一日たりと休むことなく、二振りの刀を振り続ける少女がいた。
庭の管理、主の世話、日々の家事。日常の雑事に追われながら、なお毎日の修練を続ける少女。
彼女のそんな様子を時折目にしていた私は、ある日の宴会で彼女に問うた。なぜ、そこまでする必要があるのかと。返ってきた答えは、強い意志。
強くなりたい。もっと、もっと強くなりたい。祖父のように、師のように。守るべき人を、大切な人を守れるように。強く、ただ、強く―と。
そう言う少女の迷いのない瞳から、魂魄妖夢の持つ危うさから、私は、ルナサ・プリズムリバーは、目が離せなくなった。その日より、私はずっと彼女を見ている。
「せいっ! やあっ!」
夜の静寂を切り裂いて、刃が閃く。気合の声とともに振り下ろされる刃は、月光を受けて煌き、中空に蒼い軌跡を描いていく。
日課である剣の修行。一心不乱に刀を振る妖夢。そんないつもの光景を、これまたいつも通り、葉の落ちた桜の枝に座るルナサが眺めていた。
何か声をかけるわけではなく、ただ、眺める。毎晩、日の落ちる頃、妖夢の修行が始まる時間にやってきては、その様子を見届けて帰る。いつの間にか、それが日課になっていた。妹達には、ヴァイオリンの練習をすると、嘘をついて。
「バレたら、リリカとメルランは怒るかな? でも、今は。」
今は、妖夢を見ていたい。特に理由はなく、自然とそう思う。それは、見ていなければならないという、使命感にも似た感情として、強くルナサの胸にある。
「特に、あんな顔をしている間はね。」
視界の中、二本の刀を振る妖夢。その動きは速く、鋭く、ルナサの目では剣閃を追うこともできない。雑魚妖怪なら、文字通り一刀の下に切り捨てられるだろう技を繰り返しながら、しかし妖夢の表情は晴れない。むしろ、振るたびにどんどん険しくなっていく。その理由は、ルナサの目でもはっきりと見える。
「…未熟。」
妖夢の唇に合わせ、ぼそりと呟く。
確かに、妖夢は強い。単純な剣の腕で彼女にかなうものは、幻想郷にもそうはいない。だが、それでいてなお届かない。
苛立ちを散らすように刀を振る妖夢に、かつて見た男の面影が重なる。老いてなお何一つ衰えることなく在った、彼女の祖父、魂魄妖忌の姿が。
記憶の中の彼の動きは、今の妖夢と全く同じで、それでいて全く違う。
流れるような重心の移動、力強く踏み込まれる足、風より速い刃の閃き、全ての総合としての威力。あらゆる面で、未だ妖夢は妖忌に遠く及ばない。目標とする次元は遥かに遠く、彼女はようやくその足元に辿り着こうかというレベル。
故に、未熟。妖夢は、己をそう判断している。その事実に、ルナサは小さく溜息をつく。
「やっぱり、危うい。」
祖父を追う彼女の姿勢は、正しいようでいて、根本的に間違っている。それに気づいてしまったから、ルナサはここにいる。こうして、妖夢を見ている。
「本当、余計なことしてくれたよ…みんな。」
妖夢がこうなったのは、ごく最近のこと。少なくとも『春雪異変』以前の妖夢には、今ほどの焦りはなかった。それ以前も今と変わらず修練を積んではいたが、その頃の妖夢は未熟すぎて、妖忌との間にある実力差を理解できていなかったから。
しかし、春雪異変以降、短期間に連続して起こったいくつかの異変、それらに関わった妖夢は、他者とのぶつかり合いの中で急速に成長し、祖父との実力差に気付くことになってしまった。一番余計なことをしてくれたのは、鬼と閻魔だろう。
だが、他者に悪態をついても仕方がない。結局のところ、全ては妖夢の問題でしかないのだから。解決することも妖夢にしかできず、こうして見ているルナサだって所詮は部外者に過ぎない。ただ、なんとなく妖夢を見ていたいと思っただけの部外者に。
