ね。どれもこれも考古学的な意味で価値があるんじゃないかしら」
「そうね。余裕があれば、写本を作ったほうがいいかもしれないわね」
「大変な作業ね……」
アリスとしても、中身は気になる。読めないのは残念だが、パチュリーが読めるのであれば内容を聞くことはできる。幸いというか、彼女の博識には感心するばかりだった。
せめて絵なり図なりないだろうかとページを捲ってみるが、残念ながらそのようなものは一切見当たらなかった。仕方ないか、と、本を閉じる。
「一体、これほどのものの寄贈が、どこから?」
「ん」
もしかして返答はないかもしれないと思いつつ、尋ねてみる。なんとなく、この古さと、ペルシア語というのがいかにも曰くありげに思えたからだ。
しかし実際のところ、返事はすぐに返ってきた。
「例のゴシックメッシュ」
「……誰」
「ほら、貴女と同郷の――」
「惜しいですが、違います。私は魔界に長い間いましたが、故郷はこちら側ですよ」
不意に第三者の声が届く。顔を上げると、パチュリーの隣あたりに彼女――例のゴシックメッシュこと、魔法使い聖白蓮が立っていた。にこにこと笑顔を見せながら。
「あ……あなたも、ここに来ていたのね」
「本を置いてから、ずっと図書館を見て回っていました。ここは知識の宝庫ですね――素晴らしいです」
白蓮は図書館を褒めるが、パチュリーはぴくりとも反応しない。
そんなパチュリーが開いている本に視線を落として、あら、と彼女は言う。
「どうですか? その本、面白いでしょう」
「……まだ読み始めたばかり」
「楽しんでいただけると良いのですが。それは、昔の作品の中ではかなり自信作なんですよ。とてもよく、売れました」
「……」
パチュリーが顔を上げる。
アリスも思わずパチュリーの顔を見てから、白蓮の顔を見つめる。
「……アボカド・ヨシュア?」
「まさか! 私は彼ほど優秀ではありませんでした。ふふ……フルーツバスケットの柑橘一点、オレンジ・ホワイトとは私のことです」
「……」
「……」
「……いたんだ、フルーツバスケット」
「だから言ったでしょ……」
「懐かしいものです。かつてはこう名乗ると、『どっちだよ!』と返されるのが恒例だったのですが――」
遠い目をして彼女は呟く。
少し寂しそうな顔をしながらも、しかし彼女は微笑を絶やさない。
「しかし今、世の中にこれだけ魔法が受け入れられているのです。魔法をもっと身近に、もっと親しみをという私たちのかつての活動も、無駄ではなかったのでしょう」
「いい話の流れなんだ、これ」
「すれ違いもありましたが、みんなで同じ目標に向かって活動していました。私にとっても、いい修行になりました。思えばあの頃――」
どういう反応が正しいのかわからず戸惑うアリスの前で、白蓮は滔々と昔話を語り続ける。
……
それはもう、止めどなく。
「――そんな彼女に言ったのです。両腕をクロスさせるときは右手のほうが前ではないかと。すると彼女は、順番など本質ではない、大切なのは自分が納得できることだ――と。私ははっとしました。彼女はいつだって本質を見抜いて――」
「あの」
「はい、なんでしょう」
「あ、えっと……」
もう疲れました。勘弁してください。
……という本音がかなり出かかりながら、アリスはぐっと言葉を飲む。
「え、ええと、どうしてこの本は、ペルシア語なのかしら?」
「あ、それはですね、ユニット活動をしていた頃の拠点では、それが一番通じる言葉だったからですよ。アラビア語版も発行していましたが、もう失われてしまいました」
「そ、そうなの。大変だったのね」
「ええ、大変なこともありました。しかし私たちは魔法が恐ろしいものでも遠いものでもないことを知らしめるという常に強い意志を持って――」
「あのっ」
「はい、なんでしょう」
「えー……と……例えば、今パチュリーが読んでる本って、どういう本なの?」
「『マジカルシンキング ~48の基本テクニック~』ですか」
「そんなタイトルだったんだ」
「気まぐれな上司との付き合い方を説いた実用書です」
「魔法関係無っ!?」
「ええ、生活に密着した魔法使い、が私たちのモットーでしたから」
「たぶんそれもう、目的とか手段とか色々と見失っていたんじゃないかしら……」
会話を一応聞いていたのか、必死になって本を読んでいたパチュリーががくっと肩を落としているのが見えた。
……
もし自分の本を書くことがあったら、中身が容易に想像できるタイトルにしようと心のなかで誓うアリスだった。後世の人のために。
「ところで、ここの本ってどこから出てきたの? 魔界にも持ち込んでたの?」
「いいえ。私が封印されたときに、財産の一つとして星が大切に保管してくださってました。あ、星というのは私の大切な仲間なのですが――」
「封印って確か、千年近く続いていたのよね……?」
「ええ。本当に仲間たちには感謝しています」
「ええと……その彼女は、この本が何なのか知ってるのかしら」
「寄贈する前に尋ねられました。彼女には、この言語は読めませんから。――そういえば、教えたとき、貧血なのかふらふらしていました。大丈夫ですとのことなので後のことは一輪に任せてきましたが、心配ですね」
「あ……うん……心配ね……すごく……」
リンゴ・スターくらいなら混じってそうだ
>16 あぁ間違いない 絶対メンバーだわ……