幻想郷の秋は、まだ足音が聞こえないようだ。
夏ももう終わろうか、という時期。
暑さがそろそろなりを潜めても良さそうな頃合いなのだが、しかしどうしたことか幻想郷はまだまだ夏真っ盛りなのである。
紅魔館近くの湖はいまだ人妖問わずに大人気であり、どうやらしばらくは現役らしい。
決して弱くは無い日光が照りつける中で、無邪気にはしゃぐ妖精たち。目の保養にちょうどいいね。
そんな中、此処はとある山の中腹にある小さな神社。
里の人々が秋姉妹を祀る為に建立した物なのだが、所々に細かい意匠が凝らしてあり秋姉妹の信仰の高さが見受けられる。
そんな佇まいの神社の周りには妖怪はおろか、動物の気配さえ感じられない。
あるのは木枯らしになりそこねた熱風が、さわさわと奏でる音だけだった。
「もうそろそろ仕事の季節だねぇ」
風の音に負けずに神社の中から胡乱気な声色が聞こえてくる。
「最近は引き籠ってばっかりだったから、外に出るのが億劫になっちゃったよ」
まったく、四季の一つを司るのってこんなに面倒だったなんて。
休みが長い分、反動もものすごいんだから。
里の子たちが何人かよく夏の終わりにに、白澤の先生に怒られているのだけど、その気持ちが分からないでもないな。
「お姉ちゃんは面倒って感じたりしないの?」
ふるふる
首を控えめに横に振る静葉。
お姉ちゃんはいつも真面目なのだ。いや、真剣といった方がいいのかな。
妙に責任感が強いというかなんというか。自分に与えられた、山を色に染めるという使命を誇っているからなのかもしれない。
でも、終焉を司る能力と関係があるのか私は知らないけれど、変に人見知りで寡黙なのはちょっと頂けない。
しかし穣子はそんな所も含めて姉が大好きだった。そんなくうるでかっこいい姉を独り占めするのはこの私一人だけでいいのだから。
本人には言わないけれど。真っ赤になって照れちゃうんだもの。
「それにしても今年の夏は暑かったねぇ。その割に大きな日照りも来なかったし。こりゃぁ、今年の仕事は山を駆けずり回らないといけないなー」
こくっ
「でも心配はしないで、お姉ちゃん!」
「春、夏、とだらだらしてきたんですもの、私達の季節なんだからしっかりとがんばるつもりだよ!」
……
「ん、元気が無いよお姉ちゃん。夏ばてでもしたの?」
……
「あぁ、幻想郷の山は広いのが多いものね。でもお仕事が終われば冬は二人で春まで眠って休めるじゃないの。頑張りましょう!」
そう、私達は春と夏は気の赴くままに山で毎日を過ごす。それこそ里の子供たちに負けないくらいに遊び倒すのだ。最近のまいぶぅむは専ら鬼ごっこだった。
そう、二人で鬼ごっこ。
鬼は常に私。
お姉ちゃんが目じりに涙を浮かべ、頬を赤くし、呼吸も乱し。
必死で私に捕まるまいと逃げる姉を追いかけるのがとっても、こう心にくるのだ。
やっぱり私のお姉ちゃんが一番かわいい!
そうやって遊んだ後に待っているのは幻想郷に秋を持ってくる役目。
これをしないと幻想郷の人々は冬を越せなくなってしまう、大切な役目。
お姉ちゃんが誇りに思うのも無理が無い。
しかし、何故かこの頃合いになると、姉の横顔が儚く見えるのだ。気のせいではない。
これも終焉の女神だから成せる技なのだろうか。
て、女神って。自分で言ってて恥ずかしくなっちゃった。本当の事なんだけど。かわいい!
「えへ、えへへへ」
……?
「あ、違う違う、何でも無いってば。それより早くお仕事して寝ちゃおう?ね?」
…………
「どうしたの、具合でも悪いの?そういえば朝から様子が変だったけれども。もしかして何か神様ちっくな病気にでも掛かっているの?」
ふるふる
そういえば、いつもそうだ。毎回お仕事の時期になるとお姉ちゃんはそんな顔をする。
私はとっても心配だ。何せ大事な大事な私のお姉ちゃんなのだ、ずっと一緒にいないといけないんだから、何かあったら困るのだ。困るのだ。私が泣いちゃうじゃないか……
「お姉ちゃん、本当に何も無いの?私、すっごく心配だよ?お姉ちゃん、いっつもこの時期になるとそうやって憂い顔をするんだ。私達姉妹でしょう?なら隠し事はお互い無しにしようよ!」
私、お姉ちゃんに何か迷惑掛けてたり、するのかな……
思い起こせば確かに、色々やってきたかも知れない。
夏の水浴びの時はかなりの頻度でお姉ちゃんの着替えを除いていたし。
そのほかにもやらかしてしまったかも。
そうだ、お姉ちゃんに果実についていた毛虫を近づけて涙目にしちゃった事もあったけ。
だってお姉ちゃん、気に触れて紅葉に染め上げる時、毛虫が顔についてびっくりしてた時があった。
あの時の表情が忘れられなくてついつい、悪戯をしてしまったかも。
でもどっちかというと、あの時は私の顔に反応して涙を浮かべていたような。
あぁ、そうだ、極めつけは多分、鬼ごっこだろう。最近は連日の様にやっていたと記憶している。
だって、だって、お姉ちゃんが可愛いんだもの!