だから、何も言わず静かに見ている。強くなろうとあがく少女を、必死に刀を振り続ける少女を、じっと見ている。
新しい動きを試そうとして失敗した日も、疲労から刀を取り落とした日も、日々の少しずつの上達にも、何も言わず。
「…そろそろ、帰るか。」
妖夢が刀を振り始めてより一刻。白玉楼の雑事を一手に引き受ける妖夢が、明日のためにそろそろ修行を終える時間。ルナサも、そっと桜の枝を離れようとする。
修練中以外の妖夢に対しても、別段話しかけるようなことはしない。気づかれていないとは思っていないが、ルナサは見ているだけであり、特別語らなければならないような話題は持ち合わせていないのだ。いつも、勝手に見に来て勝手に帰る。それだけだ。
けれど、この日は少し違っていた。
「―ルナサ。」
「…? もしかして、今、呼んだ?」
飛び上がろうとしたところで、呼び止められる。今まで一度も無かった出来事、不思議に思いながら、改めて妖夢を見る。少女は、思い詰めたようにルナサを見つめていた。また、瞳に危うい光を宿して。
「…どうしたの、妖夢。私に何か」
「ずっと、見てくれていましたよね。あなたが私に質問をした、あの日から。」
こちらの言葉を待たず、遮るように言う妖夢。どこか危険なものを感じて、右手でヴァイオリンの弓をそっとつかむ。
「そうだけど、でも―」
「手合わせ、願います…!」
「―っ!?」
刹那にも満たないような、僅かな一瞬。妖夢が、ルナサの眼前にいた。振り下ろされる刃を、反射的に弓で受ける。ルナサの力で強化された弓は、嫌な軋みの音を上げながら、何とか妖夢の刀を受け止める。勢いで弾かれたルナサの体は、そのまま地面へ。
両足と弓、三点を支えに、膝をしならせて落下の衝撃を殺す。リリカや妖精たちのいたずらに対応するために身につけた基本的な姿勢制御。かけられた迷惑の数々に今だけ感謝しつつ、再度妖夢へ向き直る。
「いきなり斬りかかるなんて、どういうつもり?」
妖夢は、二つの刀を構えたまま、静かに言った。
「…見ていたのでしょう? 私が生まれる前から白玉楼に出入りしているあなたが、ずっと前から祖父を知っているあなたが、祖父を目標にする私が、間違った技を覚えてしまわないように。祖父の動きをなぞれるように。」
ルナサの意図とは全く違うことを。
「いや、それは」
「でも、私じゃまだまだ届かなくて、負う背中は遠すぎて!」
ルナサの否定の言葉も聞いていない様子で、だんだんと、泣きそうな顔になって。
「だから、手伝ってください! 見てるだけじゃなくて、戦ってくれたら、何かわかると思うから!」
そして、また刀が振り下ろされる。
―プレッシャーだった? 焦らせてしまった? …私が?
愕然とする。見守っているつもりのルナサ自身が、一番妖夢の負担になっていたということに。部外者なんて思って、何も言わずにいたルナサが、ここまで妖夢を思い詰めさせてしまったという事実に。
「…なら、もう黙ってはいられない、か。」
バックステップ。幽霊に対しては特に致命的なダメージになりかねない妖夢の一撃を、紙一重で避ける。もう片方の横薙ぎの一閃は、ジャンプして余裕の回避。妖夢の踏み込み、地に下りる二本の刃。返す刀で逆袈裟二刀、どう動いても片方に真っ二つにされるようなタイミング。瞬時に反転、背のヴァイオリンで二本の刀を受け止める。
「壊れるな!」
大事な楽器、祈るように声を出し、そのまま飛ぶ。空中でヴァイオリンを左手に持ち、状態を確認―よし、破損無し。
妖夢の頭を飛び越え、少し離れた位置に着地。体勢を整えるために少し間ができるが、背後からは足音も気配も無し。だが、そもそも、日本の剣術が持つ摺り足の歩法に、足音も気配もはじめから存在しない!
