「具合はどう?」
ベッドサイドに運んできた椅子に腰掛けながら、力なく横たわる魔女にアリスは声をかける。手作りプリンの入ったバスケットを膝の上に乗せて、心配顔。
いつもよりも小さくひそめられた声は、病人に対する気遣いゆえか。
都会派を自称する彼女は、そういった気配りに関しても、本当に隙がないから。
まったく、魔法使いらしくない、とパチュリーは思う。
というより、後輩のくせに可愛くない、と思う。そういった意味ではまだ魔理沙の方がマシかもしれない、とか。
「……別に」
かすれた声で短く呟いて、ベッドの上から恨めしげに睨みつける。
熱で潤んだ瞳と赤く染まった頬では、迫力不足なのは、重々承知しているけれど。
けほ、けほ、と答えた拍子に咳が出た。いつもの発作ではなく、風邪の症状の一つ。
「そう。寝込んでるなんて聞いたから、心配したわ」
「大げさなのよ、小悪魔は」
ここのところ、急に朝晩冷え込んだせいか、パチュリーは風邪をひいた。
それだけの話だ。いつものように図書館に本を借りに、そして、お茶の時間を楽しみにやってきたアリスは、その事実を主不在の図書館で働く小悪魔から聞き。
結果的にお見舞いをしていくことになった、とそういうわけだった。
「知ってたら、熱冷ましに効く薬草を持って来たんだけどね」
「余計なお世話」
「もう」
寝込んでいる姿を見られるのは、そうそう気持ちがいいものではない。
ベッドの上に広がる髪の毛は乱れているし、きっと顔は腫れぼったいだろう。咳はともかく、ぐずぐず鼻をすすっているのもみっともない、と思う。
なにより、ぐるぐると、ぼんやりとした頭では、気の利いた返答をできないかもしれない。魔女の名折れだ。
小悪魔や、レミリアや咲夜相手ならばそれでもいい。それなりに付き合いも長いし、ほとんど家族のようなものだから。お互いのことなど知りつくしている。
しかし、相手はアリスだ。
面倒をみてやらなければならない未熟な後輩、共通の話題を持つ数少ない友人。
完全に上位に立ちたい、とまでは言わないけれど、こんなふうに弱っているところを見せたくない相手である。
「本は好きに借りていって構わないから」
あっちにいけ、と思いをこめて。
パチュリーは、素っ気なく言葉を投げかけて、ふい、と目を反らす。とはいっても、見下ろされている以上、目を伏せることぐらいしかできないのだけれど。
流石に、くるりと寝返りをうって背を向ける、というのはやりすぎな気がするし。
お世辞にも愛想がいいとは言えない態度。けれど、アリスは気にした様子もなく、一つ頷いた。会話をするのも億劫だと解釈したのか、あるいはパチュリーの気持ちを察したのか、分からないけれど。
「ええ、あとでまた借りていくわね」
ふ、と笑みを漏らしたアリスは、一度肩を竦めた。
それはパチュリーの意思表示だったはずだ。私のことなんか気にせずに目標を果たせ、という。もう離れていてほしいという。
けれど、アリスはそれをしてくれない。
椅子から立ち上がる代わりに、そうっと、パチュリーの方へ腕を伸ばしてきた。そのほっそりと美しい指先の行先は、パチュリーの額。
乱れた前髪を整えるように、優しくパチュリーの頭を撫でた。
袖口から、ふわりと香る特徴ある甘い匂い。時折、熱っぽい肌に触れるひんやりとした指先が心地良い。
「ちょ、ちょっと」
戸惑いの声をあげるパチュリーには答えずに、ふ、と微笑んだアリスはその手を止めることはない。
やがて、その手はぽん、ぽん、と一定のリズムを持ち始める。
てのひらを額に添えて、そっと指だけを動かしていく。
泣いた子供をあやすような、そんな撫で方だ。子ども扱いするな、と言ってやりたくなる。普段だったら、即座に振り払うだろう、撫で方。
「アリス?」
「風邪をひいた時は眠るのが、一番よ」
「それで、何で撫でるのよ……」
「安心するかな、と思って」
なによそれ、と反射的に出てきそうになった言葉をパチュリーは飲みこむ。
ゆっくりとしたリズムは、確かに眠気を誘う。どこか気持ちが良くて、あたたかい。
確かに、これは安心している、のかもしれない、と思う。こんな風に思うなんて、自分らしくもない。
きっと熱のせいだ、と心の中で言い訳して。体がだるくてはねのけるのが面倒なだけだ、と自分に言い聞かせる。
「おやすみなさい、パチュリー」
不意に重くなる瞼。その重力には逆らえない。