しかし、それが姉には伝わっていただろうか。
自分なりの、愛情だという事に。
いや、きっと気が付いてはいない。だってこれは、私の勝手な気持ち。
一方通行の、気持ち。
決して伝える事は出来ない、情念……なのだから。
「でも、そういうのが季節の変わり目に心労になって顔に現われていたのかな」
知らず知らずに、口から言葉が零れていた。
やっぱり、私は姉の負担になっていたのだろうか。迷惑だったのだろうか。
感情が、悪い気分に流されそうになる。いや、一足遅かった。
「お姉ちゃん……」
言葉が一言零れ落ちれば充分だった。それは留まる事を知らず、己の考えを、姉の不調を、悪い方向へと押し流すには、充分すぎたのだから。
「わ、わたしお姉ちゃんの気持ちをかん、かんがえなくって」
あれっ、おかしいな。言葉と一緒に目から何かが零れ落ちてくる……
「わっ、わたし……お、お姉ちゃんが大好きっ、で……!」
こんな格好悪い姿、お姉ちゃんには見せたくないのに!
どうしても涙が止まらない。何故、何故止まってくれないのだ!
「ぅっ、ひっ……うぅっ……」
姉への尊敬が、渇望が、そして情念が。それは静葉に、裏返しの気持ちとなって襲いかかる。
涙の一粒一粒が、自己に対する罰となって静葉の服を濡らしてゆく。
何故こんなにもっ、こんなにもっ、流れ落ちてくれるのだっ、涙よ!
空は、太陽が曇天に覆い隠されようとしていた。
「泣かないで……穣子」
「!っ……」
「穣子が泣くと、私も……哀しい」
姉の声が、心に反響する。
「でっ、でも、私っ……」
「きっとあなたは、自分を責めているんでしょう……?」
「それは、違うと思うの」
「だって、だって!」
だって、静葉の、姉の憂い顔の原因は私に決まっているのだ!
そう思えば思うほど、私の頬の水気は増す。お姉ちゃんっ……
「私っ、いっつもお姉ちゃんに悪戯してっ迷惑かけちゃってっ」
「そう思うと、自分が、情けなくなっちうんだよ……お姉ちゃんっ」
「違う、違うのよ穣子」
「えっ?」
「私が、あなたを嫌う筈が無いわ。最愛の私の、妹を……」
じゃ、じゃぁなんで。あの顔の、雰囲気の原因は私じゃ、無いの?
お姉ちゃんの負担にはなっていないのだろうか。信じてもいいのだろうか。いや、信じるのだ、穣子。
なんてったって、今話しているのは幻想郷一の私のお姉ちゃんなのだからっ。
「私が、秋が近付くと嫌なのは……穣子とお話出来なくなってしまうから……なの」
「だって……冬は、お休みしないといけないんだもの……そしたら、穣子と毎日お山で遊ぶことも、出来なくなってしまう……」
お姉ちゃん、そんな事を考えてたんだ。
私はてっきり悪戯のしすぎで、お姉ちゃんが塞ぎ込んでしまったのかと思ってしまった。
「だからこの時期は、苦手。色んな感情が、私の中で……ぐるぐるしちゃう、から」
「そのせいで、穣子に負担を掛けたのね、多分。ごめんね……穣子、駄目なお姉ちゃんで」
「違うよっ、お姉ちゃん!」
「お姉ちゃんは、この広い幻想郷でいっちばんの私の、お姉ちゃんなんだからっ」」
「穣子……」
「私の方こそ、ごめんね……いっぱい追いかけ廻したり、悪戯したりして」
姉の原因が私の悪戯で無いと判明はしたものの、今後その様な事が無いともいえない。
ならばやっぱり、暫くは自重した方がよいだろうか。
「ううん。穣子と遊ぶのは、楽しかったの……確かに、泣いてしまいそうな時もあったけれど、そんな」事で嫌いになっちゃう筈が……ないじゃない」
「お姉ちゃん……」
「だって、私は幻想郷で一番の……あなたのお姉ちゃん、なのですからね」
「お、お姉ちゃんっ!」
小さな神社の前で抱き合う格好になる二人。
そんなとんでもな光景を噂好きのお山の彼女達が見逃してくれるだろうか。
明日の朝刊の一面は少し騒がしくなるかもしれない。
いつのまにか出てきた太陽の光が、穣子の目から溢れた涙に反射した。
幻想郷に秋の足音が聞こえるには、もう少しかかりそうだ。
そんな、なんでもない幻想郷の残暑の出来事。
譲らないけどな!
>終焉を司る能力と関係がるのか私は知らないけれど、
関係があるのか、ですか?