弓を構えながら、振り向く。袈裟に下ろされた瞬間の妖夢の刀に弓を添わせ、タイミングを合わせて受け流す―成功。僅かの時間だけ、右の刀の制御をこちらで握る。
「ポルターガイスト」
「―あっ!?」
騒霊の基本能力。妖夢の刀を激しく振動させ、無理やり取り落とさせる。虚を突かれて停止する妖夢に、さらに追い討ち。ヴァイオリンで思いっきり、顔面を殴り飛ばした。
「きゃっ!」
やけに可愛らしい声を上げて転がる妖夢。戦いならば追い討ちをかけるところだが、ルナサは別に妖夢を倒したいわけではない。
「聞いて、妖夢。私は別に、あなたの思っているような理由で見ていたわけじゃない。」
立ち上がろうとする妖夢へ、できるだけ優しく聞こえるような声音で話し掛ける。
「私があなたを誤解させてしまったことは謝る。でも、いま焦って無理をしても…」
「まだです!」
「―っ、聞きなさい!」
ほぼ座った状態から、いきなり斬りかかって来る妖夢。ルナサは怒鳴りながら、それをまた紙一重で避ける。その次も、また次の一撃も紙一重で。
「私にはあなたの剣筋は速すぎて見えない。でも、どんな動きをするのかは知ってる。そんなに焦った攻撃では、全部読める。」
「―だったら!」
激昂した妖夢が刀を大きく振り上げる。怒り任せの、大雑把で隙だらけの動き。回避することも反撃することも、至極簡単。
「妖夢、あなたがどれだけ焦っても、いや、実際にどれだけ強くなったところで、あなたは、祖父にはなれない。」
だが、ルナサはあえてそれを受け止める。弓とヴァイオリン、両腕を使った全力をもって。妖夢の目を見て、静かに語りながら。
「『魂魄妖夢』は、どうやっても、『魂魄妖忌』にはなれない。」
「そんなことは、わかって―」
「ポルターガイスト」
接触点から、強引に力を流す。二本目の刀を、妖夢の手から弾き飛ばす。
「わかっていない。どんなに望み、頑張ったところで、自分は自分でしかない。それを、あなたは理解できていない。」
そう、それが妖夢の危うさ。祖父を目指し、祖父に憧れるあまり、自分の能力を否定し、祖父のような強さばかりを追い求めるようになった、少女の間違い。ルナサが、どうしても看過する事のできなかったもの。
「とにかく今は、頭を冷やして。説教はその後、主にでもしてもらうといい。」
「…あ。」
もはや武器も無く、立ち尽くす妖夢の前で、ヴァイオリンを構える。
「―――――聞け。」
かき鳴らす。ただ、今の感情をぶつけるだけの即興曲。ルナサ自身にもよくわからないことになっている色々な想いを込めた、全開の演奏。あらゆる心を沈ませる、静謐たる鬱の音色を。
「頭、冷えた?」
十分弱に渡る演奏を終えて、ルナサはまた、静かに問う。隣に座り込んだ妖夢が、小さくうなずく。
「…はい。すいません、ご迷惑おかけして。本当に未熟者ですね、私。」
「なら、別に構わない。勝手に見に来て、迷惑をかけていたのは私のほう。」
空を見上げる。月が、かなり動いていた。
「そろそろ、リリカとメルランが探しに来るかもしれない。帰ると言っておいた時間、とっくに過ぎている。」
「私も、幽々子様が探しに…は、来ませんね。とっくに眠ってます、あの方は。」
妖夢が苦笑。それを見て安心する。冗談が言えるようなら、もう平常心に戻ったということだ。
「そうね。あの人はそんな感じの人、気づいても放っておくような。」
恐らく、妖夢の心のうちに気づいていながら何もしなかった亡霊へ、ルナサとしては若干の皮肉を込めて笑う。そのまま互いに笑顔を向け合い、少しの間、他愛の無い話題で笑い合う。そして。
「姉さーん、どこにいるのー!」
「…ああ、本当に探しに来た。帰らないと。」
明るい響きを持つ、メルランの声。体の埃を軽く払い、ゆっくり浮き上がる。