ほんの少しだけ口元をほころばせたアリスの表情を見られなくなるのが惜しい、なんて思ってしまったことは、絶対に口には出せないけれど。
優しげな手つきに身を委ねたパチュリーは、目を閉じたまま思考する。
アリスは、しばしばパチュリーの髪を撫でてくる。
帽子のふもとの前髪だったり、顔の横の両サイドで結った髪だったり、長く垂らした後ろ髪だったり、その時々に応じて、あちこちを。
撫でる方法もさまざま。子どもをあやすような手つきであることもあれば、手ぐしで梳くようなこともある。あるいはぬいぐるみにするような撫で方であることもある。
ある時は、お茶会の最中。
ちょっとしたアリスの言葉や仕草に機嫌を損ねた時や、魔理沙がやってきて本を盗んでいった時だ。
ぶつぶつと不機嫌に早口に文句を言うこともあれば、むすっと黙り込んで、本に顔を埋めることもある。そんなとき、アリスはテーブルの向かい側から手を伸ばしてくる。
「もう、機嫌直してよ」
そんなパチュリーを宥めるように。慰めるように。
少し困った顔で、けれどどこか楽しそうに頭を撫でてくる。
ある時は、お泊り会の夜。
場所は紅魔館だったり、アリスの家だったりするのだけれど。入浴を終えて、髪の手入れをしたりする、眠る前のほんのひととき。
本来ならば眠る必要はないのだけれど、人間の生活習慣を捨てていないアリスは、パチュリーをそれに付き合わせる。そんなとき、二人は魔女ではなく、ただの少女になる。
「せっかくきれいなんだから、ちゃんと手入れしなくちゃ」
そう言って、長い髪に手を伸ばして、ゆっくりゆっくりと指で梳いていく。
妙にお姉さんぶって。それでいて人形を可愛がる少女のように、頭を撫でてくる。
それから、無意識に、あるいは意識的に。
並んで本を探している時、魔法について議論を交わしている時。
同じベッドで眠る時、お茶を楽しんでいる時。
落ち込んでいる時、なにかいいことがあった時。
出会いがしらに挨拶と共に、帰りがけにさよならと共に。
気がつくと、アリスはパチュリーの頭に手を伸ばしている。
手を添えてぽんぽん、とあやすように。毛先を手にとって、指先でいじるように。
その時々で、撫でかたは変わる。触れかたが変わる。
ただひとつ共通しているのは、その手がいつも優しいということだけ。
「あ、ごめん」
なすがままにさせている時は、不意に自分で気がついて、驚いていることもある。
反対に、パチュリーが煩わしがって、抗議をすれば、軽く微笑む。
「いいじゃない、減るもんじゃないし」
そんな生意気なことを言う。そうしてそのまま撫で続けることもあれば、そう言いながらも手を引っ込めることもある。
とにかく、ことあるごとにアリスはパチュリーの髪を撫でてくる。
プライドの高いパチュリーは、それにいい顔をしたことはない。
どうして、年下の魔法使いに頭を撫でられて喜ぶことができようか。そのあたりの上下関係はわりと気にする方だ。
よくて、したいようにさせておくだけ。大抵の場合は、その手から逃れたり、振り払ってしまう。むっとしてやめるように抗議することもある。
それでも、気がつくと、アリスはパチュリーの髪に触れているのだ。
きっと、心の底から嫌がっているというわけではないことを、察しているのだろう、と思う。
一度、聞いてみたことがある。
確か、アリスの家に出かけた日の午後のこと。二人並んで長椅子に腰かけて、お茶を飲みながら、くつろいでいた時のことだった。
その時も、気がつくと、アリスの手が髪へと伸ばされていた。
「なんで、そういつも撫でるのよ」
「なんとなく?」
「……答えになってない」
「だって、こう見てるとついつい、ね」
髪の毛きれいでさわり心地がいいし、ちょうどいい高さにあるし。
そんなことを、こともなげに言いながら、アリスは髪に触れ続けていた。
「きっと、理由はないのよ。ただ撫でたいだけ」
「意味が分からない」
「そこにパチュリーがいるから?」
「マロリーじゃないんだから」
自分でも分かっていないのか、アリスは軽く首を傾げた。けれど、うまく言葉にならないというだけ、というように、撫でることにかけらも疑問を感じていない様子で。
「そういうことってあるでしょう?」
「分からないわよ、そんなこと」
そう、その時はそう答えた。そう、と少し残念そうな表情のアリスの顔がやたら印象的で、困る。
