トン、と小さな音を立てて、古明地こいしは地霊の底へと降り、帰路は終わりを告げた。
死肉の焼ける臭いと、焼かれるのを待つ屍の腐乱臭がいつものように鼻孔を突き、その際の炎から押し出された熱風はまた、いつものようにこいしの頬を掠めた。
地霊の底は薄暗いが、外ももうとっぷりと日が暮れてしまっている。今は、深夜だ。
ようは、普段よりも随分と遅い帰宅だったのである。
丑三つとまではいかずとも、直に亥の刻となれば、流石に仕事熱心な者でも床についている頃だ。
「…。」
その例に漏れず、地霊殿も、今は静寂の中にいる。
静かな世界とは反対に、こいしの頭の中はいまだ明るく、賑やかだった。
まだ、朝からの外での放浪の感覚から戻れていないからだろう。
その頭の中の所為だろうか、はたまた閉じられた瞳の所為かはわからず仕舞いだが、こいしは、
まだ小さく灯る、執務室の照明に気付かなかった。
こいしは、今日の記憶もまだ新しいといった状態で、いそいそと少しばかり冷えた寝巻へと着替え、ベッドの中に、もぐり込む。
すると、あれほど騒がしかった頭の中は、布団の証明不能の力によって静まっていく。
同時に、いつしか訪れた睡魔によって、こいしの瞼はゆっくりと降ろされていったのだった。
「ん…。」
それからしばらくした、辰の刻の頃。
少しの違和感を覚え、こいしは目を覚ました。
「え…、あれ…、」
「お姉、ちゃん?」
こいしの横で、さとりが寝ていた。
横、というよりは、さとりはこいしを腕枕していた。
さらに、空いたもう片方の腕はこいしを抱き寄せるようにしていた。
「お姉ちゃん…?」
まるで、大事なものを守るようにして。
こいしはぼんやりと、自分を抱きしめる姉の顔を見た。
遅くまで書類の山と格闘していたのだろう、薄く、でも黒い隈ができてしまっていた。
そして、『眠る』という身体を休めるこの時でさえ、眉間には深い皺が幾筋か刻まれていた
。
こいしは、さとりを感覚的にぼんやりと見ていたのだが、いつしか視覚もぼんやりとしてきた。
世界の輪郭がぼやけていく。
それは、気付いた時には目頭を伝う、涙による光の屈折からだった。
ぼろぼろぼろぼろと、止める術を知らぬというのもあってかして、こいしの両の緑の瞳からは、無数の雫が滴り落ちていっていた。
小さな声が、それより大きな嗚咽とともに室内に響く。
「ごめんなさい。」
閉じられ、覚られることのない心の内で、叫び始める。
『なんで私あんな時間までほっつき歩いてたんだろ。お姉ちゃんは一人で仕事してたのに!なんで帰ってきた時、「ただいま。」って言わなかったんだろ。ううん、「行ってきます。」だって言ってなかった!!お姉ちゃんは待ってくれてたのかもしれないのに、もしかしたら、「おかえり。」って言って、くれたのかもしれないのに、なんで…。』
叫びが一区切りついた時に、こいしはさとりに寄ると、抱きついた。
ぎゅう、ときつく閉じられた瞳からは、最後と言わんばかりの大粒の雫がこぼれる。
己が身を守るために使わず、自分を守るために腕を使う姉の、まだあまり発達の見られない胸に顔を隠すようにして、言った。
「ありがとう、お姉ちゃん。」
それだけ言うと、こいしの意識はぶつりと途切れ、再び夢の中へと落ちていった。
朝、本格的に人工太陽の光が、本物を凌ぐほどに差し込み始めた頃。さとりは目を開いた。
むっくりと身体を起こし、細く開いたカーテンの隙間からの強すぎる光に目を細めながら、ペットと自分の朝食をと思いベッドから降りかける。
が、止める。止める、というよりは止めざるをえなかった。
こいしが、パジャマの裾を弱く掴んでいたのだ。
まだ眠たげな目が、さとりの顔を仰ぐようにして見上げる。
「ただいま…、お姉ちゃん。」
小さく呟くと、こいしはまた、こてん、と眠ってしまう。
わずかの間、目をぱちくりさせていたさとりだが、ふ、と薄く口元に笑みを浮かべ、目尻を少し下げてこいしの髪を梳くように撫でながら言った。
「おかえり、こいし。おやすみ、なさい。」
こいしの、ふわりふわりとした手触りの髪から手を離すと、扉を開け、眠るこいしをおいて部屋を後にする。
午の頃、地上の太陽の太陽の穏やかさに欠けた、人口の太陽が昇る朝。
ここから、また日常が始まる。
しかし、同じ景色から始まろうとしている今日の日は、どこか、昨日とは違うものになろうとしていた。
.