「じゃあ妖夢、すぐには理解できないと思うけど、私の言ったことをよく考えておいて。また演奏会で会いましょう。」
もう見に来るのはやめる、言外にそう伝えたところで、腕を掴んで引き止められた。
「…どうしたの?」
「あの、どうして、そんなに気にしてくださったんですか?」
まじめな顔で、実は一番聞かれたくなかった質問。しかし、これだけ妖夢の内面に踏み込んでしまった以上、聞かれてしまってはルナサとて答えないわけにはいかない。
自分の頬が赤くなっているのを自覚しながら、小さく呟いた。
「同じだったから。本当のレイラの姉に、『本物のルナサ・プリズムリバー』になりたかった頃の私と。」
ああ、顔が真っ赤だ。恥ずかしさのまま、妖夢の手を振り払う。そのまま一気に上空へ。
「今までありがとうございました、そしてまた見に来てください! 今度からは、ちゃんとおもてなしします!」
最後に聞こえた妖夢の言葉、それで湧き上がる笑顔をどうやってメルランに誤魔化すか、そんなことばかり考えながら。
庭の管理、主の世話、日々の家事。日常の雑事に追われながら、なお毎日の修練を続ける少女。
彼女のそんな様子を時折目にしていた私は、ある日の宴会で彼女に問うた。なぜ、そこまでする必要があるのかと。返ってきた答えは、強い意志。
強くなりたい。もっと、もっと強くなりたい。祖父のように、師のように。守るべき人を、大切な人を守れるように。強く、ただ、強く―と。
そう言う少女の迷いのない瞳から、魂魄妖夢の持つ危うさから、私は、ルナサ・プリズムリバーは、目が離せなくなった。その日より、私はずっと彼女を見ている。
「せいっ! やあっ!」
夜の静寂を切り裂いて、刃が閃く。気合の声とともに振り下ろされる刃は、月光を受けて煌き、中空に蒼い軌跡を描いていく。
日課である剣の修行。一心不乱に刀を振る妖夢。そんないつもの光景を、これまたいつも通り、葉の落ちた桜の枝に座るルナサが眺めていた。
何か声をかけるわけではなく、ただ、眺める。毎晩、日の落ちる頃、妖夢の修行が始まる時間にやってきては、その様子を見届けて帰る。いつの間にか、それが日課になっていた。妹達には、ヴァイオリンの練習をすると、嘘をついて。
「バレたら、リリカとメルランは怒るかな? でも、今は。」
今は、妖夢を見ていたい。特に理由はなく、自然とそう思う。それは、見ていなければならないという、使命感にも似た感情として、強くルナサの胸にある。
「特に、あんな顔をしている間はね。」
視界の中、二本の刀を振る妖夢。その動きは速く、鋭く、ルナサの目では剣閃を追うこともできない。雑魚妖怪なら、文字通り一刀の下に切り捨てられるだろう技を繰り返しながら、しかし妖夢の表情は晴れない。むしろ、振るたびにどんどん険しくなっていく。その理由は、ルナサの目でもはっきりと見える。
「…未熟。」
妖夢の唇に合わせ、ぼそりと呟く。
確かに、妖夢は強い。単純な剣の腕で彼女にかなうものは、幻想郷にもそうはいない。だが、それでいてなお届かない。
苛立ちを散らすように刀を振る妖夢に、かつて見た男の面影が重なる。老いてなお何一つ衰えることなく在った、彼女の祖父、魂魄妖忌の姿が。
記憶の中の彼の動きは、今の妖夢と全く同じで、それでいて全く違う。
流れるような重心の移動、力強く踏み込まれる足、風より速い刃の閃き、全ての総合としての威力。あらゆる面で、未だ妖夢は妖忌に遠く及ばない。目標とする次元は遥かに遠く、彼女はようやくその足元に辿り着こうかというレベル。
故に、未熟。妖夢は、己をそう判断している。その事実に、ルナサは小さく溜息をつく。
「やっぱり、危うい。」