正直なところ、今もまったく分からない。
「ん……」
かすかな身じろぎと共に、目を開ける。ぼんやりとした瞳に映るのは見なれた天井、柔らかなベッド。
少し眠っていたらしい。喉の渇きを覚えたパチュリーは、少しだけ軽くなった身体を起こす。確か、ベッドのそばに小悪魔が水差しとコップを用意しておいてくれていたはずだ。
しかし。起き上がったパチュリーは、不意に動きを止める。
「アリス……?」
そこにいたのは、寝ついた時から変わらずに、ベッドのすぐそばに運んできた椅子に腰かけたアリス。僅かに下を向いた彼女は、すうすうと安らかな寝息を立てている。
両手は膝の上、眠っているとしても、そのあたりのお行儀のよさは変わらない。
アリスらしい、と。パチュリーはひそやかに笑う。
普段はパチュリーが人と目を合わせないほうであったり、アリスが恥じらって顔をそ向けられてしまったりするために見ることのできない顔を、まじまじと見つめてみる。
長いまつげ、透けるような白い肌。月並みな表現になってしまうが、信じがたいほどに整った相貌はただただきれいで。
人形のようだ、と例えられるのが、よく分かる。眠っているからこそ、余計にそう感じられるのかもしれないけれど。
小さなランプの火が透けて見える柔らかそうな金髪。
いつもの隙を感じさせない表情とは正反対の、安らかで無防備な寝顔。
喉の渇きも、熱っぽさも忘れて、不意に思う。
触れたい、と。
え、と自分の思いに気がついて、戸惑うよりも先。パチュリーの小さな手は、アリスの金髪へと伸ばされていた。
思った以上にふわふわと柔らかく、それでいてこしのあるつややかな髪の感触は気持ちがいい。手入れを怠らないだけあって、指通りの良い髪だ。
そんなアリスの頭を、パチュリーは撫でる。
はじめはおっかなびっくりに、しかし、次第に慣れてきてゆっくりと。
「あ……」
アリスも、こんな気持ちだったのだろうか。
撫でていると、なんだか暖かいものが胸を満たしていく。指先から、穏やかに。
心がまあるく、やわらかくなっていく。
何かに魅入られたように、パチュリーは、アリスの髪を撫で続ける。
そういえば、と思う。
昔、何かの本で読んだ。頭を撫でる、という行為は、無条件の愛情表現だ、と。
「っ!?」
私は一体何をやっているのよ。かあっと、頬に熱が宿る。それは発熱のせいではなくて。
急に我に返ったパチュリーは、すぐさま自分の行為が恥ずかしくなる。
これが愛情表現だというのならば、パチュリーはアリスのことを。
そして、アリスはパチュリーのことを。
「ち、違」
誰に対しての言い訳でもあるまいに、ふるふると首を横に振る。
とりあえず、添えたままの手を放そうとした、その時だった。アリスが目を覚ましたのは。
「ん……、パチュリー?」
寝ぼけているのか、パチュリーを見つめる青い瞳はどこか緩い。
突然の出来事にすっかり固まってしまったパチュリーは、手を引っ込めることもできないまま、それを凝視することしかできなかった。
「パチュリー?」
「こ、これは、だから、その」
ふわ、と手を伸ばして、アリスはパチュリーの手を捕まえる。
いたずらっぽい瞳は、少し意地悪。もう誤魔化すことも、なかったことにもできないパチュリーは、目を伏せる。
「だからこれは……私だけ撫でられるのは不公平だから」
「うん」
「ちょうどいいところに頭があっただけよ」
「そう」
「というか魔女のくせに居眠りなんて、未熟者」
「なにそれ」
ぽそぽそとかすれ声の早口で呟くパチュリーに頷くアリス。どこか嬉しそうな、それでいてしかたないなあ、というお姉さんめいた表情。
分かっているのか、分かっていないのか、頬が緩んでいる。
それが腹立たしくて、パチュリーはさらに言葉を重ねていくしかない。
「未熟者は子ども扱いされても仕方ないでしょう」
「はいはい」
「だから、深い意味はないんだから」
「ん、分かってるわよ」
「……生意気」
「そうかしら」
「そうよ」
言い訳のような言葉をぽつぽつとこぼし続けるパチュリーに、アリスはただただ相槌をうつ。小悪魔が様子を見にやってくるまで、そんなやりとりが続けられたのだった。
実際頭撫でるのって、そんな機会あまりありませんよね。動物ならありますが
いいないいな私も撫でたいです二人を
二人共可愛いですね。まとめて撫でたいです。
ベタだけどいいね、こういうの。
ありがとうございます!