死肉の焼ける臭いと、焼かれるのを待つ屍の腐乱臭がいつものように鼻孔を突き、その際の炎から押し出された熱風はまた、いつものようにこいしの頬を掠めた。
地霊の底は薄暗いが、外ももうとっぷりと日が暮れてしまっている。今は、深夜だ。
ようは、普段よりも随分と遅い帰宅だったのである。
丑三つとまではいかずとも、直に亥の刻となれば、流石に仕事熱心な者でも床についている頃だ。
「…。」
その例に漏れず、地霊殿も、今は静寂の中にいる。
静かな世界とは反対に、こいしの頭の中はいまだ明るく、賑やかだった。
まだ、朝からの外での放浪の感覚から戻れていないからだろう。
その頭の中の所為だろうか、はたまた閉じられた瞳の所為かはわからず仕舞いだが、こいしは、
まだ小さく灯る、執務室の照明に気付かなかった。
こいしは、今日の記憶もまだ新しいといった状態で、いそいそと少しばかり冷えた寝巻へと着替え、ベッドの中に、もぐり込む。
すると、あれほど騒がしかった頭の中は、布団の証明不能の力によって静まっていく。
同時に、いつしか訪れた睡魔によって、こいしの瞼はゆっくりと降ろされていったのだった。
「ん…。」
それからしばらくした、辰の刻の頃。
少しの違和感を覚え、こいしは目を覚ました。
「え…、あれ…、」
「お姉、ちゃん?」
こいしの横で、さとりが寝ていた。
横、というよりは、さとりはこいしを腕枕していた。
さらに、空いたもう片方の腕はこいしを抱き寄せるようにしていた。
「お姉ちゃん…?」
まるで、大事なものを守るようにして。
こいしはぼんやりと、自分を抱きしめる姉の顔を見た。
遅くまで書類の山と格闘していたのだろう、薄く、でも黒い隈ができてしまっていた。
そして、『眠る』という身体を休めるこの時でさえ、眉間には深い皺が幾筋か刻まれていた
。
こいしは、さとりを感覚的にぼんやりと見ていたのだが、いつしか視覚もぼんやりとしてきた。
世界の輪郭がぼやけていく。
それは、気付いた時には目頭を伝う、涙による光の屈折からだった。
ぼろぼろぼろぼろと、止める術を知らぬというのもあってかして、こいしの両の緑の瞳からは、無数の雫が滴り落ちていっていた。
小さな声が、それより大きな嗚咽とともに室内に響く。
「ごめんなさい。」
閉じられ、覚られることのない心の内で、叫び始める。
『なんで私あんな時間までほっつき歩いてたんだろ。お姉ちゃんは一人で仕事してたのに!なんで帰ってきた時、「ただいま。」って言わなかったんだろ。ううん、「行ってきます。」だって言ってなかった!!お姉ちゃんは待ってくれてたのかもしれないのに、もしかしたら、「おかえり。」って言って、くれたのかもしれないのに、なんで…。』
叫びが一区切りついた時に、こいしはさとりに寄ると、抱きついた。
ぎゅう、ときつく閉じられた瞳からは、最後と言わんばかりの大粒の雫がこぼれる。
己が身を守るために使わず、自分を守るために腕を使う姉の、まだあまり発達の見られない胸に顔を隠すようにして、言った。
「ありがとう、お姉ちゃん。」
それだけ言うと、こいしの意識はぶつりと途切れ、再び夢の中へと落ちていった。
朝、本格的に人工太陽の光が、本物を凌ぐほどに差し込み始めた頃。さとりは目を開いた。
むっくりと身体を起こし、細く開いたカーテンの隙間からの強すぎる光に目を細めながら、ペットと自分の朝食をと思いベッドから降りかける。
が、止める。止める、というよりは止めざるをえなかった。
こいしが、パジャマの裾を弱く掴んでいたのだ。
まだ眠たげな目が、さとりの顔を仰ぐようにして見上げる。
「ただいま…、お姉ちゃん。」
小さく呟くと、こいしはまた、こてん、と眠ってしまう。
わずかの間、目をぱちくりさせていたさとりだが、ふ、と薄く口元に笑みを浮かべ、目尻を少し下げてこいしの髪を梳くように撫でながら言った。
「おかえり、こいし。おやすみ、なさい。」
こいしの、ふわりふわりとした手触りの髪から手を離すと、扉を開け、眠るこいしをおいて部屋を後にする。
午の頃、地上の太陽の太陽の穏やかさに欠けた、人口の太陽が昇る朝。
ここから、また日常が始まる。
しかし、同じ景色から始まろうとしている今日の日は、どこか、昨日とは違うものになろうとしていた。
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スカーレットも可愛かったらもっと幸せになります。