祖父を追う彼女の姿勢は、正しいようでいて、根本的に間違っている。それに気づいてしまったから、ルナサはここにいる。こうして、妖夢を見ている。
「本当、余計なことしてくれたよ…みんな。」
妖夢がこうなったのは、ごく最近のこと。少なくとも『春雪異変』以前の妖夢には、今ほどの焦りはなかった。それ以前も今と変わらず修練を積んではいたが、その頃の妖夢は未熟すぎて、妖忌との間にある実力差を理解できていなかったから。
しかし、春雪異変以降、短期間に連続して起こったいくつかの異変、それらに関わった妖夢は、他者とのぶつかり合いの中で急速に成長し、祖父との実力差に気付くことになってしまった。一番余計なことをしてくれたのは、鬼と閻魔だろう。
だが、他者に悪態をついても仕方がない。結局のところ、全ては妖夢の問題でしかないのだから。解決することも妖夢にしかできず、こうして見ているルナサだって所詮は部外者に過ぎない。ただ、なんとなく妖夢を見ていたいと思っただけの部外者に。
だから、何も言わず静かに見ている。強くなろうとあがく少女を、必死に刀を振り続ける少女を、じっと見ている。
新しい動きを試そうとして失敗した日も、疲労から刀を取り落とした日も、日々の少しずつの上達にも、何も言わず。
「…そろそろ、帰るか。」
妖夢が刀を振り始めてより一刻。白玉楼の雑事を一手に引き受ける妖夢が、明日のためにそろそろ修行を終える時間。ルナサも、そっと桜の枝を離れようとする。
修練中以外の妖夢に対しても、別段話しかけるようなことはしない。気づかれていないとは思っていないが、ルナサは見ているだけであり、特別語らなければならないような話題は持ち合わせていないのだ。いつも、勝手に見に来て勝手に帰る。それだけだ。
けれど、この日は少し違っていた。
「―ルナサ。」
「…? もしかして、今、呼んだ?」
飛び上がろうとしたところで、呼び止められる。今まで一度も無かった出来事、不思議に思いながら、改めて妖夢を見る。少女は、思い詰めたようにルナサを見つめていた。また、瞳に危うい光を宿して。
「…どうしたの、妖夢。私に何か」
「ずっと、見てくれていましたよね。あなたが私に質問をした、あの日から。」
こちらの言葉を待たず、遮るように言う妖夢。どこか危険なものを感じて、右手でヴァイオリンの弓をそっとつかむ。
「そうだけど、でも―」
「手合わせ、願います…!」
「―っ!?」
刹那にも満たないような、僅かな一瞬。妖夢が、ルナサの眼前にいた。振り下ろされる刃を、反射的に弓で受ける。ルナサの力で強化された弓は、嫌な軋みの音を上げながら、何とか妖夢の刀を受け止める。勢いで弾かれたルナサの体は、そのまま地面へ。
両足と弓、三点を支えに、膝をしならせて落下の衝撃を殺す。リリカや妖精たちのいたずらに対応するために身につけた基本的な姿勢制御。かけられた迷惑の数々に今だけ感謝しつつ、再度妖夢へ向き直る。
「いきなり斬りかかるなんて、どういうつもり?」
妖夢は、二つの刀を構えたまま、静かに言った。
「…見ていたのでしょう? 私が生まれる前から白玉楼に出入りしているあなたが、ずっと前から祖父を知っているあなたが、祖父を目標にする私が、間違った技を覚えてしまわないように。祖父の動きをなぞれるように。」
ルナサの意図とは全く違うことを。
「いや、それは」
「でも、私じゃまだまだ届かなくて、負う背中は遠すぎて!」
ルナサの否定の言葉も聞いていない様子で、だんだんと、泣きそうな顔になって。
「だから、手伝ってください! 見てるだけじゃなくて、戦ってくれたら、何かわかると思うから!」
そして、また刀が振り下ろされる。
―プレッシャーだった? 焦らせてしまった? …私が?
愕然とする。見守っているつもりのルナサ自身が、一番妖夢の負担になっていたということに。部外者なんて思って、何も言わずにいたルナサが、ここまで妖夢を思い詰めさせてしまったという事実に。
「…なら、もう黙ってはいられない、か。」
バックステップ。幽霊に対しては特に致命的なダメージになりかねない妖夢の一撃を、紙一重で避ける。もう片方の横薙ぎの一閃は、ジャンプして余裕の回避。妖夢の踏み込み、地に下りる二本の刃。返す刀で逆袈裟二刀、どう動いても片方に真っ二つにされるようなタイミング。瞬時に反転、背のヴァイオリンで二本の刀を受け止める。
「壊れるな!」
大事な楽器、祈るように声を出し、そのまま飛ぶ。空中でヴァイオリンを左手に持ち、状態を確認―よし、破損無し。
妖夢の頭を飛び越え、少し離れた位置に着地。体勢を整えるために少し間ができるが、背後からは足音も気配も無し。だが、そもそも、日本の剣術が持つ摺り足の歩法に、足音も気配もはじめから存在しない!
弓を構えながら、振り向く。袈裟に下ろされた瞬間の妖夢の刀に弓を添わせ、タイミングを合わせて受け流す―成功。僅かの時間だけ、右の刀の制御をこちらで握る。
「ポルターガイスト」
「―あっ!?」
騒霊の基本能力。妖夢の刀を激しく振動させ、無理やり取り落とさせる。虚を突かれて停止する妖夢に、さらに追い討ち。ヴァイオリンで思いっきり、顔面を殴り飛ばした。
「きゃっ!」
やけに可愛らしい声を上げて転がる妖夢。戦いならば追い討ちをかけるところだが、ルナサは別に妖夢を倒したいわけではない。
「聞いて、妖夢。私は別に、あなたの思っているような理由で見ていたわけじゃない。」
立ち上がろうとする妖夢へ、できるだけ優しく聞こえるような声音で話し掛ける。
「私があなたを誤解させてしまったことは謝る。でも、いま焦って無理をしても…」
「まだです!」
「―っ、聞きなさい!」
ほぼ座った状態から、いきなり斬りかかって来る妖夢。ルナサは怒鳴りながら、それをまた紙一重で避ける。その次も、また次の一撃も紙一重で。
「私にはあなたの剣筋は速すぎて見えない。でも、どんな動きをするのかは知ってる。そんなに焦った攻撃では、全部読める。」
「―だったら!」
激昂した妖夢が刀を大きく振り上げる。怒り任せの、大雑把で隙だらけの動き。回避することも反撃することも、至極簡単。
「妖夢、あなたがどれだけ焦っても、いや、実際にどれだけ強くなったところで、あなたは、祖父にはなれない。」
だが、ルナサはあえてそれを受け止める。弓とヴァイオリン、両腕を使った全力をもって。妖夢の目を見て、静かに語りながら。
「『魂魄妖夢』は、どうやっても、『魂魄妖忌』にはなれない。」
「そんなことは、わかって―」
「ポルターガイスト」
接触点から、強引に力を流す。二本目の刀を、妖夢の手から弾き飛ばす。
「わかっていない。どんなに望み、頑張ったところで、自分は自分でしかない。それを、あなたは理解できていない。」
そう、それが妖夢の危うさ。祖父を目指し、祖父に憧れるあまり、自分の能力を否定し、祖父のような強さばかりを追い求めるようになった、少女の間違い。ルナサが、どうしても看過する事のできなかったもの。
「とにかく今は、頭を冷やして。説教はその後、主にでもしてもらうといい。」
「…あ。」
もはや武器も無く、立ち尽くす妖夢の前で、ヴァイオリンを構える。
「―――――聞け。」
かき鳴らす。ただ、今の感情をぶつけるだけの即興曲。ルナサ自身にもよくわからないことになっている色々な想いを込めた、全開の演奏。あらゆる心を沈ませる、静謐たる鬱の音色を。
「頭、冷えた?」
十分弱に渡る演奏を終えて、ルナサはまた、静かに問う。隣に座り込んだ妖夢が、小さくうなずく。
「…はい。すいません、ご迷惑おかけして。本当に未熟者ですね、私。」
「なら、別に構わない。勝手に見に来て、迷惑をかけていたのは私のほう。」
空を見上げる。月が、かなり動いていた。
「そろそろ、リリカとメルランが探しに来るかもしれない。帰ると言っておいた時間、とっくに過ぎている。」
「私も、幽々子様が探しに…は、来ませんね。とっくに眠ってます、あの方は。」
妖夢が苦笑。それを見て安心する。冗談が言えるようなら、もう平常心に戻ったということだ。
「そうね。あの人はそんな感じの人、気づいても放っておくような。」
恐らく、妖夢の心のうちに気づいていながら何もしなかった亡霊へ、ルナサとしては若干の皮肉を込めて笑う。そのまま互いに笑顔を向け合い、少しの間、他愛の無い話題で笑い合う。そして。
「姉さーん、どこにいるのー!」
「…ああ、本当に探しに来た。帰らないと。」
明るい響きを持つ、メルランの声。体の埃を軽く払い、ゆっくり浮き上がる。
「じゃあ妖夢、すぐには理解できないと思うけど、私の言ったことをよく考えておいて。また演奏会で会いましょう。」
もう見に来るのはやめる、言外にそう伝えたところで、腕を掴んで引き止められた。
「…どうしたの?」
「あの、どうして、そんなに気にしてくださったんですか?」
まじめな顔で、実は一番聞かれたくなかった質問。しかし、これだけ妖夢の内面に踏み込んでしまった以上、聞かれてしまってはルナサとて答えないわけにはいかない。
自分の頬が赤くなっているのを自覚しながら、小さく呟いた。
「同じだったから。本当のレイラの姉に、『本物のルナサ・プリズムリバー』になりたかった頃の私と。」
ああ、顔が真っ赤だ。恥ずかしさのまま、妖夢の手を振り払う。そのまま一気に上空へ。
「今までありがとうございました、そしてまた見に来てください! 今度からは、ちゃんとおもてなしします!」
最後に聞こえた妖夢の言葉、それで湧き上がる笑顔をどうやってメルランに誤魔化すか、そんなことばかり考えながら。
格闘のシーンの描写が綺麗で想像しやすかったと思います。
このような作品を書いてもらって多分?友人の方は幸せだと思います。
にしても高スペックなルナ姉が見れて新鮮です!
ルナ姉はもっと目立つべきである!
ルナサ姉さんスペック高い!
面白かったです!
西行寺家とも古くから親交があった。自分としては予想外の発想で面白かったです。
ありがとうございます。友人も何とか満足してくれたようです。
格闘などの描写はまだまだ修行中ですので、これからも頑張ります。
ルナサ姉さんが目立つべきなのは全力同意です。
>地球人撲滅組合さん
ありがとうございます。
ルナサ姉さんのスペックはこれで全てではありませんよ!(何
アイスさん>
ありがとうございます。ですがまだまだです、精進していきます。
ルナサ姉さんが強いのがここまで反響があるとは…。
けやっきーさん>
ありがとうございます。
どちらも書きたかったので書いたのですが、中途半端にならないか不安でした。
エクシアさん>
色々と時代考証をしてみた結果、プリズムリバーの姉妹が幻想郷にやってきたのは百五十年ほど前だろう、というのが私の考えでして、その五十年後、レイラが亡くなったあたりから白玉楼で宴に呼ばれている設定です。
>奇声を発する程度の能力さん
ありがとうございます。もっと、もっと言ってあげて!
>7さん
ありがとうございます。…あの、見入ったの一言だけはなんだか照れます。